あの異様に弁がたつって感じの社長、
ああいうマインドコントロールそのものを裁く法律はないんだよな。

まさに、なにも知らぬ無知なるものを利用する、
吐き気をもよおす邪悪ッッ! ってやつなんだが。

法律、についてはアニメサイコパスの常守朱の名言が好き。

法が人を守るんじゃない、人が法を守るんです。

これな。

大澤義孝のタロットの謎という本にも、
8番正義、の項があるけど、

正義の女神像っていうのは、目隠しをしている。
タロットの図像も秤は水平だが、背後の二本の柱の高さが違う。

人間が定めた法律は、俗世の人事を裁量するものであって、
ある妥協点、落としどころを探るために制定され、運用されているものだ。

綿々とより良い法律を目指して積み上げてきた過去の人達の努力には僕は敬意を表する、
でも、現行の人間が少しでも使い方を間違えれば、それは簡単に堕落する。
吐き気をもよおす邪悪に加担する道具になってしまう。
正義の女神は盲目で、
その裁量の基準は、宇宙の摂理とか真理とか法則とはそういうものとは違う、
人が、人に認識できる限られた事象のなかで、それでもなんとか決着をつけようと制定する曖昧なものだ。
法律ってのはそういうものだ。

人が法を守り、人が認識を進めて、法律をより良いものへと常に模索していかないといけない。

マインドコントロールや、心を支配すること、心の動きそのもの、
そういうものを邪悪だから法律で裁いてほしいと期待するのは見当違いで、危険な事だ。
それをやるとシビュラシステムみたいなデストピアになっていってしまうんだな。