Q.60話でネオンが占ったクロロの予言詩の一節、「向かうなら東がいい」が「向かうなら束がいい」となっているのはなぜ?
A.No.96がWJ2000年41号に掲載された際、編集部が「東」を「束」と誤植して掲載したことが発端。
放映当時、アニメの展開が原作に追いついてしまいWJ本誌掲載分から脚本を作っていたにも関わらず
編集部及び作者側からアニメスタッフへ誤植の報告がされなかったことによるミス。
コミックス11巻で「東」と修正されているが、11巻発売は2001年3月2日、60話放映日は2001年3月10日。
OVA版では「東」となっている。
Q.テレビシリ−ズが中途半端な所で終わってるのはなぜ?
A.単純にアニメが原作に追いついてしまい終了したため。
視聴率に関してはフジの求める異常に厳しい基準では初期は厳しかったものの、徐々に知名度を上げ
最終的には放映当時の夕方枠のアニメーションとしては珍しい二桁にまで上がっていた。
原作の度重なる休載もあり原作ストックが無くなり、特に終盤はWJ本誌掲載分の清書前の
下書きを参考に作っていた状態であった。(よって原作とアニメの絵や内容を比較する場合、
原作側に違いがあるため、清書後のコミックスではなく当時WJ掲載分の下書き絵で比較すべきである。)
Q.天空闘技場編でどうして試合順が入れ替わってんの?
A.フジの求める視聴率基準がべらぼうに厳しかったため、クールごとに打ち切り宣告がされていた。
天空闘技場でも打ち切り通達がされていたため、原作と違い主人公が最後は勝ち終わるという話へ変更されていた。
マチもそのためのサービス出演。この点は後ほどきちんと辻褄合わせがされている。ちなみに放送中は3回ほど打ち切り宣告があったらしい。
Q.ビスケの声優がOVA2期とOVA3期で違うのはなぜ?
A.ビスケ役の樋口智恵子は2003年9月よりNYへ半年間の短期留学へ。
収録は11月頃から開始していたようで、急遽木村亜紀子に変更となった。
Q.旧について幻の最終回とか「暴走オリジナルを冨樫が取りやめさせた」とか言う人がたまにいるけどそれって何?
A.アンチの荒らしによるデマなので注意。以下参考
冨樫がわざわざクレームつけに行ったというのはさすがにデマ。
普通に冨樫が休載を繰り返し原作のストックが厳しい状況でアニメ最終回どうするかということで、
時期的に最終回の脚本とコンテを準備していなくてはいけなかったので、万が一のために一応オリジナルも作って準備しておいて、
編集とアニメスタッフとで打ち合わせしてOVAでアニメが続くことが決定し原作の出来を待つことになった。
雑誌はかなり先の方まで掲載されるので、仮タイトルとしてその仮の脚本のタイトルは載っていた(実際の制作はされていない)。
Q.旧アニメ当時の状況や事情って?
> 旧は試験編はとにかく引き伸ばし要求されて
> (事情を知らない人は進みが遅いと思ったり何故オリストが入ってるのかと思われるし)
> 闘技場とヨークシンは急に話数限られてきて
> ジャンプ連載中(しかも休載有り)のアニメってのは色々可哀相だな
> 章のオチは分からないし、ストックないから手元にある話は引き伸ばすけど
> 区切りをつけてクール内完走はさせなきゃいけない
> 激動のヨークシンで数週先の展開が分からず
> 原作はいついきなり何週も休載するか分からない、たまにネーム掲載
> よく崩壊しなかったな。狂気じみてる
> 古橋がアニメオリジナル最終回の”構想をした”って事で私物化どうこうってたまに出るけど
> その状況で最終回構想もしないでただ原作待ちしてる方が無責任だよな
> 旧は当初から原作ストックがなく初めからずっと「オリジナル入れて引き伸ばせ」「家族向けに」という企画を要求され
> 冨樫にも「オリジナルが観たい」「原作で描けなかった部分をアニメで描いて欲しい」と言われる事情の中で作られたからな
> そういう状況の中でも、原作の部分をきちんと読み込んで作った上で、それ以外の部分で引き伸ばしを追加するようにした心がけがある
> そして商業的にも成功してる
前スレよりも早くスレが立って書き込み数少ないスレがまだ生き残ってるのになんで前スレ落ちたんだろう?
旧ハンタスタッフで蟻編作ってれば緊張感が凄かったろうね
新アニは原作をトレースしてるだけでアニメーションとしての面白さがない
だったら原作読んだほうが何倍も面白い
旧ヨークシンのパクノダの最期の鎖とか猫のシーンとかオリジナルを越えてるもんな
そう云うのがない
そうそう 旧のヨークシン編の演出が凄いから
蟻編は更に緊張感やリアルさが増した演出のアニメになっただろうと考えるともったいないな ピトーとか突入のシーンとか
それと旧キャストのゴンとキルアで、「キルアはいいよね 冷静でいられて 関係ないから」とかのシーンを見たいというものある
旧で驚くのはカメラワークと構図の工夫
制作陣は洋画好きだったのかなと思う
セル画時代は映像の奇抜さでごまかすことができないからでもあるだろうが