>>721
その認識は少し間違っている。
庶民が武装する際に日常の道具が武器になるケースは確かに多い。
ただし、その場合の道具はあくまでも頑丈で簡単には壊れなくまた大替が比較的容易な物になるので、
その中では鍬がそれにあたるだろう。(鍬の部分は頑丈でそう簡単には壊れない)
最も鍬の手は聞いた事がないので、使う人間は居たかもしれないが基本は個人レベルだったという事になる。

鎌や包丁のような薄い刃物は当時の琉球の一般人達には「貴重な」日常品でそれこそ、
研ぎ続けて使えなくなるまで使う類の動画なので、手を習っていた当時の庶民達がそれを武器として使ったり、
武器術の駿練の為に使うとうケースはない。
あるのは、比較的裕福な武士階級の人間達になる。
貴方が考えている以上に当時の沖縄の一般的な庶民は生活に余裕が無かった。
まあ、それは本土でも大差はないだろうが。

庶民の間では基本は木を用いた武器を中心に修練していた形跡が見られる。
代表なのが棒術となる。
実際、現代でも鉄製の武器の型を残しているのは、皆その時代の武士階級の人間達である。
棒術のみ庶民の名人の名前の型が確認できる。

また例えば現代では沖縄空手の武器術の型に二丁鎌の型が幾つか存在するが、
基本鎌の型が定着したのは昭和以降になる。
少なくとも大正までは鎌の手を伝えていたのは一部の士族の人間達である。