3歳上の兄 一二三選手の存在
Q インターハイの敗戦後、兄から声をかけられた?
阿部 まさか電話がかかってくるとは思ってなかった。負けた日にお兄ちゃんと電話をして「全然まだまだチャンスがあるんだから」と言ってくれた時に
まだまだこれからだなと気づきました。
お兄ちゃんも(リオ五輪の選考で)ワンチャンスをものにできなかった、そういう部分でも声をかけてくれたのかなと思います。
Q 兄が夙川学院に来て兄妹で乱取りをしましたね
阿部 あの時は何も考えられずに練習に取り組んでいて、直ぐにジュニアの試合があったので、とりあえず練習しないとという中で、お兄ちゃんとああいう風
に練習して、いつまでも甘えていたらいけないなという考えにはなりました。
Q あの出来事で自分の道が見えてきた?
阿部 ジュニアも負けてしまったら、何も残らないと思ったので、その試合を考えたら切り替えられたと思います。
Q 兄の存在とは?
阿部 お兄ちゃんがいなかったら今の自分は絶対にいないし、ずっとずっと引っ張ってくれてる存在かなと思います。お兄ちゃんが先に作っている道に
乗っかっているだけではないと思うんですけど、レールを作ってくれている人だと思います。
Q 今では阿部兄妹と語られることが増えましたね
阿部 それまでは阿部一二三に付け加えて、ちょっと妹みたいな感じで言われていたんですけど、それが凄く嫌だったので 「あっ、阿部一二三の妹や、
ちょっと強いんやろ」くらいだったので悔しいなあと思って、 絶対「阿部詩のお兄ちゃん」って言わせたんねんていうのが心にあったので、高校2年はずっと
それを考えてました。 2017グランドスラム東京でお兄ちゃんと2人で出て優勝できて、やっと阿部詩って言われてきて、ちょっとだけ並べるようになったかな。
阿部詩の柔道とは?
Q 柔道技での兄の影響
阿部 教えてもらった先生が一緒だったというのもあって、技だったり入るタイミングは一緒なんですけど、女子と男子で技だったり柔軟性も違うので、
自分も真似しようとするんですけど、真似できなかったら自分なりに工夫をして、どう入ったら相手を投げられるだろうというのは凄い考えました。
Q 自分の象徴的な技は
阿部 袖釣り込み腰は、阿部詩と言ったら袖釣りと言われるくらい、周りの方はそう見てくれているのかなと思います。
Q 高校時代に圧倒的に技のレパートリーが増えた?
阿部 代表争いの中で勝ち残っていくには自分のパターンを広げて、一つの技をどこまでも磨くっていうこともしないといけないんですけど、やっぱり色んな
事をしていかないといけないと思いながらずっと練習してきて、中3くらいから寝技も取り組んできたんですけど、なかなか試合では出せずにやってきて、
世界選手権でああいう風に出て、2年間くらい必死に取り組んで出る技なのかな。
Q 世界選手権・GS大阪で見せた技は体が勝手に動いた?
阿部 自分自身考えながら試合をしてしまったら技が出なくなったり、相手を見てしまったり先に掛けられたりというのがあると思うので、試合の時は自分の
これっていう技が出るまで、試合までに追い込んで追い込んで、どういう状況になっても相手を投げられる技が出るまで体に染み込ませるのが自分なりの
やり方なので、あまり考えて出すっていう感じではないですかね。
Q GS大阪での志々目戦、内股すかしで勝利
阿部 あの時は自分も内股に行こうとして、相手の引手が邪魔だったので切った時に、相手が先に入ってきて、その時に自分も入ろうと考えていて、
たまたまああいう形になった。内股すかしというのは全然狙ってなかった。
Q 狙ってやっていたら凄いなと報道陣も騒然とした
阿部 内股すかしは練習で反復したりしていたので、内股入ってくるタイミングはずっと見ていて、タイミングが分からないと絶対、志々目選手の内股っていうのは
すごいので、タイミングが分からなかったら投げられるので、タイミングだけは分かるようにして、でも内股すかしで投げたろうというのはなかったですね。