■ひと 元カーリング選手・ジンギスカン店店主 両角友佑さん(41歳)


2026年、ストックホルムオリンピックカーリング男子3位決定戦。
日本男子悲願の初メダルに挑む選手達を、TVで見つめる男がいた。
自身も33歳で平昌オリンピックに出場した、両角友佑さんだ。

「凄いですね…」感嘆しながらも、どこか寂しげだ。
「今でも時々夢を見るんですよ。僕があの舞台でメダルを取る夢をね。こんなことを言ったら笑われますけどね」

金沢大学を卒業後、中学時代から指導を受けた長岡はと美コーチの全面支援で、
SC軽井沢クラブを結成。日本選手権を5連覇含む9度制し、当然のように世界に活躍の場を求めた。
だが、スポンサーの多大な支援と期待を背負って挑んだ平昌オリンピックは8位と惨敗。
女子のロコソラーレの銅メダル獲得の影で悲哀を味わった。
帰国後はチームメンバーの離脱が相次ぎ、日本代表の権利を失ってしまう。


その後は紆余曲折を経て、日本選手権優勝経験もある岩井真幸さん(現獣医師)らと新チーム「TM軽井沢」を結成。
同時に長岡コーチの伝手で、女子の中部電力のコーチに就任した。中部電力が2019年の日本選手権でロコソラーレを破って優勝したときは、
「最高にいい気分でしたね……タイムアウトで呼ばれて歩いていくのが」と語る。
しかし、指導方針などから主力選手との間に徐々に軋轢が生じ、中部電力は北京五輪予選を兼ねた日本選手権では決勝にも残れず敗退。
大会後に両角さんもコーチを解任された。
TM軽井沢も同大会で苦戦を強いられ、高校生チームだった「常呂ジュニア」の前に敗れ去る。大会後、チームは自然解消するように消滅した。
その後は日本でのチーム編成を断念して韓国に渡り、新チーム結成と国籍変更でオリンピックを目指したが、
異国暮らしに適応することがまったく出来ずに1年で帰国。
藤沢五月率いるロコソラーレが北京五輪で、日本カーリング初の金メダルを獲得した2022年2月、ひっそりとカーリングの表舞台から去った。
今はジンギスカン店を営む傍ら、地元でカーリング教室のコーチを勤めている。