169可愛い奥様2020/07/25(土) 16:18:03.45ID:0gszOkwB0
2013年、吉村は橋下の片腕で維新の政調会長、2012年には日の出の勢いだった維新には自らの
宣伝番組である「委員会」や「胸いっぱい」の存続がどうしても必要だったよね
たかじんに番組打ち切りされないよう、2011年秋にたかじん体調不良、ガンらしい、から
善子がまずたかじんの動向をうかがう役目で相原らに雇われ、たかじんに近づけられてても
おかしくない

紙の爆弾 2020年8月号 一部抜粋
吉村洋文大阪府知事は“アベノホカン”
東京都知事選でも登場した“吉村効果”による第二次維新ブームが全国に広がり始めている。
第一次ブームの原動力は橋下徹人気だった。選挙プランナーの草分け的存在の三浦博史氏が
「今年(二〇一二年)の日本の政治は大阪から動く」と予言した通り、橋下大阪市長(当時)
は一二年四月に「大飯原発再稼働に邁進する野田(民主党)政権を倒す」と宣言。開講した
維新塾で候補者を発掘して、次期総選挙に全国で擁立すると発表、政権奪取の可能性すら
取り沙汰されたほどだった。
その勢いを踏み台に復活をしたのが、お腹が痛くなって政権を投げ出した「日本一弱い総理」
だった安倍晋三首相である。維新との太いパイプを利用して、党内で再び存在感を示すように
なって、同年九月の自民党総裁選、続いて三ヵ月後の総選挙に勝利して、首相再登板に成功
したのだ。
第二次安倍政権の“産みの親”となるほどの影響力を有した橋下氏と同様、政界激変の中心人物に
なると見られているのが、維新副代表と大阪府知事を兼任する吉村氏なのだ。メディア露出は
当時の橋下氏以上かもしれない。