北陸地方で部落問題が深刻化しなかったのは、大多数が浄土真宗(一向宗)を信仰していたことが一因である。浄土真宗では武士、猟師、そして被差別民の「役務」・「家職」に伴う殺生は、忌避の外としていた
(むしろ自力で本願を遂げられない「悪人」こそが阿弥陀如来にすがることで救われるべきだという悪人正機説を唱え、全国の被差別民の救済にも熱心にとりくんだ結果、被差別民の大半が浄土真宗に帰依している)。
例えば越中(富山県)に残る「念仏行者心得か条」には「稼職に非ざる殺生を致し申す間敷事」(仕事ではない殺生はしないようにしましょう)と書かれている。代々の指導者は繰り返し生きるために必要な殺生の必要性を説いている。
開祖親鸞は「海川に、網を引き、釣をして、世をわたるものも、
野山に、猪を狩り、鳥を取りて、生命を継ぐともがらも、商いもし、田畠を作りて優る人も、たゞ同じことなり」と言っている。
また本願寺中興の祖といわれる本願寺第8世の蓮如が越前(福井県)吉崎御坊を拠点としていた際に書いたと思われる手紙(御文)の一節に「ただあきなひをもし、奉公をもせよ、猟・すなどりをもせよ、
かかるあさましき罪業にのみ、朝夕まどひぬるわれらごときのいたづらものを、たすけんと誓ひまします弥陀如来の本願にてましますぞとふかく信じて、一心にふたごころなく、弥陀一仏の悲願にすがりて、
たすけましませとおもふこころの一念の信まことなれば、かならず如来の御たすけにあづかるものなり」とある。