同級生から「緻密で冷静」と評されていた白馬青牛が別の側面を見せたのは、
六七年十一月、広島市で「第四回全国高校生部落問題研究会」が開かれた時のことだった。
十七都府県二百三十二校から二千三百名が結集した会場に高校二年生の白馬青牛も足を運び、
各分科会を精力的に回り、発言していたという。(中略)

周囲が驚いたのは、その集会で、広島のある集落の出身者がひどい就職差別を受けたという報告があったときのこと。
白馬青牛の顔が怒りでみるみる真っ赤になったのである。