>>485-486
豪州軍は、マレー戦でも最強広島師団に対して自殺行為に等しい肉薄銃剣突撃まで
仕掛けて来よったし、広島師団の白兵攻撃にゃ手を挙げて降伏する英国兵たぁ
違うたんよ。豪州軍は、マレーで広島師団にやられた夜襲を背水の陣のシンガポール
じゃ、久留米菊門オカマ師団に敢行し苦しめよったし、英軍の自国戦闘方式頑迷と
較べ、戦闘状況じゃ日本軍から学んだ戦闘を取り入れる柔軟な臨機応変な対応が
出来たけぇのう。
イギリス贔屓の映像作品じゃのう。まあ、スコットランド兵や他のケルト系は
正面激突得意じゃし、ケルト系移民の多かった豪州兵もケルト性格が戦場じゃ
出たけぇのう。
アルゼンチン人自体は、英国本国軍たぁグルカ兵を怖れたよ。ククリ刀恐怖症よのう。
ドイツ軍はケルト系の無鉄砲突撃であんましやらんよ。ガ島は、東北や北海道の
部隊が先陣ゆえ、距離詰めず突撃し、米軍の日本軍夜戦潰しにまんまと乗ったけぇ、
戦闘主導権は米軍よのう。
広島県移民の二世が最多に多いい日系部隊の白兵攻撃はドイツ軍くらい粉砕できるよ。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ssbohe/one_goforbroke.htm
「…イタリア沿岸に上陸した第100歩兵大隊は、初陣から激戦に見舞われる事と
なった。敵は世界最強のエリート部隊、独軍降下猟兵。しかも精鋭中の精鋭で
知られる第1降下猟兵師団だった。
このため第100歩兵大隊は上陸後わずか一週間で死傷者40名を出すに至った。しかし
友軍が戦線を放棄して撤退する中、第100歩兵大隊だけは頑として戦線を離れず、
壮絶な銃撃戦の果てに勝利をもぎ取ったのである。 この勇敢で献身的な行為は
友軍に広く伝わり「イタリアに第100歩兵大隊あり」と新聞で大きく報道された。
また彼等の「銃剣を着剣して全力で敵に肉薄する突撃戦法」は「バンザイ突撃」と
呼ばれた。(本家日本軍のそれは自殺戦法だったが、第100歩兵大隊の場合は実に
効果的に敵を殲滅したそうだ)…」