劉備と劉邦、個人としてはどちらが優秀か
自分は個人の素質は劉備のほうが劉邦よりはるかに優れていると思う
劉邦と違って部下に恵まれず、
敵が曹操という文武両道の人物だったところが悲運だったと思う いかにも叩かれそうな感じのスレだな〜。と思って覗いてみたら、まだ誰も叩いていないのかよw >>6
まあ、なんだ。
板の現状みたらこれよりもっと叩くべきスレが沢山あるというか。
マシにみえる。 本当だ。冷静になって三戦板を見渡してみると、いかに荒れているかが分かるね。 一番優秀な劉家の人物はズバリ劉秀。名は体を表すとはよく言ったもの。 王莽の自爆と劉秀の兄が地盤を築いてくれたおかげであるからタナボタの嫌いもあるけどね。
そして、敵が王莽を始め大した奴がいなかったことにも救われる。
公孫瓚とか陶謙、李確、劉障レベルしかおらず、曹操どころか項羽に相当する相手もいなかった。 劉エンの地盤は別に継いじゃいないだろ。
馮異以外のほとんどの劉エン人脈は河北で確固たる地盤を築いてからの帰参だ。
劉玄を利用できたことならわかるが。
あと敵ではっきりと弱かったのは張歩ぐらい。
それも曹操が孫ピンとともに声東撃西策の模範とした耿エンが、策謀巡らせてはめにはめた結果。
王莽が荘尤を、公孫述が延岑らをまともに使えなかったことも有利な点かな。
あとの連中に対しては、劉秀がほとんど失策がなく、
相手が地盤広げる隙のないうちに中原を高速で制圧できたのが何より大きい。
隗囂あたりなんてあとちょっと遅ければ、或いは竇融がもし劉秀につかず隗囂方についていれば危うかったろう。
呉漢らが敗れてるわけだしな。 漢を創った人と皇帝になったはいいけど何も遺せなかった人じゃ比べるまでもないんじゃない?
その差が人物の優劣でないか? 劉邦と劉秀と劉備、なぜ差がついたのか―慢心、環境の違い 劉秀は儒者だし三略マスターだからねぇ。
後漢紀に昆陽で先鋒を勤めたとの記述があったり、
後漢書にも即位後も直接敵兵と格闘した記述があるあたり、一番君子に向いてないかもだが。 >>13
>タナボタの嫌いもあるけどね
つまらないことだけど帰来な >>15
結果論でしか語れないのが三戦板たるゆえんだな 若い頃仲間を引き連れて放蕩の限りを尽くし、負け戦では子供二人を放っぽり出して単騎逃げようとする劉邦
それに対して若い頃から真面目に働き、負け戦でも領民を守ろうとする劉備
どちらかと言うと劉備の方が慕われると思うよ
運の強さは劉邦の方が上だったけどね いや、劉備だって若い頃遊学先で勉強せず遊びまくってたりに負け戦で子供ほっぽらかして一目散に逃げてるぜ
基本的に似たり寄ったりなんだ、劉備と劉邦
何気に二人とも戦わりと強いし。常に項羽と曹操の陰に隠れるけど 韓信にあたる武将がいたかどうかだな。
劉備の場合はホウトウ法正とも短期間で死んじまったし。 >>21
アレは正に劉邦の故事にならって付会されたもの。
劉邦を継ぐものだというアピとそれが家臣のためだったという仁アピ。
能力というのが学力とか考察力、体力、技量なんてものを指すなら
史書の記述を見る限り劉備>劉邦。
だけど、主君=能力NO.1の必要は全くないわけで、決断力、包容力といった
指導者の資質というか器の大きさでは圧倒的に劉邦だろ。
俺の意見
兵や家臣としての能力 劉備>劉邦
主君としての能力 劉備<<<<劉邦 劉邦は別に器もそんなでかくはない
最も優れていたのは運、シャレ抜きで運 劉備て中山王の子孫じゃなくて
光武帝の兄貴の子孫て説があるけど本当? 高祖は器がでかいんじゃなくて
器をでかくみせる術に優れてたんだと思う 相手が曹操だったら劉邦でも天下統一は厳しかったろう 項羽は自滅パターンを歩みながら、戦勝でそれをひっくり返してきたチートだからなあ 劉邦は張良仲間に出来た事が最大の幸運だと思う
逆に言えばそれだけ 冒頓単于対項羽も見たかったな
完全に罠にはまってるけど、力技で突破する項羽 項羽って冒頓単于と同一人物なんじゃね?
義経もチンギス・ハーンだし 義経とチンギスハーンの肖像画の顔がちょっと似てるところにロマンを感じる >>28
劉秀だったら曹操をも倒せるかも知れん。過大評価しすぎかな?
でも多分本当のチート能力は始皇帝政。同時期に居たら誰も勝てない。地盤も強すぎるしね。 劉邦も劉備も皇帝になった後に部下を処刑しているが劉秀は誰も殺さなかった。
器のでかさは最大級。 始皇帝の場合はその地盤が強すぎというのが大きいんじゃないか
よーいドンでスタートして、劉秀や李世民や明の太祖に勝てるかな >>36 韓信がいるから劉邦も負けないだろう、それに劉秀が曹操に負けるって事が想像出来ない
>>26
魏略だと劉備は臨シ侯の子孫ということになってるんだが
後漢における臨シ侯の一人が劉エンの息子なんだよね
だから光武帝の兄貴説というのも一応間違いじゃない 為政者側としては韓信みたいなのは厄介で仕方ないだろうな >>41
むしろ好評価して重用するだろ
能力と野心のバランスも上手くとって赤壁に投入
武将はともかく、他の軍師との関係も良好に保てる
問題は曹操亡き後なんだよな、抑えられる君主が居ない 曹操には韓信を使いlこなす度量が無いよ
魏はなんだかんだ言って門閥だから、結局、韓信には大軍は任せられないで逃げられそう
>>40
ありがとう
光武帝の兄貴は劉邦に似てたような 曹操もわりと行き当たりばったりだけど項羽ほど酷くは無いし凄くも無い。項羽はバランスが悪すぎる >>52
項羽は仮に天下取れても死後すぐに秦同様楚は滅亡することになるでしょう。
戦争に強いのと良い政治をして国を治める能力は別。
平和になると項羽の能力は生かせない。乱世でこそ生きる能力 劉邦も劉備もゴキブリ見たいな生命力
もちろん良い意味で >>53
うまく項羽とは別タイプの2代目皇帝に引き継がせるしか方法が無い。
項羽は戦争病に取りつかれて天下統一後即座に匈奴討伐戦とかやりそうだが。 >>55
はぁ?
即位後即座に匈奴討伐しねーと冒頓様に負けちゃうぞ 三国志の世界に劉邦や劉秀がいたら天下統一できたかどうか 劉秀がいたらそもそもあんな状態にはならんだろ>後漢 >>65
劉秀が初代皇帝になって結局あんな状態になったのが後漢だけど? あんな状態なったのに劉秀は関係無いだろw
>>66の中じゃ劉秀は何歳まで生きてたことになってんだ? というか劉秀なら統一できたか?って疑問は、
群雄の一人に劉秀がいたらって話じゃないのか?
そら霊帝が劉秀だったら、って仮定なら、たぶん黄巾の乱なんか起きないよな >>66
劉秀が作った国家システムが優秀だから結局200年もったんだよ
幼帝、少帝連打の後漢王朝が曲がりなりにも長く続いたのは初期の皇帝の手柄だ 皇太子を明帝に代えなかったら幼帝だらけにならなかった疑惑 そうかな
意外と曹操や劉備の補佐役とかのまま生涯を終えそうな気もする
劉秀って戦乱の時代の人には珍しいくらい良い人だし 劉秀って自己主張の強い人柄じゃないからなあ
本来上に立つタイプじゃないのかも知れん 劉宋建てた奴じゃないの
中国の歴史上唯一劉姓なのに漢って国名にしなかった
若い頃に諸葛長民って奴から
「俺が諸葛であんたが劉だから、蜀のコンビみたく天下とろうぜ」
って言われて「うちは代々庶民だ。漢室なんか関係あるか馬鹿」って答えたって人 法正とホウ統が生きてたらな。
劉備には結局孔明しかいなくなり、それに頼りすぎた。
劉邦は統一まで張良、ショウカ、韓信が現役だったからなぁ。
劉邦単体では負け戦が多かったり、統一した後反乱起こされたりと、能力と人心掌握力は劉備の方が上だと思う。
ただオレは演技厨だけどW 法正とホウ統って実際活躍期間が短いから長く使えばどんなもんかだったかはわかんないじゃねーか >>76
ぶっちゃけ劉秀=劉嘩でそれほど違和感がない。
史実の劉秀自体、兄に巻き込まれなかったら挙兵したか疑問だし、
兄が殺されなかったら独立したかも疑問。 >>82
劉備死後、法正と魏延が壮絶な仲違いをするなか
頭を抱える諸葛亮の姿は思い浮かんだ >>83
コピペだけど
新末は三国時代よりレベルが低い
曹操>>>>>>>>>>>廃后、宦官重用で王朝滅亡の遠因を作った匹夫光武帝
荀ケ>>>>>>>>>>>常敗将軍ケ禹
張遼>>>>>>>>>>>>>>>>>>裏切り者ケ奉に殺されかける雑魚賈復
鍾会>>>>>>>>>>>延岑を勝手に処刑する野蛮人呉漢
張飛>>>>>>>>>>>>>>>>>>公孫述の刺客に暗殺される馬鹿岑彭
新末は三国時代よりレベルが低い 個人の能力じゃ明らかに劉備が上だな
ただ相手の曹操は項羽のように人格に問題はなく文武両道の名将(もちろん項羽も名将なんだけど)
法正 ホウトウの早すぎる死(ホウセイの才能は疑いようはない ただ性格的に孔明のように将軍としての器があったかは微妙
ホウトウは微妙だが 人物眼にも定評があったらしい)
項羽>董卓>劉備>曹操>袁紹>袁術>王允>王莽
この時代ではバランス一番いい 項羽は戦自体は神がかってるだろ
政治に大問題があっただけで 政治だってそんな問題あるわけじゃない
ただ劉邦とそのブレーンの宣伝能力が凄まじい事と
何より蕭何の兵站維持能力が異常過ぎる
戦闘以外の全ての面で劉邦とその取り巻きは異常 あれだけ戦略の駄目さを、戦術で引っくり返す人物も珍しいよ。項羽は戦争の強さだけなら神がかってる。 >>92
王莽を舐め過ぎじゃね?
時代にはそぐわなかったが、晋代に匹敵するレベルの政策を行っているし、
王邑などの将軍達はは昆陽近くのマクロレベルの動きをみても、名将に近い作戦をたてている。
大軍による半包囲と、兵站線への迂回打撃で緑林軍を干上がらせるという作戦は理にかなっているし、
局地戦で誰かさんが寡兵であっさり鶴翼の左翼を文字通り粉砕してしまわなければ、
緑林軍を完璧に破っていただろう。
ついでに言うと、王莽自身の軍事戦略については俺も匈奴戦の五路進軍が
「兵力の分散じゃね?」と最近まで思っていたんだが、
近代兵学の本を読んだら、大軍の場合、目的地に向かって一路だけで進軍すると、
所謂遊兵が戦線後方に出来るため、結局前線では寡兵で戦うことになるからよろしくないらしく、
大軍で複数の道が同じ目的地に向かって伸びている場合、
複数にわけて進軍するのは望ましいことなんだそうな。
だから、絡め手で政権奪ったあげく、一代で滅んだために散々けなされて甘く見られがちだが、
彼は割とバカにできないよ。
バカに出来ないというか、むしろかなり先進的な思考をしている。 分散させないと兵站にも負担が増えるし、各個に撃破されるおそれさえなければ
分進合撃は理に適った手段だね 理に適った作戦でも勝てなきゃ意味ねえんだよ!!
って誰かが言ってた 作戦自体はよく出来てても成功しなかった意味ないもんな