負け惜しみもそこまで行くと惨めで可哀想ですね。負けてなかったらなぜ憲法まで変えられてしまったのですか?
日本はポツダム宣言を受け入れて昭和20年8月15日に降服しました。ポツダム宣言は連合国を代表した三ヶ国、つまりアメリカ、イギリス、中華民国の名前で出されました。
そして9月2日に相模湾上のアメリカ戦艦「ミズーリ号」で日本降服文書調印式が行われました。それには日本政府・軍代表と連合国代表団九ヶ国の高級軍人が参加
日本の降服文書に署名しました。差別はやめましょう

調印式参列の序列そして降伏文書調印の順番はアメリカ、中国、イギリス、ソ連(ロシア)、オーストラリア、カナダ、フランス、ニュージーランド、オランダ、、、中国が二番目です。日本の侵略でもっとも被害を受けた中国に花を持たせたのでしょうね。

そして1951年のサンフランシスコ平和条約で連合軍による日本占領が終わり、日本が主権を回復。その時に調印したのは日本と連合国48ヶ国。あの戦争では日本は48ヶ国(+ソ連、調印しなかった)を敵にしたのです。バカな事をしたものです。

ちなみに、ソ連(ロシア)は8月15日の終戦以後のみならず、9月2日以後も侵略を続け、北方領土を奪い取って今日に至っています。

なお、日中戦争では蒋介石主導の国民党軍が主敵でしたが、毛沢東が率いる共産軍(八路軍など)も日本軍と戦いました。有名な「百団大戦」では八路軍の攻撃で日本軍の前線部隊は大打撃を受け、かなりの前線縮小を余儀なくされました。