1.<笠沙>港に上陸した首露(スロ)王の七人の息子たち
日本は、武力で脅迫して、我が国の統治権を劫奪してから5年後の1915年6月29日、朝鮮総督府警務令を布告して「治安上の理由で、金海(キムヘ)を本貫とする金氏の族譜発行を禁止」させた。
警務令と言うのは一体どのような命令か、他人の系図の発行さえ規制することができる強制力からまず見てみよう。
日本語辞典によれば、警務令というのは,「国家の安全と社会公共の秩序を守るために、国民に対して強制し、その本来の自由を制限する命令」だ。
西暦1985年に実施した国勢調査によれば、我が国には274種の姓氏があり、金氏はその中の一つだ。
その上、その金さんには少なくとも285種の本貫があり、金海金氏はその中の一つに過ぎない。
そんな金海金氏の系図が、なぜ「日本の国家安全と社会公共の秩序を害する」と日本政府は思ったのだろうか?
その謎を解くには、問題の原因を提供した金海金氏の族譜をよく見るしかない。
西暦1864年(甲子年)に発行されて伝わる金海金氏の系図には次のような謎に満ちた文章が見られる。
【金海金氏の始祖である首露(スロ)王には10人の息子がいたが、四番目から十番目までの七人の息子は、世の中の有様に悲観して、雲に乗って国を発った】
金海金氏の系図にある謎のようなこの文章が、日本政府にとって、系図の刊行を禁止させなければならないほどに「日本の国家安全と社会公共の秩序を害する」と言う理由は何だろう?