日蓮宗一致派初代管長)らの活動で、身延山久遠寺(山梨・身延門流)、長栄山本門寺(東京池上・比企谷門流)、正中山法華経寺(千葉・中山門流)、具足山妙顕寺(京都・四条門流)、大光山本圀寺(京都・六条門流)、妙塔山妙満寺(京都・什門流)、
長久山本成寺(越後・陣門流)を七大本山とする制度を実施した。しかし、これに京都要法寺を始めとする興門派及び八品派や一致派本山から異論が噴出する。教部省に訴えた結果、七本山の企ては頓挫し、
管長は一致派・勝劣派に拘らない年番交代となった。その後1874年 (明治7年) 3月、宗教行政の無理さや教義の違いから日蓮宗一致派と日蓮宗勝劣派に分かれたため、管長も各派別におくこととなる。
前者は一致派全門流の合同教団となり、身延山久遠寺の新居日薩が初代管長に就任した。現在の日蓮宗宗制では寺院は祖山、霊跡寺院、由緒寺院、一般寺院に分けられている。江戸時代の本末制度に始まる寺格は昭和16年の本末解体で消滅し実態はないが、
日蓮宗宗制では総本山・大本山・本山の称号を用いることができると規定されている。祖山は日蓮の遺言に従い遺骨が埋葬された祖廟がある身延山久遠寺(日蓮棲神の霊山とされる)で、貫首を法主と称する。霊跡寺院は日蓮一代の重要な事跡、
由緒寺院は宗門史上顕著な沿革のある寺院で、住職(法律上の代表役員)を貫首と称する。祖山、霊跡寺院、由緒寺院は「日蓮宗全国本山会」を組織している。総裁は身延山久遠寺内野日總法主、会長は飯田本興寺浅井日彰貫首、
事務局長は北野立本寺上田日瑞貫首。融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)は、浄土教の宗派の一つ。大阪市平野区にある大念仏寺を総本山とする。平安時代末期の永久5年5月15日(1117年6月16日)に天台宗の僧侶である聖応大師良忍が大原来迎院にて修行中、
阿弥陀如来から速疾往生(阿弥陀如来から誰もが速やかに仏の道に至る方法)の偈文「一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行 十界一念 融通念仏 億百万編 功徳円満」を授かり開宗した。大念仏宗(だいねんぶつしゅう)とも言う。
良忍が始めた融通念仏は当初は勧進行脚が主で、仏教宗派としての組織を持たず集団運動の中から発展したものであった。大阪の平野の大念仏寺をはじめ、京都の清凉寺や壬生寺などで融通念仏が盛んになり、壬生寺や清凉寺、千本閻魔堂、
神泉苑には融通念仏の中興者である円覚上人による大念仏狂言が伝えられている。寿