その根本にあるのは「最近の若い奴は横文字ばかり使って…」とでもいうような
感覚でしょう。
で、既存の「お笑い」は、この感覚に関して、どちら側に与しているかというと、
マジョリティ側に与している。
このようにして「上から目線で、劣ったものを見下す笑いの視点」から、
脱原発デモなどは見下されていると思うのだけど、原発の是非を議論する以前の、
「見下す感覚」そのものについて、しかもお笑いを味方につけて成立してる
そのマジョリティの感覚についてね、今解析が必要だと思うんです。
それはマジョリティ自体の解析という意味ではなく、お笑い芸人の
笑いの解析をです。
お笑いって、いつの間にやらナショナリズムととても相性が良くなってて
ナショナリズムあらざるものを笑うように仕立て上げられてると思う。