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【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part9
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0001名無しさん@占い修業中2021/02/25(木) 05:55:47.24ID:NcToXokI
近代タロットの理解にはカバラの知識が必須であることは、割とよく
知られていると思います。
しかしなから、タロットの理解に必要なカバラの知識って、日本に
おいては、あまり紹介されていないのが現実なんですよね。

というわけで、タロットの理解に必要なカバラの基本的知識を得るために
以下の本を引用、翻訳、考察しながら、色々と勉強していきたいと思います。

書名:The QABALISTIC TAROT
   A TEXTBOOK OF MYSTICAL PHILOSOPHY
   カバラ主義のタロット
   神秘主義的哲学の教科書
著者:Robert Wang

※話題への、ソコはちゃうやろ的ツッコミとか、雑談とかは歓迎ですが、
教えて的な質問に答えたりとかは面倒なので、スルーする可能性が高いです。
0002名無しさん@占い修業中2021/02/25(木) 06:04:31.54ID:NcToXokI
前スレ
【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part8.1 (Part7の再利用)
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1499721760/290-625

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part8
http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1568581674/ (に→2に変換)

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part7
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1499721760/1-289

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part6
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1480109875/

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part5
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part4.1 (Part1の再利用)
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1341180469/97-356

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part4
http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/ (に→2に変換)

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part3
http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1377994155/ (に→2に変換)

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part2
http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1346550441/ (に→2に変換)

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1341180469/1-96
0003名無しさん@占い修業中2021/02/25(木) 06:10:28.14ID:NcToXokI
前スレは、1024k容量オーバーで書き込めなくなりましたので、
スレを立て直しました。 (^^;

なんか、色々と知らないうちに仕様が変わるので、いきなりカキコできなくなると、
ちょっと焦りますよね。 (^^;;
ちなみに、このスレで、この話が完結するのか、次スレまで行くのかは、なかなか
微妙な感じですね。

それでは、改めて、みんなでマターリいきましょう(^^)/
0004名無しさん@占い修業中2021/02/25(木) 06:11:40.97ID:NcToXokI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 216) ---
The dual energies which the Lover proposes to unite are equal and opposite, i.e.,
"twins."
「恋人」が、一体化させることを提案する二重の精力たちは、等しいものであり、かつ
正反対のものであり、すなわち、「双子」である。

The uniting of these twins is a major step upwards, toward the Godhead on the
Tree of life.
これらの双子の一体化は、「生命の木」に基づく「神」に向かう、上向きの大きな一歩
である。
--- ここまで ---

この解釈は、カードの絵柄を見る限り、トート版に限定しておいた方が良さそうです。
ゴールデン・ドーン版も、ウェイト版も、独自の世界観がありそうですしね。

とはいえ、どの版においても、この「6:恋人たち」の男女の人物像は、将来的に結婚して、
次世代となる子供(「ティファレト」)を授かることになりますので、「双子」よりも、
「夫婦」の関係にあるとしておいた方が良さそうです。

ちなみに、「深淵」を下る「小径」のうち、「2:高等女司祭」「4:皇帝」「5:法王」は
単一性を示し、「6:恋人たち」「7:戦車」は、どちらかというと二重性を示しています。
ただし、「4:皇帝」は、「3:女帝」との関係が噂されており、将来的に「6:恋人たち」と
なる可能性がありますので、そういうカップリングについても興味深いところです。

さて、ここで問題なのは、この「6:恋人たち」が、我々が「神」にアクセスできるツール
として使えるのかという点なのですが、この「小径」を遡って上位世界に行くことは基本
的には出来ないので、我々にとっては、上から下への一方通行路となっています。
つまり、上から落ちてくるものを拾うことしか許されていないわけですし、さらにそれは
実用的なものとは言い難いというか、何にでも解釈可能なものしか落ちてこないので、
それぞれで好き勝手にやってもいいんじゃないかな、とか思うのでした。(オチ無し)
0008名無しさん@占い修業中2021/02/26(金) 06:13:24.04ID:Q3bFvIju
>>5
もったいないと感じて頂けるのは、嬉しいです。
でも、出版は面倒ですので、権利全て無償譲渡しますので、誰かやってください。 (^_^;;

>>6
すごいですか? (^^;;
まあ、半分くらいは雑談ですので、駄文を楽しんで頂ければ幸いです。

>>7
応援カキコありがとうございます。
今回は、無警戒だったので、ちょっと焦りました。(^ ^;;

ということで、新しいスレでも、ボチボチとマイペースでいきたいと思います。 (^_^)
0009名無しさん@占い修業中2021/02/26(金) 06:16:25.36ID:Q3bFvIju
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 216) ---
The principle is that as Divine Energy surged across the Abyss into manifestation,
stable dualities were formed.
原則は、「神の精力」が「深淵」を渡って顕在化の中に押し寄せるにつれて、安定した
二重性たちが形成されたことである。

The Great Work is a "marriage" of these dualities of manifestation, a return to
a primeval state.
「偉大なる作業」は、これらの顕在化の二重性たちの「結婚」であり、原始の状態への
復帰である。
--- ここまで ---

この「6:恋人たち」のレベルの「The Great Work/偉大なる作業」は、我々の知る錬金術
における「偉大なる作業」、すなわち「14:節制」や「13:死」などの「劣化ケテル=ティ
ファレト」へと至る作業とは、全く異なる次元にあることに、注意が必要です。

ついでに言うと、「marriage/結婚」は、「原始の状態への復帰」、すなわち「小径」の
上昇(逆走)ではなく、「小径」の降下、すなわち顕在化の新しいステージへの遷移と
なるはずであり、この辺りの解釈は、この本の著者であるウォン氏とワタシとの間では、
明白な違いがあります。
要は、「父」と「母」が合体して「至高神」になるのか、「父」と「母」が別の意味で
合体して「神の子」を産むのかの違いということであり、「深淵」を逆上できない派で
あるワタシとしては、どちらかというと後者の解釈であるということです。
ということで、二番目の文は、ワタシとしては「『偉大なる作業』は、これらの顕在化の
二重性たちの『結婚』であり、新しい状態への遷移である。」という解釈になります。

とはいえ、「上の如く、下も然り」の原則に基づき、「下の偉大なる作業」は「上の偉大
なる作業」との共時性を持つことも否定できませんので、まあその辺りは、妄想次第で
どうにでもなるというか、まともな議論ができない領域でもあるわけです。
つまり、すこぶるどうでもいいという結論にしか至らないということなのでした。
0010名無しさん@占い修業中2021/02/26(金) 07:28:18.79ID:7X26ZF6R
>>8
えっまじで!?>諸権利の譲渡
(著作権そのものは、現代日本ではなにをどーやっても捨てられないので
その他の周辺権しかうけとれないけど)
0011名無しさん@占い修業中2021/02/27(土) 06:38:36.78ID:SgYi096W
>>10
マジですよ。(^_^)
まあ、権利を無償譲渡するというか、何しても怒らないから、二次創作で好きに使っていいよ、
という意味で解釈してください。
つまり、個人であろうが法人であろうが商用目的であろうが、ワタシの著作物となる部分は、
作者の許可なく無償で自由にコピペしたり改変したり出版してもいいよ、ということです。

ただし、このスレの文章には、他人の著作物が含まれていますので、その部分については
きちんと許可を取って頂くよう、お願いします。
0012名無しさん@占い修業中2021/02/27(土) 06:42:02.88ID:SgYi096W
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 216) ---
Thus, this Path may be considered the aspect of the Garden of Eden from which
mankind was expelled, but to which it may earn re-entry by consciously dealing
with what has been called the inner Sun and Moon.
従って、この「小径」は、人類がそこから追放された「エデンの園」の様相であると考え
られるかもしれないが、けれども、いわゆる内なる「太陽」と「月」と呼ばれ続けている
ものを意識的に取り扱うことにより、そこへの再入場を得るかもしれない。

The whole key to the Great Work is the uniting of the Sun and the Moon under
Mercury (the planet ruling Gemini).
「偉大なる作業」にとっての全体の鍵は、(「双児宮」を支配する惑星である)「水星」
の下での、「太陽」と「月」の一体化である。
--- ここまで ---

『旧約聖書』における「エデンの園」には、いくつかのレベル、すなわち「顕在化前」と
「顕在化後」がありますが、この「6:恋人」は、「顕在化前」の「至高」から「高次」への
「fall/墜落」の場面となります。
そういうわけですので、ウォン氏は「re-entry/再入場」の可能性について言及していま
すが、ワタシとしては、その可能性は完全にゼロであると見ています。

また、錬金術の、「水星」の下での「太陽」と「月」の一体化については、化学実験の
「金(太陽)」と「銀(月)」を「水銀(水星)」により合金化(アマルガム化)する
過程として、よく知られているネタですよね。

ということで、ここは、「ケテル」に始まった宇宙創生の単一の力(エネルギー)が、
インフレーションで多様な力(エネルギー)に分化した後、再び「劣化ケテル」である
「ティファレト」に大統一され再結集するための媒介物である「メルクリウス(水銀で
あり水星)」というイメージなのかなぁ、とか思うのでした。
まあ、「7:戦車」にも、素粒子間力を媒介するイメージはありますし、似たような作用を
しているのかもしれませんね。
0013名無しさん@占い修業中2021/02/28(日) 05:57:25.46ID:v8S21v+B
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 216) ---
In relating this symbolism to the Path of THE LOVERS, Case performed a fascinating
exercise in Gematria.
この象徴主義を「恋人たち」の「小径」に関連付けることに関して、ケース氏は「ゲマトリア」
において魅力的な演習を行った。

He took the Hebrew title of the Path from the Thirty-Two Paths of Wisdom, and
broke it down into its component parts.
彼は、「知恵の32の小径たち」から「小径」のヘブライ語の称号を取り出し、それをその
構成要素たちに分解した。

The Path of Zain, is called the Disposing Intelligence, [shin][gimel][resh][heh]
(ha-regesh), from which the following is derived: ([heh] means the), [resh] is
the Sun, [gimel] is the Moon, and [shin] is Fire.
「ザイン」の「小径」は、「処理する知性」、[shin] [gimel] [resh] [heh] (ha-regesh)
と呼ばれており、そこから以下のものが導き出される:([heh] は「the」を意味する)、
[resh] は「太陽」であり、[gimel] は「月」であり、そして [shin] は「火」である。

So [shin][gimel][resh][heh] in means the Sun + Moon + Fire. (*210)
つまり、[shin] [gimel] [resh] [heh] は、「太陽」+「月」+「火」を意味する。 (*210)
--- ここまで ---

ちなみに、(*210)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
210. Case, Thirty-Two Paths of Wisdom, Lesson 10, 1.
210. ケース著、『知恵の32の小径たち』、第10課、1ページ。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、単なる言葉遊びですので、そういうネタもあるんだ、という感じですかね。
0014名無しさん@占い修業中2021/03/01(月) 06:01:17.32ID:BjApXbE8
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 216) ---
On the Tarot card, the Sun is the man, the Moon is the woman, and the Divine Fire
above the Abyss is represented by the Angel or Cupid.
「タロット」カードに関しては、「太陽」は男性、「月」は女性、そして「深淵」より上の
「神の火」は、「天使」または「クピド」により表される。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の図案は、これとは全く異なりますので、基本的には、ウェイト版
やトート版に共通している特徴です。
まあ、トート版では、微妙に異なる点もあるのですが、基本的な構図という点では、大体
似たようなものとなっています。

ちなみに、「6:恋人たち」に似たような構図といえば、「19:太陽」があるわけですが、
錬金術的な話をするのであれば、こっちのレベルの方が、しっくりきます。

それでは、この「6:恋人たち」のレベルにおいては、この「男性=太陽」と「女性=月」
のペアが何を意味しているのかと言うと、「わかりません」という答えになるわけです。
そして、わからないのに、「男性像」や「太陽」や「女性像」や「月」に例えているのかと
言われれば、「そのようですね」という答えになります。
つまり、これ以上突っ込んだ話は、ワタシには出来ないのです。
やったとしても、何の意味も根拠も無い、単なる井戸端の噂話でしかないです。

まあ、ヤル気が無いと言われても、「6:恋人たち」の「男性=太陽」と「女性=月」に
ついては、語るためのネタ自体がありませんので、どうしようもないわけです。
ましてや、「神の火」である「天使」や「クピド」についても、さらにネタの持ち合わせ
がありませんので、そういうものなんだ、としか見ることが出来ません。

まあ、ワタシの場合、そういうネタは、神託みたいな形で、上位から降りてくるものなの
ですが、このレベルのネタが降りてくることは、ほぼ無いというのも要因なんですよね。
(要するに、下ネタしか持ち合わせがないということなんですよねww)
0015名無しさん@占い修業中2021/03/02(火) 05:31:27.61ID:vNxNyzDg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 216) ---
In explanation of this, Case states that the Sun is self-consciousness, while the
Moon is subconsciousness.
これの説明の中で、ケース氏は、「太陽」が自己意識であり、その一方で「月」は潜在意識
であると述べる。

These are both aspects of the one Life-Breath, each working through half of the body.
これらは両方とも、1つの「命の息」の様相たちであり、それぞれ体の半分を通じて働いている。

And "When the Solar and Lunar currents of the Life-Power are rightly perceived,
rightly discriminated, and when their operation is kept in proper order, the
personality of the man engaged in this practice becomes a free, unobstructed
channel for the outpouring of the cosmic life force." (*211)
そして、「『生命力』の『太陽』と『月』の流れたちが、正しく知覚され、正しく識別
され、そしてそれらの操作が適切な順序で維持される時に、この実践に従事する人の人格
は、宇宙の生命力の流出のための、自由で遮るもののない水路になる。」 (*211)
--- ここまで ---

ちなみに、(*211)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
211. Case, Thirty-Two Paths of Wisdom, Lesson 10, 2.
211. ケース著、『知恵の32の小径たち』、第10課、2ページ。
--- ここまで ---
とあります。

「6:恋人たち」のレベルにおいては、「太陽=自己意識、月=潜在意識」というのは、
あまりにも低レベルの比喩だとは思うのですが、まあ、「月とスッポン」レベルである
ことを前提にした上で、そういう例えもあるかもしれないという感じですかね。
というか、もはや象徴化などでは語れないトロイメライな領域に到達しているわけで、
ワタシとしても、何が正解なのかは分からないので、適当にお茶を濁しておきます。
0016名無しさん@占い修業中2021/03/04(木) 06:08:08.44ID:KdgNTWuf
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 216) ---
Case was discussing not the Waite deck, but his own BOTA version, a "correction"
of the earlier deck which changed the symbolism little, but improved the drawing
quality and eliminated the personified Minor Cards.
ケース氏は、ウェイト版デッキではなく、象徴主義をほとんど変えずに、描画品質を改善し、
そして擬人化された「小アルカナのカードたち」を排除した、それ以前のデッキの「修正」
である、彼自身の「BOTA」版について論じていた。

Thus, one would expect explanations of the cards by Waite and Case to be similar,
even despite Waite's apparent caution about what he put into print.
従って、人は、ウェイト氏が印刷物の中に込めたものについて明らかに注意を払っていたと
しても、ウェイト氏とケース氏によるカードたちの説明たちは類似していることを期待する
であろう。

Such similarities, however, are few and where Case considered this card one of
dualities unified by the Spiritual Self, Waite merely emphasized its relationship
to the Garden of Eden.
そのような類似点たちは、しかしながら、ほとんどなく、ケース氏が、このカードを「霊的
自我」により統一された二重性たちの一つであると考えたのに対し、ウェイト氏は単に、
それの「エデンの園」との関係を強調しただけである。
--- ここまで ---

ケース氏のBOTA版タロットの大アルカナのデザインは、一部の例外はあるものの、基本的
には、ウェイト版の丸パクリです。
でも、外見はそのまんまであっても、この「6:恋人たち」のレベルになってくると、全く
解釈が異なってくるのは、他の版の状況を見れば、何となく分かるかと思います。
なぜなら、誰も正解を知らないままで、自分なりの「正解」を描き、自分なりの「正解」を
説明しなければならないからなんですよね。
ということで、我々も、そのような様々な「正解」の中から、自分なりの「正解」を求め
続けていくのか、もしくは、あきらめるのかを、選択しておく必要があるわけです。
0017名無しさん@占い修業中2021/03/05(金) 06:08:11.79ID:FpgBoCTO
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 217) ---
He referred to Adam and Eve and to the Tree of Knowledge of Good and Evil, but
made no mention of Spiritual Alchemy in this card which he called "love before
it is contaminated by gross material desire," adding that "in a very high sense,
the card is a mystery of the Covenant and the Sabbath." (*212)
彼は「アダムとイヴ」に、そして「善悪の知識の木」に言及したが、彼が「物質的な欲望
により汚染される前の愛」であり、それに加えて「非常に高い意味においては、このカード
は『契約』と『安息日」の神秘である」と呼んだ、このカードにおいて、「霊的な錬金術」
については言及しなかった。 (*212)
--- ここまで ---

ちなみに、(*212)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
212. Waite, Pictorial Key to the Tarot, 92.
212. ウェイト著、『タロット図解』、92ページ。
--- ここまで ---
とあります。

ウェイト版の「6:恋人たち」は、裸体の「アダムとイヴ」、つまり「善悪の知識の木の実」
を食べる以前の状態が描かれています。
つまり、ここでの「愛」は、男女の性的な関係を示すものではなく、あくまでも「神」と
「人」との関係、さらに言うと、「神」が創造した、「知恵」を持たない操り人形であり
実験材料でもある「人」と「神」との関係です。
そういえば、ウェイト版では、天使が、人形である「アダムとイヴ」を操っているようにも
見えますし、とりあえず、「エデンの園」というヘルメス容器における実験の準備が整った
ので、ここから実験ストーリーが上演されるといった感じでもあります。

要するに、この「アダムとイヴ」は、必ずしも「人間」を表しているわけではないという
ことであり、そして、このカードに隠された「霊的な錬金術」における、「神の手」による
「分離」と「結合」を象徴するものとなっているようです。(よう知らんけどww)
0018名無しさん@占い修業中2021/03/06(土) 06:17:51.53ID:BNKfK+48
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 217) ---
One might well suggest that such comments, drawn from his Pictorial Key to the
Tarot are so cryptic as to be almost useless to the serious student.
人が、彼の『タロット図解』から引き出された、そのような注釈は、真面目な学徒に
とっては、ほとんど役に立たないほどに不可解であると示唆するのも、もっともである。

The intention here is not to deprecate Waite, who must be respected for maintaining
his oaths of secrecy, but to point out the extent to which there are two
explanations to every card, an exoteric one and an esoteric one.
ここでの意図は、彼の秘密の誓約を維持するために尊重されなければならないウェイト氏
を非難することではなく、あらゆるカードに、公開的なものと秘儀的なものの、二つの
解釈たちがあることを指摘することである。
--- ここまで ---

実のところ、「6:恋人たち」の解説の混乱は、ウェイト氏の『タロット図解』に限らず、
歴代の多くのタロット解説書である、ジェブラン氏の『原始の世界』や、レヴィ氏の
『高等魔術の教理と祭儀』、そしてクロウリー氏の『トートの書』にも見られます。

つまり、ウェイト氏の解説の不可解さは、ゴールデン・ドーン等の魔術団体の「秘密の
誓約」による縛りというよりも、元ネタ自体が不可解で、人間には到底理解できないもの
であるゆえ、色々と迷走しているというか、最終的には各自の趣味で、好きなように解釈
したというのが実情ではないかと思います。

その結果として、ゴールデン・ドーン版では姫を救う勇者を、ウェイト版では「エデンの
園」を、そしてトート版では、よくわからない結婚式のシーンが描かれています。
まあ、クリスチャン色が強いウェイト氏ですので、この「エデンの園」のシーンの選択は、
ワタシから見れば、レベル違いではあるけれども、理にかなっているようにも見えます。

いずれにしろ、このレベルにおいては、人間の理解を超えた成分があることは確かであり、
それを我々は決して知ることが出来ないことを、重々理解しておく必要があります。
0019名無しさん@占い修業中2021/03/07(日) 06:33:02.80ID:WnCtGPFc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 217) ---
In all versions of this Key, no matter how it may be described or how different
the design, the esoteric meaning is the same.
この「鍵(大アルカナ)」の全ての版において、たとえそれがどのように記述されていて
も、もしくは図案がどれほど異なっていても、秘儀的な意味は同じである。

They all mean the union of manifest opposites under the Divine Love of the Supernals
through Binah.
それらは全て、「ビナー」を通じた「至高なるものたち(至高の三角形)」の「神の愛」
の下での顕現化した反対物たちの結合を意味する。

It is, as Waite stresses, the Garden of Eden, but it is the Garden from which
the soul itself is expelled in manifestation and to which it may return.
それは、ウェイト氏が強調するように、「エデンの園」ではあるが、それは、魂それ自身
が顕在化において追い出され、そしてそれが、そこに戻るかもしれない「庭園」である。

The same message is in Crowley's card, which shows the theme of union as an
Alchemical "Marriage" of the component parts of the seeker.
同じ主旨が、クロウリー氏のカードの中にあり、それは、探求者の構成部分たちの錬金術
の「結婚」としての結合の主題を示す。
--- ここまで ---

ここで公開されている、「6:恋人たち」の「esoteric meaning/秘儀的な意味」は、少し
考えれば誰でも思い付くことであって、「秘儀」と呼べるようなものではありません。

つまり、ここに書かれている「秘儀」は、あくまでも「下も然り」のレベルであって、
真に「上の如く」の部分は、何も語られていないことに注意が必要です。
つまり、そういう安直な誤解を招きやすいということもあって、マサース氏は、従来の
「6:恋人たち」の図案を放棄して、それが良いか悪いかは別として、ハタから見ると、
まるっきり意味不明な図案に差し替えたということになっているわけです。
0020名無しさん@占い修業中2021/03/08(月) 06:13:50.98ID:fgueKkuH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 217) ---
The Golden Dawn also represents this spiritual union, but with an important difference.
ゴールデン・ドーンもまた、この霊的な結合を象徴するけれども、重要な違いを持つ。

The seeker works actively for this to come about: the Higher Self descends to
release the Personality from bondage, recalling the idea, encountered with THE
HANGED MAN that while the Personality believes itself to be the pursuer, it is
actually the pursued.
探求者は、これを実現するために積極的に取り組む:「高次の自我」は、「人格」を束縛
から解放するために降下するが、これは、「吊るされた男」との遭遇が、「人格」は自分
自身が探求する者であると信じているが、実際には探求される者である、という考え方を
思い出す。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版は、他の版と比べると、「生命の木」の解釈が色濃く出ていますが、
あまりに濃すぎて、部外者には、わけわからないことになっていることが、ままあります。

さて、今まで述べてきたように、「生命の木」においては、「7:戦車」と「6:恋人たち」
が女性側であり、「5:法王」と「4:皇帝」が男性側になります。
すなわち、ゴールデン・ドーン版「6:恋人たち」においては、「勇者ペルセウス」では
なく、「アンドロメダ姫」が主人公であるということになります。
つまり、この構図は、単なる自己満足の瞑想にすぎない「12:吊るされた男」の修行では
飽きたらず、自らの生命を生贄にして「高次の存在」を召喚するという、イチかバチかの
賭けに出た「6:縛られた女」の修行シーンであるということですよね。

まあ、おとぎ話でもあるまいし、実際には微粒子レベルの可能性でしかないわけですが、
「7:戦車」と同様に、「6:縛られた女」の解放が、「至高」へと繋がる究極奥義の可能性
の一つであると考えられていたということですよね。
とはいえ、そういうギリギリの修行過程を、こういう呪縛陵辱寸前シーンの中に込めると
いう点では、マサース氏は、やはり常人離れしたド変態、いや天才だったのでしょうね。
0021名無しさん@占い修業中2021/03/09(火) 06:08:14.35ID:VzGhJjs2
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 217) ---
The legend of Perseus and Andromeda, used to make this point, contains some
fascinating implications for the interpretation of the card.
この要点を創作するために用いられた、「ペルセウス」と「アンドロメダ」の伝説は、
カードの解釈のための、いくつかの魅力的な含蓄たちを含む。

In the myth, Andromeda was the daughter of the King of the Ethiopians and
Cassiopeia, who boasted that she was more beautiful than the Nereids (daughters
of the Sea God, Nereus).
神話の中で、「アンドロメダ」は「エチオピア人の王」と「カシオペア(王妃)」の娘で
あり、彼女(「カシオペア」)は、彼女が「ネーレーイスたち」(「海の神」である、
「ネーレウス神」の娘たち)よりも美しいと自慢した。

In anger the Nereids complained to Poseidon, who flooded the land and then sent
a terrible monster to inhabit it.
怒った「ネーレーイスたち」は、「ポセイドン神」に不平を言い、彼(「ポセイドン神」)
は陸地を氾濫させ、それから恐ろしい怪物をそこに住み着かせるために行かせた。

The only way that this monster could be vanquished was for the king's daughter,
Andromeda, to be sacrificed to it, and she was thus tied to a rock on the shore.
この怪物が克服されることのできた唯一の方法は、王の娘である「アンドロメダ」を、
それへの生贄として捧げることであり、そしてそれゆえに、彼女は海岸の岩に縛られた。
--- ここまで ---

この、誰かさんの悪行のために、そのとばっちりで無実の者が犠牲になるという脚本は、
細かい点を除けば、「イエス・キリスト」の死と復活のストーリーと同種のものです。
「イエス」は昇天して「ティファレト」になりますが、この「6:恋人たち」のストーリー
では、「至高の三角形」への昇天となるわけです。
つまり、マサース氏は、自分の趣味で、いやいや秘密の含蓄を盛り込むために、素人に
とっては難解であり、現実離れしたファンタジーな図案を採用したということですかね。
0022名無しさん@占い修業中2021/03/10(水) 06:15:31.75ID:G6CTr3jm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 217) ---
Perseus, however, who had just successfully taken the head of Medusa, saw her and
fell in love.
ところが、ちょうど首尾よく「メドゥーサ」の頭を取ったばかりであった「ペルセウス」
は、彼女を見て恋に落ちた。

He wanted to marry Andromeda, which the father insisted was only possible if the
monster were slain.
彼は「アンドロメダ」と結婚したかったが、父親は、怪物が殺害された場合にのみ可能で
あると主張した。

So Perseus killed the monster, but Andromeda's uncle, nevertheless, tried to
prevent the marriage by sending attackers against the hero.
それで、「ペルセウス」は怪物を殺したが、しかし「アンドロメダ」の叔父は、それにも
かかわらず、英雄に対して攻撃者たちを送ることにより、結婚を防ごうとした。

Perseus, in turn, displayed the frightful head of Medusa, and turned his adversaries
to stone after which he and Andromeda lived more or less happily ever after.
「ペルセウス」は、今度は、「メドゥーサ」の恐ろしい頭を見せて、彼の敵対者たちを
石に変えた後、彼と「アンドロメダ」は、その後ずっと、まあまあ幸福に暮らした。
--- ここまで ---

このファンタジー物語の「ペルセウス」は、まさに絵に描いたような、無敵超人の完璧な
「神ヒーロー」であり、単なる人の子にすぎない「アンドロメダ」を、絶望の淵から救出
してくれた上に、結婚して多くの子孫を残し、幸せな一生をもたらしてくれました。

なお、このストーリーにおいては、我々は「アンドロメダ」の劣化版という役回りになる
わけですが、そういう危機的状況において、我々を絶望の淵から救出してくれる「ペルセ
ウス」が現実に我々の目の前に現れるのかと言われれば、もちろんそんなことは全く無い
わけですので、ワタシとしては、夢は夢のままで終わらせるのが良いかと思うのでした。
0023名無しさん@占い修業中2021/03/11(木) 05:39:39.09ID:Q2YbIeYx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 217) ---
However, in one ancient interpretation of the story, Perseus, Andromeda, her father,
mother and the monster were brought into the sky where they became constellations
of the same names. (*213)
けれども、物語の、ある一つの古代の解釈においては、「ペルセウス」、「アンドロメダ」、
彼女の父、母、そして怪物は、空へと運ばれて、そこで彼らは同じ名前の星座たちになった。
(*213)
--- ここまで ---

ちなみに、(*213)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
213. "Andromeda," Oxford Classical Dictionary, 63-64.
213. 「アンドロメダ」、『オックスフォード古典辞典』、63-64ページ。
--- ここまで ---
とあります。

参考までに、星座名を示しておきます。
・ペルセウス:ペルセウス座
・アンドロメダ:アンドロメダ座
・アンドロメダの父:ケフェウス座
・アンドロメダの母:カシオペヤ座
・怪物(ケートス):くじら座(Cetus)

さて、ゴールデン・ドーン版のみが、従来の図案から大きく異なっているという要因です
が、そろそろ皆さんも気づいているとは思いますが、結論から言えば、当時新婚であった
マサース氏とミナちゃんの黒歴史ノートの一ページというか、二人の熱烈な、そういう
甘じょっぱい思いが詰まったラブラブな魔術的妄想の産物であるということになります。
まあ、若気の至りというか、あまりにもアレなので、ウェイト版やトート版では、古典的な
デザインに戻されているわけですが、そういう色々な熱い思いがダイレクトに伝わってくる
のは、ワタシは決して嫌いではないというか、むしろ好物です。(いいぞもっとやれww)
0024名無しさん@占い修業中2021/03/12(金) 06:32:29.99ID:f26ctpsF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 217) ---
In Qabalistic terms, this could be taken to mean that the actions of Perseus (i.e.,
the Spiritual Self) resulted in the return of all participants to the sky, i.e.,
the Godhead.
「カバラ主義」の表現においては、これは、「ペルセウス」(すなわち「霊的自我」)の
活動たちが、全ての参加者たちの、天空への、すなわち「神格」への復帰となる結果と
なったことを意味すると受け取られることができる。
--- ここまで ---

「カバラ主義」の解釈では、ゴールデン・ドーン版「6:恋人たち」の「アンドロメダ物語」
は、「ペルセウス」の「action/演技」の結果として、登場人物である「勇者ペルセウス」、
「美女アンドロメダ姫」、「父ケフェウス」、「母カシオペヤ」、「怪物ケートス」が、
全て星座として「天空」へと、つまり「神=至高の三角形」の世界へと至ったという設定に
しているということですが、これは、あくまでも建前であると思われます。

以下、ワタシの個人的な解釈ですが、エチオピアの王女「アンドロメダ姫」という設定は、
現代のエチオピアは、アフリカ大陸の東にある黒人系の国ですが、ギリシア神話の時代は、
アフリカの東とアラビア半島を含む領域にあり、イスラエルのソロモン王とシバの女王の
子により建国されたという伝説があります。

つまり、ユダヤ系であるミナちゃん=「美女アンドロメダ姫」であり、呪縛された姫を
魔物から救って結婚した「勇者ペルセウス」はマサース氏であることに疑いはなく、そして
このバカップルは、ゴールデン・ドーン位階において、マサース氏は「7=4(ケセド)」、
ミナちゃんは「6=5(ゲブラー)」という天上人となっているわけで、要は、この裸体の
絶世の美女をモチーフに描かれたカードは、マサース氏の「嫁自慢」であるという
ことです。(嫁とのイチャコラ画像をネットに上げるのと同じw)

ついでに言うと、この設定は、ウェストコット氏が「秘密の首領」と縁を切った際に、
ミナちゃんが「秘密の首領」との復縁、すなわち至高世界とのコンタクトを取る際の
言い訳にも使うことが出来るわけです。
0025名無しさん@占い修業中2021/03/13(土) 06:22:39.13ID:K1sP8GDH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 217) ---
And while that explanation may seem a bit strained, such mythologies were part of
the general culture at the time of the Hermetic Order of the Golden Dawn and were
often interpreted in esoteric terms.
その説明は、少し不自然なように見えるかもしれないとしても、そのような神話たちは、
「ヘルメス主義団体ゴールデン・ドーン」の時代においては一般的な文化の一部であり、
そしてしばしば秘伝的な用語たちで解釈された。
--- ここまで ---

ぶっちゃけ、ゴールデン・ドーン版「6:恋人たち」は、ゴールデン・ドーン団内限定の
「内輪ネタ」というか、神話を元ネタにした、ゴールデン・ドーン(つまりマサース氏)の
リメイクによる二次創作物であると言うことが出来ます。

ゴールデン・ドーンにおいては、「至高の三角形」は「秘密の首領」と同義であり、そして
その「至高の存在」との接触ルート、すなわち「深淵をくぐり抜ける秘密の上り階段」が、
以下のように、内々に定められていたものと推定できます。
・「4:皇帝」= マサース氏専用ルート(7=4位階)
・「5:法王」= ウェストコット氏専用ルート(7=4位階)
・「6:恋人たち」= ミナちゃん専用ルート(6=5位階)
・「7:戦車」= 一般団員用ルート(5=6位階)
つまり、これらのカードは単なる「階段」であり、それ自体には大した意味は無いものの、
それを昇って上位存在と接触することこそが、真の「神秘教義」であったと推定できます。
そして、一般人である我々は、この「階段カード」をいくら眺めたとしても、そこには、
部外者には閉ざされた「階段への扉」しか見えないわけですよね。

要は、「カバラ主義」の難解な理屈はともかくとして、ゴールデン・ドーンにおいては、
そういう「裏ルートの設定」があるというのが、実情ではないかと思います。
というか、そういう解釈でないと、ワタシ自身が「カバラ主義」の難解な理屈を説明でき
ないので、この説明は、少し不自然なように見えるかもしれないとしても、これで押し通
さざるを得ないわけなのでした。(自己都合による勝手な解釈ww)
0026名無しさん@占い修業中2021/03/14(日) 07:25:28.84ID:ryEGKIN0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 218) ---
The stress of the Golden Dawn card is on the extent to which the process of this
Path is a very active one, for the self-control and will (Mercury) which directs
the movement and integration of the opposites is not passive as the other cards
tend to suggest Perseus here has the same fiery, dynamic and inspirational
qualities ascribed to the Serpent.
ゴールデン・ドーン版カードの強調は、この「小径」の過程が非常に能動的なものである
ことの限度にある。というのは、動きと反対物たちの統合を指揮する、自己制御と意志
(「水星」)は、他のカードたちのように受動的ではなく、ここの「ペルセウス」は、
「蛇」に帰せられるのと同じ、火のような、活動的で霊感的な品質を持つと示唆する傾向
がある。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版「6:恋人たち」は、他のマルセイユ版、ウェイト版、トート版が
受動的な性質、すなわち「神の力」を受動的に「受け身で待つ」という姿勢なのに対し、
もっと積極的に「神の力」を「引き降ろしに行く」という姿勢があります。
その理由は、前の文で説明しているように、「至高神の降臨」のためのツールの一つと
して使われるからですよね。

ちなみに、このシーンでの「ペルセウス」は、蛇の髪を持つ「メドゥーサ」の頭を持って
「降臨」していたので、強い「蛇」の属性を持つとも解釈できます。

とはいえ、このカードの主人公である「アンドロメダ」は、どう見ても受け身であって、
本来は海の怪物のエサにされるところを、その美貌と裸体により、「大神ゼウス」の子
である「ペルセウス」という別の超大物を偶然に釣り上げて、いやいや召喚してしまった
ということなのですが、そういう細かいことを指摘すると、ミナちゃん大好きのマサース氏
からクレームが来そうなので、これくらいにしておきます。

いずれにしても、ゴールデン・ドーン版「6:恋人たち」は、マサース氏の嫁自慢であると
いうことは間違いないわけですし、これ以上のヤボなツッコミは無しでいいと思います。
0027名無しさん@占い修業中2021/03/15(月) 05:56:53.28ID:fSs2NYYA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 218) ---
Another indicator of activity on this Path is the attribution of the Sword to Zain.
この「小径」の上での活動のもう1つの指標は、「ザイン」への「剣」の帰属である。

This is an instrument of active division and separation; it is a sword of perception
which cuts to the core of things, and defines clearly.
これは、活動的な分割と分離の道具である;それは物事たちの核心に切り込み、明確に
定義する、知覚の剣である。

And insofar as such perception is attributed to Zain, to it is also attached the
sense of smell, thus implying not only the most direct, but also the most subtle
of awareness and response.
そして、そのような知覚が「ザイン」に帰属される限りにおいて、それにはまた「嗅覚」の
感覚も配属されていることで、従って、最も直接的であるだけでなく、最も微妙な自覚と
反応も暗示している。
--- ここまで ---

「6:恋人たち」に「ザイン/剣」が配属されているというのは、直観的には、なかなか微妙
というか、違和感があるというか、我々の感覚が、ここでは全く通用しないレベルにあると
言えば、まあそういうことなのですが、強いて言えば、ワタシには、ウェイト版にある
「エデンの園」における「男」からの「女」の創造という話が、「分割と分離」に近い
ものとなっているような感じがあります。

さらに言うと、「エデンの園」においては、「蛇」の誘惑が「物事たちの核心に切り込み、
明確に定義する、知覚の剣」の働きをしているのと、「楽園からの墜落」も「分割と分離」
に関係してきますので、「知覚の剣=蛇」であると考えることも出来るかと思われます。

そもそも、「剣」というものは、少々の違和感に目をつぶって、何かにこじつけておけば、
ほぼ何にでも使える普遍的かつ強力な万能ツールですので、後は皆さんの想像力にお任せ
して、各自で好きなように解釈してもらえれば良いかと思います。(無責任オチww)
0028名無しさん@占い修業中2021/03/16(火) 06:06:14.17ID:b1bgAlfm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 218) ---
While the sword is rarely found in this Tarot Key, it is very common in Alchemical
representations of the same theme as, for example in the "Eleventh Key" of Basilius
Valentinus, the seventeenth century alchemist.
剣が、この「タロットの鍵(大アルカナ)」の中で見つけ出されることはめったにない
とはいえ、それは、例えば、17世紀の錬金術師である、バジリウス・ヴァレンティヌス氏
の「11番目の鍵」にあるものと同様の主題の「錬金術的」な表現たちにおいては、非常に
一般的である。

In his illustration are two female twins, each mounted on a lion and holding a
figure of the Sun and of the Moon.
彼の図版には、2人の女性の双子がおり、各々は獅子に乗り、「太陽」と「月」の像を保持
している。

Behind them is a man in armor (another meaning of Zain) and holding a sword.
彼らの背後には、「鎧」(「ザイン」のもう一つの意味)を着た男がおり、剣を保持して
いる。
--- ここまで ---

錬金術に限らず、「剣」が描かれた図案なんて、どこにでも見つけ出されるとは思うので
すが、とりあえず、ここでは、中世の錬金術師であるバジリウス・ヴァレンティヌス氏の
出版物を、「6:恋人たち」向けのネタとして出してきています。
これが、「6:恋人たち」と似ているかどうかはともかく、「錬金術的表現」ということで
探せば、「6:恋人たち」に似たようなものは、いくらでも出てくるということですよね。

ちなみに、「6:恋人たち」に「ザイン」を配属するゴールデン・ドーン系カードでは、
「剣」が描かれることは、普通にあります。
つまり、ゴールデン・ドーン版においては、ペルセウスの持つ「剣」であり、トート版に
おいては、背景に湾曲する形で複数の「剣」があり、そしてウェイト版では、「剣」を
暗示する「蛇」が描かれているということですよね。
0029名無しさん@占い修業中2021/03/17(水) 06:02:42.87ID:jGbF30Cn
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 218) ---
The caption reads: "The twins Sun and Moon are united by the conjunction which
seems to be death." (*214)
表題は、以下のように書いてある:「『太陽』と『月』の双子は、死であるように見える
合体により一体化される」。 (*214)

So we understand that the consummation of this marriage requires a "death."
それゆえ、我々は、この結婚の成就は、「死」を必要とすることを理解する。
--- ここまで ---

ちなみに、(*214)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
214. C.A. Burland, The Arts of the Alchemists, New York, 1967.
214. C.A.バーランド著、『錬金術師の芸術』、ニューヨーク、1967年。
--- ここまで ---
とあります。

「6:恋人たち」=「ザイン」=「剣」=「分割と分離」であったと思ったら、もう「合体」
とか「一体化」とか「結婚」の話になっています。
というか、元々のカードは、「結婚」とか「恋人」でしたので、カバラ主義による後付けの
「ザイン=剣」との相性が悪く、せっかく幸福感溢れる場面に水を差すような、なんか不吉
な感じしかしないわけです。
そして、そういう場違いな雰囲気を、無理矢理説明しようとするための苦肉の策として、
ファンタジーな錬金術理論を持ち出さなければならないというのも、定番の策ですよね。

とはいえ、我々の知る錬金術ネタは、かなり低次のものであり、この「6:恋人たち」の
レベルに適用しようとしても、しょせん無理というか場違いなんですよね。
言ってみれば、幼稚園児並みの知恵と知識で、国立大学の入試問題を解くぐらい無茶な
試みですので、ここでの錬金術ネタの適用は、あくまでもファンタジーであって、決して
ツッコミを入れてはならないことを、重々承知しておく必要があるわけです。
0030名無しさん@占い修業中2021/03/18(木) 06:20:20.77ID:B40oi8bl
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 218) ---
Indeed, to successfully pursue this Path across the Abyss means the death even
of one's own Higher Self.
実際に、「深淵」を横切って、この「小径」を首尾よく辿ることは、その人自身の「高次
の自我」の死さえも意味する。

It is a willful and total self-destruction and immersion into the Divine.
それは意図的で、そして「神」の中への完全なる自己破壊と全身浸礼である。

The separation and re-integration of the dual components of the manifest Self
demands subordination of the Ego to the One Divine Principle.
顕現化した「自己」の二重の構成要素たちの分離と再統合は、「唯一の神の原則」への
「自我」の従属を要求する。
--- ここまで ---

「Indeed/実際に」と言われても、実際に「深淵」を越えて「あっちの世界」に行けた
人間は存在しないわけですので、ここの説明は、我々にとっては意味のあることではなく、
あくまでも錬金術ネタに基づくファンタジーであることを理解しておく必要があります。

まあ、ワタシとしては、その手の、より高い次元を目指そうとしがちな「上昇志向系」と
いうか、「意識高い系」というか、身の程知らずというか、そういう思考は苦手なので、
どちらかというと、より実用的というか低俗な方向で、物事を見ていく傾向があるわけで、
そういう目線で見れば、少なくとも、「6:恋人たち」の下半身の雰囲気は、かろうじて
感じることが出来なくもないわけです。
つまり、「唯一(神)の原則=完全なる統一理論」はともかく、そこから分離して顕現化
した、「Self/自己」と「Ego/自我」の「dual components/二重の構成要素たち」に
注目して妄想する方が、ワタシにとっては興味があるということなんですよね。
ということで、わからないものを、よくわからない錬金術ネタで、わかったようなふり
をして意味の無い解説をするよりも、わからないものはわからないと開き直った上で、
自己中心的かつエゴイスト的な解釈を繰り広げようと思うのでした。←俗人の極みww
0031名無しさん@占い修業中2021/03/19(金) 06:19:45.47ID:0izNua1c
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 218) ---
The Sword destroys utterly those who will travel across the Abyss.
「剣」は、「深淵」を横切って進むことを欲する人々を、完全に破壊する。

Thus is the Path called the Disposing Intelligence; it is an experience which is
the completion of the process begun on the Path of Samekh, TEMPERANCE.
従って、「小径」は、「処理する知性」と呼ばれる;それは、「節制」である「サメク」の
「小径」の上で開始される過程の完成である経験である。
--- ここまで ---

まあ、人が「深淵」を横切って進むことを欲したとしても、人は「深淵」を渡ることは
出来ないというか、そもそも、その入り口に立つことすら困難ですので、実際に、その
「剣」で破壊された人は皆無だと思います。
というか、「ティファレト」に到達する際に、「13:死」の大鎌により、大抵のものは
既に処分されているはずですので、二番煎じである感じは拭えないわけです。

さらに言うと、「THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径たち」において定義される
「Disposing Intelligence/処理する知性」は、人の「destroy/破壊」を意味している
わけではありませんし、人が「深淵」を超越して上昇することについて考慮されたものでも
ありません。
何が言いたいのかと言うと、この「6:恋人たち」のレベルで既知の錬金術理論を適用しよう
とすると、錬金術理論そのものの限界のために、とんでもなくファンタジーなシロモノに
なってしまい、もはや何の役にも立たないものになってしまうわけです。

ということで、ここから上の世界は、そういう既存の理論は全て抜きにして、すなわち、
「Disposing Intelligence/処理する知性」のスキルを発動して、下の世界の「知性の
しがらみ」を完全に断ち切って、白紙の状態に戻る必要があるということです。
言い換えれば、上位世界の「知性」なるものは、ここで完全に処理され、すなわち断ち切
られた上て、下の世界へと降りてくるわけですので、我々が、それをあれこれと詮索した
ところで、ファンタジー以上のものは得られないということになるわけです。
0032名無しさん@占い修業中2021/03/20(土) 06:35:42.86ID:6qNcbxyZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 218) ---
Taken together, TEMPERANCE and THE LOVERS are the Alchemical formula of Solve et
Coagula.
まとめると、「節制」と「恋人たち」は、「溶解させ、そして凝固させろ」の「錬金術」
の公式である。

The Sword separates out (dissolves), an activity which we have previously shown
to mean analysis.
「剣」は分離(溶解)する。それは我々が以前に「分析」を意味することを示したことが
ある「活動」である。

This is followed by a synthesis, or reintegration in a new way.
これは、新しい方法で「合成」、もしくは再統合により続けられる。

Therefore, Solve et Coagula.
それゆえに、「溶解させ、そして凝固させろ」である。
--- ここまで ---

「ザイン」の「Sword/剣」は、「死」であり、「破壊」であり、そして「分離(溶解)」
であることはともかくとして、そこからいきなり「合成」や「再統合」、そして「Solve
et Coagula/溶解させ、そして凝固させろ」に至るのか、その根拠が不明です。

ちなみに、この「Solve et Coagula/溶解させ、そして凝固させろ」は、レヴィ氏が描いた
メンデスのバフォメット像(メンデスの山羊)の両腕にも書かれており、そしてその姿が
「15:悪魔」として描かれているように、元々は物質的、肉体的なものを意味しています。
つまり、「13:死」の「大鎌=分解」、「14:節制」の「二つの壺=合成」、「15:悪魔」の
「鎖=再統合」の三位一体的なものであるわけで、そういう低次のものと、「6:恋人たち」
のレベルを混同することは、かなりの危険が伴います。
まあ、「6:恋人たち」と「15:悪魔」の構図は、ほぼ同じなので、上位互換と捉えることは
勝手なのですが、もはやカバラ主義の世界観とは別モノとなってしまうことになります。
0033名無しさん@占い修業中2021/03/21(日) 06:54:13.70ID:cGqzSTdm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 218) ---
It can actually be quite intriguing to see how all of the complicated symbols of
Alchemy, Lions, Eagles, Glutens, Suns, Moons, etc., reduce to some very basic
psychological concepts.
「錬金術」、「獅子たち」、「鷲(ワシ)たち」、「グルテンたち」、「太陽たち」、
「月たち」などの複雑な象徴たちの全てを、いくつかの非常に基本的な心理学的な概念
たちに、どのように還元するかを見ることは、本当に非常に興味をそそるものであるかも
しれない。

But here, again, we appreciate that such descriptive terms did not exist until
the present day, and we are forced to interpret the codes of the early Qabalists,
of Mathers, of Waite, and even of Crowley.
しかし、ここでもまた、そのような記述的な用語たちが今日まで存在しなかったことを
認識し、そして我々は、初期の「カバラ主義者たち」の、マサース氏の、ウェイト氏の、
そしてさらにクロウリー氏の暗号たちを解釈することを余儀なくされる。

And in THE LOVERS, this requisite decipherment of language is especially difficult.
そして、「恋人たち」においては、この必須な言語での解読は、特に困難である。
--- ここまで ---

そもそも、高レベルの「6:恋人たち」の概念を、「錬金術」とか「心理学」という低次の
概念で「言語化」しようとすること自体が間違っているというか無理ゲーなわけであり、
それゆえ、この「小径」は、「Disposing Intelligence/処理する知性」と呼ばれている
わけであって、つまりは、低次の「知性」である理論や理屈を完全に捨て去ることで、
それらを完全に超越した上位レベルへの「信仰」へと繋がるわけです。

要は、究極の「信仰」、つまりは自分の好き勝手にしてもいいわけですので、マサース氏は
最も信仰している大好きなミナちゃんを描き、ウェイト氏は最も信仰しているキリスト教の
人類創造のモチーフを描き、その一方で、クロウリー氏は、よくわからないまま、錬金術の
象徴をちりばめて、それらへの想いを描いたということなんですよね。
0034名無しさん@占い修業中2021/03/22(月) 06:04:50.55ID:wTBay1RP
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 218) ---
Crowley, in fact, stated that THE LOVERS and TEMPERANCE were the most difficult
cards of the Tarot, which is certainly true.
クロウリー氏は、実際に、「恋人たち」と「節制」が、「タロット」の最も難しいカード
たちであると述べており、それは確かに本当である。

The Path of TEMPERANCE requires a complete integration of the Personality in its
subordination to the Ego in Tiphareth.
「節制」の「小径」は、「ティファレト」の中で、その「自我」に従属した状態において、
「人格」の完全な統合を必要とする。

The Path of THE LOVERS requires a complete integration of the totality of the
self manifest in Microprosopus, for the return of the Soul to the aspect of the
"Garden" from which it emerged.
「恋人たち」の「小径」は、それ(魂)がそこ(庭)から出現した「庭」の様相に「魂」
を戻すために、「ミクロプロソプス(小さな顔)」の中の自己顕在化の全体を完全な統合
を必要とする。

In more basic terms, TEMPERANCE is the balance of the Lower Self, THE LOVERS is
the balance of the Higher.
より基本的な用語たちで言えば、「節制」は「低次の自我」の均衡であり、「恋人たち」
は「高次(の自我)」の均衡である。
--- ここまで ---

上(「恋人たち」)の如く、下(「節制」)も然り、と言いたいのでしょうが、このレベル
において、それは完全なるミソクソ理論であって、これらは似て非なるものです。
そして、そもそも、「恋人たち」の「小径」には、「魂」を「庭」に戻すような機能は
無く、上から下への完全な一方通行路としてのみ機能しているわけです。
つまり、「節制」が、理解するのが最も難しいカードであるとすれば、「恋人たち」は、
もはや誰も真の意味を理解できないカードであるということです。
0035名無しさん@占い修業中2021/03/22(月) 06:09:19.24ID:wTBay1RP
>>34
誤記訂正です。 m(. .)m
3つ目の翻訳文を以下の通り訂正します。

自己顕在化の全体を完全な統合→自己顕在化の全体の完全な統合
0036名無しさん@占い修業中2021/03/23(火) 06:01:05.06ID:QOpyqn89
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 219) ---
By comparison with the Waite and Golden Dawn cards, Crowley's LOVERS is intellectually
superior.
ウェイト版やゴールデン・ドーン版のカードと比較すると、クロウリー氏の「恋人たち」は
知的に優れている。

Certainly no version of THE LOVERS has ever been more daringly explicit in revealing
the secret of the Path.
確かに、「恋人たち」のどの版も、「小径」の秘密を明かすことにおいて、これほど大胆に
明示的なものは無かった。
--- ここまで ---

トート版が、他の版よりも優れているという論点については、ワタシは否定的です。
その理由は、今まで述べたように、「6:恋人たち」を、「錬金術」という低レベルの概念
を用いて説明しようとしていることであり、それにより、この「小径」の「天界から下界
への一方通行」の概念が、大きく欠落してしまっているという点です。
言い換えれば、天界のことを、わかったようなふりをして、全然わかっていないままで、
下界の自分の知識だけでそれっぽく説明をしようとしている感じがアリアリなのです。

まあ、そういう知ったかぶりの態度は、クロウリー氏の元々の性格によるものなのですが、
そうは言っても、他の版でも、実のところ、似たり寄ったりのところはあるんですよね。
要するに、「6:恋人たち」のレベルでは、どんな表現や描写をしても、つまりどの版に
おいても、しょせん、どんぐりの背比べでしか無いということなんですよね。
そういうことであるなら、自分のやりたいようにやればいい、ということになるわけで、
その結果として、クロウリー氏は、自分のお気に入りの錬金術ネタを、気の赴くままに
爆盛りにして披露しているということになっているわけです。

ということで、トート版「6:恋人たち」に描かれている細かな象徴を、いちいち解釈する
意味は無いというか、逆に変な誤解を招くだけですので、もっと全体的な壮麗さという
か、上位界の荘厳な雰囲気を感じてもらう方が、良いのではないかと思うのでした。
0037名無しさん@占い修業中2021/03/24(水) 06:11:40.47ID:T6wSjRE0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 219) ---
What is shown here is the "Royal Marriage," of opposites, presided over by the
hooded figure who is at once the Hermit and the personification of Mercury.
ここに示されるものは、反対物たちの「王室の結婚」であり、「隠者」であると同時に、
「水星(メルクリウス神)」の擬人化である、頭巾で隠された人物像により統括される。

Above are the figures of Eve and Lilith, with Cupid aiming an arrow symbolizing
the Will.
上には、「意志」を象徴する矢を向けた「クピド」と共に、「イヴ」と「リリス」の
人物像たちがある。

The marriage takes place between the Black King and the White Queen.
結婚は、「黒い王」と「白い女王」の間で行われる。
--- ここまで ---

トート版は、錬金術モチーフですので、化学反応である「結婚」がメインテーマです。
ここは、結婚に至る前のゴールデン・ドーン版やウェイト版とは、考え方が異なります。
ちなみに、ワタシの個人的感覚としては、結婚前であり、「男」と「女」が対生成された
直後の場面であるウェイト版が、最も共感の持てるものとなっています。

ちょっと脱線しますが、ここに「personification/擬人化」という用語が出ていますが、
「水星」の擬人化に限らず、そもそも大アルカナに出てくる人物像は、全てが「擬人化」
されたものであって、わざわざここで言うほどのものでもありません。
とはいえ、この擬人化という表現方法は、古代エジプトでも多用されたように、万能的と
いうか、ヲタクな人々にとっては、神秘的かつ魅力的な手法でもあります。
その上、極めて簡便な手法で、すなわち、頭をフードで覆うとか、ケモ頭やケモ耳やケモ
尻尾や鳥の翼などの付加属性を付けるだけで、超人的な能力を発揮でき、それにより人々
を感動させ、課金させることが出来るという、極めて優れたメリットがあります。
つまり、そういう万人受けする手法を積極的に利用したのが、このトート版「6:恋人たち」
であって、そういう意味では、かなり魅力的な仕上がりとなっています。
0038名無しさん@占い修業中2021/03/25(木) 06:20:22.28ID:TW9fFGCG
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 219) ---
He wears a gold crown, bears a lance, and is attended by the Red Lion.
彼は、金の王冠を着用し、槍を持ち、そして「赤い獅子」により付き添われる。

His black child, interchanged with the White Queen's child, holds the base of the
King's lance in one hand and a club in the other.
彼の黒い子供は、「白の女王」の子供と(左右の位置を)交替させられ、一方の手で「王」
の槍の基部を、そしてもう片方で棍棒を持つ。

She is attended by the White Eagle and her white child, who carries flowers in
one hand and supports the base of the Grail in the other.
彼女は、「白い鷲」と、一方の手で花たちを運び、もう片方で「聖杯」の基部を支える、
彼女の白い子供により付き添われる。

In the lower section of the card is the Winged Orphic Egg, the very essence of
life itself, which is the product of this union.
カードの下の部分には、この結合の産物である、まさに生命の本質である、「翼の付いた
オルフェイスの卵」がある。
--- ここまで ---

トート版の「6:恋人たち」は、デザイン面では、「14:技(節制)」の上位互換として、
色々な要素が追加されて描かれているで、その結果、「14:技(節制)」との圧倒的な
レベルの違いが、逆に分かりづらくなってしまっている感じは、否めないです。

ワタシとしては、「真理は単純であり美しい」という感覚がありますので、その個人的な
観点から見れば、ゴテゴテとして纏まりのない「6:恋人たち」の方が、「14:技」より下に
見られてしまう危険性もあるわけですし、そういう意味からすれば、上にいる「クピド」
や「イヴ」や「リリス」、そして下にいる「翼の付いたオルフェイスの卵」とかも、蛇足
というか、立ち位置的に見ても違和感があって、どうしても描きたいのであれば、もっと
下の位置に描くべきではなかったのかな、とか思ったりするのでした。
0039名無しさん@占い修業中2021/03/26(金) 05:58:39.64ID:zYeKuDjb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 219) ---
Perhaps the most curious assertion made by Crowley about this card (for which he
gives no basis whatsoever) is that in some original form it presented the story
of creation.
おそらく、このカードについてのクロウリー氏により行われた最も奇妙な主張(彼は、
それについて全く何の根拠も与えていない)は、何らかの原初の形においては、それが
創造の物語を提示していたということである。

He claims that at the center of the card was Cain, shown having just slain Abel.
彼は、カードの中央には、たった今「アベル」を殺害したばかりであったことが示される
「カイン」がいたことを主張する。

This is described at some length in The Equinox. (*216)
これは、『春秋分点』の中で、かなり詳しく記述される。 (*216)
--- ここまで ---

ちなみに、(*216)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
216. "The Vision and the Voice," subtitled "The Cry of the Second Aether which is
called ARN" Equinox, v. I, No. 5, supplement, 148.
This supplement was published as a separate book, The Vision and the Voice,
Dallas, 1972, with extensive notes by Crowley as well as introductory comments
by Israel Regardie.
216. 「幻視と声」、副題「ARNと呼ばれる第二のエーテルの叫び」『春秋分点』、第一巻、
第五号、補遺、148ページ。
この補遺は、独自の本である、『幻視と声』、ダラス、1972年、として、クロウリー氏に
よる広範な注記たちと、イスラエル・リガルディ氏による序説の解説と共に出版された。
--- ここまで ---
とあります。
まあ、単なるクロウリー氏の妄想というか、よくあるファンタジー物語の一つですよね。
0040名無しさん@占い修業中2021/03/27(土) 05:47:55.14ID:PqaLDqPs
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 219) ---
While a reference to bloodshed may seem out of place in a card of marriage, we are
told that the shedding of the blood of the brother is the very key to THE LOVERS:
"The shedding of blood is necessary, for God did not hear the children of Eden
until the blood was shed." (*217)
流血の惨事についての言及は、結婚のカードにおいては場違いであるように見えるかも
しれないけれども、我々は、兄弟の血を流すことは、「恋人たち」にとって、まさしく
鍵であると言われている:「『神』は、血が流されるまで、エデンの子供たちを聞いて
いなかったので、血を流すことは必要である。」 (*217)
--- ここまで ---

ちなみに、(*217)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
217. "Vision and the Voice," Equinox, 149.
217. 「幻視と声」、『春秋分点』、149ページ。
--- ここまで ---
とあります。

トート版「6:恋人たち」のカードには、この「bloodshed/流血の惨事」や、前節にある
「カードの中央に、アベルを殺害したカイン」は描かれていないので、その斬新なる
殺人事件現場のデザイン案は、作者のハリス女史から却下されたものと思われます。
とはいえ、その痕跡は残っていて、「黒の王」と「白の女王」が「アダム」と「イヴ」で、
棍棒と槍を持つ「黒い子供」と、聖杯と花を持つ「白い子供」が、「カイン」と「アベル」
をモチーフとして描かれているものと思われます。

そうはいっても、カインとアベルは兄弟であって、カードの属性である「双子座」とは
直接関連しませんし、父母が原罪により楽園追放された後に、さらに弟殺害の罪で、
自分が産まれた土地から追放されるという二段堕ちのネタが、どうやって「6:恋人たち」
という高位のカードに関連するのかは、ワタシにとっては、全くもって理解不能というか、
まるっきり薬物中毒者の妄想みたいで無茶苦茶じゃないの、と思ったりするのでした。
0041名無しさん@占い修業中2021/03/28(日) 06:41:41.13ID:j7ju3kqv
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 219) ---
Crowley elaborates on this idea in a footnote, wherein he explains that the bloody
sacrifice is not necessarily black magic.
クロウリー氏は、脚注において、この考え方を詳しく述べており、その中で、血まみれの
犠牲は必ずしも黒魔術ではないことを説明する。

He says: "One should assume into one's own being, ceremonially, the whole karma
of the creature slain." (*218)
彼は言う:「人は、儀式的な方法で、殺害された生き物の業(カルマ)全体を、人自身の
存在の中に引き受けるべきである。」 (*218)
--- ここまで ---

ちなみに、(*218)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
218. Crowley, The Vision and the Voice, note 3, 225.
218. クロウリー著、『幻視と声』、注記3、225ページ。
--- ここまで ---
とあります。

そもそも「犠牲」というものは、「犠牲者の命」と引き換えに、自らの(個人的もしくは
社会的な)レベルアップを図るためのものであり、人間社会の儀式においては、古来より
必要不可欠とされる、神への賄賂みたいなものです。
つまりは、魔王への進化の最終局面において大量の人間を犠牲にするくらいの鉄板ネタで
あって、ここでわざわざ「黒魔術」を引き合いに出す必要は全くありません。
というか、「6:恋人たち」の高次のレベルで、そのような低次元の屁理屈じみた言い訳、
いやいや詳細な説明をしている時点で、ワタシとしては怪しいと思ってしまうのでした。

結局のところ、ワタシの感じる違和感は、「6:恋人たち」を、低次元の錬金術ベースで解釈
しようとしている点にあるわけで、その影響で、「6:恋人たち」が持つ高次レベルの感覚が
上書きされてしまって、せっかくのイケない妄想が捗らないということなんですよね。
0042名無しさん@占い修業中2021/03/29(月) 05:55:21.15ID:z79jyIbU
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 219) ---
But the process is not to be viewed as a unique and singular experience, for
Crowley tells us that the "integration of the card can only be regained by
repeated marriages, identifications and some form of Hermaphroditism." (*219)
しかし、この過程は、クロウリー氏は「カードの統合は、唯一、繰り返される結婚たち、
一体化たち、そして雌雄同体の何かの形態により、取り戻されることができる」と我々に
語っているため、唯一かつ非凡な経験と見なされるべきではない。 (*219)
--- ここまで ---

ちなみに、(*219)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
219. Crowley, Book of Thoth, 80.
219. クロウリー著、『トートの書』、80ページ。
--- ここまで ---
とあります。

ここでクロウリー氏が語る「6:恋人たち」の「process/過程」は、ワタシには、かなり
低いレベルの錬金術、すなわち「14:技」と同レベルの話のように感じます。

そもそも、「6:恋人たち」のレベルの過程は、下々の我々から見れば、繰り返されるもの
ではなく、創世記の天地創造のように、物語の冒頭の一回きりで終わるものであって、
後戻りや、やり直しのできるものでもなく、それゆえ「unique and singular experience
/唯一かつ非凡な経験」として見なされるべきものだと思います。

結局のところ、クロウリー氏が「リリス」をカードに描いたことは、天地創造の物語を
低レベルのものと同化させるための手段の一つとなっており、この点で、唯一無二であり、
かつ至高の結婚を描いたゴールデン・ドーン版(ペルセウスとアンドロメダ姫、もしくは
マサース氏とミナちゃん)や、ウェイト版(創世記のアダムとイヴ)とは、かなり異なる
方向性を持っているものと思われるわけです。
とはいえ、それが正しいのか、間違いなのかの判断は、誰にも出来ないんですよね。
0043名無しさん@占い修業中2021/03/30(火) 06:20:40.90ID:44aUGmWZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 219) ---
So the process is one which is both reciprocal and repeated over and over again.
従って、この過程は、相互的でもあり、何度も何度も繰り返されるものでもあるものの
一つである。

First one "brother" dies and is absorbed into the other.
最初の一方の「兄弟」は死んで、もう一方に吸収される。

Then there is a return to a balance of opposites after which the second brother
is killed and absorbed into the first.
それから、二番目の兄弟が殺されて一番目の兄弟に吸収された後に、反対物たちの釣り合い
への復帰がある。

The process is defined by the infinity sign of Mercury-Magician, since The Sun
and Moon unite under Mercury.
この過程は、「『太陽』と『月』が『水星』の下で一体化する」ので、「水星(メルクリ
ウス神)−魔術師」の無限大記号により明確にされる。
--- ここまで ---

おそらく、ウォン氏は、ここでの「繰り返される過程」を示すために、「1:魔術師」の
「無限大記号」を持ち出したのだと思うのですが、この記号は、ゴールデン・ドーン版と
ウェイト版の「1:魔術師」には明確に描かれていますが、トート版では不明確です。
もう一つ言うと、トート版「6:恋人たち」に描かれているのは、「無限大記号」ではなく
「メビウスの輪」であり、これは無限大記号の「一体化と分離の繰り返し」を意味すると
いうよりも、表裏一体の関係性を強く示唆するものです。
何が言いたいかと言うと、そもそも「6:恋人たち」は、兄弟間の「殺し合い」を意味する
ものではないし、両者の一体化は、あくまでも「男と女の交わり」という部分的かつ低次
の結合であって、全体的かつ完全な一体化ではない、すなわち「至高の三角形」に戻れる
ようなものではないということであって、そういう意味でも、ここは「上から下への一方
通行」の「小径」ということになっていると思うわけですよ。
0044名無しさん@占い修業中2021/03/31(水) 06:21:17.97ID:BU6A76Qq
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 219) ---
Insofar as the marriage occurs repeatedly, the use of the number twelve in both
the Waite and Golden Dawn cards is highly significant.
結婚が繰り返し起こる限りにおいて、ウェイト版とゴールデン・ドーン版カードの両者に
おける12という数字の使用は、非常に重要である。

In Waite's card the Tree of Life behind the male figure holds twelve flames; in
the Golden Dawn card there are twelve points on the Star of Perseus' shield.
ウェイト版カードにおいては、男性像の背後にある「生命の木」が12の炎たちを保持する;
ゴールデン・ドーン版カードにおいては、「ペルセウス」の盾の「星形」に12の先端たち
がある。
--- ここまで ---

「結婚が繰り返し起こる」という前提自体、ワタシは否定的ですし、そもそも「結婚が
繰り返し起こる」ことが前提のトート版において、「number twelve/12という数字」が
明確に描かれていないわけですので、この「12という数字が非常に重要である」という
結論についても、ワタシは懐疑的です。

ちなみに、ウェイト版「6:恋人たち」の「生命の木」の「holds twelve flames/12の炎たち
を保持する」という説明ですが、これはウェイト氏自身の解説によれば、「bearing twelve
fruits/12個の実を結ぶ」であり、これは『新約聖書:ヨハネ黙示録』22:2の「年に12回
(毎月1つ)実を結ぶ、生命の木」に基づいているものと思われます。
また、ゴールデン・ドーン版の「6:恋人たち」の「盾」にある「12の先端を持つ星形」は、
おそらく「毒蛇の髪を持つメドゥーサの頭」をイメージしたものと思われます。

いずれにしても、黄道十二宮に関係し、一年12ヶ月という時間を司る象徴であることには
間違いないのですが、低位にある「10:運命の輪」と異なり、回転を意味する象徴ではない
ので、「無限」はともかく、上下双方向の「無限ループ」の意味合いを持つのかと言われ
ると、ちょっとニュアンスが違うかな、という感じなんですよね。
要するに、ワタシとしては、「無限=上から下への一方通行」という感じなのです。
0045名無しさん@占い修業中2021/04/02(金) 06:02:30.67ID:yoItkYD8
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 219) ---
The twelve in both cases refer to the Zodiac and the perfection of each of the
types of incarnation.
両方の場合において、12は、「黄道十二宮」と、肉体化の型式たちの各々の完成を参照する。

Theoretically, return to the Godhead requires that we incarnate repeatedly and
perfect each of these types in turn.
理論的には、神への回帰は、我々が繰り返して肉体化し、これらの型式たちの各々を、
順番に完成することを必要とする。
--- ここまで ---

もはや何でもありのトート版はともかくとして、ゴールデン・ドーン版やウェイト版の
「12」が、そういう低次のものを象徴しているようには、ワタシには見えないんですけど、
ウォン氏は、そういうふうに理解しているということです。

なお、ワタシの理論的には、我々の知る「輪廻転生」は、「ティファレト」を頂点とする
「13:死」、「14:節制」、「15:悪魔」あたりの、手の届く世界であって、いくら我々が
それを繰り返したところで、上位の創造神の世界、すなわちビッグバン以前の世界に行く
ことなんて出来ないと考えているわけで、つまりは、割と現実的な考え方なのです。

もし我々が上位に行ける可能性があるとすれば、おそらく「時間の巻き戻し」のスキル
を持つことなのですが、ここには大きなパラドックスがありますので、しょせん「妄想」
レベル以上のものは得られません。
まあ、「6:恋人たち」のレベルは、既に「妄想」でしか語れないレベルですので、何を
言っても何も問題ないわけですし、皆さんの好きに解釈してもらえればいいわけです。

というわけで、ワタシとしては、もはや何も語るべきことのない、完全なるネタ切れ状態
ですので、基本的には、ウォン氏のボケネタに対して、ツッコミ役に回ることが多くなる
と思います。
ということで、ここから先は、オチの無い漫談を、お楽しみ頂けたらと思います。(笑)
0046名無しさん@占い修業中2021/04/02(金) 19:55:11.23ID:VU2hipex
12ってなんやろねぇ
なんつーかちょうどいい感じの数字なんかなーとは思うけど
0047名無しさん@占い修業中2021/04/03(土) 06:57:37.55ID:5JZh52be
>>46
ユダヤ教やキリスト教に限らず、人間社会では、12という数値が、割と良く出て
くるんですよね。
12については、よく知られているものとしては、
・『旧約聖書』の、イスラエルの12の部族
・『新約聖書』の、イエスの12人の弟子(使徒)
・「黄道十二宮」や、「十二支」
・1ダース(=12)の単位
というのがあって、それ以外にも、あちこちで神秘ネタとして使われています。

この12という数は、元々が古代バビロニアや古代エジプトの天文学、つまり天体の
運行に関連する数として、社会のあちこちで使われてきたという経緯があって、
そして、その最たるものが、1年(太陽周期)≒12ヶ月(月周期)というものであり、
その女性の周期と一致する神秘性ゆえに、色々とネタにされているのでした。

とはいえ、ここでは、あくまでもネタの一つですので、好きなようにイメージすれば
いいと思いますよ。
0048名無しさん@占い修業中2021/04/03(土) 06:58:35.21ID:5JZh52be
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 219) ---
As a marriage of the King and Queen under a floating Cupid, THE LOVERS relates to
the Chemical Wedding of Christian Rosencreutz, written at the beginning of the
seventeenth century. (*220)
浮遊している「クピド」の下での「王」と「女王」の結婚なので、「恋人たち」は17世紀の
初めに書かれた、『クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚』に関連する。 (*220)
--- ここまで ---

ちなみに、(*220)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
220. See: Allen, ed. Christian Rosencreutz Anthology; Yates, Rosicrucian Enlightenment.
220. 以下を参照:アレン編、『クリスチャン・ローゼンクロイツ選集』;イエイツ著、
『薔薇十字の覚醒』。
--- ここまで ---
とあります。

トート版「6:恋人たち」が、『クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚』をモチーフ
にしていることは、クロウリー氏自身が、『トートの書』の中で述べています。

まあ、元々のマルセイユ版「6:恋人たち/結婚」にも、『化学の結婚』のイメージはあるの
ですが、マサース氏とウェイト氏が、完全に自分たちの趣味の世界に走ってしまったため、
クロウリー氏も、自分の大好きな趣味である錬金術のネタとして、『化学の結婚』を使った
のではないと推察します。
いずれにしても、ファンタジーであることには違いないわけですので、どう解釈するかは、
各自の趣味にお任せすることになります。

とはいえ、ワタシ的には、「剣」の持つ「分離の機能」とか、「双子座」の持つ「分化」
や「二極化」というイメージが強くありますので、その先にある「結婚」、つまり、より
下位にある「再結合」や「再一体化」という「14:節制(技)」までを含むという解釈には、
手を出しにくいという感じがあるんですよね。
0049名無しさん@占い修業中2021/04/04(日) 06:00:01.79ID:483oujVg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 219) ---
This is a work which, like the Fama Fraternitas is one of the key documents of
Hermetic-Qabalism.
これは、『友愛団の名声』のように、「ヘルメス主義的カバラ主義」の鍵となる文書たちの
1つである作品である。

And, unlike so many alchemical texts, the Chemical Wedding is immensely readable,
having the charming qualities of a fairy tale.
そして、とても多くの錬金術の文章たちとは違って、『化学の結婚』は、とても読みやすく、
おとぎ話の魅力的な品質たちを持つ。

Yet is remains one of the most profound pieces of esoteric symbolism ever written.
それでも、これまでに書かれた秘伝的な象徴主義の中で最も深遠な作品たちの遺物の1つ
である。
--- ここまで ---

錬金術の文章が読みにくくて難解なのは、ひとえに著者が錬金術が出来ないからであって、
本人が出来ないことを、さもそれっぽく他者に偉そうに語らなければならないからであり、
結果的に、曖昧模糊というか、どうとでも取れるというか、どうにでも言い訳できる、
どこぞの政治家の発言のようになってしまうわけです。
そして、『化学の結婚』も、そういう「錬金術文書」の一つとして読むのであれば、他の
錬金術文書と同じように、難解であり読みにくいものであることには違いありません。
ということで、クソ真面目に「錬金術」の教科書としてではなく、単なるファンタジーな
「おとぎ話」、すなわち「錬金術ネタ」として、楽しくおかしくツッコミを入れながら読む
という、どちらかというと、ユルーい姿勢が大事であるということです。

でも、ワタシとしては、そういうユル〜い姿勢こそが、この「6:恋人たち」を解釈する上
での真髄であるとも思うんですよね。
ついでに、カードタイトルも、ヲタクには無縁の「恋人たち」ではなく、「愛する者たち」
もしくは「愛好者たち」という感じに変えてしまった方が良いようにも思うのでした。
0050名無しさん@占い修業中2021/04/05(月) 06:23:06.69ID:rnpYRojn
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 220) ---
Those who read the text, and meditate on it, will gain exceptional insights into
both THE LOVERS and TEMPERANCE.
原文を読み、そしてそれについて瞑想する人々は、「恋人たち」と「節制」の両方の中に、
並外れた洞察たちを得るであろう。

One such insight relates to the suggestion that blood is spilled on this Path.
そのような洞察の一つは、この「小径」において血が流されるという提案に関連する。

There are, in fact, a number of "events" at the Chemical Wedding which reinforce
this idea.
実際に、この考え方を補強する『化学の結婚』において、いくつもの「出来事たち」がある。
--- ここまで ---

ファンタジーな『化学の結婚』の錬金術ネタをモチーフとした時点で、「何でもあり」の
無敵モードになりますので、そこから得られるものは、どんなに優れた着想であっても、
しょせん「ファンタジー」というか、モロに個人的趣味の世界の話ですので、各自で自分の
好きなものを好きなように描いて、好きなように解釈しても良いということになるわけです。
まあ、ワタシとしては、「LOVERS/恋人たち」というタイトルで、第三者の視点から描か
れたデザインよりも、「LOVERS/愛好者たち」というタイトルで、一人称目線で「ワタシ
が愛するもの」への想いを描いたデザインという方が、よりふさわしいように思います。

ちなみに、カードに描かれているのは、「人との愛」ではありますが、これは擬人化され
ていて、本来は「上位世界の神への愛」を表しており、そして「愛」=「信仰」という
キーワード、すなわち「鍵」により暗号化され封印されていると考えられます。
やっかいなのは、この信仰の「鍵」は、封印は出来ても、解錠が出来ないというか、
要するに「絶対に中を見てはならない!絶対にだ!」という「黒歴史ノートの完全封印」
と同様の効力を持っているので、他人はその中身には絶対に近づけないんですよね。

ということで、以上、もはや何も得るものの無い領域にある「6:恋人たち」の話でした。
0051名無しさん@占い修業中2021/04/06(火) 05:47:25.01ID:lICoiYkg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 220) ---
16. THE PATH OF VAU
16. 「バウ」の小径

The Hierophant
法王

The Fifth Key
5番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「バウの小径」です。

この「5:法王」の立ち位置ですが、「4:皇帝(白羊宮/火)」、「5:法王(金牛宮/地)」、
「6:恋人たち(双児宮/空気)」、「7:戦車(巨蟹宮/水)」と続く星座四元素シリーズ
においては、我々から見れば、割と地味目というか控えめなポジションとなっています。
つまり、このメンバーの主役は、ヒーロー役の「4:皇帝」と、ヒロイン役の「6:恋人たち」
であり、「7:戦車」はパシリ役で、「5:法王」は、おやっさん役といった感じですかね。

たとえば、トート版「6:恋人たち」のシーンだと、「王」が「4:皇帝」、「女王」が「6:
恋人たち」、「クピド」が「7:戦車」、そして後ろにいる「オッサン」が「5:法王」と
いう配役になるかと思います。
つまり、「偉大なる名脇役」という感じで、いい感じに回りを巻き込む熱血指導者と
いうか、何かというと頼りにされそうな老練な監督という雰囲気がありますよね。

え、カバラの話をしているんじゃないのかって?
あ〜、そういう真面目な話は、実はとっくの昔に終わっていて、今は雑談メインですし、
スレタイも最初から雑談OKにしていますので、全く何の問題もありません。←開き直り!
0052名無しさん@占い修業中2021/04/07(水) 06:07:01.57ID:KKBuf7td
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 220) ---
□ PATH COLOR: Red-Orange
□ 「小径の色」:「赤味がかったオレンジ色」

□ RELATED SOUND: C Sharp
□ 「関連した音」:「Cのシャープ」

□ SIGN: Taurus (Fixed Earth)
□ 「宮」:「金牛宮(不動宮の地)」

□ MEANING: Nail or Hook
□ 「意味」:「釘」または「鉤(かぎ)」

□ SIMPLE LETTER: Hearing
□ 「単字」:「聴覚」

□ ESOTERIC TITLE: The Magus of the Eternal.
□ 「秘伝的な称号」:「永遠の博士。」
--- ここまで ---

上記の「ESOTERIC TITLE/秘伝的な称号」の「The Magus of the Eternal/永遠の博士」
の部分は、『"T"の書』の原文では「The Magus of the Eternal Gods/永遠の神々の博士」
となっていますので、前回と同様に誤植ではないかと思われます。

ついでに言うと、この「ESOTERIC TITLE/秘伝的な称号」の「Magus/博士」は、通常は
「魔術師」と訳すのですが、ここでは『新約聖書:マタイ福音書』2:1-13に出てくる
「Magi/東方の三博士(三賢者、三賢人、三学者)」の単数形、すなわち「三博士の中の
一人」と解釈しています。
その語源を辿ると、古代ペルシアの司祭とか、古代ゾロアスター教の神官というものも
ありますので、ここでは「物静かで知的な、高位の聖職者」を意味すると思われます。
0053名無しさん@占い修業中2021/04/08(木) 06:05:28.15ID:ouWK9XZC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 220) ---
THIRTY TWO PATHS OF WISDOM: The Sixteenth Path is the Triumphal or Eternal Intelligence,
so called because it is the pleasure of the Glory, beyond which is no other Glory
like to it, and it is called also the Paradise prepared for the Righteous.
「知恵の32の小径たち」:「16番目の小径」は、「勝利の、もしくは永遠の知性」であり、
それは「栄光」の喜びであり、それのような「栄光」で、それを超えるものは他にないために
そう呼ばれており、そしてそれはまた、「義人」のために用意された「楽園」とも呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用です。

まあ、相変わらず、よくわかんないというか、どうにでも取れる感じがする文章ですが、
イメージからすると、「Triumphal/勝利の」からは「7:戦車」が、「Paradise/楽園」
からは「6:恋人たち」の方が、近いようにも思えます。
そして、そういう「皇太子(騎士)の階級」や「王と女王の階級」を経験し、その最後が
「上皇の階級」である「5:法王」のポジションなのかな、とも思うのですが、その場合は
「4:皇帝」の居場所がありませんので、なかなか難しいところです。

ちなみに、「生命の木」の位置付けからすれば、男性的な「4:皇帝」が「王」であり、
女性的な「6:恋人たち」が「女王」であり、若い「7:戦車」が「皇太子」で、年長者で
ある「5:法王」が「上皇」となるわけですが、なんか番号的に見てモヤモヤする感じが
拭えないというか、なぜか「ティファレト」が優遇されてて、「5:皇帝」と「4:法王」と
いう順番じゃないのかが、気になるわけです。

こういう微妙な入れ替わりについては、どうしても「ご都合主義」が見え隠れして気に
なってしまうというか、余計な理由を詮索したくなるわけですが、そういう違和感も
含めて、各自で勝手に楽しんで頂ければと思うのでした。
あ、ワタシはスルーしておきます。←無責任ww
0054名無しさん@占い修業中2021/04/09(金) 05:51:03.19ID:rB0ae7gZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 220) ---
The Path of THE HIEROPHANT, Vau, leads from Chesed to Chokmah and is the uppermost
Path on the Pillar of Mercy.
「法王」である「ヴァウ」の「小径」は、「ケセド」から「コクマー」へと通じており、
そして、「慈悲の柱」の最上部の「小径」である。

It is described in the Golden Dawn documents as "The Zodiac acting through Taurus
upon Jupiter," which may sound simplistic, but which is very accurate.
それは、ゴールデン・ドーンの文書たちにおいて、「木星の上の金牛宮を通じて作用する
十二宮」と記述されており、それは単純過ぎるように聞こえるかもしれないけれども、
それは非常に正確である。
--- ここまで ---

まずは訂正です。
>>51
「VAU」を「バウ」と日本語表記していますが、「ヴァウ」に訂正します。
あと、以下の目次のところの「バウ」も、「ヴァウ」に訂正します。
https://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1341180469/11

なお、「The Zodiac acting through Taurus upon Jupiter/木星の上の金牛宮を通じて
作用する十二宮」の箇所は、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』第一巻の「Fourth
Knowledge Lecture/第四知識講義」の「Notes on the Tarot/タロットに関する覚書」
の「5. Hierophant/5.法王」の項にあります。
ちなみに、この「タロットに関する覚書」は、ゴールデン・ドーンにおける基本的な公式
設定であり、ゴールデン・ドーン系タロットの解釈においては、無条件で丸暗記すべき
「聖典」であって、ワタシごときが気軽に注釈できるものではありませんが、我々は、
この元ネタを使って、そこから派生する様々な妄想を膨らますことが可能となります。
そういう意味では、ゴールデン・ドーンの魔術教育のシステムって、良く出来ていますし、
そういう教育システムを考案し構築した指導者たちは、トンデモなく賢いというか、まあ
ワタシにはとてもマネできないなぁ、とか思っているのでした。
0055名無しさん@占い修業中2021/04/10(土) 06:12:16.39ID:YmCx6U40
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 220) ---
This is the action of Chokmah, as the spermatic potential of the manifest universe,
upon the first manifestation.
これは、最初の顕在化の上での、顕現化した宇宙の精子の可能性としての、「コクマー」
の活動である。
--- ここまで ---

ちと解釈が難しい文章なので、補足しておきます。

「first manifestation/最初の顕在化」というのは、上位の「至高の三角形」から流出
したエネルギー流が、絶縁体である「深淵」を渡って、下位の「倫理的三角形」を形成
する状態を表し、より具体的に言うと、至高の「ケテル」から発出したエネルギー流が、
劣化ケテルである「ティファレト」で焦点を結ぶような感じになります。
つまり、「upon the first manifestation/最初の顕在化の上での」の、「upon/上で」
というのは、「ティファレト」の上にある「ケセド」での作用ということを示唆しており、
直接的な「manifest universe/顕現化した宇宙」の「精子」としてではなく、あくまでも
「spermatic potential/精子の可能性」という範囲での作用ということです。

じゃあ、直接的な「顕現化した宇宙」の親は誰なのと言われれば、一次的な父(精子)は
「4:皇帝」で、母(卵子)は「6:恋人たち」であり、二次的な父は「9:隠者」で、母は
「11:正義」となるわけで、結局のところ、「5:法王」は、二次的な父である「9:隠者」
を通じて、「顕現化した宇宙」に影響力を及ぼすものとなっているわけです。
つまり、「顕現化した宇宙」の父親としての作用は、「精子」という直接的なものでは
なく、あくまでも「宇宙の父」としての「potential/可能性」、言い換えると「父性」
の役割の一端を担うものということですよね。

要するに、「ティファレト」から見れば、「9:隠者」が父であるとすれば、「5:法王」は、
祖父に相当するわけですが、じゃあ、「7:戦車」は、祖母に相当するのかというと、
ワタシ的には、「アクティブな大阪のおばちゃん」的なイメージは確かにあります。
あの押しの強さとアクの強さは、「戦車」と言っても過言ではありませんからね。
0056名無しさん@占い修業中2021/04/11(日) 06:01:49.82ID:VPnYm4+P
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 221) ---
Chokmah is the Supernal Father as Chesed is the Father in manifestation.
「コクマー」は、「ケセド」が顕在化における「父」であるのと同様に、「天上の父」である。

Chokmah is Yod of Macroprosopus; Chesed is the Yod of Microprosopus.
「コクマー」は、「マクロプロソプス(大きな顔)」の「ヨッド」である;「ケセド」は
「ミクロプロソプス(小さな顔)」の「ヨッド」である。
--- ここまで ---

「コクマー」と「ケセド」を、単純に「父」つながりで「as/同様に」と、一括りにして
しまうのは、ワタシとしては、どうかと思うのですが、とりあえず、「月とスッポン」以上
の違いがあることを理解した上で、「父」という属性つながりがある、ということです。

ここで重要なのは、各々を独立して単純に考えるのではなく、「ティファレト」という
「宇宙の子宮」における「顕在化」の事象においては、高次の父「コクマー」、低次の父
「ケセド」、そして二つの父を結ぶ「5:法王」の「父性グループ」と、高次の母「ビナー」、
低次の母「ゲブラー」、そして二つの母を結ぶ「7:戦車」の「母性グループ」との関係性に
注意する必要があります。
そして、「ティファレト」の子宮での「顕在化」、すなわち「受精」に関しては、高次の
精子「4:皇帝」と低次の精子「9:隠者」、および高次の卵子「6:恋人たち」と低次の卵子
「11:正義」との関係性にも注意が必要です。

何が言いたいかと言うと、我々が知る「父」と「母」という単純な二元的イメージとは、
かなり異なる理解と考察が必要な領域であるということであり、そういう多面的属性を
前提とした上で、この上位世界における「顕在化」という形而上的理論を妄想していくと
いう態度が要求されるということなんですよね。

あ、言ってることが少々難しいですか?
要するに、一言で言えば、「もはや何でもあり」というか、「すこぶるどうでもいい」と
いうか、「最初に言ったモン勝ち」ということです。←かなり的確な要約ww
0057名無しさん@占い修業中2021/04/12(月) 06:05:38.38ID:ISSwfPIm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 221) ---
Thus is the Path of Vau a powerfully masculine one to which Taurus, the Bull, is
applied.
従って、「ヴァウ」の「小径」は、「雄牛」である「金牛宮」が適用される、力強い男性的
なものである。

It is Fixed Earth in the Zodiac, meaning that it is a stable foundation.
それは、「黄道十二宮」の「不動宮の地」であり、それが安定した基盤であることを意味する。

And here, our earlier definition of this Path as a "stabilizing extreme" is
particularly useful.
そしてここでは、「安定させる極端」としての、この「小径」の、我々の以前の定義は、
特に有用である。
--- ここまで ---

参考までに、「聖四文字」が配属される「小径」である「ヨッド=9:隠者(処女宮、地)」、
「ヘー=4:皇帝(白羊宮、火)」、「ヴァウ=5:法王(金牛宮、地)」は、男性的イメージ
で描かれており、その一方、それらと対称位置にある「ラメド=11:正義(天秤宮、空気)」、
「ザイン=6:恋人たち(双児宮、空気)」、「ケト=7:戦車(巨蟹宮、水)」は、女性的
イメージで描かれます。
まあ、「戦車」が女性イメージかと言われれば微妙ですが、ワタシとしては、以前に述べた
ように、「『7:戦車』の人物像は、実は女性である」説を、改めて主張しておきます。

あと、「生命の木」理論においては、両極端の属性を左右対称に配置することで、全体を
安定化させる手法というのがありますが、ここでは「動」の「7:戦車」と「静」の「5:法王」、
そしてその下にある「動」の「10:運命の輪」と「静」の「12:吊られた男」との対比が関係
してくるものと思われます。
ちなみに、クロス位置にある「7:戦車」と「10:運命の輪」、「5:法王」と「12:吊られた男」
って、何となく似たようなイメージがあるので、これらの交わりで色々とイケない妄想を
捗らせるには、「particularly useful/特に有用」な関係ではないかと思われます。
0058名無しさん@占い修業中2021/04/13(火) 06:12:57.20ID:4wczpGDr
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 221) ---
THE HIEROPHANT is the opposite Path of THE CHARIOT, the vehicle (stabilizing active
extreme/Cardinal Water) by which the Soul is carried across the Abyss.
「法王」は、「魂」がそれ(乗り物)により「深淵」を横切って運ばれる乗り物(安定
させる活動的な極端/「活動宮の水」)である、「戦車」の反対側の「小径」である。

THE HIEROPHANT is the celestial road on which THE CHARIOT rides; it is the absolute
foundation of the process of revelation; it is a rock-solid base of experience
between the Supreme Spiritual Self and the Ego of Tiphareth, of which memory is
one aspect.
「法王」は、その上に「戦車」が乗る、天の道である;それは、啓示の過程の絶対的な基盤
である;それは、「究極の霊的自我」と、「ティファレト」の「自我」との間の盤石なる
経験の基礎であり、「記憶」は、それの一つの面である。
--- ここまで ---

このあたりの「小径」の、占星術的な関係をまとめると、
・「4:皇帝」=「白羊宮(火星)」=「Cardinal Fire/活動宮の火」
・「5:法王」=「金牛宮(金星)」=「Fixed Earth/不動宮の地」
・「6:恋人たち」=「双児宮(水星)」=「Mutable Air/柔軟宮の空気」
・「7:戦車」=「巨蟹宮(月)」=「Cardinal Water/活動宮の水」
となっており、結構面白い関係性があることがわかります。
また、「7:戦車」と「2:高等女司祭」の「月」、「6:恋人たち」と「1:魔術師」の「水星」、
そして「5:法王」と「3:女帝」の「金星」との繋がりも、興味深いところです。

なお、「5:法王」と「memory/記憶」との関係性ですが、はっきり言って、ワタシの理解
を越えたものであるため、何とも言えません。
まあ、「ビナー」の領域に関しては、頑張ればまだ何とかなりそうな気がするのですが、
「コクマー」の話になると、もはや何を意味しているのか、全くわかんないんですよね。
ということで、ここの「天上の父」がもたらす「記憶」が、何を意味しているのかは、
ワタシには全くもって理解不能なのでした。 ヽ(´ー`)ノ
0059名無しさん@占い修業中2021/04/14(水) 06:06:17.84ID:vh9MH7kT
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 221) ---
The idea that THE HIEROPHANT relates to memory may be considered in light of the
meaning of the word Vau, which means nail or hook.
「法王」が「記憶」に関係するという考え方は、「釘」または「鉤(かぎ)」を意味する
「ヴァウ」という言葉の意味に照らして考慮されるかもしれない。

A nail binds together, it unifies, suggesting that a primary function of THE
HIEROPHANT is to link Microprosopus with Macroprosopus, i.e., the Great Universe
with manifestation.
釘は互いに結合し、それは一体化し、「法王」の主な機能が、「ミクロプロソプス(小さ
な顔)」を「マクロプロソプス(大きな顔)」、すなわち「大宇宙」と顕在化とを結びつけ
ることであることを示唆している。

It is the Triumphal or Eternal Intelligence by which all that we are is forever
tied to the Divine Spirit.
それは、我々が在る全てのものが、「神の霊」に永遠に結び付けられることによる、
「勝利の、もしくは永遠の知性」である。
--- ここまで ---

ワタシには、この「法王」が「記憶」に関係するという考え方の根拠は分からないのですが、
「ヴァウ」の「釘」という意味から、一つ連想されるものがあります。
それはイエスの磔刑において、両手両足を十字架に固定したと言われている「釘」です。
まあ、だから何なの?と言われても困るのですが、妄想のネタの一つとしては、割と興味
深いものではないかと思います。
ちなみに、ヘブライ文字の字体を見ると、「5:法王=ヴァウ」と「6:恋人たち=ザイン」の
字体は男性的という意味で似ており、そして「4:皇帝=ヘー」と「7:戦車=ケト」の字体も、
女性的という意味で似ていたりします。
つまり、このあたりの四枚のカードは、ソロ活動で使用するよりも、色々なカップリング
を試しながら使うものであることを示唆しているわけで、謎が多いというか、色々とイロ
モノ的なイケない妄想が捗ってしまって、もうしょうがないなぁ、というところなのでした。
0060名無しさん@占い修業中2021/04/15(木) 06:30:02.95ID:QNXUbzPW
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 221) ---
This binding consciousness is described in a variety of symbolic ways, such as:
It links the Sun and the Moon, or it ties together the Above and the Below.
この結合する意識は、以下のように、様々な象徴的な方法たちで記述される;それは、
「太陽」と「月」を結合するか、もしくは「上」と「下」を結びつける。

It is also related to teaching, that which introduces higher ideas into the lower
organism.
それはまた、高次の考え方たちを、低次の有機体の中に導入する、「教え」にも関連付け
られる。

Expressing it another way, it can be said that the intelligent energy which binds
the pure inner spirit to the outer aspects of manifestation is also the source
for our understanding of that inner spirit.
それを別の方法で表現すると、純粋な内なる霊を、顕在化の外なる様相たちに結びつける、
知的な精力はまた、その内なる霊の我々の理解のための源泉でもあると言われることが
できる。
--- ここまで ---

「ヴァウ」の「nail/釘」を、割と強引に「teaching/教え」に関連付けさせているような
感じですが、そもそも「pure inner spirit/純粋な内なる霊」、すなわち「至高の三角形」
からの流出ルートの一つである「5:法王」を、そう簡単に理解できるとも思えません。

とはいえ、今まで述べたように、「4:皇帝」、「5:法王」、「6:恋人たち」、「7:戦車」の
メインの四本の流出ルートには、それぞれ特徴があって、ここでもう一つ例を挙げると、
・結合ルート:「5:法王/ヴァウ/釘」、「戦車/ケト/柵」
・分離ルート:「4:皇帝/ヘー/窓」、「6:恋人たち/ザイン/剣」
というニュアンスの違いがあります。
そういう微妙な違いは、下界に住む我々が、直接実感できるようなものではありませんが、
こういった設定の微妙な違いは、妄想ネタとしては、それなりに役に立つかと思われます。
0061名無しさん@占い修業中2021/04/16(金) 06:29:31.78ID:4LnURjRy
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 221) ---
It is the only source.
それは、「最良」の源泉である。

THE HIEROPHANT is the only teacher.
「法王」は、最良の教師である。

He is, as the esoteric title of the card states, "The Magus of the Eternal."
彼は、カードの秘伝的な称号が述べるように、「永遠の博士」である。
--- ここまで ---

このあたりの、「4:皇帝」、「5:法王」、「6:恋人たち」、「7:戦車」の関係性というか
役割分担を考慮していくと、主役となるのは、「ティファレト」に通じ、恋愛要素を含む
「ヒーロー」と「ヒロイン」となる「4:皇帝」と「6:恋人たち」であり、「7:戦車」は
パシリ役で、そして「5:法王」は、「おやっさん」というのが、「only/最良の」配役
ではないかと思われます。

そういう意味でも、ゴールデン・ドーン版における、「4:皇帝」=マサース氏、「5:法王」
=ウェストコット氏、「6:恋人たち」=ミナちゃん、「7:戦車」=その他団員、という
連想は、それなりに「only/最良の」配役ではないかと思うのでした。

いずれにしても、ここは「4:皇帝」、「5:法王」、「6:恋人たち」、「7:戦車」を一つの
グループとして解釈しないと、到底「至高の三角形」のレベルには太刀打ちできません。
つまり、一本の矢では簡単に折れてしまうけれども、四本の矢であれば何とかなるかも
しれないという、微レ存に賭けるということですよね。

とはいえ、「至高の三角形」を解読したところで、我々には何のメリットも無いという
のが実際のところですので、どちらかというと、こういう考え方を、一つの至高ツール、
いやいや思考ツールとして活用する方が、下界でのメリットが高いので、背伸びして
至高を目指さずに、地道に、すなわち下ネタに走りたいと思うのでした。←向上心無しww
0062名無しさん@占い修業中2021/04/17(土) 06:20:16.84ID:zBTCirAA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 221) ---
In many versions of this Key, the seated figure is shown as the Pope.
この「鍵(大アルカナ)」の多くの版においては、着席した人物像は「教皇」として表される。

The imagery was explained by A.E. Waite with the suggestion that this is
"a particular application of the more general office that he symbolizes.
この画像は、A.E. ウェイト氏により、以下のような提案により説明された。「(この画像
は)彼が象徴する、より普遍的な儀式の、ある特定の適用である。

He is the ruling power of external religion, as the High Priestess is the
prevailing genius of the esoteric, withdrawn power." (*221)
『高等女司祭』は(天から)引き下ろされた力を持つ秘教の有力な守護神であるが、
彼は、外面的な宗教の権力者である。」 (*221)
--- ここまで ---

ちなみに、(*221)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
221. Waite, Pictorial Key to the Tarot, 88.
221. ウェイト著、『タロット図解』、88ページ。
--- ここまで ---
とあります。

ウェイト氏の『Pictorial Key to the Tarot/タロット図解』では、「2:高等女司祭」が
「5:法王」よりも先に説明されており、その関係もあって、「5:法王」と「2:高等女司祭」
の関係性が、「顕教的」と「秘儀(密教)的」という対比で説明されています。
ウェイト氏の趣味趣向として、キリスト教的なイメージで、カードを解釈していますので、
そういう意味では、素人受けしやすい対比ではありますが、それはあくまでもイメージで
あって、実際の意味合いがそうであるかは、実は誰にも分からないわけです。
とはいえ、ウェイト版においては、この「2:高等女司祭」と「5:法王」の対比による解釈は、
非常に重要な意味合いがありますので、興味のある方は、妄想してみてください。
0063名無しさん@占い修業中2021/04/18(日) 06:15:34.06ID:znZpwIbw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 221) ---
Paul Case emphatically disagreed with this, saying that “On the contrary, he is
the Pontifex, the 'bridge-maker' who provides a connecting link between outer
experience and interior illumination." (*222)
ポール・ケース氏は、これに対して断固として同意せず、「それどころか、彼は『大祭司』
であり、外なる経験と内なる光明との間を接続する連結を提供する『橋渡し役』である」
と述べた。 (*222)
--- ここまで ---

ちなみに、(*222)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
222. Case, The Tarot, 79.
222. ケース著、『タロット』、79ページ。
--- ここまで ---
とあります。

この辺りの解釈は、どうせ本当のことは分からないので、どれが正解ということでもない
のですが、とりあえずケース氏の意見を聞いておこうと思います。

まず、この「Pontifex/大祭司」というラテン語の言葉ですが、基本的にはキリスト教以前
の古代ローマ時代の、英訳すると「Pontiff(High Priest)/高等司祭」という官位であり、
架空の「2:高等女司祭(THE HIGH PRIESTESS)」とは違って、現実に存在する役職です。
古代ローマ時代の言葉ですので、基本的には『新約聖書』に出てくる言葉であり、その中
ではユダヤ教の「大司祭」の意味となっていますが、ここでは全ての宗教者を総括し、
武力的かつ商業的な権力者と並んで、宗教的かつ精神的な指導者であるという感じになる
わけですが、じゃあ、ウェイト氏の言うキリスト教の「Pope/教皇」とは何が違うのかと
言われると、ワタシには、その違いが、よくわからないわけです。
もう一つ言うと、ウェイト氏は、このカードの説明において、「pontiff/大祭司」という言葉を、
どちらかと言うと世俗的な意味で使っていますので、そういう言葉の解釈というか使い方
という点では、ウェイト氏とケース氏の間には、若干の解釈の違いがあるように思えます。
0064名無しさん@占い修業中2021/04/19(月) 06:00:28.59ID:JYJ7fXf7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 221) ---
But, as we shall presently consider, Waite touches on some very important concepts
in this card, which he called the “summa totius theologiae, when it passed into
the utmost rigidity of expression." (*223)
しかし、我々が現在考察しようとしているように、ウェイト氏は、このカードについて、
いくつかの非常に重要な概念に触れており、それは、彼が「最大限の堅苦しい表現を
すれば、『全ての神学の最高位』」と呼んだものである。 (*223)
--- ここまで ---

ちなみに、(*223)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
223. Waite, Pictorial Key to the Tarot, 91.
223. ウェイト著、『タロット図解』、91ページ。
--- ここまで ---
とあります。

この辺りのウェイト氏の説明は、かなり難解であり、文面をそのまま受け入れてしまうと、
間違いなく誤解します。
つまり、「summa totius theologiae/全ての神学の最高位」という解釈は、「the utmost
rigidity of expression/最大限の堅苦しい表現」という前提付きのものであり、本当の
意味は、この中に隠されているということになります。
じゃあ、具体的に何なのかは、各自で想像するしかないわけですが、ワタシ的には、「慈悲
の柱」の最高位にある「宇宙の『立法府』の最高執行官」であり、その反対側の「7:戦車」
は、「峻厳の柱」の最高位にある「宇宙の『司法府』の最高執行官」という感じです。
まあ、あくまでも個人的なイメージですので何でもいいのですが、そういった気軽な感じで、
皆さんも色々なイメージ付けをして、自分勝手な解釈を楽しんでもらえればと思います。

え、そんないいかげんなことでいいのか、ですか?
はい、いいかげんな思い付きであっても、何の問題もありません。
そもそも「深遠なる意味」なんて、誰も本当のことは知らないわけですしおすし。←これが真相ww
0065名無しさん@占い修業中2021/04/20(火) 06:02:49.47ID:hA3qoyM6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 221) ---
Relative to the traditional use of the Catholic Pontiff in Tarot, it should be
appreciated that until very recently western esotericism was inextricably bound
to Christianity.
タロットにおける「カトリックの教皇」の伝統的な使用に関連して、ごく最近まで、西洋の
秘教は、キリスト教と密接に結び付けられていたことが認識されるべきである。

At the period when the cards emerged, metaphysics was merely a way of looking at
the given faith, which was above question as a system.
カードが出現した時期には、形而上学は、単に与えられた信仰を見る方法に過ぎず、
それは体系としての疑問を超えたものであった。

There were no viable alternatives.
実行可能な代替手段は無かった。

Thus, the great esotericists were either Catholic priests, or those who sought
the approbation of the Catholic hierarchy for their research.
従って、偉大なる秘教主義者たちは、カトリックの司祭たちか、もしくは彼らの研究の
ためにカトリックの階級組織の認可を得ようとされた人々のいずれかであった。
--- ここまで ---

ここで「esotericism/秘教」と言われているものは、「信仰」を元にした集金組織である
「顕教」とは異なる、どちらかというと、同人的というかヲタク趣味の範疇となるもので
あり、一般庶民の民間宗教レベルの「秘教」とは全く異なるシロモノですが、そういう
高尚な趣味を持てるほどの知識と金を持つ人間は、中世においては、ある程度限られます。
つまり、王侯貴族や僧侶階級、もしくはその周辺の人物に限られているわけで、結果的に
「秘教」と言えども、当時最大の「顕教」組織であるキリスト教の影響、すなわち知識的
かつ金銭的な面でのバックアップは存在するわけで、そのため、キリスト教の影響が色濃く
出てくるというか、そもそも「タロット」は、クリスチャン・カバラの系統から発生して
いるものですので、言わずもがなという感じなんですけどね。
0066名無しさん@占い修業中2021/04/21(水) 08:06:49.74ID:L+FtkYFH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 221) ---
By example, one can cite the correspondence of Henry Cornelius Agrippa with the
great Humanist Abbot, John Trithemius.
例として、人は、ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ氏と、偉大な「人文主義者の
大修道院長」である、ヨハンネス・トリテミウス氏との一致を引用することができる。

The abbot, himself an avid student of these matters and a Hebrew scholar, (*224)
warmly responded to receipt of Agrippa's Of Occult Philosophy: "With how much
pleasure I receive it no mortal tongue can express nor the pen of any write." (*225)
その大修道院長は、彼自身が、これらの物事たちに熱心な学徒で、ヘブライ語の学者で
あり(*224)、アグリッパ氏の『神秘哲学について』の受領について、以下のように温か
く応えた:「私がそれを受け取ることにどれほどの喜びを感じるかは、とんな人間の舌
でも表現できず、どんなペンでも書くことができない。」 (*225)
--- ここまで ---

ちなみに、(*224)、(*225)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
224. Arthur A. Tilley, "The Renaissance in Europe," Cambridge Medieval History,
Cambridge, 1969, 790, 791.
224. アーサー・A.・ティリー著、「ヨーロッパにおけるルネサンス」、『ケンブリッジ
中世の歴史』、ケンブリッジ、1969年、790、791ページ。

225. Henry Cornelius Agrippa, The Philosophy of Natural Magic, New Jersey 1974, 33.
225. ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ著、『自然魔術についての哲学』、
ニュージャージー、1974年、33ページ。
--- ここまで ---
とあります。

これらの偉大なる秘教主義者たちは、後者が「カトリックの司祭」であり、前者が「彼らの
研究のためにカトリックの階級組織の認可を得ようとされた人々」ということですよね。
0067名無しさん@占い修業中2021/04/22(木) 06:56:07.87ID:yEQ6RbLH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 222) ---
Neither the Prelate nor the younger occult philosopher were condemned for their
work, because it was actually carried out within the confines of accepted Catholic
doctrine. (*226)
「高位聖職者」も、若い神秘哲学者も、彼らの著作について非難されなかったが、なぜなら、
それは実際に、容認されたカトリックの教義の範囲内で行われたからである。 (*226)
--- ここまで ---

ちなみに、(*226)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
226. See forward to work cited above by Leslie Shepherd.
226. 上記で引用された作品より先は、レスリー・シェパード氏によるものを参照すること。
--- ここまで ---
とあります。

「高位聖職者」であるヨハンネス・トリテミウス氏(John Trithemius, 1462-1516)は、
ドイツの修道院長であり、ドイツ出身の「若い神秘哲学者」であるハインリヒ・コルネリウ
ス・アグリッパ氏(Henry Cornelius Agrippa, 1486-1535)とは、24歳の年齢差があります。
また、同時期のドイツには、プロテスタントの宗教改革で有名なマルティン・ルター氏
(Martin Luther, 1483-1546)が活躍しています。

ちなみに、注記のレスリー・シェパード氏(Leslie Alan Shepard, 1917-2004)は、現代の
オカルト系書籍の編集者であり、いくつかの著作があります。

ということで、この二人が運良くカトリック教会から非難されなかったのは、ドイツという
オカルト思想を許容する先進的な地で活躍していたのと、ルネサンス期という、ある程度
の思想の自由があった時期であったのと、カトリックによる迫害の象徴である「禁書目録」
が作成される前だったという、なんか絶妙なタイミングだったということなんですよね。
ちなみに、魔女狩りで有名な『魔女に与える鉄槌』は、1486年の発行ですので、なかなか
微妙というか、結構危ういギリギリの時期であるとも言えるわけです。
0068名無しさん@占い修業中2021/04/23(金) 06:18:31.02ID:zqCyulHN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 222) ---
Thus, for the originators of the cards to have used the image of their Pope to
represent the mysteries of the energies of the Path of Vau, the Supreme Teacher,
was reasonable.
従って、カードたちの創作者たちにとっては、「彼ら(創作者)」の「教皇」の聖像を
使用し続けることで、「最高の教師」である「ヴァウ」の「小径」の精力たちの神秘的
教義を表現することは、合理的であった。

This image is problematical only to those attempting to separate the Hermetic
Qabalah from the Medieval Christianity in which it was unquestionably nurtured.
この聖像は、それ(中世のキリスト教)の中で、それ(カード)が疑いなく養育された
「中世のキリスト教」から、「ヘルメス主義的カバラ」を切り離すことを試みている人々
にとってのみ、問題を含んでいる。
--- ここまで ---

ウォン氏は、「problematical/問題を含んでいる」と述べていますが、魔術体系と「キリ
スト教」を分離しようとしたマサース氏は、そこまで固執していなかったというか、彼の
魔術体系を表現する上で、最も効率的な方法を模索した結果として、「邪魔なものは省き、
使えるものは使う」という感じではないのかな、と思います。
それに、当時の「ヘルメス主義」も「カバラ」自体も、キリスト教抜きで語ることは無理
ですし、ゴールデン・ドーン版タロットのデザインにも、数多くのキリスト教のイメージが
割と節操なく取り入れられていますので、そこまで気にしてなかったと思います。

ということで、「最高の教師」の役を、「教皇」のイメージで象徴化することは、当時と
しては合理的でしたし、現在においても、各種のカードゲームにおいて、「教皇」の
イメージが、僧侶系高位魔術を象徴するカードデザインで使われています。

そういえば、RPGのパーティ編成においても、「勇者・戦士=4:皇帝」、「僧侶=5:法王」、
「魔術師=6:恋人たち」、「商人=7:戦車」という組み合わせは一般的ですし、この
四枚のカードは、顕在宇宙の四大基本原理を司ると考えても良さそうですよね。
0069名無しさん@占い修業中2021/04/24(土) 06:41:09.49ID:jntHHLOU
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 222) ---
To the fifteenth century metaphysician this was not only the Pope as administrator
of the inner pathways, but it was the Pope as the teacher speaking ex cathedra
(from the Throne).
15世紀の形而上学者にとって、これは、内なる小道たちの管理者としての「教皇」であった
だけでなく、「エクス・カテドラ」(「王座」から)にて話す教師としての「教皇」でも
あった。

In Catholic doctrine, when the Pope speaks ex cathedra, his word is infallible.
カトリックの教義においては、「教皇」が「エクス・カテドラ」にて話す時は、彼の言葉は
絶対に誤りがない。

And when the leader of the faith speaks infallibly, all must listen.
そして、信仰の指導者が絶対に誤りなく話す時は、全ての人は、聞かなければならない。
--- ここまで ---

最初に言っておきますが、ここでの解釈は、あくまでも現世のカトリックの「教皇」の話で
あって、タロットの「5:法王」のネタの一つでしかないことと、あくまでもウォン氏の
個人的な解釈であることに、注意が必要です。(つまり、ワタシとしては、微妙に懐疑的)

まず、ここの「ex cathedra/エクス・カテドラ」というラテン語の教会用語ですが、
元々の「cathedra」の意味は「椅子」であり、そこから「王座」や「司教座」を意味する
ものとなり、そういう意味では、「3:女帝」や「4:皇帝」にも通じるものがあります。
そして、「ex」の意味は、「そこから」ということですので、そういう権威に基づいて、
という感じになるかと思います。
じゃあ、その権威は、どこから来るのかと言われれば、この「5:法王」の領域における
権威といえば、言わずと知れた「至高の三角形」に基づくものであるわけで、そういう
意味からすると、「5:法王」は、至高神の仲介者というか代理人であり、それゆえ「教皇」
の言葉は、「人の言葉」ではなく、「神からの賜物を、人の言葉に翻訳したもの」として、
預言者であるモーセやアロンの言葉の如く、解釈することになるわけですよね。
0070名無しさん@占い修業中2021/04/25(日) 06:55:46.13ID:al7HsrdY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 222) ---
Thus to Vau the Sepher Yetzirah attributes hearing.
従って、「ヴァウ」に、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』は、「聴覚」を帰属する。

The act of listening is shown in the Waite card by the two figures kneeling before
the Pope.
聞くことの行為は、ウェイト版カードにおいては、「教皇」の前にひざまずく二人の人物像
たちにより示される。
--- ここまで ---

『セフェル・イェツィラー』の「単字」の属性ですが、ここは個別に解釈するよりも、
「4:皇帝=Sight/視覚」、「5:法王=Hearing/聴覚」、「6:恋人たち=Smell/嗅覚」
の関係性から解釈する方が、わかりやすいのではないかと思います。
なぜなら、高次の感覚というのは、低次の我々にとっては、明確な判別が困難であり、
それらの感覚は同時発生することが多いという点において、明確な切り分けは無意味で
あって、つまり、「4:皇帝」、「5:法王」、「6:恋人たち」の三枚は、上位世界からの
感覚信号を、「深淵」という絶縁空間を通じて受け取り、下位世界に伝達する働きを持つ
「受信機群」であるというような、かなり曖昧な解釈でいいかと思います。

なお、ウォン氏は、ウェイト版カードにおいては、二人の人物像が、「聴覚」を意味する
と説明していますが、ワタシ的には、これは少々疑問です。
なぜなら、この「聴覚」である「ヴァウ」は、センターにある顕在化し擬人化された
「教皇」の属性であって、下っ端の司祭が持つような属性であるはずがないからです。
ちなみに、このウェイト版「5:法王」の元ネタは、「教皇の紋章」でググれば、想像が
つくと思いますが、少々補足すると、これは秘教の「2:高等女司祭」の顕教版であって、
「Bの黒柱」が「赤薔薇服の祭司」、「Jの白柱」が「白百合服の祭司」に相当している
わけですが、とはいえ、「5:法王」の「鍵」は、上位世界へと導く「2:高等女司祭」の
扉を開くことは出来ません。
なぜなら、ここで顕在化した「教皇の鍵」は、「ケテル」へと通じる「究極の鍵」では
なく、下界の我々に供される「ティファレト」までの「鍵」だからです。
0071名無しさん@占い修業中2021/04/26(月) 06:24:04.14ID:K41TLvkc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 222) ---
We should take them to mean the opposite aspects of ourselves in the human condition,
united in their listening attention to the Universal Teacher.
我々は、彼らを、「全宇宙の教師」への彼らの傾聴において「団結」した、人間の状態に
おける我々自身の正反対の面たちを意味すると解釈すべきである。

These two figures are the Sun and Moon currents of the body, reason and intuition,
consciousnes and sub-consciousness, etc.
これらの2つの人物像は、身体の「太陽」と「月」の潮流たち、理性と直観、意識と潜在
意識、などである

These qualities are anthromorphized as priests, i.e., participants at the altar
rather than spectators.
これらの品質たちは、「司祭たち」として、すなわち傍観者たちというよりむしろ祭壇
での参加者たちとして擬人化される。

The implication is that both are an integral and inseparable part of the process
of enlightenment, and that their obedience has been pledged to the principle
represented by THE HIEROPHANT.
暗示するものは、両者は、どちらも悟りの過程において不可欠かつ不可分の部分であり、
彼らの服従は「法王」により表される原則に誓約され続けているということである。
--- ここまで ---

「5:法王」は、宇宙の顕在化、すなわち宇宙創造に関わる「Universal Teacher/全宇宙の
教師」ですので、それを上記のような「小宇宙(人体)の教師」に単純化して解釈すると、
「ミソクソ」と呼ばれます。
上記の理論は、本来は「ティファレト」以下の「下なる世界」で解釈されるべきものですし、
ウェイト氏も、そういうミソクソ要素については否定的ではありますが、だからと言って、
ウェイト氏も、きちんとした模範回答を示しているわけではないというか、要するに、誰も
「正しい答え」なんて持っていないので、ミソクソな話で、お茶を濁すしかないわけですよ。
0072名無しさん@占い修業中2021/04/27(火) 06:21:21.50ID:Hht2+UUE
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 222) ---
Waite's Hierophant blesses from his position between the two columns of the Mysteries.
ウェイト版の「法王」は、「神秘的教義」の2つの円柱の間の彼の位置から祝福する。

At his feet are the crossed keys of Heaven (Gold, Sun) and Hell (Silver, Moon).
彼の足元には、「天国(金、太陽)」と「地獄(銀、月)」の交差した鍵たちがある。

This latter is so attributed because one of the Moon goddesses rules the underworld.
この後者(の鍵)は、「月」の女神たちの1人が、冥界を支配しているので、そのように帰属
される。
--- ここまで ---

「神秘的教義」の「two columns/2つの円柱」と言えば、言うまでもなく「慈悲の柱」と
「峻厳の柱」であり、秘教の「2:高等女司祭」の「コクマー色のJの白柱」と「ビナー色の
Bの黒柱」の劣化版です。
一方で、顕教の「5:法王」の二本の柱は灰色ですが、その代わりに、柱の下の司祭の服が
「ケセド色の青服」と「ゲブラー色の赤服」となっています。
参考までに、ゴールデン・ドーンの錬金術配属においては、「ケセド=銀」で、「ゲブラー
=金」となっていますよね。

また、「法王(教皇)」の足元の二つの交差した鍵は、『新約聖書:マタイ福音書』16:19
に、「わたしはあなたに天国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつな
がれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。(新共同訳)」とあるように、
これは、初代ローマ教皇とされたペトロが、イエスより授かった鍵であり、「天上の如く、
地上でも然り」を意味するものとなっています。

つまり、元々の意味は、「on the ground/地上」の使徒たちと、死後のイエス・キリスト
を信仰的に結ぶ鍵、すなわち「天と地を(霊的に)繋ぐ鍵たち」という、ささやかな願いを
満たすものであって、ウォン氏が言うような「天国と地獄(冥界)を支配する鍵たち」と
いう天下無敵系の解釈は、あくまでも、そっち系のネタであることに注意してください。
0073名無しさん@占い修業中2021/04/28(水) 06:23:51.07ID:BRpRsyYc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 222) ---
In his hand is the Papal Cross, what has been called the "Triple Cross of the
Western peoples." (*227)
彼の手には、「西洋の人々の三重の十字架」と呼ばれたことがある、「教皇十字」がある。
(*227)
--- ここまで ---

ちなみに、(*227)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
227. Rudolph Koch, The Book of Signs, London 1930, 16.
227. ルドルフ・コッホ著、「記号たちの本」、ロンドン、1930年, 16ページ。
--- ここまで ---
とあります。

ウェイト版「5:法王」は、中央に教師である「教皇」の座像があり、下にいる弟子たちに
対して、右手は「聖なる祝福を与えるサイン」を示し、左手には「Triple Cross/三重の
十字架」である「教皇十字」を掲げています。

それと、ウェイト版「教皇」は、「triple crown/三重冠」を被っているので、何となく
「至高の三角形」に関係するのではないかという推察も出来るのですが、ウェイト氏は、
そういう高次のものについては否定的ですので、ワタシ的には、ウェイト版「教皇」は、
「ケセド」「ゲブラー」「ティファレト」の「高次の自我」を形成する「倫理的三角形」
を擬人化したものであって、下の左右の弟子たちは、「星幽的三角形」の「ネツァク」と
「ホド」に相当するようなイメージがあります。
というか、一般人が普通に想像で語れるのは、「ティファレト」以下の領域ですので、
一般人であるワタシは、必然的に、下界ネタにおける妄想話がメインになってしまうのは
否めないところですよね。

いずれにしろ、この領域は、自分の好きなように解釈しても良いところですので、作者の
意向に関係なく、各自で好きなように妄想して解釈してみてください。
0074名無しさん@占い修業中2021/04/29(木) 06:18:17.08ID:0u+CKWSv
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 222) ---
Not surprisingly, the Golden Dawn and Crowley cards have both moved away from the
figure as Pope.
驚くようなことではないが、ゴールデン・ドーン版とクロウリー氏のカードは、両方とも
「教皇」としての姿から離れ続けている。

The Golden Dawn figure retains the three-tiered Papal crown, but as a symbol of
the Supernals.
ゴールデン・ドーン版の人物像は、三段の「教皇」冠を維持しているけれども、「至高
なるものたち(至高の三角形)」の象徴としてである。

The emphasis is placed on the role of the Hierophant as shepherd and teacher of
the Law.
重点は、羊飼いと「法」の教師としての「法王」の役割に置かれる。
--- ここまで ---

トート版はともかく、三段の「教皇冠」をかぶるゴールデン・ドーン版の「5:法王」は、
どう見ても「教皇」像にしか見えないですよね。
そもそも、「三段の教皇冠」は俗物的でもありますし、「深淵」の向こう側の存在である
「至高の三角形」を、頭にかぶるなんて恐れ多いことが出来るとも思えませんしね。

ちなみに、「ヴァウ」の意味である「Hook/鉤(かぎ)」を連想する「羊飼いの杖」からは、
キリスト教に関する二つのネタが連想されます。
一つは、『新約聖書:ヨハネ福音書』10:11の、イエス・キリストの「良い羊飼い」発言で
あり、もう一つは、『新約聖書:ルカ福音書』2:8-20にある、野宿の羊飼いたちが聞いた
「メシア誕生についての天使のお告げ」の話です。
後者は、以前に「5:法王」の「秘伝的な称号」で出てきた『新約聖書:マタイ福音書』
2:1-13の「東方の三博士」の話にも通じますし、「ヴァウ」の「Hearing/聴覚」の属性
にもマッチしますので、ワタシとしては、そういう「天からのお告げを聞く能力」に関連
付けて、この「5:法王」の意味を理解する方がいいのかな、と勝手に考えています。
0075名無しさん@占い修業中2021/04/30(金) 06:32:35.59ID:R1aj4krU
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 222) ---
Crowley, whose early training left him with intensely anti-Christian feelings has
produced a Hierophant reminiscent of one of the Titans, the primeval deities of
the Greeks.
クロウリー氏は、彼の初期の教育課程が彼に強烈な「反キリスト教」の感情を残しており、
ギリシア人たちの原始の神々である、「ティタン族」の一人を思い出させる「法王」を
生み出している。
--- ここまで ---

クロウリー氏は、幼少期は裕福で不自由の無い生活を送っていたものの、その後、親元を
離れて、厳格なキリスト教派の寄宿学校で教育を受けており、その時のトラブルが原因と
なって、反キリスト教的な行動を取るようになったと言われています。
つまり、彼は、「法の教師」としての「法王」であり、「キリスト教の象徴」としての
「教皇」像に対して、そういうトラウマがあったというか、かなり強い反抗心を持っていた
ことが推察されます。

彼の『トートの書』には、この「法王」が誰なのかは、明確には示されてはいませんが、
古代ギリシア神話の「全ての雄牛神話の原型であるパーシパエー(Pasiphae)の伝説」
に由来するということが書かれているので、おそらくその辺りの登場人物である、
ミーノース王、クレータの牡牛、そしてミーノータウロスあたりの、複雑な家庭関係が
絡まっているような感じですよね。

そういう意味で、キリスト教大好きのウェイト版などとは、かなり路線が異なり、似て非なる
鬱積した感情に基づいてデザインされていることに、注意が必要です。
つまり、他の版のような現状肯定の信仰心というものでばなく、全知全能なるものに宇宙
を支配されながらも、暗鬱とした過去のしがらみから抜け出して新しい世界へと遷移したい
という、反抗期にあるクソガキのような感情が内から溢れているといった感じです。
そしてそれを象徴するのが、中央の五芒星に描かれた「童心ホルス」となっています。
このため、トート版は、他の版の「法王」の解釈とはかなり異なる、クロウリー氏の内面に
ある独自の厨二病的解釈を必要とするものとなっています。
0076名無しさん@占い修業中2021/05/01(土) 07:06:35.86ID:XbBqQIqa
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 222) ---
His main stress was on what we have called the "grounding" of the Key, for his
Kerubiim at the corners of the card are the tentative expression of the primordial
Elements of Kether which pass down to Chokmah as the Sphere of the Zodiac.
彼の主要な強調は、我々が「鍵」の「接地」と呼び続けているものの上にあり、なぜなら
カードの隅たちにある彼の「ケルビム」は、「黄道十二宮の天球」としての「コクマー」に
受け継がれる「ケテル」の原始的な「元素たち」の仮の表現であるからである。

And while we think of the Zodiac as twelve, it is in reality four triplicities.
そして、我々は、「黄道十二宮」のことを12として考えていると同時に、それは実際には、
四つの三重性たちである。

Each Element is broken down into three signs, Qabalistically related to the Yod,
Heh and Vau.
各々の「要素(元素)」は三つの記号(宮)たちに分類され、カバラ主義的には「ヨッド」、
「ヘー」、そして「ヴァウ」に関連付けられる。
--- ここまで ---

「ケテル」の「Primordial Elements /原始的な元素たち」が、なぜ「コクマー」に継承
され、そしてトート版の「5:法王」に四つの「ケルビム」として描かれているかについて
の説明のようですが、ワタシには理解不能です。

参考までに、トート版では、「5:法王」と対を成す「7:戦車」にも、四つの「ケルビム」が
描かれていますので、「生命の木」のバランスを考えて、「戦車に座る戦士像」と「雄牛
に座る神官像」の対比として眺めると、色々と妄想が捗るのではないかと思います。
ちなみに、ネタとしてですが、お釈迦様の本名の姓である「ゴータマ」が「最上の牛」を
意味する言葉だそうで、仏教関連の伝説には、牛に関する話が多く出てきますので、
仏教的な視点でこのカードを考察するのも、面白いのではないかと思います。
いずれにしても、この辺りの上位カードの働きは、単独で解釈することは無理であって、
お互いの関係性という点に注意して妄想していくことが重要となってきます。
0077名無しさん@占い修業中2021/05/02(日) 06:41:11.29ID:d0Y9KGS8
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 222) ---
THE HIEROPHANT is the administrator of the duality which emerges with Chokmah, is
structured by Binah, and which begins as mainfestation below the Abyss in Chesed.
「法王」は、「コクマー」と共に出現する二重性の管理者であり、「ビナー」により構造化
され、「深淵」の下での「ケセド」における顕在化として始まるものである。

It is thus related to Tiphareth, the central point of manifestation.
従って、それは、顕在化の中心点である、「ティファレト」に関連付けられる。
--- ここまで ---

最初の文の「mainfestation」は、「manifestation/顕在化」の誤記ですかね。

さて、「5:法王」と「ティファレト」の関連性ですが、ここは少々微妙なところです。
「5:法王」が「倫理的三角形」のメンバーであれば、結びつきは強いと言えるのですが、
「7:戦車」と共に、「ティファレト」の両脇をサポートする役回りであるため、あまり
「ティファレト」との親密性を出すと、「生命の木」全体のバランスを崩してしまうこと
になりますので、できれば深入りしたくは無いところです。

なお、「生命の木」全体の頂点であり「至高の三角形」の頂点でもある「ケテル」に対し、
それと鏡像関係にある「倫理的三角形」の頂点は、「ティファレト」になります。
そして、我々にとって、最も重要視されるのは「ティファレト」であり、それらの「主役」
クラスと直接の関わりを持たない「5:法王」や「7:戦車」は、裏方としての役割というか、
主役とは異なる「脇役」としての役回りを担うことになります。

とはいえ、「主役」だけでは、「生命の木」という宇宙創造の物語は、上演できないわけ
で、両脇に存在する「脇役たち」の数々のサポートがあるおかげで、この宇宙という舞台が
生み出されたことを、しっかりと理解しておく必要があると思うのでした。
つまり、遠い親戚関係とか友達の友達関係を持ちだして、「主役」との親密性を主張する
よりは、ワタシ的には、「5:法王」の隠れた魅力を、もっと積極的にアピールしてあげて
ほしいなぁ、とか思ったりするんですよね。
0078名無しさん@占い修業中2021/05/03(月) 06:55:17.60ID:wCiMyO7q
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 222) ---
Tiphareth is suggested in two ways here.
「ティファレト」は、ここでは二つの方法たちで示唆される。

The first is by the Vau itself, the third letter of the Tetragrammaton, and the Son.
一つ目は、「ヴァウ」自体が、「聖四文字」の三番目の文字であり、そして「息子」で
あることによるものである。
--- ここまで ---

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 223) ---
The second is the number attributed to Vau, six, which is also that of Tiphareth.
二つ目は、「ヴァウ」に帰属される数である、6であり、それはまた、「ティファレト」の
それでもある。
--- ここまで ---

ワタシとしては、無理して主役である「ティファレト」に絡めて語らなくでも良いと思う
というか、しっかり裏方としての仕事ぶりを語ってほしいと思うんですけどね。

ちなみに、「5:法王」より上位の「0:愚者」〜「4:皇帝」は、全て主役クラス級となって
おり、それゆえ、「5:法王」は最上級の裏方であり、「7:戦車」と共に、世界を裏側から
支える「準主役」クラスとして、極めて重要かつ不可欠な働きをしています。
そして、その働きは、裏方というか雑用係というか、我々には直接見えにくい世界での
働きであるため、少々わかりにくいというか目立ちにくい面があります。
要は、ゴールデン・ドーンの主役となるマサース氏やミナちゃんを支え、そして、団全体の
人間関係を裏から支えるウェストコット氏のような役回りであるという感じですよね。

そして、その働きを一言で言えば「生命の木のバランス」であり、「5:法王」と「7:戦車」
の強力なバランス作用により、「子宇宙」となる「ティファレト」が正常に顕現化できた
というわけですが、とはいえ、その「バランス作用」が具体的には何なのかは、ワタシは
今のところ、「ウェストコット氏のような役回り」としか言えないのでした。ww
0079名無しさん@占い修業中2021/05/04(火) 06:02:31.41ID:fDUhOTLx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 223) ---
A more obtuse reference to Tiphareth is Crowley's use of the five-pointed star on
the breast of the Hierophant.
より鈍い「ティファレト」との関係は、クロウリー氏の「法王」の胸の上への五芒星の使用
である。

As the primordial Elements evolve downward, they do so under the control of the
fifth Element, Spirit.
原始的な「元素たち」が下方向へと進化するにつれて、それらは五番目の「元素」である、
「霊」の制御のもとで、そうする。

The principle of the Pentagram holds even in Kether, where the Primordial Elements
are held in perfect unexpressed unity by a fifth which, at that exalted level,
is the Ain Soph.
「五芒星」の原則は、その高位な段階においては、「アイン・ソフ(無限)」である、
五番目により、「原始的な元素たち」が完全に無発現の単一性の中で保持される、
「ケテル」においてさえ適用できる。

This perfect Unity is expressed by the Swastica in motion, the central point of
which is commensurate with the uppermost point of the Pentagram.
この完全なる「単一性」は、動いている「まんじ(卍)」により表現され、それの中心点は、
「五芒星」の最上点と相応する。
--- ここまで ---

「5:法王」と「ティファレト」の関係の正当化に続いて、「五芒星」との関係を正当化する
ために、もはや何でもありの状況となっています。
なお、ここでの、五番目の「元素」であり「ティファレト」で象徴される「Spirit/霊」と、
「アイン・ソフ」における「神の霊」とは、全く性質の異なるものですし、そもそも我々は
「アイン・ソフ」を想像することも出来ませんので、ここで「同じようなもの」と引き合いに
出されても、どうにもコメントできないというのが、正直なところなんですよね。
0080名無しさん@占い修業中2021/05/05(水) 05:59:53.79ID:M2kgGeZ8
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 223) ---
What Crowley has done in placing the Pentagram so prominently here is to affirm
the uniting of the Above and the Below, a process in which the symbolic Moon always
plays a key part.
クロウリー氏が、「五芒星」を、ここにそんなに目立つように配置することにおいて、
行い続けたことは、そこにおいて象徴的な「月」が常に鍵の役割を果たす過程である、
「上なるもの」と「下なるもの」の一体化を断言することである。

For the Moon is found both above and below the Sun on the Tree of Life.
というのは、「月」は「生命の木」においては、「太陽」の上と下の両方で見つけられる
からである。

It is Yesod, and it is THE HIGHPRIESTESS.
それは「イェソド」であり、そしてそれは「高等女司祭」である。

Here both are implied, for the Moon is exalted in Taurus.
ここでは、「月」が「金牛宮」において高揚されるので、両方が示唆される。
--- ここまで ---

トート版の「五芒星」と「イェソド」の関係性で明確に示唆されているものは、神官像の
頭の後にある「五弁の白薔薇の出窓」に刺さる九本の釘が、「イェソド」の数である9に
関連するということのみです。

そもそも、「生命の木」において、「惑星」たちは、「セフィロト」や、「小径」そのもの
(「19:太陽」や「18:月」)や、「複字の小径」や、「単字の小径」の「宮」の支配星と
して、あちこちに配属されているので、「月」が「高揚」されているという理由だけで、
ここで「上と下の一体化」の鍵となっている、という説明には、少々無理があります。
それに、「5:法王」には、「月」そのものが描かれているわけではありませんし、「月」は
「2:高等女司祭」だけでなく、「7:戦車」に配属される「巨蟹宮」の支配星でもあるので、
そこまでして「5:法王」を属性テンコ盛りにする必要は無いと思うのでした。
0081名無しさん@占い修業中2021/05/06(木) 06:03:19.80ID:gXUsbA+W
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 223) ---
The fact that Taurus is ruled by Venus refers us to THE EMPRESS, the Path of Daleth
which is the mean between Chokmah and Binah, just as Vau is the product of the
Yod and Heh.
「金牛宮」が「金星」により支配されるという事実は、ちょうど「ヴァウ」が「ヨッド」と
「ヘー」の産物であるように、「コクマー」と「ビナー」の間の中間である、「ダレス」の
「小径」である、「女帝」に、我々を参照させる。

THE EMPRESS is "Mother Nature," the fertilized Universal Conciousness which is at
the root of THE HIEROPHANT's teaching.
「女帝」は「母なる自然」であり、「法王」の教えの根底にある、受精した「普遍的意識」
である。
--- ここまで ---

二番目の文の「Conciousness」は、「Consciousness/意識」の誤記ですかね。

さて、前記の「5:法王」の「月/2:高等女司祭」属性よりも、はるかに重要なものが、
「金星/3:女帝」との関係性です。
「聖四文字」の「Specific Elements/特有的な元素たち」の法則によると、「コクマー
/ヨッド/天上の父」、「ビナー/ヘー/天上の父」、そして「ティファレト/ヴァウ/
息子である神」という関係があり、これは「3:女帝/金星」と「5:法王/金牛宮(地、
金星)」との間に、ただならぬ関係性があること、すなわち、「5:法王」は、「3:女帝」
にとって、異なる相での「ティファレト/息子」であることを暗示しています。

このような、一見すると何やら深そうな関係性は、「0:愚者/空気」および「1:魔術師/
水星」と「6:恋人たち/双児宮(空気、水星)」や、「2:高等女司祭/月」と「7:戦車/
巨蟹宮(水、月)」にも見られるものであり、この辺りの上下関係というか見えない部分
での結びつきの複雑さは、我々にとって重要な妄想ネタとなっていますよね。

ということで、これといった結論はありませんので、単なるネタとして、お楽しみください。
0082名無しさん@占い修業中2021/05/07(金) 05:57:33.85ID:BU4gPLpC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 223) ---
In this regard it should be observed that THE HIEROPHANT is on the "feeling"
(Venus-Netzach) side of the Tree of Life.
この点については、「法王」は「生命の木」の「感覚(感情)」(「金星」−「ネツァク」)
の側にあることが注目されるべきである。

We learn its lessons through intuition, as we learn the lessons of its opposite,
THE CHARIOT, through intellect.
我々が、その反対側である「戦車」の学課たちを、知性を通じて学ぶのと同じように、
我々は、直観(本能)を通じて、その学課たちを学ぶ。

On this Path intuition is applied to concepts collected by reason and built up
by memory.
この「小径」の上で、「直観(本能)は、理性により集められ、記憶により蓄積された、
概念たちに適用される。」
--- ここまで ---

「5:法王」は、「コクマー」と「ケセド」という、上位概念ですので、下位の「ネツァク」
の「Feelings and Instincts/感情たちと本能たち」という低位属性っぽい訳語ではなくて、
もう少しマシな「feeling/感覚」と「intuition/直観」という訳語にしてみました。
「5:法王」が、「感情と本能」に支配されてるって、何か違和感ありまくりですからね。

とはいえ、この次元においては、「reason/理性」とか「intuition/直観」とかいう区別
は、あまり意味を持たないというか、そもそも人間の思考を越えた世界ですので、そういう
人間界における概念を適用しようという行為自体が、ナンセンスということになります。
つまり、そういう低次のややこしいことは、もっと下の「小径」で行うべきことであって、
この上位世界においては、我々は、ただひたすら結論もオチも無い、グダグダの妄想を垂れ
流すだけでいいのではないかと思うのでした。
え、何でそんな何の役にも立たないことをやってるのか、ですって?
そういうことに気づいたら負けですから!!←見えない何かと戦ってる人ww
0083名無しさん@占い修業中2021/05/08(土) 06:22:47.26ID:ECbeUyAM
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 223) ---
Pursuant to the idea of Venus-EMPRESS behind Earth-HIEROPHANT, there is a very
interesting interplay of symbols: [地球記号], the sign meaning Earth becomes ♀,
the sign of Venus, when it is reversed.
「地(地球)」−「法王」の背後にある、「金星」−「女帝」の考え方に従って、以下の
記号たちの非常に興味深い相互作用がある:「地球」を意味する記号である[地球記号]は、
それが逆にされると、「金星」の記号である、♀になる。

Also the sign of Taurus itself, is a uniting of the symbols of Sun ([太陽記号])
and Moon ([月記号]), [月記号] + [太陽記号] = [金牛宮記号].
また、「金牛宮」自身の記号も、「太陽」([太陽記号])と「月」([月記号])の記号
たちの一体化であり、[月記号]+[太陽記号]=[金牛宮記号]である。
--- ここまで ---

特殊文字である占星術記号の入力は困難であるため、いつものように[ ]で代用します。
・[地球記号]:円の上に十字。占星術では、円の中に十字が一般的。
・[太陽記号]:円の中に黒点。
・[金星記号]:円の下に十字、♀
・[金牛宮記号]:円の上に、雄牛の二本の角を付けたもの。

まあ、こういうのは、あくまでもオトナのお遊びみたいなものですので、ここでの細かい
ツッコミは無しでお願いします。

いずれにしろ、この「5:法王(金星の地)」と「3:女帝(金星)」の関係性は、下位の
「ネツァク(金星)」に投影させて解釈できるというか、そういうネタで妄想することが
可能であるということと、そしてもう一つ、「5:法王(金牛宮)」は、「太陽」と「月」の
結合であるというネタで妄想することも可能であるということです。

何か、ネタ切れ感がハンパ無い感じですが、上位世界を語る上では、やむを得ない
事情があることを、お察しください。(カップリングは最終手段ww)
0084名無しさん@占い修業中2021/05/09(日) 06:13:33.10ID:jpbi6kJI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 223) ---
And, as we have seen in the other cards, the uniting of the Sun and the Moon always
refers to the Garden of Eden.
そして、我々が、他のカードたちにおいて見たことがあるように、「太陽」と「月」の
一体化は、常に「エデンの園」を参照する。

Vau is what the Thirty-Two Paths of Wisdom calls the "Paradise Prepared for the
Righteous."
「ヴァウ」は、「知恵の32の小径たち」が「義人のために用意された楽園」と呼ぶものである。

THE HIEROPHANT is the Earthy aspect of the Garden as THE CHARIOT is Watery, THE
LOVERS is Airy and THE EMPEROR Fiery.
「法王」は、「戦車」が「水性」、「恋人たち」が「空気性」、「皇帝」が「火性」で
あるように、「園」の「地性」の様相である。
--- ここまで ---

「太陽と月の一体化」が「エデンの園」を意味するというのは、おそらく、前項の「6:恋人
たち」で語られていたネタだと思うのですが、「エデンの園」が明確に描かれた、ゴール
デン・ドーン版の「17:星」や、ウェイト版の「6:恋人たち」は、「太陽と月の一体化」を
明確に表現していないので、ここで「常に参照する」と言われても、いまいちピンと来ない
ですし、そもそも「陰陽の一体化」というテーマは、「生命の木」においては普遍的すぎる
ネタであり、多くの大アルカナのカードに、こじつけることが出来るものです。

それよりも、「エデンの園」は、「水」「空気」「火」「地」がバランス良く配合された、
理想的な「宇宙のゆりかご」的な「母胎」状態であって、その中で「5:法王」が「地」を
分担しているということの方が、役割的に見て、しっくりと来る説明ですよね。

つまり、「太陽と月の一体化」という、回りくどいことをしなくても、普通に「原初の地」
であることをメイン・テーマにして、後はそれを「上の如く、下も然り」というミソクソ
論法を用いて、妄想ネタに絡めて活用していけばいいのではないかと思うのでした。
0085名無しさん@占い修業中2021/05/10(月) 06:02:19.09ID:OWY0XxpF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 223) ---
What we have explained as the grounding or the earthiness of the Garden is the
"Law" expounded by the Hierophant.
我々が「庭園」の「接地」もしくは「土壌性」として説明し続けているものは、「法王」
により説かれる「法」である。

The Golden Dawn card shows this as a scroll (the same scroll of the Law which is
held by THE HIGH PRIESTESS in the Waite deck).
ゴールデン・ドーン版カードは、これを巻物(ウェイト版デッキの「高等女司祭」により
持たれる「法」と同様の巻物)として示す。
--- ここまで ---

ここでの、「地性」が「法」であるという結論は、ワタシには、いまいちピンと来ないと
いうか、そもそも「知恵の32の小径たち」において、義人のために用意された「Paradise
/楽園」が、「Garden/庭園」になり、最終的に「Law/法」に辿り着くという経緯は、
よくわからないのでした。
なお、ウェイト版「2:高等女司祭」の「TORA/トーラー」の巻物は、『旧約聖書』の最初の
「モーセ五書」を指し、それらは「Teaching/教え」とか「Law/法、律法」と呼ばれて
いますが、ウェイト氏は、それを「秘密の法」とか「神の言葉」という意味で使っており、
その巻物が閉じている限り、それがゴールデン・ドーン版「5:法王」のものと同一レベル
のものであるという証拠は、何一つありません。

ちなみに、ワタシには、ゴールデン・ドーン版「5:法王」の巻物って、ウェストコット氏が
見つけ出してきたと言われる、例の「暗号文書」にしか見えないんですよね。
つまり、ウェストコット氏が、「面白そうな秘密文書を見つけたんだけど、見たい?」とか
言いながら、居候だったマサース氏を煽っているような構図に見えます。
その後、マサース氏は、その怪しげな情報を元にして、儀式体系を構築し、団を顕在化
していくという流れになるわけですが、その発端となるのが、この巻物です。
そういう目線で見ると、このゴールデン・ドーン版「5:法王」って、ちょっとワルそうと
いうか、何か面白がっている感じがするのは、ワタシだけでしょうかね。ww
0086名無しさん@占い修業中2021/05/11(火) 06:03:43.86ID:CVXZ9hhF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 223) ---
The scroll holds the “Word" which one hears through THE HIEROPHANT, and which is
also the Logos.
巻物は、人が「法王」を通じて聞くものであり、そしてまた「ロゴス」でもある、「言葉」
を保持する。

For the Word is creation, and to understand the created Universe is to hear the Word.
「言葉」は創造であり、創造された「宇宙」を理解することは、「言葉」を聞くことである。

This is the essential meaning of the Golden Dawn and Waite cards.
これが、ゴールデン・ドーン版とウェイト版カードたちの本質的な意味である。
--- ここまで ---

この「Word is creation/言葉は創造である」のくだりは、『旧約聖書:創世記』の冒頭
というよりも、『新約聖書:ヨハネ福音書』の冒頭部分を参照していると推定されます。
そういう意味においては、ここでの「Word/言葉」は、「聖書の御言葉(みことば)」で
あり、「イエス・キリストの御言葉」であり、そして「神の御言葉」であり、すなわち
それは「ティファレト」における顕在化に関係しているということになります。

とはいえ、その「言葉」は、我々が聞くことが出来るものなのかと言われると、実のところ、
この「5:法王文書」は、我々には読めないし理解もできない「暗号化された文書」である
ことは間違いないわけであり、ましてや、ウェイト版「2:高等女司祭」の持つ巻物は、
開かれてもいないわけですので、そもそも見ることさえ出来ないシロモノです。

つまり、ゴールデン・ドーン版とウェイト版カードたちの(巻物の)本質的な意味は、
「我々にとっては、何の意味も無く、何の役にも立たないもの」であることには間違い
ないのですが、それはまた、「5:法王」が意味する「顕教の教え」の全面否定にも繋がり
ますので、なかなか言い出しづらいものがあるわけです。(言っちゃったけど)
いずれにしても、ここは我々にとっては、決して理解できない世界の話ですので、あまり
真剣に考えてはならないことだけは、充分に注意しておく必要があるわけです。
0087名無しさん@占い修業中2021/05/12(水) 06:11:03.28ID:+nuLsP/O
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 223) ---
Crowley's card, which is considered one of the most important of the Tarot, contains
many traditional elements, but adds some symbolism which is entirely personal to
Crowley's philosophy.
「タロット」の中で最も重要なものの一つと見なされている、クロウリー氏のカードは、
多くの伝統的な要素たちを含んでいるが、けれども、完全に個人的なものである、いくつかの
象徴的意味を、クロウリー氏の哲学に追加する。

He explains the image of a child within the Pentagram within a larger Hexagram:
"This symbolizes the law of the new Aeon of the Child Horus, which has supplanted
that Aeon of the 'Dying God' which governed the world for two thousand years."
彼は、より大きな「六芒星」内の「五芒星」内の子供の姿を説明する:「これは、2000年に
わたって世界を統治した「死にゆく神」の「アイオン(永劫)」に取って代わった、
「子ホルス」の新しい「アイオン」の法を象徴している。」
--- ここまで ---

トート版は、いつも通りというか、いつにも増して、象徴テンコ盛り状態です。
そして、トート版のやっかいな点である、クロウリー氏の『トートの書』の記述と、
ハリス女史のデザインしたトート版タロットのイメージとの間に、かなりの相違がある
という点も、いつも通りですかね。

ちなみに、クロウリー氏は、この上位世界である「5:法王」に、色々な下位世界の象徴を
統合しており、「蛇と鳩」の「16:塔」、「ヌイト」の「17:星」、そして「20:アイオン」
などが、このカードに関連付けされています。

そして、大きな上向きの「至高の三角形」と、より小さな下向きの「倫理的三角形」が
重なって、宇宙の「六芒星」を形成し、さらに小さい「五芒星」は、「ティファレト」
以下の下位世界を象徴するという、上下統治のイメージではないかと思います。
まあ、要するに何でもアリなのですが、構図的には、「5:法王」と「20:アイオン」が
「上の如く、下も然り」の関係なのは、気にしておいてもいいかな、という感じですかね。
0088名無しさん@占い修業中2021/05/13(木) 06:29:04.02ID:0XYqZQXa
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 224) ---
And elsewhere he adds ". . .for the rhythm of the Hierophant is such that he moves
at intervals of 2,000 years." (*228)
そして、他の場所で、彼は、「…。というのは、『法王』の律動は、彼が2000年の間隔たちで
動くようなものであるからである」と付け加えた。(*228)
--- ここまで ---

ちなみに、(*228)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 276) ---
228. Crowley, Book of Thoth, 79-80.
228. クロウリー著、『トートの書』、79-80ページ。
--- ここまで ---
とあります。

この(*228)の注記は、前文の「2000年にわたって世界を統治した「死にゆく神」」について
の注記であり、一方、他の場所にある「彼(『法王』)が2000年の間隔たち」は、『トート
の書』の81ページにあります。

さて、この「2000年周期説」というのは、「20:アイオン(永劫)」にも出てきていますが、
これはおそらく、地球の歳差運動による春分点のズレにより、ほぼ2000年(実際には2150年
くらい)で、次の時代に移行するという、占星術のネタから来ているように思えます。
要は、現代は、「魚座時代」から「水瓶座時代(アクエリアン・エイジ)」の移行期である
というネタですよね。

まあ、天文学的に言うと、春分点のズレは、「地球」の歳差運動そのものですので、「地」
に関係する「5:法王」に関連すると言えなくはないのですが、そういう「地球」の物理学的
な動きに、上位世界の存在である「5:法王」を絡めるのは、なんか微妙な感じですよね。
そもそも、宇宙の年齢は、138億歳であるとされており、宇宙創造レベルの時間感覚と、
地上レベルの時間感覚とでは、レベルが違いすぎますので、下界の「20:アイオン」レベル
のネタを、上位の「5:法王」にまで持ち込まないでほしいなぁ、と思ったりするのでした。
0089名無しさん@占い修業中2021/05/14(金) 06:48:08.99ID:Dpa/ziom
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 224) ---
The Hierophant sits on a Bull between two elephants, holding a wand with three
interlocking rings.
「法王」は、二頭の象たちの間の「雄牛」の上に座り、三つの連結した輪たちのある杖を
持つ。

These rings symbolize the Aeons of Isis, Osiris and Horus (The Child in the
Pentagram is Horus).
これらの輪たちは、「イシス」、「オシリス」、「ホルス」の「アイオン(永劫)たち」
を象徴する(「五芒星」の中の「子」は、「ホルス」である)。

Beneath is the "Scarlet Woman."
下には、「緋色の女」がいる。

Above is what Crowley called an "oriel," meaning a window (referring to Heh, THE
EMPEROR) built out from a wall on brackets, in this case nine Nails (Vaus).
上には、クロウリー氏が、「出窓」と呼んだものがあり、この場合は、九本の「釘たち
」(「ヴァウ」たち)の、腕木たちの上にある壁に取り付けられた、「窓」(「皇帝」
である「ヘー」を参照のこと)を意味している。

The symbolism means the linking of the Above and the Below: The window is the
passageway for Light (manifest Spirit) between Macroprosopus and Microprosopus.
象徴主義は、「上なるもの」と「下なるもの」の連環を意味する:窓は、「マクロプロソ
プス(大きな顔)」と「ミクロプロソプス(小さな顔)」の間の「光(顕在化した「霊」)」
のための通路である。
--- ここまで ---

ここの記述は、『トートの書』の「5:法王」からのものなのですが、「20:永劫」の記述と
密接に関連しており、「5:法王」と「20:永劫」は、「上の如く、下も然り」の関係にある
ようなのですが、だから何なんだと言われても、ワタシには、よくわかりません。
0090名無しさん@占い修業中2021/05/15(土) 06:33:21.18ID:k11LC3mX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 224) ---
In the Golden Dawn card the figure holds a Crook, one of the symbols of Chesed
suggestive of Jupiterian benevolence.
ゴールデン・ドーン版カードにおいて、人物像は、「木星」の慈悲心を示唆する「ケセド」
の象徴たちの1つである「羊飼いの杖」を保持する。

But Crowley warns that the card is not necessarily benevolent, affirming an idea
in the Book of Tokens that Vau (the Fifth Key) is the severe root of Geburah. (*229)
しかし、クロウリー氏は、『しるしの本』の中で、「ヴァウ」(「5番目の鍵」)が
「ゲブラー」の峻厳の根元であるという考え方を支持し、カードが必ずしも慈悲深いとは
限らないことを警告する。 (*229)
--- ここまで ---

ちなみに、(*229)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 276) ---
229. Case, Book of Tokens, 67.
229. ケース著、『しるしの本』、67ページ。
--- ここまで ---
とあります。

ゴールデン・ドーン版の「5:法王」の持つ「Crook/羊飼いの杖」は、『新約聖書:ヨハネ
福音書』10:1-16 にある、イエスの話を連想させますが、その直後の『新約聖書:ヨハネ
福音書』10:17-18には、イエスの「父」についての話があります。
そして、このイエスの「父」は、「必ずしも慈悲深いとは限らない」ことを示唆しており、
この「5:法王」の人物像が、「イエスの父」であることも連想させます。
つまり、この「5:法王」は、慈悲でもあり峻厳でもある「父」というイメージがあります。

ちなみに、ゴールデン・ドーン版「5:法王」がウェストコット氏であるというのと同様に、
ケース氏原案のB.O.T.A.版タロットの「5:法王」の顔は、ケース氏の顔であると言われて
おり、似たような指導者ネタが「5:法王」に使われていることは、注目すべき点です。
0091名無しさん@占い修業中2021/05/16(日) 06:33:29.42ID:rO45+v8Z
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 224) ---
Crowley takes this one step farther: "Though the face of the Hierophant appears
benignant and smiling, and the child himself seems glad with wanton innocence,
it is hard to deny that the expression of the initiator is something mysterious,
even sinister.
クロウリー氏は、これを、さらに一歩進める:「『法王』の顔は、慈悲深く微笑み、そして
子供自身は、いたずらっぽく無邪気に喜んでいるように見えるけれども、創始者の表情が、
神秘的で悪意さえある何かであることを否定することは難しい。

He seems to be enjoying a secret joke at somebody's expense.
彼は、誰かを犠牲にして、秘密の冗談を楽しんでいるように見える。

There is a distinctly sadistic aspect to this card. . ." (*230)
このカードには、明らかにサディスティック(嗜虐的)な様相がある。…」 (*230)
--- ここまで ---

ちなみに、(*230)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 276) ---
230. Crowley, Book of Thoth, 79.
230. クロウリー著、『トートの書』、79ページ。
--- ここまで ---
とあります。

クロウリー氏が、「5:法王」に対して抱く、宇宙の「initiator/創始者」であり、かつ
「initiator/産みの親」でもある「父」のイメージは、そういう感じでの、父(cv.立木
文彦)と子(cv.緒方恵美)の関係を描いた疑似宗教的映画が、あったように思います。

こういう、何となく父親に反発したくなる感覚は、ワタシにも何となくわかりますし、
ゴールデン・ドーン版では、幼少時に父を亡くしたマサース氏と、父親代わりとなった
ウェストコット氏との関係にも、当てはめることが出来るようにも思えます。
0092名無しさん@占い修業中2021/05/17(月) 06:29:32.29ID:M7hzBH/f
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 224) ---
Crowley insists that this is quite natural as the Key relates to the original Bull
legend, that of Pasiphae.
クロウリー氏は、「鍵(大アルカナ)」は、原型の「雄牛」の伝説である、「パーシパエー」
のそれ(伝説)に関連するので、これは全く当然であることを、主張する。

In that Greek myth Pasiphae falls in love with a sacred white bull, the union of
which produces the Minotaur.
そのギリシア神話においては、「パーシパエー」は、神聖なる白い雄牛との恋に落ち、
その結合は「ミノタウロス(牛頭人身の怪物)」を産み出す。

This is, however, a very questionable interpretation.
しかしながら、これは、非常に問題のある解釈である。

On the other hand, it is agreed by most authorities that there are some very
unpleasant aspects to this key, having to do with its position intermediate
between the Above and the Below.
一方で、「上なるもの」と「下なるもの」の間のその中間の位置に関係を持っている、
この「鍵」には、いくつかの非常に不愉快な様相たちがあることは、大多数の権威者
により、同意される。
--- ここまで ---

クロウリー氏の、「5:法王」と「パーシパエーの伝説」との「雄牛」繋がりの関連性は、
ほぼ何の根拠も無い単なる思いつきでしかないものの、「5:法王」の持つ、ある種の
「いかがわしさ」というのは、「深淵」を隔てた「あっちの世界(マクロプロソプス)」
と「こっちの世界(ミクロプロソプス)」を繋ぐものには、潜在的にあるものです。
そして、その「いかがわしさ」というか、一種の畏敬というか恐怖のようなものが最大限に
集約されているのが、この「5:法王」であるということです。
さらに言えば、それは、我々がこれから乗り越えていかなければならない、「慈悲」深く、
そして「峻厳」であった「父親」像そのものではないかと思ったりするのでした。
0093名無しさん@占い修業中2021/05/18(火) 06:06:18.47ID:NL+eHb20
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 224) ---
This issue and its implications are very cleverly related to Gnosticism by Richard
Cavendish in his work, The Tarot:
この問題とその影響たちは、リチャード・キャヴェンディッシュ氏により、彼の著作である
「タロット」において、以下のように、非常に巧みに「グノーシス主義」と関連付けられる:
--- ここまで ---

前述の、「5:法王」に潜在する「very unpleasant aspects/非常に意地の悪い様相たち」
については、基本的には「受け手側」、すなわち全知全能なる存在に対する隷属的な存在
である人間側の感情的なものであって、「5:法王」側には何の責任も無いのですが、それ
でも反抗期というか厨二病というか、ネガティブ思考でクレーマー気質の人々にとっては、
そういうもの全てがクレームの対象となりうるわけであり、そういう人々にとってみれば、
この妙に父親ヅラした「5:法王」には、特に意味なく反発したくなる要素があるわけです。

そして、「グノーシス主義」は、人類にとっては、そういう「黒歴史ノート」の一部で
あって、それはまた、人類が「絶対的な宇宙の創造者」について抱く、鬱積した感情の
発露でもあるわけで、そしてまた、我々が「父親を見返してやりたい」とか「父親を越え
たい」という野望の原動力でもあるわけです。
とはいえ、そういう「親の心、子知らず」的なものが、人類の進化を支えてきたという
ことでもあるわけですし、要するに、そういった数々の「人類の黒歴史」こそが、「真・
人類の歴史」であるということなのです。←異論は認めるww

いずれにしても、「タロット」そのものが「黒歴史ノート」であることには間違いない
わけですし、そもそも「5:法王」レベルの上位カードは、どんな視点から解釈しようと、
ほぼ自由ですので、後は各自で好きに解釈してもらえればいいと思うのでした。

というか、上位存在の「5:法王」に、下位の「父親像」のイメージを重ねること自体が、
理論上は間違ってるわけですが、それでも、そういう間違った解釈をしたくなるのが、
この「5:法王」という、何か無性にイラつかせる存在なんですよね。ww
0094名無しさん@占い修業中2021/05/19(水) 06:29:37.48ID:GKECIYnV
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 224) ---
Taken in descending order, the trumps from the Juggler to the Pope recall the
gnostic accounts of the creation of the Universe.
上から下へと順番に解釈される、「手品師」から「教皇」への切り札たち(大アルカナ)
は、「宇宙」の創造についてのグノーシス主義の説明たちを思い出させる。

It was believed that in the beginning the One became Two by thinking, so that
there was a Mind and a Thought.
最初に、「一なるもの」は、考えることにより、「精神」と「思考」であるように、
「二なるもの」となった、と信じられた。

The Juggler can be equated with the divine Mind, the Female Pope with the Thought
in its original purity, and the Empress as the Thought after it has become
impregnated by the Mind to become the mother of all the lower powers.
「手品師」は、神聖なる「精神」と、「女教皇」は、その原初の純潔さにおいて「思考」
と、そして「女帝」は、全てのより低い力たちの母になるために、「精神」により妊娠
させられるようになり続けている後の「思考」として、同一視されることができる。

Among those lower powers was the Demurge or Cosmocrater, the maker of the visible
world. . .
それらのより低い力たちの中に、目に見える世界の創造者である、「デミウルゴス」
すなわち「宇宙の創造主」があった

Gnostics frequently identified the Demiurge with the God of the Old Testament.
グノーシス主義者たちは、しばしば「デミウルゴス」を『旧約聖書』の「神」と同一視した。
--- ここまで ---

最後の文の「Demurge」は、「Demiurge/デミウルゴス」の誤記ですかね。
それと、最後の文の「Cosmocrater/宇宙の噴火口」は、文脈上、「Cosmo-creator/宇宙
の創造主」の誤記であると解釈しています。
0095名無しさん@占い修業中2021/05/20(木) 06:02:38.20ID:ttNb21Gc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 224) ---
He was regarded as an evil power, the maker and ruler of matter and flesh in which
the divine spark of spirit is held prisoner. . .
彼は、その中に霊の神聖なる閃光が捕らえられている、物質と肉体の創造者と支配者である、
邪悪な力として見なされた。…

The Pope also has some sinister undertones.
「教皇」はまた、いくつかの不吉な潜在的な性質を持つ。

Gnostics maintained that the evil Demiurge invented conventional religion and
morality to keep men enslaved to him by inducing them to worship him and obey his
laws. (*231)
グノーシス主義者たちは、邪悪な「デミウルゴス」が、人間たちが、彼を崇拝し、彼の
法たちに従うように仕向けることにより、人間たちを彼の奴隷にさせ続けるために、
因習的な宗教と道徳を発明したと主張した。 (*231)
--- ここまで ---

ちなみに、(*231)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 276) ---
231. Cavendish, The Tarot, 85.
231. キャヴェンディッシュ著、『タロット』、85ページ。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、こういうのは、言うまでもなく厨二病的というか、成長期や反抗期によく見られる
「父親像」に対する鬱積したネガティブな感情なのではないかと思います。
ついでに言うと、ここの構図は、前にも述べた、「5:法王=慈悲なる父(cv.立木文彦)」と、
「ティファレト=救世主たる子(cv.緒方恵美)」、そして対抗というか補完勢力でもある
「7:戦車=峻厳なる母たち(cv.三石琴乃、その他)」という関係にオーバーラップさせて
妄想してみるのも、面白いのではないかと思ったりするのでした。(よう知らんけど)
0096名無しさん@占い修業中2021/05/21(金) 06:23:16.86ID:U9Gp0mCa
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 225) ---
The Demiurge, the Lesser Creator who rules over manifestation, was the great deceiver.
顕在化を統治する「小さな創造主」である「デミウルゴス」は、偉大なる詐欺師であった。

Thus the initiate of the Valentinian Gnostic mysteries was taught to ignore the
authority of this creator, (*232) whom Mead described as "hanging from Spirit
at the very boundary of the phenomenal universe." (*233)
従って、「バレンティヌス派グノーシス主義」の神秘的教義の秘儀参入者は、ミード氏が
「驚異的な宇宙のまさしくその境界にある『霊』からぶら下がっている」 (*233) と述べた、
この創造主の権威を無視することを教えられた。 (*232)
--- ここまで ---

ちなみに、(*232)、(*233)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 276) ---
232. Elaine Pagels, The Gnostic Gospels, New York, 1979.
232. エレーヌ・ペイゲルス著、『グノーシス主義の福音書たち』、ニューヨーク、1979年。

233. G.R.S. Mead, Fragments of a Faith Forgotten, New York 1960, 307.
233. G.R.S. ミード著、『忘れられた信仰の断片たち』、ニューヨーク、1960年、307ページ。

Mead was one of the modern pioneers in the study of Gnosticism and while his work
has been largely superceded by scholars such as Pagels, his insights remain instructive.
ミード氏は、「グノーシス主義」の研究における現代の先駆者たちのうちの一人であり、
彼の研究は、ペイゲルス氏などの学者たちにより大部分は取って代わられ続けているが、
彼の洞察は、あいかわらず有益なままである。
--- ここまで ---
とあります。

「5:法王」については、俗世間では色々と言われていますが、実際のところ、誰もその本性
を知ることは出来ない領域にありますので、全ては人間の妄想でしかないのですけどね。
0097名無しさん@占い修業中2021/05/22(土) 07:03:45.64ID:QcGajk6D
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 225) ---
It appears, in any event, that Cavandish is quite correct in his assertion that
the negative qualities ascribed by tradition to this card have their roots in
Gnosticism.
いずれにしても、キャヴェンディッシュ氏は、このカードに対して伝統的に帰せられる
陰性的な品質たちは、「グノーシス主義」の中にそれらの根源を持つという、彼の主張に
おいて、全く正しいものであるように思われる。
--- ここまで ---

この文の「Cavandish」は、「Cavendish/キャヴェンディッシュ」の誤記ですかね。

この「5:法王」は、「great deceiver/偉大なる詐欺師」呼ばわりされたり、「ignore/
無視」されたり、「negative/ネガティブ」扱いされたり、「センパイ、キモいっスねー」
とか、「一生童貞のユニークスキルを持つ大賢者」とか、色々とイジリ倒されていますが、
「5:法王」は「The Supernal Father/天上の父」である「コクマー」に根ざしているので、
いくら言葉責めのイジリがあったとしても、それを暖かく受け入れる度量があるというか、
そもそもツンデレ要素は気にしない崇高な存在(笑)であるというのも確かです。
それに、「教皇」は「神のしもべのしもべ」ですので、下僕的扱いや迫害的な扱いについ
ても、慣れているという感じもありますよね。

例えて言うと、正統派王道純愛系が「4:皇帝」×「6:恋人たち」であるとするならば、
深夜帯の異端派変態ラブコメ系が、「7:戦車」×「5:法王」となるような感じですかね。
そして、陰キャのドM(「Pillar of Mercy/慈悲の柱」の最上部)の先輩である「5:法王」
(cv.山下大輝)が、陽キャのドS(「Pillar of Severity/峻厳の柱」の最上部)の後輩
たちである「7:戦車」(cv.上坂すみれ、他)によりイジリ倒されるという、ハチャメチャな
展開が、容易に想像できるのでした。

まあ、「グノーシス主義」というのは、深夜帯における、子供心の抜けきらないキモヲタ達
の遊び心に似ていますので、そういうSデレのイジられ役となる「5:法王」って、実は隠れた
愛されキャラであるということでもあるわけですよ。
0098名無しさん@占い修業中2021/05/23(日) 06:58:18.27ID:dBMd0q5Z
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 225) ---
The implications of Gnostic thought are, in regard to Tarot, both complex and
exciting.
「グノーシス主義」の思想の含蓄たちは、「タロット」に関して、複雑でもあり刺激的
でもある。

One who has studied the Qabalah at some length may be surprised to find the same
concepts expressed in the language of early Christianity.
「カバラ主義」を、ある程度詳しく研究し続けている人は、初期の「キリスト教」の言語
で表現される同じ概念たちを発見することに驚かされるかもしれない。
--- ここまで ---

「グノーシス主義」の流行期は、時代的には、キリスト教の成立期と同じ、つまり「early
Christianity/初期キリスト教」にオーバーラップします。
それゆえ、その影響を相互に受け合っていると考えるのが妥当ですし、そういう影響が
あったからこそ、キリスト教の「正統」と「異端」の論争があったということであり、
結果的に、というか政治的に、勝者が「正統=公式版設定」となり、敗者は「異端=深夜
版設定」とされ、一部のヲタクの間で熱狂的に流行するという経緯になるわけです。

つまり、全く同じモチーフであっても、「表」と「裏」の両面での解釈が存在するという
ことであり、それらは、タロットの解釈の上では、単なる正位置と逆位置というものでは
ない、我々が決して気づかず、そして想像も付かないものがあることも示しています。

要は、そういう上位概念を妄想できる最上のネタが、この辺りの「7:戦車」「6:恋人たち」
「5:法王」「4:皇帝」の、黄道十二宮の最上位の「四大元素」カード、および、霊的要素の
「2:高等女司祭」であり、それらのカップリングにより、「生命の木」における顕在化に
おいて、人類にとって無限のネタを提供してくれるということになっているわけですよね。

ということで、皆さんも、タロットの「絵面」に惑わされることなく、純粋な妄想の世界で、
カバラ主義的タロットの解釈を、自由に楽しんで頂けたらと思います。
0099名無しさん@占い修業中2021/05/24(月) 06:26:57.09ID:1Z7e79Fw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 225) ---
As one authority expressed the question: "Is Gnosticism Christian Qabalism?
ある一人の権威者は、以下のようにその疑問について述べていた:「『グノーシス主義』は、
『キリスト教カバラ主義』であるのか?

Except for the name of Jesus we are in a completely Jewish world.
『イエス』の名前を除けば、我々は完全にユダヤ教世界の中にいる。

These are the mysteries of the Zohar and of the Hasidim." (*234)
これらは、『ゾーハル(光輝の書)』と『ハシディズム』の神秘的教義である。」 (*234)
--- ここまで ---

ちなみに、(*234)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 276) ---
234. Forward to work cited above, by Kenneth Rexroth, xviii.
234. ケネス・レックスロス氏による、上記に引用された著作のための前書き、18ページ。
--- ここまで ---
とあります。

この文の「Forward」は、「Foreword/前書き」の誤記ですかね。

ここの、「グノーシス主義」や「キリスト教カバラ」や「ユダヤ教カバラ」の違いとか、
出自についてですが、ワタシのような、ネタ中心で魔術カバラを学ぶ者にとっては、その
出典が『旧約聖書』なのか『新約聖書』なのか『セフェル・イェツィラー(形成の書)』
なのか『ゾーハル(光輝の書)』なのかは、すこぶるどうでもいいというか、こういう
上位世界のカードにおいては、もはや、そんなに拘るところでもないわけです。

まあ、今さら感はありますが、この「5:法王」は、キリスト教の「教皇」の姿をしている
ように見えるけれども、実はそうではなくて、より普遍的かつ汎宇宙的な「慈悲の柱」を
擬人化していることを言いたいのかなぁ、とか思っているのでした。(よう知らんけど)
0100名無しさん@占い修業中2021/05/25(火) 06:01:18.82ID:/3JpNFKf
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 225) ---
15. THE PATH OF HEH
15. 「ヘー」の小径

The Emperor
皇帝

The Fourth Key
4番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「ヘーの小径」です。

この「4:皇帝(白羊宮/火)」は、今まで解説していた黄道十二宮&四大元素シリーズの、
「7:戦車(巨蟹宮/水)」、「6:恋人たち(双児宮/空気)」、「5:法王(金牛宮/地)」
のトリとなるカードであり、それらの総括者として、一見すると偉そうに見えるのですが、
その上位にあり上司でもある「3:女帝(金星)」と「2:高等女司祭(月)」には、頭が上が
らない中間管理職というかマスオさん的な立場という、結構微妙なポジションにあります。

もし、「女帝」と「恋人たち」が入れ替わって、「4:皇帝」と「6:女帝」となっていれば、
「生命の木」における男女バランスは、ある程度は改善されると思うのですが、現状の
「生命の木」の上位世界や、「中央の柱」は、女性キャラが、中枢部分を管理しています
ので、おそらくそういうことなんだろうな、という感じですよね。(なぜかお茶を濁すww)

この辺りの考え方は、見た目の「男女平等」ということよりも、「男女の役割分担」という
面が重要視されているんだろうな、とは思うのですが、さらに言うと、ヲタク向け作品には
女性キャラの主人公が多いということと同じような根がある(要するに、需要側と供給側の
趣味の問題)のではないかとも、思っていたりするのでした。
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