>>492
またよくわからないことを言っているな。
「一般的な本筮法」って何?加藤大岳の妄想のこと?それが「一般的」だという
理由は何?その妄想を検証もせず妄信した馬鹿な人がみんなそれをやっていると
「一般的」だと言っている?あなたが「一般的」だと言及する理由を書きなさい。

易経を編纂した聖人が繋辞伝などの伝書を残しているのだから、それが「一般的」
なのは当然だよな。繋辞上伝で恐れ多くも聖人が仰っている内容を考えれば、
まず第二章において三極だという言及があった上で、繋辞上伝第九章第四節において
「奇をろくに帰してもって閏に象る。五歳にして再閏なり。故に再ろくして後に掛く。」
との内容が対応するのだから、当然にこの内容は三極の表現でなくてはならず、閏と
なった策の少数を陽、多数を陰として爻卦を作るのは当然だろう。これが「一般的」な
本筮法なのは当然だ。聖人の直々の言及がなぜ一般的ではないのですか?

加藤大岳や、他の明治以降のよくわからない者の誤読を何も考えずに吹聴し、それを
「一般的」だと何の臆面もなく言って、恥ずかしくありませんか?