>>119「相手が間違っているから自分は正しい」のような命題の議論はしていないでしょ。

言葉の定義の為の「主観」という議論は過去易経にはないから「間違っている」。これは真。
「言葉の再定義を易経の文脈で許しているか」は「していない」ゆえにこれも真。
このほかに易経に基づくさまざまな事実関係の集合が含まれる。以上の事実関係に基づいた
これらの集合を「客観的事実」という。
以上から投稿に対して「相手が間違っている認識でいる」から「間違っている」と書いた。それは真であろう。

易経を学ぶ際に翻訳という作業はあるものの言葉の再定義まで議論する必要はない。
翻訳作業は主観による言語の再定義ではない。
主観の問題といって勝手な理解を許して言葉を再定義することは身勝手な独自解釈に過ぎない。