「使いこなし」という、完全に管理可能な道具とトランスサタニアンをみなすのはおかしい、大洋の岸辺にやってくる数メートルー10メートル級の波のように明らかに巨大で管理しきれない危険な存在だ
(だから乗りこなせた時つまりリスク管理しきれたときのサーファーの喜びもひとしおだ)と言っているだけなのにな。
ちょっと思うのだがそういう一か八かの勝負、冒険が生理的に受けつけられない人には、トラサタを個人天体と同様に管理したい、という気持ちが強くなるのかな?