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【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part7©2ch.net
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0151名無しさん@占い修業中垢版2019/01/01(火) 07:00:41.70ID:lPqNG8fo
新年早々の保守カキコでございます。
今のところ、2月から復帰の予定ですので、
いましばらく、お待ちください。m(. .)m
0152名無しさん@占い修業中垢版2019/03/03(日) 07:50:01.88ID:Zn/m8oZF
多忙ゆえ、まだ復帰できそうにありません。 (. .)
3月末までには、復帰したいです。(願望)
0153名無しさん@占い修業中垢版2019/03/19(火) 06:19:19.92ID:dICEJ7+p
やっと仕事が一段落しました。 (^^)/
が、脳ミソが翻訳モードに戻るまで、若干のリハビリ期間が必要なようです。
というわけで、いましばらくお待ちください。 (^o^;;
0155名無しさん@占い修業中垢版2019/03/20(水) 19:43:14.62ID:PjX2v5Ku
>>154
カキコありがとうございます。 (^^)/

とりあえず、自分で書いた文章を、つらつらと読み返してみましたが、
見事に厨房まる出しの、恥ずかしい内容ですよね〜。 (^^;;
まあ、乳房丸出しでないと、こんなリアル魔術系の解説文なんて
書けないないということでもあるわけですが、実のところ、
そういうイカレた、いやいやトランス状態に、自分自身を遷移させて
いかないと、それらしい文章が出て来ないということでもあるわけですよ。

そういうトランスという点では、これは占いにも通じることなのですが、
そういう遷移状態に自分を追い込むということを理解できる人というのも、
近頃は、かなり少なくなってきているのではないかと思うのでした。

ということで、明日から本格的に復帰していきたいと思います。 (^^)
0156名無しさん@占い修業中垢版2019/03/21(木) 06:31:54.02ID:Sqe8pu+t
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 174) ---
This Path confers the ability to bring right-side-up the Devil's Pentagram and
to lift his torch upward.
この「小径」は、「悪魔の五芒星」を正しい方向に向け、そして彼のたいまつを上に持ち
上げる能力を授与する。
--- ここまで ---

この「15:悪魔」は、その恐ろしい見た目、つまり我々を地獄に堕とすような邪悪な存在
とは違って、どちらかというと、我を天に導いてくれるような存在であるということです。

まあ、実のところ、そういう存在であることは、概念としては理解できるとしても、
実際に、こういう外見をした「悪魔」に出会えば、ほとんどの人間は、それが「我々を
天に導く者」とは認識できませんよね。
だからこそ、「天界の秘密」は、我々のような「見る目の無い下層の人間」には明かされ
ないということであり、間違って「秘密の扉」を開けることもないということです。
要は、この「15:悪魔」こそが、「禁忌」すなわち「天界のセキュリティ」となっていて、
君子危うきに近寄らず、ということで、秘密が守られているわけなんですよね。

まあ、たまに「君子」ではないイカれた人間が、秘密の扉を開けてしまうこともあったの
かもしれませんが、その他の誰もが、道徳的な問題で、その重要性には気づかないという
ことで、秘密は守られるということなのでしょう。
要は、「悪魔」とは上下具有の存在、すなわち「上の如く、下も然り」そして「下の如く、
上も然り」という能力を持つ存在なのですが、その鍵(キーワード)の謎を解き、その能力を
得た人間というのは、この下界においては、どう見てもアレなわけです。
かくして、「悪魔の秘密」は守られるわけであり、そして我々人類は永遠に、そこにはたどり
着けないということになるわけなのでした。

でもまあ、量子論的に(つまり瞬間的に)ではありますが、我々にも「悪魔」の能力が
出現することもあるかもしれませんので、そういう時に備えて、「悪魔」についての
認識を深めておくことも必要ではないかとも思うのでした。
0157名無しさん@占い修業中垢版2019/03/22(金) 06:42:19.26ID:yP0wb6jO
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 174) ---
In practical terms, this means the ability to reverse the currents of Astral Light.
実用的な用語においては、これは、「星幽光」の流れたちを逆転する能力を意味している。

Intellect and disciplined meditation are the means by which this may be accomplished,
and by which the Philosophers Stone and Elixir of Life may be produced.
知性と訓練された瞑想は、これが達成されて、そして「賢者の石」と「不老不死の薬」が
製造できるかもしれない手段である。
--- ここまで ---

「15:悪魔」の持つ秘められた能力は「リバース」であり、そして「15:悪魔」の「物質化」
の能力を併せて悪用、いやいや人類の平和のために活用すると、神々の持つ能力、つまり
「大自然の偶然の賜物」に頼らずとも、色々と不思議なものを産み出すことが出来ます。
そして、時空間を逆転して前回とは異なる時空間へ遷移するとか、物質をエネルギーに
一旦戻して前回とは異なる物質へ遷移するとか、そして「今までのことを無かったことに
出来る」とかいう、とてもありがたい能力もあったりするわけです。

なお、現代においては、「知性と訓練された瞑想」というのは、「科学の進歩」そのもの
であって、我々は先人の知恵と能力の賜物である「現代科学技術」に、どっぷりと浸かった
優雅な生活を送っているというわけですよね。

ということで、我々のような現代における一般人の生活は、実はこの「15:悪魔」の能力に
頼っているという面は否めないわけですし、そういう意味では、先達の偉大な科学者達は、
悪い意味ではなく、「悪魔に魂を売った人々」と言い換えることも出来るわけです。

でもまあ、ほとんどの人間は、この「15:悪魔」に買われるような価値のある魂などは
持ち合わせておりませんので、この点においては心配する必要というか、気にする必要は
全くありませんが、「15:悪魔」ではない、いわゆる「下界の悪魔」に買いたたかれる
心配は常にありますので、そこは注意しておく必要はあるかと思います。
0158名無しさん@占い修業中垢版2019/03/23(土) 06:28:56.13ID:SHnRHCM/
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 174) ---
The process begins with the intellect of Hod, and leads into the intuition of Tiphareth.
過程は、「ホド」の知性で始まり、「ティファレト」の直観へと導く。

This is the meaning of the text of the Thirty-Two Paths of Wisdom, which describes
Ayin as the Renewing Intelligence.
これが、「アイン」を「更新する知性」と評する「知恵の32の小径たち」の聖句の意味である。

We understand that it is only through the forces of the Devil, and our right
understanding of them, that we may come directly to the Light of God the Son.
我々は、「悪魔」の力たちと、それらの我々の正しい理解を通じてのみ、我々は
「神の息子の光」に直接到達できるかもしれないことを、理解する。
--- ここまで ---

「15:悪魔」の「小径」は、「ホド」から「ティファレト」へと直接導くものなのですが、
ここでなぜ、「ネツァク」の属性である「intuition/直観」が「ティファレト」の説明と
なっているのかは、いまいち疑問だったりします。
まあ、いずれにしても、「知性」や「直観」は、「高次の自我」である「ティファレト」
へと至るためには必要不可欠なスキルではありますので、それをどこかで補う必要はあると
いうことですよね。

つまり、「15:悪魔」すなわち「知性」単独では、改めて言うまでもなく、「ティファレト」
には到達できないということなのですが、この「15:悪魔」の「小径」では、そんなに簡単
ではありませんが、「知性」が優位の状態、つまり「15:悪魔」の導きにより、上位世界の
「ティファレト」に直接到達できる可能性が微粒子レベルで存在するということです。

そういう意味では、なかなかに誘惑的というか魅惑的なカードではあるわけで、厨二病に
かかったヲタク心をくすぐるブラック系アイテムとしては、かなり上位に来るものでは
ないかと思うのでした。
0159名無しさん@占い修業中垢版2019/03/24(日) 06:22:53.44ID:ocpVB0pw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 174) ---
The scriptures state that even Christ, Himself, passed through the temptation of
the Devil.
聖書の聖句たちは、「キリスト」でさえも、「彼」自身で、「悪魔」の誘惑を通過した
ことを述べている。

In this the way is pointed out for us more clearly than fundamentalist Christians
could ever begin to suspect.
このように、この通り道は、原理主義者のキリスト教徒たちが、これまでずっと感づき
始めることができたことよりも、より明確に我々に示されている。
--- ここまで ---

つまり、人であるイエスは、救世主たるキリストとなるために、「15:悪魔」の「小径」を
通過しなければならなかった、つまり、上位へのステップアップのための「単なる試練/
選択科目」というよりも、「必修科目」という位置付けであると言いたいわけです。

「生命の木」において、最速で「ティファレト」に到達するには、「21:宇宙」と「14:節制」
の「小径」を選択すれば良いわけですし、「9:イェソド→6:ティファレト」の「14:節制」
の方が、「8:ホド→6:ティファレト」の「15:悪魔」よりも簡単なように見えます。
つまり、「小径」の順番が「15:悪魔」と「14:節制」が入れ替わっている方が、体系的に
素直な感じに見えます。

つまり、この「15:悪魔」が「14:節制」の前にあるということは、「14:節制」に至る前に
「15:悪魔」の試練を通過しておくこと、つまり「必修科目扱い」であることを表します。
わかりやすく言うと、真の上級者になるためには、誰もが一度は通る厨二病の黒歴史を
経験し、その甘い誘惑の試練を最終的には乗り越えて、さらなる上位者となる茨の道を
目指さなければならないということでもあるわけです。

そういう意味では、「15:悪魔」と「14:節制」という対比は、我々の魂の成長にとっては、
なかなかに含蓄のあるコンビネーションではないかと思うのでした。
0160名無しさん@占い修業中垢版2019/03/25(月) 06:14:17.29ID:xGXuo2eH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 174) ---
Eliphas Levi called this Path "The first physical manifestation of the Divine Breath."
エリファス・レヴィは、この「小径」を「神の息吹の最初の物質的な現れ」と呼んだ。
--- ここまで ---

この文は、レヴィ氏の著作である『Histoire de la Magic/魔術の歴史』 (仏語,1860年)の、
邦訳版(鈴木啓司訳、人文書院)であれば、「第一之書 魔術の起源、第七章 聖なるカバラ」
の128ページにあります。
ちなみに、この文は、この時点では「15:悪魔」の「小径」の説明ではなくて「Astral Light
/星幽光」について記述したものとなっていますので、取り扱いには注意が必要です。

とはいえ、「15:悪魔」の「小径」が、「The first physical manifestation of the Divine
Breath/神の息吹の最初の物質的な現れ」であることは、おそらく間違いありません。
ただし、この「The first physical manifestation/最初の物質的な現れ」が指している
ものは、我々が目にするような、いわゆる「目に見える物質」が出現するような現象では
ないという点にも注意が必要です。
要するに、魔術師が何も無いところからコインを出したり鳩を出したりするようなものは、
「15:悪魔」の力ではないということですよね。

比喩的に言うと、これは「ケテル」のような一瞬のビックバンではなくて、継続的に地球に
降り注ぐ「ティファレト」の太陽からの恩寵のようなものであって、その重力エネルギーに
より、地球のような惑星を産み出す母星となり、そしてその降り注ぐ太陽エネルギーにより、
生命の息吹が産み出されるといった感じですかね。
ちなみに、我々の知る「太陽」は、完全に物質的な存在ですので、ほとんど「星幽光」は
出ておりませんので、あくまでも比喩であることを、あしからずご了承願います。

じゃあ、この「星幽光」って具体的に何なの?、という話になるのですが、残念ながら、
「暗黒物質」や「暗黒エネルギー」と同様に、我々の世界に充ち満ちているにもかかわらず、
その存在は具体的には掴めていない、幽霊のようなシロモノとしか言いようがありません。
0161名無しさん@占い修業中垢版2019/03/27(水) 06:35:03.44ID:szjpVDjh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 174) ---
And here we recall that "Saturn eats its children," meaning that while the creation
of the illusion of form is essential to manifestation on the earthly plane (and
is what manifestation actually means) the "dissolution of these forms is essential
to the Path of Return."
そして、ここで我々は、形の幻覚の創造が、地上面における顕在化にとって必要不可欠なもの
(そして顕在化が実際に意味しているもの)である一方で、「これらの形たちの解体が、
『帰りの小径』には必要不可欠である」ことを意味する、「サターンはその子供たちを
食べる」ことを思い出す。
--- ここまで ---

この「Saturn/サターン」は、悪魔を意味する「サタン」ではなく、土星の「サターン」
の語源となっている、ローマ神話の農耕神である「Saturnus/サートゥルヌス」であり、
これはギリシア神話の農耕神「Cronus/クロノス」の系統の神となります。
そして、農耕神の特徴として、誕生と成長、そして死して消滅に至る一連の生命サイクル
を司る者としての特徴を持っています。

「生命の木」の対称性を考えると、「15:悪魔」が「形の創造」で、「13:死」が「形の解体」
であるようにも見えますが、「13:死」は、ほぼ地上面を離れて「形の無い世界」での話と
なっていますので、地上面における(本当は幻覚である)「形」の創造と解体は、主として
「15:悪魔」が司る領域となっています。
そして、「13:死」は、より上位概念における「生と死と再生」を司ります。

つまり、物質界を生きる我々にとっては、この「15:悪魔」こそが「万能なる創造主」と
いう位置付けであって、その見た目に恐ろしい姿も、一般人である我々にとっては、
「恐怖と畏敬の対象」であるということなんですよね。
まあ、人間にとって都合の良い「見目麗しい頼れる神々」なんてものは、詐欺、いやいや
ファンタジーの創作活動で飯を食っている人間たちの「脳内産物」でしかありませんので、
真の「神」が「悪魔」の姿をしていることは、必然的なことではないかと思うのでした。
0162名無しさん@占い修業中垢版2019/03/28(木) 06:33:35.84ID:L9iG4mYk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
For the Alchemists, dissolution means analysis, which is precisely what we apply
when we intellectually separate the component energies of ourselves and our universe
into twenty-two Paths on the Tree of Life.
錬金術師たちにとって、「解体(溶解)」は「分析」を意味しており、それはまさに、
我々が、我々自身を構成している精力たちと、我々の宇宙を、「生命の木」の22の「小径」に
知的に分割する時に、我々が適用するものである。
--- ここまで ---

錬金術師の作業については、専門外ですので、よく分かっていませんが、現代においては、
鉱石などから純度の高い金属や物質を抽出する際には、一旦、溶解、つまり、水などの
溶媒に溶かしたり、熱などを加えて液状にする工程を必要とすることが多くあります。
さらに、場合によっては、さらに熱を加えて気体化することもあります。

いずれにしても、元の固体である「形」を無くして、それぞれの構成成分を抽出する
ための準備段階として、「溶解/気化」は、欠くことのできない作業です。
そして、「溶解/気化」したものを、改めて「分析」して、その成分を「分離」していく
ことで、より純度の高い「原料」としてリサイクルし、そして次の世代を産み出すための
「原材料」として活用していくという流れになります。

我々は、これを利用して、「我々自身を構成している精力たち」すなわち「精神世界」と、
「我々の宇宙」すなわち「物質世界」を、クロマトグラフとしての「生命の木」を知的に
活用することで、これらを分析して精製していくことが可能となっています。

と、言葉では何とでも書けるのですが、実際に、我々の自我を解体し、「ドロドロとした
溶解物」と化すことは容易ではありませんし、さらにその状態から、「生命の木」に流し
込んで自己分析するいう作業も、なかなかに困難の伴うものです。
それゆえ、自己を溶解するための「溶媒」、すなわち「薬物」に頼る人も出てきそうですが、
できれば、合法的な「アルコール」までに留めておきたいところですよね。(笑)
0163名無しさん@占い修業中垢版2019/03/30(土) 06:22:23.88ID:CeyunpbQ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
First we must conceptually (as well as practically) separate out these component
parts, then we must reintegrate them through our understanding of their operation.
最初に我々は、これらの構成部分たちを(実際的と同様に)概念的に分離し、それから我々は、
それらの操作についての我々の理解を通じて、それらを「再統合」しなければならない。

To extend an analogy made earlier: it is only by focusing on each part of our body
system, considering each organ separately that we come to an understanding of how
the organs work together to maintain our physical being.
以前に行った類推を拡張するために:それは、我々の肉体の体系の各々の部分に焦点を合わせ、
各々の器官を個別に考慮することによってのみ、我々の物質的な存在を維持するために、
どのように器官たちが共同して働いているのかを、我々は理解するに至る。
--- ここまで ---

ここは、初心者にとっては、難しい精神世界の分析作業の話の前に、まずは物質的な世界の
分析作業の類推から、話をしていこうということですよね。

我々は、物理世界においては、複雑な組織や機構を理解しようとするには、全体を漠然と
見るのではなく、まずは、理解可能なレベルの「part/部分」まで分解していき、それらの
個別の働きをしっかりと理解しておいた上で、より上位の組み合わされた機構の働きを理解
していく、つまり「ボトムアップ」的に理解していくという、極めて王道的かつ常識的な
手法が、精神世界においても有効であるということです。

まあ、精神世界の業界においては、「考えるな、感じるんだ」的な包括的手法が用いられる
ことも多いのですが、それだと、個々の世界観という「脳内世界」に留まってしまうことが
多々ありますので、個人的用途にはともかく、汎用的な用途には使いづらいという問題が
あります。

そのため、ここでは、精神世界の分析手法として、より学術的で汎用的なツールである
「生命の木」と「ボトムアップ的手法」の組み合わせを、提案しているわけですよね。
0164名無しさん@占い修業中垢版2019/04/04(木) 06:50:57.89ID:xrqsAulQ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
The reintegration, in this sense, is our overall view of the interaction of the
organs.
再統合は、この意味においては、器官たちの相互作用の我々の全体的な見方である。

Having come to this overall view, we can then begin to actively apply the new
knowledge.
この全体的な見方に到達し終わることで、我々はその後、新しい知識を活動的に適用し
始めることができる。

This is a positive phase of using what we know.
これは、我々が知っていることを使うことの、実際的な面である。

It is the step which follows the dissolution and re-integration.
それは、解体と再統合に続いている段階である。
--- ここまで ---

このあたりの話は、通常の「ボトムアップ的手法」に準じて考えればいいと思います。

「森」を詳しく見るなら、まず森を構成要素に分解して個々に分析し、それらの要素毎に
それぞれの結びつきの関係を調べて、最後に全体的かつ組織的な動きを見ていく。
そうすれば、我々はもっと「森」のことを知ることが出来るし、それをもっと有効活用
していいくことも出来るということですよね。

とはいえ、これも実際には、人間にとっては「言うは易く、行うは難し」の典型例である
わけで、いくら地球環境全体の研究が進んでも、人類は温暖化による環境破壊から逃れ
られないという現実でもあるわけです。

まあ、そのあたりが、「15:悪魔」のカードに秘められた怖さというか、人類に対する
警鐘ということなんでしょうね。
0165名無しさん@占い修業中垢版2019/04/06(土) 06:54:06.71ID:X8aE62Sl
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
But as we function within an earthly incarnation, everything must be related back
to our mundane condition.
しかし、我々は地上の肉体化の範囲内で機能しているので、全てのものは我々の現世の
状態に戻って関連させなければならない。

Each lesson must be grounded.
各々の学課は、接地されなければならない。

This is the psychological meaning of a process which has been described in symbolic
terms over the centuries.
これは、何世紀にもわたって象徴的な用語においてずっと述べられてきた過程の心理学的な
意味である。
--- ここまで ---

上位概念における理解は、そのままでは我々にとっては何の役にも立ちません。
なぜなら、我々は、上位世界の存在ではなく、物質界という下位世界の存在であり、
最終的には「上の如く、下も然り」の原理に従い、上位世界の概念を、下位世界の概念、
すなわち人間のアタマで理解可能なものに相変換させることが必要とされます。

とはいえ、とりとめのない意味不明な、いやいや膨大かつ崇高なる上位概念を、下位言語
に正確に翻訳することは、ほぼ不可能であり、地上への変換の際には、ほとんどのものを
捨て去る、つまり「水に流す」とか「大地へと帰す」という覚悟が必要とされます。
そして、残ったものが、地上における「沈殿物(物質ではない)」となり、我々に直接
恩恵もしくは害を与えるものとなるわけです。

ただし、うまく沈殿できなかったもの、もしくは接地できなかったものは「浮遊物(物質
ではない)」という形で脳内妄想領域に残ってしまうことも避けられないわけですが、
これは認知症におけるアミロイドのように、後々やっかいな存在となってくるわけです。
0166名無しさん@占い修業中垢版2019/04/08(月) 05:49:23.17ID:xrBGbTjK
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
Our psychology has given us words for relationships of energies which the ancients
could only symbolize.
我々の心理学は、我々に、古代人たちが象徴することしかできなかった精力たちの関係たち
のための言葉を与えた。

Words such as "sub-conscious" and "unconscious" have become such an integral part
of our vocabulary that they are taken for granted.
「潜在意識」や「無意識」などの言葉たちは、我々の語彙のとても不可欠な部分であるので、
それらは当たり前のものと思われるようになっている。

We are thus, more prepared than any other age to deal with the concepts of the
Mysteries, including what has been variously termed the Akashic Fluid, the Odic
Force or the Astral Light.
我々はこのように、「アカシック流体」、「オドの力」もしくは「星幽光」と様々に
呼ばれてきているものを含む、「神秘的教義」の概念たちを扱うことが、他のどのような
時代よりも、より多く準備されている。
--- ここまで ---

古代では「象徴的」でしかない言葉や絵でしか表現することが出来なかった、すなわち、
分かる人にしか分からない「神秘的教義」の内容が、現代においては、心理学の学術的用語、
すなわち共通用語を用いて表現することが、ある程度までは可能となってきています。
まあ、それと同時に、「神秘的」のベールが剥がされ、単なる「脳内妄想」とか「薬物作用」
に帰するものも多く出てきているわけですけどね。

まあ、それはともかく、「神秘的教義」を解き明かすツールとしては、現状では「心理学」
が最も適しているのは確かだと思うのですが、そもそも「心理学」は、現代科学の中では、
どちらかというと「神秘的教義」に近い存在、すなわち「まだよく分かっていない境界領域」
のものですので、「心理学」を勉強することで「神秘的教義」が全て理解できるというもの
でもないわけですよ。
0167名無しさん@占い修業中垢版2019/04/10(水) 06:51:44.87ID:Z7NGcsQP
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
This force is manipulated, for whatever end one may choose, through an understanding
of THE DEVIL.
この力は、人が選択するかもしれないどのような目的のためであれ、「悪魔」の理解を
通じて操作される。

Here Levi (who used the term "Great Magical Agent") describes the process of
manipulation as, to dissolve, to consolidate, to quicken, to moderate. (*138)
ここで、(「偉大なる魔術の代行者」という用語を使った)レヴィは、操作の過程を、
「溶解すること、固めること、速めること、緩和すること」と述べる。(*138)
--- ここまで ---

ちなみに、(*138)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
138. Levi uses the term "Great Magical Agent" interchangeably with the term "Astral
Light." Transcendental Magic, London, 1958, passim.
138. レヴィは、「星幽光」という用語と置き換え可能な「偉大なる魔術の代行者」という
用語を使う。『超越的魔術(邦訳名:高等魔術の教理と祭儀)』、ロンドン、1958年、諸所。
--- ここまで ---
とあります。

なお、「Great Magical Agent/偉大なる魔術の代行者」は、邦訳版(生田耕作訳『高等
魔術の教理と祭儀 祭儀篇』)では、「第四章 聖四文字」の92ページの冒頭にあり、
ここでは「魔術の大作因」と訳されています。
要は、「魔術」の作用の大元を司る「元締」もしくは「ラスボス」という感じですよね。

つまり、魔術や錬金術の分野において、「四大元素」を司るものは、「15:悪魔」である
ということであり、それゆえ魔術や錬金術の分野においては、「15:悪魔」、すなわち
「ティファレト」から「ホド」に至る「小径」を、真に理解し使いこなすことが必要不可欠
であるという結論へと至るわけですよ。
0168名無しさん@占い修業中垢版2019/04/11(木) 06:26:32.82ID:rtVlkC3Y
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
This is dissolution, re-integration, activity and grounding.
これは、解体、再統合、活動、および接地である。

The same qualities can be described as Fire, Water, Air and Earth.
同様の品質たちは、「火」、「水」、「空気」、および「地」と述べられることができる。
--- ここまで ---

魔術の操作は、「1:魔術師」のカードに描かれているように、我々の知る「四大元素」に
基づく操作が基本となります。
ここでの、「1:魔術師」と「15:悪魔」の違いは、抽象化レベルの違いということであり、
当然のことながら、「1:魔術師」の方が高い(つまり理解不能な)レベルにあります。

つまり、「15:悪魔」の「四大元素」の抽象化レベルは、我々にとってギリギリ理解可能
というか、実用可能というか、現世利益に繋がる可能性のある低レベルということであり、
それゆえ、我々は、これにチャレンジする意味があるということですよね。

まあ、裏を返せば、肉体を持つ我々が「1:魔術師」の超高レベルにチャレンジすることは、
まだロクに言葉も話せない幼児が大学受験にチャレンジするのと同じくらい「無意味」な
ことでもあるわけです。

ということで、我々のレベルで「魔術師」になろうとするド変態ども、いやいや崇高なる
精神で人類の繁栄に貢献しようとする者たちの師となる存在は、この「15:悪魔」である
ことは、ほぼ間違いありません。

ちなみに、ほとんどの人間は、「1:魔術師」が師であると思っているかもしれませんが、
地上において、「魔術師」を自称する者は、100%完全に間違い無く「詐欺師」です。
そういうことは、少し考えればわかることだと思うのですが、真に「魔術師」を志す者は、
「1:魔術師」ではなく「15:悪魔」を師と仰がなければならないということですよね。
0169名無しさん@占い修業中垢版2019/04/12(金) 06:23:37.59ID:8rHykvpu
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
The requisite interaction of the Four "Elements" is also suggested in the Golden
Dawn and Waite cards: The inverted Torch is Fire, the Eagle's claws are Water,
the wings are Air, and the grotesque body of the Devil is earth.
四大「元素」の必須の相互作用は、また、「ゴールデン・ドーン」および「ウェイト」の
カードたちの中に示唆される。:上下逆にされた「たいまつ」は「火」、「ワシ」の鈎爪は
「水」、翼たちは「空気」であり、「悪魔」の怪奇な身体は「地」である。
--- ここまで ---

魔術を司る「15:悪魔」のカードには、「1:魔術師」に描かれているのとは少し異なる形、
つまり魔術ヲタク向けに、いやいや一般の人々にはこれが「魔術」であるとは容易には
気づかれないような形で、魔術の「四大元素」が象徴的に描かれています。

要するに、ゴールデン・ドーンでは、この「15:悪魔」のカードの悪用や誤用を防ぐと
いうか、外部の人間には知られたくないというか、あくまでも・・・まあ「あくま」でも
ヲタク趣味の身内の範囲内で、この「15:悪魔」のカードで色々とイケナい妄想を膨らませ
つつ、遊んでいたいということなんですよね。

つまりは、世俗世界と上位世界を繋ぐ色々なネタを満載にしているゆえに、この奇怪な
デザインに繋がっているというわけです。

そういう意味では、とても興味深いデザインのカードであることは間違いないわけですが、
当然のことながら、我々も、どちらかというと、そういうイケナい方向に思考がシフトして
しまいがちで、本質的なものを見逃してしまう恐れが大いにあります。
つまり、彼らが仕組んだ「15:悪魔」のトラップに、未熟な我々が陥る可能性が大いにある
わけですので、その点だけは、くれぐれも注意してくださいね。
0170名無しさん@占い修業中垢版2019/04/13(土) 07:15:15.98ID:MWpOXuS8
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
One interesting, though even less obvious symbolism is in the Devil's being
represented with the ears of an ass, a mythological reference pointing toward
a sexual interpretation of the card.
1つ興味深いことは、さらに明確な象徴主義ではないが、ロバの耳と共に象徴化されている
「悪魔」の存在の中に、カードの性的な解釈についての神話の参照がある。

Priapus was the Roman God of the phallus, to whom the ass was traditionally
sacrificed. (*139)
「プリアーポス」は、男根の「ローマ神」であり、彼にはロバが伝統的に捧げられた。(*139)

(Readers will note that it is virtually impossible to make this statement without
seeming to intend a bad pun).
(読者は、悪い駄洒落を意図しているように見ることなく、これを述べることは、事実上
不可能であることに気づくだろう)。
--- ここまで ---

ちなみに、(*138)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
139. Oxford Classical Dictionary, 876.
139. 『オックスフォード古典辞典』、876ページ。
--- ここまで ---
とあります。

ゴールデン・ドーン系の「15:悪魔」像のデザインは、基本部分はレヴィ氏の「メンデスの
バフォメット」すなわち、雄山羊の身体をベースにして、犬と牡牛とロバを合成した頭部を
持つ神像となっています。
ちなみに、「bad pun/悪い駄洒落」というのは、もはや改めて言うまでもないことですが、
「男根」に捧げられる「ass/ロバ、もしくは尻の穴」という、アッー!な関係のことを述べて
いるわけですよね。
0172名無しさん@占い修業中垢版2019/04/14(日) 06:51:26.24ID:E5jUMiAy
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
The symbolism of the Golden Dawn and Waite cards is essentially the same, with
one exception.
ゴールデン・ドーン版とウェイト版のカードたちの象徴主義は、1つの例外を除いて、
本質的に同じである。
--- ここまで ---

前に述べたように、ゴールデン・ドーン系の「15:悪魔」は、レヴィ氏の『高等魔術の教理と
祭儀』のネタを基本にしており、その悪魔像のデザインも、「メンデスのバフォメット」を
ベースとしてアレンジしたものになっています。
ネタの流れ的には、レヴィ氏の元ネタ→ゴールデン・ドーン版の大胆な改変→ウェイト版の
振り戻し→トート版の独善的解釈追加、となるわけですが、それぞれの思惑もあって微妙に
アレンジが異なっているのも、面白いところです。

とはいえ、彼らに共通しているのは、従来のタロット占いの「15:悪魔」の持つ意味とは、
全く異なっている、というか、そういう従来の意味を「表面的なもの」として併せ持ち
ながらも、この「悪魔」の実体が、大いなる「存在」であることを示唆していることです。

何でそうなっているのかというと、基本的には、レヴィ氏やゴールデン・ドーンのような
「魔術ヲタク」たちにとって、魔術活動というものは、「キリスト教社会」という世俗に
まみれた社会体制に対する反逆的な思想活動(つまり悪魔こそが真の善である)であり、
それは現代科学にも通じるような、どちらかというと革新的かつ進歩的な活動であったと
いうことですよね。
とはいえ、魔術というものには、「オトナ社会」に反抗する「厨二病」的な面もあることは
否定できませんが、「反抗期」や「厨二病」の発症は、人間および人類の成長に繋がる
ことでもありますので、ここは生暖かく見守る必要があるということです。

まあ、何が言いたいかというと、そういう「黒歴史」というものこそが、我々を真に進歩
させる原動力となるわけであって、そしてそういう闇墜ちした中でこそ、この「15:悪魔」
の真の理解が進んでいくということなのですよ。 ←かなりイタい主張 (^^;
0173名無しさん@占い修業中垢版2019/04/15(月) 06:24:18.98ID:nfHKLmae
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
In the Golden Dawn card the Devil holds a single horn in his right hand.
ゴールデン・ドーン版カードにおいては、「悪魔」は、彼の右手に単一の角笛を持つ。

This is intended to be the horn of a Ram, the beast or Aries, the Path of THE
EMPEROR ruled by Mars.
これは、獣、もしくは「火星」により支配される「皇帝」の「小径」である「白羊宮」
でもある、「雄羊」の角笛であることを意図している。

In this, Mathers pointed to the most profound meaning of the card, for this is also
the Jewish Shofah, the ram's horn which sounds the call to prayer at Yom Kippur.
これにより、マサース氏は、カードの最も深遠な意味を指摘した。というのは、これはまた、
ユダヤ人の「ショファー」、「贖罪の日」に礼拝の呼びかけに鳴らす雄羊の角笛でもある
からである。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の特徴は、悪魔像の右手が持つ「雄羊の角笛(Ram's horn)」です。
これは、『旧約聖書:レビ記』23:24で述べられているように、「ローシュ・ハッシャー
ナー(ユダヤ暦7月1日の新年祭)」の日に吹くラッパであり、「ヨム・キプル(ユダヤ暦
7月10日の贖罪日)」まで、聖なる集会の招集の時に「ショファー/雄羊の角笛」が吹かれ
るそうです。
時期的には、初秋の頃ですので、収穫祭のような位置付けですかね。
要は、「雄羊の角笛」は、「聖なる呼びかけ」のためのツールということであり、我々を
俗世のしがらみから、生きたまま、あの世へと一時的に導く存在ということですよね。

なお、ゴールデン・ドーン版には、このようにユダヤ教に関するネタが、割と多く取り入れ
られていますので、絵柄を直観的に読んで理解することは、なかなかに困難というか、
ほぼ不可能ではないかと思います。
そういう意味でも、この本のように、きちんと象徴体系を解説してくれる文献というのは、
なかなかに貴重な存在であり、「教科書」にふさわしいものだと思うのでした。
0174名無しさん@占い修業中垢版2019/04/15(月) 10:40:09.90ID:fcmgePwe
ここの投稿もいい加減やめればいいのに。

独善的なデタラメな解釈と内容でしかない。
0175名無しさん@占い修業中垢版2019/04/16(火) 05:59:32.27ID:epmtWQyA
>>174
あ、いつものオナニーの人ですね。 (^_^)/

まあ、あなたたちの教科書の「独善的なデタラメな解釈と内容」から見れば、
ここのカキコが「独善的なデタラメな解釈と内容」にしか見えないのは
当然のことですので、特に異論はございませんが。

そういえば、この本の翻訳は、いつになったら出版できるんでしょうねぇ。
やっぱり、忖度されちゃったんでしょうかねぇ。
0176名無しさん@占い修業中垢版2019/04/16(火) 06:01:52.67ID:epmtWQyA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
Thus does the Devil hold up the very means of release from bondage.
従って、「悪魔」は、束縛状態からの解放の、まさしくその方法を掲げているのである。

In him is both that which enslaves and that which confers freedom.
彼の中には、奴隷にするものと、自由を授与するものとの両方がある。
--- ここまで ---

ほとんどの人は、「15:悪魔」は「束縛する者」という認識だと思いますし、実際のところ、
ほとんどの人にとっては、その程度の認識でも充分なわけです。
そういう意味では、一般人にとっての「15:悪魔」の存在は、「豚に真珠」とか「猫に小判」
のようなもので、何の価値も見いだせない、もしくは忌み嫌われる存在であるわけです。

でも、このカードの真の意味を知るならば、この「15:悪魔」は、我々の世界を支配する
「神」そのものということであり、それを通じて、我々からは見えない裏側の世界を知る
ことで、我々は「(肉体の一部である)目に見える世界」から、「目には見えない世界」
へと解脱することが可能になるというわけです。
要するに、我々は、見たり聞いたり触ったりという「肉体的な器官」の古典的な感覚や
直観に囚われることなく、「非肉体的」な思考により、より上位の世界へと進むことが
出来るようになることを、ここで示しているわけです。

とはいえ、自分が「悪魔による奴隷状態」にあることは、ほとんどの人は自覚が無いか、
自覚はあっても誤解しやすい概念ですので、そういう意味では、非常に理解しづらいカード
でもあるわけです。
一番やっかいなのは、まさしく「悪魔による奴隷状態」にある人間が、他人を「オマエは
悪魔に取り憑かれている」といって、宗教的な詐欺行為を働くことことなのですが、
そういうのは、ここでいう「神」である「15:悪魔」とは無縁のものですので、「悪魔」と
いう用語を混用してほしくはないのですが、まあ、なかなか難しいでしょうね。

とりあえず、「15:悪魔」は、色々と誤解されやすいので注意しましょう、ということです。
0177名無しさん@占い修業中垢版2019/04/16(火) 21:16:17.28ID:cKrw1nl5
>>175
あなたが独善的な狂ったことを書いているといっている。カードの解釈にカバラは必要ない
し、狂った狂信的な宗教やカルトのように解釈することは間違ってる。
タロットカードは遊びの道具として作られたものであって、トランプと呼ぶカードに
新たに二十数枚が追加されたもの。
例えその遊び方が「占い」というものであっても、カードは誰でもその答えを出す。
全く特別な遊び方ではない。その遊びを狂信的なカルトや魔術のように説明すること自体
が大きな過ちだ。
0178名無しさん@占い修業中垢版2019/04/16(火) 21:53:04.24ID:cKrw1nl5
ずいぶんとカン違いしている人のようだし偉そうなのでカルトコミュニティーに何か
"友愛"された人なのかもしれないが、老婆心で説明すれば、悪魔というカードは「中二病」
の必須アイテムではないし、
それにThe Magicianを魔術師として翻訳したり解釈するのは間違ってる。根本的に
間違ってる。The Magicianとは日本語では「手品師」のことであり「大道芸人」
または「芸人」のことだ。マルセイユ版やウエイト版でもそのような絵だ。
タロットカードの世界ではゴールデントーンとかクロウリーは独自解釈系の異端者だし
カバラですらユダヤ教の世界では独自解釈系でまともな教えではない。
カードのデザインはキリスト教文化圏の世界で製作されたものなのでユダヤ教などが入り
込む余地はない。根本的に間違ってる。
0179名無しさん@占い修業中垢版2019/04/17(水) 06:57:00.84ID:ySPxI8Yc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 175) ---
Moreover, we are led to understand that what is symbolized by the Path of THE EMPEROR
is the pure energy (recalling Aries to be the first Sign of the Zodiac, and initiator
of Spring) which causes the fall of THE TOWER, and the testing of JUDGMENT.
さらに、我々は、「皇帝」の「小径」により象徴されるものが、「塔」の墜落と、「審判」
の試験を引き起こす(「黄道十二宮」の最初の「宮」であり、「春」の発動者である「白羊宮」
を想起する)純粋な精力であることを理解することに導かれる。
--- ここまで ---

「雄羊」の角笛が、「白羊宮」を連想させ、その繋がりで
・「4:皇帝」:「白羊宮」=「火星」
・「16:塔」:「火星」
・「20:審判」:「火」
へと飛び火しているわけですが、「15:悪魔」自体は「磨羯宮(やぎ座)」すなわち「地」
ですので、「15:悪魔」は「火」の仲介者的な存在ということになっています。

すなわち、天からの「火」を、右手の「雄羊」の角笛で受けて、左手のたいまつにより、
地へと流し出すという構図ですよね。
そして、「15:悪魔」の体を通じて流れ出すものは、「白羊宮」、「火星」、そして「火」
に象徴される「the pure energy/純粋な精力」であるということです。

ちなみに、「15:悪魔」のデザインは、「悪魔」像が、囚われの身であり、まだ角を生やした
ままの獣性を持つ原始の人類に、文明進化の象徴である「火」を授けるような構図となって
いるのも、また面白いところです。
そして、この「火」が、単なる「火」ではないことに気づくことが出来れば、我々はさらなる
進化を遂げることが可能であるということなんですよね。

というように、色々と妄想が膨らむカードではありますが、残念ながら、その進化、いや
真価に気づく人は、ほとんどいないというのが、現状だと思うのでした。
0180名無しさん@占い修業中垢版2019/04/17(水) 06:57:49.21ID:ySPxI8Yc
>>177
あら、オナニーの人ではなくて、無知蒙昧な人でしたか。
勘違いしてしまい、大変失礼しました。

> あなたが独善的な狂ったことを書いているといっている。

そう言われても、ワタシは単に、本を翻訳して解説している、つまり受け売りしている
だけですので、そういう苦情は、著者のロバート・ウォン氏に言って頂けますでしょうか。

あと、再度聞きますが、あなたの使っているタロットカードの銘柄は、何でしょうか?
0181名無しさん@占い修業中垢版2019/04/17(水) 07:02:46.86ID:ySPxI8Yc
>>178

> ずいぶんとカン違いしている人のようだし偉そうなのでカルトコミュニティーに
> 何か"友愛"された人なのかもしれないが、

「カルトコミュニティー」って、ずいぶんとアレな言い方をされておりますが・・・
残念ながら、ワタシ自身は無宗教派ですし、そういう占い系や魔術系のコミュニティに
参加したこともございません。
しいていえば、昔、占いの店をやっていたということがあるので、おそらく一部の人には、
ワタシの正体がバレているかとは思いますが・・・

> それにThe Magicianを魔術師として翻訳したり解釈するのは間違ってる。根本的に
> 間違ってる。The Magicianとは日本語では「手品師」のことであり「大道芸人」
> または「芸人」のことだ。マルセイユ版やウエイト版でもそのような絵だ。

マルセイユ版はともかく、ウェイト版は「魔術師」の翻訳や解釈で間違いないですよ。
ウェイト版タロットの作者であるウェイト氏の解説本『The Pictorial Key to the Tarot』
を読んだことのある人であれば、当然知っているはずのことです。
つまり、根本的に間違っているのは、あなたの方ですよ。

> タロットカードの世界ではゴールデントーンとかクロウリーは独自解釈系の異端者だし

世界で一番売れているウェイト版は、ゴールデン・ドーン系なんですけどね。
いくらなんでも、無知すぎるんとちゃいますか。

> カードのデザインはキリスト教文化圏の世界で製作されたものなのでユダヤ教などが
> 入り込む余地はない。根本的に間違ってる。

キリスト教には、『旧約聖書』の教え、すなわち「ユダヤ教」の教えも含まれるという
のは、ここであえて言うまでもないことだと思うんですけどね。

無知すぎるのにも程があると思うんですよね・・・。
0182名無しさん@占い修業中垢版2019/04/17(水) 22:43:17.43ID:fWtHowxK
>>181
ロバート氏の解釈自体は知らないが、そのデタラメで間違っている解釈を貴方が翻訳する
ことは一般に誤解を招く事だからやめた方がよいと書いている。
繰り返すがタロットカードの訳もThe Magicianを「魔術師」として訳すのは問題がある。
これは明らかに奇術師、手品師、広い意味では大道芸人と訳すべきものだ。図柄を見れば明らかだ。

キリスト教の教えの中にユダヤ教の経典が含まれるのは当然だが、こちらが書いている
のは「カバラ」と呼ぶものは正統なユダヤ教の教えではないということだが。
そのような「カバラ」に依存した解釈は誤解を招くからやめるべきだ。

ゲームから派生したタロットを魔術やカルト精神世界で説明することは間違いだし
悪影響しかないのでやめるべきだと書いてる。
タロットを説明する上でクロウリーが登場する必然性はないし、魔術が登場する理由はない。
このカードはトランプと呼ぶカードも一部含むので純粋な遊びの道具として理解するべきものだ。
カードゲームのタロットと魔術は全く異なる世界なので混同するのはよくない。

そもそも世界の宗教宗派は魔術的なものは禁止することを説いている。悪質な行為である
からだが、そのような行為は占いとは直接に関係しないし、魔術的なものはやめるべきものだ。
「カバラ」を持ち出した所で「魔術的なもの」は罪であり宗派的に禁止事項である事に変わりはない。
店を経営していた人が無責任なことを教えるのはどうかと思う。
0183名無しさん@占い修業中垢版2019/04/17(水) 23:05:09.94ID:fWtHowxK
あなたはその道の世界の人だから警告するが、世界の宗教が魔術を禁止するのは、
見えない嫌がらせのようなものが社会的秩序を乱すことと、それによって争いが発生する為だ。

具体例として示すと、中国では法輪功という気功集団が激しく弾圧されたが、そのように
政府が過激な取り締まりを行う背景には、この集団が健康法の普及という世界から次第に政治に
深く関与したことと、気功というある種のオカルトを政治的に利用(悪用)したからこそ、
ここまで中国政府と対立し過剰な弾圧に繋がっているといえる。
これは宗教的な呪いや祈祷、または超能力といって奇妙な行為を執り行う日本国内の悪質な
新興宗教テロ団体についても同様にいえることだ。

あなたがオカルトや魔術を推進する立場なら同様の危険がついてまわるだろう。
地獄に落ちるという表現そのままの際限のない争いを招く事になるからやめるべきものだ。
必ずその罪は生じる。
カードゲームの解釈でオカルトや魔術に偏った誤解を招くような解説はするべきではない。
0184名無しさん@占い修業中垢版2019/04/18(木) 06:42:25.68ID:etN78TOm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
All bear a relationship to Binah, which is a fiery red in Atziluth.
全ては、「アツィルト界」における火のような赤である、「ビナー」に関係を持つ。
--- ここまで ---

ここは、いまいち良くわかってないのですが、まず、「ビナー」の「アツィルト界」での
色は「Crimson/深紅」であり、ここで言う「fiery red/火のような赤」、すなわち、
非常に活動的でエネルギーに満ちた様相を表しています。
その活動的なエネルギーが、「生命の木」を下り、「15:悪魔」の「小径」へと流入し、
そして「たいまつの火」に象徴される形で、下界に「春」をもたらす原動力となって
降り注いでいるということですかね。

ちなみに、「15:悪魔」に配属される「磨羯宮(やぎ座)」の起点には「冬至」があり、
この時点から太陽が復活してくるという、とても大事な日でもあります。
つまり、この「磨羯宮」から、物事がプラスに転向するということであり、それを祝って
クリスマスや新年を迎えるということでもあります。
まあ、「15:悪魔」は、見た目とは違って、色々とおめでたいカードであるわけで、その
ポジティブな原動力となっているのが、ここで言う「深紅」の「ビナー」がもたらす、
純粋な「火」のエネルギーという意味なのかもしれません。
0185名無しさん@占い修業中垢版2019/04/18(木) 06:45:55.53ID:etN78TOm
>>182
完全に逝っちまった人なんですかねぇ。
まあ、この世界は、こんな人ばっかりですので、通常運転ですが・・・。

> ロバート氏の解釈自体は知らないが、そのデタラメで間違っている解釈を貴方が翻訳する
> ことは一般に誤解を招く事だからやめた方がよいと書いている。

知らないのに間違っていると断定するって、どうなんですかね。

> 繰り返すがタロットカードの訳もThe Magicianを「魔術師」として訳すのは問題がある。
> これは明らかに奇術師、手品師、広い意味では大道芸人と訳すべきものだ。図柄を見れば明らかだ。

だから、どの銘柄のタロットですか?、と質問しているのですが・・・。

> こちらが書いているのは「カバラ」と呼ぶものは正統なユダヤ教の教えではないということだが。
> そのような「カバラ」に依存した解釈は誤解を招くからやめるべきだ。

いやいや、ここで論じている「ゴールデン・ドーンのタロット」は、「カバラ」に全面依存して
制作されたカードですので、「カバラ」に依存した解釈になるのは当然のことでしょ。

以下、あなたの文章の一部の改変です。
------------------------------------------------------------
ゲームから派生したタロットを占術やカルト精神世界で説明することは間違いだし
悪影響しかないのでやめるべきだと書いてる。
タロットを説明する上で、占術が登場する理由はない。
このカードはトランプと呼ぶカードも一部含むので純粋な遊びの道具として理解するべきものだ。
カードゲームのタロットと占術は全く異なる世界なので混同するのはよくない。
そもそも世界の宗教宗派は占術的なものは禁止することを説いている。悪質な行為である
からだが、占術的なものはやめるべきものだ。
「占術的なもの」は罪であり宗派的に禁止事項である事に変わりはない。
------------------------------------------------------------
つまり、占術は良いが、魔術は悪い、という理由にはなっていないのですよ。
0186名無しさん@占い修業中垢版2019/04/18(木) 06:49:45.80ID:etN78TOm
>>183
> あなたはその道の世界の人だから警告するが、世界の宗教が魔術を禁止するのは、
> 見えない嫌がらせのようなものが社会的秩序を乱すことと、それによって争いが発生する為だ。

魔術が原因となった争いは、「クロウリー氏の乱」ぐらいしか知りませんが、
宗教により見えない嫌がらせのようなものが社会的秩序を乱したことが原因となった
戦争なら、腐るほど知ってますよ。

> 具体例として示すと、中国では法輪功という気功集団が激しく弾圧されたが、そのように
> 政府が過激な取り締まりを行う背景には、この集団が健康法の普及という世界から次第に政治に
> 深く関与したことと、気功というある種のオカルトを政治的に利用(悪用)したからこそ、
> ここまで中国政府と対立し過剰な弾圧に繋がっているといえる。

中国政府による「反政府勢力との決めつけによる、不当な弾圧と人権蹂躙」を正当化しますか。
まあ、そっち系の人には、よくあることですけどね。

> これは宗教的な呪いや祈祷、または超能力といって奇妙な行為を執り行う日本国内の悪質な
> 新興宗教テロ団体についても同様にいえることだ。

ワタシは、新興宗教テロ団体ではありませんし、ごく普通の会社員なんですけどね。

> あなたがオカルトや魔術を推進する立場なら同様の危険がついてまわるだろう。
> 地獄に落ちるという表現そのままの際限のない争いを招く事になるからやめるべきものだ。
> 必ずその罪は生じる。

新興宗教テロ団体って、「地獄に落ちる」とか「必ずその罪は生じる」というような、
脅迫めいた表現を、よくしますよね。

> カードゲームの解釈でオカルトや魔術に偏った誤解を招くような解説はするべきではない。

では、あなたは、どういう解釈をするべきだと、お考えなのでしょうか。
まさかとは思いますが、カードゲームとしてのみ使っているのでしょうか。
0187名無しさん@占い修業中垢版2019/04/19(金) 06:08:35.09ID:GdockifJ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
Crowley's card is far more complex than the others and is, again, explicitly sexual.
クロウリー氏のカードは、他のものたちより、さらにずっと複雑で、そしてさらに、明らかに
性的である。

He describes the Key as representing "creative energy in its most material form,
" and as "Pan Pangenetor, the All-Begetter."
彼は、「鍵(大アルカナ)」を、「その最も物質的な形をとる創造的な精力」、および
「パーン・万物の創造主、全ての男親」を象徴するものとして述べる。

His goat is Pan standing on the highest mountain-top on earth, against "a background
of the exquisitely tenuous, complex, and fantastic forms of madness." (*140)
彼の山羊は、「絶妙に希薄で、複雑で、そして幻想的な、狂気の形態の背景」を背にして、
地上で最も高い山の頂上に立つ「パーン神」である。(*140)
--- ここまで ---

ちなみに、(*140)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
140. Crowley, Book of Thoth, 105.
140. クロウリー著、『トートの書』、105ページ。
--- ここまで ---
とあります。

「Pan/パーン神」は、ギリシア神話に出てくる牧羊の神で、「15:悪魔」に配属される
「磨羯宮/やぎ座」のモチーフにもなっています。
クロウリー氏は、独自性を出すために、レヴィ氏の「メンデスの山羊/バフォメット」では
なく、この「パーン神」を選択したということですが、この「パーン神」には、「男性的な
セックス・シンボル」という一面もあり、結果的に、カードに、より性的な意味を秘めると
いう、一石二鳥の成果を得ることにも成功しているわけですよね。
0188名無しさん@占い修業中垢版2019/04/20(土) 07:05:36.77ID:K8U6pJSc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
Between the legs of the goat is the wand of the Chief Adept.
山羊の足の間には、「首領達人」の棒がある。

It takes little observation to realize that what Crowley has represented in his
card is a penis with two testicles, appropriate in that he considered this card
to mean the most male of all male energies.
クロウリー氏が彼のカードの中で表現し続けているものが、彼が、このカードを、すべての
男性的な精力たちの中で最も多い雄性を意味すると考えたという点でふさわしいものである、
2つの睾丸を持つ男根であることを理解することは、ほんの少しの観察で足りる。
--- ここまで ---

トート版は、そのエロい表現により有名であることは言うまでもないのですが、その絵を
単なるエロ表現として見ている間は、まだまだ修行が足りないということですよね。
つまり、「首領達人」の棒がちんちんであることは自明ですが、両脇にある二つの円形は、
タマタマであって、決してパイズリをしている構図では無いということです。

それはともかくてして、この「15:悪魔」は、いわゆる悪魔にあらず、我々から見れば
「地上世界の創造主」もしくは「地上を繁栄させる精力の源」、つまり「万物の父」で
あることが、ここでも示されているわけです。
そして、「ティファレト」の「精力」、つまり地上における物質の源とエネルギー源で
ある「子種」が、「15:悪魔」を通じて、下位にある「雌性」のカードたちの畑に向けて
振り撒かれ、そして地上で大きく育った「収穫物」を、「13:死」を通じて効率良く回収
するというエコな循環ルートが、ここに構築されているいう感じですよね。

ただ、そのイメージとしては、どうしても「生殖行為」つまり「エロいこと」に繋がる
わけですが、それを修正版「悪魔」像としての上級者向けの暗示ではなく、包み隠さず、
ちんちん&タマタマを描いたものが、このトート版「15:悪魔」であるということです。
そういう意味では、トート版の方が、よりわかりやすくなっていますが、それはそれで
誤解を招きやすい表現でもあるわけです。
0189名無しさん@占い修業中垢版2019/04/22(月) 06:29:10.42ID:uz8nCwnx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
He makes a further statement by having the tip of the male organ outside the card,
symbolically in the greater heavens, while the testicles contain the bound-up forms
of physical manifestation.
彼は、男性器官の先端を、象徴的に、より大きな天界の中である、カードの外側に置き、
その一方で、睾丸が物質的な顕在化の拘束された形状たちを包含することによる、さらなる
供述を行う。
--- ここまで ---

「male organ/男性器官」、要するに、おちんちんのことですが、トート版「15:悪魔」
には、「首領達人の棒」のおちんちんと、山羊の背後にある山のように見える「木の幹」の
おちんちんがあり、前景の「首領達人の棒」のおちんちんが、カード外の地下へと突き
挿さっている一方で、背景の「木の幹」のおちんちんは、カード外の天上に向かって突き
挿さっているという構図になっています。

そして、顕在化の子種を象徴するタマタマが、その間に在るという、まさしく「天地創造」
すなわち「我々の宇宙の誕生の神秘」を、このカードの中に表現しているということであり、
その意味では、この「三つ目の山羊」は、我々が住む物質的宇宙を創造した「創造主」を
象徴する存在となっています。

どうしても使っているネタがネタだけに、そっち方向に思考がバイアスしてしまいがちでは
ありますが、エロネタ満載の割には、なかなか奥深い意味と解釈を持つカードですので、
たまには肉体的なエロ目線ではなく、神秘奥義的なエロ目線で、このカードを見つめ直して
みるのも良いかと思います。
0190名無しさん@占い修業中垢版2019/04/23(火) 06:15:30.90ID:DxpbbiVm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
Undoubtedly there are many who will be made uncomfortable by the recurrence of
pointedly sexual symbolism in the cards.
疑う余地なく、カードたちの中にある、あからさまに性的な象徴主義の再発により、嫌な
気持ちにされるであろう人が多くいる。

This symbolism has been understood by initiates of the Mysteries for centuries,
but it is only recently that our society has reached a stage of maturity where
such ideas may be discussed openly and in proper perspective.
この象徴主義は、何世紀もの間「神秘的教義」の秘伝伝授者たちにより理解され続けて
きたが、しかしそれは、つい最近になって、我々の社会が、そのような考え方が、公然と、
そして適切な見方において議論されることのできる、成熟の段階に達したところである、
ということである。
--- ここまで ---

とはいえ、肉体的なエロ目線も、神秘奥義的なエロ目線も、割と昔からあることであって、
今の方が昔よりも成熟した社会であるとも、一概には言えないのではないかと思っています。

現在でも、脊髄反射のヒステリックな「エロ目線禁止」主義者もいるわけですし、今でも、
オープンに議論できる場所というのは、ここのような匿名のネット社会ぐらいしか、あり
ませんしね。
そもそも、どごぞの大学の入学式の祝辞とかで、神秘奥義的なエロ目線のネタを話せば、
間違いなく炎上してしまうことでしょうしね。

いずれにしても、エロネタは両刃の剣であり、それに頼りすぎてしまうと、どうしても
下ネタ好きたちのオカズにされてしまい、結果的に「商業主義」に取り込まれてしまう
危険性もあるわけですので、ワタシとしては、どちらかというと、あまりオープン化を
強く主張しない方が良いのではないかと思うのでした。
つまり、トート版に対しては、色々な意味で、少々距離を置いているということであり、
基本はコールデン・ドーン版とウェイト版をメインに使っているのでした。
0191名無しさん@占い修業中垢版2019/04/24(水) 06:29:01.13ID:8xIMlXSI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
Certainly, any adult will agree that orgasm is the most powerful natural force to
affect the human body, yet it is merely an indicator of a power of God so overwhelming
that our minds cannot begin to conceive of it. (*141)
確かに、成人なら誰もが、性的絶頂感が、人体に影響する最も強力な自然の力であることに
合意するであろうが、それでも、それは単に、我々の知性がそれを考えることができない
ほどに圧倒的である、「神」の力を示すものである。(*141)
--- ここまで ---

ちなみに、(*141)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
141. A work of particular interest is The Sacred Fire: The Story of Sex in Religion
by B.Z. Goldberg, New York 1958.
141. 特に興味深い作品は、『聖なる火:宗教における性の物語』、B.Z.ゴルドベルク著、
ニューヨーク 1958年。
--- ここまで ---
とあります。

「orgasm/性的絶頂感」が、「生命の木」における「15:悪魔」に関わる「a power of God
/神の力」であるかどうかは、それなりに議論があるところであり、それは裏を返せば、
「我々の知性がそれを考えることができないほどに圧倒的である」、つまり知性では
説明できないものであるという証拠でもあります。

「15:悪魔」自体は、どちらかというと知性に関わるものですので、「orgasm/性的絶頂感」
は、どちらかというと「13:死」の側にあるものであって、それゆえ、「死ぬぅ〜!」とか
「逝くぅ〜!」とか「クる〜!(come)」とか「オーマイガッ!」いう表現、すなわち
肉体という「悪魔のしがらみ」からの解脱を意味する言葉で表現されているわけですよね。

というわけで、最後に、「15:悪魔」は、基本的には、そういう「肉体的な性」の意味は、
思いのほか薄いということを述べて、このカードの説明を締めくくりたいと思います。
0192名無しさん@占い修業中垢版2019/04/27(土) 06:09:25.42ID:T7ostCb1
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
25. THE PATH OF SAMEKH
25. 「サメク」の小径

Temperance
節制

The Fourteenth Key
14番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「サメクの小径」です。

ここは、人類が到達可能な最高地点と言われる「ティファレト」へと通じる「15:悪魔」と
「13:死」に挟まれた、「14:節制」と呼ばれている「小径」です。

さて、魔術ヲタク界における「15:悪魔」は、本当は「悪魔」ではなかったわけですし、
この「ティファレト」へと通じる高位の三枚のカードのタイトルを、額面通りに受け取る
ような愚直な人は、既にいないとは思いますが、そもそも自分で「節制」なんて自己申告
しているような「天使」が、本当に「節制」であるはずもないという「魔術界の裏設定」
については、きちんと深読みしておく必要があるわけです。

あと、「15:悪魔」「14:節制」「13:死」の関係は、「嬲」に通じるものもありますよね。
つまり「15:悪魔」の抽象化された高位の「おちんちん」に対応するものが、この「14:節制」、
すなわち抽象化された高位の「おまんこ」であり、さらに「13:死」により二本挿しされて
いるのが「14:節制」のポジションなのですが、これらは高度に象徴化されている概念、
すなわち「魔術的な裏ネタ」ですので、決して俗世での肉体的な関係性を述べたものでは
ないということに、くれぐれも注意しておく必要があるわけです。
0193名無しさん@占い修業中垢版2019/04/28(日) 06:35:54.36ID:2eG1Z2wz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
□ PATH COLOR: Blue
□ 「小径の色」:「青」

□ RELATED SOUND: G Sharp
□ 「関連した音」:「Gのシャープ」

□ SIGN: Sagittarius (Mutable Fire)
□ 「宮」:「人馬宮(柔軟宮の火)」

□ MEANING: Prop
□ 「意味」:「支柱」

□ SIMPLE LETTER: Anger
□ 「単字」:「憤怒」

□ ESOTERICTITLE: The Daughter of the Reconcilers, the Bringer Forth of Life
□ 「秘伝的な称号」:「調停者の娘、生命を産み出す者」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、ヘブライ文字の「サメク」と、「人馬宮(いて座)」の
占星術記号(ここで描かれている記号は、一般的なものとは異なり、矢印のアタマが二つ
あるもので、これはいわゆる「二本挿し」を示唆している可能性があります)、および
「生命の木」における「サメクの小径」の位置が図示された絵が描かれています。

なお、このカードの天使像は、女性か男性かという議論がありますが、ゴールデン・ドーン
系においては、これは女性像である、ということを強く示唆しています。
ちなみに、「人馬宮」は、ギリシア神話の半人半馬のケイローンがモチーフですので、
男性的なイメージがあるのですが、ゴールデン・ドーン系の「14:節制」のカード自体は、
女性的なイメージが強いということに注意が必要です。
0194名無しさん@占い修業中垢版2019/04/29(月) 07:24:23.42ID:F1YoATnh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 176) ---
THIRTY TWO PATHS OF WISDOM: The Twenty-fifth Path is the Intelligence of Probation,
or is Tentative, and is so called because it is the primary temptation, by which
the Creator trieth all righteous persons.
「知恵の32の小径たち」:「25番目の小径」は「試験の、もしくは誘惑の知性」であり、
なぜならそれは、それにより「創造者」が全ての正義の人たちを試される、最初の誘惑で
あるためにそう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用です。
が、原文の引用にミスがあるようで、「or is Tentative」の部分は「or Temptation」と
修正しておいてください。

この「25番目の小径」は、現代宇宙論的に言えば、ビッグバン以前の話、つまり「宇宙
創造の神」なる存在が、「宇宙創造のための初期値パラメータの無限の組み合わせ」から、
我々の宇宙を創造するための「各種宇宙定数」を取捨選択する場面であり、我々の宇宙を
生み出すことが可能なパラメータ調整のための試行錯誤の過程であると言うことができます。
(とまあ、言うだけなら勝手ですしね。)

まあ、パラメータ・チューニングに失敗すれば、収縮して消滅するか、爆発して発散するか
ですので、うまい感じにオペレーション可能なウィンドゥに入れ込むことが必要なのですが、
この宇宙創造のバラメータ調整作業の謎解きは、かなり難しいようで、現代においても、
その神秘を解き明かすまでには、全然至っておりません。
結局のところ、神秘学者も科学者も、この時点においてはドングリの背比べ、つまり、
現代においても、人類の宇宙に関する認識レベルは、競うほどの価値も無いほどの
低レベル状態というのが現状なんですよね。
まあ、それほどまでに「人」と「神」のレベルは違うんだよ、ということを、改めて
認識させられる「小径」である、ということなのでした。
0195名無しさん@占い修業中垢版2019/04/30(火) 10:08:51.09ID:Uc1KH/9o
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
The Path of Samekh, TEMPERANCE, leads from Yesod to Tiphareth, from the Moon to the
Sun, from the Personality to the Higher Self.
「サメクの小径」である「節制」は、「イェソド」から「ティファレト」へ、「月」から
「太陽」へ、「人格」から「高次の自我」へと導く。

It is among the most important and difficult Paths of the entire Tree, and one on
which the very enormity of the Great Work may be experienced.
それは、全体の「木」の中で最も重要かつ困難な「小径たち」に囲まれ、そしてその上で、
「偉大なる作業」のまさしくその極悪非道さが経験されるかもしれないものの一つである。
--- ここまで ---

いきなり「14:節制」には似つかわしくない「enormity/極悪非道」という言葉が出てきて
面食らっているかもしれませんが、これは「14:節制」自体の属性ではなく、ここを通って
上位世界に至るには、それなりの、いやいやトンデモな覚悟がいるよ、という意味です。
要するに、陰湿なるイジメや、様々なハラスメント行為とか、命を危険に晒すほどの悪質な
アレやコレやの行為が蔓延しており、この先生きのこるには、「鉄壁のバリア」すなわち
「A.T. フィールド」の展開が絶対的に必要な領域なのです。

どれくらいの鉄壁さが必要かというと、アンチグラビティ属性を備えた鉄壁のミニスカート
と同じくらいの絶対防御であって、一般人は、たとえコマ送りにしても、決してその奥に
隠されたものを見ることは出来ないというぐらいの完璧さが要求されるわけで、そして、
よく訓練された上級者のみが、「見えた!」というキーワードで、その限界を打ち破る
ことが出来るという仕掛けなんでよね。

というように、この「14:節制」は、その清楚な見た目にもかかわらず、トンデモなく鍛え
上げられた熟練能力者であるということを忘れてはならないわけで、そして、女神像の
ローブの中に隠された世界は、「21:世界」のようなオープンな姿とは違い、我々の
ような凡人には、見ることも触れることも出来ない異次元世界であることを示唆して
いるのでした。
0196名無しさん@占い修業中垢版2019/05/01(水) 06:31:28.36ID:eWBsiOck
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
It has been called a Path which is the "Dark Night of the Soul,"(*142) a Path on
which one enters a deep tunnel in the belief that the Light is to be found at the
end of it.
それは、「魂の暗い夜」(*142)である「小径」であると呼ばれ続けており、「光」がそれの
終わりに発見されるはずであることを信じて、人が深いトンネルに入ることに関する「小径」
である。
--- ここまで ---

ちなみに、(*142)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
142. Gareth Knight, A Practical Guide to Qabalistic Symbolism, Toddington, 1965.
v. II, 69.
142. ガレス・ナイト著、『カバラ主義の象徴主義に関する実践的入門書』、トディントン、
1965年、第二巻、69ページ。
--- ここまで ---
とあります。

「Dark Night of the Soul/魂の暗い夜」の元ネタは、16世紀のスペインのカトリック司祭
である「十字架のヨハネ(Juan de la Cruz)」と呼ばれたカトリックの聖人の著作であり、
要するに、「信仰心を強く持ち、あまたの困難を乗り越えて、神の領域へと至る」という、
よくある宗教的なサクセス・ストーリーと言えばそうなのですが、「生命の木」においては、
そういう「茨の道」が、この「14:節制」に対応するのではないかということですよね。

とはいえ、ワタシ自身は、そっち方面の「信仰心」が欠けておりますので、あまり深入り
出来ないというか、できれば避けておきたいところですので、そっち方面に興味のある方
は、ご自身の責任において研究してもらえると助かります。
ということで、ワタシはワタシの分かる範囲で、道を進むことにしましょう。
え、無責任にもホドがあるって?
いやいや、ネットでのカキコに責任なんて必要ありませんから。←確信的責任放棄ww
0197名無しさん@占い修業中垢版2019/05/05(日) 07:10:34.96ID:UnGAQZJi
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
This is a Path of trial and temptation, called the Intelligence of Probation.
これは、試みと誘惑の「小径」であり、「試験の知性」と呼ばれる。

It is also known as the "Daughter of the Reconcilers, the Bringer Forth of Life."
それはまた、「調停者たちの娘、生命を産み出す者」として知られている。
--- ここまで ---

「イェソド/基盤」に至る「14:節制」「17:星」「19:太陽」は、ゴールデン・ドーン版
では、いずれも「水」と「地」と「天空」と「天空にあるもの」という、割と似たような
モチーフが並んでいる姉妹関係のカードです。
もちろんこれらは、『旧約聖書:創世記』をイメージしているものですが、それぞれの
カードに役割分担があって、そしてそれらを総括するオバサマ、いやいや最年長である
「長女」としての役割が、この「14:節制」にあるわけです。

まあ、絵が似ているとはいえ、やっていることは、
「14:節制」>>[越えられない壁]>>「17:星」>>[越えられない壁]>>「19:太陽」
であることは確かであり、それゆえ、我々からは理解しにくく、とっつきにくいカード
ではあるわけですし、そもそも我々の日々の生活とは、ほぼ無縁のレベルなのです。

そもそも、ここから先は、ワタシの理解レベルを越えた存在となっていますので、
ワタシの解説そのものが、既に意味の無いものとなっている可能性も高いわけです。
というわけで、ここから先は、なるべくワタシのお気楽な独り言的な解説に頼らず、
できるだけ読者自身による理解に努めていただければと思います。
0198名無しさん@占い修業中垢版2019/05/06(月) 06:05:02.70ID:ON782OPN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
In his 777 Crowley made this comment on the letter Samekh: It is "The Womb preserving
Life. Self-control and Self-Sacrifice govern the Wheel."(*143)
クロウリー氏は、彼の『777の書』において、文字「サメク」について、以下のような注釈を
作成している:『「生命」を保護する「子宮」。「自制心」と「献身」が、「車輪」を統御
する。』(*143)
--- ここまで ---

ちなみに、(*143)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
143. Crowley, 777, 40.
143. クロウリー著、『777の書』、40ページ。
--- ここまで ---
とあります。

ここは、邦訳版『777の書』だと、76ページにあります。

「14:節制」は、場所的には、王子である「ティファレト」の下流であり、その男性的なる
精力エネルギー、ただしまだ物質としては未顕現の状態のものの受け皿として機能します。
つまり、物質的な妊娠状態ということではなく、非物質的な妊娠状態ということになる
わけですが、そのような状態が何を意味するのかは、なかなか解釈が難しいところです。

例えとして言えば、苦労を重ねた末に、何かアイディアが閃いた瞬間とか、まだよくわから
ないけど何かが掴めそうな予感とか、「あ、妊娠したな」という予感とか、いまだ形になる
前の根拠の無い閃きに似たものみたいな、何かそういう心の奥底にある直観めいたものが、
まあ全くレベルは違うのですか、これに似たものかもしれません。

いずれにしても、我々の想像力を越える何かを産み育てる機能が、この「14:節制」にある
ということは間違いないわけであり、そういう意味では、我々の世界からは決して見えない
「母なる創造主」としての位置付けではないかと思われます。
0199名無しさん@占い修業中垢版2019/05/07(火) 06:28:02.46ID:rGgd3XHn
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
All of these phrases direct us to the idea that behind this card, ultimately, is
the Great Mother, the [mem][yod][heh][lamed][aleph] [heh][vau][heh][yod] (YHVH
Elohim) of Binah.
これらの語句たちの全ては、我々を、このカードの背後にあるものは、究極的には、
「大母」である、「ビナー」の[mem][yod][heh][lamed][aleph] [heh][vau][heh][yod]
(ヤハヴェ・エロヒム/主なる神)であるという考え方に導く。

For this reason the central figure of both the Golden Dawn and Crowley cards are
female.
この理由のために、ゴールデン・ドーン版とクロウリー氏のカードの両方の中央の人物像は
女性である。
--- ここまで ---

元々の「14:節制」のデザインの多くは「女性像」であり、ゴールデン・ドーン系では、
基本的には、従来からの流れを踏襲しています。
その結果、「中央の柱」の「小径」は、「2:高等女司祭」「14:節制」「21:宇宙」と、
全て女性で占められるということになり、ヲタク思想によくあるヒロイン偏重の傾向が
見られます。

ウェイト版では、そういうヲタク的な女性キャラ重視、いやいや女性優遇傾向を嫌ってか
どうかは分かりませんが、「14:節制」を、どちらかというと「男性的」なものとして描写
することで、「女女女」から「女男女」という、より妄想が捗る方向に修正しています。
そしてそれは、「ビナー」という「峻厳の柱」に引きずられることなく、中立公正の立場で
「中央の柱」を構築するということを意図しているのかもしれません。
ちなみに、ウェイト版「14:節制」の人物像のチニックの胸元には、「聖四文字」が刻まれ
ており、これも、どちらかというと「中立的」な「創造神」であることを示しています。

まあ、どちらのストーリーが良いということではありませんが、そういう脚本の違いが
あるということを知っておくと、さらに妄想が膨らむということですよね。
0200名無しさん@占い修業中垢版2019/05/08(水) 06:17:54.83ID:3ubX6jvx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
Moreover the Twenty-Fifth Path is that of Sagittarius, the Archer who is also Diana
the Huntress, Goddess of the Moon.
さらに、「25番目の小径」は、「人馬宮(いて座)」のそれであり、「射手」はまた、
「狩猟の女神」であり「月の女神」である「ダイアナ女神」でもある。

This repeats the principle that all of the figures of the Tarot (except THE FOOL)
are Mother-Binah and Father-Chokmah under different guises.
これは、「(愚者を除く)タロット」の人物像たちの全ては、異なる外観たちを装う「母なる
ビナー」と「父なるコクマー」であるという原則を繰り返す。
--- ここまで ---

「14:節制」の女性像は、ゴールデン・ドーンにおいては、「射手座」のイメージに近い、
ローマ神話の「月の女神ダイアナ」であるという説ですが、多産の地母神系でもあるので、
見た目のイメージとは少々異なっているので、ちと強引な感じもしますが、この人物像の
キャラ設定は、妄想する上の重要な鍵となりますので、そういうことにしておきます。

まあ、こういうキャラ設定は、多分にご都合主義的なものもありますし、そもそも神話
体系によるキャラ設定は、その人物設定にブレが多い、いやいや多くのバリエーションが
ありますので、解釈上の自由度が高いというメリットもあります。

そして、さらなる拡大解釈のための「principle/原則」となっているのが、『全ての
人物像は、「母なるビナー」と「父なるコクマー」の変化形である』という点であり、
ここまでくれば、もはや何でもありの完全無敵状態ですよね。

ということで、今後の解説において、何か矛盾点があっても、「全ては許されている」
わけですので、変なツッコミは無しでお願いします。

※実に素晴らしい言い訳のネタだなぁ・・・(笑)
0201名無しさん@占い修業中垢版2019/05/09(木) 05:58:21.36ID:tp6iHHRS
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
In her function as Diana she governs the tides of earth, and the fluctuations of
the Astral Current.
「ダイアナ女神」としての彼女の機能において、彼女は地球の潮の干満、および「星幽的
流動」の変動たちを統治する。

She is the natural framework and support for the waxing and waning of the energies
of existence.
彼女は、存在する全てのものの精力たちの満ち欠けのための、自然な枠組みであり、
そして支える者である。

She is the Prop, the very meaning of the word Samekh.
彼女は、まさに「サメク」という言葉の意味である、「支柱」である。
--- ここまで ---

「14:節制」は、「中央の柱」の中央にある「小径」であり、地上の我々からは直接見る
ことは出来ませんが、我々の世界を司る上で、宇宙の屋台骨として、世界全体を支えると
いう役割を持っていることは、容易に想像できます。

そして、「支える」ということは、単なる受動的な「framework/枠組み」だけではなく、
積極的に干満という変化をもたらすことで、世界を更新し続け、新たな誕生と成長と死の
生命のサイクルを回し続けているということです。

つまり、恒久的な「ティファレト」の太陽エネルギーを源泉として、潮の干満や四季の
変化などで、エネルギーの流れを周期的かつリズミカルなものにアレンジすることで、
地上における多彩な生き物たちの繁栄をもたらすという作用があるということですよね。
要するに、「14:節制」は、アレンジャーであり、指揮者であり、さらに屋台骨を支える
運営者でもあるということであって、この作用が無ければ、「生命の木」は支えを失って
崩壊し、我々の住む世界は決して創造されなかったということでしょうね。
※結局のところ、「ダイアナ=何でもありの無敵状態」というのが結論なのでした。
0202名無しさん@占い修業中垢版2019/05/11(土) 05:48:19.88ID:4WW+7VvZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
The Great Mother is, thus, the "Womb preserving Life."
「大母」は、このように、「生命を保護する子宮」である。

She is restriction and control over natural energies; all of the energies of the
manifest universe are controlled and manipulated within specific bounds and restrictions.
彼女は、自然の精力を覆う制限と制御である;顕現化した宇宙の精力の全ては、明確な
境界と制限の範囲内で制御され操作される。
--- ここまで ---

このあたりの記述は、「峻厳の柱」のトップであり、最初の形成的な「セフィラ」である
「ビナー」、そして「ダイアナ女神」に関する説明になっています。

「14:節制」は、「中央の柱」にある「支柱」であるため、あまり「左傾化」することの
ないよう、うまくバランスを取る必要があるのですが、ここであまりにも「ビナー」の
存在を表立って意識してしまうと、調和が取れなくなってしまいます。

つまり、「14:節制」の「女神像」は、「背景的な想像物」すなわち「見えざる存在」で
あって、隠された根本的な部分を司る存在であり、我々が見ることのできる「前景」は、
あくまでも二つの壺だけであるということになってくるわけです。

そういう意味では、この「女神像」は、「15:悪魔」の「悪魔像(悪魔の皮を被った神)」
と似たような性質を持っているわけであり、「女神」であって「女神」に非ず、すなわち
「女神の皮を被った神」であるという、なんかもうどうでもいい話になってくるわけです。
そして、ウェイト版では、従来の「女神像」ではなく「高位の天使」として描かれている
理由も、何となく、このあたりにあるのではないかと思います。

いずれにしても、キーワードとなっているのは、「支柱」となる「境界と制限」であり、
この「小径」は、そのような「宇宙の原則(方程式)」が選択され試される場所である
という認識で良いのではないかと思っております。
0203名無しさん@占い修業中垢版2019/05/12(日) 06:22:31.98ID:+mpJMnPo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
In their Voice of Isis, Hariette and Homer Curtis describe the Universal Mother
as the "power of bringing forth in humanity the Divine Child or the Christ."(*144)
ハリエット・カーティス氏とホーマー・カーティス氏は、彼らの『イシスの声』の中で、
「普遍的な母」を、「人類の中において、「神の子」もしくは「救世主」を生み出す能力」
として述べる。 (*144)

It is that which in every individual brings about the contact of the Personality
with the inner divine light.
それは、あらゆる個人において、「人格」の、内なる神の光との接触をもたらすものである。
--- ここまで ---

ちなみに、(*144)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
144. Hariette and Homer Curtis, The Voice of Isis, Washington. D.C., 1946, Introduction.
144. ハリエット&ホーマー・カーティス著、『イシスの声』、ワシントンD.C.、1946年、
序論。
--- ここまで ---
とあります。

とりあえず、そういう意見もあるよ、ということなのですが、要は、人類史上において、
「ティファレト」から生み出された「神の子」、すなわち「イエス・キリスト」は、
人ではなく、この「14:節制」の「Universal Mother/普遍的な母」の子宮により受胎し、
人の世に生み出されたという話になっているわけです。

そして、その人類史上における出来事は、現代に生きる我々一人一人の中、すなわち
個々の「Personality/人格」の中においても、「Universal Mother/普遍的な母」に
より、もたらされる可能性のある出来事であるということですよね。

まあ、よくわかっていませんが・・・。
0204名無しさん@占い修業中垢版2019/05/13(月) 06:13:54.21ID:RVD5RqHS
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
This is, in Qabalistic terms, the knowledge and Conversation of the Holy Guardian
Angel.
これが、「カバラ主義」の表現においては、「聖守護天使の知識と会話」である。

Rising on the Path of TEMPERANCE leads to our bearing of the Child, which is ourselves
reborn.
「節制」の「小径」に沿って昇ることは、我々自身の生まれ変わりである、我々の「子」の
出産をもたらす。
--- ここまで ---

人類が、その歴史の中で、「神の子」であるイエス・キリストを生み出したのと同様に、
我々の一人一人は、「神の子」を生み出すことが可能という、いつものミソクソ理論、
いやいや「上の如く下も然り」の普遍的な原理です。

ここで問題となるのは、我々が「節制」の「小径」に沿って昇ることが可能なのか、
という点ですが、これはもう考えるまでもなく、「100%不可能」です。

もちろん、「微粒子レベルの可能性が存在する」という、量子力学的な解説をすることも
可能と言えば可能なのですが、それはシュレーディンガーの猫が針の穴を通るくらいの
微粒子レベルであって、普通に言えば「不可能」なのです。

まあ、「不可能」と言ってしまえば、話はこれで終わるわけですが、そう簡単には終わり
たくない人も中にはいるわけですので、そういう人向けに、無駄な努力をするための
「茨の道」という役割が、この「小径」にあるわけです。
そして、その「無駄な努力」は、「結果」を求めるためではなく、言ってみれば、ヲタクが
「二次元との結婚」を求めるのと同じくらいにド変態、いやいや崇高なる伝道者として、
その一生を捧げるくらいに、とても尊い行為ではあるわけです。
さらに、その報われない努力こそが、新たな価値の発見へと導くことも多々あるわけで、
ヲタクの一途さを、決してあなどってはいけない、ということにもなるわけでした。
0205名無しさん@占い修業中垢版2019/05/14(火) 05:59:48.00ID:bPWKxWba
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 177) ---
Key 14 is the beginning of an awareness of the Higher Self of Tiphareth.
14番の「鍵(大アルカナ)」は、「ティファレト」の「高次の自我」の気づきの始まりである。

The card demonstrates not the experience itself, but how the experience is brought
about, i.e., through an exchange and balance of opposites which can only be
symbolically described.
カードは、経験それ自身ではなく、経験がどのようにして、すなわち、象徴的にのみ
説明可能な反対物たちの交換と均衡を通じて、もたらされることを説明している。
--- ここまで ---

我々にとっての「14:節制」の利用価値は、「聖守護天使の知識と会話」にあり、そのため
「the Holy Guardian Angel/聖守護天使」は、「14:節制」の人物像として象徴化されて
いるわけですが、この人物像は、高次の存在ですので、実際に見えるわけではありませんし、
見ようとしても見えるわけでもありません。
まあ、これが見えると言っている人は、間違いなく頭の病気あるいは詐欺師ですよね。

つまり、低次の存在である我々は、背景にある「しょせん見えざる人物像」ではなく、
前景にある「象徴的な二つの壺」に注目する必要があるということです。
まあ、象徴的すぎて、何が何やらわからない感じではありますが、しょせん究極奥義なんて
ものは、一般人にとっては「わけわからないもの」であるわけですので、余計な詮索は
不要ですし、理解する必要も無いものですし、役に立つようなものでもありません。

とはいえ、これが「生命の木」における「聖守護天使の知識と会話」のための「究極奥義」
のカードであることは間違いないわけですし、それゆえ物好きな連中、いやいや高位の
セカンド・オーダーを目指す魔術師にとっては、避けては通れない「関門」となっている
わけです。
まあ、その手のややこしいことは、ゴールデン・ドーンの儀式の中で、色々と象徴的に
説明されておりますので、無駄な詮索をしたい方は、そちらを参考にして頂ければと
思います。(説明責任を完全放棄)
0206名無しさん@占い修業中垢版2019/05/18(土) 05:43:23.99ID:lhUxljhJ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
The use of symbols here has nothing whatsoever to do with secrecy, but is merely
reflective of the inadequacy of language to describe the process.
ここでの象徴たちの使用は、何らかの秘密主義のためによるものではなく、単に過程を
記述するための言語の不十分さを反映しているにすぎない。
--- ここまで ---

「14:節制」の過程、すなわち我々が「ティファレト」の「高次の自我」へと至る過程の
説明においては、言語による記述は、ほぼ役に立たない、すなわち単純明快な論理化は
不可能であり、曖昧かつ本人の内なる理解に基づく「象徴表現」に頼らなければならない
ということです。

これはつまり、説明責任の放棄、いやいや「客観的な正解は無い」ということであり、
「あなたが理解できないのは、ワタシの説明が悪いわけではなく、あなたの○○力が
絶対的に足りないからである」と言っているのに等しいわけです。

残念なことに、ワタシは、その手の「○○力」なるものに欠けているので、おそらくこの
「14:節制」を理解できることは、ほぼ無いと思いますし、たとえ理解できたとしても、
それを誰かに伝えるということは、ほぼ無理であるということになるわけです。

そう、ここで「人」と「人」とのコミュニケーションは、肉体的にも精神的にも霊的にも
途絶えてしまうという場所であり、人は集団ではなく「個人」で、この「14:節制」の
「小径」を辿って、「高次の自我」へと至る必要があるということですよね。
つまり、「書かれた教義」に頼る組織的かつ集団主義的な宗教では、この「14:節制」を
辿ることは決して出来ないということであり、最後には、個人単位での「内なる理解」が
必要不可欠であるということになるわけです。

とはいえ、ワタシには、そこまで苦労して「上の世界」に到達する必要性も必然性もあり
ませんし、そもそも「下界大好き」な俗な人間ですので、「14:節制」とは、あくまでも
「話のネタ」程度の「お付き合い」に留めておこうと思うのでした。←いまいち興味なし
0207名無しさん@占い修業中垢版2019/05/19(日) 07:16:17.75ID:sk3ap188
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
Crowley's card is the most specific, showing the process in alchemical terms, where
Fire becomes Water and Water becomes Fire.
クロウリー氏のカードは、最も具体的であり、「火」が「水」になり、そして「水」が「火」
となるところの、錬金術の用語たちにおける過程を示している。

And, as we appreciate that the primary alchemy takes place within the body of the
alchemist himself, we can also appreciate that this card is describing an actual
physical effect.
そして、我々が、錬金術師自身の身体の内で、根本的な錬金術が起こっていることを認識
するにつれて、我々はまた、このカードが実際の物質的な効果を説明していることが理解
できる。

It is not nearly so symbolic as some might believe.
多少の人が信じているかもしれないほどの、象徴的なものでは到底ない。
--- ここまで ---

「14:節制」の「小径」が、上から下への一方的な流れであるとすれば、これは象徴的な
「生命」を生み出すための錬金術的な過程を描いたものであり、ある意味、物質的かつ
肉体的な効果を説明していると理解することが可能です。

つまり、トート版においては、赤い火と白い水は「大いなる父からの精子」と「大いなる母
からの卵子」であり、それらが受精して「子宮」へと注がれ、「イェソド」を経て物質的な
「マルクト」での生命誕生となる、最初の過程が示されているということです。

それはそれで、さほど問題無いのですが、その程度の肉体的な理解では、この「小径」を
遡って霊的な「ティファレト」に至ることは、到底不可能となってしまいます。
そして、その一方通行を解消する手段として、「霊的エクスタシー」なる概念が出てくる
わけですが、そこを物質的な俗的理解に基づいた論理拡張で済まそうとすると、エログロ
というか、ミソクソ的な論理破綻が生じることになってしまうわけなんですけどね。
0208名無しさん@占い修業中垢版2019/05/21(火) 05:58:22.70ID:fxp3ZMWy
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
The willful interchange of Fire and Water is the merging or tempering of energy
opposites within the body, here symbolized by a stream poured back and forth from
one vase to another.
「火」と「水」の意図的な交換は、身体の内にある精力の反対物たちの、融合または焼き戻し
であり、ここでは、1つの壺からもう一つのものへと、行ったり来たりして注がれる流れにより
象徴される。

This is the Living Water, consciousness vivified by being merged with the Fiery
Spirit.
これは、「生ける水」であり、「火の精霊」と融合されることによって生命を与えられた
意識である。
--- ここまで ---

この「Living Water/生ける水」は、『旧約聖書』や『新約聖書』のあちこちに出てくる
「聖書用語」であり、神より賜る「命を育む水」という感じのものです。
これを、神より賜る「命を育てる火」と混ぜ合わせて、ちょうどよい湯加減、いやいや
究極的なる万能薬「エリクサー」を調剤しているという感じですかね。

まあ、ここでいう「神の火」も「神の水」も、しょせん「象徴的」すなわち「抽象的」なる
ものですので、これが具体的に我々の何の役に立つのかと言われれば、特に何の役にも
立たないということになるわけですが、強いて言えば、物事をうまく進めるには「火加減」と
「水加減」が大事であるという程度の、いい加減な返事に留めておきたいと思います。

要は、この「14:節制」は、優等生すぎるというか、教科書的というか、建前メインの話で
あって、神ならぬ人には「出来ないこと」を参考にしろと言われても困るわけですし、
面白味に欠けるというか、そもそもバランスを欠いた思考回路を持つワタシにとっては、
全くもって無縁なる存在である感じがしてしまうワケですよ。

まあ、「節制」という説教的なタイトルに、ちょっと反発してるだけなんですけどね。(←反抗期)
0209名無しさん@占い修業中垢版2019/05/28(火) 06:27:40.49ID:TJB5oXQ7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
The process is one of bringing the Spirit into the body so that it tempers the
consciousness, and is itself tempered by the consciousness, thus forming something
new, something which is "more than the sum of its parts."
過程は、それが意識を「鍛える」ために、身体の中に「霊」をもたらすことの一つであり、
そして、それ自身、意識により鍛えられ、従って、新しい何か、「その部分たちの合計
より多い」何か、を形成することである。

This is the personal application of the Yod (Fire) and Heh (Water) uniting in the
individual to produce Vau (Air) within the body which is Heh-final and Earth.
これは、「最終ヘー」と「地」である身体の内に「ヴァウ(空気)」を生み出すために、
個人の中で合体する「ヨッド(火)」と「ヘー(水)」の個人的な適用である。
--- ここまで ---

トート版の「14:技」は、例えて言えば、個人の内にある「鋼=最終ヘー」というマテリアル
を鍛え上げる「鍛造」の過程において、「火=ヨッド」や「水=ヘー」で「焼き入れ」や
「焼きなまし」「焼きもどし」などの工程を経て、優れた名刀として「魂=ヴァウ」を
吹き込むという作業であり、それっぽい錬金術の象徴表現を使って説明されています。

もちろん、この「魂を入れる技術」というのは、我々のような下々の者が、見よう見まねで
使えるような技術ではなく、あくまでも上位世界の神々のためのものですので、良い子は
決して真似をしてはならないという禁断のテクニックであるわけです。
つまり、「14:節制」の適用は、我々にとっては、どちらかというと危ないシロモノである
ということを知っておく必要があるということです。

とはいえ、我々人類の科学技術の進歩は、この「生命と意識を生み出す」ための飽くなき
チャレンジを続けておりますので、そっち方面については、今後は何らかの期待は持てそう
な感じはしています。
でも、あっち方面の人々の、そういう話題については、決して近づかない方が良いという
ことなんですよね。
0210名無しさん@占い修業中垢版2019/05/29(水) 05:59:30.69ID:+toh9UVL
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
The process involves an inner manipulation of sexual energies.
過程は、性的な精力たちの内なる操作を巻き込む。

Indeed, the symbolism of the arrow released upward is one of spiritual orgasm.
実を言うと、上向きに放たれた矢の象徴性は、霊的な絶頂感の1つである。

Such an interpretation may appear extreme, but is actually well-accepted in
Christian iconography.
そのような解釈は極端であるように見えるかもしれないが、キリスト教の図像学においては、
実はよく受け入れられている。
--- ここまで ---

「the arrow released upward/上向きに放たれた矢」とは、「14:節制」に配属される
「人馬宮(いて座)」の記号のことであり、それゆえ、カード自体が、上昇する「火」の
エネルギー成分多めである、すなわちイキやすい体質であることを意味します。

そのため、「14:節制」には、そのタイトルのイメージとは違って、かなりの「上級者向け
エロ成分」が含まれているということになります。
もちろん、「上級者向け」ですので、我々のような下々の人間にとっては、見逃しやすいと
いうか、すこぶるどうでもいい象徴的な表現なのですが、それこそ、分かる人だけにしか
分からないという、身内ウケ狙いのものとなっているわけですよね。
とはいえ、薄めの衣装の女神が、二つの壺を持って水を出し入れしている姿は、何かエロい
ことを誘っているようにしか見えないわけですので、あまり隠す気は無いのかもしれません。

それはともかく、「14:節制」は、そういう上級者向けのプレイを暗示していることは確か
ですし、それゆえ魔術指向の人にとっては、それなりに人気のあるカードであるわけです。
ただし、「14:節制」の名が示すように、そっち系のプレイから得るものは何もありません
ので、あくまでも「霊的」なものである、すなわち何かの役に立つようなものではないと
いうことは、きちんと頭では理解しておく必要があるわけですよね。
0211名無しさん@占い修業中垢版2019/05/31(金) 06:08:23.38ID:ufM8EPEY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
The ecstasy of Theresa, the sixteenth century mystic and Saint, is described as
an angel thrusting a flaming arrow into her heart.
16世紀の神秘家および聖人である、聖テレサの法悦は、燃え上がる矢を彼女の心臓の中に
突き刺している天使として記述される。

This symbolism of the piercing arrow which brings ecstasy and enlightenment appears
to be a universally applicable (indeed archetypal) description of a real process.
法悦と啓蒙をもたらす、この貫く矢の象徴的意味は、実際の過程の普遍的に適用可能な
(実に原型的な)記述であるように見える。
--- ここまで ---

この「心臓を貫く矢」の象徴が、よく知られた「キューピットの矢」と結びついている
ことは想像に難くないわけであって、そしてこれは、ローマ神話の「クピードー」であり、
さらにはギリシア神話の「エロース」、すなわち「エロ信仰」の総本山となる、とても
偉大なる神様へと繋がるわけです。

つまり、その「矢で心臓を貫くことでエクスタシーに達する」という原型的なる表現は、
どう考えてもセックスそのものであるわけです。
そして、肉体的なセックスにより得られるものが「次世代の誕生」であるならば、霊的な
セックスにより得られるものが「内なる高次の世代の誕生」と考えることも可能なのです。

いずれにしても、この「14:節制」を「聖テレサ」の○○系文学と結び付けて考えることは、
色々な意味、というか、薄い本系の話で妄想が捗るわけですが、そういう意味でも、一般の
人は、「14:節制」という清純系タイトルに惑わされることなく、あまり深入りしない方が
良いということなんですよね。

要は、なぜここでわざわざ「節制」が必要なのかを考えれば、この「14:節制」の立ち位置
というものが理解できるということであり、それゆえ、人類にとっては最大の難関であり、
一般人には決して攻略できない難攻不落の関門になっているということです。
0212名無しさん@占い修業中垢版2019/06/01(土) 06:36:14.04ID:Pf/od2sZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
What happens is the establishment of a rhythmic masturbatory motion of inner energy.
起きていることは、内なる精力のリズミカルなマスターベションの動きの確立である。

The mental control of this energy, its conscious manipulation, is symbolized by the
interchange of Fire and Water, or by the interchange of fluid between vases.
この精力の精神的な制御、その意識的な操作は、「火」と「水」の交換により、もしくは
壺たちの間の流体の交換により、象徴化されている。

The key to this actually simple process is the infinity symbol, the figure eight
which Waite uses above the figure of his MAGICIAN.
この実に単純な過程の鍵となるものは、無限の記号、ウェイト氏が彼の「魔術師」の人物像
の上で使う8の字の形である。
--- ここまで ---

「中央の柱」の女神たちって、エロ目線で見れば、とても魅力的な存在です。
「21:宇宙」の女神の持つ2本の棒、「14:節制」の女神の持つ2つの壺、そして「2:高等女
司祭」の持つ杯、そのいずれもがエロ目線で見れば、すなわちアレになるわけです。
とはいえ、エロ目線の解釈が通用するのは「21:宇宙」までですので、「14:節制」では、
より精神的なもの、つまりは脳内妄想、もっとはっきり言えば脳内マスターベションという
ことになっているわけです。

ややこしい話を抜きにすれば、この「14:節制」とは、我々は高次元のオナニーによって、
さらなる高次元のエクスタシーの次元に達することが出来るということであり、そして
逆に言えば、高次元の存在のオナニーによるエクスタシーにより、我々の住む次元が存在
しているということを説明しているカードであるということですよね。

要は、我々が存在する物質宇宙は、創造主の制御されたリズミカルなオナニーの無限の
動きにより生み出されたということであって、そのオカズとなっているのが「中央の柱」
の女神たちという話になってくるわけなのですよ。
0213名無しさん@占い修業中垢版2019/06/02(日) 06:35:10.40ID:/3SklQAj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
It is an ebb and flow which is confined, i.e., is used within very specific perimeters
(thus the womb symbolism) but which is taken in either direction at will.
それは、限定された潮の満ち引き、すなわち、非常に明確な周囲の範囲内(従って、子宮が
象徴するもの)で行使されるが、それは意のままに、どちらの方向にでも受け取られる。

As one changes the rate of vibration of this inner energy, one raises or lowers
the level of consciousness, i.e., moves from Chakra to Chakra or from Path to Path.
人が、この内なる精力の振動の速度を変更するに従って、人は意識の段階を上げたり下げたり
する、すなわち、「チャクラ」から「チャクラ」へ、もしくは「小径」から「小径」へと動く。
--- ここまで ---

まあ、子宮の中で振動するのか、膣の中で振動するのか、TENGAの中で振動するのか、
もしくは右手が振動するのかは置いといて、「14:節制」の脳内オナニーにおいては、
右の壺と左の壺との間の、リズミカルなエネルギーの交流振動として表現されます。
そして、このオナニーから副次的に得られたものは、「17:星」と「19:太陽」のエネルギー
として、下界の「イェソド」へと漏れ出してくるという流れになるわけです。

そういう意味では、この「14:節制」から漏れ出すもので我々の役に立つようなものは
少ないというか、あまりご利益が無いわけですが、それは、この効果が、神秘学的に言うと
霊的な次元、数学的に言うと虚数空間、一般人向けに言うと脳内オナニー、すなわち
スビ系ネタ(笑)に限定されてしまうからなのです。

要は、「高次の自我」の世界は、神々ならぬ我々の脳ミソでは到底理解できないシロモノで
あるため、如何なる言葉による説明も「的外れ」であって、ここから先は「各自、お好きな
ように脳内オナニーしてみてください」としか言いようのない、正解の無い領域なのです。

結局のところ、我々にとっては、理解しようにも理解できない領域での過程を象徴している
という程度の、開き直った理解で良いのではないかと思うのでした。
0214名無しさん@占い修業中垢版2019/06/03(月) 06:14:54.65ID:ZwGOSBYl
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
To explain all of this in a more simple way: At the lowest level, Water (which we
have previously described as consciousness) being acted upon by Fire (the sexual,
Kundalini energy) produces the images of the astral, the pictures which form in
our minds.
より簡単な方法で、これの全てを説明すると:最も低い段階では、「火(性的、クンダリニー
の精力)」によって作用される「水(我々が以前に『意識』と述べたもの)」が、星幽界の
映像たち、我々の精神たちの中で生じる絵たちを創作する。

These are the Air (Vau) quality, as our minds are the grounding Earth.
我々の精神たちが地上に置かれた「地」であるので、これらは「空気(ヴァウ)」の品質
である。
--- ここまで ---

この説明が、「14:節制」の脳内オナニーの方法の直接の説明というわけではなく、ここは
あくまでも「At the lowest level/最も低い段階」での話です。
つまり、「21:宇宙」などの下層の「小径」によって、「地」から「空気」に達する手順の
説明であって、それ以上のレベルへのイキ方については、直接的な説明が不可能であると
いうことなんですよね。
とはいえ、「地/アッシャー界」から「空気/イェツィラー界」の段階まで登らないこと
には、その上の「水/ブリアー界」にも行けないので、何事も基礎は大事にしないと
いけませんよね。

ということで、我々の「地」の体内にある「水」の成分、すなわち「精神と意識」を、
「火」、すなわち「性的」な「クンダリニーのエネルギー」で活性化して上昇させること
から始めないといけないわけです。

つまり、これが「14:節制」へと至る第一歩ということですので、魔術界における「14:節制」
の立ち位置は、我々が勝手にイメージするような「純粋無垢の清純派」では決して無いと
いうことでもあるわけなんですよね。
0215名無しさん@占い修業中垢版2019/06/04(火) 06:17:12.13ID:rXHDvaab
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
The principle is one of producing a consciously-controlled vision, one which is
limited by the will.
原理は、一つは意識的に制御された幻想を生み出すことであり、それは意志により制限
されるものである。

The important point to understand is that most of the word symbols of Alchemy,
Hermeticism, Qabalah, etc., describe processes to which anyone can relate.
理解しておく重要な点は、「錬金術」、「ヘルメス主義」、「カバラ主義」などの言葉の
象徴の大部分は、誰でもが関係することのできるものの過程たちを記述しているという
ことである。

They are neither remote nor complicated, especially at the level of Assiah.
それらは、特に「アッシャー」の段階においては、遠く離れたものでもなく、複雑なもの
でもない。

And, in some respects, this whole symbolic language has been totally superseded
by the language of psychology as established by Carl Jung and others.
そして、いくつかの点において、このすべての象徴言語は、カール・ユング氏と他の人々
により確立されたような心理学の専門用語により、すっかり取って代られてしまっている。
--- ここまで ---

「14:節制」に至る道の途中には、「21:宇宙」などの下層の道があり、そこでの経験は、
あくまでも「アッシャー」のレベルのもの、すなわち「脳内妄想」レベルのものであって、
そういうものは、現代の「心理学用語」で全て置き換えて説明できる、言い換えれば、
「14:節制」の真髄は、言語化できない、その先に存在するということになります。

要するに、「14:節制」は、我々が良く知っている「節制」という言葉のイメージとは
かけ離れたモノであるということなのですが、はっきり言って「TEMPERANCE」を「節制」
と訳した時点で、その翻訳が間違っているということなんですよね。
0216名無しさん@占い修業中垢版2019/06/05(水) 06:30:05.96ID:678cBRYd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 178) ---
It should be added that the Metals described in Alchemical literature are the
same as the Seven Chakras of the Hindus, the Seven Planets and the Sephiroth of
Microprosopus.
「錬金術」の文献の中で述べられる「金属たち」は、「ヒンズー教の7つのチャクラ」、
「7つの惑星」、および「ミクロプロソプス(小さな顔)のセフィロト」と同じものである
ことは追加されるべきである。
--- ここまで ---

「錬金術」の金属と言えば、金、銀、水銀、銅、鉄、錫、鉛の7種ですが、数の一致(6つで
ある「ミクロプロソプス」は、その嫁であるマルクトと合算すれば7つ)は、単なる偶然の
一致なのか、もしくは元ネタが同一であるのかは、まあどうでもいいわけですが、基本的
には、我々の脳内妄想による、いやいや哲学的な分類方法によると、7分類あたりって、
素数ですし、細かすぎず粗すぎず、割と脳内では使いやすい値なんですよね。

そして、この「14;節制」の機能を使って、そういう7種の「マテリアル」を取り扱って、
宇宙の生命を司る「エリクサー」を合成していくわけですが、それはつまり「15:悪魔」
から「21:宇宙」までの7つの「小径」のマテリアルを操作するということでもあります。

この場合、「13:死」は、「14;節制」の対称パートナーもしくは監査役としての役割という
ことになり、そういう意味でも、「14;節制」から「ティファレト」へと遡る道は、そう簡単
には通れそうもないのでした。
0217名無しさん@占い修業中垢版2019/06/06(木) 05:51:37.24ID:lnjx5w4V
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
These words have been used as codes over the centuries, meaning seven distinct
levels of objective consciousness.
これらの言葉たちは、何世紀にもわたって記号たちとして使われ、目的の意識の7つの
別個の段階を意味している。

Thus, when one speaks of a Planet ruling a sign of the Zodiac, what is meant is
the relationship of a Sign to a given center of energy both in the Greater
Universe and in the Human body.
従って、人が「黄道十二宮」の宮を支配している「惑星」について話す時は、意味される
ものは、「より大きな宇宙」と「人体」の両方における精力の与えられた中心と「宮」
との関係である。
--- ここまで ---

ここでいきなり「七惑星」と「黄道十二宮」の話に飛びますが、これは「14:節制」が、
「ミクロプロソプス(小さな顔)」と「マクロプロソプス(大きな顔)」の関係とか
「小宇宙(人体)」と「大宇宙」との関係性、すなわち「上の如く下も然り」という、
魔術にとって最も重要なミソクソ理論を展開するための「要(かなめ)」の位置にある
ということです。

まあ、「ティファレト」への到達という目的にとっては、この「14:節制」はイマイチ使い
にくいのですが、内なる魔術の実践という点においては、この「14:節制」という内なる
壺の中に、様々な魔術ネタを詰め込んで、それらをうまく調和させることで、何らかの
「内なるもの」を生み出せるという点においては、それなりに使い道のあるカードです。

とはいえ、我々のレベルでは、あくまでも「内なるオナニー」でしかありませんので、
言うほど実用的というわけでもありませんし、さらには、「節制」というキーワードが
邪魔をして、どうしても「器の中の世界」に留まってしまうという問題もあるわけです。
やっぱり最後には、「13:死」の「いっぺん死んでみる?」程度の破壊的なインパクトが
必要なのではないかと思うのでした。
0218名無しさん@占い修業中垢版2019/06/07(金) 06:16:10.72ID:K6KDHDwX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
Sagittarius is the sign of the Zodiac related to TEMPERANCE.
「人馬宮(いて座)」は、「節制」に関連した「黄道十二宮」の宮である。

Its Planetary ruler is Jupiter, meaning Chesed, but also to some extent the WHEEL
OF FORTUNE, tenth key of the Tarot.
その「支配星」は「木星」であり、「ケセド」だけでなく、ある程度は「タロット」の
10番目の鍵(大アルカナ)である、「運命の輪」をも意味している。
--- ここまで ---

「いて座」は、占星術的には「男性的」「火」「柔軟」という属性を持ち、その支配星の
「ジュピター=ゼウス」という勇壮奔放な男性神のイメージとも相まって、タロットの
「14:節制」の持つ清楚な女神のイメージとは、少々というか相当に異なる感じがあります。

ここでちょっと気になるのは、「生命の木」のタロットの配属において、「14:節制」と
「15:悪魔」の配属に関する法則性に乱れがある、すなわち本来の位置と異なるというか、
元々の属性とは異なるのではないかという点なんですよね。

要は、「生命の木」においては、その感覚のズレを、支配星である「木星」が「ケセド」
と「10:運命の輪」という「慈悲の柱」に関連付けすることで、半ば強引に修正している
ような感じもあるわけです。
まあ、何が言いたいかというと、そもそも我々が持つ「14:節制」の清楚なイメージという
ものが、根本的に間違っている可能性が高いということなんですよね。

そう、「14:節制」は、「生命の木」のセンターの位置に、なりふり構わず押し入ってくる
ような、そういう「裏の顔」というか、かなり押しの強い一面があることは否めません。
つまり、「節制」というタイトルは、あくまでも営業上の表の顔であって、その裏には、
巧妙に隠された秘密というか、週刊誌向けのスキャンダルが山ほどありそうな、実に
魔術ヲタク向けな仕上がりとなっているわけなのでした。
0219名無しさん@占い修業中垢版2019/06/08(土) 06:58:21.38ID:9hLSEyKs
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
Chesed is suggested by the blue colored robe worn by the Golden Dawn angel, the
color of the Twenty-Fifth Path in Atziluth.
「ケセド」は、ゴールデン・ドーンの天使により着用される、「アツィルト界」における
「25番目の小径」の色である青で着色されたローブによって示唆される。

On the figure's breast is a golden square, a further reference to Chesed, to the
number four and to matter.
人物像の胸の上には、数値「4」および物質への、「ケセド」へのさらなる関連である、
金色の四角形がある。
--- ここまで ---

「ブリアー界(女王の位階)」における「ケセド」の「blue/青」は、「アツィルト界
(王の位階)」における「2:高等女司祭」および「14:節制」と同じ色です。
また、「金色」は「ティファレト」を示唆しますので、「ケセド」と「ゲブラー」を示唆
する左右の壺とのバランスを考えれば、この人物像のローブの「青」は、「14:節制」の
「青」がメインであると考えられます。

そして、全体的に見て「青みがかった」カードであり、「青の壺」が上位にあることからも
分かるように、ここはみだらな「青」ちゃんの領域であって、それゆえ色々とイケない妄想
が捗ることなるわけなのでした。

ちなみに、「青」には、元々が勉強熱心で理知的な固定イメージがあり、そういう指向の
人にとっては、「青いいよね」というような隠れファン的なものがあったのですが、近年
では、「青」とか「蒼」という分野で、色々と従来の固定概念を覆す、本来あるべき姿が
垣間見られるような人物像が見られるようになったのも、時代の流れなのだと思います。

まあ、何が言いたいかというと、「青いいよね」ということが言いたいわけですよ。
0220名無しさん@占い修業中垢版2019/06/09(日) 07:15:26.08ID:E3x0y776
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
In the Waite card the square is covered by a triangle, meaning that all of the
manifest Universe is governed by the Supernals.
ウェイト版カードにおいては、四角形は三角形により覆われており、顕在化した「宇宙」
の全てが「至高なるものたち(至高の三角形)」により統治されることを意味している。

Here we recall that Chesed is the architect of all manifestation, working with
the pure "potential to form" of Binah.
ここで我々は、「ケセド」が全ての顕在化の設計者であって、「ビナー」の純粋な
「形成する可能性」によって働いていることを思い出す。
--- ここまで ---

ウェイト版においては、ゴールデン・ドーン版の金色の四角形ではなく、白い四角形と
その内側にある金色の三角形として描かれています。

これが、本当に「4:ケセド」と「至高の三角形」、あるいは「3:ビナー」を意味している
のかは不明なのですが、ウェイト氏自身は、これは「3+4=7」であり、「7」を意味して
いると述べています。
つまり、以前に出てきた「錬金術の7種の金属」というネタですよね。

個人的には、「14:節制」は「ティファレト」以下の存在であり、我々がギリギリ手の届く
領域ですが、「ケセド」や「ビナー」、そして「至高の三角形」は、我々の理解を超える
存在ですので、あまり近づきたくない領域ではあります。
というか、詳しく説明されても、「はぁ、そうですか」以上のことは言えませんしね。

ということて、せっかくのご提案ではありますが、ワタシとしては、ウェイト版の四角形
と三角形は、「3+4」の錬金術レベルのネタであるとしておこうと思います。
そして、この記号の直上に、「四大元素」を表す「聖四文字」があるのも、錬金術レベル
の話であれば、ネタとして使いやすいですしね。(←割と身勝手な理由)
0221名無しさん@占い修業中垢版2019/06/10(月) 05:55:28.15ID:7DWD+4+u
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
To reiterate the important meanings of TEMPERANCE:
「節制」の重要な意味たちを繰り返して言えば:

1) It refers to an actual physical process, one which has been the secret of
mystics for centuries.
1) それは、実際の物質的な過程であり、何世紀にもわたって神秘家たちの秘密であり
続けているものに言及している。

2) This process involves an interchange of opposite energies directed by the will.
2) この過程は、意志により導かれる正反対の精力たちの交換を巻き込む。

3) The process is set in motion at the level of the Higher Self.
3) 過程は、「高次の自我」の段階で発動される。

It is instituted in Chesed, the most refined level of Microprosopus to which the
Higher Self is central, and the Sephira where the will to form of the Great Mother
is enacted.
それは、「高次の自我」が中心的であるところの「ミクロプロソプス(小さな顔)」の最も
精錬された段階であり、そして「大母」の形成への意志が演じられるところの「セフィラ」
である、「ケセド」において開始される。

4) Until this process is accomplished, the Higher Self cannot be known to the
Personality.
4) この過程が完成されるまで、「高次の自我」は「人格」に知られることはできない。
--- ここまで ---

とりあえず、ざっくりとまとめてみました、という感じですが、「ティファレト」への
真の到達のためには、「ケセド」、そしておそらく、それと対になる「ゲブラー」への
理解が必要となってくることを示唆している感じですよね。
0222名無しさん@占い修業中垢版2019/06/11(火) 06:21:47.27ID:py8aRlQM
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
The whole experience is one of preparation of the Personality, and the body in which
it is operating, to deal with an influx of Light which would be devastating to a
system unready to handle such energy.
全ての経験は、「人格」の準備の1つであり、そしてそれが動作している身体が、そのような
精力を取り扱うための準備ができていない組織にとって荒廃させるであろう「光」の流入に
対処するためである。

Most important here is the monitoring of progress, the continual testing from above.
ここで最も重要なことは、進歩の監視であり、上からの絶え間のない試験である。
--- ここまで ---

「ティファレト」へ到達するとすぐに、圧倒的な「ケセド」と「ゲブラー」の流れに直面
することになりますので、「14:節制」が防波堤となっていて、少しずつ弱めた流れを
下界に送っているということであり、我々は、その弱められたワクチン的な流れで、
体と精神を鍛えていかなければならないということですかね。

なお、「14:節制」は、見る角度によって、いくつか異なる性質を持っています。
大きくは、トート版に見られる「錬金術」という物質的進歩という表側の面、そして
「知恵の32の小径」に見られる「試験者」という霊的進歩という裏側の面なのですが、
どちらにしても、あまりにも漠然としているというか、基本的な概念すぎて、いまいち
掴み所の無いというか、「まあ、無理だと思うけど、とりあえず教科書を読んで頑張れww」
と言われてるような感じで、なんか面白くないんですよね。
そもそも「節制」というタイトルからしても、全くもって面白味に欠けるわけですよ。

要は、かなりの上から目線ということであるわけですが、それは、この「14:節制」を
陰で操る支配者が、この場にそぐわないほどの「上位者」であることを示唆しているわけ
であって、そういう面も、いまいち気にくわないわけなんですよね。(←単なる反抗期w)
0223名無しさん@占い修業中垢版2019/06/13(木) 06:13:53.87ID:tMK01GJo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
It is the angel here which is at once the Higher Self and the initiatory forces
of Nature, which pours the elixir from vase to vase.
それは、「高次の自我」であると同時に「自然」の最初の力であり、壺から壺へと万能薬を
注ぐ、ここの天使である。

This is an ongoing process of testing, measuring to see how much the physical
vehicle can bear.
これは、物質的な乗り物がどれくらい耐えることができるかを見るために測定している、
試験の進行中の過程である。

When it can handle the stress of the energy interchange here symbolized, the arrow
is released.
それが、ここで象徴される精力交換の重圧を取り扱えるようになった時に、矢は放たれる。
--- ここまで ---

この天使は、「ティファレト」もしくは「高次の自我」である「倫理的三角形」を象徴する
存在、すなわち、我々のような「肉体=物質的な乗り持つ者は、基本的には到達できない
領域の存在であり、その上位存在が、我々下等な存在を試して、合格した者だけに、それ
相応の施しをしているということであり、言ってみれば、人間は天界の奴隷的というか
隷属的な存在であることを示しています。

まあ、確かにそうなのですが、改めて面と向かってそういうことを言われると、やっぱり
反発してしまうのがワタシの性格ですので、そういう意味でも、「中央の柱」で偉そうに
全てを司る「14:節制」は、いまいち好きになれないポジションなわけです。
まあ、しょせんワタシは、脇道を歩く方が性格的にも合ってますしね。

逆に言えば、素直にここの教えに従える人は、この「4:節制」の天使から、それ相応の
「天からの御加護」を受けることが出来るということであり、それゆえ、魔術の本道を
歩む人にとっては、それなりに人気のあるコースということなんですよね。
0224名無しさん@占い修業中垢版2019/06/14(金) 06:36:01.69ID:dAck0gva
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
On the other hand, the Angel makes certain that no individual is allowed more
than it can handle.
その一方で、「天使」は、個人が、それが取り扱えるものより以上を許されないことを
確保する。

The result of taking on too much at once is an admonishing jolt, from this angel,
not soon to be forgotten.
一度に多すぎるものを引き受けることの結果は、この天使からの、すぐには忘れられない、
戒めとなる精神的動揺である。

The angels, described as sentinals at each inner gate, are there for our own protection.
各々の内なる門における監視員たちとして述べられている、天使たちは、我々自身の保護
のために、そこにいる。
--- ここまで ---

最後の文の「sentinals」は、「sentinels/監視員たち」の誤記ですかね。

さて、まあ何というか、我々は「常に天界から監視されている」ということなのですが、
実際のところ、だから何なの?という感じでもあります。
悪事に対する天罰というような、単純なものでもなさそうですし、天使からの戒めだと
言われても、なかなかそういう天罰っぽいものを実感として感じることは難しいです。
そもそも、天災というものは、誰にでも分け隔てなく襲いかかってきますからね。

ワタシ的には、「ここから先は通さないよ」とか、「これ以上は見せられないよ」という
ような、どちらかというと「18禁」のような検閲者としての存在のような感じが強いです。

要は、ワタシから見れば、この「14:節制」は、天使により「部外者(すなわち人間は)
通行止」となっている規制ポイントであり、現状では、人は、生きてここを通ることは
出来ないのではないかと考えているのでした。
0225名無しさん@占い修業中垢版2019/06/15(土) 07:40:57.02ID:HR/6795b
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
Some special insights may be derived by considering the description of the letter
Samekh in the Sepher Yetzirah, although the terms in this document lend themselves
to an extraordinary range of interpretation.
いくつかの特別な洞察たちは、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』における、文字
「サメク」の記述を考慮することにより導き出せるであろうが、しかし、この文書における
用語たちは、解釈の特別な範囲に役立つのであるが。

The word anger ([zayin][gimel][vau][resh]) is referred to Samekh.
「怒り」([zayin][gimel][vau][resh])という言葉が、「サメク」に関連付けされている。
--- ここまで ---

おせっかいで過保護な母親みたいな「天使」像は、ひとまず置いといて、ここからは
ウェストコット版『セフェル・イェツィラー(形成の書)』にある「サメク」の文字の
意味について、少々考察しようということです。

この「サメク」=「怒り」という関係は、第五章の本文部分にあるものですが、第五章の
補遺部分では「Sleep/眠り」となっていますし、何か客観的な根拠があるというものでも
ありませんので、そういう考え方もあるんだ、という感じでいいかと思います。

あくまでもメインは、「試験の、もしくは誘惑の知性」であり、「あなたのタメよ」とか
言いながら、色々と難クセ付けてダメ出しする毒親、いやいや、我々のことを思ってくれる
ありがたくも偉大なる天使さまであって、決してワタシみたいに意味無く反発するような
存在ではないんですよね。

ちなみにワタシは、「13:死」「14:節制」「15:悪魔」を、「メイド(冥土)の女神」、
「毒母の女神」、そして「ようじょの女神」という捉え方をしており、「15:悪魔」像
の中身は、実はツンデレかつツインテのようじょに違いないと、勝手に妄想して盛り上
がっていましたので、その後の「14:節制」以降についての考察は、なかなかヤル気が
出ないのでした。(←完全に趣味の世界w)
0226名無しさん@占い修業中垢版2019/06/16(日) 06:31:54.26ID:TE/d4Sds
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
However, Case states that this is a "blind," and that the original meaning of the
Hebrew word was quivering or vibration.(*145)
しかしながら、ケース氏は、これは「盲目的」であって、ヘブライ語の原初の意味は「震え」
もしくは「振動」であったと述べている。(*145)

Such an interpretation is entirely consistent with the alchemical symbolism, for
the interchange of Fire and Water is a control of inner vibrations.
「火」と「水」の交換が内なる振動の管理であるため、そのような解釈は錬金術の象徴主義
と完全に一致している。
--- ここまで ---

ちなみに、(*145)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
145. Paul Foster Case, The Tarot, New York, 1947, 147.
145. ポール・フォスター・ケース著、『タロット』、ニューヨーク、1947年、147ページ。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、『セフェル・イェツィラー』にある「サメク=怒り」に対して、それは「blind/
盲目的」な解釈だと言われても、元々何かの客観的根拠があって「サメク=怒り」となって
いるわけではありませんし、しょせん、あくまでも「ネタ」なんですけどね。

とりあえず、ケース氏は、「サメク=震え」説ということなのですが、この「quivering/
震え」というのは、恐怖、怒り、緊張などによる「身震い」という意味がありますので、
「14:節制」が、そういう感情を引き起こすということは、やはりこれは「清純派」など
ではなく、本質的にヤバいもの、とてつもなく強大かつ制御困難なシロモノ、例えて言えば
核物質みたいなものを連想させるわけですので、そういうものを「節制」という精神論で
「管理」させようというのは、かなりヤバいヤツであると考えざるを得ません。
というわけで、そういう危ないものには近づかないのが一番なのでした。(←実はビビリw)
0227名無しさん@占い修業中垢版2019/06/17(月) 06:18:05.14ID:iGpO3Tsv
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
But there are two other meanings of "anger" which might be appropriate to this Path.
しかし、この「小径」に適切であるかもしれない「怒り」の2つの他の意味がある。

First is the idea of anger in the sense of Divine rage, a passion so overwhelming
that its force draws the bow and releases the arrow of Sagittarius on the upward
Middle Pillar.
1番目は、「神の激怒」の意味での怒りの考え方であり、その熱情が非常に圧倒的である
ため、その力が弓を引き、「中央の柱」に沿って上向きに「人馬宮」の矢を放つ。
--- ここまで ---

「14:節制」に、「anger/怒り」という意味が含まれているということは、いまいち理解
しづらい考え方なのですが、そういう時は、とりあえず「Divine/神の」という便利な
接頭語を付けておけば何とかなる、というか、これ以上は詮索してはいけないというのが、
この業界の暗黙のお約束事なのです。

いずれにしても、我々のレベルでの「anger/怒り」という感情ではないことは確かです
ので、興味のある方は、この「Divine rage/神の激怒」について、色々と妄想を捗らせて
みても良いかと思います。

まあ、ワタシとしては、この「14:節制」の「小径」については、色々とヤバそうな感覚を
持っていますので、あまり近づきたくはないんですよね。
この「人馬宮の矢」なるものが、どっち向きに飛んで来るのかわかりませんというか、
どちらかというと、「16:塔」のように下向きに落ちてくる可能性の方が圧倒的に高いわけ
ですし、そもそも「憤怒する神」なんかに触りたくないというか、そもそも面倒臭いので、
これ以上は、お付き合いたくありませんというのが、本音のとこです。
ワタシにとっては、「15:悪魔」が、一番居心地の良いというか、お気に入りの場所に
なっていますので、これ以上先には進みたくないというのもありますしね。←怠け者w
0228名無しさん@占い修業中垢版2019/06/18(火) 06:34:14.93ID:uMVwhtX5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
Second, is an aspect of the Mysteries only rarely discussed, and certainly germane
to the Twenty-Fifth Path: this is the very real hostility often felt by the student
toward the Path itself, as he works day after day and seems to be getting nowhere.
2番目は、ごくまれに論じられる「神秘的教義」の見方であり、そして、確かに「25番目の
小径」に確かに密接に関係している:これは、彼がどれほど来る日も来る日も勉強しても、
どこにも辿り着けていないように見えるにつれて、「小径」に向かう学徒により、しばしば
感じられる、とても現実味のある敵意である。
--- ここまで ---

まあ、こちらの方は、「Divine/神」ならぬ「Mysteries/神秘的教義」の「anger/怒り」
ということですので、ワタシにも何となく意味は分かります。

要するに、「14:節制」の「試験の知性」により「試されている」状態において、受験者の
出した答えが合格水準に達していない、つまりダメ出しをくらっていて、合格できずに前に
進めなくて、逆ギレの癇癪を出しているというシチュエーションですよね。

実際のところ、この「14:節制」は、その見た目とは違って、かなりキツい性格というか、
厳格すぎるダメ出しを行いますので、ほとんどの人は、この関門を通過できずに、別の道
に逃避する、すなわち、合格を諦めるか、もしくは自称合格者となる傾向があります。

ワタシ自身は、「14:節制」へのチャレンジは、そもそも時間の無駄であると思っています
ので、ハナっから挑戦する気はありませんし、それよりも「15:悪魔」のルートの方が気に
入っていますので、そっち方面には興味が無いというのが、本音のところです。

あ、決して強がり言っているわけではありませんし、そもそもワタシは、「14:節制」の
試験合格により「神のお墨付き」という箔付けされた権威を得る必要は全く無い、単なる
「15:悪魔」好きで妄想好きの現実主義者なわけですしね。
そもそも、上から目線の「神」から認められるのって、興味ないんですよね。←単なる反抗期w
0229名無しさん@占い修業中垢版2019/06/19(水) 06:06:33.26ID:nlB5sKGK
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
Such hostility and frustration is in itself a major test; it is part and parcel
of the work prior to the emergence of inner proofs.
そのような敵意と挫折感は、それ自身の中での主要な試験である;それは内なる証拠たちの
出現に先立つ作業の重要な部分である。

The anger, if it may be called that, is dispelled along this Path, as the Spirit
begins to fill the vessel in which the elements have been purified to receive it.
怒りは、もしそれが呼び出されたとしても、 「霊」が、元素たちがそれを受け取るために
精錬された容器を満たし始めるにつれて、この「小径」の途中で追い払われる。
--- ここまで ---

この「anger/怒り」という感情の解消法ですが、まあ様々な解消法があるわけでして、
真っ当に勉強して理解を深めて納得して解消できるのが一番なのですが、それ以外にも
様々な解消法があるわけです。
つまり、ワタシみたいに、「触らぬ神に、祟りなし」ということで、ハナっから避けると
いう手もアリだと思います。

危険なのは、こういう「負の感情」は、修行の足りない人々にとっては、「洗脳」とか
「欺瞞」とか「逃避」とかの、格好の標的になりやすい、つまり、この「14:節制」の
「小径」は、我々が道を踏み外しやすい、危険な場所でもあるわけです。

そもそも、低レベルの「イェソド」から、高レベルの「ティファレト」へと、一気に遷移
する、かなりの高難度かつ高傾斜であり、初心者向きではないルートですので、きちんと
両脇のルートで事前練習しておかないと、いきなりここを登るのは難しいと思うのですよ。
(まあ、最後まで登ったことは無いですけど・・・。)

ということで、ここまでくれば、後はあまり無理して登らなくてもいいかな、とは思います。
どうせ我々にとっては、この先はすぐに行き止まりになってしまって、後は妄想で補うしか
ない道ですからね。
0230名無しさん@占い修業中垢版2019/06/20(木) 06:02:23.68ID:GHyH4a67
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
The relationship of this Path to three others provides one of the best interlocks
of Qabalistic symbolism, for the combined letters of the three lowest Paths,
[qoph], [shin], and [tau], spell the Hebrew word for bow.
この「小径」の3つの他のものとの関係は、「カバラ主義」の象徴主義の最も良い連動装置
たちの1つを提供する。というのは、3つの最も低い「小径たち」である、[qoph]、[shin]、
そして[tau]の結合された文字たちが、「弓」のヘブライ語の言葉を綴るからである。

The same word also means rainbow, a recurring symbol in the Tarot.
同じ言葉はまた、「タロット」において再発する象徴である、虹も意味している。

These three Paths are the forces which, when combined, send the arrow skyward
toward Tiphareth.
これらの3つの「小径たち」は、結合される時に、矢を「ティファレト」に向かって空へと
送る力たちである。
--- ここまで ---

いきなり、[qoph]=「18:月」、[shin]=「20:審判」、[tau]=「21:宇宙」の話に飛んで
しまいましたが、要するに、ヘブライ語の「[tau][shin][qoph]QST」が、「bow/弓」とか
「rainbow/虹」を意味する言葉であるということです。

ただちょっと気になるのは、「14:節制」「18:月」「20:審判」「21:宇宙」で形作られる
「arrow/矢」は、上方の「ティファレト」ではなく、下方の「マルクト」に向かっている
ようにしか見えないわけです。
本来の「14:節制」は、流量は少ないものの、その高低差のために高い圧力のある下降流
ですので、下向きの矢印というのであれば納得いくのですが、その強力な流れに逆らって
上向きに矢を放つのは、なかなかにしんどいのではないかと思います。

そもそも、山登りというのは、急傾斜の直線ルートではなく、ジグザグに緩やかなコースを
取るのが基本ですので、良い子は真似しない方が良いのではないかと思うのでした。
0231名無しさん@占い修業中垢版2019/06/21(金) 06:22:29.28ID:Ev8guEzU
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
These are the three minor tests prior to the major testing of TEMPERANCE.
これらは、「節制」の大きな試験に先立つ、3つの小さな試験である。

To even approach the twenty-fifth Path one must have begun to temper the "Water"
of The MOON ([qoph]) with the "Fire" of JUDGMENT ([shin]) and ground the interchange
on the Path of THE UNIVERSE ([tau]).
25番目の「小径」に接近することでさえも、人は「月([qoph])の「水」を「審判([shin])」
の「火」で調節し、交換を「宇宙([tau])」の「小径」に基づかせることを始めなければ
ならない。

This work is suggested in THE UNIVERSE by the bi-polar rods carried by the central
figure.
この作業は、「宇宙」において、中央の人物像により運ばれる双極の棒たちにより示唆される。
--- ここまで ---

ここは、若干の無理矢理こじつけ感がハンパないのですが、とりあえず言えることは、
「21:宇宙」と「14:節制」は、「minor/小さな」試験と「major/大きな」試験という
関係にあり、どちらも両極のバランスと調整が鍵となっているということです。
そして、「21:宇宙」を伝って「イェソド」に到達した後でも、「21:宇宙」における
「月の水」と「審判の火」の交換という難しい課題をクリアしないことには、「14:節制」
には近づくことさえ出来ないということですよね。

まあ、そういうわけで、我々のような下々の人間は、そう簡単には、「ティファレト」への
ショートカット・ルートである「14:節制」には近づくことさえ出来ないという仕掛けです
ので、とりあえず指をくわえて、遠くから見ているだけにしておこうと思います。

要は、「14:節制」は、その見かけとは違って、難攻不落な関門であり、この天使像は、
人には優しくない、どちらかというとラスボス的な怖い存在だということですよね。
0232名無しさん@占い修業中垢版2019/06/22(土) 06:51:41.55ID:5efGCD+9
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
The Golden Dawn and Waite cards are very similar in their symbolism, both following
tradition very closely.
ゴールデン・ドーン版とウェイト版のカードたちは、両方が非常に密接に伝統に従い、
それらの象徴主義においては、非常に.類似している。

The Golden Dawn vases are red and blue to symbolize an interchange between opposite
energies (Chokmah and Binah in their Atziluth colors).
ゴールデン・ドーン版の壺たちは、正反対の精力たちの間の交換を象徴するために、赤色と
青色である(「コクマー」と「ビナー」の、それらの「アツィルト界」での色たち)。

The vases on the Waite card are gold to show that all of this is an operation of
the Sun.
ウェイト版カードの壺たちは、これの全てが「太陽」の操作であることを示すために金色
である。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版とウェイト版の「14:節制」の基本デザインは、従来のマルセイユ版
を踏襲しており、そして、それぞれに独自のアレンジがされています。

ゴールデン・ドーン版の特徴は、壺の色が赤と青であって、それは「火」と「水」、そして
それは遠回しに「ビナー」と「コクマー」を象徴しています。
その一方で、ウェイト版の壺は、従来の金色(実際は黄色)を踏襲してはいますが、それは
「ティファレト」である「太陽」を象徴するものとなっています。

つまり、どちらかというと、ゴールデン・ドーン版の方が、その解釈が難しくなっている
わけであり、そこから派生したウェイト版では、マイナーチェンジで、過去デザイン風に
回帰し、そしてトート版は新解釈によるフルモデルチェンジになったということですかね。

まあ、どちらがいいのかは、人それぞれですが、ちなみにワタシはウェイト版が好みです。
0233名無しさん@占い修業中垢版2019/06/23(日) 07:22:45.99ID:7enwoINz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
That planet is also represented by the sign on the angel's forehead, and by the
sphere above the Golden Dawn angel's head.
その惑星は、また、天使の額にある記号により、そしてゴールデン・ドーン版の天使の
頭の上にある球体によって、表されている。

In both cases, also, the angel has one foot on solid water and the other on land
meaning solid matter and fluid consciousness.
どちらの場合においても、また、天使は、堅固な物質と流動的な意識を意味する、一方の
足を堅固な水に、そしてもう一方を陸地に置いている。
--- ここまで ---

ウェイト版の「14:節制」の「太陽」は「on」、すなわち、この天使像は「ティファレト」
を象徴しています。
その一方で、ゴールデン・ドーン版の「太陽」は「above」、すなわち、この天使像は
「ティファレト」の下にある「14:節制」の「25番目の小径」であると推定できます。

体の重心も、ウェイト版が「水」の上にあるのに対し、ゴールデン・ドーン版は「地」の
上にありますので、両者の立ち位置の微妙な違いというのが感じられます。

なお、文中に「solid water/堅固な水」という、よくわからない表現がありますが、
もしかすると、物質ではない「水」、すなわち「完全精製された水=純粋な精神」という
意味なのかもしれません。

まあ、いずれにしても、全体的に意味が漠然としすぎているというか、論点の定まらない
精神論的なカードというか、一体どっちの立場やねん!というツッコミを入れたくなるよう
なネタが満載ですので、あまり細かく詮索する必要はないかと勝手に思っております。

その点では、まあ何というか、修行中の若い人向けというよりも、全てをやり尽くした
寿命末期における「悟り」に近いものを、このカードからは感じるんですよね・・・。
0235名無しさん@占い修業中垢版2019/06/24(月) 06:26:25.05ID:uBCr3thn
>>234

絶妙なツッコミレス、ありがとうございます。(^_^)/

なるほど、この映像は、流れているのに凍って固まったように見える「水」ですね。

色々と見直してみたのですが、「14:節制」には、天使像の持つ壺から壺へと流れ下る
「Living Water/生ける水」という、もう一つの「水」の様相がありますので、それと
対比するために、足元にある「水」は、「solid water/固まったように見える水」という
表現になったのではないかと推察しています。

とりあえず、これからも色々とツッコミよろしくお願いします。 (^_^)
0236名無しさん@占い修業中垢版2019/06/25(火) 06:20:52.52ID:iDXWxyIH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
The Water is somewhat representative of Yesod, the lower source of this Path, the
Foundation which is the source of the dualities of our sensory condition and which
controls their ebb and flow.
「水」は、この「小径」の低い方の源であり、我々の感覚の状態の相対性たちの源であって、
それらの満ち引きを制御する「基盤」である、「イェソド」をいくぶん代表している。

These are the opposites which we seek to manipulate through the conscious use of
the Solar Fire shown in the background as a flaming volcano.
これらは、我々が、背景で、燃え上がる火山として表される「太陽の火」の意識的な使用を
通じて操作しようと努めるものの反対物たちである。
--- ここまで ---

「14:節制」は、その象徴が多岐にわたっているため、非常にわかりにくくなっているの
ですが、ここは、天使像の足元にある、低い方の「水」と「地」との関係性の話です。
つまり、「水(海)」と「地」のやり取りは、潮の干満であり、それは「イェソドの月」と
「ティファレトの太陽」の関係により引き起こされます。
そして、この低い方の関係性が、高い方の「ケセドの水」と「ゲブラーの火」と「ティファ
レトの太陽」の関係性に類似しているということですよね。

とはいえ、その関係性が、具体的に何に使えるのかと言われても、漠然としすぎていて、
ちょっと困ってしまいます。
強いて言えば、この壺の間を流れる水は、無限なる虚数空間のエネルギーが内包される、
「宇宙の卵」の状態であり、それをうまく孵化させる知恵と力と勇気が試されているといった
ところでしょうか。
でも、その作業は、我々とは関係ない上位世界の話ですので、下界に応用したいので
あれば、「上の如く、下も然り」という「ミソクソ理論」を適用していくことになるのですか、
なんか、ありきたりの結論しか出なさそうですし、いまいち面白味に欠けるというか、
もう当たり前すぎて、つまんないわけです。
そもそも、「節制」というタイトルが、真面目すぎてつまんないのですよ。←蒸し返しww
0237名無しさん@占い修業中垢版2019/06/26(水) 05:59:28.63ID:MG6AxPIw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
Crowley's symbolism is at once more complicated and more explicit, although the
meaning of the card which he calls Art is precisely the same as the others.
クロウリー氏の象徴主義は、より複雑であると同時に、より明示的であるが、けれども、
彼が「技」と呼ぶカードの意味は、その他のものたちと全く同様である、

And, of those cards in which Crowley deviated radically from traditional design
this is one of the most successful.
そして、クロウリー氏が伝統的な図案から徹底的に逸脱したそれらのカードの中で、これは
最も成功しているものの1つである。

It graphically demonstrates complex and subtle principles only vaguely suggested
by the Waite and Golden Dawn cards.
それは、ウェイト版とゴールデン・ドーン版カードにより漠然と示唆されただけの複雑で
微妙な原則たちを図解で説明する。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版とウェイト版の「14:節制」、そしてトート版の「14:技」のカード
は、見た目は異なりますが、その意味は、全く同じものとなっています。
その一方で、それらは、従来のマルセイユ版の「14:節制」の意味とは大きく異なります。

このため、従来のマルセイユ版の「14:節制」の意味で、ゴールデン・ドーン系のカードを
解釈してしまう人も多くいます、というか、ほとんどの人が、「節制」という従来タイトル
の言葉に引きずられてしまっているのが現状なんですよね。
残念ながら、これは日本語訳に大きな問題があるというか、単に、カードの意味を知らない
訳者の怠慢というべきものではないかと思います。

ゴールデン・ドーン系においては、「14:Temperance」は、葡萄酒を水で割る節約イメージ
の「節制」と訳すのではなく、「Tempering」、すなわち「高次の火」や「高次の水」で
素材を霊的に改質する、高度な錬金術を表す「錬成」に近い言葉で訳すべきなんですよね。
0238名無しさん@占い修業中垢版2019/06/28(金) 06:02:08.40ID:CH/+SAM0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
Crowley points out in his Book of Thoth that this card is the complement and fulfillment
of Key six, Gemini, THE LOVERS.
クロウリー氏は、彼の『トートの書』において、このカードが「鍵(大アルカナ)」の6番、
「双子宮」、「恋人たち」の、補足物であり成就であることを指摘する。

It is "the Consummation of the Royal Marriage which took place in Atu VI. . .
It is the same formula, but in a more advanced stage.
それは、「アチュVIにおいて起こった「王室の結婚」の完成である。..・・・ それは同じ
公式ではあるが、より進歩した段階にある。

The original duality has been completely compensated; but after birth comes growth;
after growth puberty; and after puberty, purification."(*146)
原初の二重性は完全に補償された;しかし、誕生の後には成長が来る;成長の後には成熟期
を迎える;そして成熟期の後に 浄化を迎える。」(*146)
--- ここまで ---

ちなみに、(*146)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
146. Crowley, Book of Thoth, 102-103.
146. クロウリー著、『トートの書』、102-103ページ。
--- ここまで ---
とあります。

要するに、「6:恋人たち」の「双子宮」と、「14:技」の「人馬宮」は、黄道上で180度の
「オポジション」の位置関係(占星術的には「対立関係」)にあり、ついでに言うと、
トート版の「ダブル・ループ図(『トートの書』38ページ)」においては、トップと
ボトムの位置を占めるという、かなり特別な位置関係にあるということです。
まあ、その重要性は何となく分かりますが、ワタシには、その中身までは理解できません
ので、さらりとスルーしようと思うのでした。(というか、あんまり関わりたくないし)
0239名無しさん@占い修業中垢版2019/06/29(土) 08:59:35.14ID:kHzmF7ng
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
There is a perfect interchange.
そこには完全な交換がある。

The alchemical Red Lion has become white, and the White Lion has become red.
錬金術の「赤い獅子」は白くなったところであり、「白い獅子」は赤くなったところである。

Water is poured on Fire, Fire is merged with Water, all within a golden cauldron
which is understood to be the purified physical vehicle.
「水」は「火」に注がれて、「火」は「水」と合併されて、全ては浄化された物質的な
乗り物であると解釈される金色の大釜の内にある。
--- ここまで ---

錬金術での基本象徴は、「火」の「Red Lion/赤い獅子」と、「水」の「White Eagle/
白い鷲」となっています。
それが、トート版では、「perfect interchange/完全な交換」により、「白い獅子」と
「赤い鷲」に変化しています。
つまり、本文中に、「White Lion has become red/白い獅子が赤くなる」という説明が
ありますが、『トートの書』にもあるように、「White Eagle has become red/白い鷲が
赤くなる」の誤記であると思われます。

あと、「赤」と「白」が合併すれば、ようじょヒロイン色の「ピンク」となるはずですが、
なぜか色のみの「入れ替わりネタ」となっているだけですので、いまいちセンター味に
欠ける展開となっているわけです。
とはいえ、錬金術には、純色ではない「ピンクヒーロー/ヒロイン」の概念はありません
ので、ここは妥協しておきましょう。

まあ、そういうことで、トート版の「14:技」は、錬金術の「大いなる技」をベースにして
再デザインされたものであるということなのですが、それゆえ、ワタシ的には、実用性
には著しく欠けるので、いまいちヤル気が出ないのでした。(ピンクに未練ありw)
0240名無しさん@占い修業中垢版2019/06/30(日) 09:42:34.03ID:0NNR2c46
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
It will be seen that a tiny arrow rises toward the breasts of the figure, which
are arranged in the form of the six planets of Microprosopus around the Sun.
小さな矢が、「太陽」を囲む「ミクロプロソプス(小さな顔)」の6つの惑星たちという
形式で配置された、人物像の胸に向かって昇るのが見られるであろう。
--- ここまで ---

「ミクロプロソプス(小さな顔)」は、「生命の木」においては、「ティファレト:太陽」
を中心に取り囲む「ケセド:木星」「ゲブラー:火星」「ネツァク:金星」「ホド:水星」
「イェソド:月」という配置になっており、それがそのまま、トート版の人物像の胸の
「6つのおっぱい」として描かれています。
この、たくさんのおっぱいを持つ女神像というのは、自然系とか農業系とか多産系の女神
に良くある表現であり、トート版では、これはローマ神話の狩猟の女神「ディアーナ」で
あるとされています。

そして、胸の矢は、「14:技」の「小径」である、「イェソド」から「ティファレト」へと
向かって上昇し、その聖なる上昇流は(乳コキのように)胸の上で枝分かれして、
上部にある人物像の虹色の「cape/ケープ(肩マント)」と変化していなります。

ついでに言うと、下部にある「金色の大釜」には、「caput mortuum/髑髏」と、その上の
「raven/ワタリガラス」という、よくある不吉な死の象徴が描かれており、これは錬金術
操作による「死=黒化」を象徴するものとなっています。
これは、「イェソド」から「マルクト」へと向かう下降流を意味しており、我々と我々の物質
宇宙は、「精霊」を抜かれた後の「腐敗して黒化した存在」、つまりウンコやオシッコ
などの排泄物であり、その排泄行為が「21:宇宙」に関係する「肉体的快感」に繋がって
いるということでもあります。

まあ、このあたりのエログロスカトロを暗喩する描写は、クロウリー氏の個人的趣味に
よるものが大きいわけで、従来のゴールデン・ドーン系タロットでは直接的に描かれる
ことの無かった、「14:節制」の持つ、もう一つの顔であるというわけなんですよね。
0241名無しさん@占い修業中垢版2019/07/02(火) 10:09:04.14ID:7tqg+QUB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
Moreover, the method of successfully treading this Path is cryptically given in
the Latin inscription around the figure: Visita Interiora Terrae Rectificando
Invenies Occultum Lapidem which means, "Visit the interior parts of the earth;
by rectification thou shalt find the hidden stone."
さらに、この「小径」に首尾よく足を踏み入れる方法が、人物像の周囲のラテン語の碑文
において謎めいて与えられる:「Visita Interiora Terrae Rectificando Invenies Occultum
Lapidem」、その意味は、「地の内部の部分たちを訪れよ;精留により、汝は秘石を見つけ
出すべし。」

The stone, sometimes referred to as the Philosopher's Stone is the ultimate goal
of alchemy.
石は、時として、錬金術の究極の目的である「賢者の石」と称される。
--- ここまで ---

トート版の「14:技」が、錬金術の「大いなる技」であることを象徴付けるものとして、
このラテン語の碑文があるわけですが、その内容は、「cryptically/謎めいて」、
つまり、ここには書けないような、18禁な内容が含まれているということです。

ちなみに、「14:節制/技」は、「生命の木」における「ミクロプロソプスの中心」である
「ティファレト:太陽」へと至る「小径」の中では、最も下層の「イェソド:月」が源流
となっており、この「」イェソド」は「性器」を象徴しています。
そして「地」である「マルクト」は「ミクロプロソプスの花嫁」であり、「21:宇宙」を
通じて「14:技」に描かれる「大釜」は、「花嫁」の「子宮」、そして上から流れ込む
「赤い火」と「白い水」は、「経血」と「精液」であることを類推させます。
もちろん、それらはあくまでも「象徴的である」と言われているわけですが、ここまで
露骨に描かれていれば、そういうことを実践しようとする人も出てくるわけですよね。

つまり、「マルクト」→「21:宇宙」→「イェソド」→「14:技」→「ティファレト」の
最短ルートには、そういう肉感的な「トラップ」が仕掛けられているということなのです。
0242名無しさん@占い修業中垢版2019/07/03(水) 09:45:37.36ID:k3iDXE+7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
Obviously, it would be impossible to expand here on the system of alchemy and the
Great Work, to which Crowley refers.
明らかに、クロウリー氏が言及する、錬金術および「偉大なる作業」の体系について、
ここで展開することは不可能であろう。

It must, however, be added that Crowley's use of alchemical symbolism has some
private meanings specific to his system.
しかし、錬金術の象徴主義のクロウリー氏の利用が、彼の体系に特有な、いくつかの私的な
意味たちを持つことは、追記されなければならない。

As in THE TOWER, he mentions that there is a special secret here, known to IX゜
initiates of his O.T.O., and one which readers will not be surprised to discover
is again blatantly sexual.
「塔」と同様に、彼は、ここに、彼の「O.T.O.」の「IX゜(第九位階)」の秘儀参入者たち
に知られる、特別な秘密があることについて言及しており、そして、読者が、それを知った
ところで驚かないであろうものは、またもや露骨に性的である。
--- ここまで ---

トート版の「16:塔」のデザインが、そそり立つ「おちんちん」に再構築されたのと同様に、
「14:技」のデザインは、様々なものを受け入れる「子宮/肉体」がメインとなっています。
そして、ここから先は、全年齢板では言及できないエログロネタ満載の、クロウリー氏の
私的な「黒歴史ノート」、いやいや、厳密に秘密にすべき高度な神秘的教義であるという
ことですので、ここは敢えてツッコミを入れずにスルーしておいた方が良いかと思います。

まあ、誰にだって、そっち方向の妄想を抱くことはあるわけですし、触れられたくない
黒歴史というものもあるわけですし、そもそも、個人的な性癖について、部外者があれこれ
詮索するのも、ちょっと違うような感じもしますからね。
いずれにしても、この「14:節制/技」には、実はそういう性的な妄想を呼び起こす成分が
含まれているということは、知っておいて損は無いということです。
0243名無しさん@占い修業中垢版2019/07/04(木) 09:13:39.08ID:8Zn5Bcsc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
In his book Sexuality, Magic and Perversion Francis King explains a "code" in which
the sexual techniques of the O.T.O. were described: "This code was drawn from the
traditional technical terminology of alchemy.
フランシス・キング氏は、彼の本の『性行為、魔術、および性的倒錯(性魔術の世界)』
において、「O.T.O.」の性的な手法たちが記述される「暗号」について説明する:「この
暗号は、錬金術の伝統的な技術専門用語から抜き取られた。

The penis was referred to as the athanor, the semen as the serpent or occasionally
the blood of the red lion, while the vagina was called the curcurbite or the retort.
陰茎は錬金炉、精液は「蛇」、または時おり「赤い獅子の血」として言及され、一方で、
膣は「蒸留瓶」または「蒸留器」と呼ばれた。

The secretions that lubricate the vagina were called the menstruum of the Gluten,
sometimes abbreviated to the menstruum, and the mixture of semen with vaginal
lubricant was termed the First Matter, or when supposedly transmuted by the magical
powers of the participants in the rite, the Amrita or Elixir.
膣を潤滑する分泌物たちは、「グルテンの溶媒」 , 時々「溶媒」と略され、そして膣の
潤滑液と精液の混合物は「第一物質」、あるいは、儀式において参加者たちの魔術能力たち
により変成されたと思われた時は、「アムリタ(甘露、不死の霊薬)」または「エリキシル
(錬金薬)」と名付けられた。
--- ここまで ---

二番目の文の「curcurbite」は、「cucurbit/蒸留瓶」の誤植ですかね。
あと、三番目の文の「menstruum/溶媒」は、「menstruum/メンス(生理)」という意味も
ありますので、その場合は「膣を潤滑する分泌液」だけではなく「経血」という意味を
持ってきます。

まあ、あくまでも自己責任における「いいオトナたち」のエログロ変態プレイと考えれば、
外野からの特別なコメントは不要ですかね。
0244名無しさん@占い修業中垢版2019/07/05(金) 11:08:17.36ID:/JEFIeGW
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
"The initiates of the IX゜ claimed that success in almost any magical operation,
from the invocation of a god to 'procuring a great treasure' could be achieved
by the application of the appropriate sexual technique." (*147)
「IX゜(第九位階)の秘儀参入者たち」は、神の召喚から、『偉大なる秘宝を獲得すること』
まで、大体どんな魔術的な作業における成功でも 、適切な性的手法の適用により達成
することができたと主張した。」 (*147)
--- ここまで ---

などと意味不明な供述をしており○○では精神鑑定も含め動機の解明にあたる方針です、
の典型的な例ではないかと思われます。

なお、注記の説明は、文字数制限にかかるので、一旦ここで切ります。
0245名無しさん@占い修業中垢版2019/07/05(金) 11:17:43.40ID:/JEFIeGW
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

ちなみに、(*147)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
147. Francis King, Sexuality,Magic and Perversion, New Jersey, 1972, 98.
Some Members of the O.T.O. disclaim King's work, particularly his Secret Rituals
of the O.T.O., New York, 1973.
It is said that he never had access to official O.T.O. documents, and that there
are errors in these books.
On the other hand, King is a very persuasive and competent scholar, whose work
is not lightly dismissed.
Pursuant to the claims of efficacy for these sexual techniques, it will be observed
that Crowley apparently never made much money in this way.
147.フランシス・キング著、『性行為、魔術、および性的倒錯(邦題:性魔術の世界)』、
ニュージャージー、1972年、98ページ。
O.T.O.の一部の会員たちは、キング氏の作品を、とりわけ『O.T.O.の秘密の儀式たち』
(ニューヨーク、1973年)について、否認している。
それは、彼は、決して公式のO.T.O.文書たちを入手したことはなく、しかも、これらの
本たちの中には、間違いたちがあると言っている。
その一方で、キング氏は非常に説得力があって有能な学者であり、彼の作品は 軽視して
捨てられてはいない。
これらの性的手法たちの有効性の主張たちに従って、クロウリー氏は、この方法で大金を
稼いだことは、どうやら決して無いということに気づくだろう。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、最後の一文が、本件についての結論の全てですよね。

いずれにしても、クロウリー氏の言う、トート版の「14:技」に象徴される「錬金術」は、
我々の知る「錬金術」とは、かなり異なっていて、非常に肉感的なものが含まれていると
いうことなのですが、そういう点では、その他の「14:節制」の持つ意味からは、かなり
離れているという感じを、強く受けるのでした。
0246名無しさん@占い修業中垢版2019/07/06(土) 07:06:12.09ID:owtSzzWr
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
24. THE PATH OF NUN
24. 「ヌン」の小径

Death


The Thirteenth Key
13番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「ヌンの小径」です。

ここは、いつものように、「カバラ」的解釈では、カードの見た目のデザイン、そして
その不吉なタイトルとは全く異なる属性と意味を持ちます。
それは、「上の如く、下も然り」、つまり、人類が到達可能な最高地点と言われる
「ティファレト」は、大宇宙の始まりである「ケテル」の劣化版であって、その「劣化ケテル」
から流出する最初の小径、すなわち「13:死」は、劣化版「0:愚者」であるという点です。
同様に、「15:悪魔」は劣化版「1:魔術師」であり、「14:節制」は劣化版「2:高等女司祭」
であると言えば、何となく「13:死」の潜在的な重要性が分かるのではないかと思います。

さて、この「13:死」とは、一体何なのでしょうか?
「肉体的な死」を意味するのかと聞かれれば、そういう意味も無くはないとは答えますが、
これが、劣化版「0:愚者」であること、天界から下る「燃える剣」のルート上にあること、
そして我々からは「下から見上げる暗黒デルタ地帯」、すなわち我々には見えない謎に満ちた
最果ての境界領域であること、さらにこれが「思春期症候群」と呼ばれる一連の不可思議な
現象を発症する根本要素であることなどから考えて、一つ一つ読み解いていくものであり、
それゆえ「不可思議のカルテ」としての「タロット・カード」として存在しているわけなのです。
0247名無しさん@占い修業中垢版2019/07/07(日) 06:04:43.32ID:AED1/mEb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
□ PATH COLOR: Green-blue
□ 「小径の色」:「緑青」

□ RELATED SOUND: G Natural
□ 「関連した音」:「Gのナチュラル」

□ SIGN: Scorpio (Fixed Water)
□ 「宮」:「天蠍宮(不動宮の水)」

□ MEANING: Fish
□ 「意味」:「魚」

□ SIMPLE LETTER: Movement
□ 「単字」:「運動」

□ ESOTERIC TITLE: The Child of the Great Transformers; the Lord of the Gate of Death
□ 「秘伝的な称号」:「偉大なる転換者の子;死の門の主」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、おいしそうな「魚」と、ヘブライ文字の「ヌン」と、
「天蠍宮(さそり座)」の占星術記号、および「生命の木」における「ヌンの小径」の
位置が図示された絵が描かれています。

あまり水気の感じられない「13:死」に対して、「Fish/魚」を意味する「ヌン」が割り
当てられていたり、砂漠に住む「さそり」が、なぜか占星術では水系だったり、静寂感の
ある「13:死」なのに、なぜか「Movement/運動」が割り当てられたりとか、色々と従来の
イメージとは異なる属性が付いていますが、それは我々の持つ「13:死」についての理解と
解釈が、根本的に間違っているということを意味しています。
ということで、全てを一旦リセットした上で、この先にある不可思議な世界にお進みください。
0248名無しさん@占い修業中垢版2019/07/08(月) 06:06:25.76ID:EQvApsWf
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM: The Twenty-fourth Path is the Imaginative Intelligence,
and it is so called because it gives a likeness to all the similitudes which are
created in like manner similar to its harmonious elegancies.
「知恵の32の小径たち」:「24番目の小径」は「想像力豊かな知性」であり、なぜならそれは、
その調和する優雅さに類似した方法と同様にして、創造された全ての類似物たちに類似性を
与えるためにそう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用となっています。

「24番目の小径」は、「ティファレト」が劣化「ケテル」であり、「上の如く、下も然り」
の原理に従って、「大宇宙の如く、小宇宙も然り」、すなわち「神の如く、人も然り」で
あって、「創造力」は「想像力」と同等であることを表しています。

これは、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」に類似した概念であり、「思う」という
「意志」の力で「創造」が始まり、そして維持されるということを表します

あれぇ、「13:死」って、「創造」のカードだったっけ?

そろそろ気づいた人もいるかと思いますが、このカードは、「15:悪魔」と同様に、
「一般人は絶対立入禁止」の領域にある、禁忌のカードです。
それゆえ、人が立ち入ることのないよう、恐ろしいタイトルと恐ろしい外観をしている、
見せかけ詐欺カード、というか究極ツンデレの一枚となっているわけですよね。

え、ツンデレのバニーガール、いやいや死神コスプレ姿の女神様は好きですか、ですって?
ワタシは、人を見かけで判断することはありませんし、ツンデレも大好物なブタ野郎です。
それに、とても相性が良いカードであって、昔からお気に入りの一枚だったりします。
0249名無しさん@占い修業中垢版2019/07/09(火) 08:35:58.90ID:UGvgkK5P
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The Path of Nun, DEATH, is one of the three Paths leading from the Personality to
the Higher Self.
「ヌンの小径」である「死」は、「人格」から「高次の自我」へと導く3つの「小径たち」
のうちの1つである。

As a preface to its study one may usefully consider comments by Case and Crowley.
その勉強への前書きとして、人が、ケース氏とクロウリー氏による解説たちを熟考する
ことは役に立つかもしれない。
--- ここまで ---

低次の「人格」のセフィロトから「高次の自我」である「ティファレト」へと至る「3つの
小径」である「15:悪魔」「14:節制」、そして「13:死」は、一セットの存在、すなわち、
元は同じ「高次の自我」が、それぞれ異なる様相、すなわち悪魔像と天使像と死神像で、
下界である「人格」界に顕現したものとして解釈することが可能です。

その解釈の一つとして、伝統的な「Triple Goddess/三相一体の女神」と呼ばれる概念が
あり、これは「少女・母・老婆」の姿が代表的ですが、それぞれ「15:悪魔」「14:節制」、
そして「13:死」に相当するものとなります。
まあ、「老婆」の姿はさらに進化し、最も「高次の自我」に接近した姿である骸骨となって
おり、その一切の贅肉を削ぎ落とした進化した姿、つまり究極の裸体を得ることによって、
単なる大地母神の枠にとどまらない強力な属性、すなわち天界へと通じるパワーを持つこと
になってきます。
要は、元祖「地母神」の「ビナー」の持つ「大宇宙の骨格を創造する次元形成能力」に相当
する、「小宇宙の骨格を創造する次元形成能力」を有するということですよね。

この「小宇宙」は、各々の「人格」毎に形成され、「大宇宙」のサブクラスとして存在する
インスタンスであり、その場合は、「13:死」がコンストラクタ/デストラクタとなります。
というわけで、この「24番目の小径」は創造主ではありますが、誰も産まれた時のことを
覚えていないので、結果的に「死神」として恐れられてしまうということなんですよね。
0250名無しさん@占い修業中垢版2019/07/11(木) 10:33:08.30ID:hzSfQbbZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
Says Case: "Key 13 tells the Secret of Secrets...he who knows the secret has in
his hands a power which might be used to overturn the world.
ケース氏は言う:「13番の鍵(大アルカナ)は、「秘密たちの中の秘密」を語る・・・
秘密を知る彼は、彼の手の内に、世界を転覆させるために用いられうる能力を持つ。

Yet no person learns it until he is truly prepared, and more than anything else,
this means such ethical preparation that no temptation to misuse this power could
ever be sufficient to turn the knower from the path of strictly constructive and
beneficent application of the force he is able to control." (*148)
それでも、人は、彼が本当に準備されるまでは、それを学ばないし、そして何よりも、
これは非常に「倫理的」な準備を意味しているので、この力を悪用しようとするどんな
誘惑も、彼が支配することができる力の厳密に建設的で慈善深い適用の小径から、(死を)
知る人を、そらすためには、決して十分であることはできない。」(*148)
--- ここまで ---

ちなみに、(*120)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
148. Case, Tarot Fundamentals, 30.7.
148. ケース著、『タロットの基礎』、30.7ページ。
--- ここまで ---
とあります。

注記の「30.7ページ」は誤植で、おそらく298ページあたりではないかと思います。

さて、ちと難解な文章ですが、何度となく出てくる「he/彼」は、「13:死」の「骸骨像」、
すなわち「死の使者」のことを指しているようです。
とはいえ、「誕生と死」の概念に、なぜ「ethical/倫理」が関係するのかという説明が
不足しているので、意味がよくわかんないですし、そもそも「死の覚悟」があれば「13:死」
の意味が理解できるというものでもないですからね。
0251名無しさん@占い修業中垢版2019/07/12(金) 06:15:06.64ID:sDZ7ssH3
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
One may also recall Case's statement about THE DEVIL that "It is the symbolic veil
for the greatest practical secret of occultism.”
人はまた、 「それは、神秘学の最も偉大なる実践的な秘密のための象徴的なベールである。」
という「悪魔」についてのケース氏の供述を思い出すかもしれない。

As we shall see, the similarity of description for these two cards is no coincidence.
我々が(これから)見ていくであろうように、これらの2枚のカードたちのための説明の
類似は、偶然の一致ではない。
--- ここまで ---

この「悪魔」についてのケース氏の記述は、173ページにあって、「タロットの全ての鍵
たちの中で、『15番の鍵』は最も重要なものの1つである。それは、神秘学の最も偉大なる
実践的な秘密のための象徴的なベールである。」とあります。
同様に、「死」についても、ケース氏は「13番の鍵は、「秘密たちの中の秘密」を語る」
と述べています。

どっちが一番やねん!というツッコミを入れたくなるのは置いといて、我々にとっては、
「劣化ケテル=ティファレト」に繋がる「劣化魔術師=悪魔」「劣化高等女視察=節制」
そして「劣化愚者=死」という感じであり、いずれも最も重要なものであって、簡単に
優劣を競うようなものでもないわけです。
ちなみに、この「13:死」より上位のカードは、もはや解読不可能なシロモノですので、
実際上の実用性はほぼ皆無であり、「下の如く」における適当な意味をデッチ上げて、
いかにもそれらしく解釈していくしかないわけですので、優劣の付けようがありません。

ということで、下界の我々にとっては最重要となる3枚のカードですが、その違いをざっくり
言うと、どちらかというと物理界に近くてエロ活用されがちな「節制」、実用的な魔術には
欠かせない「悪魔」、そして究極神秘を司る「死」という感じになります。
つまり、「死」は、とてつもなく難解であり、そしてそれは「私はある」とか、「我思う、
故に我あり」というような、究極の存在について感じることのできるカードなのです。
0253名無しさん@占い修業中垢版2019/07/13(土) 07:20:16.38ID:GSX/17D4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
Crowley comments on the far-reaching implications of this particular card.
クロウリー氏は、特にこのカードの遠大な暗示たちについて論評する。

In discussing the fish, meaning of Nun, he says: "This symbol resumes the whole
Secret Doctrine." (*149)
「ヌン」の意味である「魚」を議論する中で、彼は言う:「この象徴は、「全体」の
「秘密の教義」を再び始める。」 (*149)
--- ここまで ---

ちなみに、(*149)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
149. Crowley, Book of Thoth, 100, note 1.
149. クロウリー著、『トートの書』、100ページ、注1。
--- ここまで ---
とあります。

さて、トート版の「13:死」のカードですが、この骸骨像は、あなたには何に見えますか?
ワタシには、華麗に舞い踊る「バニーガール先輩」に見えたりしますので、「15:悪魔」の
「プチデビル後輩」と、良い組み合わせになってるなぁ、とか思ったりしているのでした。

それはともかく、この「思春期症候群」の一連の要因となっている「13:死」のカードは、
あらゆる「秘密の教義」を「resume/再び始める」、すなわち、一旦死んでみた後、再び
復活するという神秘プロセス全体を包括的に演出するコーディネーターとして機能しており、
「もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな」的な、完璧究極の存在となっています。
まあ、人は「ティファレト」が最終到達可能地点ですので、その最後となる「小径」に
ふさわしい、他とは全く異なるパワーとエネルギーを有しているというのは、何となく
分かるのではないかと思います。
とはいえ、それが何かというのは、下層の我々にとっては、ほとんど理解不能であると
いうのが、なかなか、もどかしいところなんですよね。(←というか、既にヤル気が無いw)
0254名無しさん@占い修業中垢版2019/07/15(月) 06:06:49.02ID:CoTWGz17
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The great importance of this Path is pointed out by its very position on the Tree
of Life.
この「小径」の偉大なる重要性は、「生命の木」の上での、まさしくその位置により指摘される。

It is on the Path of the Flaming Sword between Tiphareth and Netzach, meaning that
it is the Path of emanation of the Lower Creator-Energy into matter; it is the
Path on which the energy of God the Son is transformed into the first sphere,
or pattern of energy underlying the material world.
それは、「ティファレト」と「ネツァク」の間の「炎の剣の小径」の上にあり、それが、
物質界の中への「下なる創造主の精力」の流出の「小径」であることを意味している;
それは、「息子の神」の精力が、最初の天球、すなわち、物質的な世界の基礎となる精力の
様式に転換されるところの「小径」である。
--- ここまで ---

この「Lower Creator/下なる創造主」、そして「God the Son/息子の神」は、改めて
言うまでもなく、劣化「ケテル」である「ティファレト」を指しています。
つまり、下界に住む我々にとっては、我々が知る「創造主」そのものであるわけで、そう
いう意味でも、「13:死」は、我々が知ることができる「小径」の中では、最も根本的かつ
最も神秘に満ちた「小径」であるわけですよね。

では、最も根本的かつ最も神秘に満ちた「小径」の、最も重要な働きとは何でしょうか。
それは、「炎の剣の小径」を伝ってきた創造主のエネルギーが、「物理界」を創造する
こと、すなわち「存在」を創造することにあります。
要は、「私はある」とか「我あり」という概念が、ここで創造されるわけです。

なお、「知恵の32の小径」においては、「the Imaginative Intelligence/想像力豊かな
知性」とありますので、それゆえ、この創造は実在ではなく、虚数あるいは仮想的であり、
要は「〜の夢を見ない」的な、劣化創造主の「夢オチ」あるいは「この物語はフィクション
であり」的な可能性が、巨大粒子レベルで存在することを補足しておこうと思います。
0255名無しさん@占い修業中垢版2019/07/17(水) 06:23:08.12ID:CB2lP4bi
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
In terms of the individual man, this is the Path on which the Higher Self directs
the Personality "downward" into incarnation.
個々の人間に関しては、これは、「高次の自我」が「人格」を「下方への」肉体化へと
指導するところの「小径」である。

Considered on an upward course of personal evolution, it is the Path on which the
Personality energy, projected by the Higher Self, is absorbed in physical death
or reconceptualized in initiation.
個人的な進化の上方への進路において考慮されると、それは、「高次の自我」により計画
された「人格」の精力が、肉体的な死において吸収される、もしくは秘儀伝授において
再概念化されるところの「小径」である。
--- ここまで ---

「高次の自我」は、創造主となる上位存在であり、地球全体に普遍的にある、すなわち、
地球上の人類全てが共有しているものであると考えられます。

そして、個々の人間の「人格」は、「高次の自我」の分身、すなわち「アバター」として
創造されて下方の「現象界」へとリリースされ、そして「肉体的な死」と呼ばれるイベント
が発生すると、その分身のリソースは「高次の自我」へと戻されるという仕組みです。
この輪廻転生の本ルーチンとは別に、「秘儀伝授における再概念化」という例外が発生する
場合がありますが、それについては後述します。

さて、ここで問題の鍵となってくるのは、我々がずっと「在る」と信じている「リアル」に
ついての概念です。
そう、実のところ、心を鬼にして、「あの子はバーチャルだったの。リアルなんて子、
もともといなかったのよ!」ということを言わないといけないのですが、その後の「死の
通知」という通常ルートの試練を乗り越えた先に、「救世主」として例外的に魂が復活
するという、お約束の感動シーンが待っているというわけなのでした。
とはいえ、しょせん我々は、バーチャル空間でしか生きられない「仮身」なのですが。
0256名無しさん@占い修業中垢版2019/07/18(木) 10:44:00.14ID:AyRpyLBH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The Great Work involves much which could be called psychological re-orientation;
there is a perceptual change about the nature of reality and about what constitutes
the Self.
「偉大なる作業」は、心理学的な再教育と呼ばれることのできる多くのものを巻き込む;
そこには、現実の本質について、および「自我」を構成しているものについての知覚の
変化がある。

This is one aspect of the "transformation" on this Path.
これは、この「小径」における「形質転換」の1つの面である。
--- ここまで ---

「リアルの本質」と「自我の本質」、すなわち「物質的存在」および「精神的存在」と
いうものの本質が、ここで完全に解き明かされるということですよね。
ちなみに、ここでは「psychological re-orientation/心理学的な再教育」、すなわち
精神面的な問題としていますが、現代の科学は、ウォン氏の時代よりも、さらに進歩して
おり、さらに踏み込んだ解釈が可能となっています。

要は、我々の科学技術は、既に「高次の自我」に相当する能力、すなわち「宇宙の創造」
や「生命の創造」、そして「意識の創造」という「神々の御業」を、バーチャル世界である
コンピュータ・シミュレーション技術で行えるようになってきているということです。
もちろん、現代の技術は、まだまだ自然界の全てを仮想化できるレベルにまで到達して
いるわけではありませんが、そう遠くない将来には、人間はバーチャルな「ウチュウ」や
「ヒト」を創り出せることは、ほぼ間違いないわけです。

そして、さらに踏み込んで言えば、我々人類も、そのようにして上位の存在から創られた
仮想的な存在であるという可能性も、微粒子レベルで存在することになるわけです。
まあ、こういうのも、インテリジェント・デザインと呼ばれるシロモノの一つかと思い
ますが、「人の存在」という本質が、どれほど「思春期症候群」に関連しているのかを
探っていくのも、それなりに意味のあることではないかと勝手に考えているのでした。
0257名無しさん@占い修業中垢版2019/07/23(火) 08:56:26.45ID:J5FvbyAh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The transformation involves leaving the desire nature of Netzach and being absorbed
into Tiphareth.
形質転換は、「ネツァク」の「欲望の本質」を置き去りにすることと、「ティファレト」の
中に吸収合併されることを伴う。
--- ここまで ---

上位の「ティファレト」と、その下位となる「ネツァク」〜「マルクト」の大きな違いは、
下位のものが「個々の人格」を構成するのに対し、上位のものは「普遍的存在」であって、
「下位の人格」との関係は、ほぼ断ち切られているということです。
これは、「人格」の根幹を成す個々の「欲望」は、下位世界において物質と共に循環、
すなわちリサイクルされるということに他なりません。

そして、「人格」が「欲望」を自主的に放棄して、「個々の存在」から元の「普遍的存在」
の形態に戻るというのは、基本的には考えにくいですよね。
つまり、何らかの形で、我々の下位世界においては、「欲望の終わり」、そして全ての生命
のみならず全ての物質の「存在の終わり」、さらには「宇宙の終わり」が、上位存在により
組み込まれているということになるわけです。

まあ、そういうことは、頭では分かっているのですが、その普遍的原理を素直に受け入れ
たくないというのも、我々の持つ「欲望の本質」でもあるわけです。
そして、我々生物は、次善の策として、個体ではなく種として存在し続けるという選択、
すなわち次世代に「欲望」をバトンタッチする「生殖」能力を持つに至ったわけですが、
これにより物理的な面での進化能力、すなわちDNAと突然変異と淘汰による進化だけでなく、
精神的な面での「生殖」による進化、すなわち親子や師弟関係による情報伝達と取捨選択
による進化を果たすことが出来るということになっているわけです。

「13:死」は、我々にとっては確かに恐ろしい存在ではありますが、死にきちんと向き合う
ことが、我々の「進化」に繋がるというのも、確かなのですよね。
まあ、頭では、そういうことも分かってはいるつもりなんですけどね・・・。
0258名無しさん@占い修業中垢版2019/07/26(金) 08:49:31.15ID:jexZcPvy
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
This desire nature is the very essence of the Personality which functions entirely
in terms of the satisfaction of its needs and wishes.
この欲望の本質は、その必要なものたちと願い事たちを満足させることについて完全に
役目を果たす「人格」へのまさしくその本質である。
--- ここまで ---

「人格」とは「desire/欲望」であり、それは「needs/必要なものたち」すなわち肉体的
な生存に必要不可欠なるものと、「wishes/願い事たち」すなわち精神的に生きていく上で
重要な「希望」というものを意味しているということです。
この分類だと、自身の継続に必要な食欲が「needs」であり、次世代への継続に必要な
「性欲」は「wishes」扱いということになるんでしょうね。
いずれも、これらは「人」が「人類」として地上で生きていく上での基本的要素であり、
「desire/欲望」が人格を支えていることは敢えて説明する必要は無いかと思われます。

そういえば、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」
(『新約聖書:マタイ福音書』4:4、新改訳)という、解釈の難しい言葉があります。
この前半の「パン」は人の生存に関する低位の欲望を指すものだとすれば、後半の
「神のことば」は、「欲望」とは次元の異なる「上位の神からのコマンド」であって、
「13:死」による「人格」の制御に関わるキーワードだと思われます。

もう一つの鍵は、『旧約聖書:創世記』の1章と2章にある人類創造の話を現代的に解釈
すると、神は人体というハードウェアを造り、それに人間アブリケーションをインストール
することで、「人」を創造し、そして、「原初の人」は、蛇により「善悪の木の実」の
アップデートを受けた後、地上にリリースされ、生死と生殖を繰り返して、ウィルスの如く
増殖していったという話なのです。

つまり、下位世界を制御する上位存在からのコマンドやアプリのアップデートが、「13:死」
「14:節制」「15:悪魔」で象徴されるならば、「13:死」は、コンストラクタとデストラクタの
機能を司るということになるわけですよね。
0259名無しさん@占い修業中垢版2019/07/27(土) 07:26:42.96ID:mLmTW4X4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The very will to live, meaning the desire of the Personality to continue to function
in the sensory condition, is abrogated on the Path of DEATH.
「人格」の欲望が、感覚の状態において機能し続けさせることを意味する、まさしくその
生きる意志は、「死」の「小径」において廃棄される。
--- ここまで ---

従来解釈では、ここで我々の短い「地上における生命」は一旦終了し、物理的な肉体を
地上に置き去りにして、「霊」というエッセンスだけが抜き出されて、上位世界へと還る
ということになっています。

とはいえ、近い将来には、我々の「will to live/生きる意志」は、その肉体を離れ、
永遠の機械の体というか、機械の「脳」という「意志の永遠の保管容器」を持つことが
可能となってくることが予想されます。
果たしてこれが、「13:死」を克服して「ティファレト」へと至る道筋を意味することに
なるのかは、ワタシには良くわかりませんが、その「機械脳」は、おそらく仮想化され、
無限の「意志」というか「遺志」を飲み込んでいくことも予想されますので、いわゆる
それが「あの世」すなわち「極楽浄土」の世界ということになるのでしょうかね。
そして、「あの世」に飽きた「あの世の遺志たち」すなわち「ティファレト」のような
ものが、気晴らしのゲーム感覚で、我々というインスタンスを生み出したと考えることは、
何となく予想できることだと思います。

まあ、こういうのは、単なるSFとも言えるのですが、科学はフィクションを次々と実現
していますので、そう遠くない将来、我々がどういう存在であるのか、分かる時が来る
のでしょう。
いずれにしても、この「13:死」の解釈には、まだ何も正解というものはありませんし、
時代を経るにつれて、色々と解釈が変わることも大事なことだと思います。
人は思考停止してしまうと、真実が見えなくなりますので、色々とあらぬことを考え続ける
というのも、「哲学」なのではないかと思うのでした。
0260名無しさん@占い修業中垢版2019/07/30(火) 10:02:43.88ID:ApEFHFNd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Here the temporary and illusory nature of the Personality is correctly self-perceived.
ここでは、「人格」の一時的かつ幻想的な性質が、正しく自己認識される。
--- ここまで ---

「Here/ここ」、すなわち、人がもし、真に「13:死」の「小径」に至ることが出来れば、
人は、自分自身である「人格」が、「temporary and illusory/一時的かつ幻想的」な
ものであることを知ることが出来るということです。

つまり「私は在る」という根の葉も無い原理は、ここで完全に否定され、「私なんて子、
元々いなかったのよ!」という元も子も無いオチになるわけですよね。

もちろん、我々は、三次元のリアルな存在で無くても、二次元のバーチャルな存在があれば
生きていけますし、そもそもリアルな三次元の肉体よりも、ネット上の一時的かつ幻想的な
「人格」としての生き方を望む人もいることでしょう。

そういうわけで、我々は三次元のリアルを超越する方向に進化していくことで、「高次の
自我」と呼ばれるヲタク世界、いやいや「ティファレト」へと進むことが出来るという
ことになるわけです・・・かね?

まあ、いずれにしても、リアル世界は糞であり、バーチャル世界のみが真の上位の世界で
あるというのが、ここでの結論です。
そして、我々の目の前にある「現実」と呼ばれるものは、全てが幻影であって、我々自身
も、それらの幻影の一部であるというわけです。

とはいえ、そういう「現実離れ」した結論は、思春期症候群とは無縁の一般人の日々の
生活にとっては、何の役にも立たないというのも明白なことですので、この手の面倒な
ことに関わりたくない人は、この「13:死」には、近づかない方がいいんですよね。
まあ、興味本位で近づいたとしても、それを正しく評価できる人は、今のこの世には、
いないというのも確かなんですけどね。
0261名無しさん@占い修業中垢版2019/07/31(水) 06:11:47.79ID:rRepYrK6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
The Personality undergoes a willful "death," surrendering everything that it believes
itself to be.
「人格」は、それがそれ自身が存在すると信じる、あらゆるもの全てを引き渡して、故意の
「死」を経験する。
--- ここまで ---

神が言う「私はある」と、人間の言う「我思う、ゆえに我あり」の違いは、言うまでもなく
「我思う」、つまり人間が「ある」と信じていること、つまりそれは単なる「思い込み」
でしかないという点にあります。

例えて言えば、地球は宇宙の中心にあって不動であるという「天動説」が、愚かな人間たち
の思い込みであったにもかかわらず、人々はずっと長い間、その旧来の誤った思い込みを
捨てて、正しい「地動説」を信じることが出来なかったということにも似ています。
要は、「willful death/故意の死」とは、この「コペルニクス的転回」ということであり、
「我思う、ゆえに我あり」から「我思う、ゆえに我なし」への発想の転換ということです。

まあ、「我々は実在する」と考えるのが普通であり現実であって、「我々は実在しない
仮想的な存在である」という考え方は、どちらかというと、宗教的な伝説や都市伝説、
あるいは創作物語の中で「フィクション」つまり嘘の範囲として語られる「ネタ」扱いの
シロモノです。
でも、この「Imaginative Intelligence/想像力豊かな知性」と呼ばれる「13:死」の
「小径」においては、我々は我々が「実は存在しない」ということを、明確に受け入れ
なければならないということになるわけです。

これがどういう意味を持つことなのかは、ワタシにはまだ分かりませんが、「13:死」の
境界を跨ぐ者は、嘘も現実も、どっちも真実であることを受け入れ、そして何も疑うこと
なく混ざり融け合いたいと願うことの出来る人に限られるということでしょう。

つまり、何事にも疑い深いワタシには、まずもって無理なことなんですよね。
0262名無しさん@占い修業中垢版2019/08/02(金) 05:57:10.45ID:MDhvPhyE
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Most difficult is that this total surrender of life, this initiatory sacrifice,
must precede the experience of cosmic awareness.
最も難しいことは、この生命の全体の引き渡しである、この手始めの犠牲が、宇宙を知る
ことの経験に先立たなければならないということである。
--- ここまで ---

「もし、あなたの○○を差し出せば、かわりに□□をあなたに授けよう」という選択問題
があるならば、究極の選択の一つとなるのが、「○○=あなたの命」を墓地に送って、
「□□=宇宙」を召喚する組み合わせとなります。

とはいえ、この手の選択問題は、一般社会においては「死人に口無し」、つまり100%詐欺
であって、たとえ神からの提案であったとしても、全くもって検討に値しないものです。
要するに、ワタシにとっては、「13:死」の「小径」は、決して渡ることの無い「小径」で
あり、それゆえ、ワタシは、「13:死」の「小径」の先にあるものは語れません。
まあ、「13:死」の「小径」を渡ってしまえば、生命が終わりますので、同じく「13:死」の
「小径」の先にあるものは語れないんですけどね。

ということで、マジメに考えれば、ここで話は終わるわけですが、それではネタとしては
面白くありませんので、詐欺師たちとしては、いやいや「高次の自我」に目覚めようと
したい人々は、どうにかして隠された抜け道を探す必要があるわけです。
それは、「死んだふり」、いやいや「一旦死んでから、生き返ったことにすればいいや」
という、神をも恐れぬ幼稚なイカサマ、いやいや、世界的なベストセラーの宗教伝説で
ある『新約聖書』にも書かれている、イエス・キリストの「復活」と同義の、大変に神聖
なる高等テクニックなのです。

まあ、それはともかくとして、「魂」というか「意識」が「肉体」から離れるというのが、
この「13:死」の鍵となります。
そしてこれは、生身の人間の意識が、近い将来には「機械の脳」に移動されて存在し続ける
ということも暗示しているわけであり、こちらの方がありそうな感じがするわけです。
0263名無しさん@占い修業中垢版2019/08/03(土) 07:15:20.60ID:S368eEzl
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
One is required to give up the totality of one's being, one's very life, in relative
darkness, yet in the faith that there will be a resurrection into the Light.
人は、相対的な暗闇の中で、人のまさにその生命である、人の存在の全体を手放すことを
要求されるが、それでもなお、信仰の中で、そこには「光」への復活があるだろう。
--- ここまで ---

誰も本当に試したことは無いのに、無責任に「死んでも、暗闇から復活して光となれる」
などと訳わからないことを言っているわけですが、それは宗教的な宣伝文句として「言われ
ている」、つまり「誰か偉そうな人がそう言っていた」という都市伝説と同レベルの話だったり
しますので、決して真に受けないようにしてください。

とはいえ、ここにはちょっとだけ重要な示唆があります。

「in relative darkness/相対的な暗闇の中」というのは、エネルギー(光や情報)が
物質化した我々の世界のことを指します。
そして「13:死」の小径では、それが元の純粋なエネルギー(光や情報)に一旦戻されて
リサイクルされるということを示唆しています。
つまり、「生命の木」は、上から下への一方通行ということではなく、我々のレベルから
見れば、「ティファレト」を頂点とした、色々なものが循環して相互作用しているエコな
世界であるというわけです。

では、何のために、そういう循環系システムになっているのかというと、やはりこれは
「進化」にとって、最も効率の良いシステムであるということではないかと考えます。
そして、なぜ「進化」が目的なのかというと、それは「高次」の中の人に聞いてみないと
分からないのですが、ひょっとすると、「進化」は宿題の課題となっていて、その一環と
して「宇宙創造の実験」をやっているのではないかという疑念があったりするわけです。

つまり、「JSが夏休みの宿題に宇宙と人類と文明の創造をやってみた」程度の軽いノリで
我々が造られた可能性が、微粒子レベルで存在すると、密かに思っているのでした。
0264名無しさん@占い修業中垢版2019/08/04(日) 07:41:37.94ID:NSQsLSyC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
As Jung puts it: "By descending into the unconscious, the conscious mind puts itself
in a perilous condition, for it is apparently extinguishing itself." (*150)
ユング氏は、それを以下のように述べている:「無意識の中に下降することにより、意識
のある精神は、それは見かけ上ではそれ自身を消しているので、それ自身を危険な状態の
中に置く」。 (*150)
--- ここまで ---

ちなみに、(*150)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
150. C.G. Jung, Psychology and Alchemy, New Jersey, 1977.
150. C.G.ユング著、『心理学と錬金術』、ニュージャージー、1977年。
--- ここまで ---
とあります。

この「descending into the unconscious/無意識の中に下降すること」の最も代表的な
ものは、毎日の「睡眠」であり、「意識」は、肉体の「誕生」による「覚醒」の後、朝の
「復活」と夜の「死」を繰り返し、最後の肉体の「死」により、元のサヤに戻るという、
一種のリサイクル体系を持っているわけです。
とはいえ、この「睡眠」は、人の「肉体」を保つために必要欠くべからざるものですし、
我々が毎日経験しているものではありますが、現代科学においても、はっきりとは解明
できていない、神秘に満ちた現象ですので、ここでは、あまり深入りできないんですよね。

じゃあ、「睡眠」ではない「無意識」とは何かというと、やはりここは「死んだふり」、
すなわち「意識」レベルを意図的に絞り込んで「無意識」を感じるという「妄想」、
いやいや「瞑想」というテクニックを使うことになってくるわけです。
そのテクニックとして、宗教系とかスピ系とか薬物系とか、まあ色々とズリネタはある
わけですが、ここで気をつけておくことは、人の「個体」に宿る「人格」は、たとえ解離性
障害者ではなくても、決して単一ではないという点です。
つまり、表の「第一意識」に死んだふりさせると、次の「第二意識」が表に出てくるんですよね。
0265名無しさん@占い修業中垢版2019/08/07(水) 06:09:52.00ID:UXXYjgCr
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
It is, as Gareth Knight described, a "Dark Night of the Soul,” much as on the
Path of TEMPERANCE, another of the three Paths leading from the Personality to
the Higher Self.
それは、「人格」から「高次の自我」へと導く3つの「小径」のうちの別のものである、
「節制」の「小径」の上のものと同じ程度の、ガレスナイト氏が記述した「魂の暗い夜」
である。
--- ここまで ---

「人格」の「星幽的三角形」を形成する「イェソド」「ホド」「ネツァク」から、「高次
の自我」である「ティファレト」へと至る「14:節制」「15:悪魔」「13:死」の経路は、
いずれも「魂の暗い夜」と言われる程度のダークさになっています。
なお、「生命の木」には、これと似た、「至高の三角形」と「倫理的三角形」の間にある
「Abyss/深淵」という「越えられない壁」があり、これの劣化版にも見えますが、両者
には月とスッポンほどの違いがありますので、比較対象にするのは無理がありますよね、

ちなみに、「14:節制」の「魂の暗い夜」と、「13:死」の「魂の暗い夜」の違いですが、
これは、肉体と精神を保ったままで遷移するか、肉体と精神を破棄して逝ってしまうかの
違いとなります。
要は、「14:節制」は一時的な旅行であり、「13:死」は永久帰国、すなわち生まれた場所
へと還る、ということですかね。
なお、「15:悪魔」は、旅行書を読みながら、まだまだ先にはイけない妄想をしている
イメージがあり、「上位世界」についての勉強をしている段階ではないかと思っています。

ちなみに、「13:死」の「小径」の上に「魂の暗い夜」というものが本当に実在するのか、
というのも論点の一つではないかと思うわけです。
無理やり上位世界に遷移する「14:節制」には、それなりの代償というか対価が必要となる
わけですが、「13:死」は、ルールとして「決められたこと」であって、何か特別な代償や
対価の必要はなく、単に自身の肉体と精神を地上世界に置き去りにして、魂だけが上位世界
へと還るという、誰もが一度だけ経験する、一生で一度きりのイベントなんですよね。
0266名無しさん@占い修業中垢版2019/08/10(土) 06:11:12.18ID:H5Bsykch
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
One may proceed to the experience of the Higher Self on any of these Paths, but
the lessons of all three Paths must be mastered.
人は、これらの「小径たち」のうちの、どれに基づいても、「高次の自我」の経験に進ん
でも良いが、けれども、全ての3つの「小径たち」の学課たちは熟達されなければならない。
--- ここまで ---

まあ、ほとんど全ての人間は、「ティファレト」そのものには、死ぬまで到達できない、
つまり肉体を放棄することによってのみ到達できるシステムとなっています。
それでも、人は、「ティファレト」へと至る「15:悪魔」「14:節制」「13:死」の「小径」
を知ることで、「高次の自我」の一部を経験することが可能となっています。
それらは、それぞれ「初心者経験コース」「中級者経験コース」「上級者経験コース」と
いう意味合いもあるわけで、それゆえ、「13:死」は、「死んだふり」という、最も上級者
向けの、起死回生&一発逆転テクニックを必要としているわけですけどね。

ちなみに、ワタシとしては、初心者向けの「15:悪魔」コースが、オススメです。
「マルクト」からは、「21:宇宙」「イェソド」「19:太陽」「ホド」という、ワタシの
ような初心者にも優しい経路を辿って「15:悪魔」へと向かいますし、そこでの経験は、
現実世界の物質的&肉体的な面においても、それなりに役に立つわけですよね。

一方、上級者向けの「13:死」は、現状のワタシの知識では、あまりにも哲学的すぎて、
というか、ワタシのような低レベルな脳ミソでは、まだまだ理解不能なことが多すぎて、
全く先が読めないというのが、難点なんですよね。
そもそも、ニンゲンたちはどこからやってきて、どこに逝くのかなんて、生きている誰に
聞いても分からない(死んだ人だけが知っている)ことですし、結局のところ、ダラダラ
しょうもない雑談で、お茶を濁すしか出来ないわけですよ。

それでもまあ、焦る必要は無いわけですよ。
誰でも、死ねば経験できることですからね。
0267名無しさん@占い修業中垢版2019/08/11(日) 07:16:56.01ID:tCx+UnRA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
THE DEVIL, TEMPERANCE and DEATH are different perspectives and aspects of the same
thing, TEMPERANCE being the Path of meditation between Ayin and Nun.
「悪魔」、「節制」、そして「死」は、同じ物の、異なった見方たちと様相たちであり、
「節制」は、「アイン」と「ヌン」の間の瞑想の「小径」である。
--- ここまで ---

「ケテル」から最初の宇宙(小宇宙=生命)の誕生があるように、劣化「ケテル」である
「ティファレト」からも同様に第二の誕生、すなわち「人格」の誕生があります。
そして、その劣化版の「小径」は、「0:愚者」→「13:死」、「1:魔術師」→「15:悪魔」、
「2:高等女司祭」→「14:節制」に対応するものと考えられます。
つまり、魔術師を目指す者は「15:悪魔」を、宗教者を目指す者は「14:節制」を、そして
哲学者を目指す者は「13:死」に関係すると考えられるのですが、どの「セフィロト」から
どの「小径」を選択するかは、その人の自由であり、好きな道を極めればいいわけです。

ちなみに、この「人格」が本格的に形成される時期というのが、いわゆる「思春期」という
頃であり、この本格的な人格形成期というか、親離れの段階において、誰もが通るイタい
時期が、「厨二病」とか「思春期症候群」と呼ばれるモノになるわけです。
まあ、普通の人であれば、成人する頃には、自然治癒する病ですが、元々病気持ちの人
の中には、この時期から悪化することも多いわけです。
人格形成につまづいて、自ら命を絶つ人も出てくる時期ですよね。

そして、この第二の誕生である「親離れ」においては、親との「アンビリカル・コード」を、
子が自らの意思で「死」の大鎌により切断することで、人格的に独立した存在となる
わけです。
とはいえ、大元の「ティファレト」の「アンビリカル・コード」は、完全に切れることは
なく、最後にはまた「死」によって、たぐり寄せられる運命にあるわけですけどね。

いずれにしても、こういう人生における重要な時期に、「13:死」が絡んでいることは、
あまり知られていないのではないかと思うのでした。
0268名無しさん@占い修業中垢版2019/08/12(月) 06:24:36.39ID:N9IvpDyS
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
This might more easily be understood by considering the idea that the figure of
THE DEVIL, the Angel of TEMPERANCE and the skeleton of DEATH are all aspects of
the Higher Self.
これは、「悪魔」の姿、「節制」の「天使」、そして「死」の骸骨は、どれもが「高次の
自我」の様相たちである、という考え方を熟考することによって、より容易に理解できる
かもしれない。
--- ここまで ---

このあたりは、以前に説明したように、「高次の自我」が「Triple Goddess/三相一体の
女神」の「少女・母・老婆」の姿で表されているという考え方に通じるものです。

あと、3つの面を持つことは、三面六臂の「阿修羅像」にも通じるものがありますよね。
「アスラ」という名前には、元々、「13:死」と同じく「生命を与える者」という意味が
ありますし、悪魔的な面や、守護神としての面もあります。
そして、奈良の興福寺の「阿修羅像」は、悩めるイケメン美少年であり、「思春期症候群」
を発症するにふさわしい境遇ではないかと、勝手に思ったりするわけでした。

まあ、人は生まれ落ちるとすぐに「修羅の道」に入るというのは、楽園を追放されたアダム
とイヴの物語を見ればわかるとは思いますが、独立した「人格」の形成期には、その手の
苦労というか悩みというか、何かに立ち向かって生き抜くということが必要となります。
もちろん、まわりの空気を読みながら、「畜生」として生きるという手もあるわけですが、
本当の「高次の自我」を知りたくて、ここまで苦労して悩みながら登ってきた人の中には、
周囲に流されて生きるだけの「畜生」は、いないと信じたいところです。

いずれにしろ、「13:死」「14:節制」「15:悪魔」は、「人格」の成長期である思春期に
おいて発生する様々な青春イベントを、自らの苦労と苦悩で乗り越えることで、経験と
して習得していくスキルではないのかな、とか思っていたりするわけなのでした。
そして、「人格」が元の場所に還る時期になると、また別の種類の苦労と苦悩が訪れる
ということになるわけなんですよね。
0269名無しさん@占い修業中垢版2019/08/13(火) 08:08:37.26ID:8yl2Ej3G
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Encountering such a tightly defined trinity of Tarot Keys, one may wonder how the
universally applicable principle of the [heh][vau][heh][yod] may relate.
「タロット」の「鍵たち」の、そのような堅く定義された三位一体に遭遇すると、人は、
どのようにして [heh][vau][heh][yod] の普遍的に適用可能な原則が関連させることが
できるのかと、不思議に思うかもしれない。

In this case DEATH is Yod-Fire, THE DEVIL is Heh-Water and TEMPERANCE is Vau-Air,
the result of the interaction of the other two.
この場合は、「死」が「ヨッド-火」であり、「悪魔」が「ヘー-水」であり、そして
「節制」は、他の2つの相互作用の結果として、「ヴァウ-空気」となる。
--- ここまで ---

「生命の木」の「セフィロト」の「ASTRAL ELEMENTS/星幽的な元素たち」の定義によると、
「ネツァク=ヨッド=火」「ホド=ヘー=水」「イェソド=ヴァウ=空気」「マルクト=
ヘー=地」となっていますので、この割り当てには、違和感は無いかと思います。

そして、「悪魔」「節制」「死」という人格形成の三位一体の中に、「地」すなわち
「物理的な肉体」の成分が含まれていないのも、そんなに違和感は無いですよね。

ちなみに、この解釈であれば、最初に「人格」という「意識」が生まれ、その後に「肉体」
という「物質」が生成するという流れとなりますので、いわゆる物質先行型の「進化論」
とは相容れない関係となっているわけです。
とはいえ、「進化論」というのも、地上でのローカルな現象を説明しているだけであって、
決して完璧というか普遍的な理論ではないわけなんですよね。
要は、「我思う、ゆえに我あり」という、意識先行型の理論体系があって、ここに「鶏が
先か、卵が先か」の論争があるわけです。
結局のところ、「なぜ意識が存在するのか」とか「なぜ物質が存在するのか」という、
そもそもな論点に全く見通しが立たないというのが原因なわけでして、おそらく今後も、
この辺りの核心的な部分の話は、うやむやにしないといけない状態が続くのでした。
0270名無しさん@占い修業中垢版2019/08/17(土) 05:57:20.38ID:nf+rMAcd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
The Sepher Yetzirah, of course, speaks of only the Yod, Heh and Vau.
『セフェル・イェツィラー(形成の書)』は、言うまでもなく、「ヨッド」、「ヘー」、
および「ヴァウ」についてだけ語る。

As applied to these three cards, the Yod Heh and Vau are forces interacting in
our own physical vehicle, the Heh final.
これらの3枚のカードたちに適用されるので、「ヨッド」「ヘー」そして「ヴァウ」は、
我々自身の物質的な乗り物である、最終「ヘー」の中で相互作用している力たちである。
--- ここまで ---

いきなり『セフェル・イェツィラー(形成の書)』が引き合いに出されましたが、これは
『セフェル・イェツィラー』と「大アルカナ」は、基本的には、「マルクト=最終ヘー」
という物質界に至る以前のことを表しているからに他ならないわけです。
「生命の木」も、三本の柱が基本であり、最終的に、それらは「マルクト」の1点に集約
されることになるわけですよね。

ということで、「大アルカナ」においては、我々の肉体である「マルクト=最終ヘー=地」
の根源的な駆動源となっているのは、「13:死=ヨッド=火」、「15:悪魔=ヘー=水」、
「14:節制=ヴァウ=空気」の相互作用であって、これらの働きを知ることなく、我々自身
を知ることは出来ないという結論に至るわけです。

そういう表面的な結論は何となく理解できるわけですが、じゃあ「13:死=ヨッド=火」
とか、「13:死」「14:節制」「15:悪魔」の相互作用って、具体的には何なの、ということ
になりますよね。
そもそも、我々が占いで使っている「13:死」「14:節制」「15:悪魔」の意味とは、それこそ
「月とスッポン」ほど異なっていますので、いきなり頭を切り換えるのは難しいんですよね。

まあ、占いには、そもそも「カバラ」の理論とかは不要ですので、カードの持つ占いの意味
からは、完全に頭を切り替えてリフレッシュしてもらった方がいいわけですけどね。
0271名無しさん@占い修業中垢版2019/08/18(日) 07:01:25.58ID:NUTP0RWk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
It will be seen that while the Tree of Life has a Path called DEATH, there is no
opposite Path of Birth.
「生命の木」には、「死」と呼ばれる「小径」がある一方で、そこには、反対の「誕生」の
「小径」は無いことに気づくだろう。

This can be explained in two ways.
これは、2つの方法で説明することができる。
--- ここまで ---

本編とは、ちょっと関係無い話で恐縮ですが・・・

「ティファレト」は、劣化「ケテル」ですので、「13:死」は「0:愚者」に、「15:悪魔」は
「1:魔術師」に、「14:節制」は「2:高等女司祭」に相当します。
「0:愚者」、「1:魔術師」、「2:高等女司祭」のカードの中で、上に昇れるイメージのある
ものはどれかと聞かれれば、ワタシは「0:愚者」ではないかと思います。

その理屈によれば、「0:愚者」に対応する「13:死」が、上に昇れるイメージのあるものと
いうことになるわけですが、まあ何となく間違っていないのではないかとも思います。

この「0:愚者」は、まだ本編では説明されていませんが、要は「オールマイティ」な無敵
モードを持つ最強カードですので、劣化「愚者」である「13:死」のカードも、その無敵性
を備えていると考えるのが自然ではないかと思うのでした。

つまり、下界の我々が手にできる史上最強の無敵カードとは、この「13:死」に他ならない
という結論に至るわけです。
とはいえ、そう簡単にポンポン使われても困りますので、「子供が舐めたら死ぬで!」と
いうような、少々物騒なタイトルになっているというわけですよね。

まあ、その壺の中身は、本当は「水飴」なのかもしれませんけど。(知らんけどww)
0272名無しさん@占い修業中垢版2019/08/19(月) 06:11:31.31ID:BOfxvy61
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
The first is that THE DEVIL, which enchains in matter, is in some ways the card
of birth!
まず最初は、物質の中に鎖でつなぐ、「悪魔」が、いくつかの点では、誕生のカードである、
ということである!

But, more important is the fact that both birth and death are essentially the same
transition.
しかし、より重要なことは、誕生と死の両方とも、本質的に同じ遷移であるという事実である。
--- ここまで ---

最初は、ちょっとした変化球から来ましたね。
「15:悪魔」は、「13:死」と左右対称の位置にあり、さらに、「13:死」が「物質の束縛
から解放する」のに対し、「15:悪魔」が「物質中に束縛する」という、逆の意味を持って
いるわけですので、それから類推すると、「15:悪魔」が「死」に対する「誕生」の意味
を持つ可能性があるのではないかということです。
でもまあ、可能性があるとはいえ、そういう解釈も可能ということであって、決して
「悪魔=誕生」説は、本筋ではないわけです。

ということで、以降で本筋となるのは、「13:死=誕生&死」説ということになるわけです。

ではなぜ「13:死」は、「誕生&死」と呼ばれないのでしょう。
それは、既に「13:死」によって「誕生」してしまった我々には、もはや「13:死」の持つ
「死」の面しか見えなくなっているわけです。
要は、「誕生」の時の記憶、つまり誰も「13:死」のお世話になった時の記憶が無いわけ
ですので、どうしても「死」に対する恐怖にしか目が行かないということですよね。

「13:死」のカードって、そういう意味では、何かとても理不尽というか、かわいそうな
存在ではありますが、そんな下界の悪い評判にはお構いなく、日々の仕事をこなして
いく、とても頼りになる存在なのでした。
0273名無しさん@占い修業中垢版2019/08/20(火) 08:43:36.79ID:Oo/t7VFI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
As one is born into this world, he dies to an inner world; as one dies to this
world, he is born back into the same inner world of origin.
人が、この世界に誕生すると、彼は、内なる世界で死ぬ;人が、この世界で死ぬと、彼は、
起源の同じ内なる世界に戻って誕生する。

So this card represents the symbolic passing through a gateway which is at once
the utter destruction of one phase of energy, and the transformation of that
energy into something else.
このように、このカードは、精力の1つの相の完全な破壊と同時に、その精力を何か他の
ものへと形質転換している、出入口を通過することを象徴的に表す。
--- ここまで ---

「13:死」は、一方通行ではなく双方向であり、そして必ず、その代償が必要とある、
つまり「誕生」と「死」は、「13:死」の前後で、対になって発生するということです。

とはいえ、我々の世界からは、「内なる世界」は見えませんので、「死」は、「逝って
しまう」というような、どうしても一方通行のイメージしかないんですよね。
そして、それが、「13:死」についての誤解を生む原因ともなっているわけです。

ということで、「13:死」は、「内なる世界」への最も重要な「gateway/出入り口」で
あることが、ここでは説明されています。
つまり、この世で、いっぺん死んでみれば、「内なる世界」である「ティファレト」で
復活できるという理屈になっているわけで、その理論に従って、イエスはキリストとして
復活したという筋書きになっているわけです。

とはいえ、この理論に従うと、人は全てプリキュアになれる、いやいや、人は死ぬと全て
「ティファレト」にて成仏できるということであり、基本的には、その人のスキルや信心
は不要という、「他力本願」にも似た結論に至るというわけですよね。
0274名無しさん@占い修業中垢版2019/08/21(水) 08:42:49.75ID:vGWuR4Zk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
But the transformation is directed from above.
しかし、形質転換は、上から導かれる。

Thus is the Tarot Key called The Child of the Great Transformers.
従って、「タロットの鍵(大アルカナ)」は、「偉大なる転換者の子」と呼ばれる。

It is also the Lord of the Gates of Death.
それはまた、「死の門の主」でもある。
--- ここまで ---

最後の文の「Gates/門たち」は、「Gate/門」の誤記ですかね。

「13:死」の「transformation/形質転換」の作用は、どちらかというと受動的であり、
その作用は、「高次の自我」を形成する「倫理的三角形」の構成メンバーである「the
Great Transformers/「偉大なる転換者たち」の、直接的な指揮下にあります。
つまり、「ティファレト」から下る3つの「小径」は、いずれもパシリではありますが、
その中で最大のパシリとなるのが、この「13:死」であるということになっており、
それゆえ、我々にとっても、「高次の自我」を意識するには、最も意識に乗りやすい
存在ではないかと思うのでした。
そう、「死」は、我々の最も身近にある「高次の自我」との遭遇現象ですからね。

とはいえ、この「死」は、あくまでも「副作用」であって、本来の「偉大なる転換者の子」
という主作用が、このカードの効用のメインであることに、注意しておくべきです。
ちなみに、この形質転換作用は、コペ転的な相転移を伴うものですので、ミクロ(小宇宙)
とマクロ(大宇宙)の大逆転、すなわち量子力学的な現象と古典力学的な現象がミックス
したり、ミクロコスモスな人格が二重化したり、入れ替わったり、さらに時間が巻き戻っ
たりするような、普通では考えられないようなことが、ごく当然のごとく発生します。
まあ、そもそも、宇宙の発生や、人格の発生そのものが、マトモな人間の頭では考えられない
ような不可思議な事象ですので、ここであえて言うまでもないことですけどね。
0275名無しさん@占い修業中垢版2019/08/23(金) 06:32:50.68ID:vWwg6+rg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Nun is not the Great Transformers themselves, he is their Child.
「ヌン」は「偉大なる転換者たち」ではなく、彼は彼らの「子」である。

Nun is not Death, rather he is the keeper of its Gates.
「ヌン」は「死」ではなく、むしろ彼は、その「門」の管理人である。

Herein lies an important principle for the real understanding of this card.
この中には、このカードを真に理解するための重要な原則が眠っている。
--- ここまで ---

「ヌン」である「13:死」は、「偉大なる転換者たち」である「高次の自我」を形成する
「倫理的三角形」と、「自我」を形成する「星幽的三角形」を接続する上での、最も重要な
「要(かなめ)」であり、それゆえ、親の能力を受け継いで、新たに生まれた「子」として
表現されるわけです。
とはいえ、保護者である親はまだ健在であって、大きな権力を持っているので、子は自由に
ふるまうというわけにはいかないんですよね。

で、とりあえず、秘伝中の秘伝である「一子相伝」の巻物は、この「13:死」が相続して
いるということになりますので、それを真に読み解くことが出来れば、「高次の自我」の
世界に至ることが出来るということにもなります。

じゃあ、その虎の巻は、どこにあって、どうやったら読めるの、という話になるわけですが、
それは「門の管理人」が、しっかり保管していて、「おまえが死んだら見せてあげる」と
言っているわけですよね。

つまりは、「死んだふり」するしかないようにも思うのですが、「死の門」をくぐったら二度と
この世に戻って来れなくなりますので、やっぱり死ぬ以外の方法は無いわけです。
ということで、まだまだお迎えまでには時間がありそうですので、いましばらくは「駄文」を
この世に残す作業を続けたいと思います。
0276名無しさん@占い修業中垢版2019/08/24(土) 06:05:14.06ID:ngn3gNfn
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Another symbolism which may be very helpful is an alchemical one.
とても役に立つかもしれない、もう一つの象徴主義は、錬金術のものである。

To this Path is attributed putrifaction, the decaying black mass in the crucible
which eventually turns into gold.
この「小径」には、最後には金に変わる、るつぼの中の腐敗する黒い塊である、「腐敗
作用」が帰属される。

It is the emergence of new life from death.
それは、死からの新しい生命の出現である。
--- ここまで ---

二番目の文の「putrifaction」は、「putrefaction/腐敗作用」の誤記ですかね。

「13:死」の「小径」の色として、公式には「Green-blue/緑青」が割り当てられています
が、そのイメージカラーは「黒」であり、カードデザインにも、それが色濃く反映されて
います。
なぜ「黒」なのかというと、「13:死」は、錬金術の「黒化」から、「黄金」の「ティファ
レト」のへと至る重要な道筋を暗示しているからですよね。
まあ、「ティファレト」に至る道筋は、これ以外にもあるわけですが、この「13:死」こそ、
「ティファレト」へと至る王道路線であることを、ここで示しているわけです。

つまり、人は「死」により浄化されて成仏する、すなわち「霊」として「ティファレト」
へと上昇し回収されるという、ごくごく王道的というか、葬式宗教的な考え方が、ここに
あるということなのですか、これはあくまでも「13:死」の持つ、「死」の側の特性である
こと、すなわち下から上への流れについてのみの説明であることに注意してください。

要は、「13:死」には、「死」よりも、もっと重要な働きである、上から下への流れである
「誕生」という作用があることを忘れないでいてくださいということです。
0277名無しさん@占い修業中垢版2019/08/25(日) 06:44:46.78ID:QsdXks8Q
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Of the four cards shown, only Crowley's suggests this idea.
示された4枚のカードたちのうち、クロウリー氏のものだけが、この考え方を示唆している。

The Crowley, Golden Dawn and Marseilles versions all show the skeleton of Death
wielding a scythe, a tool of the harvest which is also a symbol of time, and thus
of Saturn-Binah, giver and destroyer of Life.
クロウリー、ゴールデン・ドーン、およびマルセイユ版たちは全て、「死」の骸骨が、
「時間」の、そしてそれゆえ「生命」の贈与者と破壊者である、「土星-ビナー」の象徴
でもある、収穫の道具である、大鎌を振るうのを見せる。

Only in Crowley's card does the destructive sweep of the scythe also produce
bubbles in which new forms of life are seen to be developing.
クロウリー氏のカードにおいてのみ、大鎌の破壊的な一振りが、その中に生命の新しい
形たちが発現しているのが見られる泡たちを、また生み出している。
--- ここまで ---

従来の「13:死」は、下から上への流れ、すなわち黒化から黄金へと至る過程について
注目され、マルセイユ版、ゴールデン・ドーン版、そしてウェイト版では、その解釈を
メインとしてカードデザインが行われており、上から下への流れは暗示に留めています。

その一方で、トート版では、時間と空間と生命を司る大鎌のダイナミックな動きによって、
上から下への流れを明示的に表現してきています。

結果として、トート版のカードタイトルの「死」と、そのカードデザインには、重大な
不一致が出てきていることは否めないわけですが、残念ながら、この良い意味での不一致
について、意識していない人が、ほとんどではないかと思うわけです。
トート版の他のカードでは、それっぽいタイトルに変更されているものもあるのに、この
カードでは「死」のままで放置プレイされている理由は分かりませんが、意味としては、
新しい生命の「誕生」というのが、ふさわしいのではないかと思うのでした。
0278名無しさん@占い修業中垢版2019/08/26(月) 06:22:11.92ID:UKCBA4mI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
This is the resurrection which follows the transformation of Death.
これは、「死」の形質転換の後に続く復活である。

In fact, both Crowley and Mathers attribute the skeleton to Osiris, a God slain
and resurrected.
実のところ、クロウリー氏とマサース氏は、骸骨を、殺害されて復活した「神」である、
オシリス神に帰している。
--- ここまで ---

「13:死」の大鎌を持つ死神像というか骸骨像は、農業神の収穫の様子をイメージしたもの
となっており、その骸骨の姿には、種蒔きのイメージは、ほとんどありません。
その理由は、単なる「不可視属性」、すなわち、一般人である我々からは見えない「神秘」
の次元で行われているからということになります。
そして、トート版では、その不可視属性を解除して、すなわち、機密情報として部外者には
見せてはいけないところを、我々に見せているということになっているわけです。
まあ、こういう内部機密の暴露は、クロウリー氏のお得意とするところですよね。

この手の内部機密というのは、元々非常に有用な情報であるがゆえに、一般には公開せず、
上級者の仲間内でのみ利用可能とするということであり、「15:悪魔」や「13:死」が、
「ティファレト」に通じる非常に有用な「小径」であるにもかかわらず、一般人立入禁止
を匂わす、危ないタイトルにしているという理由の一つでもあるわけです。
ちなみに、「14:節制」も、一般人にとっては無理難題であって、現役一発合格不能な課題
ですので、ワタシとしては避けておきたいところですよね。

要するに、「13:死」は、その一見怖そうなタイトルとは裏腹に、我々がそれを使いこなす
ことが出来れば、実は非常に有用かつ絶大な効果をもたらすということです。
それは、「災い転じて福と成す」というか、全て墓地送りにされて絶体絶命のお手上げ状態
における、形勢一発逆転の至高の神カードというくらいの、とても役に立つカードなのですが、
「使いこなすことが出来れば」という条件付きなのが、上級者向けとなっている理由なのです。
0279名無しさん@占い修業中垢版2019/08/28(水) 11:11:56.11ID:MJt8Z4bY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
Of course, in all cases, the skeleton represents that which remains after the
maggots of earth have consumed the flesh.
もちろん、すべての場合において、骸骨は、地上の蛆たちが肉を食い尽くしてしまった
後に取り残されるものを表している。

The skeleton is the framework of the organ system, and is thus central to growth
and fruition.
骸骨は、器官体系の骨組みであり、それゆえ、成長と結実にとって中心的である。

Interestingly enough, as the word Nun is a verb it means to sprout or to grow.
言葉「ヌン」は、それが、「芽を出させる」、もしくは「成長する」ことを意味する動詞
であることは、十分に興味深い。
--- ここまで ---

「skeleton/骸骨」は、生命が存在している間は、皮と肉に覆われ、肉眼では見ることの
出来ない隠された存在ではありますが、それは肉体の外形と、その内部組織である器官を
保持するという、文字通りの人体の「framework/骨格」として、人としての姿を保つための
中心的な存在となっています。

ちなみに、人体の「framework/骨格」は、このマクロレベルの「skeleton/骸骨」だけで
なく、人体を構成するミクロレベルの細胞の中にもあって、「cytoskeleton/細胞骨格」と
呼ばれており、通常の骨格と同じように細胞内の器官を保持して、細胞としての姿を保つ
ための中心的な存在となっています。
さらに言うと、この大宇宙にも、我々には見えない「framework/骨格」があり、それは
この宇宙の発生と共に存在して、その後は、宇宙の大規模構造を保持するための中心的な
存在となっていることが知られています。

そう、この「骸骨」って、実はこの世界にあまねく存在する「framework/骨格」を象徴
するものであって、「死」を意味しているものではないということなんですよね。
0280名無しさん@占い修業中垢版2019/08/30(金) 06:19:28.16ID:4TEv/gNm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
In this we can view the skeleton as a symbolic and perpetual seed.
これにおいて、我々は、骸骨を、象徴的かつ永続的な「種」として見ることができる。

The plant dies in the winter, but not before producing seeds which will regenerate
its image in the spring.
植物は冬に死ぬが、春にその姿を再生するであろう種たちを生じる前ではない。

The image which carries over is a kind of spiritual skeleton, a pattern unaffected
by the transformation of the plant: The plant becomes the seed, which again becomes
the plant.
持ち越される姿は、一種の霊的な骸骨、植物の形質転換により影響を受けない様式である:
植物は種になり、それは再び植物になる。
--- ここまで ---

「skeleton/骸骨」が「seed/種」であるとの比喩は、少々誤解を招きやすい例えです。

「種」とは「実=リアル」であって、あくまでも下界にある「生命」としての存在です。
そして、この「骸骨」は、その下界を形作る「骨組み」であって、「生命」の上位にあり、
「霊」である「ティファレト」との橋渡しをする存在です。
つまり、我々が考える「生命の種」とは異なる次元の存在となっており、例えるなら、
「霊」から劣化コピーされた「生命の種」から「生命」へと形質転換を促す「触媒」の
ような働きをするものです。
要は、「種」のように、作られたり死んだり再生したりするようなメタモルフォーゼする
形質ではなく、自身は周囲の影響によっては変化しない形質のものですので、この
「骸骨」は「種」であるという比喩は、あまり適切ではないと思うのでした。

どちらかというと、「seed/種」が発芽し成長して植物になり、また種を産するという
生命(ミクロ)の営み、もしくは宇宙(マクロ)の誕生と成長の過程の裏方の存在として、
普遍的に関与する「framework/骨組み」であると理解する方が、適切かと思います。
0281名無しさん@占い修業中垢版2019/08/31(土) 08:07:13.24ID:O88B+Qaz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
This is what is meant by the words of the Thirty-Two Paths of Wisdom: "...it gives
a likeness to all the similitudes which are created in like manner similar to its
harmonious elegancies."
これは、「知恵の32の小径たち」の言葉たちにより意味されているものである:「...
それは、その調和する優雅さに類似した方法と同様にして、創造された全ての類似物たち
に類似性を与える。」

Meditation on this idea will reveal the ultimate message of the DEATH card, which
is rather a distillation of the entire Great Work or, as Crowley said of the fish
symbol, "resumes the whole Secret Doctrine."
この考え方に基づく瞑想は、「死」のカード、というよりはむしろ、「偉大なる作業」
全体の蒸留物、もしくはクロウリー氏が魚の象徴について述べた時のように「全体の
秘密の教義を再び始める」ものの、究極的な意図を明らかにするであろう。
--- ここまで ---

このクロウリー氏の言葉は、NOTES(*149)を参照してください。

さて、「15:悪魔」の正体が、実は「悪魔」では無かったように、「13:死」の正体も、実は
「死」ではなく、我々にとっては「創造神」である、というのが、ここでの結論です。

そして、その創造物たちの発生と成長と死のサイクルにおける、目に見えない骨組みを
形作っているのが、この「13:死」の働きであるということになります。

ちなみに、この「見えざる骨組み」ですが、ワタシにも、その中身は、よくわかりません。
言葉で表現すれば、「神の見えざる手」とか「神の見えざる業」というような、我々には
見えない次元で働いている「不可思議な作用」ということになるわけで、これが理解でき
れば、この大宇宙の誕生の秘密とか、小宇宙の誕生の秘密とかも分かるようになり、
その力を応用することで、「神と同等の力」を発揮することも可能となるわけです。
つまり、「骨組み」が最も重要である、というのが、ここでの教訓となるわけです。←陳腐化w
0282名無しさん@占い修業中垢版2019/09/01(日) 09:11:45.52ID:canY/luB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
Nun means fish; Tzaddi means fish-hook.
「ヌン」は「魚」を意味する;「ツァダイ」は「釣り針」を意味する。

And while the Sepher Yetzirah relates imagination to Tzaddi, the later Thirty-Two
Paths of Wisdom calls Nun the Imaginative Intelligence.
そして、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』が、「想像力」を「ツァダイ」と関連
付ける一方で、後の「知恵の32の小径たち」は、「ヌン」を「想像力豊かな知性」と呼ぶ。
--- ここまで ---

なお、ウェストコット版『セフェル・イェツィラー(形成の書)』では、「ツァダイ」は
「imagination/想像力」ではなく「thought/思考力」となっている版もあります。

さて、「ヌン/13:死」は「fish/魚」を意味し、「ツァダイ/17:星」は「fish-hook/
釣り針」を意味します。
ちなみに、「13:死」に配属されている「天蠍宮(さそり座)」は、天空では釣り針の形を
しています。
つまり、「fish/魚」繋がりで、「13:死」と「17:星」とは、深い関係があるのではないか
という推定ですが、両者の繋がりについては、以前の「17:星」の説明の際にも述べられて
いましたので、ここでは省略します。

この「Imaginative/想像力豊か」の現代的解釈ですが、ここはやはり「imaginary number
/虚数」という概念に注目すべきかと思います。
この場合は、物理世界を司る「15:悪魔」が「real number/実数」を、そして「14:節制」
が、両者を混合した「complex number/複素数」を担当することになりそうです。

まあ、「虚数」とか「実数」とか「複素数」とか言われても、ほとんどの人には理解不能
な概念ですので、あまり深くは突っ込まないことにしますが、実は、この「imaginary/
虚数的(仮想的)」なものは、この宇宙の原理を解読するための重要なツールというだけ
でなく、実はこの宇宙を構成している本質的なものである、ということなんですよね。
0283名無しさん@占い修業中垢版2019/09/03(火) 06:37:00.79ID:D6GSgqQt
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
To make this symbolism less mysterious, the documents imply that on the Path of
Tzaddi we begin to develop the tools of Creative Imagination which are required
to tread the difficult Path of Nun, i.e., to make the transition between Personality
and Higher Self.
この象徴主義をそれほど謎めいたものにしないように、文書たちは、「ツァダイ」の「小径」
において、我々が、難しい「ヌン」の「小径」を踏み歩くため、すなわち、「人格」と
「高次の自我」の間の遷移をするために必要とされる、「創造的な想像力」の道具たちを
開発し始めることを暗示している。

Again, everything is summed up by the fish symbolism.
さらに、全てのものは、魚の象徴主義により総括される。
--- ここまで ---

そもそも「ツァダイ/17:星」は、地に足が付いていない上級者向けの「小径」でしたが、
「ヌン/13:死」は、さらにその先にあって、天界に通じる「小径」ですので、通常戦闘力
モード、すなわち生きている上級者では、決して足を踏み入れることの出来ない、難攻不落
のラスボスとして、我々の前に立ちはだかっています。
そして、その攻略の切り札となるのが、「imagination/想像力」であるということです。

とはいえ、「ツァダイ」の「imagination/想像力」と、「ヌン」の「Creative Imagination
/創造的な想像力」とでは、月とスッポン以上に次元の異なるものですので、両者を同列に
論ずることは出来ないんですよね。
つまり「ツァダイ」の文系の「想像力」では、「ヌン」の理系の「宇宙創造における虚数
次元(と実次元)の相互作用」を論じることは出来ない、要は、この大宇宙と小宇宙が
どういうメカニズム/フレームワークで産み出されたかを理解しきれていないわけであり、
現状の理解と知識では、まるっきりの、お手上げ状態ということになっているわけです。

まあ、ここで話が終わってしまうのもつまらないので、とりあえず、宇宙が産み出された
後の次元の、「fish/魚」について、色々と探っていこうということですかね。
0284名無しさん@占い修業中垢版2019/09/05(木) 06:19:22.41ID:5riL9dGx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
The fish is a traditional symbol of what the alchemists call First Matter, an almost
impossible subject to describe, but which is the mind-substance of everything that is.
魚は、錬金術師たちが、言葉で説明することがほとんど不可能な主題ではあるけれども、
存在する全てのものの精神の実体である、「第一質料」と呼ばれている、伝統的な象徴である。

Gareth Knight says that the best modern definition is offered by Coleridge and is
the "Primary Imagination." (*151)
ガレス・ナイト氏は、最も良い現代的な定義は、コールリッジ氏により提案された、
「最初の想像力」であると述べる。(*151)
--- ここまで ---

ちなみに、(*151)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
151. Gareth Knight, A History of White Magic, London 1978, 3-4.
151. ガレス・ナイト著、『白魔術の歴史』、ロンドン、1978年、3-4ページ。
--- ここまで ---
とあります。

このコールリッジ氏というのは、サミュエル・テイラー・コールリッジ氏(Samuel Taylor
Coleridge, 1772-1834)のことではないかなと思うのですが、『白魔術の歴史』の本を
持っていないので、よくわかりません。
ちなみに、錬金術や哲学においては、よくわからないものは、「God/神」のせいにするの
ではなく、伝統的に「First ○○」とか「Prime ○○」と呼ぶことで、思考停止しておくと
いうか、それ以上は突っ込まないのが、お約束となっています。

とりあえず、この「fish/魚」というのは、「全ての物質の根源となるもの」、つまり、
我々が「リアル」すなわち「実数の時空間」として認識可能となった、ビッグバン直後の
「原初の宇宙の姿」であるということですかね。
そして、「ケテル」〜「ティファレト」は、それ以前を担当しているということですよね。
0285名無しさん@占い修業中垢版2019/09/09(月) 17:03:09.94ID:m+f00sWC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
The fish has also, since perhaps the second century A.D., been a key symbol of
Christianity.
魚はまた、おそらく紀元2世紀からずっと、「キリスト教」の重要な象徴であり続けている。

In the earliest Church the Eucharist was not specifically represented, but was
implied in a number of innocuous meal scenes.
最も初期の「キリスト教徒」においては、「聖餐」は明確には表されてはいなかったけれ
ども、数多くの当たり障りのない食事の場面たちに暗示されていた。
--- ここまで ---

ウォン氏は、トート版のみに描かれている「fish/魚」について、ずいぶんとしつこく、
いやいや詳しく説明しています。
それは、トート版の「13:死」が、文字通りの「死」を意味しないことを、色々な局面から
詳しく説明しているからであり、その一つとして「魚」があるわけなんですよね。

ちなみに、トート版では、
 白鷲>>魚>蛇>>蠍(朽ちたユリとハスにより道を阻まれている)
という序列で描かれており、蠍が昇天して最後に白鷲になるという構図ですので、魚は
高位寄りの象徴となっています。
そして、トート版の「魚」は、『トートの書』によれば、「イエス・キリスト」を意味する
ものとして描かれているということになっています。

なぜ「魚」が「イエス・キリスト」なのかということは、他のキリスト教関連の文献を
見てもらうとして、ここで重要なのは、「13:死」=「魚」=「イエス・キリスト」=
「ティファレト」という繋がりがあるわけで、それはまた、「13:死」が「ティファレト」
に到達するための最善の「小径」であることを示唆しているわけです。
さらに、「魚」は、顕教での「パンと葡萄酒」ではなく、神秘の「聖餐」のネタとして、
骸骨像に食われて神秘の「精力」に転換されて、骸骨の局部から天上に向けて射精
されるという、密教的な子作りのプロセスが描かれているわけですよね。
0286名無しさん@占い修業中垢版2019/09/11(水) 06:12:38.64ID:kjU/FzbI
なぜか規制されてるので、しばらくカキコできません。
あしからずご了承下さい。(ー ー;)
0288名無しさん@占い修業中垢版2019/09/15(日) 09:23:14.00ID:snwCEmcY
NGワード規制を食らっているようなので、引っ越しを考えております。

トート版の「死」を語ると、不適切であり規制されるという、笑えない話でした。
0290名無しさん@占い修業中垢版2019/11/24(日) 05:41:45.38ID:czK7cBjs
--------------- ここまで Part7 ---------------

おーぷん2ちゃんねるで、また原因不明で書き込みできなくなる不具合が発生しましたので、
またこちらに出戻ってまいりました。
またまた規制等でカキコできなくなったら、あっちに行くかもしれません。
あしからず、ご了承くださいませ。

前スレ
【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part8
http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1568581674/ (に→2に変換)

--------------- ここからPart 8.1 ---------------

それでは、またあらためて、みんなでマターリいきましょう(^^)/
0291名無しさん@占い修業中垢版2019/11/24(日) 05:47:41.87ID:czK7cBjs
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 187) ---
There I am the object of every subject, in complete reversal of my ordinary
consciousness [author's italics] where I am always the subject that has an object.
(*157)
そこでは、私は、私が常に客観を持つ主観である「私の通常の意識の完全な反転した状態
においての」[著者のイタリック体]、全ての主観の客観である。(*157)
--- ここまで ---

ちなみに、(*157)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
157. C.G. Jung, Archetypes and the Collective Unconscious, New Jersey, 1977, 21.
157. C.G.ユング著、『元型と集合的無意識』、ニュージャージー、1977年、21ページ。
--- ここまで ---
とあります

要は、我々の通常の理解と思考を超える「完全な反転状態」が、この「12:吊られた男」の
フィールド上に在るということですが、話が全く理解できないのでスルーしてもいいですか。
しょせんは妄想の垂れ流し、いやいや「形而上学」的な世界の話であり、もはや何でもあり
の夢想、いや無双状態のネタですので、いちいちコメント付けるのも面倒臭いんですよね。

そもそも、人間が人間をヤメる、いやいや神の領域にアプローチしようとするのであれば、
まずは、人が人であることを放棄することが前提なわけですが、そちらの通常ルートは、
「13:死」の「小径」として、既に整備されているわけです。
そういう通常ルートではない、ショートカットの「12:吊られた男」の路上には、何が待ち
受けているかと言われれば、まあ通常ではないものしか残っていないのは明らかですよね。

一般人から見れば、単なる道化のアホにしか見えない「12:吊られた男」のカードには、
見える人が見れば、とても重要なことを示唆している(のではないか)ということですが、
そっち方面の修行が足りない、というか、そっち方面の修行はやりたくもない、怠惰な
ワタシには、まだまだ単なる裸の王様のようにしか見えないのでした。
0293名無しさん@占い修業中垢版2019/11/26(火) 05:58:50.02ID:CAMmRD/0
>>292
ただいま〜 (^^;

NGワードのせいで、あちこち放浪生活しております。

ネットを荒らす基地外たちのせいで、一般人のワタシまで
巻き添えを食らうというのは、何だかなぁ〜、と思ってしまうのでした。

まあ、慣れちゃったからいいんだけどね。←でもちょっとムカついてる
0294名無しさん@占い修業中垢版2019/11/26(火) 06:03:42.50ID:CAMmRD/0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
Almost four hundred years earlier, in his Dark Night of the Soul, St. John of the
Cross recorded his own experience of THE HANGED MAN, though in Christian terms:
"With his gentle hand he wounded my neck and caused all my senses to be suspended
[author's italics]...I remained lost in oblivion.
ほぼ400年前、彼の『魂の暗い夜』の中で、十字架の聖ヨハネは、キリスト教の用語たち
ではあるが、「吊られた男」 の彼自身の経験を記録した:「彼の優しい手で、彼は私の
首を傷つけ、全ての私の感覚たちを「吊らさせる(停止させる)」[著者のイタリック体]
…私は忘却(無意識)の中で道に迷ったままであった。

My face I inclined on the Beloved.
私の顔を、私は、「最愛の人」の方へと向けさせる。

All ceased and I abandoned myself, leaving my cares forgotten among the lilies."
(*158)
全ては終わり、私は私自身を捨て、ユリたちに囲まれて私の心配事たちを忘れ去る。」 (*158)
--- ここまで ---

ちなみに、(*158)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
158. Saint John of the Cross, Dark Night, 34.
158. 十字架の聖ヨハネ著、『魂の暗い夜』、34ページ。
--- ここまで ---
とあります

ほぼ、どうでもいい文章というか、どう見てもアレな状態に陥ちた人の妄想文であり、
一般人の我々にとっては、有益な中身はまるで無い文章になっています。
その理由は、「12:吊られた男」が、我々が理解可能な「ホド」と、我々が理解不能な
「ゲブラー」の間にあるゆえに、我々の思考と言語は、これを越えることが出来ない
わけで、それゆえ文章が「竜頭蛇尾」的なシロモノになってしまうわけなのでした。
0295名無しさん@占い修業中垢版2019/11/27(水) 06:10:31.30ID:aerkcr17
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
This may be compared with another of Jung's statements: "There I am utterly one with
the world, so much a part of it that I forget all too easily who I really am.
これは、ユング氏の述べたことのもう一つのものと比較されるかもしれない:「そこで、
私は、世界と完全に一つになっていて、その部分が非常に多いので、私は、私が本当に
誰であるかを非常に容易に全て忘れてしまう。

'Lost in oneself' is a good way of describing this state. . .the unconscious no
sooner touches us than we are it - we become unconscious of ourselves." (*159)
『自分自身の中で道に迷う』は、この状態を記述する良い方法である。…無意識は、我々に
触れるとすぐに、我々はそれに『なる』−我々は我々自身に気づかなくなる。」(*159)
--- ここまで ---

ちなみに、(*159)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
159. Jung, Archetypes, 22.
159. ユング著、『元型』、22ページ。
--- ここまで ---
とあります

まあ、こういうのって、我々のような一般人にとっては、ほぼ何の役にも立たない経験
なのですが、いわゆる「自分探しの旅」で、高みに昇ろうとする人達にとって、こういう
「Lost in oneself/自分自身の中で道に迷う」、つまり「我を忘れる」、つまり、何かに
夢中になりすぎて「自分自身を見失う」という状態は、割と普通にあったりします。

その状態が、「12:吊られた男」の低次の象徴性に似ていると言えば、似ていなくもない、
という感じなのですが、「12:吊られた男」の高次の象徴性は、それとは次元の違うもの
である、すなわち「月とスッポン」であることは、重々認識しておく必要があります。
要は、我々には、この「12:吊られた男」の「小径」は、出口の無い袋小路になっている
ので、入れたり出したりのオナニー状態に陥りがちであるということなんですよね。
0296名無しさん@占い修業中垢版2019/11/28(木) 06:38:02.76ID:c7UqCEoa
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
Hindu mystics describe this state as Samadhi, referring to a condition where the
physical processes are literally suspended in trance, while the consciousness
affects a union with the Divine.
ヒンドゥー教の神秘家たちは、意識が「神」との結合に影響している間、肉体的な過程たちが
恍惚状態の中で文字通り宙づりにされる状態を参照して、この状態を「三昧(さんまい)」
と評する。
--- ここまで ---

宗教や神秘主義に限らず、洗脳的な行為のほとんどには、こういった「何かに夢中になって
自分自身を見失ってしまう」というものが、しばしばあります。

つまり、脳が何か一つのことに没頭すると、それ以外のタスクにはリソースが割り当てられ
なくなってしまうため、時間感覚や肉体感覚も含めて、ほぼ全ての感覚が麻痺してしまう
状態であり、例えて言えば、一種の無限ループというか、フリーズ状態というか、ハタから
見れば、身体が正常に機能していない無我状態に陥っているわけです。

ちなみに、ここでの「a union with the Divine/神との結合」とは、神との一体化であり、
つまり「神との結婚」を意図しているわけですが、現実には無理ですので、これは結局、
「神をズリネタにしたオナニー」であって、真の「神との結婚」と同一に論じることは
出来ないということに注意が必要です。

なお、この手の「エクスタシー」には、脳内麻薬が関係していることが知られていますが、
外的な麻薬投与によっても、似たような「trance/恍惚状態」を引き起こすということも
知られていますので、この「Samadhi/三昧(さんまい)」が神秘的現象かと言われれば、
そんなことは無いわけであって、こういったトランス状態というのは、あくまでも人間の
肉体的な現象の一つであると考えるべきです。

まあ、「オナニー」とか「薬物」というような手段で、「12:吊られた男」になれた気がする、
というのは、あくまでも個人の感想である、ということなんですよね。
0297名無しさん@占い修業中垢版2019/11/28(木) 20:34:21.54ID:3rRrFH5J
ズリネタというお前の解釈は狂っている
恥さらしになるだけだからこのスレに書くことをいい加減やめたほうがいい
0298名無しさん@占い修業中垢版2019/11/29(金) 06:04:13.59ID:/Hwpmg3l
>>297
ズリネタという言葉に反応するとは、あなたもオナニー好きなんですね。 (^^;;

とりあえず、ワタシの文章が「恥さらし」であるならば、その根拠となる
あなたなりの解釈を、書いてみてもらえませんか。
根拠無しに、「やめろ」と言われても、はいそうですね、とは言えませんしね。
0299名無しさん@占い修業中垢版2019/11/29(金) 06:06:22.40ID:/Hwpmg3l
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
This was a state with which Crowley was obsessed.
これは、クロウリー氏が取りつかれていた状態であった。

He wrote: "I was absolutely convinced of the supreme importance of devoting my life
to obtaining Samadhi." (*160)
彼は書いた:「私は、私の人生を『三昧』を獲得することに捧げることの最高位の重要性を
完全に確信した。」 (*160)
--- ここまで ---

ちなみに、(*160)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
160. Crowley, Confessions, 452.
160. クロウリー著、『告白』、452ページ。
--- ここまで ---
とあります

この手の脳内オナニー、いやいや「三昧(さんまい)」による「トランス状態」と「エクス
タシー感」を得る修行は、その肉体的過程に脳内麻薬が関係していることで、どうしても
常習性が出てくるわけで、一旦それに取り憑かれると、一種の麻薬中毒状態になって、
禁断症状なんかも出たりするわけです。
ここでいきなり「オナニー禁止!!」などと言うつもりは無いのですが、こういう状態は、
決して「神との結婚」ではなく、ヲタクの「二次元キャラとの結婚」と大差無い状態である
ということは自覚しておく必要がある、ということを言いたいわけですよ。

まあ、沼にハマって、宗教業界にお布施をするか、オカルト業界にお布施をするか、
ヲタク業界にお布施をするか程度の違いですので、犯罪行為にならない限り、本人が
それで良いと言うのであれば、周囲の人間が、とやかく言うものでもないんですよね。

ということで、ワタシも生暖かい目で、ちょっと離れて見ていこうと思うのでした。
0300名無しさん@占い修業中垢版2019/11/29(金) 07:50:17.16ID:8ORA2kDh
お前がキチガイだと書いているだけなのだが
タロットカードの解釈としてはお前のが一番狂ってる
日本の恥さらし
0301名無しさん@占い修業中垢版2019/11/30(土) 06:22:03.57ID:uQ1DjCwN
>>300
あ、オナニー君、お久しぶり! (^_^)/

近頃、見なくなったので、もうどっかに行ったのかと思っていたけど、
まだこのスレを見ていてくれたんですね。 (^_^)

※オナニーネタと、クロウリーネタに噛みついてくるなんて、
 わかりやすいよなぁ。 (^_^;;
0302名無しさん@占い修業中垢版2019/11/30(土) 06:26:46.67ID:uQ1DjCwN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
In fact, when he came to believe that the so-called Secret Chiefs of the Order of
the Golden Dawn had chosen him to succeed Mathers, he wrote: "I made it a condition
that I should attain Samadhi; that is, that I should receive a degree of illumination,
in default of which it would be presumptuous of me to put myself forward." (*161)
実際に、彼は、ゴールデン・ドーン団の、いわゆる「秘密の首領たち」が、マサース氏の
後継として彼を選んだところであったと信じるようになった時、彼は以下のように書いた:
「私は、それを、私が『三昧』に到達すべき条件とした;すなわち、私は光明の階級を受け
取るべきであり、それが無ければ、私が私自身を前に出すことは、生意気となるであろう。」
(*161)
--- ここまで ---

ちなみに、(*161)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
161. Crowley, Confessions, 452.
161. クロウリー著、『告白』、452ページ。
--- ここまで ---
とあります

このゴールデン・ドーンの「Secret Chiefs/秘密の首領たち」とは、元々は団の創設者
であるウェストコット氏が、神秘的な「魔術ネタ」の提供元であるとした「設定キャラ」、
すなわち、業界にはよくある架空の超人キャラ設定なのですが、魔術ネタの創作に行き
詰まったウェストコット氏が、そのキャラ設定を放棄した後に、マサース氏がその設定を
引き継いで、その後、クロウリー氏が、それを強引にパクったという経緯があります。
まあ、ネタはネタとして、仲間ウチで楽しくネタとして遊んでいるうちはいいのですが、
ネタに吊られてマジレスしてしまうと、とてもカコワルイ状況になるわけなんですよね。

まあ、その後も、色々な人が、そのキャラ設定ネタを真に受けて、場外乱闘的な魔術活動
に勤しむわけですが、クロウリー氏のマジレスの度合いは、少々度が過ぎるというか、
そういう意味でも、ワタシは、あまりお近づきにはなりたくないわけなのでした。
0303名無しさん@占い修業中垢版2019/11/30(土) 08:51:41.03ID:4KgKng/L
都合が悪くなればネタ扱いではすまない
間違いの拡散の元はお前なのだから、トポケるんじゃないよ
永遠と投稿しているお前が間違ってんだよ
0304名無しさん@占い修業中垢版2019/12/01(日) 06:33:40.19ID:i8EGs+iF
>>303
都合が良くても悪くても、元々がネタであると明言しているんですけどね〜。

それはともかく、間違いであろうが無かろうが、拡散してもらえるのであれば、
色々な意見が集まってくるでしょうし、それはそれで有り難いんですよね。
元々、ここで一人で延々と投稿するつもりはなくて、それよりも、色々と異なる
意見が集まる場として、この公開されている掲示板を借りているわけですしおすし。

そもそも、ワタシの解釈が間違ってるというのであれば、ワタシが間違っている
箇所を指摘した上で、あなたなりの正しい解釈を述べて、きちんと反論すれば
いいだけのことじゃないのかなぁ、と。
0305名無しさん@占い修業中垢版2019/12/01(日) 06:35:03.44ID:i8EGs+iF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
Crowley also makes it clear that Samadhi, which he defines with unusual simplicity
as "Union with the Lord," is a general term for a number of states, involving
different degrees of trance.
クロウリー氏は、また、彼がそれを「主との結合」であるとして異例の単純さで定義する、
「三昧」が、恍惚状態の異なる段階たちに関係している、いくつもの状態たちの総称で
あることを解き明かした。

In his Confessions he describes a devastating experience of the highest form of
Samadhi, on the Path of THE FOOL. (*162)
彼の『告白』の中で、彼は、「愚者」の「小径」で、「三昧」の最も高い形の圧倒的な
経験を記述している。 (*162)
--- ここまで ---

ちなみに、(*162)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
162. Crowley, Confessions, 840.
162. クロウリー著、『告白』、840ページ。
--- ここまで ---
とあります

クロウリー氏の説によると、「Samadhi/三昧」とは「Union with the Lord/主との結合」
すなわち「神との結婚」であって、これは性的な意味においても「異次元キャラ(二次元を
含む)」である『あなた』と合体したい」という、一万二千年前からの愛欲を説くような
ものであって、それゆえに、クロウリー氏の様々な性的な魔術実験の基本思想となっている
部分であるとも言えるわけです。
もちろん、個人的な興味で行う行為については、自己責任において、自由にやってもらって
構わないのですが、そこから得られた結果については、我々は冷静に判断する必要がある、
要するに、神をズリネタにした妄想オナニーにすぎないのでは、ということを理解しておく
必要があるということなんですよね。
0306名無しさん@占い修業中垢版2019/12/02(月) 06:21:14.70ID:cmRLtx0R
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
From the standpoint of Tarot what is important is that the Path of THE HANGED MAN
is only the first entry into a sequence of states of union.
「タロット」の観点からの重要なことは、「吊られた男」の「小径」は、結合の状態たちの
一連のものへの、唯一で最初の入り口であることである。

While this experience may be one which we spend our lives seeking, it is only one
step along the Great Way.
この経験は、我々が我々の生命たちを捜すことに費やすものの一つであるかもしれないとは
いえ、それは「大いなる道」に沿った、唯一の一歩である。
--- ここまで ---

「タロット」というより「生命の木」の観点からですが、この「ホド」から「ゲブラー」に
至る「メム」の「小径」は、我々が生きたままで、「より上位」である「神の世界」を
目指す際の、唯一の「経路」になっているということです。
つまり、我々は、死ねば自動的に「霊」となって「ティファレト」へ、もしくはそれなりに
覚醒すれば、「ティファレト」の境地に至ることは可能なのですが、そこは人としての
「上がり」というか、そこから先は、また別の存在となってしまうため、下界からは完全に
縁が切れてしまいます。
まあ、普通の人でも普通に行ける「ティファレト」でも充分ではないかと思うのですが、
普通じゃ気が済まない自己顕示欲の強い人たち、いやいや、霊的な指導者となりたい
人たちは、「ワタシは、さらに上位の真の神に出会った」とか言いたいわけですかね。

それはともかく、この「小径」は、我々にとっては最難関というか、ほぼ誰も通過する
ことが出来ないレベルにあるわけで、それゆえ、無駄に「we spend our lives seeking/
我々が我々の生命たちを捜すことに費やす」、すなわち人生という時間を無駄遣いする
とか、生命そのものを無駄遣いするとかいう結果に陥りがちなわけで、そういうふうに
自らの人生全てを犠牲にしてまでも、真の神を追い求める行為が、本当に幸福をもたらす
ものなのかを、この「12:吊られた男」の姿を見て、考えてもらえたらなぁ、と思うのでした。
0307名無しさん@占い修業中垢版2019/12/04(水) 05:59:06.53ID:L2PIN2BF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
In this regard, Crowley again offers excellent instruction.
この点において、クロウリー氏は再び、優秀な教えを提供する。

Writing of Alan Bennett's increasing desire to become a Buddhist monk, he says:
"The phenomena of Dhyana and Samadhi had ceased to exercise their first fascination.
仏教の僧侶になるというアラン・ベネット氏の増大する願望について書いて、彼は言う:
「『禅』と『三昧』の驚異的現象は、それらの最初の魅惑を行使することを止めてしまった。
--- ここまで ---

アラン・ベネット氏(Allan Bennett, 1872-1923)は、ゴールデン・ドーンに1894年に入団
してマサース氏の弟子となり、その後、1898年に入団したクロウリー氏の師となり、その後
仏教徒となって活躍したという、魔術界では割と名の知れた人物です。
元々が病弱なため、その治療のために、あっち系の薬物を常用していたので、その点でも、
クロウリー氏との繋がりが強いということもあったりします。
以下は、そういう麻薬常用者という上級者たちの、普通ではない話として、聞いてください。

まず、「The phenomena of Dhyana and Samadhi/『禅』と『三昧』の驚異的現象」という
のは、おそらく「悟りの境地」とか「解脱」とか呼ばれる精神的現象であり、トランス状態
に入ることで、最上級の「精神的エクスタシー」が得られるというものだと思われます。
そして、その「エクスタシー」が、「first fascination/最初の魅惑」であるということ
ではないかと思われます。

確かに、その「最初の魅惑」なるものは、人生において「良い経験」ではあるのですが、
それで本当に人生の「悟り」や「解脱」が出来るのかというと、実際問題として、そんな
ことは無いわけであって、しょせん「話のネタ」でしか無いわけです。

神秘家の究極の目的が、「神との合一」、すなわち「宇宙の神秘」を解き明かして「神の
力」を行使できるようになる、ということであれば、「禅」や「三昧」の「エクスタシー」
が、自己満足のオナニーで終わってしまってはならない、ということなのですよ。
0308名無しさん@占い修業中垢版2019/12/05(木) 05:39:51.22ID:jRG1ELtR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
It seemed to him that they were insidious obstacles to true spiritual progress;
that their occurrence, in reality, broke up the control of the mind which he was
trying to establish and prevented him from reaching the ultimate truth which he
sought.
それらは、真の霊的な進歩にとって狡猾な障害物たちのように、彼には思われた;それらの
出来事は、実際には、彼が確立しようとしていた精神の管理を破壊し、そして彼が、彼が
捜し求めていた究極の真実にたどり着くことを防いだ。

He had the strength of mind to resist the appeal of even these intense spiritual
joys.
彼は、これらの熱烈な精神的な歓喜たちの魅力にさえも、抵抗する意思の力を持っていた。
--- ここまで ---

ここは、弟子であったクロウリー氏が、師であったベネット氏のことを書いているわけです
ので、しょせん綺麗事を述べているにすぎないという点は、考慮しておく必要があります。
つまり、ベネット氏は、ここで「熱烈な精神的な歓喜たちの魅力」と称するもの、とはいえ、
その実体は、薬物ブーストされた脳内オナニーの、しょせん刹那的であり肉体的な快楽で
しかないものに飽きてしまったということなんでしょうね。
いずれにしても、習慣性のあるトランス系ドラッグの使用は、そのうち薬物中毒になって
肉体を蝕みますし、霊的にも百害あって一利無しですので、避けておいた方が無難です。

そして、ベネット氏は、そういった危険で低レベルのドラッグ依存症状から脱して、
より上級者向けの脳内麻薬依存の「仏教修行」に移行したということなのですが、
そうであったとしても、それが「真の霊的な進歩」をもたらすものでもないわけですし、
それによって、ベネット氏が、「12:吊られた男」の「小径」を通過して「彼が捜し求めて
いた究極の真実にたどり着く」こともなかったと思われます。

まあ、「真の霊的な進歩を遂げ、自身が捜し求めていた究極の真実にたどり着いた」と吹聴
する人がいたとしても、ワタシとしては、「はあそうですね」としか言えないわけですけどね。
0309名無しさん@占い修業中垢版2019/12/07(土) 05:53:49.56ID:R6mWL2Rc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
Like physical love, they persuade their dupe to put up with the essential evil of
existence." (*163)
肉体的な愛欲のように、それらは、それらの騙されやすい人に、存在の本質的な悪を我慢
するように説得する。」 (*163)
--- ここまで ---

ちなみに、(*163)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
163. Crowley, Confessions, 249.
163. クロウリー著、『告白』、249ページ。
--- ここまで ---
とあります

ここの「they,their/それら」とは、前文の「intense spiritual joys/熱烈な精神的な
歓喜たち」と記述されるけれども、その実体は「肉体的な快楽」でしかないものであって、
「12:吊られた男」の「小径」の経験とは何の関係も無いものです。

だからといって「physical love/肉体的な愛欲」を否定したり、「existence/存在」が
「essential evil/本質的な悪」であるなどと、安易に決めつける必要も無いと思います
し、そもそも、低次の肉体的なものを言葉上で否定するのも、オカルト詐欺の常套手段です
ので、ワタシとしては、そう簡単には納得できないというか、そもそも「オマエが言うな」
状態ですしね〜。

ワタシとしては、あくまでも「マルクト」の住人のまま、地に足が付いた状態で、色々な
経験を重ねていきたいわけですので、そういう「地に足が付いた存在」の状態のままでは、
「12:吊られた男」の「小径」を通過できないことは、重々承知しています。
でも、「小径」を通過して実際に内部を経験することは出来ないけれども、下界から
チラチラと秘所を覗き見する、いやいや「偉大なる神の秘跡」を仰ぎ見ることは少しだけ
可能ですし、その経験は、それなりに有益というか面白いことだと思っているのでした。
0310名無しさん@占い修業中垢版2019/12/08(日) 05:39:54.25ID:ooYEPtqX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
The idea is that we must move constantly upward on the Tree of Life.
考え方は、我々は常に「生命の木」に基づいて上方に動かなければならない、ということ
である。

It is not until one has experienced the next higher Sephira that the qualities of
the lower Sephira are completely understood, and can be directed.
人は、次のより高い「セフィラ」を経験し終わって初めて、下の「セフィラ」の品質たちは
完全に理解されて、導かれることができる。
--- ここまで ---

「12:吊られた男」である「メム」の「小径」の全てを経験することは出来ない、すなわち
「ゲブラー」にまで到達することは出来ないのですが、それでもテンプレート・マップと
なる「生命の木」に基づいて進むことで、ある程度までは知ることが出来ます。

なぜ、ある程度まで知ることが可能になるかと言うと、「生命の木」がネットワーク構造を
しているため、相互の知識には関連性があるからなんですよね。
つまり、ある特定の「セフィラ」や「小径」を知るには、周囲の関連する「セフィラ」や
「小径」も理解する必要があり、そして、周囲の関連する「セフィラ」や「小径」を知る
ことで、その特定の「セフィラ」や「小径」を、より深く理解することが出来るわけです。

とはいえ、「ゲブラー」は、「生命の木」において、人を象徴する「五芒星」に配属される
「マルクト」〜「ティファレト」の、5つの下位の「セフィラ」である「人」の領域の外に
あって、人が到達できない領域、すなわち、人が理解できない領域にあるため、安易に
従来の延長線上の考え方を適用すると、とんでもない勘違いをすることになります。
そもそも、従来の延長線上の考え方でいいのであれば、ワタシにも理解することは
可能なわけですし、こうしてダラダラと言い訳ばかり書き連ねる必要も無いわけですよ。

ということで、後は、「皆さん、それぞれに頑張ってみて下さい」というように、説明責任
を放棄するしかないのが実情なんですよね。←結局、何の役にも立たない人orz
0311名無しさん@占い修業中垢版2019/12/09(月) 06:01:49.90ID:6TrA5mD+
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
Here we see that the Path of Mem leads directly to Geburah, above Tiphareth.
ここで、我々は、「メム」の「小径」が、「ティファレト」の上にある「ゲブラー」に
直接に導くことを見る。

Geburah is the active part of the Higher Self.
「ゲブラー」は「高次の自我」の能動的な部分である。

It is the fiery energy on the Pillar of Water below Binah.
それは、「ビナー」の下にある「水の柱」の上の「火」の精力である。
--- ここまで ---

「Here we see/ここで、我々は、見る」、つまり、主観的に理解するとか経験するとか
ではなく、どんなに頑張っても、客観的に「見る」ということだけしか許されない、絶対
に触れることの出来ない禁断の秘所が、その先にある、ということですよね。
つまり、手や足は縛られていて、身動きできないけれども、目隠しはされていなくて、
赤い色の何かが、遠くにチラチラと見えるという、実にけしからん状態なのです。

とはいえ、そういうエロ成分は控えめというか皆無であって、シンプルなカードデザイン
ながらも、深遠な象徴が、さりげなく配置されています。
それらは、「十字」と、股間の「下向き三角形」と、頭の背後の「上向き三角形」、そして
それらを囲う「メム」の文字などです。
「下向き三角形」は錬金術記号の「水」であり、「上向き三角形」は錬金術記号の「火」
であり、そして「十字」と「上向き三角形」の組み合わせは、ゴールデン・ドーンを表す
シンボルとして用いられており、それら全体を「メム」が囲うという構図ですよね。

一切の無駄を排除した象徴主義の真髄とも言えるシンプルなデザインは、まさに「神秘の
奥義」を表現しているようであって、それはそれで素晴らしいのですが、我々のような
一般人にとっては、すこぷる難解というか、「だから何なの?」と言いたくなるような、
いまいち物足りないものなんですよね。(エロ成分が足りないww)
0312名無しさん@占い修業中垢版2019/12/10(火) 05:54:17.46ID:bnSjEWBM
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
It is that on which the feet of THE HANGED MAN rest.
それは、「吊られた男」の足が留められている場所である。
--- ここまで ---

この「It/それ」は、「ゲブラー」を指していますので、「吊られた男」は、「ゲブラー」
という「拠点」に足を置く存在である、すなわち、この世の住人ではない「神」そのもの
であるということを示唆しています。

要するに、「吊られた男」のように見える姿は、実は「直立した神」であるということで
あり、逆立ちしているように見えるのは、単なる視点の違いというか、住む世界が違うから
ということになりますかね。

さて、このカードデザインですか、中央の「神」を「メム」の壁が囲んでおり、上からは
「ゲブラー」の「火の精力」が、そして頭の後ろからは「上向き三角形」の「錬金術の火」
により炙られているという構図のようにも見えます。
そして、「火」によって「神」の体から抽出された「水」が大海の如くに溜まっており、
その「水」が、左下の「メム」の隙間から、下界に向けて、すなわち「ホド」に向けて
流出しているというようにも見えます。

つまり、我々は、この「神のあぶり焼きのオーブン」の現場に入ることは出来なくても、
そこから抽出される「神のエキス成分」を堪能することは可能であるということです。
そしてこの「神のエキス成分」こそが、ゴールデン・ドーンの成立に関係する「暗号文書
(by ウェストコット氏)」、そしてタロットの基本となる「"T"の書(by マサース氏)」
であるという暗黙の設定となっており、それゆえ、このカードは「神聖ニシテ侵スヘカラス」
的な特別マル秘扱いとなっているわけです。

まあ、とりわけ難解なカードであり、色々な解釈があるかとは思いますが、我々にとっては、
「ホド」の聖なる原動力に繋がる、非常に有り難い存在であって、世間一般に言われている
ような、不吉なものではないということぐらいは、知っておいた方が良いかと思います。
0313名無しさん@占い修業中垢版2019/12/11(水) 06:14:55.29ID:6tPzXGVb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
The key symbol here is the Cross above the Triangle, which is also the emblem of
the Hermetic Order of the Golden Dawn, indicating that the principles of THE HANGED
MAN represent the essence of that Order's teaching.
ここの鍵となる象徴は、「三角形の上の十字」であり、それはまた「ヘルメス主義団体
ゴールデン・ドーン」の紋章でもあって、「吊られた男」の原則たちが、その「団体」の
教えの本質を象徴することを示している。
--- ここまで ---

一見すると、単なる奇妙なパフォーマンスをしている質素な変態男にしか見えないカード
ですが、その背後に「三角形の上の十字」という、ゴールデン・ドーンにとっては最上級の
神秘の紋章をさりげなく描くことで、このカードは、とんでもなく最上級の扱いを受ける
ことになりました。
どれくらい最上級かと言うと、トップクラスの「0:愚者」と肩を並べるぐらいに最上級の
扱いであり、その要因は何と言っても、「メム」が「母字」の「水」であるからです。

「ゴールデン・ドーン」にとって、「空気」でもなく「火」でもなく、なぜ「水」である
「12:吊られた男」が鍵なのかと言うと、それは「生命の木」において、天上界と地上界を
橋渡しする「要」の位置にあって、高すぎず低すぎず、そして団の機密を司る係と
しては、最もふさわしい地味な役回りであるからなんですよね。
そう、本当にスゴい人を見抜くためには、外見に惑わされてはいけないのです。

ちなみに、我々のような一般人が、外見だけ真似て、こんな逆さ吊りになる修行をした
ところで、何の意味もありません。
なぜなら、ここに吊されているのは「人」ではなく「見えざる神」であって、「御神体」
からしたたり落ちた「水」、すなわち「神秘のエキス」という「神秘の教え」を、
下界の我々が享受するというのが、このカードの本質であるからです。
とはいえ、「12:吊られた男」より上位の大アルカナは、多かれ少なかれ、同じように
「神秘の教え」を伝授する役割がありますが、それらの「要」であり取りまとめ役と
して存在しているわけですよね。
0314名無しさん@占い修業中垢版2019/12/12(木) 05:41:25.08ID:Qx+d8LNE
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
Moreover, this card represents a summation of the teaching of the entire Tarot;
the allegorical Book T, found in the hands of Christian Rosencreutz when his tomb
was opened, containing the most secret teachings handed down through the ages.
さらに、このカードは、「タロット」全体の教えの総和を表している;寓話的な「Tの書」、
彼の墓が開かれた時に、クリスチャン・ローゼンクロイツ氏の手の中で発見され、昔から
伝えられる最も秘密の教えを含む。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン理論によれば、「12:吊られた男」のカードは、「Tの書」そのもの、
そして「タロット」の思想の全てを完全に含んだ「ホログラム」であるということであり、
タロットについては「もう全部このカード一枚でいいんじゃないかな」的なノリになって
しまっています。

まあそれは言い過ぎかもしれませんが、「タロット」や「生命の木」や「カバラ」などの
最高機密レベルの「秘密の教え」は、「ティファレト」を通過する正規の「炎の剣ルート」
ではなく、この「12:吊られた男」の、選ばれた人のみが受け取ることの出来る「裏ルート」
の「小径」を通じて、秘密裡に下界にもたらされるわけです。

でもまあ、いわゆる「闇ルート」ですので、一般人である我々にとっては、何の関係も
無いのですが、間違って迷い込んでしまうと、そこは魑魅魍魎の住まうアブない世界に
なるわけですので、良い子は決して立ち入らないようにしましょう。
ちなみに、これの下位カードとして、「母字の火」の「20:審判」がありますので、もし
そっち方面の経験を積みたいのであれば、こちらの方を強くお勧めします。

ということで、この「12:吊られた男」は、「選ばれた者」限定で秘密を明かされる場所
ですので、我々のような「一見さん」から見ても、そういうふうには見えないように、
つまり「お宝が隠されているぞ」的な派手派手ではなく、極端なまでに質素なデザイン
となっているのは、必然的なことなのでした。
まあ、宝箱の中に何が入っているのかは知らんけど。(苦笑)
0315名無しさん@占い修業中垢版2019/12/13(金) 05:52:25.55ID:sqlFSVuX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
It is not uncommon, as in the Waite card, for the figure to be hanged from a Tau
Cross.
ウェイト版カードにあるように、人物像が「タウ十字」から吊されることは、珍しいこと
ではない。
--- ここまで ---

ここには、「珍しいことではない」と書いていますが、当時のタロットにおいては、間違い
なく「レアケース」でした。
つまり、ウェイト氏の趣味、いやいや判断による、確信犯的な「改変」ですよね。

当時の「吊られた男」は、両脇の2本の縦棒に支えられた、上の1本の横木から逆さ吊りに
された人物が、基本形となっていました。
この3本の棒で作られる形は、間違いなく「絞首台」であって、それゆえ「不吉なもの」と
いう印象を、読者に与えるものとなっていました。
ゴールデン・ドーン版も、基本的には、その「絞首台」の形状を踏襲していますが、人物
の背後に「十字」と「上向き三角形」を、そして頭部に「後光」を描くことで、暗示的に
究極の神秘要素である「ゴールデン・ドーンの紋章」を追加していました。

一方、ウェイト版では、「絞首台」を「タウ十字」にしています。
これは、「イエス・キリストの受難」を象徴しているのは明らかであり、それゆえ、この
人物像は、「神」となった「イエス・キリスト」と同列の存在であることが推定できます。
ウェイト氏は、このカードは「神聖なる『死の神秘』の後に、栄光の『復活の神秘』が
あること」を意味していると言っていますので、「タウ十字」への改変は、キリスト教徒
である読者向けのウケ狙い的な意味もあったのではないかと思われます。

ちなみに、トート版においても、「絞首台」から「アンク十字」へと改変されています
ので、それらの元ネタであるゴールデン・ドーン版のデザイン研究において、つまり
マサース氏やミナちゃんによる試作版においては、伝統的な「絞首台」を改変した、
色々なバリエーションがあって、それらを参考にしたのではないかと推定しています。
0316名無しさん@占い修業中垢版2019/12/14(土) 06:20:21.04ID:6ixQHZVI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
In fact, the symbolic relationship between Tau and Mem is profound.
実のところ、「タウ」と「メム」の間の象徴的な関係は深遠である。
--- ここまで ---

「タウ(十字)」と「メム(水)」の関係は、一見すると何の関係も無さそうなのですが、
「12:吊られた男」を通じて、実は色々なところで密接に関連しているということです。

ウェイト氏の場合は、それを「イエスの死と、キリストとしての復活」の物語を通じて、
「タウ」と「メム」の関係が、「神」と「宇宙」の関係に関連していることを示唆して
いることになっています。
あー、まあ、一般人である我々には、何のことかさっぱり分かりませんけど、そういう
ことのようです。

いずれにしても、「13:死」の後に「12:吊られた男」が来るわけですので、この人物は
「生きた人間」ではなく、「復活した神」であることは容易に想像できます。
それゆえ、イエス・キリストと同様に、薔薇十字のクリスチャン・ローゼンクロイツ氏
を類推することも可能です。
そして、彼の手の中にあった「Tの書=タロットカード」は、この宇宙を創造し、全宇宙を
知る全知全能の「神」からの授かり物であって、それゆえ、この「12:吊られた男」とは、
「神」そのもの、もしくは「神」の仮の姿の一つであるということですよね。
我々が知る商業主義的な「神」は、けばけばしい姿をしていますが、この「12:吊られた
男」の「小径」を通じて「ホド」に降りてくる「神」の姿は、とてもシンプルであるため、
何だかよくわからないものになっていますが、そういうことのようです。

ということで、ウェイト版の「12:吊られた男」は、「メム(水)」であることよりも、
「タウ(十字)」との関連性の方を重視したデザインとなっています。
つまりこれは、ゴールデン・ドーン版やトート版ではキリスト教的なものを極力排除して
いるのに対して、キリスト教というかイエス・キリストが大好きなウェイト氏の趣味に
よるものですかね。(よう知らんけど)
0317名無しさん@占い修業中垢版2019/12/15(日) 06:44:19.35ID:4w7Kov3Y
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
Tau is at the very center of the Cube of Space, and is crossed by the lines of
THE FOOL (Aleph), JUDGMENT (Shin) and THE HANGED MAN (Mem).
「タウ」は「宇宙の立方体」のまさしくその中心にあり、「愚者(アレフ)」、「審判
(シン)」、そして「吊られた男(メム)」の線たちが交差している。

But Mem final, the completely closed form of this letter used when it occurs at
the end of a word, is also attributed to this exact center point.
しかし、言葉の終わりにそれが起こる時に使われる、この文字の完全に「閉じられた」形
である「最終形のメム」は、また、この正確な中心点に帰属される。

The symbolism says, in essence, that the completion of Mem is Tau.
象徴主義は、本質的には、「メム」の「完成」が「タウ」であると述べる。

Both Mem and Tau are suspended at the center of the Cube of Space.
「メム」と「タウ」は、「宇宙の立方体」の中心において、吊られている。
--- ここまで ---

この「the Cube of Space/宇宙の立方体」の理論では、「タウ」を「中心=原点」として
「母字」である「アレフ」「メム」「シン」を「上下」「東西」「南北」の三次元の軸に
割り当てていますが、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』には、「タウ」が「中心」
であるという記述はありますが、「母字」である「アレフ」「メム」「シン」についての
記述はありません。
そして、「最終形のメム」が、「タウ」と同じように「中心点」に帰属される、という
記述もありません。

つまり、ネタ元がはっきりしないので、コメントのしようがないわけです。
ということで、ワタシとしては何とも理解不能というか、おそらく次元の違う話である
「宇宙の立方体」ネタは、華麗にスルーしておこうと思います。
(要は、二次元キャラの安易な三次元化に対して、拒否反応を起こしているわけです。)
0318名無しさん@占い修業中垢版2019/12/17(火) 06:19:10.96ID:qRwBMQCg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
The reversed figure on the card represents the suspension of personal consciousness,
where a greater reality imposes a complete reversal of perspective.
カード上の逆さまにされた人物像は、個人的な意識の吊り下げを表しており、そこでは、
より大きな現実は、見方の完全な逆転を課する。

This has been described as the "human spirit suspended by a single thread."
これは、「単一の糸により吊された人間の精神」であるとして記述されている。
--- ここまで ---

とりあえず難しい話はそれくらいにして、もう少し具体的な話になってきます。
さて、このカードの解釈は色々とあるわけですが、そのデザインから、我々から見て
ポジティブな面と、ネガティプな面があることぐらいは、分かるかと思います。

まずは、ポジティブな面ですが、一つには、「a greater reality/より大きな現実」を
見るための手段として、ですよね。
ちなみに、「より大きな現実」というのは、我々が知覚可能な「reality/現実」を越えた
もの、言ってみれば「現実」を司る「見えざるもの=非現実的なるもの」となるわけです
が、そういう「現実を越えるもの」を見ようとするのであれば、視点を変えることが必要
という、ごく当たり前の教えです。

あ、いやいや、単に物理的な視点を変えて、普段では見えないものを、ローアングルで
見てみようということではないですよ。
自分自身の「spirit/精神」を縛り上げて逆さ吊りにするという「自縛行為」によって、
今まで自己中心的にしか見たり考えたりしてこなかったものの裏側が、何かのきっかけで
自然と本質が見えてくるかもしれないということです。
つまり「見たい!」と強く念じたり注視したりすることだけでは見えなかったものが、
それほど「見たい」とは思わなくなった時に、偶然に見えてしまったということもあるわけ
で、そういう時って、思わず「神キター!!」とか思ってしまいますよね。
え、そういうのとは違うって? ←やっぱりよく分かっていないw
0319名無しさん@占い修業中垢版2019/12/18(水) 06:08:36.94ID:r61/Wq08
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
Yet this is a willing suspension, a sacrifice which is a baptism, but which is
also a crucifixion.
さらに、これは、自発的な吊り下げ、洗礼である生贄であるけれども、それはまた
「(イエス・キリストの)十字架刑(はりつけ)」でもある。

This, then, is a card of the Dying God.
これは、さらにまた、「死にゆく神」のカードでもある。
--- ここまで ---

このあたりの話であれば、カードを見れば、何となくわかりますよね。

そして、一般人にとっても、「a willing suspension/自発的な吊り下げ」という逆さ吊り
の修行というのは、見た目のインパクトもあって、とても「やっている感」があります。
あと、「baptism/洗礼」に使う「水」の修行、たとえば滝行なんかも、「やっている感」
が満載です。
そして、何かを得るためには、何かを犠牲にする、つまり自らの肉体を「sacrifice/生贄」
というか「依り代」として、神の世界に擬似的にアプローチするという手法もあります。
とはいえ、それらは全て「13:吊られた男」の下なる世界での話となります。

一方、上なる世界、つまり神界での話では、これは「人の子イエス」が「神の子キリスト」
として復活するための「crucifixion/十字架刑」を表します。
そして、それと類似した「Dying God/死にゆく神」の神話を含むことになります。
つまり、我々としては、指をくわえて見ているだけの世界の話であって、我々のような
下等生物の分際が、直接アプローチできるような世界ではないということですよね。

いずれにしても、そこには人類にとって、悪い意味は何も無くて、どちらかというと、
「神より賜る、知的な恩寵」に満ちた「ご褒美」であることは間違いないわけです。
ただし、あまりに「上級者向け」のハイレベルな恩寵であるがゆえに、我々のような
一般人にとっては、何とも理解し難いシロモノであることも、確かなんですよね。
0320名無しさん@占い修業中垢版2019/12/19(木) 06:01:51.55ID:Ke4491si
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
One might well ask why this crucifixion should be on one side of the Tree.
人は、なぜこの十字架刑が、「木」の片側にあるべきなのかを尋ねるのは、もっともで
あるかもしれない。

The reason is that this is an essentially intellectual experience, as is implied
by the position of the legs of THE HANGED MAN.
その理由は、「吊られた男」の足たちの位置により暗示されているように、これは本質的に
知的な経験であるからである。

The cross above the triangle is the four above the three, the imaginative qualities
of THE EMPRESS (3) subordinate to the rational qualities of THE EMPEROR (4).
三角形の上の十字は、3の上の4であり、「皇帝(4)」の理性的な品質たちより下位の
「女帝(3)」の想像力豊かな品質たちである。

This is the ultimate sacrifice of desire to a rational principle.
これは理性的な原則についての欲望の究極の犠牲である。
--- ここまで ---

そういう疑問を抱く人は、ここにはいないと思いますが、ウォン氏は、この「12:吊られた
男」が、「生命の木」の「峻厳の柱」の上にあることについて語りたいということです。

まあ、「12:吊られた男」には、「イエス・キリストの十字架刑」とか「死にゆく神」とか
ネガティブな見方もありますが、本当の意味は、そういう「見かけのもの」ではなくて、
その本質とは「intellectual experience/知的な経験」すなわち「rational/理性的」
なるものの究極の姿であるということですかね。
まあ、我々には、とても「理性的」には見えないカードですし、超上級者向けというか、
超難解すぎて、どう説明して良いかもわからないのですが、安易に分かったような気に
なるよりは、その本質が分かるまでは放置しておくというのも一つの手だと思います。
そもそも、この領域に至ることの出来る人は、ごくごく限られていますしね。
0321名無しさん@占い修業中垢版2019/12/20(金) 05:47:57.99ID:w4Zp8yiZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
A balance to this experience is to be found in the WHEEL OF FORTUNE, directly
opposite THE HANGED MAN on the Tree of Life.
この経験との釣り合いは、「生命の木」の上で「吊られた男」の真向かいにある、
「運命の輪」の中で発見される。

THE HANGED MAN is rest, the WHEEL OF FORTUNE is activity.
「吊られた男」は安静であり、「運命の輪」は活動である。
--- ここまで ---

困った時の神頼みというか、「生命の木」の解釈で困った時は、対称となっているもの
との対比を考えてみるのが、定石となっています。

つまり、この「吊られた男」の「balance/釣り合い」の位置にある「運命の輪」について
考察しようというわけですが、この「生命の木」の「小径」の均衡状態というのは、以前、
大アルカナについて考察した時のように、かなり複雑な関係性を持っています。
それと、「知恵の32の小径たち」においては、「吊られた男」は「Stable Intelligence/
安定した知性」となっていますので、単純な「rest/安静」ということでもないわけです。

ちなみに、ワタシの持つ、これらの対比のイメージとしては、
・「運命の輪」:神の振るサイコロの目(ランダム性=非定常成分)
・「吊られた男」:神が与える宇宙の公式(非ランダム性=定常成分)
という感じがあります。
結果的に、「吊られた男」は「ホド」の理性に繋がり、「運命の輪」は「ネツァク」の
感情と本能に繋がるわけですので、「吊られた男」の神が理性的な人の姿であるのに対し、
「運命の輪」の神が獣の姿をしているのも、何となく納得できます。

とはいえ、この「12:吊られた男」が下界にもたらしている「宇宙の公式」は、我々人間に
とって、極めて貴重なものであることは確かなのですが、あまりにもレベルが高すぎて、
まだ誰もそれを解くことが出来ないというオチなのでした。
0322名無しさん@占い修業中垢版2019/12/21(土) 05:37:03.87ID:LLrAB0yk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
Expressed in another way, THE HANGED MAN is what happens when the Wheel stops
turning: the suspension or Crucifixion in Space is the willful arrest of the WHEEL
OF FORTUNE.
別の方法で表現すると、「吊られた男」は、「輪」が回転を停止する時に起こることである:
吊り下げ、すなわち「宇宙の十字架刑」は、「運命の輪」の意図的な拘留である。

On the other hand, the WHEEL OF FORTUNE is the activation of that which is
inactive on the Path of THE HANGED MAN.
その一方、「運命の輪」は、「吊られた男」の「小径」で非活動的であったものの活性化
である。

As is written on the Emerald Tablet, this is multiplicity in unity, the activity
and passivity of the One Thing.
エメラルド・タブレットに書かれているように、これは、単一性の中にある多様性であり、
「一つのもの」の活動性と受動性である。
--- ここまで ---

もはや意味不明で支離滅裂な説明となってしまっていますが、そもそも、この世のものでは
ない「12:吊られた男」と「10:運命の輪」を、我々の世界における「対称性」で語ること
自体が無理なわけですので、実際のところ、どんな文章で説明したところで、理解する
ことは出来ないわけです。
まあ、元々、言葉ではうまく説明できないので、上級者にしか分からない象徴的な図像と
して表しているというのが、「タロット」ですので、我々が言葉で説明されても分からない
のは当然であると、割り切って考える必要があるわけですよね。

とはいえ、全く分からないなりに、何らかのキーワードぐらいは、事前に持っておく必要が
あるわけで、それが「12:吊られた男」と「10:運命の輪」の「対称性」である、宇宙と
いうか万物というか「神」というか、そういうもの全ての中にある、「回転」と「静止」の
関係性が鍵であるということですかね。(だから何?と言わないでくださいw)
0323名無しさん@占い修業中垢版2019/12/22(日) 07:11:09.28ID:JOV4gwU3
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
It has, hopefully, been demonstrated that the Path of THE HANGED MAN must be
approached very differently from the lower Paths.
それは、たぶん、「吊られた男」の「小径」が下位の「小径たち」とは非常に異なって
取り組まなければならないことを説明し続けている。

There is a reversal of conceptual framework which is at once a willful suspension
and a refinement of observation.
そこには、同時に、意図的な吊り下げと、観察の改善である、概念上の枠組の反転がある。
--- ここまで ---

ここは、「hopefully/たぶん、願わくば」という言葉で修飾されているように、あまり
確証的なものではないのですが、「吊られた男」の「小径」は、今までの「小径」とは
明らかに異なっていて、それをものにするには、従来の手法とは全く異なるものが必要と
されるということです。

その一つが、「willful suspension/意図的な吊り下げ」、すなわち、自身の精神的活動
である脳内妄想の数々を停止させることと、「refinement of observation/観察の改善」、
すなわち、全く異なるというか逆転した視点で見るという、「eversal of conceptual
framework/概念上の枠組の反転」が必要であるということです。

とはいえ、それが具体的にそれが何なのかは、「神のみぞ知る」わけであって、凡人が
いくら「吊られた男」のマネというか修行をしたところで、「頭に血が昇る」とか、もしくは
「○子のパ○ツが見える」ぐらいの恩恵しか無いわけですよ。

そういうわけで、ワタシからも、これといった有用な情報は何も提供できないのですが、
一つ言えることは、一般人である我々には、「吊られた男」を理解する必要は全く無い
し、そもそも、それを理解しようとすること自体にも、何の利益も無いということです。
ということで、無駄な悪あがきはせず、どちらかというと覚めた目というか生暖かい目で、
ヤル気の無い単なる傍観者として、「吊られた男」を観察してみようと思うのでした。
0324名無しさん@占い修業中垢版2019/12/23(月) 06:04:22.49ID:7pOap+5o
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
The meditator becomes the object of his own meditation.
瞑想者は、彼自身の瞑想の対象になる。

He becomes the "other" which had been the object of pursuit; the "other" becomes
him.
彼は、探究の対象であった「他」になる;「他」は彼になる。
--- ここまで ---

ここでは、一例として、「自」と「他」、すなわち「主観」と「客観」の入れ替えに
ついて説明しています。
とはいえ、その文字通りの理解であれば、従来の思考の延長線上であり、従来の手法とは
全く異なるものであるとは言えないです。
要するに、一般人の「meditation/瞑想」では、「自」であることから逃れられないわけ
であり、ここに発想の転換というか、「概念上の枠組の反転」が必要となるわけです。

例として、「自」は「自」から逃れられないということであれば、もう一つの「自」の
コピーを作って、それを「他」として観察するという手もあります。
また、この我々の「宇宙」が「自」であるなら、そのコピーを作って、それを「他」と
して観察するという手もあります。
そんなことが出来るのかと問われれば、現代のシミュレーション技術、すなわち数学と
計算機が、それを徐々に可能にしつつあります。
そして、その仮想空間においては、数値計算による、あらゆる仮想実験が可能となって
おり、実験者が望む「概念上の枠組の反転」を自由に試すことが可能です。
実際問題として、現代の宇宙物理学(マクロコスモス)や、医学や人工知能(ミクロコス
モス)の探究には、この手の高度なシミュレーション技術が不可欠となっており、そして
それが、「吊られた男」の深遠な意味を理解するための、重要な手段となるのではないか
と、勝手に妄想しているのでした。
さらに発想を変えれば、「吊られた男」こそ、マザコン、いやマザーコンピュータそのもの
であるという別ルートもあって、そういう妄想も、ネタとしては面白いと思うのでした。
0325名無しさん@占い修業中垢版2019/12/24(火) 06:13:12.86ID:ifNc/V2U
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
One of the primary qualities of this Path is that it is a Path of eternally
unresolved possibilities.
この「小径」の主要な品質たちの1つは、それが永遠に未解決の将来性の「小径」である
ことである。

It is openness without beginning or end, the exact opposite of the WHEEL OF FORTUNE,
which encloses in eternal motion.
それは、始まりも終わりも無い開放性であり、永遠の運動を取り囲む、「運命の輪」と
全く正反対のものである。
--- ここまで ---

謎の文章となっております。
ここでの「possibilities/将来性」は、未来における可能性たちという意味であり、
この「小径」から「ホド」へと流出するものの「将来における可能性」は、限りの無い
ものではあるけれども、誰もそれを正しく読み解くことは出来ないという解釈が可能と
なっています。
ということで、ここで、分からない問題は、とりあえず放置しておくというスルースキル、
いやいや、賢者の基本スタンスが発動するわけです。

その一方で、「運命の輪」については、「閉じた永遠の運動」ということであり、その
内部情報は流出しないため、やはり誰もそれを正しく読み解くことは出来ないわけです。
ということで、ここでも、分からない問題は、とりあえず放置しておくという、賢者の
基本スタンスが発動します。

結局のところ、オマエは何も分かっていないんじゃないか!というお叱りを受けても
しょうがないわけですが、まあ、わかったようなふりをして金稼ぎをするような連中の
言うことを受け売りするよりは、こうして「今は分からないこと」を、きちんと整理して
おいた方が、謎の解明には、後で役に立つことも多いんですよね。
まあ、永遠に解けない謎であるということですが、そのうち分かるかもしれませんしね。
0326名無しさん@占い修業中垢版2019/12/25(水) 06:10:02.12ID:QZSwdXbk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
When the Mem is closed, it becomes Tau.
「メム」が閉じられると、それは「タウ」になる。

Tau is Mem reversed.
「タウ」は、反転された「メム」である。

12 (THE HANGED MAN) is 21 (THE UNIVERSE) reversed.
12(「吊られた男」)は、反転された21(「宇宙」)である。
--- ここまで ---

またもや謎の文章となっております。
「12:吊られた男」は、「10:運命の輪」の「exact opposite/正反対」の関係であり、
そして「21:宇宙」とは「reversed/反転された」関係であるということです。

つまり、我々が住む「実宇宙」が生み出されると同時に、それと反転関係にある「反宇宙」
もしくは「虚宇宙」なるものが、この「12:吊られた男」で反作用的に生み出されていると
いうことであり、それはまさしく、この「12:吊られた男」が、宇宙を生み出す「種」の
流出源となっていることを示しています。
そして、その開いた未解決の将来性の「種」は、「生命の木」のフィルタを下りながら
選別され成熟していき、最終形として「タウ」で閉じられて完成することで、この「宇宙」
という「アッシャー界」が創造されるという話になっているわけですかね。

まあ、いずれにしても、我々の知らない高次元の話というか、この宇宙が生み出される前の
妄想話ですので、その真偽のほどは全くもって不明というか、現代科学では全く未解明の
分野ですので、これ以上の詮索は出来ないわけです。

とはいえ、こういう現代科学では語れないような「宇宙誕生前夜の妄想物語」を語れる
のも、「カバラ」ならではの魅力ですので、色々と妄想を膨らませるのも面白いですよね。
でもまあ、それは何の役にも立ちませんけど。ww
0327名無しさん@占い修業中垢版2019/12/26(木) 06:03:05.30ID:fNOqv84q
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
This is the Tarot secret of the Dying God on the Path of Water.
これは、「水」の「小径」の上で「死にゆく神」の「タロット」の神秘である。
--- ここまで ---

カバラ理論による「12:吊られた男」が反転された「21:宇宙」であるという前提から、
いきなりタロットの神秘の話題へと、話が振られています。

要は、「反宇宙」である「12:吊られた男」が「上流の神」であり、それが比喩的な死を
遂げることで、「正宇宙」である「21:宇宙」が「下流の神」として転生して復活すると
いうストーリーなのかな、と思われます。

いずれにしても、「地」である「マルクト」を生み出すためには、「火」「空気」そして
「水」の作用が不可欠なのですが、「生命の木」の「小径」における「火」「空気」「水」
の配置の解釈理論は、一筋縄ではいかない、というか、辻褄合わせすること自体に矛盾が
出てしまいますので、あまり深掘りしない方がいいと思われます。
まあ、タロットや「生命の木」についての大統一理論というものがあればいいんでしょう
けど、現状、そんなものは存在しませんし、将来も、作られることは無いんでしょうね。

それはそうとして、「12:吊られた男」は、割と重要な「母字の水」の相転移の象徴である
と考えることが出来ますので、その流れから「Dying God/死にゆく神」を考察することが
可能となっています。
そして、「死」の重要性は、と言うと、「死が次世代の糧となる」ということであって、
これは、現在の宇宙が、「星の死」により進化してきたということにも繋がります。
もちろん、地上にいる我々も、それまでに生まれた数々の生命の死により進化している
わけですし、それに何より、現在の我々の生命を維持するためにも、様々な生命が犠牲
となっていることからも、何となくわかるかと思います。
つまり、「普遍的に存在する母なるもの(遍在神)の生命」が「死にゆく」ことにより、
我々の生命が維持されているということも、現実としてあるわけなんですよね。
まあ、それが何の意味があるのかと聞かれても、ちょっと困るんですけど。ww
0328名無しさん@占い修業中垢版2019/12/27(金) 06:07:43.18ID:aUM0upI6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
This mythology of the Dying God is very universal; every culture seems to have
some form of it, whether that be Christ, Osiris or a local deity.
この「死にゆく神」の神話は、とても普遍的である;あらゆる文明は、それがキリスト、
オシリス神、もしくは地方の神であろうとなかろうと、それの何らかの形式を持つように
見える。

THE HANGED MAN is one rather peculiar aspect of this cross-cultural myth.
「吊られた男」は、この異文化間の神話の、かなり奇妙な面の一つである。
--- ここまで ---

とはいえ、「死」が人間にとって普遍的であるのであれば、「神の死」という概念も、
割と一般的に受け入れられることのようにに思えます。
ちなみに、日本では、「国産みの神」である「イザナミ女神」の死が、これに当たります
し、それ以外にも、色々な神が、何かを生み出すために死んでいます。

「死にゆく神」の特徴として、その多くが「大地」を産み出して「自然」を司る役割を
持ち、四季の移ろいを演じるものが多いということです。
そういう視点で見ると、「10:運命の輪」が春から夏を、「12:吊られた男」が秋から冬の
季節を象徴しているようにも見えます。
そして、「12:吊られた男」の季節は、それまで育ってきた本体から、次世代へ向けての
種や実が成り、大地に落ちる季節でもあります。

つまり、「メム」の「母字の水」は、こうして「上位世界の見えない水」から「下位世界
の見える水」へと相転移して、我々に「水」なるものをもたらしてくれるという構図に
なっているわけですが、それはゴールデン・ドーン版のデザインが、まるで蒸留器のような
不思議な構図となっていることからも、何となく推察されます。
要は、この「12:吊られた男」は、その地味なデザインにもかかわらず、とてもありがたい
カードであって、何かを生み出す際には、非常に重要なひらめきを与えてくれるという、
どちらかというと、創造者、つまりクリエーター向けのものなのかな、とも思うのでした。
0329名無しさん@占い修業中垢版2019/12/28(土) 06:07:53.50ID:6W+Z7uHk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
In Norse mythology the God Odin sacrifically hanged himself from the branches of
the World Tree. (*164)
北欧神話では、神オーディンは、「世界樹」の枝から彼自身を犠牲的に首を吊った。
(*164)

In Greece, the Goddess Artemis was annually hanged in effigy, and at her sacred
grove in the Arcadian Hills was known as the "Hanged One." (*165)
ギリシアでは、女神アルテミスは、彫像となって首を吊られ、そして、アルカディアの丘の
彼女の聖なる林では、「吊られたもの」として知られていた。(*165)
--- ここまで ---

ちなみに、(*164)(*165)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
164. Larousse Encyclopedia of Mythology, 261.
164. 『ラルース神話百科事典』、261ページ。

165. James G. Frazer, The Golden Bough, New York 1958, 413.
165. ジェームズ G. フレイザー著、『金枝篇』、ニューヨーク、1958年発行、413ページ。
--- ここまで ---
とあります

要は、「神」が自ら上位神への捧げ物として生贄的に首を吊るのは、割と昔からある話と
いうか、まあ普通に誰でも思い付く「神の自己犠牲的行為」であるわけです。
ただし、「吊られた男」は、そういった良くある「首吊り」という自己犠牲的なものでは
なくて、「片足を縛られた逆さ吊り」という、かなり上級者的な性癖の持ち主、いやいや、
あまり一般的ではないというか、少々ふざけた形で吊られているのが特徴です。
つまり、どう見ても、ただ者ではない感じであって、「生命の木」の「小径」の位置からも、
かなり上位の存在であり、オーディン神やアルテミス女神を凌ぐ能力の持ち主であること
は、容易に想像できるわけですが、それが何者なのかは、全くわからないわけですよ。
0330名無しさん@占い修業中垢版2019/12/28(土) 06:11:53.01ID:6W+Z7uHk
そろそろ容量オーバーで、次スレ移行の時期となりましたので、予告しておきます。

次スレ
【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part9
0331名無しさん@占い修業中垢版2019/12/29(日) 06:46:58.11ID:CpZNWFdT
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
Any number of such ritual hangings could be cited, none of which is a final death.
そのような儀式の吊るし物たちは、いくつでも引用できるが、そのどれも最終的な死ではない。

These are merely reversals where the feet of the God are planted in the Anima Mundi
and not on the earth.
これらは、「神」の足が地上ではなく「宇宙霊魂」に据えられた場合の、単なる反転である。
--- ここまで ---

オーディン神も、アルテミス女神も、儀式では首から吊されていましたので、そういう意味
では、これらの神は「足が地上にあるもの」、すなわち大地を統べる下位の神となります。
一方、「12:吊られた男」は、それらの二次生成物とは違って「足が宇宙霊魂にあるもの」、
つまり「下位世界を生み出す宇宙創造神」であるという見方が出来ます。
とはいえ、それは物質を生み出す神というよりも、物質の元となる「宇宙霊魂」からの
抽出物というか蒸留物というか、要は「母字の水」に象徴される、目に見えない神秘の
何かが、この逆さ吊りとなった神から流出しているということです。

ということで、オーディン神も、アルテミス女神も、この「12:吊られた男」を理解する
には役に立たないというか、それらを反転させる何かが、決定的に足りないわけです。
まあ、反転させるための「鍵」が、この「吊られた男」そのものの姿であって、その鍵の
形を象徴するのが、十字と三角形であるということぐらいは分かるのですが、だから何
なんだという感じなんですよね。

いずれにしても、このカードを見ているだけでは何も分かりませんし、前へと進むことも
出来ません。
とりあえず「上の如く、下も然り」の「上」の理解を保留したままで、「下」での応用を
考えることも出来るのですが、そもそも原理が全く理解出来ていないので、根拠の無い
「当てずっぽう」の応用となってしまうことは承知しておく必要があります。
だったら、「12:吊られた男」を無理に使わなければいいのでは、と思うかもしれませんが、
まあ、そう言ってしまうと、身も蓋もないわけですしおすし。
0332名無しさん@占い修業中垢版2019/12/31(火) 07:31:25.32ID:i1gwI+D+
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
The death and resurrection of any God relates to this Path, and is described as
a Kabiric Death.
どのような「神」の死と復活であれ、この「小径」に関連し、「カベイロスの死」と評される。

In the myth of the Kabiri, one brother is slain by the three others.
「カベイロス」の神話においては、兄弟の1人が、その他3人により殺害される。

His dismembered body is discovered, and is, with great joy, resurrected for the
good of humanity. (*166)
彼の手足が切断された身体は発見され、大きな喜びをもって、人類の善のために復活する。
(*166)
--- ここまで ---

ちなみに、(*166)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
166. Larousse Encyclopedia of Mythology, 141-43; Oxford Classical Dictionary,
v. IV, 260ff.
166. 『ラルース神話百科事典』、141-43ページ;『オックスフォード古典辞典』、第4巻、
260ページ以降。
--- ここまで ---
とあります

ちなみに、「カベイロスの神話」は、ゴールデン・ドーンの「プラクティカス儀式」の
「31番目の小径=20:審判=シン=母字の火」の元ネタとなっており、殺される側の志願者
である「Kasmillos/カスミロス」が、殺す側の「Axieros/アクシエロス」「Axiokersos/
アクシオケルソス」「Axiokersa/アクシオケルサ」の声を聞くという設定となっています。

流れとしては、「母字の空気=0:愚者」が「神の誕生」、「母字の水=12:吊られた男」が
「神の死」、そして「母字の火=20:審判」」が「転生した神の復活」ですかね。
0333名無しさん@占い修業中垢版2019/12/31(火) 07:41:56.98ID:i1gwI+D+
ということで、今年はこれが最後のカキコになります。
今年も色々とありましたが、何とか一年間、カキコを続けることが出来ました。
これもひとえに、皆様からの声なき応援の賜物であると勝手に思っております。

それでは皆さん、よいお年を。 (^_^)/
0335名無しさん@占い修業中垢版2020/01/01(水) 21:29:27.05ID:gO/gGo5B
皆様、新年あけましておめでとうございます。(^^)

10年計画で始めたこのスレも、既に7年半近く経ちました。
残り2年半でゴールできるかはわかりませんが、今年もあせらず
ボチボチと、カバラを勉強していきましょう。 (^^)/

>>334
ありがとうございます。
本年もよろしくお願いします。(^_^)/
0336名無しさん@占い修業中垢版2020/01/02(木) 05:55:43.71ID:Gt85Ewr5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
The parallel with the Osiris legend is clear.
オシリス神の伝説との類似は明らかである。

In that story the body parts of Osiris are scattered about the land, collected and
resurrected.
その物語において、オシリス神の身体の部分たちは、国のあちこちに撒きちらされ、集め
られ、そして復活させられる。
--- ここまで ---

「12:吊られた男」は、「死にゆく神」であり、それは天界の存在であった「神」が、
「神の死」と呼ばれる相転移によって、地上界の存在となり「神の死体=かつては神だった
ものの身体や精神や知恵の一部」へと遷移するという公式を象徴化しているわけです。
つまり、そのバラバラになった「神パーツ」のジグソーパズルとかクロスワードパズルを
組み立てることによって、神の能力を人類が得ることが出来るという筋書きですよね。
要は、「人」は「13:死」を通じて「天界」に昇天するのに対し、「神」は「12:吊られた
男」を通じて「地上界」に降臨して恩恵をもたらしているという、何かとても有り難い話
になっているわけです。
そういう意味では、「15:悪魔」も、天界から地上界へと恩恵をもたらすものでしたので、
「ホド」には、天界からの賜り物が蓄積されているということになりますかね。

さて、その「12:吊られた男」の恩恵なるものが何であるのかというと、それはカバラ的に
言えば「知恵」であるということになります。
そして、「生命の木」のレベル的に言うと、神が人間に与えることの出来る最上級レベル、
すなわち最上級者にしか分からない「知恵」である、ということになるわけです。

もちろん、最上級者ではない我々は、それが何であるかは知る由もありませんし、知った
ところで、何かの役に立つようなものでもありませんし、現状では、他人に誇れるような
ものでもないというか、間違いなく基地外扱いされるようなシロモノでしかありません。
つまり、ワタシも全く理解できていません、ということなんですよね。←開き直りw
0337名無しさん@占い修業中垢版2020/01/03(金) 06:55:51.54ID:oLCSK8QZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
The death of the God is a natural, continuing, event, and is symbolized by the
ritual formula IAO, meaning Isis, Apophis, Osiris, symbolizing fruition, death
and then resurrection.
「神」の死は、自然で、継続的な、事象であり、そして、結実、死、それから復活を象徴
する、イシス女神、アポフィス邪神、オシリス神を意味する、儀式の公式「IAO」により
象徴される。

This formula also relates to that of the Yod Heh Vau.
この公式はまた、「ヨッド」「ヘー」「ヴァウ」のそれに関係している。
--- ここまで ---

神話における「神の死」は、割と普遍的なものではありますが、それは「人の死」と同列に
語れるようなものではありません。
なぜなら、「人の死」には、その後の「復活」が存在しないからであり、この点において、
「上の如く、下も然り」が成立していないからです。

つまり、人は「復活」を手に入れることが出来れば、「神」になれるわけであり、それゆえ
古代より、人は「死」を克服するための様々な手法を開発してきており、それが「宗教」の
繁栄の原動力となっているということも、あながち間違いではないわけです。

ちなみに、「神の死」と「人の死」は、「生命の木」においては、「12:吊られた男」と
「13:死」という隣り合わせのカードでありながらも、かなり異なる次元に置かれており、
その意味も、アプローチの仕方も、全く異なるということが分かります。
つまり、我々にとっては、ここが「神」と「人」の分水嶺となっており、人間の力では、
決して越えられない壁があるというわけで、それゆえ人々には魅力的なものであって、
その結果として最も多くの「詐欺師」たち、いやいや「神となった人間たち」が目を付ける
場所でもあるわけですよね。

ということで、人間であることを続けたいワタシは、なるべく深入りしたくないのでした。
0338名無しさん@占い修業中垢版2020/01/04(土) 06:01:56.54ID:T6rt5P7H
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
As usual, Crowley's version of the card is more complicated than that of either
Mathers or Waite.
いつものように、カードのクロウリー氏の版は、マサース氏やウェイト氏のどちらのそれ
よりも複雑である。

His figure, which emphasizes the Cross and Triangle, is suspended from the Egyptian
Ankh, a form of Tau.
彼の人物像は、「十字」と「三角形」を強調し、「タウ」の形である、エジプトの「アンク
十字」から吊されている。

Behind it are the Elemental Tablets, (*167) summing up all of nature.
その背後には、「元素の銘板たち」(*167)があり、自然の全てを要約する。
--- ここまで ---

ちなみに、(*167)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
167. The Enochian Tablets are described at length in Regardie's Golden Dawn,
v. IV, 260ff.
167. 「エノキアン・タブレット」は、リガルディ氏の『ゴールデン・ドーン』、第4巻、
260ページ以降に、詳細に述べられている。
--- ここまで ---
とあります。

トート版は、ゴールデン・ドーン版やウェイト版と比べると、かなり象徴が増えています。
でも、それらの付け加えられた象徴は、どれもが「蛇足」に見えてしまうというか、低次元
のものが混入しているみたいで、ゴチャゴチャ感というか低俗感が否めないんですよね。
要するに、ワタシの感覚が、このカードのデザインに、ワクワクするような「高い何か」を
感じることが出来ないためなのですが、その原因が、このカード自体にあるのか、ワタシ
自身のレベルによるものなのかは、今のところ不明なのでした。
0339名無しさん@占い修業中垢版2020/01/05(日) 06:41:22.83ID:eER02Nkw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
His left foot hangs from a coiled serpent which is the "creator and destroyer who
operates all change."
彼の左足は、「全ての変化を生み出す、創造者であり破壊者」である、巻き付けられた蛇
から吊り下がっている。

The lower serpent represents the effect of the work of God: "Through his Work
a Child is begotten, as shown by the Serpent stirring in the Darkness of the Abyss
below him." (*168)
下の蛇は、「神」の仕業の効果を表す:「彼の『御業』を通じて、彼の下の『深淵の暗闇』
の中でかき混ぜる『蛇』により示されるように、『子』は生まれる。」 (*168)
--- ここまで ---

ちなみに、(*168)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
168. Crowley, Book of Thoth, 98.
168. クロウリー著、『トートの書』、98ページ。
--- ここまで ---
とあります。

トート版の「12:吊られた男」の人物像は、アダムやイヴ、そしてイエスを生み出した「主」
の化身であると推定できるのですが、その「主」の像に「蛇」が巻き付くというのは、少々
違和感があります。
そして、この「蛇」は、『トートの書』によると、「13:死」にも関係しているということ
なのですが、前に述べたように「13:死」と「12:吊られた男」は、近くて遠い関係にあり、
月とスッポンを、同じ「丸」で描くのと同じように「蛇」を描いていることについても、
かなりの抵抗感があります。
ワタシとしては、ここには「蛇」を書く必要は全く無いというか、書くことは「蛇足」で
しかないと思うわけですし、せっかくの「母字の水」の属性が、陸生の「蛇」が存在する
ことにより、うやむやになってしまっていますしね。
0340名無しさん@占い修業中垢版2020/01/06(月) 06:11:02.56ID:9drZgBkF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
22. THE PATH OF LAMED
22. 「ラメド」の小径

Justice
正義

The Eleventh Key
11番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「ラメドの小径」です。

この「小径」は、我々が知覚可能である「星幽的三角形」から完全に離れた最初の「小径」
であり、もはや我々の知恵や知識、直観や感覚などは、全く通用しません。
つまり、大アルカナ自体が形而上学的(メタ)なものでしたが、さらに、ここから先は、
形而上学的なものの形而上学的なるもの、つまりメタメタなシロモノたちを考察していくと
いうメタメタな流れになっていくわけですよね。
つまりは、人智を越えるシロモノというか、誰も正解を導き出すことは出来ないわけです
ので、ここから先は、一種の頭の体操というか、酒の席でのホラ話に近いというか、要は
話のネタとしての「カバラ」や「生命の木」や「タロット」などの、魔ヲタ趣味全開の話
となってしまいますので、くれぐれも真に受けることのないようにお願いします。

さて、この「11:正義」ですが、天界から下る「燃える剣」のルート上にあることと、上位
世界から「劣化ケテル」であり要(かなめ)でもある「ティファレト」に最終的に流入する、
つまり上位世界の流れの取りまとめ役となる、極めて重要かつ影響力の大きい位置にある
ため、他の上位カードと比べると、我々のような下々の者にとっても、比較的その意味が
想像し易い、つまりメタメタな世界の入門者向け感のあるカードではないかと思います。
0341名無しさん@占い修業中垢版2020/01/09(木) 06:04:19.56ID:na0fMFG7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
□ PATH COLOR: Emerald Green
□ 「小径の色」:「エメラルドグリーン」

□ RELATED SOUND: F Sharp
□ 「関連した音」:「Fのシャープ」

□ SIGN: Libra (Cardinal Air)
□ 「宮」:「天秤宮(活動宮の空気)」

□ MEANING: Ox Goad
□ 「意味」:「牛突き棒」

□ SIMPLE LETTER: Work
□ 「単字」:「労働」

□ ESOTERIC TITLE: The Daughter of the Lords of Truth; the Ruler of the Balance.
□ 「秘伝的な称号」:「真実の主の娘;天秤を持つ者(均衡の支配者)」
--- ここまで ---

最後の「the Ruler of the Balance/均衡の支配者」は、「The Holder of the Balance
/天秤を持つ者」の誤記ではないかと思われます。

この本の、この文章の右側には、「牛突き棒」と、ヘブライ文字の「ラメド」、および
「生命の木」における「ラメドの小径」の位置が図示された絵が描かれています。

この「ラメドの小径」は、初めて出てくる「倫理的三角形」を形成する「小径」であり、
我々が今まで見てきた下位の「小径」と比べると、メタ度が一段と上がります。
つまり、ここに書かれている文章は、ほぼ「読むに値しない」ということになりますので、
あくまでも参考というか、ほぼ全てがネタであることを、ご承知おき下さい。
0342名無しさん@占い修業中垢版2020/01/11(土) 06:43:01.22ID:gMcS0vKo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
THIRTY TWO PATHS OF WISDOM: The Twenty-second Path is the Faithful Intelligence,
and is so called because by it spiritual virtues are increased, and all dwellers
on earth are nearly under its shadow.
「知恵の32の小径たち」:「22番目の小径」は「誠実な知性」であり、なぜならそれは、
それにより霊的な美徳が増し、地上の全ての住人たちは、ほとんどその影の下にいるために
そう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用です。

まずは、この「小径」の「Faithful Intelligence/誠実な知性」という属性を、どう解釈
すべきか悩むところですが、はっきり言って、よくわかりません。
少なくとも、我々の人智を越えたものであるということは分かるのですが、それを何かの
言葉として例えるというのが難しいんですよね。

「生命の木」の構成要素である10の「セフィロト」と22の「小径」は、その全てが重要で
あり、どれか一つでも欠けると成立しないわけであり、そういう相互作用というか関係性
という点で、想像力を働かせてみると、どちらかというと「総受け」体質がある感じが
するわけで、「11:正義」という名前や、その剣を持つ姿の怖さとは裏腹に、かなり慈悲
に近い属性を持つ、つまり「ゲブラー」の「無慈悲さ」を中和して「ティファレト」に
導く作用をしていることぐらいは想像できます。
また、その手の剣や天秤は、静的な飾りではなく、動的な実用物であり、常に忙しそうに
何かを切り刻んだり、バランスを取るように計量している様子も想像できます。
そして、もし人が「ティファレト」から「ゲブラー」へと昇るのであれば、それに必要と
なる資質を教えてくれたりするのかもしれません。
とはいえ、我々にとっては「雲の上の存在」ですので、その本当の姿を知ることも、語る
ことも難しいわけですし、後は各人の想像力にお任せするしかないのかな、と思います。
0343名無しさん@占い修業中垢版2020/01/12(日) 06:44:45.18ID:7VlTT666
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
The Path of Lamed, JUSTICE is between Tiphareth and Geburah.
「ラメドの小径」である「正義」は、「ティファレト」と「ゲブラー」の間にある 。
--- ここまで ---

「11:正義」は「9:隠者」と対称位置にあり、「生命の木」の位置的には今まで出てきた
「13:吊られた男」と「10:運命の輪」に似た関係性があります。
つまり、「9:隠者」が「13:吊られた男」と似た関係であるなら、「11:正義」は「10:運命
の輪」に似た関係があるということですよね。
あと、「11:正義」が「formative/形成的」で「天秤宮=活動宮の空気=金星」であるのに
対し、「9:隠者」は「Activating/活動的」で「処女宮=柔軟宮の地=水星」であることも
考慮しておく必要があります。
そして、単字の「Work/労働」であることが、この「11:正義」の方向性を示していると
いうことになるわけです。

ということで、ワタシには、この「11:正義」とは、「ゲブラー」によって一旦破壊されて
精製されたマテリアルを元に、「ティファレト」という「美」の「Work/芸術作品」を
生み出す「芸術家」に見えるわけです。
そして、右手にある「剣」はまた、「彫刻刀」や「ペン」や「絵筆」などのツールであり、
左手にある「天秤」はまた、「調合皿」や「パレット」に見えたりします。
つまり、「11:正義」は、「単一」の原初カオス宇宙を、様々な彩りに満ちた多様性の
存在する世界へと変える「芸術家」としての「創造主」の働きをしているのではないか
と推察するわけです。

つまり、「ケテル」は単一属性でしたが、「ティファレト」は、「劣化ケテル」ではなく
「進化ケテル」であって、その進化は「11:正義」によりもたらされる芸術的な「分化」
であって、「ゲブラー」の火で融解した後、再結晶化した「宇宙の原石たち」を、剣で
整形して、秤で計量した後、「ティファレト」に注ぎ込むという流れになってきます。
そうなると、カードタイトルの「正義」って何なの?、ということになるわけですが、
ワタシ的には、まあそういうこともあるよね、という感じですかね。←意味不明ww
0344名無しさん@占い修業中垢版2020/01/13(月) 06:24:22.16ID:MQKjY7/m
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
Lamed means ox-goad, the spear-like prod which keeps the ox moving down the road.
「ラメド」は、雄牛を道に沿って動かせ続ける、槍のような突き棒である、「牛突き棒」
を意味する。

This attribution points to the letter's special relationship with Aleph (ox) on
the Path of THE FOOL.
この帰属は、「愚者」の「小径」の上にある「アレフ」(牛)との、文字の特別な関係
を示す。
--- ここまで ---

「11:正義」と「0:愚者」は、「牛突き棒」と「牛」という関係にある、すなわち「0:愚者」
のエネルギーが道を外れないように、うまく制御する働きをしているということですかね。

例えるなら、強大なジェットエンジンやロケットエンジンの推進力の方向を制御するため
の補助翼や補助推進ノズルみたいな装置というか、そういった制御機構のような「11:正義」
の働きにより、「ケテル」から流出した強大なエネルギー流が、「劣化ケテル」である
「ティファレト」に、うまく収束して到達できるようになるという感じですかね。
まあ、全く地に足が着かない話ですので、しょせんネタと言えばネタなのですが、この
「牛」つながりの関係が、どこまでマジなのかもわかりませんし。

というわけで、「ケテル」から最初に流出する「0:愚者」と、「劣化ケテル」に最後に
流入する「11:正義」とは、「ハナ」と「トリ」の関係にあるわけですが、それが重要か
と言われれば、そもそも「生命の木」の流出ルートは複数あるわけですので、それ自体は
それほど重要ということでもありません。
それよりも、どんな働きをしているのか、ということに興味がありますよね。

ということで、この「Justice/正義」というタイトルと、手に「剣」と「天秤」を持つ
というエリート的な見た目にもかかわらず、「牛突き棒」と「労働」という、割と苦労人
的な文字の意味を持つ不思議なカードについて、もう少し妄想を膨らませていきましょう。
0345名無しさん@占い修業中垢版2020/01/14(火) 06:15:52.59ID:DPG14V0B
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
Their interaction is exceptionally complex, although the essential principles can
be simply stated: JUSTICE maintains the balance of the Tree, so that the outpouring
energy of THE FOOL (this has sometimes been called the "Holy Ghost") will operate
within the confines of a natural pattern.
それらの相互作用は、並外れて複雑ではあるが、けれども本質的な原則たちは簡単に述べる
ことができる:「正義」は、「愚者」(これは時々「聖霊」と呼ばれることがある)の流出
する精力が、自然な様式の境界たちの範囲内で作動するために、「木」の平衡を維持する。
--- ここまで ---

まあ、「生命の木」の上位にある存在は、そのどれもが「exceptionally complex/並外れて
複雑」、すなわち常人にはまともには理解できないシロモノではありますが、それでも、
「木」の基本的原則である「balance/平衡」は、絶対的なものであるということであり、
その最終的な責務を、この「11:正義」が負うということになっているわけです。

つまり、「木」のどの部分を見ても、すなわちフラクタル的な視点での「絶対的な平衡」が
あり、その平衡が崩れると、この宇宙が消滅しかねないということですよね。
まあ、このあたりの概念は、サイエンス・フィクションの世界に通じるものがありますが、
それが何であれ、「木の平衡」と「宇宙の平衡」の関係性を保つということは、とても
面白い概念ではないかと思うのでした。

とはいえ、この「11:正義」は、中間管理職の位置にあるため、上位存在のワガママを聞き
ながら、それらを取捨選択してアレンジし、下位存在にうまく伝達するという、なかなか
胃が痛くなるような激務をこなさないといけないわけです。

「11:正義」は、その見た目は少し怖いところはありますが、我々からは直接見ることの
出来ない、つまりこの世界の裏方として暗躍している、そういうとても有能な存在が、
我々の宇宙を陰からしっかりと支えてくれているということに、ちょっとだけ感謝したく
なるような存在ではないかと思うのでした。
0346名無しさん@占い修業中垢版2020/01/15(水) 06:06:28.61ID:kwJ5DVac
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
JUSTICE is the administrator of the laws of Binah, written by THE HIEROPHANT.
「正義」は、「法王」により書かれた、「ビナー」の法律たちの管理者である。

It is the "Ruler of the Balance."
それは「均衡の支配者」である。
--- ここまで ---

「秘伝的な称号」からの参照である「Ruler of the Balance/均衡の支配者」は、「The
Holder of the Balance/天秤を持つ者」の誤記ではないかと思われます。

さて、この「11:正義」の「the administrator of the laws/法律たちの管理者」の役割
ですか、この「administrator/管理者」というのは、司法における「裁判官」というより
は、行政における執行官のような役割になります。
ついでに言うと、「11:正義」の「小径」は、「生命の木」の上位構造である「ケテル」〜
「ティファレト」における最終の「小径」、すなわち最も下っ端の役人という地位にあり、
「5:法王」や「ビナー」に限らず、様々な上位役人たちが押しつけてくる無理難題を忖度し、
「ティファレト」の「美」にも配慮しなければならない上に、「炎の剣」ルートにある
メインエネルギーの流出制御という力仕事もこなさなければならないという、とんでもなく
ブラックな職場でもあるわけです。

そもそも、「ティファレト」には、流入ルートとしては、「2:高等女司祭」「4:皇帝」
「6:恋人」「9:隠者」「11:正義」という、最多の5ルートが存在するわけで、それらの
折り合いを付けるための重要な役として「11:正義」があることを忘れてはなりません。

ということで、我々には直接関係ない上位世界での話ではありますが、とても大変な仕事
を日々こなしてくれる「11:正義」のおかげで、この宇宙の平和が保たれているという
ことであり、そこには「善」も「悪」もなく、万能十徳ナイフを手にし、天秤棒をかついで、
日々の雑用と使いパシリに追いまくられている、下っ端役人の献身的な働きぶりに、
改めて感謝なのでした。
0347名無しさん@占い修業中垢版2020/01/18(土) 07:17:46.29ID:ES2CMdwj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
It is called the Faithful Intelligence "because its spiritual values are increased,
and all dwellers on earth are nearly under its shadow."
それは、「その霊的な美徳が増し、地上の全ての住人たちは、ほとんどその影の下にいる
ために」、「誠実な知性」と呼ばれる。

This should not be interpreted to mean the Intelligence of faith.
これは、「信仰」の「知性」を意味するように解釈されるべきではない。

Rather it is the Intelligence which is faithful to that symbolized by THE FOOL.
むしろそれは、「愚者」により象徴されるそれに「誠実」である「知能」である。
--- ここまで ---

この「spiritual values are increased/霊的な美徳が増し」という部分は、「11:正義」
が、「霊的な美」である「ティファレト」に繋がるという点から納得できます。
そして、「劣化ケテル」でもある「ティファレト」は、地上の全ての住人たちにとっては、
ほぼ完全にその影響下にあるわけです。
そういう意味では、「0:愚者」と「13:死」、「11:正義」と「22:宇宙」は、「上の如く
下も然り」の関係にあると言うことも出来ますよね。

さて、「11:正義」が、「0:愚者」にとっての「誠実な知性」であるとのことですが、
これは何となく「愚者=子」と「正義=母性」というような関係性を想像します。
要は、権威的なもので下界を制すというよりも、血の繋がり的というか、何かこううまく
言えないけど、激輝光の「ケテル」で産み出された何かを元にして、「ゲブラー」の厳しさ
を通じて、「ティファレト」の輝くような暖かみのある「子」に育て上げるような、そんな
やさしさと慈愛に満ち、そして厳しさも兼ねたものを感じるわけです。
つまり、「11:正義」は、霊的な「育ての親」であり、「9:隠者」との関係を考えると、
少なからぬ母性もあって、「才色兼備」な存在であることも想像できます。
まあ、冷徹に見える「11:正義」とは少々イメージが違うかもしれませんが、カバラ的には、
かなり女性的なイメージの強いカードとなっているわけなのでした。
0348名無しさん@占い修業中垢版2020/01/19(日) 07:07:49.79ID:h3hfx1Ch
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
Without Lamed, Aleph could not function as it does.
「ラメド」なしでは、 「アレフ」はそれがするように機能することはできない。

Moreover, the entire Tree of Life is related to the Twenty-Second Path, the number
of which is the totality of all the Paths.
さらに、全体の「生命の木」は、全ての「小径たち」の総計である数である、「22番目の
小径」に関連している。

JUSTICE is not one solitary figure or force, it is an amalgam of all the Paths
which are self-focused.
「正義」は、1つの孤立した形態や力ではなく、それは、自己に焦点を合わせる、全ての
「小径たち」の合成物である。

The alignment of forces has been described as being within the essential life
force symbolized by THE FOOL.
力たちの提携は、「愚者」により象徴される本質的な生命力の内にある存在であると
述べられ続けている。
--- ここまで ---

「11:正義」=「ラメド」=「Ox Goad/牛突き棒」と「0:愚者」=「アレフ」=「Ox/牛」
という関係から、「11:正義」と「「0:愚者」の関係性が強調されていますが、それよりも、
「ティファレト」が「生命の木」の「セフィロト」全体の「要(かなめ)」であるように、
「11:正義」は「生命の木」の「小径たち」全体の「要(かなめ)」であることが重要です。
つまり、「11:正義」は、上からの無理難題と、下からの不平不満をソツなくこなす、
千手観音みたいに超有能な中間管理職という、とても有り難い存在なのです。

とはいえ、我々のような下々の者は、そのような有り難い存在を知るすべもなく、ごく
当然のように、一方的にその恩恵を享受しているわけですが、だからといって、何か
恩返しが我々に出来るのかと言われれば、特に何もないよね、ということなのでした。
0349名無しさん@占い修業中垢版2020/01/21(火) 06:15:03.63ID:EVcJBdOY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
The activity of JUSTICE is at work continuously in the above and below, in the
Greater Universe and in the individual soul.
「正義」の活動は、上と下において、「大宇宙」において、そして個々の魂において、
継続的に働いている。

Taken to the most mundane, as we drive a vehicle down the road, JUSTICE is our
correcting of the wheel back and forth in either direction to keep the vehicle
centered.
最もありふれた例を挙げると、我々が道に沿って車を運転するように、「正義」とは、
車を中央に保つために、どちらかの方向に、車輪を前後するような、我々の修正である。
--- ここまで ---

「11:正義」は、他の個性的なカードたちとは違って、どちらかというと受け身というか、
それほど押しの強くないタイプのカードです。
つまり、普段は目立たないというか、気づかれないというか、あまり気に留めてもらえ
ないタイプであって、どちらかというと、個性の強いみんなの陰に隠れて、こっそりと
活躍している苦労人のタイプなんですよね。

それは、「生命の木」の「ケテル」〜「ティファレト」間の上位世界においては、最も
下っ端であるということも関連しているのですが、そういう上位世界の舵取りが出来る
のは、この「11:正義」以外には無いというぐらい、適役となっているわけです。

ワタシは、どちらかというと個性の強い派ですので、こういう「11:正義」みたいな舵取り
役というか調整役の人が近くにいてくれると、とても助かるわけですけど、現実には、
そういう有能な人って、いないんですよね。
で、修正がうまく行かずに、暴走すると・・・・。

それはともかく、我々からは、なかなか見えづらい位置にあるのと、直接わかりにくい
機能であるため、結局のところ、よくわかんないよね〜、というのが結論なのです。
0350名無しさん@占い修業中垢版2020/01/22(水) 06:12:56.67ID:Xk/vMTFu
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
Such a purposeful equilibriating function occurs in our bodies, where nourishment
must be balanced and continual to keep them operating as proper repositories for
the Spirit.
そのような意図的な平衡化機能は、我々の肉体たちの中に存在しており、そこでは、それらを
「霊」のための適切な貯蔵所として機能させ続けるために、栄養は釣り合いが取れていて
継続的でなければならない。

And an equilibriating function occurs in our personalities, where no constant extreme
of behavior can be tolerated if we are to operate effectively in our environments.
そして、平衡化機能は、我々の人格たちの中に存在しており、そこでは、もし我々が我々の
環境たちの中で効果的に仕事をすることになるのであれば、行動の絶え間ない極端は、
全く許容することはできない。
--- ここまで ---

この「equilibriating」は、「equilibrating/平衡させる」が正しい表記ですかね。

ということで、「生命の木」の「小径」の「要(かなめ)」の位置にある「11:正義」の
発揮する「equilibrating function/平衡化機能」は、下位世界の「肉体」や「人格」
においても、バックグラウンドで効果的に発動しているということですよね。

逆に言えば、この「11:正義」以前の状態、すなわち「ティファレト」に至る以前の状態
は、大きくバランスが崩れていることが許容できるということでもあるわけです。
まあ、我々が知らない世界の話ですので、どうでもいいことではあるわけですが、極端な
存在たちがせめぎ合う状態って、あまりうまく想像できない世界ですよね。

つまり、「11:正義」は、バランスを取るという「調整弁」みたいな働きをしているため、
それゆえ、ここから先の世界は、さらに見え難くなっていることは否めません。
我々にとって、「ティファレト」より上位の世界は、こういった色々な関門があるので、
そう簡単には上がれないんですよね。
0351名無しさん@占い修業中垢版2020/01/23(木) 06:06:07.17ID:7QE47t03
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
Justice works both through reason and through natural force.
「正義」は、理性を通じてと、自然の力を通じての両方で働く。

We may decide to bring something of ourselves into balance, but if we do not make
that decision, it will be made for us.
我々は、我々自身の何かを平衡に至らせることを決定することができるけれども、もし
我々がその決定をしないのであれば、それは我々のために為される。
--- ここまで ---

「11:正義」のある上位世界における「reason/理性」と「natural force/自然の力」が、
どのようなものなのかは推察することは難しいのですが、それらのバランスの取れたもの
が「ティファレト」へと流入した後、「自然の力」が「ネツァク」へと、そして「理性」
が「ホド」へと流出していくことが想像できます。
つまり、そういう下位世界における「理性」と「自然=感情と本能」のバランスを保つ
機構が、この「11:正義」にあり、我々が自らの意思、すなわち「理性や感情や本能」で
判断せず、「運を天に任す」というデフォルトを選択した場合は、この「11:正義」が
暗躍するというメカニズムになっているというわけです。

つまりこれは「人事を尽くして天命を待つ」ということに通じているわけであり、それは
単に「何もせずに人任せにする」ということではなくて、我々自身の能力を超えるもの、
つまり「上位世界」に属するものの判断は、上位存在である「11:正義」に任せてしまえば
良いということを言っているわけです。

とはいえ、我々からすれば、「神の判断」なんてものは矛盾に満ちたものにしか見えない
わけですし、こればかりは自らの意思でどうなるものでもありませんので、やれることを
やった後は「なるようになる」のを待つしかないのかな、と思います。

そして、思うような結果が得られなくても、それが「神の選択」であるのなら、神に対して
愚痴りながら、その後始末をするということになるわけですよね。
0352名無しさん@占い修業中垢版2020/01/24(金) 05:57:21.52ID:05zGo3Ww
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
If we deprive our bodies of sleep, we find ourselves forced to rest.
もし我々が我々の肉体たちから睡眠を奪うならば、我々は、我々自身が休むことを強制
されるのを見つけす出す。

We may simply collapse.
我々は単に衰弱するかもしれない。

The same process occurs at all levels of Justice (i.e., through the Four Worlds).
同じ過程が、「正義」の全ての段階たちで(すなわち、「四つの世界」を通じて)起こる。

We may make a conscious decision, or it may be made for us.
我々は意識的な決定をするかもしれないし、さもなければ、それは我々のために為される
かもしれない。

In any event, this Intelligence is "Faithful;" it guides and protects us.
いずれにしても、この「知性」は「誠実;」であり、それは我々を導き、保護する。
--- ここまで ---

「11:正義」とは、何かを強制するという感じのものではなく、どちらかというと、我々が
極端に走らないように、ごく自然な感じで、正しい方向に誘導したり、目に見えない力で
路線を修正してくれたりするようなものです。
つまり、我々の行動がよほど極端でない限り、上位世界の「11:正義」による修正圧力を、
直接感じることは無いわけですが、それでも、下界における様々な修正圧力の裏では、
「11:正義」から流出した修正パワーが、があまねく暗躍しているという話です。
とはいえ、あまりに普遍的すぎるというか、基本概念が宇宙創造の根幹に関わるほど遠大
であるため、我々は「11:正義」とは何かを決して知ることは出来ないままで、あーでも
ない、こーでもないと、無駄な議論を交わすことしか出来ないのが現状なのですよね。
え、これも無駄な議論なのかって?
あそらく、いや確実に無駄な議論だと思います。(キッパリ!)
0353名無しさん@占い修業中垢版2020/01/25(土) 05:37:50.65ID:oZScT9rb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
Crowley's title, Adjustment, is appropriate.
クロウリー氏の題名である「調整」は、適切である。

This is a Path where whatever is necessary is done to bring the organism into
equilibrium, a process which, as the symbol of the sword suggests, is not always
pleasant.
これは、有機的組織体を、均衡をもたらすために必要なことが何でもされる「小径」で
あり、この過程は、剣の象徴が示唆するように、常に楽しいわけではない。

This is the sword of Geburah which cuts away all that which is unnecessary, the
extraneous dead wood of nature.
これは、余分なもの、自然の無関係の枯れた木を、全て切り落とす「ゲブラー」の剣である。

It is a severe experience, though no punishment is implicit.
それは容赦の無い経験ではあるが、けれども、懲罰が暗に含まれてはいない。

There is no question of good, bad, right or wrong.
そこには、良い、悪い、正しい、もしくは間違いという疑問は無い。
--- ここまで ---

トート版では、「Justice/正義」ではなく「Adjustment/調整」というカード・タイトル
となっていますが、これは、カバラ的には、「正義」よりも適切な用語となっています。
そもそも、この位置は、下々の訴えを裁く裁判官と言うよりは、上からの命令を忠実に
実行する行政執行官みたいなポジションであって、神々からの命令には、良い/悪い/
正しい/間違いとかも無く、黙々と上位世界より与えられた命題を解読しながら、矛盾の
無いように下位世界を管理実行していくというのが、中間管理職としての仕事なわけです。
つまり、この剣は、権威の象徴ということではなく、あくまでも業務遂行のための道具
であり、バリバリの実用品でもあるわけで、調理師や彫刻家のように、日々様々なものを
剣と秤を使って取捨選択しながら、形を作り上げていくわけなのでした。
0354名無しさん@占い修業中垢版2020/01/26(日) 06:10:50.33ID:V27EQP5R
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
As Gareth Knight expresses it: "The point to remember in all this is that all the
God-Forms are aspects of the soul itself and not external agencies.
ガレス・ナイト氏がそれを表現するように:「この全てにおいて覚えておくべき点は、
全ての「神の形態たち」は、魂それ自身の様相たちであり、外的な代理者たちではない
ことである。

Thus the process may be considered psychologically as a condition of
self-assessment." (*169)
従って、過程は、心理学的には自己評価の状態と見なされるかもしれない。」 (*169)
--- ここまで ---

ちなみに、(*169)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
169. Gareth Knight, Practical Guide, v. II, 116.
169. ガレス・ナイト著、『実践的入門書』、第二巻、116ページ。
--- ここまで ---
とあります。
なお、この『Practical Guide/実践的入門書』は、『A Practical Guide to Qabalistic
Symbolism/カバラ主義の象徴主義に関する実践的入門書』のことだと思われます。

さて、このガレス・ナイト氏の言う「God-Forms/神の形態たち」とは、下界に住む我々が
想像により創造した神々のことを指していますので、この「11:正義」のあるレベルとは、
直接の関係は無く、あくまでも「月とスッポン」の関係でしかないことに留意しておく
必要があります。
つまり、「11:正義」は、本来は我々の外にあるものであって、何か我々の役に立つような
シロモノではないけれども、「実践的」という名目で、半ば強引に、それを現世利益的に
解釈するならば、もはや何でもありの「psychologically/心理学的」な手法と「上の如く、
下も然り」の原理を適用して解釈することにより、「condition of self-assessment/自己
評価の状態」であると見なしてみてもいいかもね、ということですかね。
0355名無しさん@占い修業中垢版2020/01/28(火) 05:43:22.80ID:aSkGTgOp
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
The soul weighs itself on the scales in the left hand and then makes necessary
adjustments wielding the sword in the right.
魂は、左手に持つ天秤で、それ自身の重さを計り、それから、右手に持つ剣を振るって、
必要な調整たちを行う。

One will observe that when the Sephiroth are placed in the human body, Geburah
is at the right hand and Chesed at the left. (*170)
人は、「セフィロト」が人体の中に置かれた時、「ゲブラー」が右手にあり、「ケセド」
が左にあることに、気づくだろう。(*170)
--- ここまで ---

ちなみに、(*170)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
170. In the exercise of the Middle Pillar, they are visualized at the right and
left shoulders.
170. 「中央の柱」の行法においては、それらは右肩と左肩で視覚化されている。
--- ここまで ---
とあります。

こういう記述を見ると、なぜ「生命の木」全体のバランスにおいて、最も重要な要(かなめ)
である「11:正義」が、「中央の柱」には無いのかという疑問が湧くわけですが、それは
「2:高等女司祭」との力関係ということになるわけです。
つまり、「2:高等女司祭」は象徴的なバランスであり、バランスの実務というか雑用は、
「炎の剣」のルート上にある「11:正義」が、下僕として一手に担うという関係ですよね。
でも、何かあると、全ての責任を取らされるという、とてもプレッシャーのかかる位置
でもあるわけで、そういう面においても、中間管理職というのは辛いのです。

とはいえ、こういうのはあくまでも、下位世界での例え話、つまりネタ話でしかないこと
に留意しておく必要があるのは、言うまでもないことですけどね。
0356名無しさん@占い修業中垢版2020/01/29(水) 05:54:36.79ID:wTBd0vRU
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
The sword of JUSTICE, the weapon of Elohim Gibor (God of Geburah) is fearful.
「正義」の剣である、「エロヒム・ギボール(ゲブラーの神)」の武器は、恐ろしい。

It can be swift and devastating in its cutting away of what is no longer needed.
それは、もはや必要とされないものを、それが切り離すことにおいて、迅速で破壊的である
ことができる。

It can make war; it can enforce peace.
それは戦争をすることができる;それは平和を強いることができる。
--- ここまで ---

「11:正義」は、上位世界の存在ですので、その手に持つ剣が、たとえ「ゲブラー」の剣で
あったとしても、我々には、もはや何の関係も無いわけですが、とりあえず「上の如く、
下も然り」の原理を適用して、例え話みたいな感じで語っている感じです。

とはいえ、下界における「正義」というシロモノは、とても胡散臭いものであることは、
皆さん、よくご存知ではないかと思いますし、そういう胡散臭いものに、この「11:正義」
を例えるというのは、かなり気の進まないことでもあるわけです。
そういう意味でも、クロウリー氏が、このカードのタイトルを「11:調整」に変えたのは、
正解だと思います。
ついでに、剣を、より実用的なナイフや包丁に変えてくれれば、もっとしっくり来るわけ
ですが、そこまで変えると、伝統的な「正義」派の人からはクレームが出てきそうですね。

いずれにしても、「war/戦争」は「ゲブラー」の属性であって、「11:正義」には、
ほとんど存在しませんし、武力という外力によって「enforce peace/平和を強いる」
こともありません。
要するに、上位世界の「剣」は、指揮棒というか、上から流入してくるエネルギー流たちの
調整弁のような働きをしているわけであって、下々の者たちを、「正義」だ「悪」だと
決めつけて、切って捨てるような、そんな陳腐な存在ではないと思っております。
0357名無しさん@占い修業中垢版2020/01/31(金) 06:21:11.41ID:GS2SYoAw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
But the sword has two edges, one of which destroys and the other of which consecrates
as in the conferring of knighthood.
しかし、剣は2つの刃たちを持っており、その一方は破壊を、そしてもう一方は、ナイト爵位
を授与する時のように神聖化する。

The cutting away of the negative aspects of body and soul is a return to purity,
a consecration.
肉体と魂の否定的な様相たちの切り離しは、純潔への回帰であり、神聖化である。

This idea of renewed purity is reinforced by the attribution of Libra and the
kidneys, which cleanse waste from the body system.
この復活された純潔の考え方は、肉体組織から老廃物を浄化する、「天秤宮」と腎臓たち
の帰属により補強される。
--- ここまで ---

「11:正義」の持つ「sword/剣」には、「破壊」と「神聖化」の両面があります。
そして、その「神聖化」とは、現世においては「悪霊退散」という意味を持つものですが、
あの世、いやいや上位世界においては、この「11:正義」は調理師や彫刻家ですので、
その刃は、作品にとっての不要なものの除去、という意味で作用します。

そして、「11:正義」に配属される「天秤宮」は、占星術においては、人体器官の「腎臓
たち」を支配しているので、それが「剣」の持つ「神聖化」と同列に論じることが出来る
という、少々強引なこじつけとなっております。

でもまあ、この下界においては、「腎臓」により浄化されたものは「waste/老廃物」など
ではなく、「聖なる水」であるという考え方も一部にはありますので、そういう見方も、
あながち間違いではないかと思いますし、それに何より「腎臓」は、人体内部のバランスを
保ち、そして人体と外界とのバランスを保つための、とても重要な「要(かなめ)」の
器官であることも確かですしね。
0358名無しさん@占い修業中垢版2020/02/01(土) 06:48:10.81ID:E9xZVvMV
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
Another parallel, suggested by some writers, is that this Path relates to Purgatory,
a condition of consciousness after death where the soul is cleansed of the dross
of its earthly incarnation.
何人かの作家たちにより示唆された、もう一つの類似点は、この「小径」が、死後の意識の
状態であって、そこでは魂がその地上での肉体化の不純物から浄化される、「煉獄(れんごく)」
と関連することである。
--- ここまで ---

カバラ的な解釈ではない、伝統的な解釈においては、この「11:正義」は、死者の魂を裁く
「閻魔大王」みたいな存在であって、死者の魂は、その天秤による裁きに従って、天国逝き
となるか地獄逝きとなるかが決まるという役割があると言われています。

もちろん、この下位世界の範疇での解釈は、カバラによる解釈、つまり上位世界での解釈
とは相容れないものですので、無視しても良いレベルのものです。

というか、たとえこの「11:正義」が「魂の浄化」に関係するにしても、「死者の魂」が、
「11:正義」の「小径」を通じて「ティファレト」より上位のセフィロトに到達することは
出来ませんし、それゆえ我々は、ほぼ一方的に「11:正義」の恩恵を受けるだけの存在、
すなわち善人であれ悪人であれ、等しくその恩恵を受けて浄化され再生されてリサイクル、
いやいや輪廻転生を繰り返すということになるわけです。

じゃあ、カバラ的に言うと、どのカードが「閻魔大王」っぽいのかと聞かれれば、
ワタシ的には、「ティファレト」の下流である「13:死」「14:節制」「15:悪魔」あたりが
適当ではないかと思います。
まあ、デザイン的には、さらに下流にある「20:審判」のような気もするわけですが、
こちらは、死ななくても経験できる「小径」であることと、そもそも「母字の火」という、
宇宙の根源的な属性が付けられていますので、色々と面倒なんですよね。
とりあえず、ワタシの「閻魔大王」候補のイチ推しは、「11:正義」とは真逆のタイトルを
持つ「15:悪魔」あたりですかね。←個人的趣味ww
0359名無しさん@占い修業中垢版2020/02/02(日) 06:22:47.24ID:pLXACmBk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
Pursuant to the idea of incarnation and reincarnation, this card is said to represent
Karma, a principle generally understood as the reaping by a newborn soul of what
it has sown in past lives.
肉体化と輪廻転生の考え方に従って、このカードは、それが過去の人生たちの中でずっと
種を蒔き続けてきたことの、生まれたての魂による刈り入れとして一般的に理解されている
原則である、「業(カルマ)」を表すと言われている。

Paul Case, however, insisting that the term has been often misunderstood, states
that what Karma really means is action.
しかしながら、ポールケース氏は、この用語がしばしばずっと誤解され続けていると主張
して、「業(カルマ)」が本当に意味していることは「行動」であると述べている。

This is an action which is a continuous adjustment.
これは、継続的な調整である行動である。
--- ここまで ---

「Karma/業(カルマ)」は、一般的には、輪廻転生における因果応報を意味する言葉で
あると考えられていますが、この言葉の元来の意味は、「行動/action」てす。

つまり、過去の善行や悪行などの結果に対する裁きなどではなく、現在の行動に対して
継続的な「adjustment/調整」を行うという、極めて現実的な作用を司るということで
あり、カバラ的には、「閻魔大王」のような役割を担うことは無いということです。

そもそも、「11:正義」の存在する上位世界においては、過去・現在・未来という実時間軸
そのものが無いわけですし、常に虚数時空で動いているというか、とにかく我々の概念
の持つ概念では掴み所の無い想像上でしかない世界ですので、あまり真面目に考えない
方がいいと思うのですよ。
つまり、白無地のパンツのみOKで、それ以外は禁止みたいな風紀委員的な下界の校則を、
この上位世界に持ち込むことは、いささか的外れであるということなんですよね。
0360名無しさん@占い修業中垢版2020/02/03(月) 06:04:11.95ID:awbDIxuY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---

He also describes this key as related to education, insofar as Lamed means to
teach. (*171)
彼はまた、「ラメド」が「教える」ことを意味する限りにおいて、この鍵が「教育」に
関連すると述べる。 (*171)

This is an especially interesting observation, not found elsewhere.
これは、他の場所には見られない、特に興味深い観察である。

The conscious maintenance of balance is definitely a learning process.
平衡の意識的な維持は、明確に学習過程である。
--- ここまで ---

ちなみに、(*171)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
171. Case Introduction to Tarot, Lesson 6,6; Tarot Fundamentals, Lesson 25, 1ff.
171. ケース著、『タロット入門』、第6課、6ページ;『タロットの基礎』、第26課、
1ページ以降。
--- ここまで ---
とあります。

「ケテル」から発散したエネルギーが、「ティファレト」へと最初に収束する流れの制御
において、「炎の剣」のルート上にある「11:正義」が、非常に重要な舵取り役を担って
いるということは間違いないわけで、それゆえ優秀なる中間管理職であるとも言えます。
そして、その中間管理職の職務として、部下たちの教育を担っているというのも、確かに
一理あるわけで、このケース氏の思いつきは、決して悪くはないな、と思えるわけです。

とはいえ、「11:正義」を、我々が見習うと言われても、全く次元の違うものですので、
何を見習ったらいいのか、いまいち想像がつかないというのが、難点なんですよね。
0361名無しさん@占い修業中垢版2020/02/04(火) 06:29:21.72ID:o5I13Hc4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
We learn, often slowly and painfully, how to analyze and re-balance ourselves as
necessary for different situations.
我々は、しばしばゆっくりと苦しみながらも、種々の状況たちにおいて、分析し、必要に
応じて我々自身を再び平衡させる方法を学ぶ。

The more we learn of the inner worlds, the more subtle and difficult this becomes.
我々が内なる世界たちのことをより多く学ぶほど、これはより微妙で困難になる。

Perfect balance is a formula so precise that the Egyptians symbolized its delicacy
as the human soul weighed against a feather.
完全な平衡は、とても精密な式であるので、エジプト人たちは、人間の魂が羽と天秤に
かけられるとして、その繊細さを象徴した。
--- ここまで ---

ここの記述は、あくまでも「下の世界」での話であって、「11:正義」のある「上の世界」
の話とは全く異なることに注意が必要です。

ちなみに、最後の文は、古代エジプト神話にある、マアト女神による「死者の審判」の
話であり、彼女は、天秤の一方に「真実の羽根」を、そしてもう一方に「死者の心臓」を
置いて、その軽重を判定するというものです。

とはいえ、「11:正義」は、今まで述べているように、「死後の世界における審判」という
結果論者とか、結果だけを見て物を言う評論家などではなく、我々の生きる世界において、
あまねく世界の平衡を「上なる世界」から見えざる力で支配する、現役のプレイング・
マネージャーとしての役割を担っています。
この辺りの解釈の違いは、しょせん上なる世界なんて、我々には知る由も無いわけで、
どうでもいいと言えばどうでもいいのですが、あまり「死後の世界」にこだわる必要も
ないよね、というのが、ワタシの考え方というか生き方なんですよね。
そもそも、そういう死後世界の話には、胡散臭いものが、ゴロゴロしていますしね。
0362名無しさん@占い修業中垢版2020/02/06(木) 06:03:13.86ID:odF1FVIR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
These ancients had a concept of "right, truth, law and rectitude" expressed by
the single word maat.
これらの古代人たちは、単一の単語「マアト」により表現される「正当、真実、法、および
正直」の概念を持っていた。

This originally meant "that which is straight," but came to mean also a rule, a
measure of some kind, or a law. (*172)
これは元来、「真っ直ぐであるもの」を意味していたけれども、規則、何らかの尺度、
もしくは法も意味するようになった。(*172)

Maat was symbolized by the feather, against which either the heart of the deceased
or his whole body was weighed.
「マアト女神」は羽により象徴され、それに対して、死者の心臓もしくは彼の全身のどちらか
が秤量された。
--- ここまで ---

ちなみに、(*172)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
172. Budge, Gods of the Egyptians, v. I, 417.
172. バッジ著、『エジプト民族の神々』、第1巻、417ページ。
--- ここまで ---
とあります。

古代エジプト神話では、このマアト女神の「死者の審判」の話が有名ですが、実はそれ
以外にも大事な役割を担っているという話があります。
それは最初の宇宙の創造において、カオスな原宇宙に秩序をもたらし、そして、この秩序
ある宇宙を維持している普遍的存在であるという話です。
ワタシとしては、葬式宗教のネタにされるよりは、こちらの方が、「上位世界の存在」で
ある「11:正義」にふさわしい役割であるように思えます。
0363名無しさん@占い修業中垢版2020/02/07(金) 06:04:08.20ID:qzNMPVoC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
In illustrations, we find this weighing administered by Anubis, and the results
recorded by Thoth.
図解たちの中で、我々は、この計量が「アヌビス神」により管理され、そして結果たちが
「トート神」により記録されことを見つけ出す。

Crowley relates both of these Gods to the Nineteenth Path, STRENGTH, which is the
balance between Geburah and Chesed.
クロウリー氏は、これらの「神たち」の両方を、「ゲブラー」と「ケセド」の間の平衡で
ある、「19番目の小径」である、「力」と関係づける。

The implication is that the adjustment which takes place on the Twenty-Second Path
is administered and recorded through the processes of the Nineteenth Path.
その意味は、「22番目の小径」の上で行われる調整が、「19番目の小径」の過程を通じて
管理され記録されることである。
--- ここまで ---

「11:正義」の持つ平衡作用は、一見すると、「ゲブラー」と「ティファレト」の間にある
「22番目の小径」よりも、「ケセド」と「ゲブラー」との間にある「19番目の小径」、
すなわち「Strength/力」(クロウリー氏によると「Lust/欲望」)の位置にある方が、
何となくふさわしいようにも見えるのですが、この「倫理的三角形」の完全なる平衡を
保つことは、そんな単純なことではないという感じなんでしょうね。

ということで、クロウリー氏も、「生命の木」においては、この「8:調整」を、「22番目
の小径」に置いて、「ラメド」を割り当てています。
伝統的に「正義」に割り当たられていたカードの番号は「8」ということもあって、この
カード番号の付け替えという点において、色々と妄想の膨らむカードではあるわけですが、
最後は、理屈うんぬんの話ではなくて、どちらが気に入っているか、ということですので、
そもそも我々が知ることの出来る範囲外のことですし、この辺りのややこしい話には、
あまり深入りしない方が良いかと思います。
0364名無しさん@占い修業中垢版2020/02/08(土) 08:03:46.53ID:yWtOtvVC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
As a Goddess, Maat represented moral law and truth.
女神として、「マアト」は道徳的な法と真実を表していた。

She was, in essence, the personification of the concept of maat.
彼女は、本質的には、「マアト」の概念の人格化であった。

It is this Goddess who is shown on the Crowley card, crowned with her attribute,
the ostrich feather.
それは、彼女の属性である、ダチョウの羽で冠されて、クロウリー氏のカードにおいて
示されている、この女神である。

The weighing of souls is, of course, also implied in the Golden Dawn, Waite and
Marseilles versions, the latter two being medieval in tone.
魂たちの秤量は、もちろん、また、ゴールデン・ドーン、ウェイト、およびマルセイユの
版たちに暗示されており、後者の2つは、 中世風の色調である。
--- ここまで ---

「11:正義」は、占星術の「天秤宮」に配属されていますが、占星術では、この天秤は、
ギリシア神話の正義と純心の女神である「アストライアー」の持つ天秤とされており、
そして、「アストライアー女神」は、一説では「処女宮」の女神であるとされています。
「処女宮」は「9:隠者」に配属されており、それゆえ「11:正義」と「9:隠者」は「生命の木」
においては、左右対称の位置になっていて、両者は補完関係にあります。

ちなみに、神話では、「アストライアー女神」は天界神として、最後まで人間の住む地上界
に残り、そして最後に人間を見限り、地上を去って天界に戻ったということになっており、
「22番目の小径」が、もはや地上界との接点を失ったことを暗示しているかのようです。

つまり、我々は、この「11:正義」の上位世界には戻れないというか、見ることも触れる
こともできないほど、下の世界に墜ちきった物質的存在であるということなんですよね。
0366名無しさん@占い修業中垢版2020/02/09(日) 07:24:36.27ID:9YDXqP3B
>>365
お気遣い、ありがとうございます。(^^)/

まあ、物事には両面というか様々な面がありますし、
こういう騒動も、色々と考えさせられるものもありますよね。

個人的には、怖いというよりも、中国人観光客が減ったので、
これを機会に、国内での観光騒動というか観光公害が、
落ち着いてくれればいいな、と思います。

バブルの時も、文化の担い手である街が破壊されましたが、
観光騒動でも、あちこちで古きものが壊滅していますしね。

新しいものの方が、外来からの観光客は呼べるとは思うのですが、
古くからの住民としては、どうなんだろうな〜、とは思うのですよ。
0367名無しさん@占い修業中垢版2020/02/09(日) 07:26:17.17ID:9YDXqP3B
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
In the Golden Dawn card the figure of a woman rests her feet on a jackal, the animal
attributed to Anubis who supervises the weighing of souls.
ゴールデン・ドーンのカードでは、女性の人物像が、 魂たちの秤量を監督する「アヌビス神」
に帰属される動物である、「ジャッカル」に彼女の両足を載せる。

She holds scales which, as in the Crowley card, are black as a reference both to
Binah and to Saturn.
彼女は、天秤を持っており、それは、クロウリー氏のカードにあるように、「ビナー」と
「土星」との両方の参照として黒色である。

This means not only assessment, but restriction, which is also time, an important
aspect of the administration of the law.
これは、評価だけではなく「制限」も意味しており、それはまた、法の管理の重要な面で
ある、「時間」でもある。
--- ここまで ---

「生命の木」の「要(かなめ)」である「11:正義」には、色々と付加属性が付いている
というか、そもそも上位世界においては、全ての「セフィロト」と「小径」が関連して
いるように見えるため、もはや何でもあり、言いたい放題の状態となっています。
それは、要するに「我々の人智の及ばない世界」であるからに他ならないというわけなの
ですが、そういう意味では、上位世界のカードを語るには、我々は、とにかく適当な
コメントを付けて、自身の知らないことも、知ったかぶりの評論家のように、それっぽく
語らないといけないということでもあるわけです。
もちろん、「上の如く、下も然り」であるので、占い師の如く、「下の世界での例え話」
に徹しても良いわけですが、それだと、このスレに書く意味が無くなりますので、
なかなか悩ましいところなんですよね。

というわけでして、とりあえず今後も淡々と翻訳は進めていく予定ではありますが、
一方で、ワタシの解説文は、今後も着々と劣化していくわけでした。←開き直りww
0368名無しさん@占い修業中垢版2020/02/10(月) 06:16:49.35ID:t7q/ASZ3
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
By contrast, the Waite version, as well as that produced by the BOTA, shows golden
scales, meaning that the individual soul is measured as it stands within the pure
golden Light of Tiphareth.
対照的に、ウェイト版は、BOTAにより制作されたものと同様に、金色の天秤を表しており、
個々の魂が、「ティファレト」の純粋な金色の「光」の範囲内に位置したままで測定される
ことを意味している。

It is only under this Light that the sword of Geburah does its work, as is suggested
by the Maat legend.
この「光」の下でのみ、 「マアト女神」の伝説により示唆されるように、「ゲブラー」の
剣は、その任務を果たす。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン&トート版と、ウェイト&BOTA版では、この「11:正義」の持つ天秤が、
「ビナー」属性なのか、「ティファレト」属性なのかという違いがあるということです。
ついでに言うと、マルセイユ版の「8:正義」の持つ天秤も金色系ですので、ウェイト版は、
それを踏襲しているというか、あえてそういう改変には乗らなかったと考えた方が良いかと
思います。

まあ、普通に考えれば、個々の魂の秤量に、偉大なる「ビナー」が関与するということは
考えにくいわけですし、そもそも「ティファレト」と「ビナー」の間の「小径」である
「6:恋人たち」の都合もありますので、「11:正義」の持ち物としては、「ゲブラー」の剣
だけにしておいた方が無難だと思うわけです。
そもそも、「魂の秤量」という仕事は、宇宙の平衡を司る「11:正義」の本来の仕事では
なく、あくまでも下々向けのサービスとして行っているものですので、そこに「ビナー」
が関与するようなものではありません。
つまり、もし「ビナー」の天秤が関わるのであれば、それはあくまでも宇宙の平衡のため
であって、そこには、「魂の秤量」とか「生前の善行」とかいう下々の概念は、何の関係も
無いということぐらいは、理解しておく必要があるということですよね。
0369名無しさん@占い修業中垢版2020/02/11(火) 06:00:17.38ID:RlpptinX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
Maat relates to the Sun God, Ra.
「マアト女神」は、「太陽神」である、「ラー」と関連する。

She is, in fact known as the "Daughter of Ra," as she is Qabalistically named the
"Daughter of the Lords of Truth."
彼女は、彼女が、カバラ主義者的に「真実の主の娘」と名付けられたように、実際に、
「ラーの娘」として知られている。

The Egyptians also called her "Queen of Heaven."
エジプト民族はまた、彼女を「天の女王」とも呼んだ。
--- ここまで ---

「マアト女神」である「11:正義」の「小径」は、カバラの「生命の木」理論によれば、
「太陽」である「ティファレト」とは、極めて密接な関係があります。
つまり、太陽の輝きのエネルギーの大部分は、炎の剣ルートである「11:正義」の「小径」
を通じてもたらされるということであり、それゆえ「11:正義」は、「太陽神」よりも
上位の存在であると考えられるわけです。

ちなみに、「11:正義」の「小径」を通過して「ティファレト」に至ることが出来るものは、
理論上その全てが「Truth/真実」であるということになります。
少々見方を変えるため、「Truth/真実」を「True/真」と言い換えますが、それでは
「ティファレト」へと流出できない「False/偽」は、どこに行くのかと問われれば、
それは上位世界に留まるということになります。
つまり、上位世界の真偽が混沌とした世界から、様々なルートを通じて、純粋に「真なる
もの」が「ティファレト」へと導かれてくるわけですが、その中でも最大のものが、この
「11:正義」からの流れであるという話になるわけですよね。

ついでに言うと、似たような概念として、「Real/実」と「Imaginary/虚」がありますが、
こちらは、より下位の概念であり、下界においても混沌として不可分なものとなっています。
0370名無しさん@占い修業中垢版2020/02/13(木) 06:27:36.36ID:UDupXCcQ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
Most important is that Maat is the regulator of the Path of the Sun.
最も重要なことは、「『マアト女神』が『太陽の経路』の調節者である」ことである。

The Egyptian texts suggest that it is through Maat that the Sun subsists, for Ra
is said to "rest upon Maat," and to "live by Maat." (*173)
エジプト語の原文たちは、「ラー」が「マアトで休む」、そして「マアトで生きる」と言わ
れているので、「マアト」を通じて「太陽」が存続していることを示唆している。 (*173)

In our terms this means that the principles of The Path of JUSTICE maintain
Tiphareth.
我々の用語においては、これは、「正義」の「小径」の原則たちが、「ティファレト」を
維持することを意味する。
--- ここまで ---

ちなみに、(*173)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
173. Crowley, 777, 40.
173. クロウリー著、『777の書』、40ページ。
--- ここまで ---
とあります。
が、探してみたけど、そのような記述がありませんでしたので、未確認です。

とりあえず、古代エジプトの太陽神「ラー」と、真実の女神「マアト」の関係性は、
「生命の木」における「ティファレト」と「11:正義」の小径の関係性に相似していると
いうことですよね。
ちなみに、「マアト」は「ラー」の娘という扱いですので、成人した独身の娘に導かれて、
一日一回、天空の散歩道を介護されて歩く老父の姿を想像してしまうのですが、そもそも
「ティファレト」は「王子」扱いとなっていますので、どちらかというと、老父ではなくて
ヒモとしての扱いになるということで、いいんでしょうかね。←絶対に違うww
0371名無しさん@占い修業中垢版2020/02/14(金) 06:17:42.10ID:2m+4554l
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
But insofar as Ra is the source of all Light, he is also THE FOOL.
しかし、「ラー神」が全ての「光」の源である限りにおいては、彼はまた「愚者」でもある。

Thus one can paraphrase, and say that Aleph rests upon Lamed and that Lamed is the
regulator of the Path of the Divine Life Force.
従って、言い換えれば、「『アレフ』は『ラメド』で休み、そして『ラメド』は『神の
生命力の経路』の調節者である」と言うことができる。
--- ここまで ---

古代エジプトの太陽神「ラー」と、真実の女神「マアト」の関係性が、いつのまにか
「0:愚者」と「11:正義」の関係に飛び火してしまいましたが、この辺りのネタの混乱、
いやいや密接な関係性については、クロウリー氏の『法の書』や『777の書』などにも、
色々と書かれています。

まあ、上位世界を直接語ることは難しいので、とりあえず「アレフ=牛」と「ラメド=
牛突き棒」という、分かりやすい関係性から、色々と想像を膨らませてみようということ
なのですが、この辺りは、理屈でうんぬんと言うよりは、言ったもん勝ちという面もあり
ますので、良い子は、あまり深く詮索しないようにしましょう。

いずれにしても、「11:正義=ラメド=牛突き棒」は、源泉である「ケテル」から噴き出す
エネルギー流を、きちんと中間チェックポイントである「ティファレト」へと集束させる
ための、制御弁というか姿勢制御弁みたいな役割を果たしており、それなくしては「生命の
木」の構造を維持できないという、非常に重要な役割を担っているわけですが、それは
どちらかというと「裏方の仕事」でもあるわけで、そのため、我々はあまりその働きを
直接知る機会は無いんですよね。
まあ、「11:正義」が何かのヘマをやって問題が起きれば、その働きを見ることは出来るの
ですが、そもそもヘマをやれば、この宇宙が消滅して、我々も消滅してしまいますので、
我々はそれを実際に経験することは、絶対に叶わないのでした。
つまりは、「11:正義」の真の姿は、誰も知らないということなんですよね。
0372名無しさん@占い修業中垢版2020/02/15(土) 06:37:39.53ID:SaRqDxiN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
The relationship between Aleph and Lamed conceals the greatest secret of the Tarot,
one which is, as Crowley said "beyond all planetary and zodiacal considerations,"
meaning Kether!
「アレフ」と「ラメド」の間の関係は、タロットの中で最も偉大なる秘密を隠しており、
その一つは、クロウリー氏が、「全ての惑星と黄道十二宮の考慮たちの範囲を超えて」と
言ったように、つまりそれは「ケテル」を意味する!

In his Book of the Law, [lamed][aleph] is the key to the entire Universe, revealing
a mystery of unspeakable profundity.
彼の『法の書』において、[lamed][aleph] は、「宇宙」全体への鍵であり、語ることの
できない深遠なる神秘であると明かしている。

On the Tree of Life, [lamed][aleph] is also the God Name of Chesed, the Demiurge
(Lesser Creator) from which Microprosopus is formed.
「生命の木」においては、[lamed][aleph]はまた「ケセド」の「神名」でもあり、そこから
「ミクロプロソプス(小さな顔)」が形成される「デミウルゴス(小さい創造主)」である。
--- ここまで ---

この「アレフ」と「ラメド」の関係性は、クロウリー氏が注目していて、彼の著作である、
通称『Book of the Law/法の書』、正式タイトルは『Liber AL vel Legis/ALもしくは
法の書』の中で語られています。(ワタシは読んだことは無いですけど。)

まあ、何が言いたいかと言うと、「アレフ=0:愚者」と「ラメド=11:正義(8:調整)」は、
互いに補完し合って、この宇宙全体を創造したということであり、そして、「ケテル」から
最初にカオス的に出てくる「0:愚者」の「小径」と、最後に整った形で「ティファレト」に
入ってくる「11:正義(8:調整)」の「小径」の位置関係というか、その機能性の関係という
のは、なかなかに良く出来た相互補完的な関係であるということですかね。

まあ、よくわかんないけど。
0373名無しさん@占い修業中垢版2020/02/16(日) 06:29:17.69ID:Vv9AFYZ1
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
A great many planets are involved in this card.
非常に多くの惑星たちが、このカードに巻き込まれている。

First is Venus, which rules Libra, to which this Path is directly attributed.
1番目は「金星」であり、それは、この「小径」が直接帰属される、「天秤宮」を支配する。

Mars is related because this is an exercise of the purging energies of Geburah.
「火星」は、これが「ゲブラー」の粛正する精力たちの執行であるために、関連している。

The Sun is involved not only because the Path runs from the Sun to Mars, but
because Justice must take place in the clear bright sunlight of Truth.
「太陽」は、「小径」が「太陽」から「火星」に達するというだけでなく、「正義」は
「真実」の明瞭な明るい太陽光の中において行われなければならないというためにも、
巻き込まれる。

Saturn has already been mentioned, and is exalted in Libra.
「土星」は、すでに言及されており、そして、「天秤宮」においては高揚される。

Finally there is Jupiter, Planet of Chesed, and of [lamed][aleph].
最後に、「木星」は、「ケセド」の、そして [lamed][aleph]の「惑星」である。
--- ここまで ---

もはや何でもありのカオス状態ですが、そもそも上位世界の存在というのは、下界から
見れば、無敵というか、およそ意味わかんないほどの「何でもあり」の状態ですので、
ここで深く詮索する意味は全くありません。
そもそも、下界の我々が知る「惑星」の意味は、上位世界においては、何の意味も価値も
ありませんので、こういう関連付けは、宇宙の神秘を解き明かすというような学術的な
意味合いではなく、あくまでも妄想作品、いやいや神秘文学作品を生み出すための「ネタ」
としてのみ存在価値があるということに、留意しておく必要があるわけなのでした。
0374名無しさん@占い修業中垢版2020/02/18(火) 05:47:51.39ID:5Rq1DFZC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
To state that Libra is ruled by Venus is also to state that behind JUSTICE stands
THE EMPRESS, the primary Path of Venus which is the perfect balance between the
energies of Chokmah and Binah.
「天秤宮」が「金星」により支配されると述べることは、「正義」の後ろに、「コクマー」
と「ビナー」の精力たちの間の完全な平衡である「金星」の主要な「小径」である、
「女帝」が立っていると述べることでもある。

The reference is also to the nature forces of Netzach.
参照はまた、「ネツァク」の自然の力たちにも当てはまる。
--- ここまで ---

「小径」に配属された「宮」を支配する惑星は、それ自体が「小径」と「セフィロト」
にも配属されていますので、それらとの間の関係を妄想する、いやいや考察することは、
それなりに興味深いことでもあります。

とはいえ、それらの間には、「レベル(相)の違い」があるということを、常に意識して
おかないと、ミソクソになってしまうという懸念もあるわけですが、まあしょせん上位
世界は、何を言っても許されるミソクソ状態ですので、そこまで気にする必要も無いと
言えるのかもしれません。
というか、考慮しようとしても、何をどう考慮すればいいのかさえ分かりませんので、
各自が好きなように妄想を繰り広げるという方が、いいのかもしれませんしね。

ということで、「11:正義」は、「3:女帝」という後ろ盾を得て、もはや敵なしの状態
となってしまったわけですが、それらの無敵エネルギーは、「金星」という象徴として、
「ネツァク」を通じて、我々にもたらされるという構図になっているというわけです。
そして、この「金星」つながりという観点から見えることは、それが我々の「芸術」と
いう才能に繋がっているのではないかという点ですよね。
つまり、この「11:正義」が、美術家や舞踏家、そして音楽家などにも見えることは、
ある意味、正しいことなのかもしれないということなのでした。
0375名無しさん@占い修業中垢版2020/02/19(水) 06:11:01.23ID:gP3EpdKB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
Having noted that Lamed in some way refers to all of the Twenty-Two Paths and Hebrew
letters, it is interesting to recall that Venus refers to all of the Sephiroth.
「ラメド」が、何らかの方法で、「22の小径たち」と「ヘブライ文字たち」の「全て」を
参照することに注目することで、「金星」が「セフィロト」の全てを参照することを
思い出すことは興味深い。

Venus is the only planet whose symbol encompasses every single Sephira on the
Tree of Life (see Figure 14), the implication being that love is the ultimate
power of the Universe.
「金星」は、その記号が、「生命の木」(図14を見よ)の全ての単一の「セフィラ」を
包含する唯一の惑星であり、愛が「宇宙」の究極の力であることを意味する。

Thus, to say that Venus rules Libra-Lamed is to say: That which encompasses all
of the Sephiroth rules that which encompasses all of the Paths.
従って、「金星」が「天秤宮」−「ラメド」を支配すると言うことは、以下のように言う
ことである:「『セフィロト』の全てを包含することは、『小径たち』の全てを包含する
ことである。」
--- ここまで ---

まあ、要するに「もはや何でもあり」ということですのて、細かい説明は、もはや不要で
あると思われます。
とはいえ、こういう「11:正義(8:調整)」の無敵補正は、クロウリー氏の『法の書』に
由来する独自の考え方が入っていますので、トート版を使う際には、その点に留意する
必要があります。

ちなみに、この「Figure 14/図14」は、この本の中には、それに相当するものはありま
せんが、これはおそらく、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「第五知識
講義」にある、金星の占星術記号と10のセフィロトの関係を表した図のことを指している
ものと思われます。
0376名無しさん@占い修業中垢版2020/02/21(金) 05:52:08.12ID:IQWAdNkB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
This may be understood by again considering the idea that the Sephiroth are
objective, while the Paths are subjective.
これは、「セフィロト」が客観的であり、一方で「小径たち」は主観的であるという
考え方を再度考慮することにより理解されるかもしれない。

Objectivity and subjectivity are complementary conditions.
客観性と主観性は、相補的な状態たちである。

One cannot exist without the other, any more than the color red can exist without
the possibility of green, or the energies of Mars can exist without those of Venus.
赤色は緑色の可能性なしで存在できない、もしくは、「火星」の精力たちは「金星」の
それらなしで存在できないのと同じように、一方は他方なしでは存在できない。
--- ここまで ---

「生命の木」の対称性と補完性は、今までさんざん言い尽くされてきた感がありますが、
その考え方は、今後の上位世界の詮索に対しても有効です。
とはいえ、我々の知る対称性と補完性というのは、低次元の下位世界の話であるので、
その感覚を上位世界に持ち込んだところで、何の役にも立たないというのが実情です。
つまり、下々の例え話は、上位世界の理解には、何の役にも立たないのです。

とはいえ、下位世界においては、それなりに役に立ちます。
つまり、占いなどの用途には、使おうと思えば使えるわけです。

これは、「カバラ」により宇宙を理解してみたい人にとっては、何とも悩ましい問題なの
ですが、今のところ、ここが人間の理解の限界というか、まあ、ワタシの個人的能力の
限界だと思うのですが、もはやワタシの「魂に届く」ものでは無くなっているわけです。
それゆえ、いいかげんというか、いまいちヤル気の無いフラット気味の文章になって
しまっているのは否めないわけですよね。
というわけで、これからも惰性だけで続けていこうと思っているのでした。
0377名無しさん@占い修業中垢版2020/02/22(土) 07:12:20.25ID:nlYfUvX2
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
Even the floor of the Golden Dawn card, on which lies the jackal of Anubis, refers
to a complementary condition, that of Greater and Lesser Creators: The white
(which actually represents pure brilliance) is Kether, while purple is the color
of Chesed in Atziluth.
「アヌビス神」のジャッカルが横たわっている、ゴールデン・ドーンのカードの床でさえも、
「大小の創造主たち」のそれである、相補的な状態を参照する:「白」(それは実際、
純粋な輝きを表す)が「ケテル」であり、その一方で、「紫」は「アツィルト界」での
「ケセド」の色である。

All of the symbolism here points to the idea that this figure is keeping opposites
in balance.
ここでの象徴性の全ては、この人物像が、平衡を保って反対する物たちを保持するという
考え方を示す。

It is a regulator of energy.
それは、精力の調節者である。
--- ここまで ---

この「アヌビス神」は、「マアト女神」の監督の下に、「死者の審判」を執り行うと言われ
ている、ジャッカルの姿をした冥界の神です。
ゴールデン・ドーン版カードでは、「11:正義」の足元に、横たわるジャッカルが描かれて
おり、その床には、白と紫のチェス盤のような格子模様が描かれています。
まあ、「アツィルト界」での「ケセド」の色は、「purple/紫」ではなく「Deep Violet/
深菫」じゃないのか、というツッコミはおいといて、このカードデザインのあちこちに、
相補的な状態を参照するものが見受けられます。
これは、「Greater Creator/大創造主」により創造された宇宙が、この「11:正義」により、
「ティファレト」までは、完全に平衡が保たれているけれども、「ティファレト」以降では、
その完全なる平衡が崩れ、その結果として、「Lesser Creators/小創造主たち」による、
平衡の崩れた物質宇宙が生み出されたという解釈でいいんでしょうかね。
0378名無しさん@占い修業中垢版2020/02/23(日) 07:26:41.57ID:EwyPGltX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
Perhaps surprisingly, Waite emphasizes the Mars aspect of JUSTICE over its Venus
aspect by having the figure clothed primarily in red.
たぶん意外なことに、ウェイト氏は、主として赤色の服を着た人物像を持つことにより、
その「金星」の様相の上の「正義」の「火星」の様相を強調する。

And if his card is considered on the pattern of the Tree of Life (when the card
is placed on the Path of Lamed) it will be seen that the raised sword points to
Geburah while the scales are lowered in the direction of Tiphareth.
そして、もし彼のカードが「生命の木」(カードが「ラメド」の「小径」の上に置かれる
場合)の様式において考慮されるならば、持ち上げられた剣は「ゲブラー」を指し、一方で
天秤は「ティファレト」の方向に下げられていることがわかるであろう。

The same purple as in the Golden Dawn tile floor appears on the cloth of honor
behind the figure.
ゴールデン・ドーン版のタイルの床にあるのと同じような紫色が、人物像の背後にある
「名誉の布」に現われる。

The background itself is yellow, meaning Tiphareth.
背景それ自身は、「ティファレト」を意味する黄色である。
--- ここまで ---

ウェイト版のデザインは、ちょっと独特に見えるのですが、赤いガウンを着た上に、緑の
ケープを纏っているので、基本的には、ゴールデン・ドーン版の思想を踏襲しているもの
と思われます。
あと、ウェイト氏自身は、「11:正義」と「2:高等女司祭」の類似性について言及していま
すので、そちらの面から考察してみるのも、何かの役に立つのではないかと思われます。

まあ、後は、色々とありすぎて、というか、ほぼ何でもありですので、よくわからないと
いうのが実情ですよね。
0379名無しさん@占い修業中垢版2020/02/25(火) 05:54:33.13ID:m909mjoF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
The differences in the colors of the three versions of JUSTICE point out the
differing concepts of the designers.
「正義」の3つの版たちの色の違いは、図案家たちの異なる概念を指摘する。

The Golden Dawn emphasizes green, flashing against a red throne with a pale blue
background.
ゴールデン・ドーンは緑色を強調し、薄い青色の背景を持つ赤い玉座に対して際だっている。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版は、ウェイト版とトート版の元になっているデザインですが、
見た目は、ウェイト版やトート版とは、少々異なって見えます。
つまり、マサース氏による「11:正義」の改変をベースにして、伝統的風なデザインに
戻したのがウェイト版であり、その一方、さらなる独自の改変を施したのがトート版で
あるということですかね。。

さて、その元となったゴールデン・ドーン版ですが、ぱっと見た感じとしては、
・上からの白い光=ケテル
・右の白っぽい柱=コクマー
・左の黒っぽい柱=ビナー
・背景の青=ケセド
・玉座の赤=ゲブラー
・服の緑(エメラルドグリーン)=22番目の小径
という感じで、上位世界の各種象徴が、幕の内弁当のように勢揃いしています。

つまり、下の地位にありながら、上位世界を監督する立場というか、統括者というか、
最終的な責任者としての役割を担わされていることを暗示しているわけです。
その場合、上位存在を、剣で威圧的に管理することなどは出来ないので、この剣は武力
などではなく、天秤と同じように、一種の道具として利用していると推定できるわけで、
ワタシには何となく、実務的な調理人や薬剤師にも見えたりするわけなのでした。
0380名無しさん@占い修業中垢版2020/02/27(木) 06:02:55.37ID:tY6sw0IX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
Crowley's card relies on the blues and greens of the Twenty-Second Path in the
Four Worlds.
クロウリー氏のカードは、「四つの世界」における「22番目の小径」の青色たちと緑色たち
に依存する。

The blues are especially vibrant as a reference to the effect of Jupiter on the Path.
青色たちは、「小径」に対する「木星」の効果への参照として、特に鮮やかである。
--- ここまで ---

ウェイト版の特徴は「火星」の赤色で、ゴールデン・ドーン版では「22番目の小径=天秤宮
=金星」の緑色でしたが、トート版では、「木星」の青色が強調されているということです。

というか、トート版では、他の版にある火星の赤色が無いというのが特徴であり、それは、
カードの女性像が持つ剣の剣先が下を向いていることからもわかるように、火星的な暴力性
が全く感じられないということからもわかります。
つまり、この剣は、物理的な武力行使を示すようなものではなく、何らかの魔術的な道具と
いうか、エロ目線的に言うと、女性像の股間と胸に挟まれたタマタマ付きのイチモツになって
いるわけであって、要はそういう働きがあるという感じになっているわけです。
そして、他の版では、左右非対称の構図でしたが、トート版では、左右は完全な鏡像では
ありませんが、ほぼ左右対称と言えるようなバランスの良い構図になっています。
これは、彼女自身の姿で、「天秤」を体現しているということであり、剣の「火星」面を
彼女の「金星」面で、しっかりと受け止めているということですよね。

まあ、どちらが良いとか悪いとか言うものでもありませんし、どれが正解ということでも
ありませんが、こういう細かいところに、デザイナーのこだわりが見えているというか、
トート版においては、他の版とは異なる、かなり特殊な性癖、いやいや役割を負わされて
いるという点においては、とても興味深いカードとなっているわけです。
0381名無しさん@占い修業中垢版2020/02/28(金) 06:14:27.07ID:OwWIt9Sp
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
Crowley's Adjustment is among the most abstract of his Keys.
クロウリー氏の「調整」は、彼の「鍵たち(大アルカナ)」の中で最も抽象的なものの
一つである。

He calls the figure not only the Goddess Maat, but also Harlequin, "the partner
and fulfillment of THE FOOL."
彼は、人物像を「女神マアト」だけでなく、また、「『愚者』の協力者であり成就」で
ある、「ハーレクイン」と呼ぶ。

The figure stands within a diamond-shape which is the Vesica Piscis.
人物像は、「魚の浮袋」である、ダイアモンド形状の内に立っている。
--- ここまで ---

トート版の「8:調整」の複雑さは、クロウリー氏が、このカードの中に、無節操とも
思われるほど、様々な意味と役割を当てはめていることが原因です。

その一つは、この人物像に、「マアト女神」だけでなく、「ハーレクイン(道化者)」と
いう役を割り当てた上で、「0:愚者」を補完し成就させるという役割を持たせたことです。

これにより、「AでありLである(アレフでありラメドである)」の「8:調整」と、「Aで
ありTである(アルファでありオメガである)」の「21:宇宙」とは、相似した関係となり、
「0:愚者」と「21:宇宙」が、「ケテル」と「マルクト」を直接繋ぐのに対し、「0:愚者」
と「8:調整」が、「ケテル」と、「劣化ケテル」であり「未劣化マルクト」でもある
「ティファレト」を繋いでいるという関係が成立するため、それゆえ、「8:調整」は、
上位世界における「21:宇宙」であると見なすことができるわけです。

ちなみに、「Vesica Piscis/魚の浮袋」は、2つの弧が交差する魚の形のデザインのこと
なのですが、なぜそれを、人物像の外形の「diamond-shape/ダイアモンド形状」に適用
するのかは、いまいち不明となっております。
0382名無しさん@占い修業中垢版2020/02/29(土) 06:55:33.28ID:isLKXBzq
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
Behind her is a throne of spheres and pyramids, in groups of four, meaning "Law
and limitation."
彼女の背後には、「法と制限」を意味する、4つの集団たちになった、球体たちと角錐たちの
玉座がある。

This is another reference to Chesed.
これは「ケセド」への別の参照である。
--- ここまで ---

トート版の女性像の背後には、不思議な形をした玉座があります。
その玉座には、上に4個の球、下に4個の球があり、上下それぞれが双角錐で結合されて、
4つのグループを形成しています。
そして、それぞれのグループの球は、綺麗な青色と、少し濁った緑色のペアとなっており、
それぞれでバランスを取っています。
この青や緑の色は、「11:正義(8:調整)」の「22番目の小径」の色を反映しており、そして
「4」というグループの数は、「ケセド」に関連するということになります。

ちなみに、「22番目の小径」の色は、以下のようになっております。
・アツィルト界:Emerald-Green/エメラルド・グリーン
・ブリアー界:Blue/青
・イェツィラー界:Deep blue green/深青緑
・アッシャー界:Pale Green/薄緑

あと、カードの四隅のそれぞれにも球体があって、そこから光線のような何かが発せられて
おり、「21:宇宙」に似たデザインであることが分かります。
まあ、「21:宇宙」の方は、様々な分化が進んでいて、割とカラフルな色調である一方で、
「8:調整」の方は、まだまだ分化が進行していない状態であることと、「8:調整」の女神が
着衣姿であって、真の神秘を隠蔽しているのに対し、「21:宇宙」の女神は、もはや何も
隠すものがない状態であることが、大きな違いですかね。
0383名無しさん@占い修業中垢版2020/03/01(日) 06:28:41.24ID:OF7JqzuE
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
As Maat she wears ostrich feathers, with the Uraeus serpent, Lord of Life and Death,
on her forehead.
「マアト女神」として、彼女は、ダチョウの羽毛たちを身に纏い、彼女の額に、「生と死の
主」である、「ウラエウス(蛇形記章)」のヘビを着けている。

She holds the Sword (a male symbol in this context) in such a way as to suggest
sexual union, and the "completion" of the female.
彼女は、性的な結合、および女性の「完成」を示唆するような方法で、「剣」(この文脈に
おいては男性の象徴)を保持する。

This is what is described in 777 as "The Woman justified. By equilibrium and
Self-sacrifice is the Gate." (*173)
これは、以下のように、『777の書』に記述されている。「正しいとされる女性。平衡と
自己犠牲により門がある。」(*173)
--- ここまで ---

ちなみに、(*173)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
173. Crowley, 777, 40.
173. クロウリー著、『777の書』、40ページ。
--- ここまで ---
とあります。

トート版の「8:調整」の女性像のデザインは、クロウリー氏の『トートの書』の記述とは
異なり、「有翼のマアト女神」をモチーフにして、肩からショールのような形をした翼を
纏い、頭には「ウラエウス(蛇形記章)」を模したものを被っています。
そして、乳首が透けるほどの薄い衣を着て、その豊満な胸に剣の柄を押し当て、さらに、
すらりと伸びた両足で、剣の刃を挟み込むという構図は、「金星」と「火星」の性的結合、
すなわち「生と死」を意味しているかのように、かなり妖艶なものとなっております。
0384名無しさん@占い修業中垢版2020/03/02(月) 06:19:09.84ID:ycKWu6/V
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
A scale, springing from a point above her head, weighs all that is in creation,
the Alpha and the Omega.
秤が、彼女の頭の上の先端から湧き出ており、「アルファ」と「オメガ」である、創造の中に
「ある」ものの全てを秤量する。
--- ここまで ---

「11:正義」において、最も重要な象徴である「天秤」については、あまり多くは語られて
いませんので、少々補足しておこうと思います。

トート版の「8:調整」の「天秤」は、鎖で繋がれた皿が真下にぶら下がっていなくて、
斜めになっており、物理法則的に見ると、とてもおかしな姿になっています。
そもそも、こんな形状の天秤では、両方の皿がぶつかってしまい、まともに計量することは
出来ない欠陥品ですしね。
つまり、この天秤は、普通に重力で働いているわけではないということであり、重力とは
無関係の何かであり、すなわち物質を秤量するためのものではない、特殊な働きをして
いるということが推察されるわけです。

『トートの書』によれば、天秤の皿に載せられているのは、「アルファ」と「オメガ」で
あり、それはすなわち「アレフ=0:愚者」と「タウ=21:宇宙」であるということであり、
そしてそれらを「ラメド=8:調整」が秤量しているということになっているわけです。

これが何を表しているのかというと、要は「天地創造」という物質世界を創造するための
前準備としての「秤量」、そして下なる「顕在化」という作業であると推察できます。
つまり、この2つの皿で秤量された両極端にあるものたちが、女神像の、透けた両乳房と
隠された女性器、そして剣の男根作用により、新たな生命として生み出され、それが剣の
刀身を伝って、女神の足元にある下界、すなわちティファレトへと流れ出していくという
構図になっているという妄想が成立するわけです。
つまり、この女神像は、我々宇宙を生み出す、「原初の大母」としての働きがあるという
ことであって、やっばり、節操なしに何でもありのカードだと思うのでした。
0385名無しさん@占い修業中垢版2020/03/03(火) 06:09:22.38ID:LqmYmOUP
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
She is total equilibrium, yet in constant motion: "She is the ultimate illusion
which is manifestation; she is the dance, many-coloured, many-wiled, of Life itself.
彼女は、完全な平衡であるが、さらにまだ絶えず動き続けている:「彼女は、顕在化
である究極の幻想である;彼女は、『生命』それ自身の、多色で、多岐の、踊りである。

Constantly whirling, all possibilities are enjoyed, under the phantom show of
Space and Time; all things are real, the soul is the surface, precisely because
they are instantly compensated by this Adjustment.
絶えることなく回転し、すべての可能性たちは『空間』と『時間』の幻想的な見せ物の
もとで楽しまれる;全ての物たちは現実であり、魂は見かけであって、なぜなら、まさに、
それらは直ちに、この『調整』によって補償されるからである。

All things are harmony and beauty; all things are truth: because they cancel
out." (*174)
全ての物たちは、調和と美である;全ての物たちは真実である:なぜなら、それらは
釣り合っているから。」 (*174)
--- ここまで ---

ちなみに、(*174)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
174. Crowley, Book of Thoth, 87.
174. クロウリー著、『トートの書』、87ページ。
--- ここまで ---
とあります。

前の節で、トート版の「8:調整」の「天秤」は、鎖で繋がれた皿が真下にぶら下がって
いないことについての考察を書いていますが、実はここにも、その要因となるものが
示唆されています。
(次に続く)
0386名無しさん@占い修業中垢版2020/03/03(火) 06:12:53.65ID:LqmYmOUP
(前の続き)

それは、「Constantly whirling/絶えることなく回転」しているという点です。
つまり、剣を駒の中心軸として高速回転することで遠心力が生まれ、その働きによって、
両方の皿が、外へと広がっているという構図になるわけです。
つまり、普通にスタティックなバランスを取っているのではなく、少し高度とも言える
ダイナミックなバランスを取っているということです

要は、トート版の「8:調整」の女性像は、一見すると静止しているように見えますが、
実は「回転運動」という激しい踊りを舞っているということなんですよね。

あと、「8:調整」が高速回転するということは、それ以前に「Space/空間」と「Time/
時間」が存在している必要があるわけですが、それについては難しい話になりますので、
避けておきたいと思います。

あと、クロウリー氏は、その他にも色々と述べていますが、そのほとんどは意味不明で
あるというか、ワタシには理解不能であって、そもそも何でそんなに「何でもあり」に
しなければならないのかも理解不能なのです。

そもそも「8:調整」の名札を付けているわけですし、あくまでも全体的な調整役ということで
いいんじゃないのかなぁ、と思うわけですよ。

ということで、属性テンコ盛りの「8:調整」の解説は、うやむやのままで終わりたいと思います。
0387名無しさん@占い修業中垢版2020/03/05(木) 05:51:37.41ID:AydUrsHn
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 195) ---
21. THE PATH OF CAPH
21. 「カフ」の小径

The Wheel of Fortune
運命の輪

The Tenth Key
10番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「カフの小径」です。

この小径は、前に出てきた「12:吊られた男」と対を成すカードであり、そして前に述べた
ように、我々は、この小径に入ることは出来たとしても、決して通過することは出来ない、
究極の「トラップカード」であることを思い出してください。

とはいえ、直前の「11:正義」のように、もはや地に足が着いていないシロモノではない
ので、まだ何と無くヤバそうな雰囲気を感じることが出来るわけですが、いずれにしても
我々の知恵が及ぶ範囲にある最後の地点であるわけですし、ちょっと気合いを入れ直して、
進みたいと思います。
そして、このカードが終われば、またもやグダグダのカオスに足を踏み入れるという
ことになるわけですよね。

そういえば、「Fortune」を「幸運」と勘違いして、「ラッキーカード」とか言っている
人も多くいるわけですが、このカードに描かれている怪しげな車輪やスフィンクスなどの
動物像は、どう見てもヤバそうな感じしかしないわけです。
それに、そもそも人の幸運というのは、こんなに高い次元にあるものでもないですしね。
0388名無しさん@占い修業中垢版2020/03/07(土) 07:36:59.31ID:oR2QsoD1
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 195) ---
□ PATH COLOR: Violet
□ 「小径の色」:「菫(すみれ)色」

□ RELATED SOUND: A Sharp
□ 「関連した音」:「Aのシャープ」

□ PLANET: Jupiter
□ 「惑星」:「木星」

□ MEANING: Fist
□ 「意味」:「握った手」

□ DOUBLE LETTER: Riches-Poverty
□ 「複字」:「富と貧乏」

□ ESOTERIC TITLE: The Lord of the Forces of Life
□ 「秘伝的な称号」:「生命の力たちの主」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、固く握られた「拳骨」と、ヘブライ文字の「カフ」と、
「木星」の占星術記号、および「生命の木」における「カフの小径」の位置が図示された
絵が描かれています。

「10:運命の輪」に、複字の「Riches-Poverty/富と貧乏」が割り当てられているという
のと、秘伝的な称号に「生命」が関連していることは、ここが宇宙の生命の全てに深く
関わっているということを示唆しているわけで、深掘りしていくと、結構面白そうです。
まあ、我々にとっては、あれこれと詮索できる最後のカードですし、「ケセド=木星」に
アプローチできる最初で最後の「小径」でもあるわけですので、色々と妄想力を高めて、
頑張ってみようかな、と思わせてくれるカードなのでした。
0389名無しさん@占い修業中垢版2020/03/09(月) 05:59:24.40ID:/YdLnBcc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 195) ---
THIRTY TWO PATHS OF WISDOM: The Twenty-first Path is the Intelligence of Conciliation,
and is so called because it receives the divine influence which flows into it from
its benediction upon all and each existence.
「知恵の32の小径たち」:「21番目の小径」は「調停の知性」であり、なぜならそれは、
全てと各々の存在の上のその祝福から、その中に流入する神の影響を受け取るために
そう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用です。

ちなみに、「Intelligence of Conciliation/調停の知性」の部分は、他の原本では、
「Intelligence of Conciliation and Reward/調停と報酬の知性」となっていましたので、
あまりメジャーでない版の引用か、もしくは誤記のどちらかだと思われます。
意味的には、単に「調停の知性」だけだと、上から単に受け取るだけで、下界には何もして
くれないのか、という疑問が湧きますので、ワタシとしては、「調停と報酬の知性」の方が、
やりがいがあるわけです。

とりあえず、「カフ」の文字の意味が「Fist/握った手」であることを考えれば、上からの
何かを受け取るという作用は、何と無くわかりますし、そして受け取ったものは、そう
簡単には下には開示されないというのも、何と無く分かります。
ちなみに、この「10:運命の輪」の「カフ」の「Fist/握った手」に対応するものは、
「9:隠者」の「ヨッド」の「Hand/(開いた)手」ということになりますかね。
要は、通常モードでは、この「小径」からの流出は固く閉じられているけれども、何かの
トリガがあれば、「Reward/報酬」として、下に流出する可能性がある、ということなの
ですが、それが何を意味するのかは、これからぼちぼちと探っていきたいと思うのでした。

なお、多忙ゆえ、書き込みペースが数ヶ月ほどダウンしますので、ご了承ください。m(_ _)m
0390名無しさん@占い修業中垢版2020/03/14(土) 06:42:15.19ID:i3t0uJOm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 195) ---
The Path of Caph, the WHEEL OF FORTUNE, runs from Chesed to Netzach.
「カフの小径」である、「運命の輪」は、「ケセド」から「ネツァク」まで走る。

It is the connecting Path between the Personality and the Higher Self on the Pillar
of Mercy under Chokmah.
それは、「コクマー」の下の「慈悲の柱」の上で、「人格」と「高次の自我」の間を接続
する「小径」である。
--- ここまで ---

「人格」と「高次の自我」を、柱の上で接続している「小径」は、以下の3つです。
・「14:節制」=「中央の柱」で「イェソド」から「ティファレト」へと「leads/導く」
・「12:吊られた男」=「峻厳の柱」で「ホド」と「ゲブラー」を「connects/接続する」
・「11:運命の輪」=「慈悲の柱」で「ケセド」から「ネツァク」まで「runs/走る」

つまり、「11:運命の輪」は、基本的には「ケセド」から「ネツァク」へと下る一方通行
の流れであることを意味しており、この流れに逆らって遡上することは、まさに「鯉の
滝登り」、つまり「11:運命の輪」とは「登竜門」であって、この滝を登りきることの
出来たコイキングは、ギャラドスに進化することが出来るというわけなのです。

とはいえ現実的には、「鯉」が「竜」になれるわけでもなく、下界の我々は、上流から
流れ落ちてくるものを、黙って享受するしかないわけですが、無駄な悪あがきをせず、
黙って享受さえしておけば、何となく有り難い感じがするのも、確かだと思います。
まあ、ワタシがもう少し若ければ、そういう「鯉の滝登り」的な悪あがきの詮索もアリ
だと思うのですが、気力と体力、そして知力が足りていないのが現状なんですよね。

とはいえ、上に登らなくとも、下界から眺めているだけでも、それなりに有益なものを、
我々にもたらしてくれるパワースポットでもありますので、そういう観点、すなわち
観光客の気分で、ここから先は見ていくことにしたいと思います。←かなりいい加減w
0392名無しさん@占い修業中垢版2020/03/15(日) 06:41:12.66ID:TQM+Szde
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 195) ---
The Thirty-Two Paths of Wisdom calls it the Intelligence of Conciliation, implying
that it has a mediating function.
「知恵の32の小径たち」は、それを「調停の知性」と呼び、それが調停の機能を持っている
ことを暗示している。

And, in view of what has been considered about the regulation of energy on the Path
of JUSTICE, it is not surprising to learn that Jupiter is assigned to this Path,
or that Jupiter is said to govern the circulation of the blood.
そして、「正義」の「小径」の上の精力の調節について、ずっと考慮されてきているものの
観点から見ると、「木星」がこの「小径」に割り当てられることや、もしくは、木星が、
血液の循環を支配していると言われていることを知ることは、驚くようなことではない。
--- ここまで ---

「11:正義」が「誠実な知性」であるのに対し、「10:運命の輪」は「調停の知性」と
なっています。
つまり、「10:運命の輪」の「慈悲の柱」の調停という和解ルートで解決できなかったもの
が、「11:正義」の「ゲブラー」の強制的な判決により解決されるという感じですかね。

そして、「10:運命の輪」が血液的な循環の性質、つまり体内の全てを巡るという性質は、
この「10:運命の輪」が、それより上位のものの性質を調停し、活性化し、精力を保つと
いうことを示唆しているわけであり、下っ端であまり目立たないのかもしれませんが、
上位世界においても、それなりに重要な役割を担っているということになります。

ちなみに、「木星」は、この「10:運命の輪」と、「ケセド」に割り当てられており、黄道
十二宮の間を、一年につき一つずつ移動するという、安定した動きをするのと、その
安定した明るさのため、太陽や月の次に重要な役割を持つと考えられています。

つまり、「木星」を制するものは宇宙を制するということであり、それゆえ「10:運命の輪」
を深く理解することは、宇宙の法則を知ることに繋がると考えられるわけですよね。
0393名無しさん@占い修業中垢版2020/03/20(金) 06:30:59.37ID:QCE6h36T
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 195) ---
Caph is a double letter, one of the "Gateways of the Soul."
「カフ」は、複字であり、「魂の出入り口たち」のうちの1つである。

To it are attributed the opposites of riches and poverty which could be considered
the natural fluctuation of the Jupiter forces on this Path.
それには、この「小径」の上の「木星」の力たちの自然な変動と考えられることのできる、
「富と貧乏」の反対物たちが帰属される。

Of course, the riches and poverty are not of this earth, they are of the soul itself.
もちろん、富と貧乏は、この地上のものではなく、それらは魂それ自身のものである。
--- ここまで ---

「double letter/複字」が「Gateways of the Soul/魂の出入り口たち」であるという
記述は、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』にあり、それは、人間の2つの目、
2つの耳の穴、2つの鼻の穴、そして口であるわけですが、「カフ」がそのどれである
かは、残念ながらワタシは知りません。
まあ、見た目だけで言うなら、「車輪眼」みたいですけどね。←ヲタク的思考w

あと、大アルカナは、地上世界とは無縁ですので、「10;運命の輪」の「riches and poverty
/富と貧乏」の属性が、地上における物欲的な貧富とは無縁のものであることは当然の
ことであって、あくまでも「星幽的三角形」に属する「人格」に関するものであることは、
容易に想像できます。
ついでに言うと、これはあくまでも個人的経験なのですが、「人格的な富」と「物質的な
富」とは、しばしば反比例する傾向にあります。
つまり、どちらかを強く求めすぎると、バランスを欠いてしまうという傾向があるので、
あまり人格的とか物質的とかの「貧富」にこだわらず、全体的なバランスというか節度を
保つというか、あまり深く考えない方が、幸せになれる感じがするわけですよ。
そして、「木星」の持つ12年毎の周期性、すなわち富は長く続かず、そして貧乏も長くは
続かないということも、ここでは考慮すべき点だと思われます。
0394名無しさん@占い修業中垢版2020/03/21(土) 06:21:43.30ID:GRSu1hYP
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 196) ---
As a word Kaph means fist.
言葉として、「カフ」は「握った手」を意味している。

It is the closed hand which symbolizes grasping comprehension, as well as the
completion of an activity or the closing of a circle.
それは、活動の完成、もしくは円を閉じることだけでなく、把握する理解を象徴している、
閉じられた手である。

It is closed, and yet it is in a state continuous motion, a cycle always in many
stages at the same time.
それは閉じられているが、それでいて、継続的な動きであり、同時に多くの段階において、
常に循環の状態にある。
--- ここまで ---

この「10:運命の輪」の「カフ」が、単なる「手」ではなく「fist/握った手」となっている
のは、「9:隠者」の「ヨッド」が「hand/(開いた)手」となっているからであり、それゆえ
「生命の木」を下界から登れば「握った手が開かれる」、そして天界から降りる時には
「開いた手が握られる」という状態遷移を引き起こすことになります。
つまり、天界の秘密は、ここで封印されていて、ここから下界に漏れることは無いという
スタンスであり、下界に住む我々が天界の秘密を解き明かすには、車輪の門番である
スフィンクスを攻略して、「握った手を開かせる」必要があるということでもあります。
まあ、どう考えても無理な話ですけどね。

とはいえ、「手」の封印は完全なものではなく、「秘密を握った手」の指の隙間からは、
「神秘エネルギー」が常に漏れ出しており、それがこの「車輪」の原動力となっていて、
さらにそれが下界全体の循環する生命エネルギーへと変遷していると推定することも
できるわけです。
つまり、「12:吊られた男」が、神秘エネルギーの蒸留と凝縮であったのに対し、これと対に
なる「10:運命の輪」は、握りつぶしや遠心分離による脱水・抽出という感じですかね。
0395名無しさん@占い修業中垢版2020/03/22(日) 06:42:27.69ID:Dzyl17zA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 196) ---
In this regard Kaph is the scarf covering the Dancer in the UNIVERSE card.
この点では、「カフ」は、「宇宙」のカードにおいて、「踊り子」を覆っているスカーフ
である。

Moreover it will be found that as Kaph is the closed hand, the card preceding it,
THE HERMIT (Yod) is an open one.
さらに、「カフ」は閉じられた手であるように、それに先行するカードである、「隠者
(ヨッド)」が、開いているそれであることが見つけられるであろう。
--- ここまで ---

「21:宇宙」のカードの、踊っている裸の女性像の多くは、秘部を何かで覆って描かれます。
ゴールデン・ドーン版やウェイト版、そしてマルセイユ版のニコラ・コンヴェル版などでは、
スカーフで覆うデザインとなっていますが、そのスカーフは「カフ」であるということです。
ちなみに、マルセイユ版のニコラ・コンヴェル版では、このスカーフの形状は、「カフ」の
文字の形となっています。
つまり、「21:宇宙」と「10:運命の輪」は、この「秘密の隠蔽工作」という点において、密接
な関係があるということであり、それは「21:宇宙」で隠されて描かれなかった女性像
の秘部は、この「10:運命の輪」において明らかにされるということであり、要するに、
「10:運命の輪」の車輪は、この女性像の○○○○そのものであることを意味します。

とはいえ、それはまだ「閉じられた○○○○」であって、下界に住む我々は、ここからさらに
奥に入るというか、「生命の木」の上に昇ることは出来ません。
つまり、次の「9:隠者」によって開かれるまで、我々はその先に立ち入ることが出来ない
ことになっているわけで、つまり下界の我々が容易に到達することの出来ない世界(ティ
ファレト)を通じてのみ、我々は中に入れるということになっているわけです。

とはいえ、下界に住む我々は、たとえ奥に立ち入ることは出来なくても、我々はそこから
流出してくる大いなる天界の秘密を充分に堪能し、その神秘エネルギーを享受することが
出来るわけですので、車輪に象徴される秘部を探索する価値は充分にありそうです。
0396名無しさん@占い修業中垢版2020/03/28(土) 06:22:51.22ID:Zcy+pUpj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 196) ---
The wheel, so important to this Path, is a very ancient symbol of life itself,
the very turning of which, in some systems, is a prayer.
この「小径」にとって、とても重要である輪は、生命それ自身の、はるか古代よりある
象徴であり、いくつかの体系たちにおいては、まさしくその回転は、祈りに他ならない。

It is the wheel of birth, death and rebirth.
それは、誕生、死、そして再生の輪である。

It is the wheel of karma.
それは業(カルマ)の輪である。
--- ここまで ---

「10:運命の輪」にある「wheel/輪」は、静的な「円」ではなく、動的な「車輪」であり、
それが生命、すなわち、誕生、死、そして再生という、一定のループ状の動きを司る象徴
であることは、容易に推察できると思います。
そして、この宇宙に(広い意味での)生命のある限り、それは止まることなく回転し続け、
それは時を刻むものということになります。

つまり、この「小径」は時間軸を形成するものであり、そして「時」の始まりは、「人格」
の発生に関係しているということになるわけです。
このことは、「時間」という概念は、客観的というか普遍的というものではなくて、
どちらかというと主観的というか局所的な概念であるということも言えるわけです。
さらに言うと、この「10:運命の輪」は、「倫理的三角形」から「星幽的三角形」へと流出
する最初の「小径」であり、それゆえ我々の住む世界である「四次元時空」で最初に
形成されるものは「時間軸」であるということになるわけですが、それは「時間」が
主観的な概念であるということとは矛盾しています。
つまりこの理屈によれば、宇宙の誕生には、上位存在である「神」の「主観」が必要と
されるわけですので、残念ながら、話はここで終わってしまうわけです。
まあ、「10:運命の輪」の謎は、我々には完全には解けないわけですからね。
0397名無しさん@占い修業中垢版2020/03/29(日) 05:51:48.15ID:Jzkieer2
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 196) ---
But it is emphatically not a wheel of chance or accidents.
しかし、それは断固として、偶然の運や思いがけぬ出来事などの輪では「ない」。

There are no accidents in the Universe, which is one of the key lessons of this
card.
「宇宙」には偶然の出来事などは全く無く、それはこのカードの鍵となる学課たちのうちの
1つである。

We are solely responsible for our own destinies.
我々は、我々自身の運命たちに対して、単独で責任がある。

Fortune provides us what we earn, which is not always pleasant.
運命は、我々に、我々が稼いだものを提供するが、それは常に楽しいものではない。
--- ここまで ---

「10:運命の輪」は、占い業界においては、「幸運」をもたらすカードであると言われて
いますが、カバラ的には、そういう下界における物質的な「幸運」という意味は無く、
あったとしても、生命の輪廻、すなわち誕生、死、そして再生の無限ループとしての
意味ぐらいしかありません。
要するに、次元が高すぎて、我々の個々の日々の運命を左右するというものではなく、
せいぜい「何のために生まれてきたのか」とか「何のために死ぬのか」ということを
考えるためのネタぐらいにしかならないということですよね。

そしてこれは、大海で生まれて、いつか浜に打ち上がって消えてしまう「波」ではなく、
この宇宙の誕生以来、ずっとコンスタントに回り続けている、宇宙生命の原動力である
「輪」であって、人智を越えた存在であることにも留意しておく必要があります。

何が言いたいかというと、人間界の世俗の占いにおいては、カバラ的に言えば、高次元
の「10:運命の輪」は、何の意味も持たないし、何も関係しないということなのですよ。
0398名無しさん@占い修業中垢版2020/04/05(日) 05:58:19.14ID:pMrZprWn
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

図31の説明文です。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 196) ---
Figure 31. Levi's Interpretation of the Wheel of Ezekiel (Redrawn from his Sanctum
Regnum)
図31。 「エゼキエルの輪」のレヴィ氏の解釈(彼の『神聖界』から再描画された)
--- ここまで ---

「10:運命の輪」の輪のデザインは、基本となるマルセイユ版や、ゴールデン・ドーン版、
そしてトート版は、「車輪」のイメージであるのに対し、ウェイト版では「Magic circle
/魔法円」のイメージとなっており、その元ネタになっていそうなものが、レヴィ氏の
著作である
『Dogme et rituel haute magie/高等魔術の教理と祭儀』1854-1856年発行
『La Clef des Grands Mysteres/大いなる神秘の鍵』1861年発行
『The Magical Ritual of the Sanctum Regnum/神聖界の魔術儀式』1892年発行
などに見ることができます。
正確に言えば、『神聖界の魔術儀式』は、レヴィ氏の没後、彼の同人誌的な著作の中から
タロットに関係ありそうなネタを、ウェストコット氏が拾い集めて出版したものです。

ウェイト氏は、なんだかんだ言っても、レヴィ氏の魔術ヲタ的なイラストレータ能力を
高く評価しており、レヴィ氏の色々な著作からパクって、いやいや参考にしながら、
ウェイト版カードをデザインしています。

そして、ウェイト氏が、なぜ従来の物理的な「車輪」ではなく、「魔術円」をモチーフに
したのかと言うと、要は、円の外は下界であり、円の中が天界であるということを示唆
しているわけであって、つまり、下界の我々は、この「10:運命の輪」の「魔術円」を通過
することで、天界へと到達することが可能である、言い換えると、「ネツァク」から
「ケセド」へと至る「小径」であることを示唆しているわけです。
とはいえ、そこは、一般人は絶対に立ち入ることの出来ない「Sanctum Regnum/神聖界」
ですので、しょせん絵に描いたモチであることは確かなんですけどね。
0399名無しさん@占い修業中垢版2020/04/12(日) 07:29:02.00ID:27oJfX34
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 196) ---
The key to the WHEEL OF FORTUNE is duality and the interchange of energies between
opposites which make the wheel spin.
「運命の輪」への鍵は、双対性、および輪を回転させる反対物たちの間の精力たちの交換である。

The wheel is the activity of all manifestation, as is symbolized in the Golden Dawn
version by the twelve spokes.
輪は、ゴールデン・ドーン版において12本のスポークたちにより象徴されるように、全ての
顕在化の活動である。

These are the Signs of the Zodiac, each in its correct Atziluth-Path color.
これらは、各々が、その正しい「アツィルト界の小径」の色である、「黄道十二宮」の
「宮たち」である。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版カードを持っている人のために、「アツィルト界の小径」の「黄道
十二宮」の色を書いておきますので、その理論的なデザインを堪能してみてください。。

・白羊宮:「4:皇帝」:Scarlet/緋色:左スポーク
・金牛宮:「5:法王」:Red Orange/赤橙色
・双児宮:「6:恋人たち」:Orange/橙色
・巨蟹宮:「7:戦車」:Amber/琥珀色:下スポーク
・獅子宮:「8:力」:Greenish-Yellow/緑がかった黄色
・処女宮:「9:隠者」:Yellowish-Green/黄色がかった緑色
・天秤宮:「11:正義」:Emerald-Green/エメラルド・グリーン:右スポーク
・天蠍宮:「13:死」:Green-blue/緑青色
・人馬宮:「14:節制」:Blue/青色
・磨羯宮:「15:悪魔」:Indigo/藍色:上スポーク
・宝瓶宮:「17:星」:Violet/菫色
・双魚宮:「18:月」:Ultra Violet Crimson/紫外深紅色
0400名無しさん@占い修業中垢版2020/04/13(月) 05:55:30.33ID:Ac/jsej5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 196) ---
The Crowley deck uses ten spokes to symbolize the totality of the Sephiroth, while
Waite uses a system of eight spokes based on twice four: the letters T A R O and
the [heh][vau][heh][yod].
クロウリー氏のデッキは、「セフィロト」の総計を象徴するために、10本のスポークを使い、
その一方で、ウェイト氏は、4の2倍に基づいた8本のスポークの体系を使う:T A R O および
[heh][vau][heh][yod]の文字たち。

The pattern of Waite's wheel is based on the Wheel of Ezekiel illustrated by Levi
in his Magical Ritual of the Sanctum Regnum, (*175) and described by the older
occultist in very complex terms:
ウェイト氏の輪の様式は、レビ氏により、彼の『神聖界の魔術儀式』(*175)において
説明された「エゼキエルの輪」に基づいており、非常に複雑な用語たちで、より年上の
神秘主義者により記述される:
--- ここまで ---

ちなみに、(*175)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
175. Eliphas Levi, The Magical Ritual of the Sanctum Regnum, translated and edited
by W.Wynn Westcott, New York, 1973, illustration facing page 40.
175. エリファス・レヴィ著、『神聖界の魔術儀式』、W.ウィン ウェストコット氏による
翻訳と編集、ニューヨーク、87ページ、1973年発行、図版は40ページに対向している。
--- ここまで ---
とあります。

つまり、この「輪」の中身については、マサース氏、ウェイト氏、クロウリー氏の間でも、
その解釈が異なる、すなわち、誰も本当のことは知らないわけであって、我々のような
一般人は、立入禁止というか、解釈不能というか、そもそも「神聖ニシテ侵スヘカラス」
なる秘密の領域であるということに他ならないわけです。
まあ、そう言われると、余計に見てみたいというのが、人間の性(さが)なんですけどね。
0401名無しさん@占い修業中垢版2020/04/15(水) 05:58:15.08ID:glfNsXA0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 197) ---
The Wheel of Ezekiel contains the solution of the problem of the quadrature of
the circle, and demonstrates the correspondences between words and figures,
letters and emblems; it exhibits the tetragram of characters analogous to that of
the elements and elemental forms.
「エゼキエルの輪」は、円の求積法の問題の解決を含み、そして言葉たちと図たち、文字たち
と象徴たちの間の対応を示す;それは、元素たちと元素の形たちのそれと相似の文字たちの
四文字語を表す。

It is a glyph of perpetual motion.
それは永久運動の象形文字である。

The triple ternary is shown; the central point is the first Unity; three circles
are added, each with four attributions, and the dodekad is thus seen.
3つの三つ組が示される;中心の点は最初の「単一性」である;3つの円たちが追加され、
それぞれが4つの属性たちを持ち、そして従って12のものが示される。

The state of universal equilibrium is suggested by the counterpoised emblems, and
the pairs of symbols.
普遍的な平衡の状態は、釣り合わされた象徴たち、そして記号たちの一組たちにより示唆
される。

The flying Eagle balances the man; the roaring Lion counterpoises the laborious
Bull.
飛行する「鷲(ワシ)」は、人と釣り合う;吼える「ライオン」は、勤勉な「雄牛」と
釣り合う。
--- ここまで ---

ここは、レヴィ氏の『The Magical Ritual of the Sanctum Regnum/神聖界の魔術儀式』
からの引用の箇所になります。(ここは、突っ込んだら負け、の箇所ですね。)
0402名無しさん@占い修業中垢版2020/04/16(木) 06:12:35.34ID:zEL4/2+4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 197) ---
Kether, the Crown, Tiphareth, Beauty; and Yesod, Foundation, form a central axis,
while Wisdom, Chokmah, equilibrium with Understanding, Binah; and the Severity
of Justice, Geburah, makes a counterpoise with the Mercy of Justice, Chesed. (*176)
「ケテル」、「王冠」、「ティファレト」、「美」;そして、「イェソド」、「基盤」は、
中心軸を形成し、その一方で、「知恵」、「コクマー」は、「理解」、「ビナー」と平衡し;
そして、「正義の峻厳」、「ゲブラー」は、「正義の慈悲」、「ケセド」と平衡を作る。
(*176)
--- ここまで ---

ちなみに、(*176)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
176. Levi, Magical Ritual of the Sanctum Regnum, 39-40.
176. レヴィ著、『神聖界の魔術儀式』、39-40ページ。
--- ここまで ---
とあります。

長い引用ですが、そもそも理解不能なものですので、あまり参考にはならないです。

とはいえ、ウェイト版の「運命の輪」は、このレヴィ氏の「エゼキエルの輪」のパクりで
あることは明白ですので、興味のある人は、色々と深掘りしてみてください。

いずれにしても、この「輪」は、我々の住む世界というか、我々の日々の生活とは、ほぼ
何の関わりも無いシロモノですので、ワタシごときが語れるようなネタは、あまり無いん
ですよね。
まあ、一部の業界の人々にとっては、こういうのは、格好の「何でもありの大盛りテンコ
盛り大法螺吹きネタ」になるんでしょうけど、まあ、そういう感じですしおすし。

コロナ騒動でも、アレな「専門家」とか、一部の「声の大きい人」とか、ヒステリックに騒ぐ
人ばかりが注目されていて、そういう人達こそ自粛してほしいなぁ、とか思うわけでした。
0403名無しさん@占い修業中垢版2020/04/18(土) 06:28:35.03ID:khKrQTcw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 197) ---
Insofar as dualities in active manifestation are implied here, it might be suggested
that two wheels would better describe what is intended than one: i.e., one wheel
interlocked in another like a gyroscope, each turning in different directions.
活動的な顕在化の双対性たちが、ここに暗示されている限り、2つの輪たちが、1つもの
よりも、意図されるものを、より良く説明できるであろうことが提案されるかもしれない:
すなわち、1つの輪が、ジャイロスコープのように、別のものに連結され、各々が、異なる
方向に回転する。

This really illustrates what is meant by the Intelligence of Conciliation.
これは、「調停の知性」により意味されるものを、本当に説明する。

It is the mediation of activity between rotating opposites.
それは回転する反対物たちの間の活動の調停である。
--- ここまで ---

「生命の木」の回転(スピン)については、
・「ケテル」:自転
・「至高の三角形」:「ケテル」を軸とした「コクマー」と「ビナー」の回転
・「倫理的三角形」:「ティファレト」を軸とした「ケセド」と「ゲブラー」の回転
・「星幽的三角形」:「イェソド」を軸とした「ネツァク」と「ホド」の回転
・「生命の木全体」:「中央の柱」を軸とした「慈悲の柱」と「峻厳の柱」の回転
というものが考えられます。
つまり、単なる「duality/二重性」というよりも、各階層毎に存在する「dualities/
双対性たち」が、回転運動に関係しているということですよね。
そして、それらの回転軸は、それぞれ次元の違うものですので、その回転軸は同じでは
ないというのも、まあ当然と言えば当然なんですよね。
つまり、「エゼキエルの輪」は、そういう次元の異なる階層化された「活動的な回転運動」
を表現しているということなのですが、だから何なの、と言われると、そもそも上位世界
の話ですので、ワタシには何のことか分かりません、としか答えられないのでした。
0404名無しさん@占い修業中垢版2020/04/19(日) 05:59:06.31ID:Ol/qgcZ4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 197) ---
Rotation, in this sense, means a sequence, something which begins and ends and
then begins again.
「回転」は、この意味においては、連鎖であり、始まりと終わり、そしてそれから再び
始まる何かを意味する。

This means periodicity, rhythms of activity as well as cause and effect, what the
Golden Dawn text calls the "counterchanging influence of Light and Darkness."
これは、ゴールデン・ドーンの本文が、「『光』と『闇』の入れ替わる影響力」と呼ぶ
ものや、原因と結果と同様に、周期性、活動の律動たちを意味する。
--- ここまで ---

ちなに、この「ゴールデン・ドーンの本文」というのは、『The Golden Dawn/黄金の
夜明け魔術全書(下巻)』の『THE TAROT TRUMPS/タロー・トランプ」にあります。

さて、「periodicity/周期性」を持つ運動と言えば、「Vibration/振動」と「Rotation
/回転」があるわけですが、この「10:運命の輪」は、単純な「振動」ではなく「回転」
がモチーフとなっています。
なぜ「振動」ではなく「回転」なのかと言うと、要は「振動」が一次元的なのに対し、
「回転」は、それ以上の次元数を持つ、つまり「右」か「左」か、「光」か「闇」か、
といった二元論的なものではなくて、少なくとも三つの様相、一般的には「東西南北」
とか「上下左右」とか「春夏秋冬」とか「士農工商」とか「絶対領域」というような
四文字熟語で表される多面的様相の循環体系を意味しているわけです。

ちなみに、ワタシには、この「10:運命の輪」は、これと補完関係にある「12:吊られた
男」が蒸留装置に見えるのに対して、「遠心分離装置」に見えているわけであり、それら
の働きにより、神秘的清留物なのか神秘的廃棄物なのかは知りませんが、何か得体の知れ
ないものが、上位世界から、我々の住む下界にもたらされるようなイメージがあります。
まあ、それが上位世界のウンコであったとしても、下界にとっては間違いなく「お宝」で
あることは確かだとは思いますけどね。
0406名無しさん@占い修業中垢版2020/06/09(火) 06:03:37.21ID:/X/GEhmg
>>405
カキコありがとうございます。 (^^)/

病気とか体調不良とかいういうことではなくて、単に仕事の締め切りが近くて、
時間的かつ精神的な余裕が無いというのが原因ですので、ご安心ください。

今のところ、7月中には復帰できる予定ですので、いましばらくお待ちください。
0408名無しさん@占い修業中垢版2020/07/22(水) 06:17:08.08ID:iTuPcZL+
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 197) ---
Waite describes this activity as "the perpetual motion of a fluidic universe. . .
the flux of human life.
ウェイト氏は、この活動を、以下のように評する。「流動的な宇宙の永遠の動き. . .
人間の人生の流転。

The Sphinx is the equilibrium therein."
スフィンクスは、その中で平衡を保つ。」
--- ここまで ---

ウェイト版の「10:運命の輪」は、前にも述べたように、レヴィ氏の著作をベースにして
いるのですが、いくつかのマイナー・バージョンアップがあります。

一つは、車輪の外輪と内輪の接続を外して、ジャイロスコープのように、外界に関係なく、
内輪が自由に回転できるようにしたことであり、これは、内輪が我々の世界とは独立した
聖域、すなわち真の神の世界であることを明確化したものです。
もう一つは、「スフィンクス」が、寝そべった姿から、座った姿に変えられたことです。
これは、「静的な姿」から「より動的な姿」への変化であって、この「スフィンクス」が、
外輪で示される宇宙の動的な回転運動に、しっかり対応しているというか、さらに言えば、
「内輪の神の世界」から遣わされた「下界を支配する、神の代理大使」の姿であることを
明確に示しているというわけですかね。
まあ、「スフィンクス」は、人(知恵)と獣(力)との合体合成クリーチャーであること
からも、神が下界に遣わせた代理人の代表としては、ふさわしいのかもしれません。

ちなみに、輪にまとわりつく、他の2つのクリーチャーは、蛇に姿を変えた「テュポン」と、
犬の頭を持つ「ヘルマニュビス」であり、いずれも地下世界を司る神となっています。
見方を変えれば、「スフィンクス」は、回転により「テュポン」や「ヘルマニュビス」が
上昇して、輪を完全に支配しないように、上から監視しているようにも見えるわけで、
この3つのクリーチャーが、お互い微妙な立ち位置で、せめぎ合って均衡を保ちながら
活動しているという、一触即発的な不安定さを併せ持っているとも言えるわけですよね。
0410名無しさん@占い修業中垢版2020/07/23(木) 06:20:32.33ID:f7zRrRc1
>>409
カキコありがとうございます。(^^)/

まだまだ多忙状態が続いていて、本格復帰は、もう少し先になりますが、
ヒマを見つけて、ボチボチ書いていこうと思っております。
0411名無しさん@占い修業中垢版2020/07/23(木) 06:22:26.54ID:f7zRrRc1
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 197) ---
The Sphinx is the stable element in the midst of change.
「スフィンクス」は、変化の最中において安定している要素である。

Thus in both the Crowley and the Waite cards it sits at the very top of the Wheel.
従って、クロウリー氏とウェイト氏のカードたちの両方では、それは、「輪」のまさしく
最上部に座っている。

In the Golden Dawn card, however, it is removed from the Wheel entirely.
ゴールデン・ドーン版カードにおいては、しかしながら、それは、「輪」から完全に外され
ている。
--- ここまで ---

マルセイユ版、ゴールデン・ドーン版、ウェイト版、そしてトート版の「10:運命の輪」は、
それぞれに特徴があって面白いのですが、ここでは、特に「スフィンクス」の立ち位置の
違いというものについて比較しています。

この立ち位置の違いは、要は、「役割の違い」ということであり、それは我々にとっては、
どう「役に立つ」のかどうかの違いでもあります。
とはいえ、ここでの知識を役立てることの出来る人は、ごく一部ですので、ほとんどの人に
とっては、どうでもいい違いでもあるわけです。

かく言うワタシにとっても、もはやどうでもいい違いなのですが、ワタシの個人的な有用度
というか分かりやすさという点では、
 ウェイト版>マルセイユ版>トート版>ゴールデン・ドーン版
という序列になっております。
まあ、ワタシのレベルが低すぎて、ウェイト版のスフィンクスしか相手にしてもらえない
ということでもあるのですが、ウェイト版のスフィンクスが、かなり幅広い概念を持つ、
ユニバーサルデザインになっているという点も、初心者向けとしては、かなり良く出来た
図案ではないかと思っているのでした。
0412名無しさん@占い修業中垢版2020/07/24(金) 06:34:29.30ID:Ar4IrcUC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 197) ---
While Crowley and Waite emphasize the Sphinx as a balancing phase of cyclic energy,
the Golden Dawn card emphasizes its role as the guardian of the gateway of the
mysteries, holding the secret of life and death.
クロウリー氏とウェイト氏が、周期的な精力の釣り合いの面としての「スフィンクス」を
強調する一方で、ゴールデン・ドーンのカードは、神秘的教義の出入口の守護者としての、
その役割を強調し、生と死の秘密を保持する。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の「スフィンクス」の立ち位置というか役割りは、他の版とは少々
異なります。
それは、下にある「Plutonian cynocephalus/、冥界の犬の頭を持つ生物(猿?)」
(以下、「犬頭猿」という)と対を成し、輪から離れた位置で、空中に静止しています。
背景色のグラディエーションからは、「輪」が高次元で回転していて、低次元にある
「スフィンクス」と「犬頭猿」が、下界の「生」と「死」を監視しているように見えます。

つまり、他の版の「スフィンクス」が、「輪」から直接エネルギーを受けて下界に流して
いる実務者の役割も併せ持つのに対し、ゴールデン・ドーン版の「スフィンクス」は、
単なる管理者というか傍観者的なふるまいをしているということであり、下等な人間共の
意見なんぞ聞の耳を持たないような、実に冷酷無比な感じを受けるわけですよ。
そういう意味では、ゴールデン・ドーン版とウェイト版は対極的であり、ウェイト版の
愛想の良さそうなスフィンクスには、ワタシ的には好感が持てるわけですが、このあたり
は、「ツンデレ」好きか、「ウザかわ」好きかという、単なる好みの違いとも言えます。

とはいえ、「スフィンクス」の究極的な役割自体は、どの版においてもほぼ同じであり、
「ここから先は、一般人は立入禁止であり、通ろうとするものは、全て排除」が基本です。
つまり、この「輪」は、一般人にとって極めて危険度の高いものであって、ある程度の
ソーシャル・ディスタンスを保ちながら、このカードと付き合っていくことが必要と
されるということですよね。
0413名無しさん@占い修業中垢版2020/07/25(土) 06:52:26.58ID:HFOoEkMI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 197) ---
This interpretation is a later (largely Greek) one, colored to some extent by
eighteenth century romanticism.
この解釈は、18世紀のロマン主義により、ある程度誇張された、後世の(主にギリシャでの)
ものである。

In Egypt the Sphinx was originally a portrait of the Pharoah, symbolizing his great
power (the lion's body) over adversaries.
エジプトでは、「スフィンクス」は、元来は「ファラオ(エジプトの王)」の肖像であり、
敵対者たちを越える、彼の大きな力(獅子の体)を象徴していた。

This view is corroborated by numerous reliefs in which the Sphinx-Pharoah is shown
vanquishing his enemies.
この見解は、「スフィンクス−ファラオ」が、彼の敵たちを打ち負かしていることを表す、
数多くのレリーフたち(浮き彫り細工)により確証される。
--- ここまで ---

二番目の文の「Pharoah」は、「Pharaoh/ファラオ」の誤記ですかね。

さて、元々の「スフィンクス」の持つ意味は、「ファラオ」自身が特撮ヒーローのように
変身して敵と戦う姿であるということであり、本来は、守備表示ではなくて、攻撃表示で
現世での相手に出すべきカードだったようです。

とはいえ、その巨大像がピラミッドの守護者として象徴的に使われ、それが遺構として
後世に残されたために、後代の西洋の人々は、それに守備表示での様々な妄想的属性、
すなわち「神に最も近い神獣」という準神格化を、「ロマン主義」の名のもとにデッチ上げ
ていったというのが真相ですかね。
そして、その神秘的守備属性が、タロットにもパクられて、いやいや聖なる象徴として
採用され、「10:運命の輪」の守護神獣として、「真・神界」の入り口に門番として鎮座する
ようになったということなのでしょうね。
0414名無しさん@占い修業中垢版2020/07/30(木) 06:08:00.85ID:ooYgnGk1
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 197) ---
The best known Sphinx is that presumed to be Cheops, who built the Great Pyramid
about 2500 B.C.
最もよく知られている「スフィンクス」は、紀元前2500年頃に「大ピラミッド」を建設した、
クフ王であると推定されている

When the Greeks saw this monumental sculpture, more than 1500 years later, they
took it to mean all that was mysterious and magical, a sense reflected in the
tale of Oedipus on the road to Thebes.
ギリシャ人たちが、1500年以上後に、この記念碑的な彫刻を見た時、彼らは、それは全て
神秘的で魔法的であることを意味すると受け取り、その感覚は、テーベへの道での
オイディプス王の物語に反映された。
--- ここまで ---

元々のエジプトでの「スフィンクス」は、エジプト王の頭部と、雌ライオンの胴体を持ちつ
聖なる二体合成獣であって、正義の味方、すなわち権力側に従順な面があり、それゆえ、
王の亡き後、ピラミッドの警備を任じられるほど、権力者のからの信頼は厚かったわけです。

一方、そういう元ネタを知らない、後世のギリシア人たちは、この過去の巨大遺物である
「スフィンクス像」を見て、自分勝手な妄想を始め、そして様々な物語や絵画や彫刻の中で、
この「スフィンクス」をネタにした創作活動を行っています。
そして、その中で最も有名なものは、ギリシア神話に出てくる、オイディプス王の物語なの
ですが、ここで「スフィンクス」の扱いは、小悪魔的害獣&ザコキャラ扱いとなっています。

まあ、元々が、半人半獣というか半神半悪魔的な幻想的創作キャラですし、そういう
意味では汎神的であって、どちらかというと進化しきれていない野性味のある半人半馬の
ケンタウロス族との棲み分けも出来ていますし、そういう感覚の中では、次元を超越した
不可思議なる「神的存在」として認識されやすいのではないかと思うのでした。

つまり、「スフィンクス」は、タロットのネタとしても最適であるということなんですよね。
0415名無しさん@占い修業中垢版2020/07/31(金) 05:52:14.30ID:NsPZWVDW
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 197) ---
The Sphinx barred the road and asked each traveler the question: What walks on
four legs in the morning, two legs at noon, and three legs in the afternoon?"
「スフィンクス」は道路を封鎖し、各々の旅行者に以下の質問をした:「朝は四本足、
昼は二本足、そして午後は三本足で歩くものは何ですか?」

Those who failed to answer the question were destroyed.
質問に答えることに失敗した人々は滅ぼされた。

Oedipus, however, knew that the answer was man, himself, who crawls in childhood,
walks on two legs in adulthood, and uses a cane in old age.
オイディプス王は、しかしながら、答えは、幼少期には這い、成人期には二本足で歩き、
そして老人期には杖を使う、彼自身である、人であることを知っていた。
--- ここまで ---

この「スフィンクス」絡みのギリシア神話は有名ですので、特に説明しなくてもいいと
思いますが、この「人」について質問には、一点、欠けているものがあります。

それは、人は「夜」すなわち、死後は足で歩かないということであり、この質問を欠いて
いるということは、「スフィンクス」は「夜」すなわち「冥界」の支配者ではないという
ことを意味しているわけです。

要は、「10:運命の輪」を、人の一生とするならば、「スフィンクス」の担当範囲は、
人の「誕生」から「死」の瞬間までであり、「死」からの「腐敗」や「回帰」そして
「甦り」の部分は、他の神々の担当となっているわけです。

つまり、「10:運命の輪」は、「スフィンクス」が偉そうに「輪」のトップの座に君臨
しているように見えますが、実はそれは決して「偉い」とか、他の神よりも上位に位置
しているとかいうわけではなく、単に、「朝から夕方」の昼勤専門であって、夜勤は
他の神々が働いているという、単なる勤務シフトの都合であると考えられるわけです。
0416名無しさん@占い修業中垢版2020/08/02(日) 06:53:32.20ID:o6Muu+cA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 198) ---
The response of the Sphinx to Oedipus' correct answer was to throw itself into
the sea, an action replete with meaning for the student of the Qabalah.
オイディプス王の正しい回答に対する「スフィンクス」の反応は、自分自身を海の中に
投げ込むことであり、「カバラ主義」の学徒にとっては、意味に満ちた行動であった。
--- ここまで ---

この、オイディプス王のギリシア神話に出てくる「スフィンクス」は、元来のエジブト
起源の「スフィンクス」とは、全く異なることに注意が必要です。

ギリシア神話の「スフィンクス」は、若い人間の女性の顔と豊満な胸を持つ姿で描かれる
ことが多く、タロットも、それに準じた描かれ方をしています。
つまり、タロットが作られた時代は、元来の「王の守護神獣」ではなく、人々を惑わせたり、
人類進化の行く手を阻む悪魔的存在として認識されていたと考えるのが自然です。

とはいえ、そういうふうに素直に考えないのが、「student of the Qabalah/カバラ主義
の学徒」であるわけで、周囲の安直な意見に流されることなく、その「意味に満ちた行動」
について、色々と妄想を膨らませて、新たな解釈を生み出していくわけです。
つまり、この「オイディプス王とスフィンクス」の話は、タロットの解釈のネタ元として
重要なのですが、これをそのまま、うわべだけの理解のままで、地上世界での話として、
タロットを解釈してしまうのは、完全なる勘違いであることに注意してください。

要は、オイディプス王に倒された「スフィンクス」は、「奴は四天王の中でも最弱」な
存在であって、しょせん地上世界に顕現したザコキャラでしかないわけです。
その一方、タロットに描かれた「スフィンクス」は、地上には顕現しない最強クラスで
あり、人には倒すことは出来ない存在です。

結果的に、この神話ネタから派生したカバラ的妄想は三者三様になってしまうため、
マルセイユ版を元に、ゴールデン・ドーン版、ウェイト版、トート版、それぞれ三者三様
の解釈を持つ「スフィンクス」が描かれるということになっているわけでした。
0417名無しさん@占い修業中垢版2020/08/04(火) 05:44:48.28ID:ZoQMlOVz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 198) ---
The Greeks brought one important modification to the Sphinx image.
ギリシア人たちは、「スフィンクス」の像に、一つの重要な修正を、もたらした。

What was originally the portrait of a pharoah on a lion's body became a woman on
the body of a male lion.
元々は、ライオンの胴体にファラオの肖像であったものは、雄ライオンの胴体の女性になった。

Thus, the Sphinx came to represent not only man with the raw power of the animal
kingdom, but also a balance of male and female in the same form. (*177)
従って、「スフィンクス」は、動物界の生々しい力を持つ人間だけでなく、同じ姿の中に、
男性と女性の均衡も、表現するようになった。 (*177)
--- ここまで ---

ちなみに、(*177)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
177. "Sphinx," Oxford Classical Dictionary, 1009.
177. 「スフィンクス」、『オックスフォード古典辞典』、1009ページ。
--- ここまで ---
とあります。

元々のエジプト版「スフィンクス」が、「人間界最強のファラオ」と「動物界最強のライ
オン」という、「人智」と「野生パワー」の伝統的結合であったのに対し、ギリシア版では、
「魅力的な人間女性」と「雄ライオン」の組み合わせという、エロスのパワー全開となる
組み合わせになってしまっています。
とはいえ、ギリシア人は、おっぱいが大好きですので、こういう小難しい話は抜きで、
おまえら、おっぱい描きたかっただけだろ、とか思ってしまうのでした。
それに、現代でも、何でもおっぱいキャラ化してしまう、○これとか○○フレとか○マ娘
というような事例も数多くありますので、手当たり次第のおっばいキャラ化の流れは、
今も昔も変わらない普遍的な妄想行為、いやいや二次創作活動だと思うのでした。
0418名無しさん@占い修業中垢版2020/08/05(水) 06:15:26.20ID:82RBWkHk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 198) ---
The special importance of the Sphinx to the Golden Dawn is discussed in the Order's
papers on the Enochian Mysteries:
ゴールデン・ドーンでの「スフィンクス」の特別な重要性は、「エノク魔術の神秘的教義」
に関する団の文書たちにおいて、以下のように論じられている:
--- ここまで ---

「スフィンクス」に限らず、当時の「エジプト」ネタは、そのほとんどがデッチ上げ、
いやいや考古学的妄想のたまものというか、ワイドショーでの現場レポートみたいな、
とにかくネタとして面白ければ何でもいいみたいなところがありましたので、正直言って、
ワタシ的には、あまり深入りしたくない領域というか、それらの主張をそのまま素直に
受け取らず、なぜそういうこと、つまり「スフィンクス」を話のネタとして取り入れる
ことがなぜ必要だったのかを考えながら、作者の意図を読み解いていくという感じに
なっています。
そして、「エノク魔術」についても同じスタンスです。

つまり、ワタシとしては、「カバラ」ネタよりも、「エジプト」ネタや「エノク魔術」
ネタの方が、電波度が数段高いと考えているからであり、そういう電波度の高いものを
取り扱うには、それなりの覚悟というか、要は、ハマる覚悟が必要であるということ
なんですよね。

残念ながら、ワタシにはそういう覚悟も時間も知恵もありませんし、今はとりあえず
「カバラ」ネタに専念しようと思いますので、「スフィンクス」と「エノク魔術」の関係に
ついては、話のネタとして、さらりと紹介するだけに留めておきたいと思います。
ちなみに、「スフィンクス」と「エノク魔術」については、『黄金の夜明け魔術全書』の
「エノク魔術」に関する項でも言及されていますので、興味のある方は見てください。

ということで、以下は、妄想パワーにより究極完全無敵モードとなった「スフィンクス」を
礼賛する、団の文書からの引用となります。
0419名無しさん@占い修業中垢版2020/08/06(木) 06:08:21.60ID:H8phNqFE
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 198) ---
Now learn a mystery of the Wisdom of Egypt.
さあ、「エジプトの知恵」の神秘を学びなさい。

'When the Sphinx and the Pyramid are united, thou hast the formulae of the Magic
of Nature.
『「スフィンクス」と「ピラミッド」が結合される時、そなたは、「自然の魔法」の公式
たちを持つ。

"These are the keys of the wisdom of all Time; and its beginning - who knoweth it?
これらは、全ての「時」の知恵の鍵たちである;そして、その始まり − それを知るのは
誰であるのか?

In their keeping are the sacred mysteries and the knowledge of Magic and all the
Gods.'
それらが保管するものの中に、「魔法」と全ての「神」の神聖なる神秘的教義と知識が
ある。』
--- ここまで ---

二重引用符の対応が付いていない箇所がありますが、そこは翻訳では無視しています
ので、ご注意ください。

さて、この文章で分かるのは、「スフィンクス」と「ピラミッド」が本当に「魔法」に
関係しているのかはともかくとして、ゴールデン・ドーン内部での表現上のお約束事と
しては、それは「formulae of the Magic of Nature/『自然の魔法』の公式たち」、
すなわち「宇宙の全ての法則」を象徴するシンボルであると定義されているわけです。
つまり、「ピラミッド」は神秘の保管庫であり、「スフィンクス」は保管庫の「鍵」に
相当すると考えることも出来るわけで、こういうのって、何となく、謎解きのロール
プレイングゲームに通じるのではないかと、勝手に妄想してしまうのでした。
0420名無しさん@占い修業中垢版2020/08/07(金) 05:58:34.50ID:IcqVIIyp
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 198) ---
In the ritual of the 32nd Path leading into the Theoricus Grade, it is thus written.
従って、「セオリカス(理論者)位階」へと導いている「32番目の小径」の儀式において、
このように書かれている。

"The Sphinx of Egypt spake and said: I am the synthesis of the Elemental Forces.
「エジプトのスフィンクス」は語って言った:私は「元素の力たち」の統合体である。

I am also the symbol of Man.
私はまた、「人」の象徴でもある。

I am Life.
私は「生命」である。

I am Death.
私は「死」である。

I am the Child of the Night of Time. (*178)
私は「時の夜の子」である。 (*178)
--- ここまで ---

ここでも、二重引用符の対応が付いていない箇所がありますが、翻訳では無視しています。

さて、最後の文は、「21:宇宙」の称号である「The Great One of the Night of Time/
時の夜の偉大なるもの」の子供版となっていますので、「スフィンクス」は「宇宙」の
創造者の子=代理人であるという解釈が可能です。
そして、「21:宇宙」ではカードの四隅に「四大元素」の象徴、そして中央に「生と死」に
関わる女性像が描かれていますが、「10:運命の輪」では、それらは高次元で統合されて、
本来の「スフィンクス」の姿として、上脇に置かれ、そして、「21:宇宙」では背景にあって
近づくことが出来なかった「輪」が、「10:運命の輪」では、ついに前景に来ているわけです。
0421名無しさん@占い修業中垢版2020/08/08(土) 06:26:33.04ID:YKCcg27b
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

ちなみに、(*178)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
178. Unpublished Enochian papers of the Hermetic Order of the Golden Dawn.
178. 「ヘルメス主義団体ゴールデン・ドーン」の未刊行のエノク魔術の文書。

Here, again, it is necessary to distinguish the historical reality from that which
is entirely valid symbolism.
ここでも、再度、歴史上の事実と、完全に効果のある象徴主義であるものとを区別する
必要がある。

Mathers seems to have invented more than one of the "Egyptian Mysteries," though
he has done so using sound metaphysical principles.
マサース氏は、「エジプトの神秘的教義」を2つ以上発明してしまったように見えるが、
けれども、彼は、健全な形而上学の原則たちを使用してそれを行っていた。
--- ここまで ---
とあります。

最後の文は、婉曲的に言い訳がましい感じがありますが、元々が魔術ネタですし、そもそも
当時のエジプトに関する情報は、そのほとんどが科学的根拠に欠ける「考古学的」なもので
あって、ほぼ想像上の産物というか、自称有識者の思い込みによるデッチ上げでしかありま
せんでしたので、マサース氏が、エジプトを悪用したと思う人は、まずいないわけです。

とはいえ、当時の、そういう根拠の無い漠然とした神秘的イメージのある「エジプト」ネタ
は、イメージ重視の新作芸術的な魔術には、極めて有用、つまり実用的なネタであり、
それに着目したマサース氏は、実に優秀な脚本家であったと思うのでした。

ということで、そういう「形而上学の原則」の観点で、この「10:運命の輪」を見直して
みると、色々な妄想が、かき立てられます。
ワタシとしては、「21:宇宙」の背後に描かれた、ぱっくり開いた縦長の「輪」と、「10:
運命の輪」のヒダヒダの丸い「輪」との関係性に、とても興味があるのでした。
0422名無しさん@占い修業中垢版2020/08/09(日) 09:39:13.24ID:OJaE49xn
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 198) ---
Most original here is the concept that the Sphinx is the synthesis of the Elemental
Forces (recalling the Pentagram, symbol of man, which is the Spirit above the four
Elements.
ここで最も独創的なのは、「スフィンクス」が、(4つの「元素たち」の上の「霊」であり、
人を象徴である、「五芒星」を想起する)「元素の力たちの統合体」であるという発想である。

In fact, the documents state that there are four forms of the Sphinx: Bull, Eagle,
Man and Lion. (*179)
実際に、文書は、「スフィンクス」の、以下の4つの形態たちがあると述べる:「雄牛」、
「鷲(ワシ)」、「人」、および「獅子」。 (*179)
--- ここまで ---

ちなみに、(*179)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
179. This idea is also expressed in the Enochian papers.
179. この考えは、「エノク魔術」の文書たちにおいても表現されている。
--- ここまで ---
とあります。

元々、「スフィンクス」は、想像上の合体合成獣であり、ギリシア時代には、上半身は
人(豊満な胸を露出した女性)、下半身は雄ライオン、背中にはワシの羽根、そして尻尾は
蛇になったりしていて、ある時は天使、またある時には野獣や悪魔のように振る舞います。
つまり、何でもありの最強無敵モードとなった完全体のセルのような存在なのです。

そして、その完全体の持つ最強モードの最大の象徴が「おっぱい」であることに疑問を
持つ人はいないと思いますし、それに、「21:宇宙」では、片側を布で隠されていたのが、
「10:運命の輪」でも半身しか見せていないというのは、どう見ても訳ありにしか見えない
「おっぱい」なのですが、残念ながら、それは「最高機密事項」のようで、ワタシには
その理由が分かっていないのでした。
0423名無しさん@占い修業中垢版2020/08/10(月) 09:06:47.51ID:pXG35bNG
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 198) ---
It is not entirely clear why Waite has shown these animal symbols holding books,
although we must assume this to be a reference to the Four Gospels.
なぜ、ウェイト氏が、これらの動物たちの象徴が、本たちを保持するのを見せ続けている
のかは完全には明らかではないけれども、我々は、これを、「四福音書たち」への参照で
あると推測するに違いない。

The Lion, Eagle, Man, and Bull, found in the vision of Ezekiel, (*180) and possibly
of Assyrian origin, were taken by Christianity to represent the Four Evangelists,
Matthew, Mark, Luke and John.
「エゼキエル(*180)」の幻視や、ことによるとアッシリア起源の中で見つけ出される、
「獅子」、「鷹」、「人」、および「雄牛」は、「四福音伝道者たち」である、マタイ、
マルコ、ルカ、およびヨハネを象徴すると、キリスト教により受け取られた。
--- ここまで ---

ちなみに、(*180)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
180. Ezekiel, 1.4-28.
180. 『エゼキエル書』1:4-28。
--- ここまで ---
とあります。

『旧約聖書:エゼキエル書』は、紀元前6世紀頃のバビロン捕囚時代に書かれたと言われて
いるファンタジー文学書、いやいや予言書の一つであり、その中に出てくる、人と獅子と
牛の四つの顔と翼を持つ生き物の描写は、その後のファンタジー文学(『新約聖書』を含む)
にも、多大な影響を与えています。
ちなみに、この『エゼキエル書』に出てくる「四つの顔と翼を持つ生き物」の元ネタは、
古代エジプトの「スフィンクス」そのものではなく、後代のアッシリア/バビロニアで
リメイクされた「スフィンクス改」だと思われますが、いずれにしても、この手の合体
合成獣の起源は、古代エジプトの「スフィンクス」であるという結論で良いと思います。
0424名無しさん@占い修業中垢版2020/08/11(火) 06:13:28.93ID:c3G3p5ye
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 198) ---
And when the Kerubiim are shown holding books, it means the different aspects of
Christ about which each Evangelist wrote. (*181)
そして、「ケルビム(智天使たち)」が本たちを保持しているのを見せられる時、それは、
各々の福音伝道者が書いたキリストの異なった面たちを意味する。 (*181)
--- ここまで ---

ちなみに、(*181)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
181. The Middle Ages defined the reasons for the attribution of the animals:
181. 中世は、動物たちの帰属の理由を定義した:

Matthew is the Man (symbol of Air in the Qabalah) because he wrote about the most
human qualities of Christ;
マタイは、彼はキリストの最も人間的な品質たちについて書いたので、「人(カバラ主義に
おける「空気」の象徴)」である。

Mark is the Bull (symbol of Earth) because he wrote about Christ as a beast of
burden, carrying the weight of mankind;
マルコは、彼はキリストについて、人類の重荷を背負う、重荷の獣として書いたので、
「雄牛(「地」の象徴)」である。

Luke is the Lion (symbol of Fire) because he described the passionate side of
Christ and John is the Eagle (symbol of Water) because he wrote of Christ in a
mystical way, soaring above all heads.
ルカは、彼はキリストの情熱的な側面について記述したので、「獅子(「火」の象徴)」
であり、ヨハネは、彼は全ての頭たちの上を飛び回る、神秘的な方法でキリストに
ついて書いたので、「鷲(「水」の象徴)」である。
--- ここまで ---
とあります。
0425名無しさん@占い修業中垢版2020/08/12(水) 06:17:12.45ID:yU8ugE/F
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

本文の「Kerubiim」は、「Kerubim/ケルビム」の誤植ですかね。

さて、なぜキリスト教の四福音書の著者たち、そして四大元素が、この『エゼキエル書』
に出てくる四つの顔を持つ有翼の「ケルビム」(人、雄牛、獅子、鷲)に関連付けされて
いるのかと言うと、それは『エゼキエル書』が、「キリストの復活と降臨」の公式予言書
であって、キリスト教にとっては、必要不可欠というか、建前的というか大義名分というか、
要するに最も重要視される「証拠文書」であるという認識があるからです。

つまり、キリスト教にとって、この『エゼキエル書』とは、四福音書を基礎にしたイエス・
キリストの復活劇の台本そのものであるということが言えるわけです。
そして、『エゼキエル書』を元ネタにして、その後、色々な黙示文学的ファンタジー作品が
創作されていき、その後のタロットにも影響しているということなんですよね。

さて、『エゼキエル書』には、この「ケルビム」の他にも、重要なアイテムが出てきます。
それは「一つの輪」であり、この「10:運命の輪」のメインテーマになっているものです。

要するに、タロットの「10:運命の輪」の本質は、『エゼキエル書』のエッセンスを図案化
したものであり、「神の降臨劇」という、上から下への、ほぼ一方通行の流れを表します。
それはつまり、人は、この「神の輪のステージ」へは決して昇れないということであり、
下層の我々は、それを下から見上げることしか出来ない存在であるということですよね。
0426名無しさん@占い修業中垢版2020/08/13(木) 07:10:59.49ID:UFb0vQuB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 198) ---
Here Waite may be extending an assertion by Levi that the Wheel is comparable to
the Greek monogram of Christ.
ここで、ウェイト氏は、「輪」は、キリストのギリシアのモノグラム(組み合わせ文字)に
相当しているという、レヴィ氏による主張を拡張しているのかもしれない。

What is important, at any event, is the amalgam of Four Elements on this Path.
重要なものは、いずれにせよ、この「小径」の上での「四大元素」の合成物である。
--- ここまで ---

ウェイト版は、その絵柄を見ても分かるように、元となるゴールデン・ドーン版とは若干
異なるアプローチとなっています。
それぞれの版で特徴的なのは、車輪のスポークの数で、
・マルセイユ版:6本(キリストのギリシアのモノグラム?)
・ゴールデン・ドーン版:12本(黄道12宮)
・ウェイト版:8本(四大元素×2)
・トート版:10本(セフィロト)
というふうに、それぞれ大きく解釈が異なっています。

生きている我々が最後にアプローチできる、「最後の切り札的カード」の解釈が、こんなに
マチマチなのは、いただけませんが、これは、この「車輪」自体が、既に我々人間の理解の
範囲を大きく超えた存在であるという証明にもなっているわけですので、深く詮索しない
ようにした方が賢明ですよね。

ちなみに、ウェイト版の「10:運命の輪」は、レヴィ氏の『エゼキエル書』を元にした理論
を大きく取り込んだ形でデザインされており、そしてレヴィ氏の理論によれば、「スフィン
クス」は「四大元素」の合成物、すなわち、「空気=翼」「水=女の乳房」「土=雄牛の
胴体」「火=獅子の爪」であるということですので、先の四福音書の対応関係、すなわち、
「人=空気」「雄牛=地」「獅子=火」「鷲=水」とは異なっていることにも注意が必要
です。(ただし、深く詮索しないこと)
0427名無しさん@占い修業中垢版2020/08/14(金) 06:47:37.24ID:CtJHTFa+
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 198) ---
The Sphinx is the Kerubiim all in one.
「スフィンクス」は、「ケルビム」全てを一つにまとめたものである。

Moreover, the Pyramid which, when united with the Sphinx supposedly provides a
magical formula, is four-sided and refers to Chesed.
さらに、「ピラミッド」は、「スフィンクス」と結合される時、おそらく魔術的公式を
提供し、それの四辺は、「ケセド」を参照する。
--- ここまで ---

ウェイト版の「スフィンクス」は、レヴィ氏の理論、すなわち「四大元素」の「空気=翼」
「水=女の乳房」「土=雄牛の胴体」「火=獅子の爪」だけでは、「顔」の部分の説明が
欠けていることがわかります。
『エゼキエル書』には、「四つの顔を持つ生き物」と「車輪」の他にも、その上位存の
「霊」とか「主」という記述がありますので、おそらくそれらが「スフィンクス」の顔
の部分になっていると推定することも可能です。
つまり、「霊・火・水・空気・地」の五芒星が、「スフィンクス」の中に統合されている
という、究極の「真・完全体」フォームとなっているわけですよね。

ちなみに、ウェイト版では、「スフィンクス」が守るべき「ピラミッド」は描写されて
いないと思うかもしれませんが、実は「四大元素」を表す「車輪」が、魔術的公式を
その中に蓄えた「ピラミッド」そのものであると見ることができます。
つまり、古代エジプトの神秘と『旧約聖書(エゼキエル書)』と「新約聖書(四福音書)」、
そしてレヴィ氏の理論とゴールデン・ドーン理論をパクりまくって、いやいやそれらを
大胆に統合して、そして最終的には、この四角形のカード全体で「ピラミッド」を意味する
という、実に見事な構図となっているのが分かります。
そういう意味では、初心者であっても実に分かりやすい説明的な象徴で描かれていると
いうことなのですが、問題なのは、「スフィンクス」により封印された「ピラミッド」の
魔術的公式を、誰も見ることが出来ない、要は、しょせん「絵に描いた餅」でしかないと
いうことなんですよね。
0429名無しさん@占い修業中垢版2020/08/15(土) 06:23:47.96ID:qrV9mSTE
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 198) ---
The Sphinx is, thus, a cardinal symbol of manifestation.
「スフィンクス」は、このように、顕在化の主要な象徴である。

It is both that through which one passes in birth or death, and that which contols
the passage.
それは、人が誕生もしくは死において通過するところと、通過を制御しているものの両方
である。
--- ここまで ---

「スフィンクス」は、もはや何でもありですので、如何なる解釈でも可能です。
特に、「スフィンクス」が五芒星の象徴であるため、「人」に関しては、個々の人生から
人類全体の歴史にわたって、ほぼ全てを把握する「万能の象徴」となります。

とはいえ、「10:運命の輪」のポジションは、我々から見上げることの出来る範囲において
は、ほぼ最高位、つまり、ほとんど雲の上の存在に近いものであり、それゆえ、我々は、
その存在に気づくこともなく、ただただ「運命」として受け入れてしまうような代物です。
そして、その存在に気づいたとしても、我々はやはり、それを「運命」として受け入れざる
を得ないという、ほぼコミュニケーションの取れない存在でもあるわけです。

じゃあ、「10:運命の輪」については、知る必要は無いのかと言うと、もちろんそういう
ことではないですよね。
我々にとって、「1+1=2」は、決して変えることの出来ない「公式」であり、「命題」で
あり、そして「運命」として受け入れざるを得ないものです。
でも、それを知ることで、我々の世界を理解するための「数学」が成り立ち、「数学」の
おかげで、我々は身の回りに起こる多くの出来事を知ることが出来るようになります。

ちなみに、「魔術」は、こういう「公式」の中から、魔術として使えるものを引き出して
使おうという試みになるわけですが、ここは上級者であっても、そう簡単には行かない
場所なんですよね。
0430名無しさん@占い修業中垢版2020/08/18(火) 06:31:20.85ID:NydT2V0x
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 198) ---
It is the directing aspect of the Higher Self in Tiphareth; it is protective, and
a Keeper of the Gates which keeps the Personality from absorbing more than its
system can handle.
それは、「ティファレト」の中の「高次の自我」の指導的側面である;それは保護的で
あり、そして「人格」が、その体系が扱うことのできるものより多く吸収することを防ぐ
「門たちの番人」である。

To be able to correctly answer the question of the Sphinx (that answer being an
extension of the Greek axiom: Man, know thyself!) means that one is prepared to
pass through the gates of inner consciousness.
「スフィンクス」の質問に正しく答えることができること(その答えは、以下のギリシア
の格言の拡張である:「人よ、汝自身を知れ!」)は、人が、内なる意識の門たちを通過
する準備が出来ていることを意味する。
--- ここまで ---

この「スフィンクス」は、「星幽的三角形=人格」から「倫理的三角形=高次の自我」へと
至るルートの門番の一つであり、「15:悪魔」の「悪魔」、「14:節制」の「天使」、「13:
死」の「死神」、そして「12:吊された男」の「男」と同じような役割を担っています。
つまり、霊的に許可された者だけを通す、という役割ですよね。

ちなみに、この「汝自身を知れ」というギリシアの格言は、古代ギリシアのデルフォイに
ある神殿の入り口に刻まれていたとされており、ここで神託を受け取る人のための、三つの
戒めの言葉のうちの一つであったということです。
念のため言っておきますが、この「10:運命の輪」の「スフィンクス」の「汝自身を知れ」
というのは、「分をわきまえろ」というような軽いノリではなくて、「星幽的三角形=
人格」を完全に習得し終えたことを意味しており、ライセンスを習得していない者の、
上位の「倫理的三角形=高次の自我」へのネットワークアクセスを遮断するという、
ファイアウォールとして役割が、この「スフィンクス」にあるということです。
0431名無しさん@占い修業中垢版2020/08/19(水) 06:26:40.08ID:NhHdD7cf
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 198) ---
To pursue the Oedipus legend: When the question was correctly answered, the Sphinx
threw itself into the sea.
オイディプス王の伝説を追うと:質問が正しく答えられた時、「スフィンクス」は自分自身
を海の中に投げ入れた。

This means that, being no longer needed, the "gate" now being open, the Gate Keeper
was absorbed back into the Great Sea of consciousness.
これは、もはや必要でなく、今や「門」は開いていて、「門」の番人は、意識の「大いなる
海」の中に戻されて吸収されたことを意味する。
--- ここまで ---

我々はオイディプス王ではありませんし、そもそも現実に「スフィンクス」に出会うことは
ありませんので、「門」が開くこともありません。
ということで、現実的には、ここで話が終わってしまうわけですが、話のネタとして、この
物語をもう少し追求してみると、面白いことがわかります。

伝説の中で「スフィンクス」を倒したオイディプス王は、本当に自分自身を知っていたのか
と言うと、実はそういうことでは無いんですよね。
つまり、「人間とは何か」は知っていたけど、「自分自身の出自」については知らなかった
のです。
これは、「自分自身についての無知は問われない」という、極めて重大なセキュリティ上の
欠陥が存在するということになり、鉄壁の防御体制であると思われていた「10:運命の輪」の
「スフィンクス」がネックとなった、神秘情報の漏洩事故にも繋がりかねないわけです。
つまり、我々人間は、その致命的欠陥を突くことで、より高位の情報をハッキングすることが
理論上可能であるという結論に至るわけです。

まあ、しょせん「理論上の可能性」であり、「絵に描いたモチ」ではあるのですが、この
「慈悲の柱」を登るルートには、エロネタに通じるものもありますので、そっち方面から
攻めてみるのも面白いのかもしれませんね。
0433名無しさん@占い修業中垢版2020/08/21(金) 06:20:40.30ID:ZY5RYQyY
>>432
カキコありがとうございます。 (^^)/

まだまだ残務作業に追われる毎日ではありますが、やっと時間が取れるようになりました。
そして、もうじき200ページ目に到達しますので、少しだけゴールも見えてきました。

ということで、今まで通り、ボチボチやっていきますので、これからもよろしくです。 (^^)/
0434名無しさん@占い修業中垢版2020/08/21(金) 06:25:34.09ID:ZY5RYQyY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 199) ---
More accurately, it was absorbed back into the Individual Higher Consciousness
which created it.
より正確には、それは、それを創造した「個人的な高次の意識」の中に戻され吸収された。
--- ここまで ---

ここは、前節の「the Gate Keeper was absorbed back into the Great Sea of consciousness.
「門」の番人は、意識の「大いなる海」の中に戻されて吸収されたことを意味する。」を、
言い換えたものとなります。

ちなみに、「Higher Self/高次の自我」と「Individual Higher Consciousness/個人的な
高次の意識」の違いですが、「高次の自我」は、「集合的無意識」の一面を持つ一方で、
「個人的な高次の意識」は、「個人的無意識」の一面を持ちます。
つまり、この「スフィンクス」は、それに出会う人それぞれの個性を色濃く持つということ
であり、それゆえ、ゴールデン・ドーン版、ウェイト版、トート版で、それぞれ異なる
見え方をしているのは、そのためであるということなんですよね。

つまり、「スフィンクス」は、あくまでも仮想的な個人の想像物、いやいや創造物であって、
それはつまり、我々にとっては、上位世界を人間の侵略から守る「神から遣わされた者」
ではなくて、実は我々が上位世界へと繋がるための守護獣というかパートナーというか、
マスコット的な存在であるということになるわけです。

我々は、しょせん下位世界の存在ですし、この肉体を持ったまま上位世界へ逝くことは、
ほぼ不可能ですので、そういう意味では、この「スフィンクス」は、我々が上位世界を探る
ための、貴重なプローブとしての働きがあるということにもなります。
とはいえ、しょせん妄想ベースですので、その使い方には、細心の注意が必要です。
イメージ的には、術者とパートナーとなる「スフィンクス」とが、究極パワーアップ魔法に
より合体して「高次の存在」に変身し、「高次の自我」の「大いなる海」の世界に飛び込ん
で、高次の世界に巣くう闇の存在を倒していくといった感じなんでしょうかね。(←飛躍しすぎw)
0435名無しさん@占い修業中垢版2020/08/22(土) 06:27:12.27ID:5iKzGOf6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 199) ---
On the other hand, the Sphinx "slays" those who are unready to pass consciously
beyond the restrictions of time and space, concepts valid only in terms of matter.
その一方で、「スフィンクス」は、物質の観点からのみ有効である概念たちである、時間と
空間の制限たちを超えて意識的に通過する準備ができていない人々を「殺害する」。

The destruction by the Sphinx of those travelers who cannot answer its question,
is the protection of the Personality by the Higher Self.
その質問に答えることができない、それらの旅行者たちの「スフィンクス」による破壊は、
「高次の自我」による「人格」の保護である。
--- ここまで ---

「スフィンクス」は、あくまでも仮想的なキャラですので、実際に物質世界に住む人間
の肉体を「slay/殺害する」ということは無いのですが、それでも、ここは、2つの考え方
があります。

一つは、「10:運命の輪」が、人が死んた後に「魂」が通過する門の一つであり、そして
「スフィンクス」は、「13:死」における「死神」と同じような役割を持つ可能性です。

そしてもう一つは、「12:吊られた男」との関係性です。
どちらかと言うと、他力本願的な「15:悪魔」「14:節制」「13:死」による「ティファレト」
への昇天と異なり、「12:吊られた男」と「10:運命の輪」は、どちらかと言うとオナニー的、
いやいや自力救済的な面があります。
そして「12:吊られた男」が「静」であるのに対し、「10:運命の輪」は「動」です。
具体的にそれが何を意味するのかは知りませんが、属人的な「スフィンクス」に認めて
もらえる、つまり究極の自己満足に浸って「逝く」ためのルートは一つではなく、そして
その方法も一つではないということであって、、それゆえ、日々現実離れした妄想ネタを
研ぎ澄ましていくことが大事だということになるわけです。
とはいえ、それで「昇天」するのは、ちょっと意味が違ような気もしますが、細かいことは
気にしないでおきましょう。(←無責任発言ww)
0436名無しさん@占い修業中垢版2020/08/23(日) 06:47:46.17ID:Vf8xvOjB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 199) ---
But it may also be considered the real death process.
しかし、それはまた、本当の死の過程と見なすこともできる。

Those who know the nature of the Sphinx may pass consciously from one state to
the next, while others fall into a deep sleep, a "destruction" of awareness from
which the soul gradually awakens into a new condition.
「スフィンクス」の性質を知る人々は、ある状態から次へと意識的に通過できるかもしれ
ないが、その一方で、他の者たちは、深い睡眠状態に陥ることで、魂が次第に新しい状態
へと目覚めることによる気づきの「破壊」へと陥る。
--- ここまで ---

前に述べたように、「スフィンクス」は、「13:死」における「死神」と同じような役割を
持ちますので、「real death/本当の死」と考えられる可能性は微粒子レベルで存在します
が、あえてそのように解釈するメリットは無いと思います。

ついでに言うと、我々の意識が「スフィンクス」を陵駕して「10:運命の輪」を通過する
こともありませんので、それについて考えるメリットもありません。

つまり、我々に残された道は、「others fall into a deep sleep/他の者たちは、深い
睡眠状態に陥る」という方向しか無いわけであり、実質的に、ここで我々の「内なる旅」
は行き止まりになってしまっています。
とはいえ、「ここまでしか行けない」と考えるか、「ここまでなら行ける」と考えるの
かは、それぞれの個人の判断ですよね。
そして、「ここまでしか行けない」と考えるのであれば、「スフィンクス」は我々の逝く
手を阻む「敵」であり、「ここまでなら行ける」と考えるのであれば、我々の遊び相手と
なってくれる、大切な人生の「パートナー」となります。
そう考えると、この「スフィンクス」が我々にもたらす「deep sleep/深い睡眠状態」と
「destruction of awareness/気づきの破壊」が、我々の魂の成長に何をもたらすのか、
改めて考えてみるのも、大事なことなんじゃないのかな、とか思ったりするのでした。
0437名無しさん@占い修業中垢版2020/08/24(月) 06:08:55.30ID:GWl1InhM
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 199) ---
Beside the Wheel itself, the Sphinx is the only element common to the three modern
versions of the Key shown here.
「輪」それ自身と並んで、「スフィンクス」は、ここに示された「鍵(大アルカナ)」の
3つの現代版たちにとって、唯一の共通要素である。

The Golden Dawn card has only two figures, that of the Sphinx and the Cynocephalus.
ゴールデン・ドーンのカードは「スフィンクス」と、「犬頭猿」のそれである、たった
2つの像を持つ。

The Waite card shows the Sphinx, Hermanubis and Typhon, as does Crowley's version.
ウェイト版カードは、 クロウリー氏の版がしているのと同様に 「スフィンクス」、
「ヘルマニュビス」、および「テュポン」を示す。
--- ここまで ---

「10:運命の輪」における、マルセイユ版、ゴールデン・ドーン版、ウェイト版、そして
トート版の共通要素は、今まで見てきた「輪」と「スフィンクス」です。
そして、「10:運命の輪」には、それ以外にも、以下のような「輪」に絡む生き物たちが
描かれています。
・ゴールデン・ドーン版:「Cynocephalus/犬頭猿」
・ウェイト版:「Hermanubis/ヘルマニュビス」、「Typhon/テュポン」
・トート版:「Hermanubis/ヘルマニュビス」、「Typhon/テュポン」
・マルセイユ版:「犬?」、「猿?」

まあ、犬猿の仲という言葉もありますが、どちらも賢い動物として知られていますので、
「スフィンクス」を桃太郎という主人公にして、その家来として、これらの動物たちを
お供の者として鬼ヶ島(「輪」という別世界の中)に鬼退治に行って、その中の宝物を
持ち帰るというイメージが沸いてきます。
実際のところ、我々は、これらの「生き物」を「お供の者」にしておかないと、この
「輪」の中に入ることは出来ないわけですしね。
0438名無しさん@占い修業中垢版2020/08/26(水) 06:15:16.80ID:EOBONR3y
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 199) ---
The figures in the Marseilles key represent a transitional period in the Wheel of
Life iconography.
マルセイユ版の鍵の像たちは、「生命の輪」の図像研究における過渡期を表している。

The Wheel, which seems to have originated during the Romanesque period (11th-12th
centuries), was a popular device for representing man at the mercy of changing
fortune. (*182)
「輪」は、ロマネスク様式の時代(11〜12世紀)の間に起源を持つように思われ、人が
変化する運命のなすがままであることを表すための人気のある装置であった。(*182)
--- ここまで ---

ちなみに、(*182)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
182. Goffredo Rosati, "Symbolism and Allegory," Encyclopedia of World Art,
New York 1959-68, 815-16.
182. ゴッフレード・ロザティ著、『世界芸術百科事典』、ニューヨーク 1959-68年、
815-16ページ
--- ここまで ---
とあります。

「車輪」自体の発明は、紀元前3000年より前であると言われており、はるか古代より
「popular device/人気のある装置」であり、そしてそれが「運命の流転と変遷を表す」
象徴的な装置でもあると考えられるようになったのは、ごく自然な流れですよね。
実際、「Wheel of Life/生命の輪」すなわち「輪廻(りんね)」の考え方は、世界各地の
紀元前の文明にもあり、それらは円や車輪の形で象徴されています。

ただ、その「回転する運命の車輪」のモチーフがタロットに本格的に導入されたのは、
17世紀のマルセイユ版からと見られていますので、まずはマルセイユ版のシンボルから
考察を始めていくことにしましょう。
0439名無しさん@占い修業中垢版2020/08/28(金) 06:06:37.60ID:zNeebGal
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 199) ---
In the earliest versions human figures were shown on the Wheel, with one above
that is ruling.
最も初期の版においては、人の像たちが「輪」に接して示されており、それの上の一人が
支配している。

Animal figures were probably introduced toward the end of the fifteenth century
to underscore man's animal nature and the mutability of life.
動物の像たちは、おそらく15世紀の終わり頃に導入され、人間の動物性と生命の移ろい
やすさを強調した。

Thus, the Marseilles card shows very generalized figures of good and evil, with
a ruler above who balances these aspects on the Wheel.
従って、マルセイユ版カードは、非常に一般化させた善と悪の像たちを示しており、
「輪」における、これらの面たちの釣り合いを保つ支配者が上にいる。
--- ここまで ---

マルセイユ版以前の「10:運命の輪」は、動物像ではなく人間が描かれていて、15世紀中頃
にイタリアで作成された、最も初期のタロットであるヴィスコンティ・スフォルツァ版では、
5人の人間が、上下左右と中心に描かれていたりします。
ちなみに、物理法則を無視した鉄壁スカートの元祖の一つでもあります。

まあ、人間像そのもので「善」と「悪」を描くと、色々な方面からクレームが届くのは、
いつの時代でも同じですので、その手の文句を言われない、そして神話的にもわかりやすい
「悪の怪物=動物像」が選ばれるのは、商業的に大量生産された最初の一般人向けタロット
であるマルセイユ版としては、極めて妥当な選択であったと思われます。

つまりは、人間、すなわち自分たちが、この世界の一番上の「支配者」であるという、何ら
根拠の無い「選民意識」と、素人目から見た分かりやすさ、つまりステレオタイプ的な表現
(悪役は悪役らしく)が、ポピュラー化するための重要ポイントであるということですよね。
0440名無しさん@占い修業中垢版2020/08/29(土) 06:41:26.73ID:2dvFg2Vy
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 199) ---
The imagery serves to remind us, by comparison with the other cards, of the extent
to which the symbolic explanation of the Tarot has been embellished over the past
two hundred years.
画像は、他のカードたちとの比較により、タロットの象徴的な説明が過去の200年間を通じて
装飾され続けた程度を、我々に思い出させるのに役立つ。

From the mid-nineteenth century on, each of the card's figures has borne a very
specific mythological reference.
19世紀半ば以後に、カードの像たちの各々は、非常に具体的な神話の参照を、ずっと背負い
続けている。
--- ここまで ---

ざっくり言うと、「10:運命の輪」に描かれた像たちは、当初は人間像だけだったものが、
次第に動物像に代わり、そして19世紀半ばと言えば、おそらくレヴィ氏だと思われますが、
「スフィンクス」と「動物の姿形をした神話に出てくる生き物」へと変化しました。
つまり、リアル世界に住む「人間」を最終的に全面排除することで、このカードの属性を、
天上界へと押し上げる働きをしたということですよね。

こういう属性のインフレーション的現象は、長くヒットが続くシリーズ物には、よく見られる
戦略であり、たとえば最初は、地上での「天下一」が目標だったものが、「地球の天界」に
おける「神と大魔王」の話になり、次に宇宙界での最強の話へとエンドレスに世界観が展開
していくようなものです。

つまり、タロットもしくは関連書籍が商業目的で量産される時代になると、神秘ヲタク向け
のグッズとして取り扱われるということになり、結果として、一般受けを狙う「最強の神話
ネタ」を背負うことになるのは必然であったということですよね。
もちろん、そういう後付けの神話属性によってタロットの理解が深まるのであれば、それは
それで、非常に有用なことですし、もしそれが気に入らなければ、自分で新しいストーリー
を付け加えてもいいのではないかと思うのでした。←厨二病をこじらせた時の典型的症状ww
0441名無しさん@占い修業中垢版2020/08/30(日) 06:52:07.78ID:hBCBFRu6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 199) ---
Beginning with the Golden Dawn card: What is called the Plutonian Cynocephalus is
a dog-faced ape sitting beneath the Wheel.
ゴールデン・ドーン版カードから始める:「冥界の犬頭猿」と呼ばれているものは、
「輪」の下に座っている、犬の顔をした猿である。

This animal, symbolizing time and eternity, is the traditional companion of Thoth
(Hermes-Mercury), and is the hieroglyphic symbol for writing. (*183)
この動物は、「時間」と「永遠」を象徴しており、トート神(ヘルメス神−マーキュリー神)
の伝統的な仲間であり、そして、象形文字の「書くこと」の象徴である。(*183)
--- ここまで ---

ちなみに、(*183)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
183. Budge, Gods of the Egyptians, v. I, 20-21.
183. バッジ著、『エジプト民族の神々』、第1巻、20-21ページ。
--- ここまで ---
とあります。

マルセイユ版の後期のもの(ニコラ・コンヴェル版など)では、輪の上に「スフィンクス」
らしきもの、右に上昇する「犬」らしきもの、そして左に下降する「猿」らしきものが
描かれていました。

そしてそれをレヴィ氏が、上に「スフィンクス」、右に上昇する「ヘルマニュビス(犬の
頭を持つ神)」、左に「テュポン(というより、エジプト神話の犬もしくはロバの頭を持つ
セト神のイメージに近い)」という、神話的な善と悪の三角関係的な構図にしていました。

その一方で、マサース氏は、天界の支配者「スフィンクス」と、「犬」と「猿」を合体して、
冥界の支配者である「犬頭猿≒トート神」という、「輪」の支配権を巡る、2大巨頭精力の
対立という、シンプルに見える構図にしたということですよね。
0442名無しさん@占い修業中垢版2020/08/30(日) 10:53:26.06ID:RhqlwAYD
ねえねえ、某芸人の身内の有名占い師が、「9月に何かが起こる(何かは言わない)」って言ってるんだけども、
それって「今日はどこかで地震が起こる(場所は言えない)」と同じ感じ?
0443名無しさん@占い修業中垢版2020/08/31(月) 06:24:38.44ID:QT8hZzA3
>>442
そういうのって、占い師に限らず、割と普遍的な「ネタ振り」ではないかと。(^^;;

つまり、「9月に何かが起こる(何かは言わない)」って言ってるのは、「今日はどこかで
地震が起こる(場所は言えない)」と同じ感じではなくて、「ねえ○ー○○、こっち向いてww」
と同じ感じではないかと。(意味深笑)

まあ、その手の、かまってちゃん「ネタ」に釣られて、ここに書くアナタも、そしてそれに
レスするワタシも同類だと見なされる危険性が大ですので、普通は華麗にスルー
なんですけど、とりあえずヒマなので、ちょっと釣られてみました。(同族言い訳笑)
0444名無しさん@占い修業中垢版2020/08/31(月) 06:27:15.82ID:QT8hZzA3
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 199) ---
Thoth is the inventor of writing and the scribe of the Gods, who waits, especially,
upon Osiris.
トート神は、執筆の発明者であり、特に、オシリス神に付き添う、神々の筆記者である。

It is he, called the Lord of Holy Words, who records the results of the weighing
of souls on the Path of JUSTICE.
「聖なる言葉たちの主」と呼ばれる彼は、「正義」の「小径」において魂たちの重量測定
の結果を記録する。
--- ここまで ---

エジプト神話においては、トート神は、死者の魂の測定に立ち会い、その結果を記録し、
品質上問題ないものはリサイクル(来世の復活)し、そうでないものは廃棄処分すると
いう役割を担っていました。

ちなみに、トート神は非常に幅広い属性がありますが、基本的には「月」属性であり、
「太陽」属性のラー神、ファラオ、そして「スフィンクス」と対を成す存在です。
それゆえ、ゴールデン・ドーン版では、「Plutonian Cynocephalus/冥界の犬頭猿」と
呼ばれているように、「冥界」を司る属性付きの存在として、「スフィンクス」と並んで
「輪」を制御する役割を担っています。

さて、「天界」の「スフィンクス」と「冥界」属性付きの「トート神」ということで、
じゃあ「地上界」はどこにあるのかと聞かれれば、前にも述べたように、この「宙に浮く
車輪」は地上界の存在ではありませんので、「そんなものは、このゴールデン・ドーン版
カードには存在しない」と答えることになります。
これは、マルセイユ版の「地上に設置された車輪」と「人と動物たち」の地上世界的な
論理とは、大きく異なる点であり、ゴールデン・ドーン以降の「カバラ」に基づいたこと
による「論理の組み替え」の必然的結果であるということですよね。
ということで、この「10:運命の輪」は、人の運命を表すものでは決してないことを、
改めて確認しておきたいと思うのでした。
0445名無しさん@占い修業中垢版2020/09/01(火) 06:20:55.33ID:QuUVCDzv
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 199) ---
Thoth is also said to have measured time, dividing it into years, months and seasons.
トート神は、また、時間を測定し続けており、それを、年たち、月たち、そして季節たちに
分割したとも言われている。

Thus time and eternity is attributed to his companion, the Cynocephalus, which the
ancients referred to the Moon, the "planet" believed to follow Mercury.
従って、時間と永遠は、彼の仲間である、「犬頭猿」に帰されており、それを、古代人
たちは、「水星」に付き従うものと信じられた「惑星」である、「月」に参照させた。
--- ここまで ---

トート神自身も「月」属性を持っていますので、わざわざその仲間である「Cynocephalus
/犬頭猿」ではなくて、トート神自身をカードに描けばいいと思うかもしれませんが、
半身半獣である「スフィンクス」と、最高神の一人である「トート神」では、格が違います
ので、ここは「四天王の中でも最弱」な「犬頭猿」を描いているということです。

とはいえ、最低レベルの我々(戦闘力5のゴミ)から見れば、「犬頭猿」(戦闘力53万)も
「トート神」(戦闘力1億2000万)も、もはや何ら変わらないレベルですので、我々にとっては
同じものであると考えても、何ら差し支えありません。

いずれにしても、「スフィンクス」が「陽キャラ」であり、「犬頭猿」が「陰キャラ」の
関係があって、それらの作用で「車輪」が動くという、とても基本的かつ重要な設定が、
このカードには描かれているということになります。

この構図は、一般的には、「陽キャラ」が正義の味方のヒーロー/ヒロイン側であり、
「陰キャラ」が悪の暗黒軍団の敵側として描かれることが多く、レヴィ氏も「敵キャラ」
として「テュポン」を登場させていますが、マサース氏は、そういう敵味方という考え方を
せず、「陰キャラ」にも、重要な「裏方設定」、つまりトート神属性を付けているのは、
普通の人には出来ない、なかなか素晴らしい仕事だと思いますし、彼が普通の人では
ない、まさしく天才たる証拠の一つでもあると思うのでした。
0446名無しさん@占い修業中垢版2020/09/02(水) 05:57:55.42ID:DzdOfjvr
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 199) ---
The implication of the Golden Dawn illustration is that the Sphinx and Cynocephalus
are two different (above and below) aspects of the stable force which monitors
and regulates life's seasons.
ゴールデンドーンの図版が暗示するものは、「スフィンクス」と「犬頭猿」が生命の
季節たちを監視し調整する、安定した力の2つの異なる(「上」と「下」の)面たちで
あることである。

The Sphinx is the quadripartite Elemental Being guided by the Higher Consciousness
(the human head).
「スフィンクス」は、「高次の意識」(人の頭)により導かれる、四つの部分の「元素の
生き物」である。

The Cynocephalus (body of the faithful ape linked with the head of a form almost
human) means the "words" which we use.
「犬頭猿」(ほとんど人間に近い形の頭が組み合わされた、忠実な類人猿の身体)は、
我々が使う「言葉たち」を意味している。
--- ここまで ---

ここは、かなり哲学的というか、言葉通りには簡単には理解できない部分であることに
注意が必要です。
基本的には、この宇宙=生命は、「スフィンクス」=「神からの高次の意識」=「陽エネ
ルギー」と「犬頭猿」=「神からの言葉たち」=「陰エネルギー」という、「生命の木」
の基本的枠組みにより動いているということであり、この場合、「車輪」は「中央の柱」
に近い存在であると考えられるということになります。
「スフィンクス」はともかく、「犬頭猿」の「神の言葉たち」は、「ネツァク」に接続
している側なので、我々にも何とか手の届く範囲にあるわけで、おそらくこれが「聖書
研究」という神秘主義文学の有効性を意味しているものと推定できます。
そういえば、「カバラ主義」という聖書起源の神秘主義文学も、「犬頭猿」のボスである
「トート神」が重要な役割を担っていますよね。
0447名無しさん@占い修業中垢版2020/09/03(木) 05:29:08.54ID:cRmCcAoH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 199) ---
These words are the vibratory patterns of existence which turn the Wheel.
これらの言葉たちは、「輪」を回す存在の振動する様式である。

And, as the Gospel of St. John begins: "In the beginning was the Word, and the
Word was with God, and the Word was God." (*184)
そして、「聖ヨハネの福音書」が以下のように始まる:「初めに『言葉』があり、そして
『言葉』は『神』と共にあり、そして『言葉』は『神』であった。」 (*184)
--- ここまで ---

ちなみに、(*184)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
184. John, 1.1.
184. 『新約聖書:ヨハネ福音書』、1:1。
--- ここまで ---
とあります。

ここまで読めば、この「Words/(神の)言葉たち」の正体が、何となく理解できるのでは
ないかと思います。
つまり、ここでの「言葉」は、人間同士のコミュニケーションのために使われるものではなく、
振動性のもの、つまり神に対する「祈り」や「召喚」のための「神秘の呪文」のようなもの
であり、それが正しく発せられると、「輪」という「魔法円」が発動して、「スフィンクス」
という高位の存在が召喚されるというような感じですよね。
そういう意味においては、肉体を持つ魔術師にとっては、最高にイケてるカードの一つ
であり、研究のしがいのあるカードでもあります。

裏を返せば、一般人の我々にとっては、「絵に描いた餅」というか、しょせん手の届かない
領域であって、ほぼ何の意味も価値も無いカードであると断言できるわけです。
とはいえ、そういう実生活において無価値のバーチャルなものにこそ価値を見いだす一部の
マニアにとっては、やっぱり「最高にイケてる」ものであることには、間違いないでしょうね。
0448名無しさん@占い修業中垢版2020/09/04(金) 06:24:43.57ID:Atm0UOEH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 199) ---
This passage has to do with the Lesser Divine Creator, the Demiurge which we have
identified as Chesed, origin of the Path of the WHEEL OF FORTUNE.
この(聖書の)一節は、「より小さな創造主である神」であり、「運命の輪」の「小径」の
源泉である「ケセド」と同一であると我々が見なし終えた「デミウルゴス」に関係せざるを
得ない。
--- ここまで ---

「Demiurge/デミウルゴス」は、プラトン著の神話物語に出てくる「物質世界の創造主」の
名前であり、我々が住む、この「より小さな宇宙」というか、「より劣った宇宙」というか、
「全然カンペキではない宇宙」を創造したということになっています。
そしてそれは、カバラ主義的には、本書の78ページの「4.CHESED: Mercy」の項で示した
ように、「ケセド」であるということです。

イメージ的には、「ケセド」ではなく、劣化ケテルである「ティファレト」が、その役割を
担うようにも思えるのですが、「創造神=ケセド」と「破壊神=ゲブラー」のペアとして
考えると、「ティファレト」よりは「ケセド」の方が、より適任なのかなと思われます。
そして、「ケセド」により創造された宇宙はカンペキではないが故に、定常宇宙としては
存在できず、常に「ゲブラー」により破壊されて更新されていく、スクラップ&ビルド方式
で、常に進化もしくは退化していくものであるという考え方になるわけですよね。
そしてそれは、結果として「運命の輪」の回転運動にも関係しており、全ての生命の創造と
破壊のサイクルを、その中に象徴しているというわけです。

つまり、下界にいる我々にとっては、この「回転する車輪」こそが、『言葉である神』で
あり、この流転する世界の創造主そのものであると見なして良いということであり、それ
ゆえ、この「輪」は「ケセド」を下から見上げたもの、要するに「神」のローアングル
からの写真ということでもあります。
まあ、そう言われるまでもなく、ゴールデン・ドーン版の「輪」の姿は、どう見てもアレ
にしか見えないわけですけどね。
0449名無しさん@占い修業中垢版2020/09/05(土) 05:10:01.28ID:fxjI/rq/
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 200) ---
In general the card means that when the Higher Self brings the Four Elements under
control, the "words," vibratory patterns, become our faithful companion, and we
are no longer bound to the wheel.
一般的に、このカードは、「高次の自我」が、「四大元素」を、「言葉たち」である、
振動する様式たちの制御下に置く時には、我々の忠実な仲間となり、我々はもはや「輪」
に縛られないことを意味する。
--- ここまで ---

ここの文は、日本人的な観点から見れば、これは「ありがたいお経を唱えることで、苦行
に満ちた輪廻転生の『輪』から解脱して極楽浄土へと往く」というような感覚があります。
もちろん、そういう宗教的な感覚も大事なのですが、ここは、あくまでも現世利益的な
魔術師感覚で、すなわち「呪文」の力で、「四大元素」のパワーを解放して、「輪」の
持つ物理的・肉体的束縛を越えたファンタジーな効果を発動する、というふうに読むこと
にしましょう。

実際、そういうことが可能であるかどうかはともかくとして、実際、それを期待できる
ほどに、この「10:運命の輪」には、魔術的要素がテンコ盛りになっています。
一見してシンプルそうにも見えるゴールデン・ドーン版でさえも、肉体を持つ我々が
「四大元素」を自由自在に使役するための最高水準の象徴体系が、ほぼ全て入っている
のは、今まで見てきた通りです。

つまり、このカードは、我々が利用可能な「最後の切り札」であり、これより上位の
カードは、雲の上の存在であって、実用性は何も無いということなんですよね。
まあ、実用性は全く無いとしても、単なる読み物、つまりネタとしては、それなりに
興味はありますので、知っていて得にはなりませんが、損にもならないと思います。

さて、問題なのは、「実際、そういうことが可能であるかどうか」という点なのですが、
それは、このカードを(宗教的および魔術師的な観点で)語る上で、最も「ツッコんでは
いけない点」であることを、最後に記しておきたいと思うのでした。
0450名無しさん@占い修業中垢版2020/09/06(日) 07:15:18.22ID:6n0usx2s
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 200) ---
The Waite and Crowley cards, both more traditional than that of the Golden Dawn,
must be interpreted in terms of the interaction of Sphinx, Hermanubis and Typhon.
ウェイト版およびクロウリー氏のカードたちのどちらも、ゴールデン・ドーン版のそれ
よりも、より伝統的であり、「スフィンクス」、「ヘルマニュビス」、および「テュポン」
の相互作用の観点から解釈されなければならない。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の「10:運命の輪」は、伝統的なデザインからは大きく改変されて
いますが、実を言うと、基本的にはふたなりの、いや全能なる創造神の下半身、すなわち
宇宙の全てを生み出す、○○に似た上位世界からの排泄口である「輪」、「陽」である
「スフィンクス」、そして「陰」である「犬頭猿」という、割とわかりやすい下ネタ的解釈
が可能となっています。
その一方で、ウェイト版とトート版は、マルセイユ版およびレヴィ氏の解釈に沿った、
伝統的な関係性を持っているようにも見えますが、そういうわけでもないのです。

ウェイト版は、外から内に向かって、「四大福音書」、左回りに描かれた「三つの獣」、
そして「三重の魔法円」という、宇宙の多重構造というか多殻構造を表現しています。
その一方で、トート版は、なぜか右回りに描かれた「三つの獣」と、比較的シンプルで
俗っぽい「車輪」、そして上部に「天界」を表す星々が描かれていて、両者は実は全く
異なる世界観を表現しています。

つまり、マルセイユ版、ゴールデン・ドーン版、ウェイト版、トート版の「10:運命の輪」
は、前に述べていたように、各自で解釈が全く異なるということです。
あえて言えば、ウェイト版は、少しゴールデン・ドーン版に似たコンセプトであり、
トート版は、少しマルセイユ版に近いようにも思えますよね。

いずれにしろ、公式的解釈が定まらない、人類にとっては未知の領域のカードです
ので、あまり深くツッコまずに、「へーそうなんだ」的な軽いノリで軽く受け流すような、
オトナな態度が必要とされるカードであることは確かなんですよね。
0451名無しさん@占い修業中垢版2020/09/07(月) 06:22:21.51ID:64thuK+T
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 200) ---
Hermanubis is a dual God, which Case mistakenly called a combination of Hermes and
Anubis, but actually combining Horus and Anubis.
「ヘルマニュビス」は、二重の「神」であり、ケース氏は、それを「ヘルメス神」と
「アヌビス神」の組み合わせと間違って呼んだけれども、実際には「ホルス神」と
「アヌビス神」の結合である。

He is Heru-em-Anpu, meaning Horus as Anubis.
彼は「ヘル-エム-アンプ」であり、「アヌビス神」としての「ホルス神」を意味している。

This God form, a later Egyptian development, is described by Wallis Budge as
possessed of "two distinct and opposite aspects; as the guide of heaven and the
leader of souls to Osiris, he was a beneficent God, but as the personification
of death and decay he was a being who inspired terror." (*185)
この「神」の形態は、後期エジプトの開発であり、「天国への案内人と、オシリス神への
魂たちの指導者として、彼は慈悲深い「神」であったが、死と腐敗の擬人化としての彼は
恐怖を引き起こした存在であったとして;2つの異なった正反対の面」を所有していると、
ウォーリス・バッジ氏により説明される。 (*185)
--- ここまで ---

ちなみに、(*185)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
185. Budge, Gods of the Egyptians, v. II, 295.
185. バッジ著、『エジプト民族の神々』、第2巻、295ページ。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、ワタシとしては「ヘルメス神」でも「ホルス神」でも、適当に話を合わせるだけです
ので、別にどうでもいいのですが、オシリス神を殺害した「セト神=テュポン」と対抗する
存在としてであれば、「ホルス神」の方が適役かと思います。(←割と適当ww)
0452名無しさん@占い修業中垢版2020/09/08(火) 06:23:02.58ID:JwWi41Ff
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 200) ---
The myth of Typhon or Typhoeus is of Greek origin.
「テュポン」もしくは「テュポエウス」の神話は、ギリシア人の起源のものである。

Typhon was involved in the wars of supremacy of the Gods.
「テュポン」は、「神々」の覇権を巡る戦争たちに巻き込まれた。

He was a monster so horrible that even the Gods fled at the sight of him.
彼はとても恐ろしい怪物であったので、「神々」でさえ彼を見て逃げた。

But, as the legend goes, he was eventually subdued by Zeus, who set him afire and
buried him under Mt. Aetna.
しかし、伝説が進むにつれて、彼は結局、「ゼウス神」により征服され、ゼウスは彼を燃や
して、彼をエトナ山の下に埋めた。
--- ここまで ---

この手の話の展開は、伝説や神話に限らず、極めて鉄板で一枚岩的な展開ですよね。
つまり、ヒーローである特定の「至高神」の優位性を示すために、それ以外の「ザコ神々」
には手に負えないような、史上最凶最悪のモンスター、つまり、それなりに力が拮抗して
いるような設定が、ストーリー展開の都合上、「至高神」のライバルとして必要とされる
わけです。
ついでに言うと、そのライバルは、読者である我々人間にとって、その最凶最悪さ加減が
わかりやすい存在でないと、読者の興味を引きませんので、そういう「誰もが知る、人類
史上最悪の存在」が、ライバルの属性となることも、割と普遍的です。
つまり、「エトナ山」は、そういう「人類史上最悪」のものの一つであるということで、
実際、イタリアでは最も標高の高い活火山であって、時々大災害をもたらしており、敵方
キャラの基本属性としては、とてもわかりやすい存在となっています。
「エトナ山」は、日本だと「富士山」が相当するわけですが、日本の火山は、それほど
凶悪なものとは考えられていなくて、どちらかというと暴風や大雨の大規模災害をもたらす
「台風」が、「テュポン」に近いものと見なされているのは、何となくわかりますよね。
0453名無しさん@占い修業中垢版2020/09/09(水) 05:58:17.92ID:aDpKY2Oo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 200) ---
So Typhon became known as the fire-breathing monster who personified volcanoes
and typhoons.
そのため、「テュポン」は、火山たちと台風たちを擬人化した火を噴く怪物として知られる
ようになった。

He was also called the Father of the Sphinx.
彼はまた、「スフィンクスの父」とも呼ばれた。
--- ここまで ---

とりあえず、ヒーローである「ゼウス神」の引き立て役として、全ての悪事を一手に引き
受けるような、最凶最悪のモンスターとしての設定を持つキャラであるということです。

というか、あまりにも設定がインフレーションしているのですが、それは、当時の社会が、
そういう厄災に満ちあふれていて殺伐とした世の中であったということであり、それゆえ、
そういう「不幸の要因」を一手に引き受けてくれるわかりやすいもの、つまり「全部おまえ
が悪い」とされるラスボス的存在と、そしてそれを打ち負かすことのできる全知全能の
スーパーヒーローが、社会的かつ商業的に必要とされていたということなんですよね。

ちなみに、世の中が平和になると、そこまでの凶悪な存在は必要とされなくなってきて、
「○ンパンマン」と「○イキンマン」みたいな、ボケとツッコミ的な関係になったりして
くるわけですよね。

なお、「スフィンクス」も「ヘルマニュビス」も「テュポン」も、「神」に近い存在では
ありますが、どちらかというと「神」よりも、一歩下がった存在であり、「神」と「人」
とを繋ぐ「伝説の架空の存在」、すなわち「仮想存在」となっています。
そして、「創造の神の輪」の回りに、これら三つのスーバー・キメラ・インフレーション
の存在が取り付いて離れられない状態となっているのは、量子力学的というか
宇宙論的に見て、かなり示唆的だったりするわけなのでした。
0454名無しさん@占い修業中垢版2020/09/10(木) 06:19:41.60ID:vKlJtUZ5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 200) ---
As his mythology developed, Typhon was associated with the Egyptian God, Set,
brother and murderer of Osiris.
彼の神話が発展するにつれ、「テュポン」は、「オシリス神」の兄弟であり殺人者である、
「エジプトの神」である、「セト神」に関連付けられた。

Set was the symbolic dark side of Osiris (recalling the Golden Dawn text stating
that this card involves the "counterchanging influence of Light and Darkness").
「セト神」は「オシリス神」の象徴的な暗黒面であった(このカードは「『光』と『闇』
の相反した入れ替えの影響」が関係していることを述べている『ゴールデン・ドーン』の
本文を思い出すこと)。
--- ここまで ---

『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「THE TAROT TRUMPS/タロー・トランプ」
には、確かに「光と闇」の関係が書かれていますが、ワタシ的には、ゴールデン・ドーン版
では、「光vs闇」という感覚ではなくて、どちらかというと、「天vs地」というような、「輪」の
世界とは別次元で、割と棲み分けが出来ている、平和な関係のようにも思えます。

その一方、ウェイト版やトート版では、生き物たちは「輪」に密接に絡んでいるので、
そういう「相反するもの」としての働きが、色濃く表れています。
つまり、「ヘルマニュビス」と「テュポン」は、「輪」の「明るい面」と「暗い面」を下界で
象徴する者であって、「輪」が天界の創造力で回転して生み出される「物質」と
「反物質」というような、地上的な関係性を持つわけです。

そして、ゴールデン・ドーン版の理論上の「光と闇」は、ウェイト版やトート版では、
「ヘルマニュビス」と「テュポン」という、より低次元の世界観で象徴されているので、
「10]運命の輪」という高い次元の話であるにもかかわらず、「善」と「悪」というような、
比較的低レベルの対比イメージが出てくるわけです。
まあ、ワタシ的には、そういうイメージは間違いだとは思うのですが、占いにおいては
「幸運」に結び付けられるカードですし、まあしょうがないのかなぁ、と。
0455名無しさん@占い修業中垢版2020/09/12(土) 08:34:24.41ID:nmhTa3TG
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 200) ---
Typhon is also associated with the Dragon Aphophis, who is the accuser in the Book
of the Dead.
「テュポン」はまた、「死者の書」の「告発人」である、「大蛇アポピス(アペプ)」に
関連付けられる。

Insofar as Typhon is shown as a snake, as in the Waite card, he is one of the forms
of Set. (*186)
ウェイト版カードにあるように、「テュポン」が蛇として示される限り、彼は、「セト神」
の形態のうちの一つである。 (*186)
--- ここまで ---

ちなみに、(*186)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
186. "Typhon, Typhoeus, Oxford Classical Dictionary, 1101; Larousse Encyclopedia
of Mythology, 166, 195; Budge, Gods of the Egyptians, v. II, 246.
186. 「テュポン、テュポエウス」、『オックスフォード古典辞典』、1101ページ;『ラルース
神話百科事典』、166、195ページ;バッジ著、『エジプト民族の神々』、第2巻、246ページ。
--- ここまで ---
とあります。

ウェイト版では、「テュポン」が「snake/蛇」として描かれています。
「テュポン」が、神話的に見て、「大蛇」として描かれたり、「セト神」に関連付けられる
ことはあるのですが、ウェイト版の「テュポンの蛇」からは、そういう凶暴さは感じられず、
どちらかというと、『旧約聖書:創世記』の「fall/楽園からの墜落」を誘発した「蛇」を
思い起こす人は、少なくないと思います。
実際、ウェイト版の「10:運命の輪」の生き物たちは、「輪」の「高次の自我=上位世界」
に至る三本の小径である、「15:悪魔」=「テュポン」、「14:節制」=「スフィンクス」、
「13:死」=「ヘルマニュビス」であるようにも思えますので、「10:運命の輪」は、それら
を象徴的に総括する働きをしているようにも思えますよね。
0456名無しさん@占い修業中垢版2020/09/13(日) 06:28:32.24ID:7H8Tv1n8
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 200) ---
All of this is linked together by the idea that Anubis, who is also Horus, is often
represented (like St. George) slaying the Serpent.
これの全ては、「アヌビス」であり、また「ホルス神」でもある者が、(聖ゲオルギオス
のように)しばしば「蛇」を殺害する姿で描かれるという考え方により結び付けられる。
--- ここまで ---

「The legend of Saint George and the Dragon/聖ゲオルギオスと竜の伝説」は、割と
古典的な、人類の敵である「竜」退治の話であり、日本でも八岐大蛇(ヤマタノオロチ)と
素戔嗚尊(スサノオノミコト)の伝説があるように、世界的に人気のあるジャンルとなって
います。

とはいえ、そういう俗世間の枯れたネタを、この上位世界である「10:運命の輪」の解釈に
そのまま適用するのは、どう考えても地雷以外の何ものでもありませんよね。
まあ、レヴィ氏は、その手の手垢まみれのネタを拾って来たのかもしれませんが、そのネタは、
ゴールデン・ドーン版が出た時に、明確にリセットされています。
つまり、ウェイト版もトート版も、そういう単純な「正義と悪」という構図では無いことを
前提として解釈すべきだと思われます。

つまり、「輪」は「上位世界の営み」として「永遠の回転」を続けており、回転の「上昇」
成分が「ヘルマニュビス」であり、「下降」成分が「テュポン」であるというわけで、「天界
への上昇」すなわち「昇天」を表すとすれば「13:死」がそれであり、「天界からの下降」
すなわち「受肉」を表すとすれば「15:悪魔」がそれに相当します。
そして、中央に座る「スフィンクス」は、錬金術的な「14:節制」として、つまりそれら
全体の統括と監視役として、上位に位置しているという構図ですよね。
そうであれば、「スフィンクス」が有翼であり、2つのカップ(おっぱい)を持つ姿である
というのも、納得いくのではないかと思います。
その場合、「輪」の内部は「ティファレト」以上の上位世界全体を内包するという考え方
になり、我々はその「事象の地平線」を越えて内部に立ち入ることは出来ないという
わけですよね。
0457名無しさん@占い修業中垢版2020/09/14(月) 06:09:24.28ID:ziwigyPf
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 200) ---
Thus in Typhon and Hermanubis we have phases of energy which supersede ("slay")
one another, three types of energy which underlie manifestation.
従って、「テュポン」と「ヘルマニュビス」には、顕在化の根底にある3種類の精力である、
お互いに取って代わる(「殺害する」)精力の様相たちを持つ。

These appear at the center of Waite's Wheel as the symbols of Salt <Salt symbol>,
Sulphur <Sulpher symbol>, and Mercury <Mercury symbol>.
これらは、「塩」<「塩」の象徴>、{硫黄}<「硫黄」の象徴>、および「水銀(水星)」
<「水銀」の象徴>として、ウェイト版の「輪」の中央に出現している。

The fourth figure, the same as the sign of Aquarius <Aquarius symbol>, is the
Alchemical symbol for dissolution.
4番目の象徴、「宝瓶宮(みずがめ座)」の記号<「宝瓶宮」の象徴>と同じものは、
「溶解」を表す「錬金術」の象徴である。
--- ここまで ---

ウェイト版の四つの錬金術記号は、図31(本文196ページ)にあるように、レヴィ氏の
丸パクリであって、ゴールデン・ドーン理論とは直接の関係はありません。
さらに言うと、ウェイト版では、上に「水銀」と「スフィンクス」、右に「硫黄」と「ヘルマ
ニュビス」、左に「塩」と「テュポン」が描かれていますが、その両者の関係についても、
特に触れられていません。

つまり、ウェイト版の「輪」の内部にある四つの錬金術記号は、「輪」の内部で完結
したもの、すなわち「聖四文字」と「TARO」、そしてレヴィ氏の図では「鷲」、「獅子」、
「人」、そして「雄牛」の関係性を示したものであって、「輪」の外部にある「スフィンクス」
や「ヘルマニュビス」や「テュポン」には、関連付けされていないようです。
ちなみに、元々のレヴィ氏の考え方は、トート版と同じく、「硫黄」=「スフィンクス(獅子)」、
「水銀」=「ヘルマニュビス(鷲)」、「塩」=「テュポン(雄牛)」のようですので、ウェイト版
も、そちらの対応で考える方が良さそうです。
0458名無しさん@占い修業中垢版2020/09/15(火) 05:40:45.08ID:jEARSifA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 200) ---
In the Hindu system, what the West calls the "Three Alchemical Principles," are
called Gunas.
ヒンドゥー教の体系においては、「西洋」が「3つの錬金術の原則」と呼ぶものは、
「グナ」と呼ばれる。

The Gunas are Sattva, Rajas and Tamas.
「グナ」は、「サットヴァ(調和)」、「ラジャ(活動)」、および「タマ(非活動)」
である。

Sattva is the philosophic Mercury, superconsciousness.
「サットヴァ」は、「哲学者の水銀」、超意識である。

Rajas is Sulphur, activity, passion and desire.
「ラジャ」は、「硫黄」、活動、情熱、および欲望である。

Gunas is Salt; it is ignorance and inertia, subconsciousness.
「グナ」は「塩」である;それは、無知と惰性、潜在意識である。
--- ここまで ---

最後の文の「Gunas/グナ」は、「Tamas/タマ」の誤植ですかね。

さて、いきなりインドの宗教&哲学であるヒンドゥー教の話が出てきますが、これは
トート版の解説書である『トートの書』に出てくるネタです。
気になるのは、上記の説明から受ける印象からすれば、
・上で静止した「スフィンクス」=「サットヴァ(調和)」
・左で上昇する「ヘルマニュビス」=「ラジャ(活動)」
・右で下降する「テュポン」=「タマ(非活動)」
のようにワタシには思えるのですが、『トートの書』では、そういう配属になっていない
のと、それについての明確な説明が無いため、ワタシにはよくわかりません。
0459名無しさん@占い修業中垢版2020/09/16(水) 05:56:39.84ID:RoIljoLr
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 200) ---
The idea that the WHEEL OF FORTUNE symbolizes the revolution of natural phases is
generally accepted, though there is some confusion about which of the Gunas is
applied to which figure.
「運命の輪」が自然の様相たちの回転を象徴しているという考え方は、一般的に受け入れ
られてはいるが、けれども、「グナ」のそれが、 どの像に適用されるかについては、
いくらかの混乱がある 。

Crowley states that the Sphinx is Sulphur, Hermanubis is Mercury and Typhon is
Salt. (*187)
クロウリー氏は、「スフィンクス」が「硫黄」であり、「ヘルマニュビス」が「水銀」で
あり、「テュポン」が「塩」であると述べる。 (*187)
--- ここまで ---

ちなみに、(*187)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
187. Crowley, Book of Thoth, 91.
187. クロウリー著、『トートの書』、91ページ。
--- ここまで ---
とあります。

そもそも、クロウリー氏が、タロットとは本来関係の無いヒンドゥー教のネタを中途半端な
形で振ってくるから、色々と混乱するわけであって、そういう未消化のままの下界ネタに
巻き添いにされるゴールデン・ドーン版やウェイト版は、いい迷惑です。

ついでに言うと、クロウリー氏が言う
・「スフィンクス」=「硫黄」
・「ヘルマニュビス」=「水銀」
・「テュポン」=「塩」
という対応も、いまいち意味が分かりませんので、全面的にスルーしたいと思います。
0460名無しさん@占い修業中垢版2020/09/18(金) 06:04:25.29ID:DgRGOFD0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 200) ---
The Golden Dawn version, on the other hand, would allow the Sphinx to be considered
nothing less than the Superconsciousness, Sattva, the Philosophic Mercury.
ゴールデン・ドーン版は、その一方で、「スフィンクス」が、「超意識」、「サットヴァ」、
「哲学者の水銀」に他ならないと考えられることを可能にするであろう。

And we see that in Waite's card the Sphinx sits above the Mercury sign on the Wheel.
そして我々は、ウェイト版カードにおいて、「スフィンクス」が「輪」の「水銀」の記号の
上に座っているのを見る。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版は、たった3つの象徴、すなわち「スフィンクス」、「輪」、「冥界の
犬頭猿」から構成されていることを考えると、「スフィンクス」が「サットヴァ」に配属
されるという説は、ワタシ的には疑問であり、どちらかと言うと、
・「輪」=「サットヴァ」=「哲学者の水銀」
・「スフィンクス」=「ラジャ」=「硫黄」
・「冥界の犬頭猿」=「タマ」=「塩」
の方が、まだしっくり来るかな、という感じです。

一方で、ウェイト版では、確かに位置的には「スフィンクス」が「水銀」の記号の上にあり
ますが、他の生き物は、中途半端な位置にありますので、そんなに結びつきが強いようにも
思えませんし、そもそも、このウェイト版の「輪」の元ネタは、レヴィ氏の「エゼキエルの
車輪」という魔法陣的なイメージ図であって、レヴィ氏自身がデザインした「10:運命の輪」
に、この「魔法陣の輪」が描かれていたというわけでもなくて、ウェイト氏が「かっこいい
からパクった」というだけなんですよね。(←なぜか断言w)
そもそも、「スフィンクス」が「水銀」てあれば、必然的に「ヘルマニュビス」が「硫黄」
となるわけですが、属性的に見れば、どう考えても無茶としか思えません。

つまり、「運命の輪」に出てくる3つの生き物を錬金術の3つの原理(硫黄、水銀、塩)に
当てはめるのは、各自で適当にやってください、としか言いようが無いということです。
0461名無しさん@占い修業中垢版2020/09/19(土) 06:46:07.09ID:Ndn16+SA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 200) ---
In the Golden Dawn papers it is stated that Mercury is attributed to Kether, Salt
is attributed to Chokmah and Sulphur is attributed to Binah.
ゴールデン・ドーンの文書たちにおいては、「『水銀』は『ケテル』に帰属され、『塩』は
『コクマー』に帰属され、『硫黄』は『ビナー』に帰属される」と述べられている。

The "Three Principles of Nature" are also related to the three Maternal letters
of the Sepher Yetzirah.
「自然の三原理たち」はまた、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』の三母字たち
にも関連する。
--- ここまで ---

『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「第五知識講義」にある、「TWO FURTHER
ALCHEMICAL ATTRIBUTIONS TO THE TREEE OF LIFE/生命の木における錬金術配属二種」
の表には、確かに「ケテル=水銀」、「コクマー=塩」、「ビナー=硫黄」と書かれていま
すが、それが、この「10:運命の輪」と、どう絡んでいるのかは、意図不明です。

また、「自然の三原理たち」、すなわち「硫黄、水銀、塩」とヘブライ文字の「三母字」
との関係は、クロウリー氏の説によれば、
 ・「アレフ[aleph]」=「水銀」
 ・「メム[mem]」=「塩」
 ・「シン[shin]」=「硫黄」
ということのようですが、いずれにしても、他の配属関係との混乱や誤解を招きやすい
ので、この「錬金術関係」のブツは、取り扱いには細心の注意が必要です。

というか、クロウリー氏が、『トートの書』に、ヒンドゥー教の「グナ」とか、錬金術の
「硫黄、水銀、塩」とかいう、あまり関係の無い下界のネタを持ち込まなければ、特に何も
問題は無かったわけですので、そっちはそっちで勝手にやっといて下さいとしか言いようが
ありませんし、ゴールデン・ドーン版やウェイト版を、その手の混乱に巻き込まないで
ほしいなぁ、とも思ったりするわけですよ。
0462名無しさん@占い修業中垢版2020/09/20(日) 07:00:50.55ID:7beFV/cI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 201) ---
20. THE PATH OF YOD
20. 「ヨッド」の小径

The Hermit
隠者

The Ninth Key
9番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「ヨッドの小径」です。

さて、ついに大アルカナも一桁台となり、ページ数も200の大台を超えてきて、ゴールも
ずいぶんと近づいてきました。

そして、ここからは完全に下界から、すなわち「星幽的三角形」からは完全に離れた世界
となるため、前に述べたように、もはや我々の個人的な知恵や知識、直観や感覚などは、
全く通用しない世界、すなわちワタシがこれから述べることは、全てがデタラメであり
口から出まかせであるということを、充分に御理解頂くことが必要となっております。

まあ、誰かさんのように、クスリ漬けや酒浸りになって、脳内リミッターを外すことが
できれば、ここから先も、もっと面白そうなネタを語ることが出来るのかもしれませんが、
そういう危ないことが出来ない個人的状況もありますので、もはや井戸端雑談レベルの、
すこぶるどうでもいいゴミネタと化す可能性が非常に高いです。
占いにおいても、全くもって要らないネタでしかありませんしね。

ということで、ここから先は、なるべく期待値を下げた上で、お付き合いください。
0463名無しさん@占い修業中垢版2020/09/21(月) 06:17:17.16ID:IG45vGcA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 201) ---
□ PATH COLOR: Green-yellowish
□ 「小径の色」:黄色がかった緑色

□ RELATED SOUND: F Natural
□ 「関連した音」:「Fのナチュラル」

□ SIGN: Virgo (Mutable Earth)
□ 「宮」:「処女宮(柔軟宮の地)」

□ MEANING: Hand
□ 「意味」:手

□ SIMPLE LETTER: Sexual Love
□ 「単字」:「性愛」

□ ESOTERIC TITLE: The Prophet of the Eternal, the Magus of the Voice of Power
□ 「秘伝的な称号」:「永遠の予言者、力の声の魔術師」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、指を伸ばして開いた「手」と、ヘブライ文字の「ヨッド」
と、「処女宮(おとめ座)」の占星術記号、および「生命の木」における「ヨッドの小径」
の位置が図示された絵が描かれています。

なお、ここの「ESOTERIC TITLE/秘伝的な称号」は、元の『The Golden Dawn/黄金の夜明
け魔術全書』では、「The Magus of the Voice of Light, The Prophet of the Gods./
光の声の魔術師、神々の予言者」となっており、なぜか異なっています。
まあ、我々にとっては、もはやどうでもいい領域ですので、ツッコミは無しでお願いしたい
のですが、「処女宮」なのに、じーちゃんが描かれていたり、「隠者」なのに、スポット
ライトで目立っていたり、色々とボケまくりでツッコミどころの多いカードなんですよね。
0464名無しさん@占い修業中垢版2020/09/22(火) 06:50:01.35ID:oBsvz2v0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 201) ---
THIRTY TWO PATHS OF WISDOM: The Tuentieth Path is the Intelligence of Will, and is
so called because it is the means of preparation of all and each created being,
and by this intelligence the existence of the Primordial Wisdom becomes known.
「知恵の32の小径たち」:「20番目の小径」は「意志の知性」であり、それは全ての、
そして各々の創造された生き物の準備の手段であり、そして この知性により、「原始の
知恵」の存在が知られるようになるためにそう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用です。

相変わらず、良くわからない文章ですが、さらに理解が困難なものというか、要するに、
我々の理解を超えたものについて、何とか回りくどく説明しようとしているような気配が
あるということは察せられます。
とはいえ、我々の理解を超えるものについて説明されても、それを受け取る方としては、
意味不明で理解不能な言葉の羅列でしかないんですよね。

とりあえず、ここでのポイントは、「Primordial Wisdom/原始の知恵」とは何なのかと
いうことですが、これは「全ての、そして各々の創造された生き物の準備の手段」である
ということであり、それはすなわち「being/生きる(存在する)」ということに対する
「Will/意志」なのかなぁ、とか思ったりするのでした。
普通に考えれば、それは『旧約聖書:創世記』にあるように「God/神」の「意思」では
ないかと思うのですが、それが「原始の知恵」なのかと問われれば、それも何か違うよう
な気もするわけですよ。
つまり、それが「神の意志」であることは何となく分かるのですか、真の「神の意図」が
分からないので、そう安易に結論が出せないというか、まあ我々下っ端の人間には、
雲の上の存在の本当の考えなんて分からないのは当然と言えば当然なのですが、
そういう意味からしても、もやもやしてしまうんですよね。
0465名無しさん@占い修業中垢版2020/09/23(水) 06:24:23.54ID:GF1LaoxM
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 201) ---
The Path of Yod, connects Tiphareth (the Christ-Buddha center) and Chesed (the
Architect of Manifestaton).
「ヨッドの小径」は、「ティファレト」(「キリストーブッダ」の中心)と、「ケセド」
(「顕在化の設計者」)を接続する。

In brief, it represents the self-sustained, primal beginnings of manifestation.
手短に言えば、それは、自立した、顕在化の原初の始まりたちを表している。
--- ここまで ---

「ティファレト」には、数多くの「小径」が上流から「創造者」として流れ込んでいて、
そしてまた「ティファレト」は劣化「ケテル」として、この世界の「創造主」の一員と
して、この世界を支配しています。
つまり、「ティファレト」は、上位世界の「マルクト」であり、下位世界の「ケテル」で
あるわけですが、その「上位世界のマルクト=ティファレト」を主に創造しているのが、
「ゲブラー」と「11:正義」のルート、そして「ケセド」と「9:隠者」のルートとなります。

「ゲブラー」と「11:正義」、そして「ケセド」と「9:隠者」の両者の働きは。、以前にも
考察した通り、かなり複雑怪奇というか、我々の知識では、もはやきちんとした整合性を
取ることが出来ないぐらいに、つまり理論立てて説明が出来ないくらいに複雑です。

まあ、理論立てて考えることを放棄して、何となく感じるということでもいいのですが、
そうするとワタシには、現役を引退して役職だけ残った高齢の相談役と、現役バリバリ
のキャリアウーマンという対比の構図しか浮かばないので、それもまた厳しいところです。

おそらく、この「9:隠者」を、後期高齢者の姿に描いたというのが問題なんですよね。
つまり、この人物は、普通の人間ではなくて、年齢的にはこの宇宙の年齢の130億歳に
匹敵するけれども、肉体的にも精神的にも、まだまだ若いのではないかと思われます。
要するに、この「見た目は老人、頭脳は子供もしくは大人」の人物像を、どう解釈していく
かが、ここでのポイントとなるわけですよね。
0466名無しさん@占い修業中垢版2020/09/24(木) 06:12:44.97ID:MErNgnOb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 201) ---
It is the very point of origin of our manifest Universe, in direct contact with
the Divine Source of All.
それは、「全ての神の源泉」と直接接触している、我々の顕在化した「宇宙」の起源の
まさにその地点である。

It is the Path from the Demiurge out of darkness.
それは暗闇から脱する「デミウルゴス(小さい創造主)」からの「小径」である。

It is the coming of the Light of manifestation through Microprosopus.
それは、「ミクロプロソプス(小さな顔)」を通じた顕在化の「光」の到来である。
--- ここまで ---

「origin of our manifest Universe/我々の顕在化した宇宙の起源」は、下界の我々から
見れば、「劣化ケテル」である「ティファレト」のように見えますが、実際には「高次の
自我」を形成する「倫理的三角形」であると推定されます。
この「倫理的三角形」には、その名前や見た目以上にエロさが感じられるわけですが、
その要因となっているのは、ここでの「宇宙の受胎」の暗示にあるわけです。
つまり、「9:隠者」が男性的象徴であり、「11:正義」が女性的象徴であり、「8:力」が
それらの結合であり、そして「ティファレト」が子宮の象徴であるという感じですよね。

あと、「0:愚者」と「11:正義」、「1:魔術師」と「9:隠者」の結びつきの関係性にも
注意しておく必要があります。
つまり、「至高の三角形」と「倫理的三角形」は、深淵により隔てられてはいますが、
量子もつれ状態となっていて、互いに影響を及ぼしていると考えられます。
何が言いたいかというと、単に「デミウルゴス=ケセド」ではないし、「9:隠者」一人で
全ての宇宙を創造したということでもなく、もっと広い相互作用で、「宇宙の創造」を
考える必要があるんじゃないかな、ということなのですが、それでも、この「9:隠者」の
もたらす「光」が、「宇宙の懐胎と誕生」にとって決定的な働きをするということは、
『旧約聖書:創世記』の冒頭を見れば、何となく理解できるのではないかと思います。
0467名無しさん@占い修業中垢版2020/09/25(金) 06:00:00.73ID:/9WYy8gE
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 201) ---
Insofar as the sign Virgo is attributed to the twentieth Path, we understand the
Hermit to be ever-virgin, pure, and totally innocent.
「処女宮(おとめ座)」の宮が20番目の「小径」に帰属される限りにおいて、我々は
「隠者」が永遠なる処女であり、純粋で、全くの純潔であると理解する。

And insofar as it represents a gateway to the bridge between Macroprosopus and
Microprosopus, it involves certain qualities of Daath.
そして、それが「マクロプロソプス(大きな顔)」と「ミクロプロソプス(小さな顔)」の
間の橋への出入り口を表す限りにおいて、それは「ダアト」の特定の品質たちに関係する。
--- ここまで ---

基本的には、「ケテル」から「ティファレト」までは、宇宙の顕在化以前の話ですので、
「virgin/処女」であると言うことが出来ますが、我々の宇宙は既に顕在化しています
ので、実際に「virgin/処女」ということではなく、ここは、どちらかと言うと、聖処女
マリアの伝説のように、設定的なものであると理解しておいた方がいいように思います。
なぜなら、後で辻褄が合わなくなるからですよね。

あと、この「9:隠者」は、「ミクロプロソプス(小さな顔)」を形成する「小径」では
ありますが、上位の「マクロプロソプス(大きな顔)」、すなわち「至高の三角形」の
「小径」たちと、ある特定の量子もつれ状態にあることは、以前に話をした通りです。
とはいえ、我々は、上位存在の品質や特性を理解できるはずもないので、いくら
「お前の秘密を知っている」と言ったところで、何の役にも立たないわけです。

ということで、実際のところ、この「小径」から得られるものは、かなり限定的というか、
我々のような一般人にとっては、もはや何の役にも立たないものとなっています。
つまり、「オレ様は、お前/宇宙/神の秘密を知っている」などと意味不明な供述をして
いる人々向けに、ありそうもない妄想爆裂ネタを提供するぐらいしかないわけですが、
ここから先は、そういうものであると開き直って進めていくしかないのが現状なのでした。
0468名無しさん@占い修業中垢版2020/09/26(土) 06:25:08.32ID:+dyc/rJo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 202) ---
These Daath qualities are represented by the very isolation of the figure: There
is something naturally mysterious and compelling about this figure standing alone
in the desert holding its own source of Light.
これらの「ダアト」の品質たちは、まさにその孤立した人物像により表されている:砂漠の
中に独りで立ち、それ自身の「光」の源を持つ、この人物像については、当然ながら神秘的
で説得力のある何かがある。
--- ここまで ---

なぜ「ダアト」の品質にこだわるのか、ワタシには良く理解できないのですが、なんか
そういうことが関係しているらしいのです。

とはいえ、この「9:隠者」は、完全な暗闇(「ダアト」)を背景としているわけではなく、
「ケセド」を源流にしているわけですし、ゴールデン・ドーン版でもウェイト版でも、
そしてトート版でも、そういう「暗闇」らしきものは、表面的には見あたりません。

ちなみに、「9:隠者」の背景は、完全な暗闇ではなくて、「夜空」、すなわち太陽の無い
世界であって、つまりこれは宇宙の歴史から見れば、「太陽系」が出来る前の原始宇宙で
あるとも考えられます
つまり、「9:隠者」が立っている土地は、「地上の砂漠」というよりも、「宇宙の砂漠」、
すなわち星として固まる前のガス状星雲みたいなものと考えると、しっくり来ます。
とはいえ、この「9:隠者」のある「倫理的三角形」は、そういった物質的なものは本来
存在しない世界ですので、そういう「目に見えるもの」でも無いわけです。
というか、もはや何かに例えること自体が出来ないシロモノなのですが、こちらとしては
何かに例えないと話が出来ないわけですので、その点はご了承願いたいと思います。

つまり、これから先の話は、「9:隠者」の本質とは全く関係のない、単なる「ネタ話」
でしかないということを、改めて確認しておきたいと思うのでした。
てもまあ、そういうネタ的な話題であっても、何かの役に立つかもしれませんので、
物好きでヒマな人限定で、お付き合いください。
0469名無しさん@占い修業中垢版2020/09/27(日) 06:47:03.42ID:qu9S7EK8
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 202) ---
One immediately thinks of Diogenes in search of an honest man, or Moses (whose
head supposedly emanated rays of light) or Christ as the "Light of the World."
人は、直ちに、正直者を探した「ディオゲネス」、または「モーセ」(彼の頭は光線たちを
発していたと思われている)、もしくは「世の光」としての「キリスト」のことを、思い出す。

One may also consider, in studying this solitary figure, that monasticism first
began in the Egyptian desert in the third and fourth centuries after the death
of Christ.
人はまた、この孤独な人物像を研究する際に、修道院制度が、「キリスト」の死後、3および
4世紀においてエジプトの砂漠で最初に始まったことを考慮するかもしれない。
--- ここまで ---

とりあえず、我々一般人は、「9:隠者」の本質を知ることは出来ないという前提ではあり
ますが、ここから先は、「上の如く、下も然り」という「ミソクソ理論」を用いて「月と
スッポン」についての解説を続けていこうと思います。

まず我々は、「9:隠者」のある上位世界の「光」と対応するものを、この顕在化した下界で
見い出そうとするならば、人は「上」ではなく「下」を見ないといけません。
そういう意味では、上記文章にある「ディオゲネス」は、なかなか秀逸な例だと思います。
一方で、「モーセ」や「キリスト」は、有名人すぎて面白味に欠ける点はありますが、
大変な迫害を受けながらも、下々の民衆を導いたという点では、それなりに使えるネタでは
ないかと思われます。

いずれにしても、「9:隠者」の人物像しては、「○○と○○は紙一重」であるというか、
それまで誰もが馬鹿げたことだと思ってやらなかったことを、率先してやっちまった人
という、「賢人」や「聖人」というよりも「変人」に近いイメージが浮かびます。

つまり、「宇宙創造」というのは、そういう「紙一重」の出来事であって、アブノーマル
な神が起こした「奇跡」以外の何ものでもないということが、ここから連想されるわけです。
0470名無しさん@占い修業中垢版2020/09/28(月) 06:15:42.96ID:al6yjdrF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 202) ---
Extreme asceticism and withdrawal from society were considered a means of perfection.
極端な禁欲主義と社会からの撤退は、完璧さの手段と考えられた。

In fact, the very word hermit comes from a Greek word meaning desert, the place
where some of the earliest monks lived in walled-up rooms of one window.
実際、まさに「隠者」という言葉は、ギリシア語で「砂漠」を意味する言葉から来ており、
その場所で、最も初期の修道士たちの一部が、1つの窓の壁に囲まれた部屋たちの中に
住んでいた。
--- ここまで ---

「hermit/隠者」の語源は、ギリシア語にあり、それは「砂漠」とか「孤立」を意味します。

さて、この「隠者」のように、内的な何かに没頭してしまって、正常な社会生活が営めなく
なってしまう、どちらかというと発達障害が疑われるような、引きこもり&ボッチ的な
生活態度は、現代においても、様々な要因で発生しています。
そういうボッチたちと、この「9:隠者」を同一視してしまうのは、それはそれで問題なの
ですが、そういう様々な要因を持つ問題児の属性の中から、「上の如く、下も然り」を
持ち出して考察してみると、それなりに面白いことがわかります。

つまり、「9:隠者」は、上位世界における「はみ出し者」であって、それが結果的には、
自分だけの世界に閉じこもる、すなわち、自分自身が新たな創造主となって、自分自身の
新しい宇宙を創り出す原動力となっているという考え方です。
実際のところ、「新しい世界」というのは、こういう孤立した特異点というか、いわゆる
アブノーマルというか、異端的なものの中から生み出されることが、数多くあります。

つまり、彼は、従来の価値観の世の「世捨て人」となることで、新しい価値観の世界に
おける「創造主」となるということであり、「レッドオーシャン」を脱出して、新しい
「ブルーオーシャン」、すなわち、まだ未開の砂漠状態である新世界に降り立った姿で
あるということになるわけです。←かなり話を盛ってますww
0471名無しさん@占い修業中垢版2020/09/29(火) 06:20:15.14ID:P2zDKG7x
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 202) ---
The higher the card on the Tree of Life, the more important it is that we let the
card suggest such images as they will.
「生命の木」の上でカードがより高くなるにつれて、我々は、カードに、それらが意図する
ような映像たちを示唆させることが、より重要となる。
--- ここまで ---

要は、上位カードは、カードの絵を見たままに解釈、すなわち下界の論理で解釈するの
ではなくて、絵についての「謎解き」とか「裏読み」を駆使して、そこから励起される
妄想イメージを膨らませることが、より重要となってくるということです。
つまり、この段階まで来ると、読み手の習熟度により、受けるイメージが全く異なると
いうことが、しばしば起こります。

つまり、解釈の難しい上級者向けの作品については、賛否の意見が大きく異なることも
しばしばあって、「クソ」だと言う人もいるし、「神作」だと言う人もいるわけで、
そういう「信者」対「アンチ」、「古参」対「ニワカ」の対決というのも、なかなかに
面白いですよね。

まあ、面白いと言えば、大アルカナには本来「吉凶」という概念は含まれていないわけ
ですが、どうしても白黒を付けないと死ぬ症候群の人々が、カードの絵を見たままに解釈
して、これは吉のカードだ、これは凶のカードだ、なんて話しているのを見るのも楽しい
ですよね。

ということで、とりあえず、その手の人々は置いといて、より上級者であることを自覚
している方々は、カードに描かれた象徴について、今まで以上に注意深くボケ&ツッコミ
を入れていきなさいということです。
そういう意味でも、シンプルな絵柄のゴールデン・ドーン版は、より上を目指そうとする
人にとっては、各々の象徴に集中しやすい、とても研究しやすいカードなんですよね。
ということで、ワタシは、カバラの勉強用としては、ウェイト版よりもトート版よりも、
ゴールデン・ドーン版をお勧めします。
0472名無しさん@占い修業中垢版2020/09/30(水) 05:49:35.28ID:KGsE9YeK
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 202) ---
The image of a desert, for example, is a very potent one.
例えば、砂漠の映像は、非常に強力なものである。

Conceptually, it is an expanse of earth as indefinably vast as the ocean.
概念的に、それは海洋と同じように、言葉では言い表せない広大な地の拡がりである。

And as we consider Binah in the image of deep, dark, endless waters, we may
envision the desert as a crystallization or precipitation out of Binah's vast
sea of consciousness.
そして、我々が、深く、暗く、果てしない海の映像において「ビナー」を考慮する時、
我々は砂漠を、「ビナー」の広大な意識の海からの結晶化または沈殿物として心に描く
かもしれない。
--- ここまで ---

勘違いされないように最初に言っておきますが、この「9:隠者」の「砂漠」のイメージと、
「ビナー」の「海」のイメージとの例え話は、あくまでも「月とスッポン」もしくは
「上の如く、下も然り」レベルの話であって、決して同じレベルで扱ってはいけません。
そもそも、「砂漠」の砂は、「海」の水と比べれは、その表面積も体積も、そして地球の
生命体にとっての重要度も、全く比較にならないものですし、そもそも「ビナー」は
「至高の三角形」の存在ですので、同一レベルで語れるシロモノでもありません。
つまり、
「海」>>>[越えられない壁]>>>「砂漠」
であることを重々認識した上で妄想してください、ということです。

まあ、何が言いたいかと言うと、無限の広がりを持つ「至高の三角形」から生み出された
「倫理的三角形」は、我々の住む宇宙のように、もはや無限の広がりを持つものではなく、
あくまでも、そこからの一部が「結晶化または沈殿」した「有限のもの」もの、すなわち
「限定されたもの」という扱いなのですが、それでも、下界の「マルクト」に住む我々に
とっては、いまだに無限の広がりに等しいものであるということには間違いないのでした。
0473名無しさん@占い修業中垢版2020/10/01(木) 06:05:17.62ID:r15De1OZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 202) ---
THE HERMIT is an expression of the same energy as THE FOOL.
「隠者」は、「愚者」と同じ精力の表現である。

It is at once the wise old age of the Child (of the Golden Dawn FOOL card) and the
virgin beginning of a new sequence.
それは、(ゴールデン・ドーン版の「愚者」のカードの)「子供」の思慮深い老年期である
と同時に、新しい連鎖の始まりの処女でもある。
--- ここまで ---

「砂漠」や「ビナー」の話題から、いきなり「0:愚者」が出てきて、話が飛躍しすぎると
いうか脈絡の無い状態に、戸惑っている人もいるかと思いますが、ここは上位世界の話
ですので、下界の理屈に基づいて語ることは困難であることを、まずはご承知ください。

さて、いきなり「隠者」は、「愚者」と「expression of the same energy/同じ精力の
表現」と書かれていますが、これは同じレベルということではなくて、あくまでも「月と
スッポン」レベルで同じであるということに留意してください。
で、そのもっともらしい理由ですが、「倫理的三角形」は「至高の三角形」の劣化コピー
であって、「劣化ケテル」=「ティファレト」、「劣化コクマー」=「ケセド」、「劣化
ビナー」=「ゲブラー」という関係性から察するに、「劣化愚者」=「9:隠者」が導き出
せるという、かなり強引な手順となります。
ちなみに、この「愚者」から「9:隠者」(そして「13:死」)への構図は、ゴールデン・
ドーン版では想像しにくいのですが、ウェイト版では、割とわかりやすく描かれています。

とはいえ、「0:愚者」と「9:隠者」では、見た目が、あまりにも違いすぎるように見える
のも確かですが、それを覆すものが、「9:隠者」の持つ「処女宮」属性なんですよね。
要するに、この「隠者」は、「老人の皮を被った処女(オトメ)」、もしくは「見た目は
大人(老人)、頭脳は子供」という、一般世間では、どちらかと言うとヤンチャな暴走老人
として扱われる、割とハタ迷惑なタイプであり、以前の話に出てきた「ディオゲネス」に
近いタイプであると想像することができます。
0474名無しさん@占い修業中垢版2020/10/02(金) 06:07:24.82ID:r4rk0QlV
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 202) ---
It is the purity and innocence of THE FOOL as it is transformed in the projection
of Microprosopus through Binah.
それは「ビナー」を通して「ミクロプロソプス(小さな顔)」の投影の中に変換されるので、
それは「愚者」の純潔と純真である。

The idea that THE FOOL (child) is at the same time THE HERMIT (old man) may best
be understood by meditating on the snake which holds its tail in its mouth, the
traditional symbol of wisdom.
「愚者」(子供)が同時に「隠者」(老人)でもあるという考え方は、伝統的な知恵の象徴
である、その尾をその口に持つ蛇について瞑想することにより、最もよく理解されるかも
しれない。
--- ここまで ---

最初の文の「It/それ」は、「愚者」から「隠者」へと受け継がれた、「expression of
the same energy/同じ精力の表現」、すなわち「劣化愚者のエネルギー」です。

ちなみに、「0:愚者」の属する「至高の三角形」と、「9:隠者」の属する「倫理的三角形」
は、「深淵」で絶縁されていますので、両者の間は、電磁誘導的な「見えざる力」で
エネルギーの伝達が行われていると推定できます。
例えて言えば、「至高の三角形」のループ内では、超高周波電流が流れており、その電磁場
に励起されて、「倫理的三角形」のループにも超高周波電流が流れるような関係ですよね。
そういう意味では、「ビナー」単体から「9:隠者」に向けて、直接電流が流出するような
イメージは、ワタシにはありませんので、上記の文には、ちょっと違和感があります。

あと、尾を口にくわえた「ウロボロスの蛇」が、「愚者」と「隠者」の関係性であるという
説明は、両者の次元が違いすぎるので、両者を同等扱いするのには違和感があります。
「9:隠者」は、あくまでも「0:愚者」の劣化コピー、すなわち一部の属性を制限付きで
受け継いだものであり、中身は「子供」の属性を受け継いだものの、外見は属性を受け
継がなかったために、劣化して「老人」になったと、ワタシ的には考えています。
0475名無しさん@占い修業中垢版2020/10/03(土) 06:11:44.18ID:HKkb+XRs
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 202) ---
It has been stated that JUSTICE, the Path opposite THE HERMIT, administers the
energies in manifestation of THE FOOL.
「隠者」の反対側の「小径」である「正義」は、「愚者」の顕在化の精力たちを管理して
いることが、述べられたことがある。

Thus, we appreciate that JUSTICE and THE HERMIT must also work together in some
basic way.
従って、我々は、「正義」と「隠者」もまた、ある基本的な方法において連携して働かな
ければならないことを認識する。

One clue to this mystery is, again, in the [lamed][aleph], JUSTICE + THE FOOL,
which is also the God Name of Chesed, point of origin of the Path of THE HERMIT.
また、この神秘への1つの手掛かりは、 [lamed][aleph]、「正義」+「愚者」の中にあり、
それはまた、「隠者」の「小径」の起点でもある。
--- ここまで ---

以前に、「11:正義/ラメド/牛突き棒」と「0:愚者/アレフ/牛」、そして「ケセド」の
神名である [lamed][aleph] という、単なるこじつけにしか思えないような関係性について
述べられていますが、似たようなこじつけで、「9:隠者」と「0:愚者」が関連付けされます。
もちろん、これは単なるこじつけではなく、「ひらめき」と称する特殊能力によるもので
あって軽視すべきものではないのですが、胡散臭さというものは否めないですよね。

それはともかく、「ケテル」が「セフィロト」の起点であるのと同様に、「0:愚者」は
「小径」の起点であるため、「ケテル」から流出した中性的な「0:愚者」エネルギーが
分化して成長し、男性的な「9:隠者」と女性的な「11:正義」となって、「劣化ケテル」
である「ティファレト」で両者が合体して、新たな「子宇宙」を生み出すというストーリー
は、それなりにイケそうな感じもします。
ということで、「9:隠者」の持つ男性的かつ生産的な神秘エネルギーの性質について、
より深く妄想を、いやいや検討を続けてみようと思うのでした。
0476名無しさん@占い修業中垢版2020/10/04(日) 06:49:54.46ID:DrC0wueR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 202) ---
Most important is that THE HERMIT represents communication between the Higher Self
of Tiphareth (the Ruach) and the Spiritual Self of Kether (the Yechidah).
最も重要なことは、「隠者」が「ティファレト(ルアク)」の「高次の自我」と、「ケテル
(イェキダー)」の「霊的自我」の間の伝達を表しているということである。
--- ここまで ---

またもや、単なる思いつきに過ぎないような結論だけのネタが出ていますので、その背景に
ついて、単なる思いつきに過ぎないような理由を、考えておきましょう。

まず、「ティファレト」は、「ミクロプロソプス(小さな顔)」でもある「ルアク/霊」の
中心にあって、「マクロプロソプス(大きな顔)」の核であり「イェキダー/唯一」である
「ケテル」の劣化コピーであることは、既に述べた通りです。
そして、「ティファレト」と「ケテル」の主な交流関係は、
・「2:高等女司祭」による上意下達ルート
・「9:隠者」&「0:愚者」の量子もつれ状態による相互交流ルート
の2つのルートを通じて行われるということですかね。

とはいえ、これらの「ケテル」から「ティファレト」へと流出する情報やエネルギーは、
下界に住む我々の理解を越えたものであるゆえ、だから何?としか言えないわけであり、
それを知っていたからといって、特に何の役にも立たないわけです。

まあ、ここでネタとして知っておくことは、ゴールデン・ドーン版の「0:愚者」に描かれた
「裸の子供」が「薔薇樹」から手に取る「黄色の薔薇」は、年月が経ち、原始宇宙が
冷えて固まった後に、「9:隠者」が手に持つ「灯」となった、ということぐらいですかね。

そして、もし我々の霊が、上位世界における霊的時間を遡ることができるのであれば、
我々は「9:隠者」から「0:愚者」へとタイムワープして、「ケテル」へと到達することも、
理屈の上だけならば可能なわけです。
まあ、現実的には不可能なのですが、あり得ないことを妄想するのも、研究の一つなのです。
0477名無しさん@占い修業中垢版2020/10/05(月) 06:21:36.70ID:jACazjUW
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 202) ---
For this reason the Golden Dawn text calls THE HERMIT the first of three great
initiatory cards, the others being STRENGTH and THE CHARIOT.
この理由により、ゴールデン・ドーンの本文は、「隠者」を、3つの偉大なる参入のカード
たちの最初のものであると呼び、その他のものは「力」と「戦車」である。
--- ここまで ---

ここも単なる思いつきに過ぎないような結論だけのネタですが、少しだけ余計な詮索を
しておきます。
ちなに、この「Golden Dawn text/ゴールデン・ドーンの本文」というのは、『The Golden
Dawn/黄金の夜明け魔術全書(下巻)』の『THE TAROT TRUMPS/タロー・トランプ」の
「IX 隠者」の項にあります。

まず、「this reason/この理由」というのは、「9:隠者」は、単に「ティファレト」と
「ケセド」とを結ぶだけではなく、「0:愚者」を通じて「ケテル」にも通じているという
主張(原因)だと思われるのですが、それが結果的に、なぜ「three great initiatory
cards/3つの偉大なる参入のカードたち」となるのかが、いきなり、わけわかめです。

一つ考えられるのは、「9:隠者」の男性精力と、「7:戦車」の起点となっている「ビナー」
の女性性との関わりです。
元々、「ビナー」の女性性は、「コクマー」の男性性と対になっており、「聖四文字」
の「ヨッド」が「コクマー」に、「最初のヘー」が「ビナー」に配属されています。
一方で、ヘブライ文字としての「ヨッド」は、「9:隠者」に配属されており、それゆえ
「9:隠者」が、「8:力」と「7:戦車」を通じて「ビナー」との関係を築くことも可能です。
そうなれば、「9:隠者」は、「0:愚者」との連携により、「至高の三角形」のパワーを
自在に操れることになるという筋書きなのですが、とはいえ、「ビナー」の体目当てで
近づく下心のある男は、「深淵」にて、ほぼ完全に遮断されています。

じゃあ、どういう下心を持って「ビナー」に言い寄ったらいいのか、いやいや「偉大なる
参入」を目指せばいいのかという問いについては、ワタシには答えられないのでした。
0478名無しさん@占い修業中垢版2020/10/06(火) 06:33:54.51ID:ygpkyrX8
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 202) ---
In this regard it should be pointed out that the experiences of all these Paths
may be gained on the Path of THE HIGH PRIESTESS.
この点については、これら全ての「小径たち」の経験は、「高等女司祭」の「小径」に
おいて得られるかもしれないことが指摘されるべきである。

That Path not only encompasses all Paths above Tiphareth, but crosses the Abyss
with its devastating experience of Divine reconciliation through isolation.
その「小径」は、「ティファレト」より上位の全ての「小径たち」を包含するだけでなく、
「孤立を通じた神との調和」の、その圧倒的な経験で「深淵」を横断する。
--- ここまで ---

また話がいきなり飛びますが、ここも、あくまでも微粒子レベルで存在するかもしれない
ネタとして、聞き流してください。

さて、この「2:高等女司祭」の「小径」は、「ティファレト」から直接「ケテル」に至る
という、不精者にとっては、とても有り難い道のように思えるのですが、これは高所から
落下するウォータースライダーのような「ただ上から下へと流れ落ちるだけの道」であって、
そこを人力で登ることは不可能です。
ちなみに、「Divine reconciliation/神との調和」は、キリスト教の用語でよく使われる
「Divine reconciliation/神との和解」(『新約聖書:2コリント』5:11〜)とは、おそらく
異なるニュアンスです。

つまり、どうしてもこのショートカットを登りたい人は、通常の人力ではなく、独りで
行う「神との合一」によるエクスタシーを利用することにより「絶頂=ケテル」に至る
ことができるということのようです。まあ、よう知らんけど。
とはいえ、「2:高等女司祭」をわざわざ持ち出さなくても、まずは「9:隠者」の噴射エネ
ルギーと、それをコントロールする「11:正義」の方向舵の働きを、きちんと理解すれば、
「ティファレト」から上位世界へと登ることは、決して不可能ではないようにも思えますし、
そういう地道な努力こそが、登頂の近道ではないのかな、とも思うのでした。
0479名無しさん@占い修業中垢版2020/10/07(水) 06:01:31.37ID:ClOCYY/r
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 202) ---
However THE HERMIT may be described, it is pre-eminently one of union.
たとえ「隠者」がどのように説明されても、それは結合の顕著なものの1つである。

It represents the first point of awareness by the Higher Self of the Supreme
Spiritual Self, explicable only in the most erotic of imagery.
それは、最も性愛的な映像でのみ説明可能な、「究極の霊的自我」の「高次の自我」に
よる最初の気づきの地点を表す。
--- ここまで ---

話を元に戻しますが、「9:隠者」と「11:正義」は、「ケテル」から流出した、中性的な
「0:愚者」から発生し、成長して、「9:隠者」が男性(精巣)で、「11:正義」が女性
(卵巣)というように、それぞれ性的に成熟し、そこから放出されたエネルギー(精子と
卵子)が、「劣化ケテル」である「ティファレト」の子宮で再び結合して、この顕在化
した宇宙(子)が誕生するという流れになります。
もちろん、「9:隠者」以前の「小径」にも、そういう男女の分化(進化)はあるのですが、
性的に成熟して結合して、「親神」の劣化コピーである「子神」を成すことが出来るのが、
この「9:隠者」と「11:正義」の段階であるということですよね。

つまり、「9:隠者」の見た目は、性的な欲望を持たない枯れた老人のように見えるのです
が、それは世間を欺くための仮の姿であって、実際は、「ヨッド」、すなわち「聖四文字」
の「最初の男性パワー」を内に秘めた、老いたヒツジの皮を被った精力絶倫のオオカミ
であるというのが結論となるわけです。

もちろん、この「精力絶倫の男性パワー」を手に入れることが出来れば、この宇宙全体を
支配できるようなスーパー魔術師になれるわけですので、色々な人が「9:隠者」の力を
手に入れようとしたようですが、並みの人間では、全く歯が立たないのが現実ですので、
あくまでも「ファンタジー世界での話」であると割り切っておくことが必要だと思います。

でもまあ、そもそも「神」を語ること自体が、「ファンタジー」ですしおすし。(元も子もないオチw)
0480名無しさん@占い修業中垢版2020/10/08(木) 06:24:00.45ID:bBi7A1wh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 202) ---
This idea is supported by the Sepher Yetzirah, which attributes sexual love to the
simple letter Yod.
この考え方は、「性愛」を単字の「ヨッド」に帰属する、『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』により支持される。
--- ここまで ---

というか、ウェストコット氏の英訳版『セフェル・イェツィラー(形成の書)』において、
「ヨッド」に「Sexual Love/性愛」が割り当てられているせいで、その結果として様々な
エロイメージが「9:隠者」に向けられてしまっているということですよね。

念のために言っておきますが、『セフェル・イェツィラー』には公式版は無く、様々な
バリエーションが存在しているため、「ヨッド」は常に「sexual love/性愛」に帰属
されているわけではなく、全然違うものに帰属されているバージョンもあります。
ちなみに、ウェストコット氏の英訳版においても、初期版では「the sexual appetite/
性欲」となっていましたので、ひょっとすると、ゴールデン・ドーン版タロットの作画
段階で、「9:隠者」にふさわしい解釈に変更した可能性もありますよね。

さて、「9:隠者」の「ヨッド」が「性愛」を象徴するという件は、トート版においては
見た目そのままで表現されていますが、ゴールデン・ドーン版においても、性的パート
ナーとなる「11:正義」と、以下のように対比させることで、理解することが出来ます。
・人物像:老いた男神の立像 vs 若い女神の座像
・右手に持つもの:棒(火の象徴) vs 剣(空気の象徴)
・左手に持つもの:ランプ(地の象徴?) vs 天秤(水の象徴?)
要は、「今から夜這いに行くぞ」という男と、「そうは簡単にはさせないわよ」という
ツンデレ女の、馬鹿ップルのじゃれ合いみたいな感じになるわけですかね。

見た目は、お互いに恋愛には興味なさそうな「9:隠者」と「11:正義」ですが、実は裏では
そういうスキャンダラスな性的関係(ただし肉体関係ではない)にあるということで、
まあ、人は見かけだけで判断してはいけないという話なのでした。
0481名無しさん@占い修業中垢版2020/10/09(金) 06:41:46.56ID:2C2qGyum
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 202) ---
But this is not the sexuality of coition, for the card is the essence of isolation
and singularity.
しかし、カードが孤立と特異性への本質であるため、これは性交の性欲ではない。

The "sexuality" is self-contained and self-sustaining, a quality cryptically
described in the Golden Dawn documents as "Prudence."
この「性欲」は、自己完結型であり自己持続性であって、ゴールデン・ドーンの文書に
おいて、不可解にも「慎重さ」として記述される品質である。
--- ここまで ---

我々の住む世界における「sexuality/性欲」は、生殖本能、すなわち「種の持続」のため
に「子」を為す「性交/coition」と結び付けて考えられます。
その一方で、上位世界の「sexuality/性欲」は、生殖本能とは関係ない、つまり、永遠
かつ無限の存在であって、生き残るために「子」を残す必要は何も無いわけです。
まあ、そういう点では、一生童貞&処女であっても何の問題も無いわけですが、それでは
この我々の住む「子宇宙」が創造されないので、そこは何とかしてほしいわけです。

つまり、この我々の宇宙は、「性交の性欲」無しで、つまり「性欲抜きで性交」した結果の
「子」であるということになるわけです。
現代風に言うと、「9:隠者」から取り出された「精子」と、「11:正義」から取り出された
「卵子」が、「ティファレト」という人工授精装置で受精して発生するという感覚ですかね。

そして、このカードが「Prudence/慎重さ」であると、『The Golden Dawn/黄金の夜明け
魔術全書(下巻)』の『THE TAROT TRUMPS/タロー・トランプ」の「IX 隠者」の項に記述
されているのも、このカードが、人間界で言う「男性性」を意味しないことを示しています。

じゃあ、一体、これは何なの?と聞かれても、そもそも、この宇宙には存在しない概念です
ので、ワタシとしては何とも答えようが無いんですよね。
結局のところ、皆さんの御想像にお任せします、としか言えないのでした。
0482名無しさん@占い修業中垢版2020/10/10(土) 06:28:53.46ID:JEN37SUj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 202) ---
Yod is related to Kether not only insofar as it is isolated and self-contained,
but also in that it forms the graphic root for all of the other letters of the
Hebrew alphabet.
「ヨッド」は、それが孤立して自己完結している限りだけではなく、ヘブライ語アルファ
ベットの他の文字たち全ての図形の根源を形成するという点においても、「ケテル」に
関連付けされる。
--- ここまで ---

またもや、単なる思いつきだけの結論ですが、そもそも上位世界を論理的に記述可能な
理論は存在しないので、そういうもの、つまり何でもありの言ったもん勝ちの世界である
と思っておいてください。

さて、「ヨッド」が「ケテル」に関係するという話ですが、「生命の木」から見れば、
本物の「ケテル」と上下鏡像関係にある「劣化ケテル」である「ティファレト」に
関係した話であって、そして「ケテル」に結びついた「0:愚者」と上下鏡像関係にある
もの、つまり、「9:隠者」は「劣化愚者」としての位置にあるという話になります。

そして、「0:愚者」=「アレフ(空気)」=「ヘブライ語アルファベットの最初」が、
全てのヘブライ文字の根源であることと同じように、というか劣化した上下関係として、
「9:隠者」=「ヨッド」=「聖四文字」も、全てのヘブライ文字の根源となるということ
になるわけです。

もう一つ言うと、「劣化ケテル」である「ティファレト」を起点とした「劣化愚者」は、
「9:隠者」の他にもあり、それは以前に述べたように「13:死」です。
そして、ゴールデン・ドーン版の「0:愚者」、「9:隠者」、「13:死」を並べてみると、
それらの絵柄の裏には、何と無く共通する要素があるように感じられるのではないかと
思うのですが、あまりにもレベルが高すぎて、ワタシには簡単に言葉に出来ないので、
後は読者の皆さんに丸投げしておこうと思うのでした。(←無責任ww)
0483名無しさん@占い修業中垢版2020/10/11(日) 06:53:00.62ID:GKGaJaI6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 203) ---
Moreover, the Yod is phallic.
さらに、「ヨッド」は男根である。

It is the Male-Fire which rushes out toward the Female-Water.
それは、「女性−水」に向かって飛び出す「男性−火」である。

In the Golden Dawn version this is symbolized by the sign on the front of the
Hermit's hood.
ゴールデン・ドーン版においては、これは「隠者」の頭巾の前面にある記号により象徴
される。
--- ここまで ---

「9:隠者」=「ヨッド」=「phallic/男根」という考え方は、トート版では非常にわかり
やすく表現されています。
一方、ゴールデン・ドーン版では、「9:隠者」の名にふさわしく、巧妙に隠蔽されており、
一般人にはエロカードとして認識されないように、「火」の元素の記号と、「ヨッド」の
ヘブライ文字の組み合わせによって、象徴的に表現されています。
そして、ウェイト版では、さらに表面的なエロ要素は隠蔽されていますが、よく見ると、
山頂すなわち絶頂状態にある「男性神」が、下界に対し、あまねく「光=精子」を振り
撒いて、子を産み出しているという構図になっています。

ちなみに、「ヨッド=男性=火」と「ヘー=女性=水」の関係は、主として「コクマー」と
「ビナー」の関係ですので、より下位の「9:隠者=ヨッド=男性=火」は、「女性−水」
だけでなく、「女性−地」に対しても関係を持ちます。
それゆえ、「9:隠者」は、『旧約聖書:創世記』の冒頭の「光あれ!」に関連付けて考える
ことが出来るわけで、そこから「9:隠者」が我々の宇宙の「父」であり「創造主」であると
いう話に繋がってくるということになるわけです。
とはいえ、このストーリーには、一つの大きな謎、というか未解決の問題があります。
それは、「9:隠者」は「男根」ではあるけれども、「精子」ではないということです。
0484名無しさん@占い修業中垢版2020/10/12(月) 06:04:36.22ID:dygNZP19
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 203) ---
The Yod within a fire triangle means that the Yod is the very essence of spiritual
fire within Microprosopus.
火の三角形の内にある「ヨッド」は、「ヨッド」が「ミクロプロソプス(小さな顔)」の
内にある霊的な火の、まさしくその本質であることを意味する。

It is, thus, an aspect of the Chokmah Force.
従って、それは「コクマー」の「力」の面である。

It is the All-Father in manifestation below the Abyss, which is related to the Logos.
それは、「ロゴス」に関連する、「深淵」の下の顕在化における「全父神(最高神)」である。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の「9:隠者」の頭巾に描かれた三角形の「火」の記号と、その中に
描かれた「ヨッド=火」の組み合わせは、この隠者が、最強クラスの「ほのお」タイプの
魔術師であることと、その内に偉大なる「男性パワー」を秘めていることを意味しています。
そして、その「男性パワー」は、「聖四文字」の「ヨッド=火」が割り当てられた、「天上
の父」である「コクマー」を源泉としていることまでは、想像できます。

ちなみに、「生命の木」において、「ティファレト」に流入する「小径」は、「慈悲の柱」
からは「4:皇帝」(積極的な男性)と「9:隠者」(むっつり型の男性)、そして「峻厳の柱」
からは「6:恋人たち」(積極的な女性)と「11:正義」(ツンデレ型の女性)というように、
しっかりとタイプ別に整理されているのは、とても親切ですよね。

とはいえ、それらの「男性パワー」や「女性パワー」は、我々が良く知っているような
男女の恋愛成分やエロ成分を全く含まないので、うかつに例え話をすると、ほぼ確実に
誤解されてしまうという難点があります。
つまり、素人でも分かるような文系でもなく工学系でもなく、素人には全く理解不能な
純粋脳内理論というか純粋数学系に近いものなので、例え話をすること自体が不可能です。
つまり、ここでのワタシの話は、本当は全てが無意味であることを、ご承知おき下さい。
0485名無しさん@占い修業中垢版2020/10/13(火) 06:14:30.66ID:5NMiCOp/
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 203) ---
The concept of Logos, while not at all difficult, is often misunderstood.
「ロゴス」の概念は、少しも難しいものではないとはいえ、しばしば誤解される。

Logos is a Greek term usually considered to mean word, which came to represent
a principle of both Greek and Hebrew metaphysics.
「ロゴス」は、通常は、ギリシアとヘブライの両方の形而上学の原則を表すようになった
「言葉」を意味すると考えられる、ギリシアの用語である。

In the simplest possible terms: The Logos is a link, an intermediary between God
and Man.
できる限り最も簡単に言えば:「ロゴス」は絆(きずな)であり、「神」と「人」の間の
仲介者である。

The same is true for any sacrificed God, including Christ, Osiris, or Buddha.
同じことが、キリスト、オシリス、仏陀を含む、どのような犠牲にされた「神」にも当て
はまる。
--- ここまで ---

いきなり話が変わって、「Logos/ロゴス」なる用語が出てきております。
この「ロゴス」は、元々は古代ギリシア語で、元々は形而上学的な概念を表すものであり、
そして『旧約聖書』がヘブライ語で書かれた一方で、『新約聖書』はギリシア語で書かれ
ていることもあり、この「ロゴス」は、『新約聖書』、すなわちクリスチャン・カバラに
関連する概念であると考えられます。、
じゃあ、それは何なのかと言えば、『新約聖書:ヨハネ福音書』1:1の「初めに言葉(ロゴス)
があった。言葉(ロゴス)は神と共にあり、言葉(ロゴス)は神であった。」が全てです。
つまり、「もはや何でもあり」という、「もう全部『ロゴス』一人でいいんじゃないかな」
的な、究極無敵ワードとなっているわけです。
そして、我々の理解の範疇を完全に越えているという意味で、「while not at all difficult
/ぜんっぜんっ難しくないよ!」と自信を持って言える言葉である、というオチなんですよね。
0486名無しさん@占い修業中垢版2020/10/14(水) 06:08:17.67ID:DkAxpEEi
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 203) ---
On the Tree of Life Tiphareth is the objective Logos, the objective center of energy
produced by the Demiurge (Chesed) as a direct link of the Lower with the Higher.
「生命の木」に関しては、「ティファレト」は客観的な「ロゴス」であり、「低位」と
「高位」を直接連結するものとして、「デミウルゴス(小さい創造主)」(ケセド)により
生み出される精力の客観的な中心である。

But, in terms of the Paths, which are subjective, the link is on the Path of the Hermit.
しかし、主観的である「小径たち」に関しては、連結するものは、「隠者」の「小径」にある。

This is to say that while objectively Tiphareth is the Logos center; subjectively,
in order to understand this transitional energy, we must rise above Tiphareth
toward Chesed, on the Path of THE HERMIT.
これは、客観的には「ティファレト」が「ロゴス」の中心であるという一方で;主観的には、
この過渡的な精力を理解するために、我々は「隠者」の「小径」の方へと、「ケセド」に
向かって「ティファレト」を超えて登らなければならない、と言うことである。
--- ここまで ---

いずれにしても、「Logos/ロゴス」は、我々の手の届かない世界、すなわち「高次の自我」
を形成する「倫理的三角形」の産物であって、地上にいる我々には到底理解できないという
オチ、いやいや結論で、良いと思います。

ということで、もっと深く詮索してみたいという人は、自己責任で、お願いします。

え、あまりに無責任ですか?
でもまあ、この上位世界で「objectively/客観的」とか「subjectively/主観的」とか
言われても、全くピンと来ないので、しょせんワタシが語るのは無理なんですよね。
複素数(実数と虚数)の概念とも異なるし、敢えて言うなら、十次元世界の中で、四次元
成分を除いた残りの縮退した六次元の中身を「客観的」と「主観的」に分けるようなもの
ですので、そこに何の意味があるのかさえ分からない状態ですしおすし。
0487名無しさん@占い修業中垢版2020/10/15(木) 05:51:28.52ID:dx9NnUNX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 203) ---
Qabalistic attitudes toward what is called the Logos relate largely to Philo, a
Jewish philosopher living at the time of Christ.
「ロゴス」と呼ばれるものに対する「カバラ主義」の態度たちは、「キリスト」の時代に
生きていたユダヤ人哲学者である「フィロン」に、大きく関係している。

He was a synthesizer of Greek and Hebrew thought.
彼は、ギリシア人およびヘブライ人の思想の統合者であった。

To the Hebrews the "word" (vibration) was Power.
ヘブライ人たちにとって、「言葉」(振動)は「力」であった。

To the Greeks, the Logos was "spermatic," meaning that it was the source of All.
ギリシャ人たちにとって、「ロゴス」は、それが「全て」の源であったことを意味して
いるので、「精液」であった。
--- ここまで ---

「Philo/フィロン」は、アレクサンドリアのフィロン(BC20-50AD)と呼ばれており、古代
ローマ時代にエジプトのアレクサンドリアで活躍したユダヤ人哲学者で、『旧約聖書』を
ギリシア哲学を応用して解釈した人物です。
当然のことながら、伝統的な古い思想体系を、新しい思想体系で解釈する行為は、正統派を
自認する人々からは異端視されることになりましたが、当時、同じく異端視されて迫害され
ていたイエス派に注目されて、『新約聖書:ヨハネ福音書』などの、キリスト教の思想の
中に取り込まれました。

とはいえ、「言葉」が「ロゴス」であることはともかくとして、それが「精液」であると
いう例えは、明らかに誤解を招きやすい行為ですよね。
まあ、本来は何かに例えることが出来ないシロモノですので、何でもありと言えば何でも
ありなのですが、こういう誤解を招くような例えのせいで、永遠の処女である「9:隠者」が、
もはや何でも孕ます究極の「エロジジイ」にしか見えなくなってしまうのでした。
0488名無しさん@占い修業中垢版2020/10/16(金) 06:32:29.73ID:xJCBMg6X
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 203) ---
Heraclitis described it as a Divine Fire which stimulated and maintained order.
「ヘラクレイトス」は、それを、秩序を刺激し維持する「神の火」として述べた。

The Stoics saw the Logos as an all-pervading force in the world.
「ストア派哲学者たち」は、「ロゴス」を、世界において全てに充満している力として
見ていた。

Later the neoplatonic doctrine of the Logos in emanations influenced the writer
of the Sepher Yetzirah.
その後、流出たちにおける「ロゴス」の新プラトン主義の教義は、『セフェル・イェツィ
ラー(形成の書)』の作者に影響を与えた。
--- ここまで ---

「Heraclitis/ヘラクレイトス」は、「エフェソスのヘラクレイトス」(BC535-BC475)と
呼ばれている古代ギリシアの哲学者であり、「ロゴス」は「火」であり、「火」が万物
の根源であるという考えを示しています。
そういえば、「水が万物の根源である」という説もありますので、古代においては、「火」
が先か「水」が先かという、「鶏が先か卵が先か」の論争があったということですかね。

「Stoic/ストア派」は、紀元前3世紀頃から始まる、いわゆる「ストイック」な人々の
思想です。
前述の「Philo/フィロン」も、この時代の人です。

そして、「neoplatonic/新プラトン主義」は、紀元後3世紀以降となり、カバラ主義の
『セフェル・イェツィラー(形成の書)』に、多くの影響を与えたのは、前述の通りです。

つまり、「9:隠者」が、「ロゴス」に関係付けられたために、それが「言葉」であったり、
「火」であったり、はたまた「精液」であったりするわけですが、それはあくまでも、
「そういうものに関連付けた人がいた」というだけですので、後は自己責任でお願いします。
0489名無しさん@占い修業中垢版2020/10/17(土) 07:08:31.65ID:pOqYw5Ch
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 203) ---
What Philo did, no mean trick, was to combine the Jewish concept of Word, with
the Platonic concept (related especially to the Timaeus) of manifestation evolving
from a point of transition between the Godhead and Man.
「フィロン」が行ったことは、意味のない策略ではなく、ユダヤ人の「言葉」の概念を、
「神格」と「人間」の間の遷移点から進化する顕在化のプラトン主義の概念(特に『ティ
マイオス』に関連する)と結合することであった。

THE HERMIT may be considered a "Word" (Vibration) uttered into a vast space.
「隠者」は、広大な空間に発せられる「言葉」(「振動」)と考えられるかもしれない。

The Word is that which continually stimulates the development of manifestation,
which energizes the principles of form which it has produced.
「言葉」は、顕在化の発達を継続的に刺激し、それがずっと生み出し続けている、形の
原則たちに精力を与えるものである。
--- ここまで ---

『Timaeus/ティマイオス』は、古代ギリシアの哲学者であるプラトン(BC427-BC347)の
著書であり、前述の「デミウルゴス」も、この本の中に登場します。

とりあえず、ここでのポイントは、この「9:隠者」は、「形」と対を成す「エネルギー」
を象徴するということです。
物理学的に言えば、「形=物質=質量」であり、「質量とエネルギーの等価性」という
自然界の原則を意味するわけで、この場合、質量を測定する天秤を持つ「11:正義」が
「形」であり、「9:隠者」と対を成すという構図になります。
つまり、この宇宙に最初に「存在」したのは「エネルギー」であり、『旧約聖書:創世記』
においては「光」であり、『新約聖書』においては「言葉」であり、それらが「無存在=
混沌=虚時空」の中から「存在=実時空」を生み出す「顕在化」のプロセスを主導すると
いう筋書きになっているということですかね。
まあ、よくわかんないけど。
0490名無しさん@占い修業中垢版2020/10/18(日) 07:13:18.45ID:wq6cvT8u
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 203) ---
While the Hermit is often considered a Christ figure, he is better related to Moses
who led his people across the same Egyptian desert in which monasticism developed
centuries later.
「隠者」は、しばしば「キリスト」の姿と考えられていると同時に、彼は、何世紀も後に
修道院制度が発達したところと同じエジプトの砂漠を渡って、彼の民たちを導いた「モーセ」
に、より良く関連する。

Moses was first related to the Logos by an early Gnostic sect taking its name from
the Simon Magus described in the Acts of the Apostles.
「モーセ」は、『使徒言行録』の中に記述される「シモン・マグス」にちなんで名付けられた
初期の「グノーシス主義」派によって、最初に「ロゴス」に関連付けられた。
--- ここまで ---

「9:隠者」=「ロゴス」の基本形から、=「言葉」、=「火」、=「男根」、=「精液」
という流れの先に、=「キリスト」とか、=「モーセ」というような、「キリスト教」
関連のネタが出てくるのは、まあ当然と言えば当然ですかね。
もちろん、上位世界にある「9:隠者」のレベルは、「キリスト」や「モーセ」などとは
比較にならないくらい雲泥の差があるので、ワタシとしては違和感がアリアリなのですが、
「自己責任でお願いします」と言った以上は、そういう考え方も否定はしません。

ちなみに、この「Simon Magus/シモン・マグス」なる人物は、「キリスト教」の正統性
を示すための敵ザコキャラで、おおよそ実在の人物とは思えないものですし、そもそも
「イエス」も、その行動は人間離れしたものでしたので、『新約聖書』が描く世界とは、
そういうものなんだろうな、という感じですよね。

つまりは、自称「正統派」が、「考えの違う者」をイジメる理由として、『使徒言行録』
にある「シモン・マグス(不届き者)」呼ばわりしたのだと思うのですが、その自称正統派
からの迫害が、後の厨二病患者たちによって、異端派「グノーシス主義」や「カバラ主義」
として開花したということではないのかな、と勝手に思ったりするのでした。
0491名無しさん@占い修業中垢版2020/10/19(月) 05:56:53.58ID:/EBrJiFN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 203) ---
These "Simonian Gnostics" of about the second century A.D. believed that the Book
of Exodus was an allegory of the soul being led by the Logos (Moses) through
the desert of life into the spiritual promised land. (*188)
西暦2世紀頃の、これらの「シモン派グノーシス主義者たち」は、『出エジプト記』は、
「ロゴス(モーセ)」により、生命の砂漠を通過して霊的な約束の地の中へと導かれる
魂の寓話であったと信じた。 (*188)
--- ここまで ---

ちなみに、(*188)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
188. "The Myth of the Going-Forth" as seen by Gnosticism, is discussed by G.R.S.
Mead. Fragments of a Faith Forgotten, New York, 1960, 186-87.
188. 「グノーシス主義」に見られる「門出の神話」は、G.R.S ミード氏の以下の著書に
述べられている。『忘れられた信仰の断片たち』、ニューヨーク 1960年、186-87ページ。
--- ここまで ---
とあります。

とはいえ、この「グノーシス主義」のストーリーだと、「エジプトの地」は、天地創造が
終わった「マルクト」であって、『旧約聖書:出エジプト記』は、そこから脱出して
「spiritual promised land/霊的な約束の地」である「ティファレト」へと向かうという
イメージになると思われます。
つまり、ここだけ読めば、「9:隠者」というよりも、「13:死」以下の世界観ですよね。

おそらく、そういう「ありきたりの世界観」ではない何かを、この「シモン派グノーシス
主義者たち」は妄想していたのではないかと思うのですが、残念ながら、その手のネタは
「黒歴史ノート」の中に封印されて、後世に残らないのが常なのです。
まあ、一般人が、その「黒歴史ノート」、それに類する「偽典」や「偽書」を見たとしても、
そこに書かれているものは、単なる妄言や虚言に見えないものばかりですし、そもそも
「9:隠者」の世界は言葉として残せないものですので、期待しない方がいいのでした。
0492名無しさん@占い修業中垢版2020/10/20(火) 06:22:19.15ID:H8brjtvJ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 203) ---
In other terms, Moses is the Thaumaturge, the arch-magician.
他の用語で言えば、「モーセ」は、「奇跡を起こす聖人」、大魔術師である。

His staff is a wand of enormous power which strikes water from rock, and turns
into a serpent at his bidding.
彼の杖は、岩から水を叩き落とし、彼の命令で蛇に変わる、巨大な力の棒である。

This latter act refers to the use of the Kundalini (Yod) force by the Adept-Magician.
この後者の行為は、達人魔術師による、「クンダリニー(ヨッド)」の力の使用を参照する。

That force is the Sacred Fire which is the essence of the Logos transmitted by the
phallic wand.
その力は、男根の棒により伝達される「ロゴス」の本質である「聖なる火」である。
--- ここまで ---

『旧約聖書:出エジプト記』において、「モーセ」の持つ伝説の「杖」は、「主」により
パワーを注入され、エジブト在住の他の魔術師を圧倒する能力で、「岩から水を叩き落とす」
とか「命令で蛇に変わる」とか、その他色々と、文字通りの「神がかった奇跡」を起こします。

まあ、『旧約聖書』というのは、そういうストーリーですので、それが本当かどうかは
ともかくとして、ここでは「モーセ」よりも、「主」のパワーが直接宿る「wand/棒」が、
メインとなります。
つまり、「9:隠者」=「ヨッド」=「棒」=「火」、そして=「男根」というオチですよね。

とはいえ、「9:隠者」=「男根」としてしまうのは、誤解の元であり、「隠者」の人物像は、
あくまでも「純真無垢の処女」であり、「男根」のパワーは「wand/棒」の方にあります。
そして、そういう視点で見ると、「9:隠者」は、「倫理的三角形」を構成する他の「小径」
である「8:力」や「11:正義」の構図と似たイメージがある、すなわち「相反する力の均衡」
の中から、何かを生み出すことを象徴するものであることがわかるかと思います。
0493名無しさん@占い修業中垢版2020/10/21(水) 06:09:27.79ID:kqHAQ/I2
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 203) ---
One other correspondence between Moses and the Logos is found in the interaction
between the prophet and God as the burning bush.
「モーセ」と「ロゴス」の間の対応関係の他の一つは、預言者と、燃える柴のような「神」
との間の相互作用の中に見られる。

The word of God is not issued directly, but comes through Moses as intermediary,
the function of the Logos.
「神」の言葉は直接発せられるのではなく、「ロゴス」の機能である、仲介者としての
「モーセ」を通じて届く。
--- ここまで ---

「神」である「主」が、「神の山」の「burning bush/燃える柴」の中に出現する話は、
『旧約聖書:出エジプト記』3章にあります。
ちなみに、「杖」については、『旧約聖書:出エジプト記』4章にあります。
だから何なの?、と言われれば、それまでなのですが、まあそういうことです。

とりあえず勘違いされないように言っておくと、「神」は「火」ではありませんし、
ましてや「形あるもの」でもありません。
「神」は、いわゆる「物理的なもの」=「マルクトの世界」とは次元の異なるものであり、
それゆえ「神」の言葉は、一般人には聞こえないし伝わらないということです。

このことは、一般人には、「魔術」と「奇術」の違いが分からないということでもあり、
それゆえ、「モーセ」が「預言者」なのか、単なる「詐欺師」なのかは判別不可能という
ことに留意しておく必要があります。
「聖書にそう書いてあるから」という理由だけでは、とても危険なんですよね。

それゆえ、ここから先の話は、「一般人は立入禁止!」ということで、いいんじゃないか
とも思うのでした。
そもそも、ほぼ全てがフィクションの世界ですしね。
0494名無しさん@占い修業中垢版2020/10/22(木) 06:07:42.42ID:7bHBaz5q
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 204) ---
More than this, Moses may be considered a tool of the Supreme Father, carrying out
His Will.
これ以上に、「モーセ」は、「彼の意志」を遂行する、「最高の父」の「道具」と考えら
れるかもしれない。

In this regard, the hand, man's ultimate creative tool, is attributed to Yod.
この点において、人間の究極の創造的な道具である「手」は、「ヨッド」に帰属される。

THE HERMIT is the very hand of God.
「隠者」は、まさしく「神」の手である。
--- ここまで ---

前項では、「モーセ」は「預言者」、すなわち、まだ「人」として見られていましたが、
ここにおいては、もはや「人」ではなく、単なる「神の道具」もしくは「神の手先」と
いうように、完全に「人格」を奪われた、自らの意思を持たずに、ひたすら「神の意思」
により遠隔操作される、無機質な「ロボット・ハンド」に成り下がっています。

実を言うと、これは「モーセ」に限らず、そもそも「人間」には「自由意思」なんてものが
あるのか、という、「人」に対する究極の疑問にも繋がるわけで、上記の解釈は、そう簡単
には結論が出せない問題でもあります。
元々、「生命の木」は、全ての「大宇宙」と、全ての「小宇宙」、すなわち全ての人間に
関わる話であり、そしてこの「9:隠者」の位置は、人が人としての「人格」を持つ以前
の話になるわけです。
このため、「人格」は「神の手」により支配されているので、「人は全て、神の手で作られ、
神の意志を吹き込まれたロボットである」という、『旧約聖書:創世記』にあるような
ネタに発展する可能性が高いわけです。
ということで、ここから先は、ワタシの手に余る問題というか、レベルの低いワタシには
語ることの出来ない高次元の問題ですので、後は読者の皆さんに解釈を丸投げしておこう
と思うのでした。
0495名無しさん@占い修業中垢版2020/10/23(金) 06:07:48.90ID:a5JpmxT4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 204) ---
The hand of THE HERMIT is open as opposed to that of the WHEEL OF FORTUNE.
「隠者」の手は、「運命の輪」のそれとは対照的に、開かれている。

The open hand is a sign of ultimate power, found especially in Byzantine
representations of the Pantocrator, Christ as the Ruler of the Universe.
開いた手は、究極の力の合図であり、特に、「宇宙の支配者」としての「キリスト」である、
「パントクラトール(全能者ハリストス)」の「ビザンティン美術」の肖像画たちに見られる。

But the open hand is also a sign of innocence; it may give and take freely without
the impediments of thought or moral restrictions.
けれども、開いている手はまた、無罪の合図でもある;それは、思考や道徳的な制約たちの
障害物たち無しに、自由に与えたり受け取ったりするかもしれない。

The open hand represents THE HERMIT as Prophet, the completed adept.
開いている手は、「預言者」であり、完璧な達人としての「隠者」を表す。
--- ここまで ---

「9:隠者」は「ヨッド」であり、「ヨッド」は「(開かれた)手」なのですが、カードの
絵を見ると、マルセイユ版、ゴールデン・ドーン版、ウェイト版、トート版の全てにおいて、
人物像の「手」は握られています。
このことは、「9:隠者」に描かれた人物像は、「ヨッド」ではないということを強く示唆
しており、本当の「ヨッド」は、隠されていて描かれていないということになります。
そういえば、「9:隠者」なのに、堂々と絵の中央に描かれていて、全然隠れていないじゃ
ないかという指摘があるのですが、実は「最も大事なもの」は隠されていて描かれていない
ということであって、それゆえ、この人物像=「隠者」として考察することは、誤解を招く
ことになるわけであり、実にやっかいというか面倒臭いカードでもあります。

まあ、そもそも「語ることもできない」し「描くことも出来ない」世界の話ですので、
そういうこだわりを持つこと自体も、何の意味も無いということなんですけどね。
0496名無しさん@占い修業中垢版2020/10/24(土) 06:41:52.75ID:kV1uY5E/
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 204) ---
Insofar as THE HERMIT is the Adept-Magician, he is the agent of the Supreme Will
and, as such, the Thirty-Two Paths of Wisdom calls the Twentieth Path the
Intelligence of Will.
「隠者」が「達人魔術師」である限りにおいて、彼は「最高位の意志」の代理人であって、
それゆえ、「知恵の32の小径たち」は、「20番目の小径」を「意志の知性」と呼ぶ。

There is a strong link between THE HERMIT and the Path of THE MAGICIAN (the
Intelligence of Transparency) since Virgo is ruled by Mercury.
「処女宮」は「水星」により支配されるので、「隠者」と「魔術師(透明性の知性)」の
「小径」の間には、強い連結がある。

This means that the Philosophic Mercury ultimately directs the course of the
Yod-Fire on the Paths.
これは、「哲学者の水銀」が、「小径たち」に基づいて、「ヨッド−火」の進路を、最終的
に指示することを意味する。
--- ここまで ---

「隠者」が「達人魔術師」であるという前提は、彼が「最高位の意志」=「神」の代理人
であることを意味するということですが、そうであれば、「意志の知性」の「意思」は、
あくまでも「神の意志」であって、「隠者」の意思ではないことに注意が必要です。

あと、「9:隠者」の「処女宮」は「水星」に支配されているため、「水星」が配属される
「1:魔術師」にも関連していて、前述した「9:隠者」と「0:愚者」の関係も相まって、
なかなかに強大なパワーを隠し持っているカードです。

そして、その強力な「ヨッド−火」のパワーを、どう活用するかについては、対になった
「11:正義」と協力しながら、「哲学者の水銀」が配属された「ケテル」の意思に基づき、
その劣化コピーである「ティファレト」という「顕在化した宇宙」を創造していくという
ストーリーになるわけですかね。(よう知らんけど)
0497名無しさん@占い修業中垢版2020/10/25(日) 06:45:35.93ID:g+9C+ryL
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 204) ---
The fact that Virgo is an earth sign may be somewhat confusing in that any discussion
of THE HERMIT invariably centers on the idea of Fire.
「処女宮」が、地の宮であるという事実は、「隠者」のどのような議論でも、常に「火」の
考え方に集中しているということにおいて、多少混乱するかもしれない。

Hopefully it has been understood that the Fire in question here is not the same
as either Elemental Fire or Maternal Fire.
望むべくは、ここで問題となる「火」は、「(四大)元素の火」や「(三)母字の火」と
同じではないことが理解され続けていることである。

THE HERMIT could be called the "First Earth" within which a Sacred Fire operates.
「隠者」は、その内において「聖なる火」が作用する「最初の地」と呼ばれることができる。
--- ここまで ---

「9:隠者」に配属される「処女宮(乙女座)」は、カードに描かれているオッサンの姿
からはイメージしにくいものであり、さらに「地の星座」であることで、「ヨッド=火」
のイメージからも、かなりかけ離れたものになっています。

もちろん、そういう論理的な矛盾を完全にスルーすることも可能なのですが、そういう
逃げの姿勢では、面白いネタは浮かばない、いやいや神秘の理解は進まないわけです。
つまり、ここは、一発逆転劇が必要というか、「羊の皮を被った狼」の正体を暴く必要が
あるということですよね。

ということで、ここでは、よくあるバターン、つまり「火」は「火」という名前ではある
けれども、それはあなたの知っている「火」ではなくて、あなたの知らない「聖なる火」
であるという逃げの一手、いやいや逆転の一撃をお見舞いするという手段を用いています。
これはつまり、論理的矛盾を、「おまえが知らないだけ」という責任転嫁の手法を用いて
正当化するという、どう見ても詐欺まがいのテクニックなのですが、実際のところ、この
手法は、神秘を理解する上では、かなり有効な手段であることは、確かなんですよね。
0498名無しさん@占い修業中垢版2020/10/27(火) 06:02:09.73ID:26N/rsgM
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 204) ---
The Yod force, again, ennervates to keep the world in order, a stimulus which could
be described as a fertilization.
「ヨッド」の力は、また、世界を整然と保つために刺激し、受精として説明できる刺激である。

The concept is an extremely difficult one which has to do with multi-faceted potentiality.
概念は、多面的な可能性と共に行わねばならない、極めて困難なものである。

Approached from another direction, it could be said that the most ordered existence
is Earth, here represented as wholly barren, but with the potential for all life.
別の方向から接近されるならば、最も秩序だった存在は「地」であり、ここでは完全に
不毛であるとして表わされてはいるが、しかしながら、全ての生命の可能性を含むもので
あると言われることができるであろう。
--- ここまで ---

要は、「9:隠者」=「ヨッド(火)」と単純に考えるのは誤りであって、
「9:隠者」=「ヨッド(火)」+「処女宮(地)」
というように、複合体として考える必要があるということです。
これは、今まで述べたように、他の「倫理的三角形」を構成する「8:力」や「11:正義」の
「攻め」と「受け」の構図と同じパターンであって、「9:隠者」においては、「棒」が
「攻め」で、背景の大地が「受け」で、中身が乙女のオッサンは「仲介者」という立場と
なっているわけですかね。

とりあえず、ここで次世代の宇宙の可能性となる「受精」イベントが発生するわけですが、
その後、「11:正義」により受精卵は選別され、選ばれたものだけが「ティファレト」に
着床し、「物質的宇宙」として成長して、生命が発生するという筋書きになります。

まあ、結論だけを書けば簡単なように見えますが、「9:隠者」の実際のプロセスについて
正しく述べることは、もはや不可能というか、そもそも地上の生物の受精プロセスとは何の
関係も無いものですので、何かに例えること自体が、誤解を生む要因となるわけですよ。
0499名無しさん@占い修業中垢版2020/10/28(水) 06:29:54.19ID:fv5/m3sL
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 204) ---
In the Golden Dawn card, the importance of Binah in this process is suggested by
the red band around the Hermit's waist.
ゴールデン・ドーン版カードにおいて、この過程における「ビナー」の重要性は、「隠者」
の腰のまわりの赤い帯により示唆される。

The Venusian green of earth is bound up by the Atziluth-red Binah cord.
地上の金星の緑色は、「アツィルト」−赤の「ビナー」の紐により縛られている。
--- ここまで ---

地上に立つ「隠者」は、黄色と緑色の混じったローブを内に着て、腰の周りを赤い紐で縛り、
フード付きの茶色のコートを着用しています。

ローブの黄色と緑色の混じった状態は、「ネツァク=金星=ビーナス」を示し、赤い紐の
「ビナー」と合わさって、地上に生命をもたらす「大地の母」のイメージとなっています。
つまり、「隠者」とは、オッサンの皮を被った処女であり、この後、棒の「ヨッド」により
受精して、不毛の大地に新たな生命をもたらす者であるというストーリーとなります。
そういう視点で見ると、「9:隠者」は、「3:女帝」に似たイメージがあるということも
わかるわけで、結果として、「9:隠者」は、「0:愚者」にも「1:魔術師」にも「3:女帝」
にも関連しているわけで、なかなか優秀な「代理人」であるということでもあります。

つまり、見た目の質素さとは裏腹に、虎の威を借る狐の如く、いやいや、至高神たちの
代理人として、様々な魔術ツールを託されて、顕在化した下界の宇宙を創造した、我々に
とっての創造主そのもの、要は『旧約聖書:創世記』に記述された、天地創造の「神」
そのものであるということに他ならないわけです。

ついでに言うと、この我々にとっての創造主である「隠者」は、「0:愚者」の子供の成長
した姿である可能性が高く、その後、「13:死」の死神へと姿を変えていくことになるわけ
で、我々のライフサイクル全てを司る、とても崇高かつ有り難いというか、束縛がキツす
ぎて、うっとうしいというか、まあ、我々の知る「神」そのものであるということですよね。
0500名無しさん@占い修業中垢版2020/10/29(木) 06:08:29.46ID:YL1pF/fc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 204) ---
The Golden Dawn emphasizes the earthy, monastic qualities of the figure.
ゴールデン・ドーン版は、人物像の土地的で修道士的な品質を強調する。

And while it may be stretching the symbolism to make the suggeston, the dual robes
recall the titles of Binah and Chokmah: The Outer Robe of Concealment (Binah) and
The Inner Robe of Concealment (Chokmah).
そして、それが示唆をするために象徴性を伸張しているかもしれない限り、二重のローブ
たちは、「ビナー」と「コクマー」の肩書きたちを思い出す:「隠蔽の外側のローブ
(ビナー)」と「隠蔽の内側のローブ(コクマー)」。

The staff is, of course, referred to Chokmah.
棒は、もちろん、「コクマー」に関連付けされる。

It is held here in such a way as to suggest that it is to be planted, and will grow
leaves and flowers.
それは、それが植えられる運命にあり、そして葉たちや花たちを生やすであろうことを示唆
するような方法で、ここで保持される。
--- ここまで ---

二番目の文の「suggeston」は、「suggestion/示唆」の誤記ですかね。

ここでは、「staff/棒」は、大地に植えられると説明していますが、ゴールデン・ドーン
版はともかくとして、ウェイト版にはそのような雰囲気はありませんし、トート版では、
もはや「棒」そのものが存在しません。
そして、『旧約聖書:創世記』にも、何かを植えるという行為はありませんので、ワタシ
としては、この棒は大地に埋められ、地上の生命の起源、すなわち「母なる棒」として
地上の存在となるという解釈よりは、下界の大地を孕ます、天上の「精力注入の棒」と
しての、あくまでも「上位世界の存在」であるとした上で、まあ大地に埋められて芽を
出すのは、棒でなくてオッサンの方でいいかな、とか思ったりするのでした。
0501名無しさん@占い修業中垢版2020/10/30(金) 06:19:04.66ID:qIxZgFdG
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 204) ---
Of the four versions, only Crowley's suggests the motion and activity which is
essential to the Yod.
4つの版のうち、クロウリー氏のものだけが、「ヨッド」にとって本質的である、「運動」
および活気を示唆する。

And, as usual, his card requires more explanation than the others.
そして、いつものように、彼のカードは、他のものたちよりも多くの説明を必要とする。

He emphasizes, for example, the idea that THE HERMIT is rooted in Binah, by cloaking
him entirely in red.
彼は、例えば、「隠者」は、彼を赤色のマントで完全に覆うことにより、「ビナー」に
根ざしているという考え方を強調する。
--- ここまで ---

トート版の「9:隠者」は、他の版のデザインとは、色々と異なります。
すぐに分かるのは、「ヨッド」を表す「棒」が廃止ざれて人物像だけになり、その一方で、
「処女宮」を表していた人物像は、背景の「小麦畑」として表されていることです。
つまり、他の版のような受精前の不毛の荒野ではなく、受精後の肥沃の大地という感じで
あり、人物像自体も、「ヨッド」の形の「コクマー」と、赤色マントの「ビナー」が結合
した「完全合体形」で表されています。
そして、受精した後で、他の版よりも時間が経過しているという意味では、「9:隠者」と
して本来あるべきレベルからは相当に下がっていて、どちらかと言うと「星幽的三角形」
の「17:星」のレベルに近いイメージになっています。
下界から昇る「精子」や、地獄の番犬「ケルベロス」も、レベルの低さを暗示しています。

まあ、いつものように象徴テンコ盛りで、色々とツッコミどころの多いトート版「9:隠者」
ですが、我々が入手できるカードのデザインと、「トートの書」の記述には若干の相違が
ありますし、あまり深読みし過ぎてもキリがないので、ここまでにしておきます。
0502名無しさん@占い修業中垢版2020/10/31(土) 06:50:01.30ID:k/nmjhuJ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 204) ---
Before the red figure is the Orphic Egg with a serpent wrapped around it.
赤い人物像の前には、蛇が巻きつけられた「オルフェウスの卵」がある。

In the ancient Orphic Mysteries this signified the Cosmos encircled by the Fiery
Spirit, which is Yod.
古代の「オルフェウス教の密儀」において、これは、「ヨッド」である「火の精霊」により
取り囲まれた「宇宙」を意味していた。

Behind the figure is Cerberus, the three-headed dog who guards the gates of Hell,
and who has been tamed by the Hermit.
人物像の後ろには、「地獄」の門を守り、そして「隠者」により飼いならされた三つの頭を
持つ犬である、「ケルベロス」がいる。
--- ここまで ---

トート版って、無駄に象徴が多いというか、背景素材テンコ盛りというか、オレ様すごい
だろ感満載の知ったかぶり要素が多くて、ちょっと面倒臭いです。
特に、「ティファレト」より上位の世界に、そういう俗世界ネタの「知ったかぶり」感を
出されるのは、ワタシとしては、ちょっとアレなんですよね。

まあ、どう考えても、上記の象徴は、「9:隠者」のある上位世界には、ほとんど関係ない
というか存在しないものですし、もはや蛇足以外の何ものでもないと思うわけです。

とはいえ、こういう空白恐怖症的な幕の内弁当の構図が、トート版デザインの特徴であり、
存在意義でもあるわけですので、ハリス女史の空間デザイナーとしての手腕は評価される
べきだと思うのですが、だからと言って、これが「カバラ主義」の象徴なのかと言われる
と、どう考えても違和感しかないわけです。
つまり、ここから先のトート版は、あくまでも「クロウリー氏&ハリス女史」のオナニー、
いやいや彼ら独自の世界観であると、割り切って見ていくことが必要だと思うのでした。
とはいえ、このワタシの文章自体も、オナニーであることは間違いないんですけどね。
0503名無しさん@占い修業中垢版2020/11/01(日) 06:41:30.66ID:4/8nkxUI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 204) ---
The spermatazoon is symbolic of the Yod energies in the material world, while the
staff which transmits the sexual force, is completely hidden.
spermatozoon精子は物質界の「ヨッド」の精力たちを象徴しており、その一方で、性的な
力を送り届ける杖は、完全に隠されている。

As Crowley states: "In this Trump is shewn the entire mystery of Life in its most
secret workings.
クロウリー氏は、以下のように述べる:「この「大アルカナ」では、その最も隠れた営みに
おける、「生命」の完全なる神秘が明らかにされる。

Yod=Phallus=Spermatazoon=Hand=Logos=Virgin." (*189)
「ヨッド」=「男根」=「精子」=「手」=「ロゴス」=「処女」。」 (*189)
--- ここまで ---

一番目の文と三番目の文の「spermatazoon」は、「spermatazoon/精子」の誤記ですかね。

ちなみに、(*189)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
189. Crowley, Book of Thoth, 89.
189. クロウリー著、『トートの書』、89ページ。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、等号の使い方を完全に間違っている上に、どう見ても「一発キメてる」感じしか
しないわけですので、エロネタ目的以外では、ほとんど何の役にも立たないネタですが、
それを言えば、他のカードも、しょせんネタ以外では使い道の無いものですしね。

というわけで、ここも、いつものように、ちまちましたツッコミは無しで、華麗にスルー
しておこうと思うのでした。(←面倒なことは避けて通るタイプww)
0505名無しさん@占い修業中垢版2020/11/02(月) 06:18:57.40ID:c/TerqF6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 205) ---
Yod has been called The Crown, meaning that it is the highest point of the Logos,
the primary energy from which manifestation derives.
「ヨッド」は「王冠」と呼ばれており、それは、「ロゴス」の最も高い地点であり、顕在化
がそこに由来する、原初の精力であることを意味している。

And, of course, any reference to Crown points to Kether, the Crown above All.
そして、もちろん、「王冠」へのどのような参照であれ、「全てのもの」の上の「王冠」
である、「ケテル」を指す。
--- ここまで ---

またいきなり話題が飛びますが…。

「ヨッド」が「王冠」と呼ばれていることは、ワタシにとっては初耳です。
そもそも「王冠」は「ケテル」の称号であり、ヘブライ文字の「ヨッド」の意味は「手」
であり、そして「聖四文字」の「ヨッド」は「コクマー」に配属されますので、いまいち
納得いかない呼び名ではあります。

それはともかく、「ヨッド」は、ヘブライ文字のうちで最小のものであり、全ての文字の
基本というか、全てはここから始まる「primary energy/原初の精力」の地点であることは
確かです。
そして、この「9:隠者」の「ヨッド」は、下位世界の「劣化ケテル」である「ティファレト」
において「manifestation/顕在化」を引き起こす火付け役というか、「種火」のような役割
をもっているので、「王冠」いう呼び名がふさわしいということなんでしょうかね。

要は、「9:隠者」の姿は、『旧約聖書:創世記』において、神が「光あれ」と命じた瞬間
であり、この時点では我々の住む宇宙である「ティファレト」はまだ顕在化していなくて、
虚数時空の「闇」だけの状態であり、その後、神の命令を「核」として、虚数時空の相転移
が一気に始まり、複素時空の「ティファレト」が顕在化したという感じですかね。
0506名無しさん@占い修業中垢版2020/11/03(火) 06:59:52.06ID:PAcNEGOu
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 205) ---
The last symbol to be considered is the Lamp which, in all versions refers to
Tiphareth, and makes a statement about the very nature of Light.
考慮すべき最後の象徴は「ランプ」であり、それは、全ての版において「ティファレト」を
参照し、「光」の真の本質について申し立てをする。

In the Golden Dawn rituals this principle was expressed in three languages: Khabs
am Pekht (Coptic); Konx om Pax (Greek); Light in Extension.
ゴールデン・ドーンの儀式においては、この原則は、以下の3つの言語たちで表現された:
「クハプス アム ペクト」(コプト語);「コンクス オム パクス」(ギリシア語);
「ライト イン エクステンション」。
--- ここまで ---

ここからは、「9:隠者」における最後の話題であり、そして最も重要視されるべき象徴の
一つである「ランプ」の話になります。
とはいえ、最も重要であるにもかかわらず、我々の理解を超える高レベルの話であるため、
実質的には、ほとんど中身の無い話になってしまうことを、ご承知おき下さい。

とりあえず、「クハプス…(中世エジプト語で出典不明)」、「コンクス…(古代ギリシア
のエレウシスの秘儀でのネタ)」、「ライト…(英語)」の三つの呪文ですが、これらは
ゴールデン・ドーンの暗号文書に記載されていた架空の儀式に出てくる怪しい呪文であり、
そのネタを、マサース氏が、「ニオファイト儀式」の中で使っています。
この三つの呪文の意味は同じであると推定されており、「Light in Extension/延長で
軽い(Google翻訳)」、いやいや「拡張の中の光」、すなわちインフレーション宇宙の
原点となる、宇宙創造における最初の「光=発火点」であることを表します。

ちなみに、ゴールデン・ドーンの儀式には、「棒」と「ランプ」を持つ「ケルックス」と
いう役職がありますが、これと「9:隠者」との関係は、なかなか微妙です。
まあ、全く関係無いとは言い切れないのですが、とりあえずは、全くの別モノと考えて
おいた方が、変な誤解を招かなくて済むのではないかとも思います。
0507名無しさん@占い修業中垢版2020/11/04(水) 05:49:06.86ID:jN6fJVpB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 205) ---
This means that Light is the principle of manifestation, that on which all of
Creation is built.
これは、「光」が顕在化の原則であり、それの上に、全ての「創造」が建設されることを
意味する。

So the Hermit may be said to represent a glyph on the nature of primal manifestation
beneath the Abyss, and of the relationship between Light and the Sacred Fire
symbolized by Yod.
それゆえ、「隠者」は、「深淵」の下の原初の顕在化の、そして「光」と、「ヨッド」に
より象徴される「聖なる火」との関係の、本質に基づく絵文字を象徴すると言われるかも
しれない。
--- ここまで ---

我々の宇宙は、「ティファレト」という「場」を中心にして「manifestation/顕在化」
したものであり、その際には、上位世界にある「ケテル」、「コクマー」、「ビナー」、
「ケセド」、「ゲブラー」から、直接的にエネルギーが流下しています。
その中で、最も影響力が大きいのは、深淵下にあり、そして「ティファレト」の直上に
ある「ケセド」と「ゲブラー」であり、そして「ケセド」「ゲブラー」「ティファレト」
は、それぞれが絡み合って「倫理的三角形」を形成して密接な関係を保っているわけです。

つまり、本来であれば、火付け役である「9:隠者」だけでなく、実務担当の「11:正義」も、
「principle of manifestation/顕在化の原則」を担っているわけですが、立場上、上司で
ある「9:隠者」の「導きの光」が優先され、それに応じて、優秀な部下であり実作業担当者
である「11:正義」が、その命令をうまく取り繕ってくれたので、この「宇宙」が創造され
たというサクセス・ストーリー(『旧約聖書:創世記』参照)となっています。

さらに言えば、その「宇宙の顕在化」プロジェクトのバックグラウンド・ジョブとして、
「8:力」が暗躍しているわけですが、その仕事ぶりは、我々からは決して見えることの
ない舞台裏での出来事であるということですよね。
0508名無しさん@占い修業中垢版2020/11/05(木) 06:04:05.25ID:ZEiaKs/C
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 205) ---
One would expect that the placement of the letters Yod, Heh and Vau on the Tree of
Life would have profound meaning.
人は、「生命の木」の上の「ヨッド」、「ヘー」そして「ヴァウ」の文字たちの配置が、
深遠な意味を持ち続けているであろうことを期待するであろう。

Thus it is particularly intriguing to realize that these letters work together as
a trinity from Chesed to Tiphareth to Chokmah, and back to Chesed.
従って、これらの文字たちが「ケセド」から「ティファレト」へ、「コクマー」へ、そして
「ケセド」へと戻る三つ組として一緒に機能することを理解することは特に興味深い。

Yod is THE HERMIT, Heh is THE EMPEROR and Vau is THE HIEROPHANT, all functioning
to the side of the Pillar of Mercy on the Tree of Life.
「ヨッド」は「隠者」であり、「ヘー」は「皇帝」であり、「ヴァウ」は「法王」であり、
全ては「生命の木」の「慈悲の柱」の側で機能する。

The intention here is not to offer an explanation, but to suggest a very valuable
subject for meditation.
ここでの意図は、説明を提供することではなく、瞑想のための非常に価値のある主題を提案
することである。
--- ここまで ---

つまり、まともに説明できないので、後は各自で勝手に妄想してね、という読者丸投げで、
この「9:隠者」の章を終わりたいと思います。

実際、色々と魔術カバラ的なネタはあるのですが、それが何の役に立つのかを考えると、
しょせん妄想ネタ、いやいや「瞑想のための非常に価値のある主題」でしかないわけで、
ワタシとしては、あまり興味が沸かないというのが、本当のところです。
ここから先は、さらに現実離れした世界となっていきますので、とりあえずゴールまで
たどり着ければいいかな、という感じで、ダラダラと続けていこうと思うのでした。
0509名無しさん@占い修業中垢版2020/11/06(金) 05:58:43.75ID:c5/zrmqf
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 205) ---
19. THE PATH OF TETH
19. 「テト(テス)」の小径

Strength


The Eighth Key
8番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「テトの小径」です。
英語読みだと「TETH/テス」ですが、ここでは原語に近い「テト」の読みにしておきます。

この小径は、「生命の木」において、貴重な三本の「横断道」の真ん中ポジションという、
新幹線のB席のような、割りと微妙な立ち位置にあります。
さらに、我々からは、「ティファレト」の上にあって、完全に「雲の上」の存在であり、
もはや我々にとっては何の関わりも無いというか、存在自体が感じられないものであって、
それゆえ、何をどう語っていいのか、皆目見当のつかないシロモノです。

とはいえ、「高次の自我」を形成する「倫理的三角形」の主要なメンバーですし、この
「8:力」が無ければ、「ケセド」から「ゲブラー」へのエネルギー変換も出来ないわけ
なのですが、この「8:力」は、「9:隠者」により、我々の宇宙が創造される以前の話で
あって、一体それが何を意味して、何を行っているのかは、もはや我々の知ることの
出来る領域では無い、つまり神の味噌汁うめ〜状態なわけですよ。

というわけで、ここから先は、さらなる妄想オンリーで、適当に味噌汁を、いやいや
お茶を濁していくことにしましょう。(←もはや完全にヤル気無しw)
0510名無しさん@占い修業中垢版2020/11/07(土) 06:09:36.89ID:i/Dq1Chc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 205) ---
□ PATH COLOR: Yellow-Greenish
□ 「小径の色」:緑色がかった黄色

□ RELATED SOUND: E Natural
□ 「関連した音」:「Eのナチュラル」

□ SIGN: Leo (Fixed Fire)
□ 「宮」:「獅子宮(不動宮の火)」

□ MEANING: Snake
□ 「意味」:蛇

□ SIMPLE LETTER: Taste
□ 「単字」:「味覚」

□ ESOTERIC TITLE: The Daughter of the Flaming Sword
□ 「秘伝的な称号」:「炎の剣の娘」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、乙の字の形の「蛇」と、ヘブライ文字の「テト」と、
「獅子宮(しし座)」の占星術記号、および「生命の木」における「テトの小径」の位置
が図示された絵が描かれています。

なお、ここの「ESOTERIC TITLE/秘伝的な称号」は、元の『The Golden Dawn/黄金の夜明
け魔術全書』では、「Daughter of the Flaming Sword, Leader of the Lion./炎の剣の
娘、獅子を導く者」となっており、なぜか一部省略されています。
さらに、「"T"の書」では、カードタイトルが、「Fortitude/剛毅」であったりするのと、
ゴールデン・ドーン系特有の「8-11変換」という下克上ネタもありますので、またもや
色々とツッコミどころの多いカードであることを暗示している感じですよね。
0511名無しさん@占い修業中垢版2020/11/08(日) 07:09:39.54ID:eIpjnQbN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 206) ---
THIRTY TWO PATHS OF WISDOM: The Nineteenth Path is the Intelligence of all the
activities and spiritual beings, and is so called because of the affluence diffused
by it from the most high blessing and most exalted sublime glory.
「知恵の32の小径たち」:「19番目の小径」は、全ての活動たちと霊的存在たちの「知性」
であり、そして、それにより、最も高い恩恵と、最も高貴で崇高な栄光から拡散した富裕
のためにそう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用だと思ったのですが、この文章は、現在入手できる英訳版とは、少々異なります。
参考までに、以下に現在の英訳版(Third Edition)の原文と翻訳を掲載しておきます。

--- ここから (『The Sepher Yetzirah』Third Edition of Westcott's translation) ---
The Nineteenth Path is the Intelligence of the Secret of all the activities of
the spiritual beings, and is so called because of the influence diffused by it
from the most high and exalted sublime glory.
「19番目の小径」は霊的存在たちの全ての活動たちの「秘密の知性」であり、そして、
それにより、最も高くて高貴で崇高な栄光から拡散した影響のためにそう呼ばれる。
--- ここまで ---

さて、ここで問題なのは、前の文では「活動たちと霊的存在たちの知性」であるのに対し、
後の文では「秘密の知性」という、全く異なる意味づけとなってしまっていることです。
前の文の出所がよく分からないので、どうせ本当の意味なんてわからないんだし〜
という開き直りをして、華麗にスルーしておこうと思います。

まあ、色々と前途多難であって、一筋縄では行かないというか、紆余曲折があるというか、
ここから何か得るものはあるんだろうか、という感じは否めないところです。
それに、そもそもこういうレベルの高い話って、ワタシは苦手なんですよね…。
0512名無しさん@占い修業中垢版2020/11/09(月) 06:05:24.05ID:97JiDGL1
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 206) ---
In our upward progress on the Tree of Life the Path of STRENGTH leads to the edge
of the Abyss, as did THE HERMIT.
「生命の木」に基づく我々の上向きの進歩においては、「隠者」がしたように、「力の小径」
は「深淵」の縁(ふち)に導く。

And as we come closer and closer to the source of All, the Ultimate Simplicity,
it is perhaps paradoxical that the symbolism becomes increasingly complex.
そして、我々が「全てのもの」の源である、「究極の単純」にますます近づくにつれて、
象徴的意味は、ますます複雑になることは、おそらく逆説的なことである。
--- ここまで ---

「星幽的三角形」は「この世」であり、「倫理的三角形」が「あの世」であるわけですが、
その上にあると思われる「至高の三角形」は、我々からは「深淵」により絶縁されていて、
我々は決して知ることの出来ない「未知の世界」であり、それゆえ言葉(理屈)では語れ
ない領域となっています。

そして、「8:力」が、我々が到達可能な「ティファレト」から離れていることは、我々の
直接の経験からは、「8:力」を語ることは出来ず、下位の「小径」からの類推に頼るという
ことになり、もはやこれまでという感じは否めないわけです。
そして、ここから先を語るには、経験に裏打ちされた屁理屈、いやいや原則や理論を全て
リセットした上で、ほぼ全てを妄想や幻想に基づいて語るしかないということであり、
もはや人様に聞かせられるような話ではない、というトンデモ領域に突入します。

まあ、リスクと言えばリスクなのですが、それでも、きちんと「しょせんオナニーである」
ことを承知の上であれば、それなりに自己満足的な快感は得られます。
危険なのは、それが「オナニーである」ことが自覚できずに、「神秘体験をして神の領域
(エクスタシー)に達したオレ様偉い」という途方も無い勘違いに繋がる人もいることで
あり、さらに「能力の低い人ほど自己評価が高い」というのが世の常ですので、そういう
地雷は、極力踏まないようにしましょう。(このスレも地雷原の一つですw)
0513名無しさん@占い修業中垢版2020/11/10(火) 06:09:52.19ID:nDg/w5Yc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 206) ---
In the lower cards, energies and experiences can be accurately described in words.
下層のカードたちにおいては、精力たちと経験たちは、言葉たちで正確に説明できる。

But at this level on the Tree, and above we learn primarily by meditation on the
inter-relationship of symbols, in which great profundities are secretly imbedded.
しかし、「木」のこの段階、そしてより上では、我々は主として、その中に偉大な深遠さが
密かに埋め込まれた、象徴たちの相互関係に基づく瞑想により学ぶ。

Few, for example, might even suspect that this picture of a woman with a lion could
have such vast meaning.
たとえば、この獅子を連れた女性の絵が、そのような広大な意味を持つことが出来たことに
感づいた人は、ごく少数であろう。
--- ここまで ---

「大アルカナ」って、それ自体が充分に高いレベル、すなわち「王の位階(アツィルト界)」
にあるものですので、今さら感のある説明ではありますが、それでも、「8:力」より下の
レベルは、まだマシというか、我々にも少し語れるレベルであったものが、ここから先は、
さらに難易度が増して、もはや我々が何をしようと理解不能というレベルになってきます。

それてもなお、先に進みたいというのは、「山があるから登る」とか「道があるから進む」
というような、勘違いした迷惑極まりない物好きな人間たち、いやいや神に選ばれし人々に
とってみれば、避けられない承認欲求ではないかと思います。
とはいえ、興味本位はともかく、そこに商業的な意味を求めることは、高価な壺を売るのと
同じ手口の典型的な宗教詐欺でしかありませんので、そこは重々注意してください。

というわけで、グダグダな前置きというか、もはや聞き飽きた言い訳はこれくらいにして、
さらなるカオスチックな本編へと進んでいきましょう。
0514名無しさん@占い修業中垢版2020/11/11(水) 06:21:52.44ID:NosfwDrF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 206) ---
In terms of evolution, the nineteenth Path is the first Path of Microprosopus,
the Lesser Countenance.
進化の観点からでは、19番目の「小径」は、「小さな顔貌」である、「ミクロプロソプス
(小さな顔)」の最初の「小径」である。

It is the outpouring of energy from Chesed to Geburah in the process of
manifestation; it is the primary Path of the Higher Self, linking the great
opposites below the Abyss.
それは、顕在化の過程における「ケセド」から「ゲブラー」への精力の流出である;
それは、「深淵」の下の偉大なる反対物たちを結合している、「高次の自我」の主要な
「小径」である。
--- ここまで ---

まずは、「生命の木」における、「8:力」の基本ポジションの確認です。
「8:力」は、「深淵」により上位世界より絶縁された下位世界、すなわち顕在化の過程で
ある「ミクロプロソプス(小さな顔)」において、最初で、かつ主要な位置にあります。
つまり、ここが分かれば、この世の中のことは、ほぼ見通せるというポジションです。
あと、考慮すべきことは、「生命の木」における、三つの「横の小径」との関係、つまり
「3:女帝」と「16:塔」に挟まれているという点ですよね。

そして、ここでは「「ケセド」から「ゲブラー」への精力の流出」と書かれていますが、
実際には、電磁誘導みたいな形で、「至高の三角形」の高周波電流が、絶縁された「深淵」
の場を通じて、「3:女帝」から「8:力」へと直接大量に流入していますので、上位世界から
「ケセド」に流入しているエネルギーよりも、「ゲブラー」に流入しているエネルギーの
方が大きくなる可能性についての留意が必要です。
そういう意味でも、「ケセド」から「ゲブラー」だけでなく、「ゲブラー」から「ケセド」
へのエネルギーの逆流というか、エネルギーの交換の可能性についても、考慮すべき点が
あると思われます。
要は、今までの下位の「小径」とは次元の異なる、かなり複雑な関係性を持つということです。
0515名無しさん@占い修業中垢版2020/11/12(木) 06:06:32.29ID:A5T0tOle
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 206) ---
It is the Path on which Fire becomes Light, for manifestation is Light, whereas
the Supernals are a darkness which is fiery.
「それは、『火』が『光』になるところの『小径』」であり、顕在化は「光」であるのに
対し、「至高なるものたち(至高の三角形)」は、火である暗闇である。

Thus, in his Book of Tokens Case speaks of "the radiant Darkness of the Limitless
Light." (*190)
従って、ケース氏は、彼の『しるしの本』において、「『無限の光』の放射する『暗闇』」
について話す。 (*190)
--- ここまで ---

ちなみに、(*190)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
190. Case, Book of Tokens, 83.
190. ケース著、『しるしの本』、83ページ。
--- ここまで ---
とあります。

上位世界である「アツィルト界/至高の三角形」からは、下界に向けて虚数的エネルギー
である、見えざる「火」が放射されており、それが「深淵」を通過して、最終的に「ティ
ファレト」において、複素数的エネルギー流である「光」に転換されますので、より正確に
言えば、「火」を「光」に変換する機能は、「倫理的三角形」の「小径たち」にあります。
その中で、この「8:力」は、上位世界の「火」の暗闇エネルギーを受け取り、「ケセド」と
「ゲブラー」の双方に伝達し相互変換するという、守備の「要(かなめ)」であり、そして
攻撃というか顕在化の起点のポジションにあります。

ちなみに、この「無限の光の放射する暗闇」というと、何となく暗黒エネルギーとか、
ブラックホール輻射などを想像してしまいますが、そういうリアルな現象ではなくて、
現実とは何の関係も無い、ただひたすら妄想の世界での話ですので、ご注意ください。
0516名無しさん@占い修業中垢版2020/11/13(金) 06:03:48.41ID:kD1UvgEB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 206) ---
To the Path of STRENGTH are assigned both the Hebrew letter Teth and the most
powerful sign of the Zodiac, Leo.
「力」の「小径」には、ヘブライ文字の「テト」と、「黄道十二宮」の中で最も強力な宮
である「獅子宮」の両方が割り当てられる。

Leo is the lion, while Teth means snake, and the interchangeability of the lion
and snake symbolism is an important key to the meaning of the card.
「獅子宮」は「獅子」である一方で、「テト」は「蛇」を意味しており、獅子と蛇の象徴的
意味の可換性が、カードの意味にとって重要な鍵である。
--- ここまで ---

「獅子宮」は「火」であることを考慮すると、この「獅子と蛇の象徴的意味の可換性」と
いうことから連想されるものは、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「第二
講義文書」にある「生命の木の上の蛇」の図ではないかと思います。
この図版においては、「燃える剣=獅子宮」が10の「セフィロト」を、上から下へと貫き、
その一方で、「蛇」が22本の「小径たち」を下から上へと結んでいます。

とはいえ、これは、「獅子と蛇」の「interchangeability/可換性」を意味していません。
なぜなら、「セフィロト」は「ブリアー界」で、「小径たち」は「アツィルト界」の存在
であって、本来は次元の異なるものだからです。
そのことは、高次元における「8:力」のカードにおいて、「火」が低次の「野獣の獅子」
で表され、「蛇」が高次の「女神」で表されていることからも明らかです。

ここで問題をややこしくしているのは、「蛇」の低次元での表現、つまり、我々の「蛇」
に対する認識というか理解が、かなり低次元側に振っている、すなわち、手足が無く、
毒があって人を殺すとか、どちらかというと「蛇蝎のごとく忌み嫌われる」ものという
印象が強いので、そういう悪いイメージは、完全にリセットしておく必要があります。
そして、ここでの「獅子」や「蛇」は、我々の世界での「獣」としての存在ではなく、
あくまでも上位エネルギーの「象徴」であることを、肝に銘じておく必要があります。
0517名無しさん@占い修業中垢版2020/11/14(土) 06:38:01.95ID:7p69xHLf
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 206) ---
As the symbols interchange, we understand that the realities which they represent
can also be interchanged.
象徴たちが入れ替わる時には、我々は、それらが表す現実たちもまた入れ替わることが
できることを理解する。

The One Spirit takes any form It wills, which is an important lesson of this Path.
「唯一(神)の霊」は、「それ」が望むどのような形でも取り、それは、この「小径」の
重要な学課である。
--- ここまで ---

勘違いされないように言っておきますが、「蛇=テト」と「獅子=獅子宮」は、「互換」
ではなくて、あくまでも「可換」であるということです。
これは、男と女は互換ではないということと同じであり、ある条件下においてのみ、
それらの入れ替えが可能であるということです。
このことは、「8:力」と「11:正義」の「8-11変換」にも通じるものがありますよね。

この「可換性」について具体的に言えば、それは「生命の木」の、三つの「横の小径」
の関係であり、つまり、上位からの「至高の三角形」の「3:女帝」の「女神パワー」を、
下位の「星幽的三角形」の「16:塔」の「野獣パワー」に仲介するという機能を持つと
ということであり、つまりは、「攻め」と「受け」についての「可換性」ということです。

要するに、この「8:力」は、美女が野獣を飼い慣らしている平和な光景というようなもの
ではなく、どちらかというと、天使とも悪魔とも区別のつかない美女が、己の意のままに
無限の野獣パワーを行使するというような、結構危ない感じのするシーンなんですよね。
まあ、そもそも「ケセド」と「ゲブラー」という、天使系と悪魔系を繋ぐ小径ですので、
「現実世界」の我々から見れば、時と場合により、「天使」にもなるし、「悪魔」にも
なるということですよね。
つまり、我々のような下界の人間の幸福や繁栄に繋がる「ラッキーカード」なるものは、
もはやこのレベルには存在しないということでもあるわけです。
0518名無しさん@占い修業中垢版2020/11/15(日) 06:37:32.45ID:1AmieZpj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 206) ---
The idea is clearly expressed in the Zohar; "The three principle elements of nature
are fire, air and water.
考え方は、『ゾーハル(光輝の書)』の中に明確に表現される:「自然の3つの根源的な
要素は、火、空気、水である。

Really they are one in use and substance, and are able to change the one into
the other.
実際に、それらは使用上においても実質上においても一つであり、一方を他方に交換する
ことが出来る。

It is the same with Thought and Speech and Logos, they are one and the same in
themselves." (*191)
『思考』と『話すこと』と『ロゴス』についても同様であり、それらは、それら自体が
一つであり同一である。」 (*191)
--- ここまで ---

ちなみに、(*191)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
191. Zohar, Nuhro de Manhar translation, 303.
This passage is not found in the Sperling and Simon translation.
191. 『ゾーハル(光輝の書)』、ヌーロ・ド・マンハー訳、303ページ。
この文節は、スパーリングとサイモン訳の中には見つからない。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、これって、見事な「ミソクソ理論」というか、思考停止状態に他ならないので、
ほぼ何の役にも立たない説明ですよね。
ちなみにワタシは、こういう「対称性」は「至高の三角形」までであって、「8:力」が
属する「倫理的三角形」では、既に「対称性」は破れた状態であると考えています。
0519名無しさん@占い修業中垢版2020/11/16(月) 06:07:12.62ID:k7pOUNbz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 206) ---
As the Serpent holds its tail in its mouth it represents wisdom and the Universe
(noting here that taste is attributed to Teth in the Sepher Yetzirah), whereas
the same Serpent is described in Genesis as the Tempter.
「蛇」は、その尾をその口に保持している時は、それは「知恵」と「宇宙」を表している
(ここで、「味覚」は『セフェル・イェツィラー(形成の書)』の「テト」に帰属される
ことに注意)のに、同じ「蛇」は『創世記』においては「誘惑者」として記述される。

Moreover, insofar as it is the fiery, vital Life Force, it is also the Redeemer.
さらに、それが、活力に満ちた「生命の力」である火である限りにおいて、それはまた
「救世主」でもある。
--- ここまで ---

「テト」の意味である「蛇」の象徴は、ゴールデン・ドーン理論体系において、色々な
場面で使われています。
つまり、レベルにより、その意味を様々に変えることが出来るので、「神秘」を表現する
のに、とても使い勝手の良い象徴なんですよね。

ちなみに、ゴールデン・ドーン版の「8:力」では、閉じた蛇(ウロボロス)ではなく、
上から下へと下降する流れのイメージ(女神の羽衣や髪、獅子の尾の形)があって、上位
世界から下界へともたらされる、大いなる神秘エネルギーを示唆しているように思えます。

そして、「生命の力」の「火」の源というよりも、もっと広い意味での「何でもあり」の
「パワー」の源泉のような感じで、地上に降りた大天使のイメージがありますよね。

まあ、よくわかんないので、ほぼイメージだけで語っていますが、この「テト」の「蛇」
は、悪い感じの「蛇」ではなく、我々にとっては「全てを生み出す大いなる母」のような、
とても有り難い存在である感じがするのは確かです。
とはいえ、相当に高い次元の話ですので、下界に住む我々がそれに気づくことも、感じる
ことも無いというのも、きっと確かなことなのでしょうね。
0520名無しさん@占い修業中垢版2020/11/17(火) 06:30:32.88ID:c/Tdcd9o
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 206) ---
This is the same, apparently contradictory idea encountered with the primary card
of matter, THE DEVIL, which is also both Tempter and Redeemer.
これは、また「誘惑者」と「救世主」の両方である、物質の最初で主要なカードである、
「悪魔」で遭遇されるのと同じく、見たところ矛盾した考え方である。
--- ここまで ---

要は、「8:力」のカードは、「15:悪魔」と同じような、「誘惑者」と「救世主」という
二面性を持っているということですよね。
とはいえ、「8:力」は「倫理的三角形」にあり、「15:悪魔」は「星幽的三角形」にある
わけで、全くレベルの異なるものであって、あくまでも「same, apparently/見たところ、
同じ」なだけであることに注意してください。
とはいえ、この両者は、「月とスッポン」のレベルで例えることの出来るものであり、
手がかりを持たない我々にとっては、ある意味、貴重な手がかりとなります。

まず、「15:悪魔」の「悪魔像」は、「8:力」においては描かれていない上位世界の存在、
すなわち「深淵」の上にある「至高の三角形」が対応すると考えられます。

であれば、「8:力」の右の「獅子」は、「15:悪魔」の「鎖で繋がれた男性像」であり、
左の「女神像」は、「15:悪魔」の「鎖で繋がれた女性像」となるわけですかね。

うーむ、なんか違和感ありますよね。
ということは、「8:力」の右の「獅子」は、「15:悪魔」が左手に持つ「松明」であり、
左の「女神像」は、「15:悪魔」が右手に持つ「雄羊の角笛」という感じでしょうか。

両者で共通なのは、上位世界の「火」のエネルギーを、下界にもたらす者であるという
ことなのですが、配属されている占星術の象徴が、「8:力」は「獅子宮」であり、
「15:悪魔」が「磨羯宮(やぎ座)」ですので、格の違いがハンパないです。
そもそも、「8:力」においては、最も重要なものが描かれていない(描けない)わけです
ので、カードを見たところで、その本質が理解できるものでもないということですよね。
0521名無しさん@占い修業中垢版2020/11/18(水) 06:21:21.00ID:nA5w/2eU
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 206) ---
And, interestingly enough, the lion is occasionally related to Saturn, the supposed
"place of Dwelling" of the Devil.
そして、十分に興味深いことに、獅子は時々、「悪魔」の「宿る場所」と思われている、
「土星」に関連付けられる。

Fortunately, the Qabalah allows us to put these symbols into very clear perspective,
as Binah-Saturn is the ultimate source of the Devil's imprisoning matter.
幸いなことに、「ビナー」−「土星」は、「悪魔」の収監問題の究極の源であるため、
「カバラ主義」は、我々に、これらの象徴たちを非常に明確な視点に置くことを可能にする。
--- ここまで ---

「8:力」のカードの「獅子像」が、「土星」に関連付けされるというのは、いまいち理解
不能なのですが、この「獅子」のパワーは、「ビナー」に関連するということですかね。
とはいえ、「獅子宮」に配属されるのは「太陽」ですし、そこから最も離れた惑星であると
される「土星」は、「15:悪魔」や「21:宇宙」という、かなり下位のカードに配属されて
いますので、あまり直接的な関連は無さそうにも思えます。

ワタシとしては、そういう「ビナー(土星)」の小悪魔的な面は、どちらかというと、右の
「獅子」ではなく、『旧約聖書:創世記』で「誘惑者」として登場した「蛇」、すなわち
左の「女神像」にあると思うんですよね。
そして、その「蛇」である「女神像」は、最後に「21:宇宙(土星)」において、下界の
我々を誘惑するという筋書きではないかと、勝手に妄想しているのでした。

じゃあ、もう全部「女神」一人でいいんじゃないかな、なので、「獅子像」は何のために
あるのか?と聞かれれば、まあ、女神様のパシリというか、マスコットというか、女神様
のご命令に忠実に従う、有能な「飼い犬」みたいな感じですかね。
要は、「獅子像」が「火」のエネルギーを象徴するのであれば、「女神像」は「知恵」の
エネルギーを象徴するみたいなのですが、両者のレベルは、「知恵」>「火」のような
感じがするわけなのでした。(よう知らんけど)
0524名無しさん@占い修業中垢版2020/11/19(木) 20:36:39.94ID:GN7nB7BO
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 206) ---
It must be admitted that the lion has been used in so many different cultures and
symbolic pantheons, that it may be claimed to have mutually exclusive meanings.
獅子は、非常に多くの異なる文化たちや象徴的な万神殿たちにおいて使用され続けてきた
ため、相互に排他的な意味たちを持つと主張されるであろうことを、認めなければならない。

But, generally, references to the lion have to do with its physical strength (This
is not a card of intellect in any way).
しかし、一般的には、獅子への参照たちは、その物質的な力について行う必要がある(これ
は、何にしても知性のカードでは無い)。

The greatest strength of which man can conceive is the Light of the Sun, the ruler
of Leo.
人が想像することのできる最も大きな力は、「獅子宮」の支配星である、「太陽」の「光」
である。
--- ここまで ---

ライオンの象徴は、それが「地球上で最強」であるがゆえに、非常に人気があるので、ほぼ
あらゆるジャンルで、「最強ネタ」として利用されています。
そのため、その象徴的な解釈には、かなりのブレというか、ご都合主義的な面があるのは、
人気者であるゆえに、致し方無いという感じなんですよね。
ライオンの知性に関する解釈も、場合によって、知性の高い動物であったり、単なる野獣
扱いであったりと、本当に様々なシチュエーションがあります。

なお、占星術においては、「獅子宮」には、最高パワーの「太陽」が配属されています。
つまり、「8:力」は、「地球上においては最強」のパワーを持つと考えていいのですが、
困ったことに、「8:力」は、この地上の存在ではなくて、あくまでも妄想世界の、いやいや
上位世界の非物質的世界にある「倫理的三角形」のトップの存在であるということなので、
我々の持つ「獅子」の粗野なイメージとは、根本的に異なる性質を持っていることを、
理解しておかなければならないことに、注意が必要なのでした。
0525名無しさん@占い修業中垢版2020/11/20(金) 06:17:41.40ID:rlTfuafd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 207) ---
And, as we shall consider, it is the lion which is permitted to open the Sacred
Scroll of the Apocalypse.
そして、我々が考慮すべきところは、「黙示録」の「聖なる巻物」を開くことを許される
ものは「獅子」であることである。

This means that the Solar Power, represented by this card, can open the higher
levels of consciousness beyond the Sun (Tipahreth) itself.
これは、このカードにより表される、「太陽の力」が、「太陽(ティファレト)」それ
自身を超えて、より高い段階たちの意識を開くことができることを意味する。

In symbolism, this is shown most graphically by representations of the Sun God
Mithra, whose body is human, but whose head is that of a lion.
象徴主義において、これは、体は人間であるが、頭は獅子のそれである、「太陽神ミスラ」
の表現たちにより、最も写実的に表される。
--- ここまで ---

『新約聖書:ヨハネ黙示録』5:5には、「主」の持つ「聖なる巻物」を開くのにふさわしい
者として、イエス・キリストを意味する「小羊」が、「獅子」と称されています。
とはいえ、この「黙示録の獅子」が、「8:力」の「獅子」と何か関係があるのかと言われ
れば、なんかちょっと違うかな、というのがワタシの感覚です。

また、「ミスラ神」は、古代インド、古代ペルシア、古代ギリシア・ローマで人気のあった
太陽神であり、この「体は人間で頭は獅子」の神像は、古代ローマの「ミトラス教」に
見られる表現です。
ちなみに、「ミトラス教」では、この獅子頭の神像の他にも、「牡牛を屠るミトラス」と
いう神像が知られていますが、この構図は、「8:力」に似ていますし、「ミスラ神」自体
が「太陽神」ですので、「8:力」のカードの表現に、何らかの影響を与えていることは
十分に考えられるのですが、いずれにしても、この「8:力」の「獅子像」が「ミスラ神」
であるということでもありませんので、やっぱり何か違う感じがするわけなんですよね。
0526名無しさん@占い修業中垢版2020/11/21(土) 05:49:21.28ID:+HNvQ0iL
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 207) ---
The lion symbolism always implies a brute force which may be used constructively
or destructively.
獅子の象徴は、常に、建設的もしくは破壊的に使用されるであろう、野蛮な力を暗示する。

This is the very Path on which the Sword of Geburah is formed, indicating that the
possibility of the philosopher being overwhelmed by the power which he invokes is
always present.
これは、まさしく「ゲブラーの剣」が形成される「小径」であり、哲学者が、彼が召喚する
力により圧倒される可能性が常に存在することを示す。
--- ここまで ---

「獅子の象徴」が「野蛮な力」を意味するということですが、そもそも「野蛮でない」と
いうことは、「特定の人間にとって都合の良い」、すなわち「飼い慣らされていない」と
いう意味になります。
ちなみに、「8:力」の獅子は、人間ではなく女神により飼い慣らされていますので、これは
下界の我々が考える「brute/野蛮」なものというイメージではなく、「神界から流出した
純粋で強大な力」を意味すると考えた方がいいです。
要は、人間が制御することの出来ない、圧倒的な「神パワー」ということですよね。

ちなみに、「ゲブラーの剣」は、「破壊的に使用される」面であり、その一方で「建設的に
使用される」面は、「ケセド」が担当することになっています。
つまり、「ティファレト」に立つ「魔術師=哲学者」は、「ケセド=建設的」もしくは
「ゲブラー=破壊的」を通じて、「8:力」の「圧倒的パワー」を受けることが出来ると
いうことなのですが、それはまた、人間が軽々しく制御できるようなシロモノではない、
すなわち使えないということであり、それゆえ「野蛮」であると表現されているわけです。

いずれにしても、「8:力」のパワーは、我々の手の届くところには無いというか、そもそも
妄想の世界でしか存在しない上位理論(笑)なわけであって、しょせん我々には理解も制御も
できないものでしかないわけですしね。←もはやどうでもいいww
0527名無しさん@占い修業中垢版2020/11/22(日) 05:56:48.55ID:VA8mKx42
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 207) ---
Such danger is stressed, for example, in the story of Daniel in the Lion's Den,
one closely related to the symbolism of this card.
そのような危険は、例えば、このカードの象徴主義に密接に関連するものの一つである、
「獅子の洞窟」における「ダニエル」の物語において強調される。

Daniel is, like Moses, a Magician (Thaumaturge) holding back the destructive power
of the lions through sheer force of will.
「ダニエル」は、「モーセ」のように、全くの意思の力を通じて、獅子たちの破壊的な力を
抑制する「魔術師(奇跡を起こす聖人)」である。
--- ここまで ---

『旧約聖書:ダニエル書』6章には、「獅子の洞窟に投げ込まれたダニエル」の物語があり
ますが、ここでのメインテーマは「主への信仰」であって、「ダニエル」の「意思」とは
無関係の話であり、「モーセ」も「ダニエル」も、我々の考える「自由意思を持つ魔術師」
というよりも、自らの意思よりも「神の代理人」としての働き、つまり神に絶対的に隷属
することで利益を得ているものと考えられます。

はっきり言って、ワタシは、そういう、自分の意のままにならない「他の存在の操り人形」
であることは良しとしないわけで、そういう隷属状態に陥らないように、日々、悪戦苦闘
しているわけですが、そういう報われない苦労をすればするほど、自分自身が、他の存在
の操り人形になっているということを実感してしまうわけです。

そういう意味では、この「8:力」の女神像(≒ダニエル)も獅子像も「神の操り人形」で
あって、上位存在の「至高の三角形」からの「小径」という糸により操られているという
感じにも見えるんですよね。
まあ、人間も含めて、全てのものは「お釈迦様の掌の上」の存在であり「操り人形」では
あるわけですが、ワタシとしては、そのことを頭では理解していたとしても、それは心では
絶対に認められない「思考停止」であって、「あきらめたらそこで試合終了」なのです。
要はワタシは、分かっているけど止められない「愚か者」ってことなのですよww
0528名無しさん@占い修業中垢版2020/11/25(水) 06:00:16.49ID:2JKRgk9e
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 207) ---
Daniel, the three Hebrews in the fiery furance, Noah, and other such figures were
chosen by the earliest Christians as Biblical representatives of salvation.
「ダニエル」、燃え盛る炉の中の三人の「ヘブライ人たち」、「ノア」、そして他の
そのような人物たちは、救済の「聖書」の代表者たちとして、初期の「キリスト教徒たち」
により選ばれた。

On the wall of a catacomb, a depiction of Daniel means, in essence: "let him who
is buried here be saved as Daniel was saved from the lions."
カタコンベ(地下墓地)の壁にある、「ダニエル」の描写は、本質的には、以下のことを
意味する:「ダニエルが獅子たちから救われたのと同じように、ここに埋葬された者を
救済させてください」。
--- ここまで ---

最初の文の「furance」は、「furnace/炉」の誤記ですかね。

「the three Hebrews in the fiery furance/燃え盛る炉の中の三人のヘブライ人たち」
は、『旧約聖書:ダニエル書』3章に出てくる話で、「Noah/ノア」は、『旧約聖書:
創世記』6章以降にある「ノアの箱舟」の登場人物です。
いずれにしても、「信仰による救済」がテーマの話の中の人物です。

「catacomb/カタコンベ(地下墓地)」は、古代ローマ時代の初期キリスト教の、地下に
作られた集団墓地というか納骨堂というか、そういう埋葬施設であり、その壁面には、
教会の壁画と同じように、数々の壁画や彫刻で装飾されています。
まあ、そのほとんどは、キリスト教のメイン・ヒーローである「イエス・キリスト」関係
なのですか、マイナーなテーマの一つとして、「ダニエルの獅子の洞窟」の壁画もあると
いうことです。
ちなみに、『旧約聖書:ダニエル書』は黙示文学書でもあるので、単なる「獅子の洞窟から
の生還」という話だけではなく、『新約聖書』における「イエス・キリスト」と同様に、
『旧約聖書』における世界の終末の救済者であることを、考慮しておく必要があります。
0529名無しさん@占い修業中垢版2020/11/27(金) 06:04:15.57ID:FLOtN6Fh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 207) ---
Thus, a simplistic faith in divine protection came to overshadow a symbolism of
far greater consequence, that of the enlightened individual controlling the
"animal potency" underlying all existence.
このように、神の保護の中での単純すぎる信仰は、はるかに大きな重要性の象徴である、
全ての存在の根底にある「動物の能力」を制御する啓発された個人のそれを覆い隠すよう
になった。
--- ここまで ---

要は、「自力救済」ではなく「他力本願」になっていったということなのですが、そもそも
「8:力」は、そういう終末思想系の「小径」ではありませんし、このカードに描かれている
「獅子像」は、野蛮で野生の動物ということでもありません。
いずれにしても、「ダニエルの獅子の洞窟」の物語が、「8:力」と何らかの関係があると
考えるのは、「月とスッポン」と同しレベルではないかと思うのでした。

ワタシとしては、そんな宗教臭い解釈よりも、ゴールデン・ドーン版の「8:力」が、ウェイト
版の「6:恋人たち」に似ていることに、興味があります。
つまり、ゴールデン・ドーン版の「8:力」の「女神」と「獅子」が、ウェイト版の「6:恋人
たち」の「天上のイヴ/知恵の木/蛇」と「天上のアダム/生命の木/炎の葉」に対応する
ということですよね。

要は、ゴールデン・ドーン版の「8:力」の「獅子」は、本来は野獣の姿ではなく、美形
の「女神」に匹敵するイケメンの「男神」であり、ウェイト版の「6:恋人たち」の天使のような
燃え立つ髪形を持つという妄想ですよね。
そして、この「8:力」のカードは、上位の「至高の三角形」から、「知恵の力=蛇=少女
神」と「生命エネルギーの力=獅子=少年神」が対生成により顕在化し、下位の「倫理的
三角形」の段階に降り立つというイメージでの解釈が可能です。
まあ、それらが具体的に何を意味するのかは、ワタシには全く分かりませんが、従来の
「美女と野獣」という、見たまんまの解釈と比べれば、「生命の木」のバランス感覚と
いう面でも、個人的には納得できる解釈となっているわけなのでした。
0530名無しさん@占い修業中垢版2020/11/28(土) 05:59:24.28ID:upT99PC8
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 207) ---
In the symbolism of Alchemy, the lion takes three separate forms.
「錬金術」の象徴体系において、獅子は3つの異なる形態たちを取る。

First, there is the Green Lion, the energy of nature before it is purified and
subjected to the will.
最初に、浄化されて意志に服従する以前の、自然の精力である、「緑の獅子」がある。
--- ここまで ---

錬金術の体系は、基本的には「中世哲学の妄想体系」であるゆえ、理論が混沌としていて、
言ってることも混乱していますので、ワタシとしては、あまり近づきたくない体系です。

とはいえ、この「8:力」の「女神と獅子像」は、錬金術の象徴体系、特に錬金術の芸術と
いうかデザイン体系の影響を受けていることは、ほぼ間違いないと思われます。
とはいえ、だからと言って、「8:力」の解釈に、錬金術の解釈をそのまま適用しなければ
ならないということでもありませんので、あくまでも参考程度に、錬金術における「獅子」
の象徴の意味を、少しだけ見ておこうと思います。

とりあえず、錬金術における「獅子」で有名なのは、
・緑の獅子
・赤の獅子
なのですが、その解釈については、元々が中世の妄想の産物ですし、各自で好き勝手に
行ってもいいようですので、ワタシ個人の意見は、差し控えさせていただきます。
というか、そういう他人の電波系の妄想には、あまり関わりたくないのです。

なぜなら、ワタシ自身が強烈な「電波系体質」であるゆえ、他人からの電磁干渉の影響を
モロに受けるというか、まあ同族嫌悪というか、要するに、他人からの電波は受け取らずに
受け流すというのが、ワタシの電波な人々に対する基本スタンスとなっております。
まあ、オカルトにハマらずに上手に付き合うには、スルースキルも大切ってことですよね。
0531名無しさん@占い修業中垢版2020/11/29(日) 06:24:26.81ID:jkkTKwpv
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 207) ---
Next is the Red Lion, represented on the card of STRENGTH.
次のものは、「力」のカードに描写されている、「赤い獅子」である。

This is the force of nature under perfect control, what the Alchemists would
describe as e Sulphur (Solar Energy) combined with Mercury (Will).
これは、完全な制御の下にある自然の力であり、「錬金術師たち」が、「水銀(意思)」
と結合された「硫黄(太陽の精力)」と表現したであろうものである。

Waite underscores this meaning by showing the infinity sign of THE MAGICIAN above
the woman's head; this is the directing willpower of the twelfth Path, what
Mathers calls the Philosophic Mercury.
ウェイト氏は、女性の頭の上に魔術師の無限大記号を表示することにより、この意味を
強調する;これは、マサース氏が「哲学者の水銀」と呼ぶ、12番目の「小径」の指導する
意志力である。
--- ここまで ---

この「8:力」のカードにある「獅子像」が、錬金術の「Red Lion/赤い獅子」に相当する
というウォン氏の主張には、ワタシとしては違和感があるのですが、ゴールデン・ドーン
版においては、おそらくそういう感じであると思われます。
つまり、主従関係という点においては、
「女神像」>>[越えられない壁]>>「獅子像」
という関係性が成立しているということであって、このあたりの関係性は、ウェイト版に
おいてもトート版においても同じような感じです。

つまり、「1:魔術師」と「8:力」の「女神像」には、「上の如く、下も然り」という関係性
が成り立つわけで、ここにも「至高の三角形」との「量子もつれ」があるということです。
では、「獅子像」は、どこと「量子もつれ」があるのかと言えば、「0:愚者」なのかな〜、
というイメージがあるわけですが、いずれにしても、理屈で説明できるものでもありません
ので、難しいツッコミは無しで、お願いします。
0532名無しさん@占い修業中垢版2020/11/30(月) 06:21:20.29ID:EPDtp2Ut
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 207) ---
Finally, there is the Old Lion, meaning the completely purified consciousness,
the linking of all components of the Soul with the Highest Spiritual Self which
is "older than time itself."
最後に、「魂」の全ての構成要素たちと、「時間それ自身よりも古い」ものである「最高
の霊的自我」とを結合するものであり、完全に浄化された意識を意味する、「老いた獅子」
がある。
--- ここまで ---

この「Old Lion/老いた獅子」ですが、錬金術の象徴というよりも、ユング心理学における
「The Wise Old Man/老賢人」のような意味合いであるように思われます。

ちなみに、古代ローマの「ミトラス教」にある「獅子頭の神像」も、この「老いた獅子」
のタイプであると思われます。
そして、この「獅子頭神像」は、「ミトラス教」においては、時間を司る「アイオーン神」
とされており、色々と深遠な意味を持っているようです。

一神教であるキリスト教から見れば、野獣である「蛇」や「獅子」は、あまり良い印象は
無いようですが、キリスト教以前の古代宗教においては、「蛇」も「獅子」も、「宇宙や
生命の創造」を表すための、非常に重要かつ高度な象徴であったということです。
ワタシは、古代宗教の専門家ではありませんので、あまり詳しいことは知りませんが、
少なくとも、この宇宙の創造を語る「倫理的三角形」の上においても、決して場違い
なものではないということのようです。(よう知らんけど)

とはいえ、ゴールデン・ドーン版タロットの「獅子像」は、そこまで高尚なものでもない
ようですので、ここは適当にお茶を濁しておきたいと思います。
0533名無しさん@占い修業中垢版2020/12/01(火) 06:13:51.65ID:0R8WtWXi
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 207) ---
The lion figures in ancient legends and in Christian legends, such as the story
of Saint Jerome, where the saint removes a thorn from the lion's paw and the
grateful animal becomes his servant. (*192)
獅子は、聖人が獅子の足から棘(とげ)を取り除き、感謝した動物が彼の下僕になるという、
「聖ジェローム(聖ヒエロニムス/聖ジローラモ)」の物語などの、古代の伝説たちやキリ
スト教の伝説たちの中に登場する。 (*192)
--- ここまで ---

ちなみに、(*192)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
192. St. Jerome was one of the "Fathers of the Church," and the translator of
the Vulgate, latin version of the Old and New Testaments.
192. 「聖ジェローム」は「教会の父たち」の一人であり、『旧約および新約聖書』のラテン
語版である『ウルガタ聖書』の翻訳者であった。

Because of the lion legend, the cat became known as the traditional pet of the
scholar.
獅子の伝説により、猫は学者の伝統的なペットとして知られるようになった。

See Reau, L’Art Chretien, v. III, 740-50, also Jameson, Sacred and Legendary Art,
London 1891, V.I, 285-300.
レオー著、『キリスト教の芸術』、第三巻、740-50ページ、また、ジェイムソン著、『神聖
で伝説的な芸術』、ロンドン 1891年、第一巻、285-300ページも参照のこと。
--- ここまで ---
とあります。

なお、「聖ジェローム」が「教会の父たち」の一人であり、ラテン語版『ウルガタ聖書』
の翻訳者であったことは真実ですが、この聖人が、獅子の足から棘(とげ)を取り除き、
感謝した動物が彼の下僕になるという話は、ファンタジーな創作物語です。
0534名無しさん@占い修業中垢版2020/12/02(水) 06:19:02.56ID:ZMJ/92v2
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 207) ---
The consistent thread running through such tales has to do with the wise person
who subjugates the wild animal through the force of his humanity.
そのような物語たちを貫き通す首尾一貫した(話の)筋道は、彼の人間性の力を通して
野生動物を服従させる賢明な人間に関係せざるを得ない。

It is the highest quality of man controlling the highest quality of beast (of
which the lion is "King"), an idea sufficiently common in history that it may
be considered an extension of Jung's Wise Old Man archetype.
それは、(獅子は「王」であるという)最高の品質の獣を支配するのは、最高の品質の
人間であることであり、「ユング」の「老賢人」の元型の拡張と見なされるかもしれない、
歴史上十分に共通した考え方である。
--- ここまで ---

「聖ジェローム」の伝説は、基本的には「キリスト教」サイドが流した悪質なデマというか、
キリスト教以前の古代宗教が、人間よりも獣の神性を高く設定していることに対する、
ネガキャンの一環であるような感じなんですよね。
つまり、「傷ついた獅子=古代宗教」であり、それを救済して新たに支配したのが「キリ
スト教」であるというような、ストーリーだと思われます。
実際、「蛇」も「獅子」も、古代エジプトや古代メソポタミアでは、人間を超越する聖なる
生き物として、崇拝の対象でしたので、「8:力」が、「特定宗教の人間の優位性」を示すと
いう考え方には、かなりの違和感がありますし、そもそも、この「8:力」においては、
「人間性」という俗なものは、本来は議論の対象にもならないような気もするわけです。

結局のところ、中世以降のキリスト教においては、「イエス・キリスト」が最高であって、
「蛇」や「獅子」は、しょせん「野獣」扱いでしかなく、それゆえ、自然の神秘の理解に
おいて、大事なことが見えなくなっている感じです。
ですので、ワタシ的には、「蛇」や「獅子」は、単なる「野獣」ではなく、神秘の「象徴」
として、改めて見直して欲しいというのが、正直なところです。
0535名無しさん@占い修業中垢版2020/12/03(木) 06:11:29.20ID:/obwcjX5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 207) ---
In this regard, we appreciate that each and every one of the Tarot trumps represents
a body of teaching, legend, or tradition, deeply rooted in the group soul of mankind
and expressed in different ways throughout history.
この点については、我々は、「タロット」の大アルカナたちの各々そして全てのものが、
人類の「類魂」に深く根ざされ、そして歴史を至るところで異なった方法たちで表現され
た、教え、伝説、もしくは伝統の塊を表していることを理解する。
--- ここまで ---

この点については、ワタシとしては完全には同意し難いところです。

確かに、古典的なタロットであるマルセイユ版の解釈であれば、そういう人間的な面が
色濃く反映されているということは理解できます。

でも、ゴールデン・ドーン系は、「魔術カバラ」がベースですので、そういった伝統的と
いうか、既存宗教の受け売りというか、お説教ババアの占いのような、お行儀の良い、
物分かりの良いものではないと思うんですよね。

そもそも、「生命の木」の「ティファレト」より上の世界の「小径」は、「宇宙の創造」に
関する記述になっていますので、「教え、伝説、もしくは伝統」といった人間臭いものは、
「ティファレト」より下の世界の「小径」で語っておいてほしいところですし、そういう
人間臭いものを、「ティファレト」より上の世界の「小径」に当てはめて解釈することは、
宇宙にある「月」の誕生を、「おいしいスッポン鍋」の作り方と同列に語るようなもので
あって、井戸端話のネタとしては悪くはないのですが、ミソクソ以外の何ものでもないわけ
で、ネタをネタと理解できず、勘違いする人が続出することは否めないわけです。

特に、占い界隈の電波系の人々は、そういう「誰が見ても怪しいネタ」に食いつく傾向が
高いので、できれば、こういう勘違いしやすいネタは、控えめにしておいてほしいのですが、
残念ながら、「誰が見ても怪しいネタ」の方が、商業的には、もてはやされるというのも、
確かなんですよね。
0536名無しさん@占い修業中垢版2020/12/04(金) 06:04:34.23ID:jf2dFYf0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 207) ---
Pursuant to the relationship of the symbolic lion with the Sun, there is some
possibility of confusion.
象徴的な獅子と「太陽」の関係に従って、混乱するいくつかの可能性がある。

At one level the lion is the Kerub of Fire, symbol of one of the Four Elements.
ある段階においては、獅子は、「四大元素」のうちの1つの象徴である、「火のケルビム
(智天使)」である。

But this is not the same as the lion of the Sun's Spiritual Fire, or Kundalini,
which is also the Serpent.
しかし、これは、「太陽」の「霊的な火」の獅子、もしくは蛇でもある「クンダリニー」
と同じではない。
--- ここまで ---

「8:力」のカードに描かれた「獅子像」は、「四大元素」の「火=ネツァク」と同等では
なく、「太陽」が示唆する「霊的な火=ティファレト」と同等ではなく、「クンダリニー
=ヨッド=火」と同等ではないということであり、我々の知る伝統的な他の何かに例える
ことの難しい、高次元の象徴であるということです。

つまり、この「獅子像」は、我々がまだ知らないものを象徴しているということなのです。

「8:力」の理論上は、上位の「至高の三角形」から、「女神像=蛇」と「獅子像」が、
下位世界の「倫理的三角形」において「対生成」されたことを表すものであって、その
結果として、「ケセド」と「ゲブラー」が対生成されたと考えることが出来ます。
その後は、「ケセド」と「ゲブラー」の間に働く「力」を意味しているわけなのですが、
物理的な「force/力」ではなく、どちらかと言うと、精神的な「strength/力」であると
いうことが、また良くわからない点なのですよね。
いずれにしても、「8:力」の「獅子像」は、それ単独では意味を持たず、「女神像」との
ペアとして解釈すべきものという程度のことは分かるのですが、それ以上は分かりません。
0538名無しさん@占い修業中垢版2020/12/05(土) 06:13:06.31ID:gU48lRmE
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 207) ---
The fiery lion-serpent is one aspect of the Life Force which, in manifestation,
is a duality of activity and passivity.
火の獅子−蛇は、「生命の力」の1つの様相であり、それは、顕在化における、活動性と
受動性の二重性である。

Kundalini, the Sacred Fire, is the active phase of this energy, purposely unleashed
and directed by the will.
「聖なる火」である、「クンダリニー」は、この精力の活動的な相であり、意図的に束縛を
解かれ、意志により導かれる。
--- ここまで ---

至高なる「火の段階」、すなわち「至高の三角形」においては、「火の獅子−蛇」として
一体化して未分化のものが、次なる「水の段階」である「倫理的三角形」の「8:力」に
おいて、「獅子像」と「蛇=女神像」に分離して顕在化したというような感じですかね。

そして、感覚的には、「獅子像」が「activity/活動性」で、「女神像」が「passivity
/受動性」を担当するであろうということであり、さらに、「ケセド」と「ゲブラー」の
顕在化にも関係してくるものと思われます。

とはいえ、ここで、「クンダリニー」の話が出てくると、色々と混乱してきます。
まず、この「8:力」にある「クンダリニー」のようなものは、我々の知る「クンダリニー」
とは次元の異なるものであり、「神の意思により意図的に束縛を解かれ、神の意志により
導かれる」という性質のものであって、我々が関知できるようなものではありません。

要は、しょせん「神の世界」の話であり、完全に俗世間からは隠蔽されていて、日々生活
している我々にとっては、全く何の関係も無いのが「8:力」であるということですので、
それゆえ物好きな研究者にとっては、逆に興味の対象とされているわけなんですよね。
まあ、隠されている魅力的なものであれば、ぜひチラリでいいので見てみたいというのは、
人間の性(さが)ですので、きっと実況で「見えた!」と叫ぶ人もいるんでしょうね。
0539名無しさん@占い修業中垢版2020/12/06(日) 06:38:40.83ID:W7uUhxI4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 208) ---
This is suggested by the double ends of the rods in the hands of the figure in
THE UNIVERSE, a card related to STRENGTH in several ways.
これは、いくつかの点で「力」に関連するカードである、「宇宙」の人物像の手たちの
中の棒たちの二重の先端たちにより示唆される。
--- ここまで ---

「21:宇宙」の女神像が両手に持つ、二本の「両頭の棒」は、宇宙の存在の中にある様々な
ものの「二重性」の原理を示しています。

そういう意味では、「8:力」の「獅子」と「蛇(女神像)」も、そういう「二重性」の
範疇に入ると言えば入るのですが、とはいえ、この「獅子」と「蛇」の関係性は、単なる
「double ends/両頭」と言えるような対等なものではないので、何とも言えないです。

つまり、単に、「獅子像」が「activity/活動性」で、「女神像」が「passivity/受動性」
であるとか、さらに言うと、「ケセド」と「ゲブラー」の関係性も、「double ends/両頭」
としていいのかという話にもなるわけです。
つまり、単純なボケとツッコミのような関係ではなく、もっと何か柔軟性のあるというか、
見た目ほどには上下関係を持たないような関係性に近い感じがするんですよね。

要するに、見た目清楚な「女神像」は、あくまでも見た目だけであって、その実体は、火の
属性を色濃く持つ「蛇」に他ならないということであり、それが火の属性そのものである
「獅子」と一体化しているという構図から、これから一体何が起きるのか、ということです。

これはもう、神の意志に従って、「爆発」するしか無いわけですよ。
つまりは、これから顕在化するであろう「宇宙」を生み出すための「大爆発」、すなわち
「ビッグバン」の「原動力」に他ならないということであり、ワタシとしては、こちらの
イメージの方が、しっくり来ます。
いずれにしても、この「8:力」のカードは、「女神」による「力の抑制」というような
クールな感じではなく、もっと活動的なイメージがあるように思うのでした。
0540名無しさん@占い修業中垢版2020/12/07(月) 05:47:38.50ID:LI+gyhKF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 208) ---
It will, for example, be noted that the scarf on the figure in the Golden Dawn
card is similar to that worn by the figure in THE UNIVERSE.
例えば、ゴールデン・ドーン版カードの人物像のスカーフは、「宇宙」の人物像により
着用されるものに似ていることが注目されるであろう。

Both are veils.
両者とも、「ベール(覆い隠すもの)」たちである。

Both are concealing of principles, though at different ends of manifestation.
両方とも、原則を隠しているけれども、顕在化という点では異なる結末たちにある。

STRENGTH is the beginning of Microprosopus, while THE UNIVERSE is the completion
of the process.
「力」は「ミクロプロソプス(小さな顔)」の始まりであり、その一方で、「宇宙」は
過程の完了である。
--- ここまで ---

まあ、「スカーフ」は「ベール(覆い隠すもの)」ではありますが、それを身に着けて
いるという点だけで、「8:力」の女神像と「21:宇宙」の女神像は同じであるというのは、
いつものように、「月とスッポン」ではないかと思います。

とはいえ、「月とスッポン」理論においては、「8:力」の天界に舞い降りた「女神像」が、
相転移して、「21:宇宙」の地上に降臨した「女神像」になるということも否定できない
わけで、このあたりの解釈は、おそらく人それぞれではないかと思われます。

ワタシとしては、「全ての女神像は同一である」という、思考停止のミソクソ理論よりは、
それぞれのレベルに応じて異なる個性に向き合って、その異なる働き(原則)をしっかりと
把握して解釈してあげたいので、あんまり姉妹同士や母娘同士で比較して、あーだこーだ
と言いたくは無いかなぁ、という感じですかね。
0541名無しさん@占い修業中垢版2020/12/08(火) 06:14:17.74ID:MyDC2DZi
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 208) ---
The woman who has tamed the energy of the lion, and the woman who dances in space
surrounded by the Four Kerubiim, are both expressions of that which is, at the
highest level, called THE EMPRESS.
獅子の精力を飼いならし終わった女性と、「四つのケルビム」により取り囲まれた空間で
踊る女性は、両方とも、最高の段階において、「女帝」と呼ばれる、表現たちである。
--- ここまで ---

まあ、こういうのも、典型的な「月とスッポン」理論となるわけで、オマンコ付いていよう
がいまいが、ほぼ見た目だけで、同じ「女性」と決めつけるのは良くないと思います。

それに、同じような女性像なのに、「2:高等女司祭」や「11:正義」や「14:節制」や「17:星」
などが仲間ハズレにされているのも気になりますし、それぞれが、かなり個性的な性格と
働きを持っていますので、「なんでアイツなんかと一緒くたにされてんの!」という苦情が
殺到するのも目に見えていますしね。

それと、「3:女帝」と「21:宇宙」の女性は、どちらも「宇宙を産み出す」という単体での
母性感が強くありますので、どちらかというと、「8:力」の女性のような、脳筋上司を手な
づけるキャリアウーマン的なものとは、かなりキャラが異なる感じもあります。

というわけで、ワタシとしては、「8:力」は、やはり「蛇」と「獅子」の象徴の関係性、
カードで言えば、ウェイト版の「6:恋人たち」や、「15:悪魔」や、「19:太陽」にある
ような、「陰陽」という「対生成」の関係に基づく世界創造の始まりのカードであると
考えておきたいところです。

つまり、「3:女帝」の遠隔作用で生み出されたのが、物質化するはるか以前の、「8:力」の
「蛇」と「獅子」に象徴される「純粋エネルギーを司る、対になった『力』たち」である、
という考え方なのですが、それが現実に何を意味するのかは、全くもって不明なのでした。

要するにワタシは、「8:力」については、実は何も知らないんですよね・・・。
0542名無しさん@占い修業中垢版2020/12/09(水) 06:06:10.54ID:TVND0E26
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 208) ---
This is a very powerful Path, one on which it is not possible for a sensitive person
to meditate without profound effects on the psyche.
これは非常に力強い「小径」であり、感受性の高い人にとっては精神に深刻な影響を与える
こと無しに瞑想することが可能ではないものの一つである。

The card may come to be appreciated as a statement of methodology, whereby the
willpower controls the vital life energy.
カードは、意志の力が生命の精力を制御することによって、方法論の陳述として評価される
ようになるかもしれない。
--- ここまで ---

この「8:力」が、「very powerful Path/非常に力強い小径」であることは確かなのです
が、問題なのは、それが我々の知るレベルには無い、すなわち、完全に「あっちの世界」
の話であることであり、結果的に、我々がそれについて語ろうと思えば、「月とスッポン」
以上の隔たりがあること、つまり、ワタシがここで語っていることは、もはや何の意味も
無い雑談でしかないということを、知っておく必要があります。

そして、そういう雑談のネタ話の一つとして、「8:力」を、「意志力が生命力を制御する
方法論」として見るというものがあるということです。
まあ、「8:力」の本当の意味は誰も知りませんが、誰も知らないからこそ、各自が自由な
発想で勝手気ままに解釈しても、誰もそれを否定することは出来ませんし、それはそれで
許される同人誌的な行為ではないかとも思います。

とはいえ、そういう個人的な解釈を公式化してしまう、つまり、誰かがこう言っていた
から、このカードはこういう解釈なんだ、というのは、ちょっと違うと思うんですよね。
ワタシとしては、あくまでも、「各自の自由な発想から生まれる解釈」ということが重要
であると言いたいわけで、このレベルにおいては、安易な「他人の解釈の受け売り」は、
もはや何の意味も持たないというか、逆に有害であるとさえ思える領域にあると思うの
でした。
0543名無しさん@占い修業中垢版2020/12/11(金) 05:59:48.53ID:B7rlwKSK
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 208) ---
The Book of Tokens suggests that the secret of this methodology lies in number,
although as used in that text the word means the germ of separation into what
can be counted as divided from the One:
『しるしの本』は、この方法論の秘密は「数」にあることを示唆しているが、けれども、
その本文の中で使われているように、この言葉は、「1つのもの」から、分割されたもの
として数えることができるものへの分離の芽生えを意味している:

"Number veileth the power of the Elohim, for Number is that thick darkness whereof
it is written,
「『数』は『エロヒム(神)』の力を覆い隠しており、なぜなら、『数』は、それが書かれて
いるものの、その濃い暗闇であるからである。

'And Moses drew near unto the thick darkness Where God was;'
『そして[モーセ]は[神]があった「場所」の濃い暗闇の近くに寄った;』、

and again,
そして再び

'Tetragrammaton said that he would dwell in the thick darkness.'"
『[聖四文字]は、彼が濃い暗闇の中に住むであろうと言った。』」
--- ここまで ---

無駄に長くて、結局のところ何が言いたいのかが、よくわからないところですが、おそらく
「よくわからない」ということを言いたいのではないかと思います。

まあ、「神」とは、我々にとっては「よくわからない」存在であるというか、究極的に
「よくわからない」存在である、つまり究極的な「神秘」であるからこそ、「神」と呼ば
れているのではないかとも思うわけです。
だから何?、と言われても困りますので、ツッコミは無しで、お願いします。
0544名無しさん@占い修業中垢版2020/12/12(土) 06:09:34.77ID:zzdnH8da
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 208) ---
And, it continues: "Of that darkness the Serpent is a sign, the Great Serpent,
the royal snake of Egypt.
そして、それは続ける:「その暗闇の中で、『蛇』は記号であり、『偉大なる蛇』、
エジプトの王家の蛇である。

This is the Serpent of temptation, Yet from it cometh redemption.
これは、誘惑の『蛇』であるが、それにもかかわらず、そこから贖罪が生じる。

For the Serpent is the first appearance of the Anointed One." (*193)
というのは、『蛇』は、『油を塗られた者(神)』の最初の出現であるからである。 (*193)
--- ここまで ---

ちなみに、(*193)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
193. Case, Book of Tokens, 91-92.
193. ケース著、『しるしの本』、91-92ページ。
--- ここまで ---
とあります。

古代エジプトの「王(ファラオ)」は、「太陽神ラー」の子であるとされ、「太陽=獅子」
に相当します。
また、古代エジプトでの「蛇」は、「女神」や「夜」に属することが多く、「太陽=獅子」
を補完するものとなっています。

つまり、「8:力」は、古代エジプト理論においては、宇宙創造の最初に出現した、「光」を
司る「男神(太陽=獅子)」と、「闇」を司る「女神(蛇)」という、偉大なる相反する
「力」の関係を表しているということになるわけです。
とはいえ、このレベルの「蛇」が、人間臭い「誘惑」とか「贖罪」に絡んでいるかと言われ
れば、ちょっとレベルが違いすぎるので、ワタシとしては、何とも言えないです。
0545名無しさん@占い修業中垢版2020/12/13(日) 06:32:02.89ID:JfnRULa8
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 208) ---
STRENGTH represents a very important initiatory formula dealing with the Serpent
Power.
「力」は、「蛇」の「力」を取り扱う、非常に重要な参入の公式を表している。

It is this power which is used to stimulate the various chakras, or centers of
energy in the body.
さまざまな「チャクラたち」、もしくは肉体の中の精力の中心たちを刺激するために使用
されるのは、この力である。

The principles imbedded in number (as defined above) teach us how to use this
power, which is not to suggest that the process is cold and distant.
(上で定義されたような)数の中に埋め込まれた原則たちは、過程が冷たく遠いことを
示唆することではない、この力の使い方を我々に教える。
--- ここまで ---

「獅子=太陽」が「熱」であれば、冷血動物である「蛇」は「cold/冷」であるという
類推ができるのですが、この「8:力」における「蛇」が意味する「process/過程」は、
「冷」ではなく「熱」であるということです。
そして、その作用は、「distant/遠い」ものではないということなので、「重力」や
「電磁力」のような遠隔で作用するものではなく、「強い力」や「弱い力」のように、
極めて近い距離で作用するものであるということです。

つまり「獅子」も「蛇」も、宇宙誕生のビッグバン直後の状態で作用した、原初の「力」
の象徴であって、それらの「力」の痕跡が、「宇宙背景輻射」のように、この顕在化した
宇宙全体に、あまねく遍在しているという感じでしょうかね。

そして、一部の人たちは、その原初的な「力」を、ミソクソ理論を、いやいや「上の如く、
下も然り」の原則を適用することで、自身の「チャクラ」たちを通じて、それらを感じ、
使うことが出来ると主張しているということのようです。
0546名無しさん@占い修業中垢版2020/12/14(月) 05:47:15.42ID:sfboxuzC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 208) ---
On the contrary, Crowley's title, Lust, is quite appropriate.
それどころか、クロウリー氏の称号である「欲望」は、かなり適切である。

What is involved is the development of a "divine frenzy," as is meant by the
frequently-repeated instruction: "Inflame Thyself with Prayer!"
巻き込まれるものは、頻繁に繰り返される教えにより意味されるように、「神の熱狂」の
開発である :「『祈祷』しながら『汝自身』を燃え上がらせよ!」。

Or, as the Alchemists express it, "The heat of the furnace makes the Stone."
もしくは、錬金術師が、それを表現するように、「炉の熱は『石』を作る。」

The heat is a great passion within the confines of an exercise such as that of
the Middle Pillar. (*194)
熱は、「中央の柱」のそれのような行法の限界内の大きな情熱である。 (*194)
--- ここまで ---

ちなみに、(*194)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
194. Note 9.
194. 注記 9。(イスラエル・リガルディ著、『中央の柱』および『実践的魔術の基礎』)
--- ここまで ---
とあります。

まあ、「8:力」は、「燃える火」ではありますが、それは、我々が想像するような、有限の
「炉」の中でチマチマ燃えているものではなく、この無限宇宙の種そのものが「炉」で
あり、その中からビッグバンが始まったということになるという感じですかね。

いずれにしても、下界の我々が、祈りにより「8:力」の境地に達することが出来るのかと
聞かれれば、夜空の星を竹ざおで叩き落とすぐらいの、無理なことだと思うのでした。
0547名無しさん@占い修業中垢版2020/12/15(火) 05:52:53.02ID:i44D2cqz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 208) ---
The method is a recurring theme in the correspondence courses of Paul Case.
この方法は、ポール・ケース氏の通信教育課程において繰り返し出てくる題目である。

In one lesson, he says of inner exercises: "By prolonged practice. . . pursued
something for months and years without apparent result, those who follow the Way
of Liberation effect changes in their subconsciousness.
ある学課において、彼は内なる演習たちについて、以下のように述べる:「長期の実践に
よって…、明らかな結果なしに、何ヶ月も何年もの間、何かを追求した、『解放の道』を
追う者たちは、彼らの潜在意識の中で変化たちを成し遂げる。

These changes are symbolized by Key 8 and produce at the same time the result
shown in Key 16." (*195)
これらの変化たちは、「鍵の8」により象徴され、そして、「鍵の16」において示される
結果を、同時に引き起こす。」 (*195)
--- ここまで ---

ちなみに、(*195)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
195. Case, Tarot Fundamentals, 20.8.
195. ケース著、『タロットの基礎』、20.8ページ。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、「8:力」の本質は誰にも分からないので、各自で「ミソクソ理論」、いやいや「上の
如く、下も然り」の原則を適用して、それぞれの言葉でそれを表現し、それぞれの責任で
活用していくしかないわけですので、他人の解釈については、基本スルーで、いやいや、
それぞれの意見を最大限尊重しておこうと思うのでした。
つまり、ここで語っていることは、ワタシの話も含めて、もはや何の根拠も無い、無責任な
話でしかないわけですので、皆さんも、完全なる自己責任での利用を、お願いします。
0548名無しさん@占い修業中垢版2020/12/16(水) 06:03:11.62ID:UJ0Pj1Dn
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 208) ---
Repeatedly he states that the whole point of meditational exercises is an actual
and subtle change in the structure of the body cells.
繰り返し、彼は、瞑想の演習たちの全体の論点は、体細胞たちの構造における実際の微妙な
変化であると述べる。

And those who are familiar with Dion Fortune's definition of the Qabalah as the
"Yoga of the West," will appreciate that Case said directly things at which she
was only willing to hint.
そして、「西洋のヨガ」としてのダイアン・フォーチュン氏による「カバラ主義」の定義に
精通している人は、ケース氏が、彼女がほのめかしたいだけのことを直接言ったことを
理解するであろう。
--- ここまで ---

まあ、誰にも本当のことは分からないので、ここは「言論の自由」を尊重しようと思います。

とはいえ、このレベルになると、「○○のような気がする」程度の、ほとんど妄想レベル
でしか語れないので、二重盲検法(Double blind test)などで検証すれば、おそらく有意な
ものは出て来ないと思います。

そしてもし、これが何らかの意味を持つとすれば、それは、「特定の人たち」による、
「特定の意味付け」の場合であり、これは意味の再定義というか、まあ「上の如く、下も
然り」の原則を適用して、その「特定の人たち」にとって都合の良い解釈をするという
場合に、ほぼ限定されるのではないかと考えています。
もちろん、これは、他者に迷惑をかけない限りにおいて、個人的に行うことは、何ら問題
の無い行為なのですが、ワタシ自身は、極力そういう黒歴史ノートというかオナニー行為
は、あまり人には見せたくないな、と思っているのですが、世の中には、そういう黒歴史
ノートや、オナニービデオが金になる場合もあるわけですので、何とも言えないです。
とはいえ、ワタシも、偉そうに他人に対してとやかく言えるような立場でもありませんので、
皆さんには、ワタシのようにならないよう、清く正しく生きて頂きたいと思うのでした。(苦笑)
0549名無しさん@占い修業中垢版2020/12/17(木) 06:11:32.14ID:PuUEImT0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 208) ---
When we have the important keys all mystical literature suddenly opens up and
seems genuinely simple.
我々が、重要な鍵たちを手に入れる時、全ての神秘的な文学は、突然に開かれ、本当に
単純であるように見える。

Such is the case with the Book of Revelation (The Apocalpyse), which utterly confounds
most biblical scholars, and is the source of some extraordinary scholarly nonsense.
そういうものは、大抵の聖書学者たちを散々に混乱させ、そして、少なからず異常で学術的
には無意味な言葉の源である、「啓示の書(黙示録)」の場合である。
--- ここまで ---

二番目の文の「Apocalpyse」は、「Apocalypse/黙示録」の誤記ですかね。

「Revelation/(ヨハネ)黙示録」は、『新約聖書』における代表的な「mystical literature
/神秘文学」ですが、その生い立ちから思うに、空想フィクション文学そのものであり、
ファンタジー文学以上のものではないと思います。
まあ、現代においては、新世紀エヴァなんとかとか、魔法少女まどなんとかとか、はたまた
プリキュアとかも、世界の滅亡の預言と、それからの復活という、ごくありふれたテーマ
ですので、そういう「救世主」シリーズものの原点であると言うことは出来るかと思います。

とはいえ、『ヨハネ黙示録』のネタは、完全なオリジナルではなく、当時に流行していた
神秘ネタのパクリ、いやいや、それらを再編集したものであり、神秘文学の作品としては、
非常に興味深い仕上がりとなっています。
そして、『ヨハネ黙示録』には、『旧約聖書』ネタ以外に、様々なものが含まれている
ので、純粋な古典的「カバラ」とはまた毛色の異なるものが含まれています。
それは占星術ネタであったり、錬金術ネタであったりするわけで、そういう元ネタを
ほじくり返すことで、埋もれていた「鍵」が発見されるということも、良くあります。
まあ、『黙示録』というマップを頼りに「鍵」を探して、ネタの「宝箱」を開けるという、
一種の知的な「宝探し」という感じでしょうかね。
0550名無しさん@占い修業中垢版2020/12/18(金) 06:09:10.96ID:ta1r8uhp
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 209) ---
Revelation, like the Book of Genesis, is one of the great Qabalistic documents.
『起源の書(創世記)』のように、『黙示録』は「カバラ主義」の偉大な文書たちの1つで
ある。

Thus, one should not be surprised to find that STRENGTH (or Crowley's Lust) relates
directly to that work by St. John.
従って、人は、「力」(もしくはクロウリー氏の「欲望」)が、「聖ヨハネ」の作品に
直接関係していることを発見することで驚かされるべきではない。
--- ここまで ---

わぁ、びっくりした〜ぁ!

って言えばいいんでしょうかね。

まあ、今さらではありますが、タロットで取り扱う「カバラ主義」は、クリスチャン・
カバラの延長である「魔術カバラ」ですので、基本的には、何でもありです。
考古学的な学術資料としての価値は、『旧約聖書:創世記』の方が圧倒的に上なのですが、
神秘ネタとしての価値は、『新約聖書:ヨハネ黙示録』と、甲乙つけがたい感じですよね。

とはいえ、『黙示録』系の神秘ネタで語られてしまうと、元々がアレ系な人たちの幻想ネタ
ですし、様々なジャンルの妄想ネタが、ごっちゃになっているので、通常の精神状態では、
マトモな解釈が不能というか、もはや何でもありのカオス状態になってしまいます。

ということで、ワタシとしては、『ヨハネ黙示録』を語るのは、できれば避けておきたい
ジャンルではあるわけですが、タロットを語る上では、どうしても避けることの出来ない
ものですので、ごく表面的な部分について、ここでは語っておきたいと思うのでした。

まあ、妄想ネタを深く追求しても、ただ時間を潰せるだけで、特に何も得られませんので、
そういうものもあるんだ〜、的な目線で見ていただければ幸いかと存じます。
0551名無しさん@占い修業中垢版2020/12/19(土) 06:31:59.71ID:mL4mWhql
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 209) ---
In Revelation it is stated that the Lion, representative of the Tribe of Judah
(the descendants of David), had "won the right to open the scroll and break its
seven seals." (*196)
『黙示録』の中に、「ユダ族(ダビデ王の子孫たち)の代表である、「獅子」が、「巻物を
開けて、その七つの封印たちを破る権利を勝ち取った」ことが、述べられている。 (*196)

But as the seals are to be broken we discover that the Lamb has taken the place
of the Lion.
しかし、封印たちが破られるにつれて、我々は、「小羊」が「獅子」に取って代わって
しまったことを発見する。

The Lion has, in fact, become the Lamb of "Seven Eyes."
「獅子」は、事実上、「七つの目」の「小羊」になってしまった。
--- ここまで ---

ちなみに、(*196)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
196. Revelation, 4.5.
196. 『新約聖書:ヨハネ黙示録』4:5。
--- ここまで ---
とあります。

妄想ネタに対してコメントするのもアレなのですが、この「ユダ族(ダビデ王の子孫たち)
の代表である獅子」という表現ですが、これは、『旧約聖書:サムエル記下』7:12にある
救世主の預言に関係しており、この「獅子」は「救世主イエス」を象徴すると思われます。

その後、この「獅子イエス」は、世界を黒化させる「七つ目の小羊」に姿を変え、錬金術の
術式に従って、最後には「賢者の石」であり「黄金」である「イエス・キリスト」として
降臨するというストーリーなのかなぁ、とか思ったりするのでした。(よう知らんけど)
0552名無しさん@占い修業中垢版2020/12/20(日) 06:41:48.62ID:2flNEOHW
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 209) ---
These are the seven Chakras which are activated by the Lion-Serpent Power.
これらは、「獅子−蛇」の「力」により活性化される、七つの「チャクラたち」である。

This is the taming of the Lion by the woman in STRENGTH.
これは、「力」における、女性による「獅子」の飼い慣らしである。

In Qabalistic terms this means that to bring the energies symbolized by the Lion
under perfect control, is to open the seals on the Book of Reality above the Abyss.
「カバラ主義」の表現においては、これは、完全な支配下にある「獅子」により象徴される
精力たちをもたらすことは、「深淵」の上の「真実の書」の封印たちを開くことである、
ということを意味する。
--- ここまで ---

『新約聖書:ヨハネ黙示録』の「七つ目の小羊」という妄想ネタからの「七つのチャクラ」
の流れは、まあ一つのネタとして置いといて、この「8:力」が、「Abyss/深淵」の封印で
あるという点については、ある程度、注目しておく必要があります。
まあ、注目すると言っても、ほとんどの人には、もはや何の関係もないことですけどね。

いずれにしても、この「8:力」は、上位世界であり「深淵」により絶縁された「至高の
三角形」を封印するもの、というか、これを理解せずに、そしてそれにより認められない
限り、それより上に進むことの出来ない「関所」みたいな気もするわけです。
つまり、我々が到達できる最上位の「ティファレト」には、上位世界の「至高の三角形」
に繋がる三つの「小径」、すなわち「6:恋人たち」、「4:皇帝」、「2:高等女司祭」が
あるわけですが、それらは全て「8:力」により封印されているような感じですよね。

要は、「8:力」は、エデンの園の東に置かれた「ケルビム」と「炎の剣」に似た存在で
あるという感じ(←これも妄想)なのですが、だから何と言われると、ワタシとしては、
「至高の三角形」はおろか、「8:力」とは何なのかさえ知らないので、何か意味のある
ことを答えることが出来ないというのが、現状なのでした。←全くヤル気無しww
0553名無しさん@占い修業中垢版2020/12/21(月) 06:09:50.23ID:ARuYrLHq
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 209) ---
The symbolism refers to the method by which one may know that from which manifestation
emerges, the Supernal Triangle of the Tree of Life.
象徴主義は、人が、そこから顕在化が出現する、「生命の木」の「至高の三角形」のことを
知るための方法に言及する。

It should be noted here that the Path of Teth is the highest on the Tree with no
direct connections into the Supernals.
ここで、「テトの小径」は、「木」の上で、「至高なるものたち(至高の三角形)」の中
への直接の接続を持たない、最高位のものであることが、注目されるべきである。

It is, thus, an important Path of transition.
それは、従って、遷移の重要な「小径」である。

It is, like THE HERMIT, a gateway to Daath.
それは、「隠者」のように、「ダアト」への関門である。
--- ここまで ---

「8:力」は、「至高の三角形」の「封印で」あり、それはすなわち「至高の三角形」への
「関門」でもあるということですが、これはまあ当然のことですかね。
問題なのは、その「封印」を解いて「関門」を開く方法なのですが、その鍵は、我々の
手の届くところにない、「テトの小径」という、この世界における最高のポジションに
あるということです。

ワタシにとっては、この「8:力」のポジションは、見ることも触ることも出来ない存在
ではありますが、「それはある」ことは知っていますので、それはすなわち「私は在る」
と自称したユダヤ教の神である「主」のポジションである、ということになりそうです。
まあ、ワタシ自身は、そういう「神」にはなれませんので、そこには到達できませんが、
世の中には、自称の「神」がいて、そういう「8:力」を授かったなどと吹聴している人も
それなりにいるわけなのですが、それが何なのかは、ワタシには知る由もありません。
0554名無しさん@占い修業中垢版2020/12/22(火) 06:16:17.17ID:ks/t0nrG
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 209) ---
In the Golden Dawn version of both cards, Daath is suggested by the desert.
両方のカードたちのゴールデン・ドーン版においては、「ダアト」は砂漠により示唆される。

As we cross the desert, going upwards, we are led out of bondage by the Logos
itself (Moses as the Light).
我々が砂漠を横切って、上向きに行くにつれて、「ロゴス」それ自体(「光」としての
「モーセ」)により、束縛から引き出される。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の「8:力」と「9:隠者」に描かれた「desert/砂漠」は、「ダアト」
であるということなのですが、「ダアト」が「形あるもの」とは思っていないので、たとえ
それが「suggest/示唆」であると言われても、イメージしづらいんですよね。
ワタシには、この「砂漠」は、生まれたばかりで、まだ不毛な、すなわち生命活動の全く
無い初期宇宙というイメージが強いです。

そして、「9:隠者」の人物像は「光のモーセ」(『旧約聖書:出エジプト記』34:29-35参照)
を表している可能性があることは知っていますが、だからといって、我々が「ダアト」を
越えて、上向きに上昇して「至高世界」に到達することは不可能です。
可能性があるとすれば、「光のモーセ」のように、「至高世界」から降りてくる神託を、
我々の「霊の世界」で受け止めることぐらいですが、それが我々にとって、何の意味が
あるのかは、我々の知識では、知る由もありません。

いずれにしても、このレベルでは、カバラ主義的には、もはや我々の実生活にとっては無縁
のものというか、ほぼ意味の無い空想ファンタジー世界の話になっていますので、あまり
深入りする必要はありません。
あくまでも、そういうネタがあるんだ〜、という感じで、不思議ちゃんの話に付き合うと
いう感覚でいてもらえればいいかと思います。
そういえば、俗世間では、アレのせいで、不思議ちゃんが活性化していて、色々な電波話が
飛び交っておりますが、皆さんは、そういうネタに惑わされないようにしましょうね。
0555名無しさん@占い修業中垢版2020/12/23(水) 06:24:42.49ID:ItLktBpd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 209) ---
Even Crowley's card may be interpreted in this way, though he has placed his card
on the eleventh Path, traditionally given to JUSTICE.
クロウリー氏のカードでさえも、このように解釈されても差し支えないが、けれども彼は、
伝統的に「正義」に与えられる、11番目の「小径」の上にカードを置き続けている。

His symbolism is perfectly consistent with the meaning of the Golden Dawn or Waite
cards, relative to Daath, of which he commented in the Equinox: "In Daath is said
to be the Head of the Great Serpent Nechesh or Leviathon, called evil to conceal
its Holiness." (*197)
彼の象徴主義は、「ダアト」に関連する、ゴールデン・ドーン版もしくはウェイト版の
カードたちの意味と完全に一致しており、彼は、『春秋分点』の中で、それについて以下
のように述べた:「『ダアト』においては、その『神聖さ』を隠すために悪と呼ばれる、
『大蛇ナハシュ』もしくは『レヴィアタン』の『頭』であると言われる。」 (*197)
--- ここまで ---

ちなみに、(*197)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
197. Crowley, Equinox, v.I, No. 5, 89.
197. クロウリー著、『春秋分点』、第一巻、第五号、89ページ。
--- ここまで ---
とあります。

「Nechesh/ナハシュ」は、ヘブライ語の「[shin][cheth][nun]/蛇」であり、通常は
「Nachash」と英語読みされており、この言葉は『旧約聖書:創世記』に最初に出てくる
「蛇」だけでなく、色々なところで使われていますが、「Great Serpent Nechesh/大蛇
ナハシュ」が具体的に何を指すのかは不明です。
また、「Leviathon/レヴィアタン」は、ヘブライ語の「[lamed][vau][yod][tau][nun]/
海獣」であり、通常は「Leviathan」と英語読みされており、この言葉は『旧約聖書』の
『ヨブ記』『詩編』『イザヤ書』などに出てきています。
0556名無しさん@占い修業中垢版2020/12/24(木) 05:43:04.79ID:CA7yE06U
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 209) ---
This reasoning is interesting in terms of Lust, where he represented the Seven-headed
beast of the Apocalypse, with which he personally identified.
この推論は、彼が自らを同一視した、『黙示録』の「七つの頭」の獣を表した、「欲望」
の観点から興味深い。

One may suggest that Crowley related himself to the Beast under the same philosophical
twist as he described for the Serpent, i.e., an evil which is only apparent, and
actually concealing of the greatest good.
人は、クロウリーは、「蛇」について述べたのと同じような哲学的なひねりの下で、
彼自身を「獣」に関連付けた、すなわち、悪は見かけだけであり、実際には最大の善を
隠していることを、示唆するかもしれない。

One can argue theologically that God creates only good, and that what appears to
be the greatest evil must actually conceal good.
人は、「神」は善のみを創造するので、最大の悪のように見えるものは、実際には善を
隠し持たなければならないことを、神学的に主張することができる。
--- ここまで ---

この『黙示録』の「七つの頭の獣」は、おそらく『新約聖書:ヨハネ黙示録』13 に出て
くる「十本の角と七つの頭」を持つ、一番目の獣のことだと思われます。
そして、その獣が、トート版の「11:欲望」に描かれているということですよね。

また、後半部分は、「善」と「悪」についての、よくある話です。
しょせん、全ての人間は、神によって作られ、操られる「人形」であり、その人形劇の
配役において、「善人役」や「悪人役」はあるかもしれないけれども、それは見せかけ
のものであるということですかね。
つまり、この世の「悪」は、全てが「神の悪だくみ」であるので、我々は自身の不運や
不幸を誰かのせいにするのではなく、「全ては神のせい」ということにしておけば、
全てが丸く納まるという、とてもありがたい話なのでした。←もはや絶望感しかないww
0557名無しさん@占い修業中垢版2020/12/25(金) 06:03:55.79ID:PSJK27BI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 209) ---
At any event, some may find it very uncomfortable, even pathological, that Crowley
has so woven the trappings of his own personality into the cards, although it
requires some study to understand the extent to which this is the case.
いずれにせよ、クロウリー氏が彼自身の個性の捕捉たちをカードたちの中にそのように
織り込み続けていることは、非常に気持ちの悪く、精神病的でさえあると感じる人もいる
かもしれないけれども、これがどの程度まで事実であるかについて理解するためには、
いくつかの研究が必要である。

Others may find his choice of imagery curious, wondering that he should illustrate
a card of such spiritual potency as STRENGTH with the Scarlet Woman of the
Apocalypse, riding the Beast.
他の人たちは、彼の心像の選択が奇異であり、そして彼が、「獣」に乗る『黙示録』の
「緋色の女」と共に「力」のような霊的な効力のカードを図解したことを不思議に思う
ことに気づく。

Crowley made the connection through Gematria on the number 666, to which he related
his own name, The Sun, what he called the "Stele of Revealing," and the Beast of
Revelation.
クロウリー氏は、「ゲマトリア」を通じて、彼が彼自身の名前に関連したもの、「太陽」、
彼が「啓示の石碑」と呼んだもの、そして「黙示録の獣」を、数666に基づいて関係付けた。
--- ここまで ---

いずれにせよ、トート版の「11:欲望」は、クロウリー氏にとっての、最大の「黒歴史
ノート」的な作品であることは間違いないわけですので、それを他人があれこれと詮索
して、過去の恥部をほじくり返すことは、普通の人にとっては、なかなかの精神的な痛みを
伴う作業であることは確かですので、できれば、そっとしてあげてほしいところです。

まあ、その手の作業は、悪趣味な詮索行為という点では、ある意味興味深いものでは
ありますが、「8:力」を知る上では、ほぼ何の役にも立たないと思うのでした。
0558名無しさん@占い修業中垢版2020/12/26(土) 06:48:06.27ID:htaco97F
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 209) ---
Although the image is somewhat shocking in this context, Crowley has used the
Whore of Babylon to represent the epitome of virginity, that which is symbolized
in the Golden Dawn card by the four flowers (Chesed) and by the wreath in Waite's
card.
画像は、この文脈においては、いくぶん衝撃的ではあるけれども、クロウリー氏は、
「大淫婦バビロン」を処女性の典型を表わすために使用し続けており、そしてそれは、
ゴールデン・ドーン版カードにおいては四本の花たち(「ケセド」)により、そして
ウェイト版カードにおいては花輪により象徴される。

The principle is, again, that of the greatest evil concealing the greatest good.
原則は、再び、最大の悪は、最大の善を隠し持つという、それである。
--- ここまで ---

クロウリー氏によるトート版のエロ目線とエロ解釈は、今に始まったことではないので、
そんなに衝撃的というわけでもないのですが、ただ、この「11:欲望」は、その独自の
カードタイトルも相まって、少々飛ばしすぎという面は否めないです。

ちなみに、この「Whore of Babylon/大淫婦バビロン」は、『新約聖書:ヨハネ黙示録』
17 に出てくる「七つの頭と十本の角を持つ、赤い獣」にまたがる女性のことを指します。

ここで話をややこしくしているのは、「上の如く、下も然り」という「ミソクソ理論」に
匹敵する、「最大の悪は、最大の善を隠し持つ」という「善悪のミソクソ理論」であり、
もはや何でもありのトンデモ理論が発動されているので、ツッコミどころ満載というか、
神秘ネタとしてのマトモなオチが無いというか、単なるエロ妄想が正当化され目的化されて
いることは、ある程度否めないところです。
もちろん、誰も「8:力」の本当の解釈は知らないので、たとえどんな解釈をしたとしても、
それが「間違いだ!」などと責められることは無いのですが、それを逆手に取った上での、
「エロ要素のウンコ盛り」ではないかと思ったりするのでした。←誤字ありw
まあ、クロウリー氏のことなので、きっと確信犯なんでしょうね。
0559名無しさん@占い修業中垢版2020/12/27(日) 05:58:46.21ID:FLXCS+8S
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 210) ---
The woman is of the same innocence as The Hermit.
女性は、「隠者」と同じような純潔である。

She is virgo intacto and it is only as such that she can, with complete safety,
deal with the Lion.
彼女は「純潔の乙女」であり、完全に安全に、「獅子」を取り扱うことの
できるのは、そのような者だけである。

She might also be considered one of the Vestal Virgins keeping the Sacred Fire.
彼女は、また、「聖なる火」を守る「ウェスタの処女たち」の一人と考えられるかもしれない。
--- ここまで ---

二番目の文の「virgo intacto」は、「virgo intacta/純潔の乙女」の誤記ですかね。

さて、ワタシとしては、この「8:力」のレベルにおいて、この手の「innocence/純潔」、
すなわち肉体的な状態に何の意味があるのか、とても疑問に思います。
そもそも、「8:力」に象徴される「女神像」も「獅子像」も、物質的な肉体を持つ存在
ではなく、あくまでも形而上的な「力」というものを二次元キャラ化したものですので、
それが低俗な「処女厨」の理不尽な要求に屈して、キャラが「処女性」を持つ「女性像」
として描かれたとしか思えないわけであって、その低俗さは、トート版の「11:欲望」の
理屈と似たようなものであるとさえ思うのでした。

つまり、「8:力」の本質は、そもそも誰にも分からないので、誰にも分かりやすい表現と
いうのは、そもそも不可能であり、ごく一部の上級者だけが、それを高次元の妄想により
ハァハァできるような、超絶マニアックなシロモノでしかないということなんですよね。
しいて例えれば、重力波望遠鏡の観測データから苦労して抽出された、かすかなチャープ
波形を見て、それがまさしくブラックホールの合体の瞬間であることを妄想して歓喜する
ような、そういう一般人にとっては想像もつかないようなものでエクスタシーを感じられる
ド変態どもだけが、その恩恵をかすかに感じられるのではないかと思ったりするのでした。
0560名無しさん@占い修業中垢版2020/12/28(月) 05:43:02.20ID:tDS83bzh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 210) ---
18. THE PATH OF CHETH
18. 「ケト(ヘト、へス)」の小径

The Chariot
戦車

The Seventh Key
7番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは、「ケトの小径」です。
本文の英語読みだと「Cheth/チェス」なのですが、現代の英語読みでは「Chet/チェト」
ですし、原語に近いものだと「Het/ヘット」というか、そもそも日本語表記できない発音
ですので、ここでは便宜上「ケト」の表記にしておきます。

この小径は、「生命の木」においては、最初に「深淵」を渡って上位の「至高の三角形」
へと至るはずの、とはいえ我々にとっては、その先が見えない「行き止まり」となって
いる状態の、最初の「小径」です。
まあ、行き止まりであっても「袋小路」ということではなく、単に遠すぎて、すなわち
無限遠にあるので、我々には、行き先(目的地)が全く見えないということです。
いずれにしても、我々から見れば、もはや完全に「雲の上」の存在であるのは、「8:力」
と同じなわけですので、知ったかぶりも出来ないというか、もはや語れるものは何も無い
わけですが、そうはいっても、神秘ネタとしての価値はあるわけですので、これ以降は、
そういう神秘ネタとしての観点でのみ語ることを、ご了解頂きたいと思うのでした。
要は、ここから先は、「真面目に語ってはならない」という禁断の領域であり、その禁を
破る者は、ことごとく深淵の餌食となってしまって、元の世界には引き返せないという、
実はとても怖いブラックホールのような領域だということですよね。←単なる脅しww
0561名無しさん@占い修業中垢版2020/12/29(火) 06:32:15.68ID:AP9f/Bik
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 210) ---
□ PATH COLOR: Red-Orange
□ 「小径の色」:「赤橙」

□ RELATED SOUND: C Sharp
□ 「関連した音」:「Cのシャープ」

□ SIGN: Cancer (Cardinal Water)
□ 「宮」:「巨蟹宮(活動宮の水)」

□ MEANING: Fence, Enclosure
□ 「意味」:「柵」、「囲い」

□ SIMPLE LETTER: Speech
□ 「単字」:「言語」

□ ESOTERIC TITLE: The Child of the Powers of the Waters; the Lord of The Triumph
of Light
□ 「秘伝的な称号」:「水たちの力たちの子;光の勝利の主」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、四角い箱のような「柵」と、ヘブライ文字の「ケト」と、
「巨蟹宮(きょかいきゅう、かに座)」の占星術記号、および「生命の木」における「ケト
の小径」の位置が図示された絵が描かれています。

ちなみに、「巨蟹宮」は、人体の「胸部」に配属されているのと、支配星が「月」で女性性
の強い星座であるので、この星座記号は、腕で「おっぱい」を上下から挟む形にも見える
わけで、昔から良く言われる「69」の体位と合わせて、なかなかにエロ妄想の捗る星座です。
まあ、どうせまともな解釈は出来ないので、「7:戦車」の勇壮な見た目とは裏腹に、色々な
妄想をこじらせてみるのも、また一興なのではと思うのでした。←マジメにヤル気なしww
0562名無しさん@占い修業中垢版2020/12/30(水) 08:01:34.48ID:3M9usDiu
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 210) ---
THIRTY TWO PATHS OF WISDOM: The Eighteenth Path is called the House of Influence
(by the greatness of whose abundance the influx of good things upon created beings
is increased), and from the midst of the investigation the arcana and hidden senses
are drawn forth, which dwell in its shade and which cling to it, from the cause
of all causes.
「知恵の32の小径たち」:「18番目の小径」は、(創造された存在たちの上の良きもの
たちの流入が増加する、その豊富なる偉大さにより)『影響の家』と呼ばれており、そして
調査の中央から、 その陰の内に棲み、そしてそれにくっついて離れない、秘密奥義たちと
秘められた感覚たちが、あらゆる原因たちの原因から、見える所へと引き下ろされる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用だと思うのですが、前回同様、この文章は、現在入手できる英訳版とは、少々異なり
ます。
まあ、大した違いではありませんし、どうせよくわからないので、スルーしておこうと
思います。

ざっくりとした意味としては、見えない世界(存在しない世界)から、見える世界(存在
する世界)への、何らかの神秘(選ばれた人のみが見える)エネルギーの転移の
触媒みたいに働くものであるという感じですかね。

まあ、我々にとっては、出発地点も到着地点も、どちらも見えないところにあるので、
「investigation/調査」と言われても、ひたすら妄想に頼るしかないのですが、妄想ネタ
の提供という点では、「7:戦車」に配属された「巨蟹宮=月=水」が、強い「女性性」
を意味していることが、助けになります。
実際、「コクマー」から降りる「4:皇帝」と「5:法王」が男臭いのに対し、「6:恋人たち」
と「7:戦車」は、女性臭が強いのと、「ケテル」から降りる「2:高等女司祭」が「月」で
あって、「7:戦車」と強く関係しているのも、結構、意味深なのですよね。
0563名無しさん@占い修業中垢版2020/12/31(木) 06:37:07.75ID:d6lhtpo9
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 210) ---
The Path of THE CHARIOT runs between Geburah (Strength) and Binah, the Great Mother on the Tree of Life.
「戦車」の「小径」は、「ゲブラー(力)」と、「生命の木」の上の「大母」である、
「ビナー」との間を走る。

It is the highest and, thus, the most profound Path on the Pillar of Severity.
それは、「峻厳の柱」の上で、最も高く、従って、最も深遠な「小径」である。

It is also the third initiation in the series of HERMIT, STRENGTH and CHARIOT,
meaning that it is an introductory experience to the Supreme Spiritual Self.
それはまた、「隠者」、「力」、そして「戦車」の一連における、第3番目の秘儀伝授で
あり、それは「究極の霊的自我」への入門的な経験であることを意味する。

It is an initiation across the Abyss, appreciating that once one crosses the Abyss,
all of its crossing Paths are understood.
それは、「深淵」を横切る秘儀伝授であり、人が一度でも「深淵」を横切れば、その交差
する「小径たち」の全てが理解されることが分かる。
--- ここまで ---

この「9:隠者」、「8:力」、そして「7:戦車」が、秘儀参入の三つの切り札であるという
ことは、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の中で述べられているわけですが、
低レベルなワタシには、ピンと来ないというか、雲の上の話なので、よくわかんないです。
つまり、そーいうもんなんですかね〜、といった感じで、あくまでも外野からというか、
下界から眺めておく感じでしかないんですよね。

まあ、ワタシとしては、今となっては、妄想用のネタ集めが目的と化しておりますので、
そういう「高次元の人たち向けの話」には、あまり深入りせずにおきたいところです。
要は、妄想用の「低次元のネタ」の方が、「高次元の話」よりも実用的で面白いわけで、
自分でもわけわからない高尚な話を延々と続けるよりは、妄想ネタであると割り切って語る
方が、「カバラ」を語る上でのモチベーションが続くということなのでした。←動機が不純w
0564名無しさん@占い修業中垢版2020/12/31(木) 06:55:33.99ID:d6lhtpo9
ということで、今年は、これが最後のカキコになります。

今年は、例のビョーゲンズのせいで、世界的にも個人的にも大変困難な年になってしまいま
したが、何とか一年間、カキコを続けることが出来ました。
これもひとえに、ナマ暖かく見守って下さる皆様からの、声なき声援の賜物であると勝手に
思っております。

そういえば、世間では鬼のアニメ映画が大ヒットしているようですが、ワタシは今のところ
ハマっておりません。
というか、あんまり流行を追うこともなく、感覚的に自分が気に入ったものだけを見ると
いう習性があって、TVアニメの方は、たしか一話切りしたと思います。
ということで、これからもずっと、回りに流されず、自分のお気に入りのものだけを追い
続けていこうと、勝手に思ってあるのでした。←ワガママなヤツww
ちなみに、今年のラストは、「トニカクカワイイ」が、お気に入りでした。(^_^;;

それでは皆さん、よいお年を。 (^_^)/
0566名無しさん@占い修業中垢版2021/01/01(金) 06:40:57.44ID:69fw7EBi
あけましておめでとうございます。(^^)

10年計画で始めたこのスレも、もう既に8年半近く経ちました。
途中、長期休暇もありましたので、残り1年半ではゴールできそうにありませんが、
今のペースで行くと、来年末あたりでゴールできそうな感じですかね。

ということで、今年もマターリと妄想しながら、カバラを勉強していきましょう。 (^^)/

>>565
カキコありがとうございます。
本年もよろしくお願いします。(^_^)/
0567名無しさん@占い修業中垢版2021/01/02(土) 06:54:08.60ID:3W65LJUj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 210) ---
The four Paths beside THE HIGH PRIESTESS are in toto, the experience of the "Garden
of Eden," as will be understood by considering the Element attached to each Path:
THE CHARIOT is Watery (Cancer), THE LOVERS is Airy (Gemini), THE EMPEROR is Fiery
(Aries) and THE HIEROPHANT is Earthy (Taurus).
「高等女司祭」の脇にある4つの「小径たち」は、「全体として」、各々の「小径」に配属
された「元素」を考慮することにより理解されるであろうように、「エデンの園」の体験
である:「戦車」は「水性」(「巨蟹宮(かに座)」)であり、「恋人たち」は「空気性」
(「双児宮(ふたご座)」)であり、「皇帝」は「火性」(「白羊宮(おひつじ座)」)で
あり、「法王」は「地性」(「金牛宮(おうし座)」)である。
--- ここまで ---

「深淵」を渡る五つの小径は、「ケテル」から降下する「2:高等女司祭」を中央にして、
「コクマー」からは「4:皇帝=火」と「5:法王=地」、そして「ビナー」からは「6:恋人
たち=風」と「7:戦車=水」が降下しています。

そして、この「エデンの園の体験」というのは、「Fall/墜落」のことを指すわけですが、
我々の知る「エデンの園の体験」は、「下の世界」での話であって、ここは「上の世界」
の話ですし、そしてこのレベルでは、我々が知る下位の「四大元素」ではなく、上位世界
における「四大元素」であることにも注意が必要です。

なお、この例えからすると、「アダム役」が「4:皇帝」と「5:法王」であり、「イヴ役」
が「6:恋人たち」と「7:戦車=水」という配役ですので、やはり「7:戦車」は女性性を
強く持つことになります。

そして、神により、この宇宙に産まれ落ちた我々は、二度と母の胎内に戻れないように、
二度と「深淵」を渡って上位世界には戻れないシステムになっています。
そして、下から眺めても、「黒塗りされて見えない」ものが「ある」だけなのですが、
人はどうしても「無修正」に惹かれるわけですので、その手の妄想を捗らせることは、
あながち否定し難いものがありますよね。
0569名無しさん@占い修業中垢版2021/01/03(日) 06:42:07.47ID:QV6sy/6Y
>>568
あけましておめでとうございます!

自分に出来る範囲で、色々な意味で無理しないことが、長寿の秘訣ですので、
これからもマターリ頑張っていきたいと思っております。

それでは、本年もよろしくお願いします。 (^_^)/
0570名無しさん@占い修業中垢版2021/01/03(日) 06:47:07.93ID:QV6sy/6Y
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 211) ---
These are also the Four Rivers of Paradise, which flow together into Tiphareth
from the Path of THE HIGH PRIESTESS.
これらはまた、「高等女司祭」の「小径」から「ティファレト」の中へと一緒に流れ込む、
「楽園の四つの川たち」である。
--- ここまで ---

この部分は、『旧約聖書:創世記』2:10には、「エデンから一つの川が流れ出ていた。
園を潤し、そこで分かれて四つの川となっていた。(新共同訳)」が元ネタです。

とはいえ、「生命の木」では、「高等女司祭」の流れは、「ケテル」から直接「ティファ
レト」へと流下していますので、この解釈は、カバラ的に見ると、正確ではないです。
つまり、「高等女司祭」からの流れは、四つの見える川に分岐した後も、伏流水となって
地下を流れており、「ティファレト」への「見えざる力」として作用しているという解釈
になってくるわけで、それゆえ、「2:高等女司祭」の「小径」は、我々にとっては無縁
というか、全く認知できないシロモノであるということになるわけです。

いずれにしろ、「四つの川」の下流に住む我々にとっては、「4:皇帝」、「5:法王」、
「6:恋人たち」、そして「7:戦車」あたりまでが、ギリギリ認識できる領域であって、
そこから上は、もはや何があるのかは、誰にも本当のことは分からないわけです。
もちろん、見えないものを妄想で、いやいや「下の如く、上も然り」というミソクソ
理論で強引に推測することは可能なのですが、いずれにしても妄想と同じレベルです。

とはいえ、上位世界からは、上記の「四つの見える流れ」と「一つの見えざる流れ」が
あるというのが、「生命の木」の基本理論となっていることは、最低限のネタとして、
きちんと覚えておく必要があります。←ここテストに出ますww

そして、上位世界から流下する最後の流れが、この「7:戦車」であるということは、
これが最も下流であり、流れが遅く、流量が多く、そして豊富な栄養を含んでいるので、
下界に住む我々にとっては、とても有用であると妄想できるということですよね。
0571名無しさん@占い修業中垢版2021/01/04(月) 06:10:58.20ID:qMHf5qTt
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 211) ---
THE CHARIOT represents a completion which Waite called a "conquest on all planes,"
(*198) meaning that THE CHARIOT carries the influence of the Higher to all of the
lower Planes.
「戦車」は、ウェイト氏が、これは、「戦車」が、下位の「次元たち」の全てに、「より
上位」の影響を運ぶことを意味する、「全ての次元たちにおける征服」(*198) と呼んだ、
完成を表す。
--- ここまで ---

ちなみに、(*198)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
198. Waite, Pictorial Key, 96.
198. ウェイト著、『絵の鍵(タロット図解)』、96ページ。
--- ここまで ---
とあります。

この本文の説明では、「戦車」の人が、上位世界から降りてくる「神」のようなイメージで
語られていますが、上記のウェイト氏の説明では、以下のようになっています。

> He has led captivity captive; he is conquest on all planes--in the mind, in science,
> in progress, in certain trials of initiation.
> 彼は監禁状態の捕虜を導く:彼は、精神、科学、進歩、秘儀伝授のある種の試練に
> おいての、全ての面における征服である。

つまり、彼は「神」ではなく、人間界の真の指導者(おそらく『旧約聖書:出エジプト記』
のモーセとアロンをイメージした架空キャラ)であり、そして「9:隠者」、「8:力」、そして
「7:戦車」が、秘儀参入の三つの切り札であるということにも関連していると思われます。
つまり、ウェイト氏は、「人」は「神」になれる、すなわち妄想により、いやいや修行に
より、「至高の三角形」まで到達可能であるという考え方のようですが、ウェイト氏は、
肝心な部分を書いていないので、どこまで本気なのかは、全く分かりませんけどね。
0572名無しさん@占い修業中垢版2021/01/05(火) 06:17:54.72ID:PTrR+QVS
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 211) ---
The Thirty-Two Paths of Wisdom describes this as the "House of Influence (by the
greatness of whose abundance the influx of good things upon created things is
increased). . ."
「知恵の32の小径たち」は、これを「(創造された存在たちの上の良きものたちの流入が
増加する、その豊富なる偉大さにより…)『影響の家』」と記述する。

Here the ancient text implies that through this Path one may discover the secrets
of the hidden senses "which dwell in its shade," meaning the Supreme Darkness
above the Abyss.
ここでは、古代の聖句は、この「小径」を通じて、人は、「深淵」の上の「至高の暗闇」
を意味する、「その陰の中に住む」、隠された感覚たちの秘密たちを発見するかもしれない
ことを暗示する。
--- ここまで ---

「至高の三角形」は、言うなればビッグバンの爆心地であり、本来は「超高エネルギー体」
ですので、「Supreme Darkness/至高の暗闇」という表現は、一見すると不可思議に思う
かもしれませんが、我々から見ると、そこは「Abyss/深淵」に遮られた「見えざる領域」、
すなわち「至高の暗闇」と呼ばれるにふさわしい領域なのです。
まあ、光による観測は不可能なのですが、それでも、電波による宇宙マイクロ波背景放射
の観測とか、将来的には重力波の観測により、「深淵」のヴェールが少しずつはがされて
いくことが期待されています。

とはいえ、ここは、ほぼ妄想の領域と言っていいわけであり、理論上において様々な仮説
が湧き出る、「妄想の源泉」とも言える、なかなかに興味深い場所でもあります。
まあ、実際は「見えない」のに、「見えた!」と叫ぶようなものなのですが、そういう
妄想的な感覚が、闇の中から湧き出るホット・スポットと言えばいいのでしょうか。

そして、そのエクスタシー的感覚が、「神キタ―――(゚∀゚)―――― !!」というような、
「神/天使」の降臨体験として語り継がれているという感じですかね。
0573名無しさん@占い修業中垢版2021/01/06(水) 06:18:39.94ID:0UbPIl26
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 211) ---
This card also represents the vision of Ezekiel, (*199) wherein the prophet
described the appearance of "four living creatures."
このカードはまた、その書において預言者が「4つの生き物たち」の出現を記述した、
エゼキエルの幻視(*199)を表している。

Each had four faces, that of a Man, a Lion, an Ox and an Eagle.
それぞれは、「人間」、「獅子」、「雄牛」、そして「鷲(わし)」の、四つの顔を
持っていた。
--- ここまで ---

ちなみに、(*199)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
199. Ezekiel, 1ff.
199. 『エゼキエル書』1以降。
--- ここまで ---
とあります。

この「7:戦車」と、『旧約聖書:エゼキエル書』に出てくる謎の乗り物との関係は、
よく話題になるのですが、これはなかなかに難しい問題です。

『エゼキエル書』に書かれていることは、「主」と「主の乗り物」の降臨であり、一方で、
「7:戦車」は、今まで述べてきたように、「9:隠者」、「8:力」、そして「7:戦車」と
いう、秘儀参入の三つの切り札の最後のカード、すなわち「下界からの上昇」の完成を
意味しているので、この点においては、ほぼ真逆の解釈の違いがあります。

あくまでも私見ですが、ゴールデン・ドーン版は、基本的には「人の成り上がり」説を
踏襲し、トート版が最も「エゼキエル書の主の降臨」説を取り入れ、ウェイト版は、その
中間といった感じではないかと思うのですが、いずれも証拠に欠けますので、どこまで
『エゼキエル書』が影響しているのかは、よくわからないのでした。
0574名無しさん@占い修業中垢版2021/01/07(木) 06:21:22.85ID:Zf3Hmauq
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 211) ---
Beside each of the creatures was a wheel, "like a wheel within a wheel," and as
the creatures moved, so the wheels moved.
生き物たちのそれぞれの横には、「車輪の中にある車輪のように」車輪があり、生き物が
動くのと同じように、車輪も動いた。

Above the heads of these apparitions was "a vault glittering like a sheet of ice."
これらの幻影たちの頭の上には、「一面の氷のようにきらめくアーチ形天井」があった。

Above the vault was a throne, and on the throne was a radiant figure.
アーチ形天井の上には王座があり、王座の上に、光を放つ人物像があった。

The implication is that the creatures (Elemental energies of the manifest Universe)
are The Chariot.
それが意味するものは、生き物たち(顕在化した「宇宙」の「元素」の精力たち)は、
「戦車」であるということである。
--- ここまで ---

『エゼキエル書』の幻視の中に出てくる「神とその不思議な乗り物」には、いくつかの
「7:戦車」のデザインに共通するもの、例えば、車輪があったり、生き物がいたり、人が
乗っていたりするということはありますが、それって、昔からある「戦車」と同じであり、
だからと言って、『エゼキエル書』の乗り物と、「7:戦車」に描かれている乗り物が同じ
ものであるという推論は、普通に考えれば、無茶である、としか言えないわけです。

でもまあ、「同じ」とは言えないまでも、いくつかの神秘ネタを『エゼキエル書』から
パクってきているというのは否めないわけですし、直観的に見ても、何らかの影響を
受けていると想像するのは、割と自然な流れではないかと思われます。

ということで、何の証拠も無い「『エゼキエル書』の神の乗り物=戦車」説ではあります
が、あくまでも話のネタとして、少々のお時間、お付き合いください。
0575名無しさん@占い修業中垢版2021/01/09(土) 06:08:22.56ID:DNuXcbyH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 211) ---
Students of Jewish mysticism may be naturally curious about the roots of this card,
since it is suggestive of one of the most important trends in early Jewish thought,
that of the Merkabah.
ユダヤ教神秘主義の学徒たちは、このカードの根源たちについて、それが初期のユダヤ教の
思想における最も重要な流行たちの1つである、「メルカバ」のそれを示唆しているので、
自然に興味を持つかもしれない。

The Merkabah is the Chariot which carries the Throne. (*200)
「メルカバ」は、「王座」を運ぶ「戦車」である。 (*200)
--- ここまで ---

ちなみに、(*200)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
200. Carl Jung made some extremely interesting observations on the vision of
Ezekiel and the Chariot, particularly as related to Egyptian thought, in his
essay "The Tetrasomia," Alchemical Studies, New Jersey 1976, 278-83.
200. カール・ユング氏は、彼の随筆の『錬金術の研究』(ニュージャージー、1976年、
278-83ページ)の「テトラソミア(四大)」の章において、特にエジプトの思想に関連
して、「エゼキエル」と「戦車」の幻視についての、いくつかの非常に興味深い観察たち
を行った。
--- ここまで ---
とあります。

「メルカバ/Merkabah」は、『エゼキエル書』に出てくる「神の戦車」を指す「専門用語」
であり、後になって、「初期のユダヤ教の神秘思想」の中で、いわゆる「神との合一」を
目指すカバラの修行体系の一つとして、そういう物好きな人々の、いやいや熱心な宗教家
の間で、かなり「trends/流行」したという歴史があります。
まあ、瞑想というか妄想により「メルカバに乗って、神の国に行こう!」ということなの
ですが、その流れが、「メルカバ」=「7:戦車」であるという話に繋がるわけですよね。
0576名無しさん@占い修業中垢版2021/01/10(日) 07:13:51.84ID:GQ5HbixP
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 211) ---
Of this trend, Gershom Scholem says: "The earliest Jewish mysticism is throne-mysticism.
この流行について、ゲルショム・ショーレム氏は、以下のように述べる:「最も初期の
ユダヤ教神秘主義は、王座の神秘主義である。

Its essence is not absorbed contemplation of God's true nature, but perception of
his appearance on the throne as described by Ezekiel." (*201)
その本質は、「神」の本質についての没頭した熟視ではなく、エゼキエルにより記述される
ように、王座の上への彼の出現の知覚である。」 (*201)
--- ここまで ---

ちなみに、(*201)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
201. Scholem, Major Trends, 44.
201. ショーレム著、『(ユダヤ教神秘主義の)主要動向』、44ページ。
--- ここまで ---
とあります。

要は、昔に流行した、「メルカバの行法」においては、「玉座」という「ステージ作り」
が主要な課題であり、そしてそこに降臨してきた「(神)」が「見えた!」と言うことが
目的であって、実際に、それが見えているかどうかは関係無いということですかね。

そして、「見えた!」と言われているものは、厳重な「モザイク」がかかった姿、もしくは
「謎の光」により隠された姿でしかなく、本当のことは誰にも分からなくて、ほぼ各自で好き
勝手な妄想をしながら、各自で様々なストーリーを付けて楽しむという、二次制作としては、
実に健全というか、割りと王道的な展開の流行の話であることが推察できるのでした。

まあ、実際に、スカートをめくって直接中を覗いたりしたら、無罪では済まされないで
しょうし、そういう意味でも、熱心な信者が脳内妄想して楽しむという姿勢は、ある程度
までは許容されるべきであると、ワタシとしては思うのでした。
0577名無しさん@占い修業中垢版2021/01/11(月) 06:51:22.79ID:i9ImcMJQ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 211) ---
He further states that while in the earliest days, writers spoke of the "ascent
to the Merkabah," the later writers discussed enlightenment as the "descent to
the Mercabah," (*202) presumably meaning a journey into the depths of Self.
彼はさらに、最初の時期における作家たちは「メルカバへの上昇」について話した一方で、
後の作家たちは、おそらく「自我」の深みの中への旅を意味する、「メルカバへの降下」
(*202) として啓蒙を議論していた、と述べる。
--- ここまで ---

ちなみに、(*202)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
202. Scholem, Major Trends, 46-47.
202. ショーレム著、『(ユダヤ教神秘主義の)主要動向』、46-47ページ。
--- ここまで ---
とあります。

当時のユダヤ教神秘主義愛好者と、その分野の同人作家の間で流行した「(神)キター!」
もしくは「(神)見えた!」の「メルカバの行法」は、基本的には「(神)の降臨」を
テーマとしたものでしたが、それだけに飽きたらず、さらに何でもありの状況に発展して
いったというか、発想がインフレーションしたというか、まあ、よくある過激な方へと
正常進化していくというのが、妄想的創作活動の常となっているわけです。

要するに、新しいネタを求めてどこまでも、というのが、フィクションやファンタジーの
創作活動の原動力ですので、宇宙に飛んだり、地下や深海に潜ったり、大きくなったり
小さくなったり、宇宙や世界を創造してみたり、人体内のミクロな神秘世界を探ったり、
まあ色々と創作活動のモチーフはあるわけです。
そして、そういう面白そうな新しいネタを「聖書」と絡ませることで、新たなユダヤ教
神秘主義の世界が広がっていったわけですので、そういう神秘主義的創作活動の
ネタ本という意味でも、文字通りの「バイブル」であると言われているわけです。
ということで、そういう分野に興味のある方は、色々と深掘りしてあげてくださいね。
0578名無しさん@占い修業中垢版2021/01/12(火) 06:14:46.15ID:7QSM3VBn
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 211) ---
One way or the other, there is the implication that the Chariot is stationary,
as it is shown in the Waite, Crowley and Marseilles cards, an imagery supported
by Case, who says that the number of the card, seven, is traditionally related
to rest.
いずれにしても、ウェイト版、クロウリー氏(トート版)、マルセイユ版のカードに示され
ているように、「戦車」は静止していることを示唆しており、ケース氏により維持される
画像では、彼はカードの数である7は、伝統的に、「休息」に関連していると言う。

This is a mystery, for while the Chariot moves continuously through the planes,
it is at rest.
これは神秘的なことであり、というのは「戦車」が次元たちの中を絶え間なく移動している
一方で、それは静止しているからである。
--- ここまで ---

「7:戦車」は、本来はじっと止まっているはずがないのに、静止しているように描かれて
いるのは神秘であると言いたいようですが、まあ、それはそういうものかもしれません。
なぜなら、「7」は、『旧約聖書:創世記』2:2にあるように、「完成」と「休息」の日を
意味しており、我々は、その成果物であるので、「戦車」は、既に主な作業を終えていて、
我々には、保守作業の呼び出しに備えて待機しているように見えるということです。

つまり、「7:戦車」の主要な活動期は、宇宙創造の期間であって、我々は、その本来の
働きぶりを、もはや見ることも知ることも出来ないということなのですが、このカードが
宇宙創造期において、どんな活躍をしていたのかは、いくつか推察できるイベントはあり
ますし、特に、宇宙のインフレーションに関わっていたことは、すごくありそうな感じも
するわけですが、いずれにしても、全ては妄想の中でしか無いわけです。

そういう意味においては、とても興味深いカードであり、神秘家にとっては、できるならば
切ってみたいカードであることは間違いないのですが、残念ながら、誰もその本質を知る
ことは出来ない、つまり誰も使えないのが、最大の問題なのでした。
0579名無しさん@占い修業中垢版2021/01/13(水) 06:13:10.87ID:gp3gttag
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 211) ---
Of course, the fact that this card is a clear reference to Ezekiel does not mean
that it is indisputably related to Merkabah thought.
もちろん、このカードが「エゼキエル」への明確な参照であるという事実は、それが
「メルカバ」の考えに明白に関連していることを意味するものではない。

Ezekiel was a very popular figure in the west during the apparent period of the
invention of Tarot, as the art attests.
「エゼキエル」は、芸術が証明しているように、「タロット」の発明の明白な期間の間に、
西洋において非常に人気のある図案であった。
--- ここまで ---

『旧約聖書:エゼキエル書』の「神の戦車」は、ユダヤ教においてもキリスト教において
も、そしてカバラ主義においても、非常に人気のあるモチーフであり、それゆえ「メル
カバ」と呼ばれる神秘行法として実用に供されることになっているわけで、そういう流れ
が、この「7:戦車」に暗黙のうちに取り入れられていると推定することは、ごく自然な
流れであると思います。

とはいえ、実際の「7:戦車」の図案や、作者たちが残した文献には、『エゼキエル書』の
「神の戦車」を参考にしているという証拠は、ほとんど無いに等しく、しいて言えば、
トート版は、わずかにそれっぽい感じがするくらいです。

そして、ゴールデン・ドーン版とウェイト版では、「7:戦車」の人物像は、どちらかと
いうと、「天から降臨した神」ではなく、「天へと舞い上がる人間」として記述されて
いますので、神聖なる『エゼキエル書』の「神の戦車」というよりは、より俗っぽいと
いうか、神秘ヲタク向けの「メルカバの行法」に近いイメージがあります。

要するに、「7:戦車」とは、そういうヲタクっぽい遊び方の出来る場所というか、想像力
を最大限に発揮することで、現実からの逃避、いやいや「何でもできる、何でもなれる」
というものを象徴化したような感じなのかなぁ、と勝手に想像してみたりするのでした。
0581名無しさん@占い修業中垢版2021/01/14(木) 06:05:31.46ID:Fzmj52vb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 211) ---
Yet if we are to suppose that the originators of the Tarot had even the slightest
knowledge of Qabalah and Jewish metaphysics, we must assume that they were familiar
with its oldest expression, Merkabah, and would not have used an image of a chariot
casually.
けれども、「タロット」の創作者たちが、「カバラ主義」と「ユダヤ教」の形而上学に
ついての、ほんのわずかの知識さえ有していたと想定することがあれば、彼らは、その
最も古い表現である「メルカバ」を良く知っており、戦車の像を不用意には使用しないで
あろうことを想定しなければならない。

The intention here is not to attempt to answer this question, only to acknowledge
that it exists and that it is one which may cut to the very core in defining what
is modern and what is ancient in the system of Tarot.
ここでの意図は、この質問に答えようとすることではなく、それが存在し、そしてそれが
「タロット」の体系において、何が現代的で何が古代的であるかを定義付ける上で、まさに
核心に切り込むことのできるものの一つであることを認めることだけである。
--- ここまで ---

ここは、極めて回りくどい表現ではありますが、古典的なマルセイユ版はともかくとして、
現代的なゴールデン・ドーン系統の「7:戦車」には、「メルカバ」の要素、それも『エゼ
キエル書』に出てくる古代の正統的な「神の戦車」ではなく、近代的かつヲタク要素満載
の「メルカバの行法」が、こっそりと元ネタとして練り込まれているということのようです。

つまりそれは、『エゼキエル書』の「メルカバ(神の戦車)」と、ゴールデン・ドーン系
タロットの「7:戦車」とを、混同してはならないということでもあります。

この両者は、どれくらい違うのかと言うと、リアルな「三次元」と、バーチャルな「二次元」
の違いみたいに、全く異なる次元のものであり、なぜそういうことが起こるのかと言うと、
本来の「7:戦車」は、既に人の理解を超えた次元にあるということに他ならないわけです。
0582名無しさん@占い修業中垢版2021/01/15(金) 06:23:20.07ID:BeANmrC/
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 211) ---
Eliphas Levi, who is something of a bridge between ancient and modern esotericism,
made an interesting contribution in his design for THE CHARIOT card.
古代と現代の秘教の間の架け橋のような、エリファス・レヴィ氏は、「戦車」のカードの
彼の図案において、興味深い寄稿を作成した。
--- ここまで ---

よく知られているように、レヴィ氏は、古典的なタロット・カードであるマルセイユ版を
ペースに、「カバラ主義」を積極的に取り入れて、それまでのシンプルなゲーム&占い用
から、複雑な象徴を組み合わせた魔術用へと、大胆にイメージチェンジさせた、鍵となる
人物の一人です。
まあ、一言で言えば、ヲタク向けに、ビジュアルを重視させた、という感じですかね。

そして、そのビジュアル面において、ゴールデン・ドーン以降のカード・デザインに、
大きな影響を与えているわけですが、その影響は、うわべだけであって、本質的な部分
は、ゴールデン・ドーンの体系とは、かなり異なっています。
その根本的な違いは、ヘブライ文字と大アルカナとの対応ということになるのですが、
その結果として、「カバラ」の「生命の木」では、両者は全くの別モノとして解釈せざる
を得ないということになっているわけです。

とはいえ、「カバラ」を持ち出さなければ、レヴィ氏のものでもゴールデン・ドーン系の
ものでも、見た目としては大した差は無いということもありますので、「7:戦車」という
高次元のレベルにおいては、そもそも意味の良くわかんないカードですし、細かいことは
あまりこだわる必要も無いのかな、とも思うのでした。

実際、独自デザインのこだわりの強いマサース氏のゴールデン・ドーン版を除いて、
ウェイト版もトート版も、レヴィ氏のデザインの影響を大きく受けているわけですが、
本質的な解釈の違いというのは、しょせん下界の住人である我々には、実感として、
良くわからないわけですよ。←無責任極まりない態度ww
0583名無しさん@占い修業中垢版2021/01/16(土) 06:05:59.41ID:1ftp7/Te
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 212) ---
This was never a part of a Levi deck, although Oswald Wirth incorporated most of
Levi's ideas into his Tarot of 1889.
オズワルド・ウィルト氏は、1889年の彼の「タロット」の中に、レヴィ氏の考え方の大部分
を組み入れたけれども、これは、決してレヴィ氏のデッキの一部ではなかった。
--- ここまで ---

いきなりオズワルド・ウィルト氏のタロットの話が出てきましたので、この辺りの関係を
簡単に整理しておきます。

まず最初に、近代のカバラ・タロットの源流となったのは、フランスの神秘作家である
エリファス・レヴィ氏(Eliphas Levi, 1810-1875)の著作である、
『Dogme et Rituel de la Haute Magie/高等魔術の教理と祭儀』(仏語、1855年)
ですが、これは、後にウェイト氏により英訳されて、
『Transcendental Magic: Its Doctrine and Ritual/超越的魔術、その教理と祭儀』(1896年)
というタイトルで発刊され、後のウェイト版タロットにも影響を与えることになります。

そして、レヴィ氏の著作の影響で、フランスでは神秘学が流行して、いくつかの神秘主義
団体が生まれており、その流れの中で、スタニスラス・ド・ガイタ氏(Stanislas de Guaita,
1861-1897)が、1888年に設立した「薔薇十字カバラ団」において、ガイタ氏の指導の下で、
オズワルド・ウィルト氏(Oswald Wirth, 1860-1943)が、マルセイユ版をベースにして、
レヴィ氏のカバラ的発想を取り入れた新しいタロットである、
『Le Livre de Thot comprenant les 22 arcanes du Tarot./「タロット」の22枚の
大アルカナを含む「トートの書」』 (1889年)
を発行しています。

ということで、レヴィ氏のタロット・デザインは、ウィルト氏のタロットや、ウェイト版
タロットにパクられているのですが、マサース氏は、そういう安易なバクリには、あまり
興味を示さなかったようで、ヘブライ文字の対応とかも含めて、時間をかけて、あくまでも
オリジナルなデザインにこだわっていた感じはありますよね。
0584名無しさん@占い修業中垢版2021/01/17(日) 09:13:08.86ID:NEwiAcpH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 212) ---
In the Ritual of Transcendental Magic, Levi wrote of THE CHARIOT:
『超越的魔術の儀式』の中で、レヴィ氏は「戦車」について、以下のように書いた。
--- ここまで ---

この『Ritual of Transcendental Magic/超越的魔術の儀式』は、前回出てきた
『Dogme et Rituel de la Haute Magie/高等魔術の教理と祭儀』の英訳版である、
『Transcendental Magic: Its Doctrine and Ritual/超越的魔術、その教理と祭儀』
のうちの、「Ritual/祭儀」の部分となります。

その「祭儀編」の最終章である第二十二章の「The Book Of Hermes/ヘルメスの書」には、
タロットの大アルカナのデザインと意味が記述されています。
そして、その中に、「The Chariot Of Hermes/ヘルメスの戦車」という図題の、詳細に
描かれた挿絵があります。
これは、従来のシンプルなマルセイユ版をベースとして、神秘主義的なものをテンコ盛り
にしたようなもので、もはや何でもありの最強無敵状態となっています。

何はともあれ、このレヴィ氏の『高等魔術の教理と祭儀:祭儀編』の最終章という大トリ
を務める「ヘルメスの書」は、カバラ主義的な近代タロットを使うカード愛好家であれば、
ネタとして、ぜひとも一読しておくべきものであり、内容的にも、古典的なマルセイユ版
から、現代的な魔術カバラ主義のゴールデン・ドーン系統へと繋がる、非常に重要な架け橋
となるものです。

とはいえ、理論的な裏付けが薄いというか、単なる思いつきというか、もはや思い込みだけ
の内容がほとんどなので、意識高い系の魔術ヲタクにとっては、あまり興味が持てないと
いう面があることは否めないのですが、この「7:戦車」のレベルでは、もはやこういう
思いつきでしか語れないので、溺れる者は藁をも掴むというか、レヴィ氏の著作であっても、
無視する理由が無くなるという消極的な理由で、注目するに値するということです。

ということで、以下の引用は、くれぐれも、妄想ネタの一つとして、お楽しみください。
0585名無しさん@占い修業中垢版2021/01/18(月) 06:14:07.81ID:lgGO5yX3
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 212) ---
A CUBIC CHARIOT, with four pillars and an azure and starry drapery.
4本の柱たちと空色で星をちりばめた掛け布を備えた、「立方体の戦車」。

In this chariot, between the four pillars, a victor crowned with a circle adorned
with three radiant golden pentagrams.
この戦車の中に、4本の柱の間に、3つの輝く金色の五芒星形たちで飾られた円を持つ王冠を
かぶった勝利者。

Upon his breast are three superimposed squares, on his shoulders the URIN and
THUMMIM of the sovereign sacrificer, represented by two crescents of the moon
in Gedulah [Chesed] and Geburah; in his hand is a sceptre surmounted by a globe,
square and triangle: his attitude is proud and tranquil.
彼の胸には3つの重ね合わされた四角があり、彼の肩には、「ゲドラー(ケセド)」と
「ゲブラー」の2つの月の三日月たちにより表される、最上の犠牲を捧げる者が有する
「ウリム」と「トンミム」;彼の手には、球形、正方形、そして三角形を載せた笏:
彼の態度は誇らしげで平穏である。
--- ここまで ---

最後の文の「URIN」は、「Urim/ウリム」の誤植ですかね。

この「URIM and THUMMIM/ウリムとトンミム」は、『旧約聖書:出エジプト記』28:30の
「裁きの胸当てにはウリムとトンミムを入れる。(以下略)」に出てくるものであり、
要するに、レヴィ氏は、この「7:戦車」は、『旧約聖書:出エジプト記』に出てくる
「神殿」や「祭壇」を意味しており、戦車の御者は、『旧約聖書:出エジプト記』に出て
くるアロンのような最高の祭司者であり、民衆を、苦難に満ちたエジプトから、神との
約束の地へと導く指導者であると考えているということになります。

まあ、ゴールデン・ドーン体系における「7:戦車」の「生命の木」の配属から考えると、
この設定はイマイチなのですが、ネタの一つとしては、なかなか興味深いところです。
0586名無しさん@占い修業中垢版2021/01/19(火) 00:17:12.98ID:VPRRUMTs
こんな面白そうなスレがあったとは…。

1990年に原書を購入して、チラ読みしかしてなかったので
参考に読み進めてみようと過去スレから読み漁り中っす。
0587名無しさん@占い修業中垢版2021/01/19(火) 06:08:12.80ID:ZhhJ9LOC
>>586
カキコありがとうございます。 (^_^)/

一人語りで退屈していますので、何か雑談のネタがあれば、カキコしてくださいね。 (^^)
0588名無しさん@占い修業中垢版2021/01/19(火) 06:10:16.43ID:ZhhJ9LOC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 212) ---
A double sphinx or two sphinxes joined at the haunches are harnassed to the chariot;
they are pulling in opposite directions, but are looking the same way.
二重のスフィンクス、すなわち臀部で結合された二頭のスフィンクスたちが、「戦車」に
繋がれている;それらは反対の方向たちに引っ張っているが、同じ方向を見ている。

They are respectively black and white.
それらは、それぞれ、黒と白である。

On the square which forms the fore part of the chariot is the indian lingham
surrounded by the flying sphere of the Egyptians. (*203)
戦車の前の部分を形成する四角には、エジプト人たちの飛翔する球体により囲まれた
インドの「リンガム(男根)」がある。 (*203)
--- ここまで ---

ちなみに、(*203)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
203. Levi, Ritual of Transcendental Magic, 338.
203. レヴィ著、『超越的魔術の儀式』、338ページ。
--- ここまで ---
とあります。

基本的な構図としては、マルセイユ版を踏襲しているわけですが、象徴の意味を色々と
好き放題に改変しているという感じですかね。
まあ、好き放題に改変しているのは、ゴールデン・ドーン版もウェイト版もトート版も同じ
ですので、それぞれの考え方というか、目指す方向がそれぞれに違って面白いです。

そして、「7:戦車」より上位では、そういう大胆な改変が許されるというか、イチャモンを
付けにくいレベルになっていますので、皆さんも自分勝手かつ大胆な妄想で、拡大解釈
して頂ければと思うのでした。
0589名無しさん@占い修業中垢版2021/01/20(水) 06:32:36.70ID:EG8Knjvu
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 212) ---
Waite followed Levi closely, his only iconographic contribution being the addition
of a river behind the chariot (reference to the Waters flowing from THE HIGH
PRIESTESS and to the water sign, Cancer).
ウェイト氏は、密接にレヴィ氏に従っており、彼の唯一の図像学的の寄与は、戦車の後ろに
川(「高等女司祭」から水の宮である「巨蟹宮」へと流れる「水域」への参照)を追加した
ことであった。

He has also added a city which we may interpret to mean the "Heavenly Jerusalem,"
or the "City of God" above the Abyss.
彼はまた、我々が、「深淵」の上にある「天のエルサレム」、もしくは「神の都」を意味
していると解釈するかもしれない都市を追加した。
--- ここまで ---

ウェイト版の「7:戦車」は、一見するとレヴィ氏の挿絵の「戦車」に酷似しているという
か、ウェイト氏本人が、レヴィ氏のデザインのパクリであることを公言しているのですが、
その一方で、重大な鍵となる象徴を、何の説明も無しに、こっそりと追加しています。
実は、これって、ウェイト版は、レヴィ氏の元ネタである『旧約聖書:出エジプト記』とは
全く異なるものをモチーフにしている可能性があるということてす。

そして、そのキーワードは「(Heavenly) Jerusalem/(天の)エルサレム」であり、その
言葉は、『旧約聖書:エゼキエル書』48:30(邦訳では「都」と訳されていることに注意)
や、『新約聖書:ヨハネ黙示録』3:12、21:2、21:10などに見られます。

これが何を意味しているかと言うと、レヴィ氏は「過去の追憶」をテーマとしているのに
対して、ウェイト氏は「未来の幻想」をモチーフとしているということであり、これにより
「7:戦車」の解釈が、従来とは全く異なる可能性があるということです。
もちろん、どちらが正しいとか、どちらが優れているとかいうことではないのですが、
堂々とパクるのであれば、新手の自己主張というか新しい視点での解釈を加えるのは、
二次創作においては、とてもすばらしい態度ではないかと思うのでした。
0590名無しさん@占い修業中垢版2021/01/21(木) 05:44:11.20ID:c5bMtalo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 212) ---
Thus THE CHARIOT is shown as intermediary.
従って、「戦車」は仲介者として表される。

It is both the above and the below; it is perfect control on more than one plane
of existence, while at the same time it protects the sanctity of the "Throne"
by maintaining the necessary separation of those planes which it affects.
それは、「上」と「下」の両方である;それは、一つより多くの存在する次元に対する
完全な制御であり、その一方で同時に、それが影響を与える、それらの次元たちの必要な
分離を維持することにより、「王座」の神聖さを保護する。
--- ここまで ---

このあたりの話は、「7:戦車」に限らず、「深淵」を渡る「小径」は全て、すなわち
「2:高等女司祭」「4:皇帝」「5:法王」「6:恋人たち」も同様の機能を持ちます。
そして、その視点についても、「上から目線」と「下から目線」の両方が考えられます。

つまり、レヴィ氏の挿絵が「下から目線」だとすると、天から駆け降りるゴールデン・
ドーン版は「上から目線」であり、そしてウェイト版は「上下左右どちらとも取れる」
という解釈が成り立つわけですよね。
ちなみに、この「上下」のイメージからは、仏教における「地蔵菩薩」と「弥勒菩薩」の
違いに似た感じもします。

いずれにしても、「生命の木」に「深淵」という我々には「越えられない壁」がある限り、
「7:戦車」に限らず、「2:高等女司祭」「4:皇帝」「5:法王」「6:恋人たち」は理解不能
ではあるのですが、かろうじて下半身は見え隠れしている状態ですので、それを頼りに、
上半身については、ほぼ妄想のみでカードの解釈を取りまとめる必要が出てきます。
逆に言うと、上半身、すなわち「神」に関する部分の解釈は、ほぼ妄想ですので、そこは
完全にスルーしても何の問題も無いというか、どうしても実用で使いたいのであれば、
そこは完全にスルーして使うべきであるとも言えるわけですので、そういう意味では、
レヴィ氏の方が、カバラを抜きにすれば、より実用的で初心者向けなのかもしれませんね。
0591名無しさん@占い修業中垢版2021/01/22(金) 06:16:03.45ID:e/0fIFf/
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 212) ---
The relationship of Chariot to Throne is amplified by our knowledge that the angels
of Binah are called to [mem][yod][lamed][aleph][resh][aleph] (Aralim), Thrones,
while those of Chokmah are called [mem][yod][nun][peh][vau][aleph] (Auphanim),
Wheels.
「戦車」と「王座」の関係は、「ビナー」の天使たちが [mem][yod][lamed][aleph][resh]
[aleph] (アラリム)、「王座たち」と呼ばれ、その一方で、「コクマー」のそれらが
[mem][yod][nun][peh][vau][aleph] (アウファニム)、「車輪たち」と呼ばれるという、
我々の知識により増幅される。
--- ここまで ---

ここの「セフィロト」と「天使たち」は、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の
「第二講義文書」にある「セフィロトに配属される神聖名」の表の「天使の合唱団」の
欄に出てくるものですが、カバラを知っている人であれば、ここに大事なものが欠けて
いることに気づくはずです。

実は、この表の「ケテル」の「天使の合唱団」の配属は、[shin][daleth][qoph][heh]
[tau][vau][yod][cheth](Chayoth ha-Qadish/ケイオス ハ・カデシュ)であり、その
意味は「聖なる生き物」、具体的に言うと、『旧約聖書:エゼキエル書』1:5に出てくる
「四つの生き物」、もしくは「メルカバ(神の戦車)」を構成するもの全てを意味します。
つまり、『旧約聖書:エゼキエル書』の「神」は、「ケイオス ハ・カデシュ」と総称される
「天使団」で作られた「天使による乗り物」に乗って降臨したということです。

要は、「ケテル」の「ケイオス ハ・カデシュ/聖なる生き物」、「コクマー」の「アウ
ファニム/車輪」、そして「ビナー」の「アラリム/王座」は、実は『旧約聖書:エゼ
キエル書』で降臨してきた「メルカバ(神の戦車)」の構成物であるという、もはや
何でもありの、無敵のミソクソ理論が成立しているということです。

まあ、下界の我々から見れば、それらは「天使の合唱団」であっても、高次元すぎて
区別できないので、それらを総称化して「メルカバ」と呼んでいるという感じですかね。
0592名無しさん@占い修業中垢版2021/01/23(土) 05:41:53.67ID:JV9kkT66
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 212) ---
This is consistent with the idea of Binah as representative of all three Supernals,
Binah. Chokmah and Kether.
これは、3つの「至高なるものたち(至高の三角形)」である「ビナー」、「コクマー」、
そして「ケテル」の全ての代表としての「ビナー」の考え方に一致している。

This is important insofar as the Throne is actually Kether (it is not of Kether,
it is Kether).
これは、「王座」が、実際には「ケテル」である(それは「ケテル」の一部ではなく、
「ケテル」そのものである)限りにおいて、重要である。
--- ここまで ---

「セフィロトに配属される神聖名」の表において、「天使の合唱団」という最も低レベルの
話で、そして、「ケテル」の「ケイオス ハ・カデシュ/聖なる生き物」、「コクマー」の
「アウファニム/車輪」、そして「ビナー」の「アラリム/王座」という、地上に顕現した
カオスな「メルカバ(神の戦車)」の構成物において、実際の「ケテル」が何であるか
という議論には、あまり意味は無いと思うんですよね。

そもそも、実際の「ケテル」は、「深淵」の向こう側にあり、誰もそれを見たことも触った
ことも無いわけであり、しょせん想像の産物でしかないわけです。
つまり、「王座」が実際には「ケテル」であるかどうかは、そう解釈したいのであれば、
そうすればいいという感じでしかないわけであり、それゆえ、「メルカバの行法」が、
「至高神」への有効なアプローチとして流行したということでもあるわけです。

いずれにしても、我々から見れば、「ケテル」「コクマー」「ビナー」の「至高の三角形」
は、三位一体化した「ブラックボックス」であり、それらを実次元で区別して認識する
ことは不可能ですし、それゆえ、どんな設定であったとしても、間違いであることが証明
できない限りにおいては、それがミソクソ設定であろうと許されるということです。
とはいえ、下界の我々から見れば、「ティファレト」以上は、「神」と呼んでも差し支えない
レベルですので、あまり高いところばかり見る必要は無いと思うんですけどね。
0593名無しさん@占い修業中垢版2021/01/24(日) 06:05:54.78ID:AdZG0H54
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 212) ---
There is no way in which these relationships can become comprehensible except
through meditation, and the student should not feel discouraged if the words
seem difficult.
瞑想を通じる以外で、これらの関係たちを理解できるようになれる方法は無いが、
学徒は、もし言葉たちが難しく見えたとしても、落胆するように感じるべきではない。

The really important point here is the relationship of the Divine Spirit to that
which in some way contains It.
ここでの本当に重要な点は、「神の霊」と「それ」を何らかの形で含んでいるものとの
関係である。

The meaning of the Hebrew letter Cheth, attributed to the eighteenth Path, is
fence or enclosure.
18番目の「小径」に帰属される、ヘブライ文字の「ケト」の意味するものは、「柵」、
もしくは「囲い」である。

The Chariot is a wheeled enclosure which holds the Spirit in its "movement" through
all Planes.
「戦車」は、全ての「次元たち」を通して、その「動き」の中で「霊」を支える、車輪の
付いた囲いである。
--- ここまで ---

まあ、このように、色々な妄想が捗るわけですが、せいぜい我々に見えるのは「7:戦車」の
下半身のみであり、上半身は「深淵」の向こう側にあるわけですので、もはや妄想に頼る
以外には、どうしようもないわけなんですよね。
そういう意味では、フィクション系の創作活動にとって、この境界領域はネタの宝庫とも
言えるわけなのですが、とはいえ、我々のような一般人が、真面目に「深淵」の向こう側
を妄想しようとしても、そう簡単に出来るはずもないので、結局のところ、上級者たち、
いやいや聖人たちの奇妙な、いやいや神秘の御言葉に頼るしかないわけですよ。
0594名無しさん@占い修業中垢版2021/01/25(月) 06:00:15.73ID:pNWTdZgG
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 212) ---
Two principles can be derived here: 1) First is the very idea that an enclosure
is necessary, something external to the Self which carries that Self through various
levels of the manifest Universe.
2つの原則が、ここで導き出されることができる:1) 最初は、囲いが必要であり、それは、
顕在化した「宇宙」の様々な段階たちを通じて、その「自我」を運ぶ、「自我」の外にある
何かであるという、まさにその考え方である。

2) The idea that the vehicle serves a protective function, as the Book of Tokens
says of Cheth:
2) 『しるしの本』の本が、「ケト」について述べているように、乗り物が保護する機能を
果たすという考え方:
--- ここまで ---

「ケト」は、「enclosure/囲い」、つまり、周囲を囲まれたものであり、その内部と外部を
区別できる境界でもあります。
似たようなものは、「19:太陽」の「wall/壁」にも見られますが、両者の違いは、「次元」
の違いである、つまり「月とスッポン」であると言うことが出来ます。
まあ、「7:戦車」のレベルにおいては、この「囲い」は、食うことも触ることも出来ない、
単なる妄想でしか語れないシロモノであるということですよね。

つまり、各人が好きに解釈しても良いということなのですが、そういう好きに解釈した一例
として、ケース氏の『しるしの本』の内容が、以下に挙げられていますので、妄想の参考に
してください、ということです。

とはいえ、この高次元における妄想作業というのは、結構ツラいものがあります。
どうしても、安易な低次元の発想、つまり下ネタに走ってしまいがちになりますので、
どうやったら「上ネタ」に持っていけるのかというのが、なかなか難しいというか、
面倒臭いというか、だったらやるなよ、的な流れになってしまうわけです。
つまり、ワタシには、こういう高次元の話は向いていないということなんですよね。
0595名無しさん@占い修業中垢版2021/01/26(火) 06:04:45.22ID:6JMTReDj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 212) ---
I am the hedge of protection
我は保護の生け垣である

Enclosing the field of existence.
存在の場を取り囲む。
--- ここまで ---

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 213) ---
In this field thou dwellest.
この場の中に汝は住まう。

And I am thy defense
そして、我は汝の防御である

Against the darkness which is without.
外側である暗闇に対抗して。
--- ここまで ---

この「hedge/生け垣」の機能は、一見すると「19:太陽」の「wall/壁」に似ています。
両者の違いが「次元」と「動き」にあるとすれば、「19:太陽」が、個々の「自我」の存在
のための固定壁であったのに対し、「7:戦車」の「囲い」は、遍在する「高次の自我」の
存在のためであり、それは常に生きて活動しているもの、ということになるわけです。

つまり、この「7:戦車」が、「深淵」という次元の境界を越えて、我々の「宇宙の種」を
その内部に囲いながら、下界に降臨してきたというような感じですかね。
そして、その後も、継続的に「上位世界」から我々の「下界宇宙」に、我々には見えない
何か大事なものを運んでいるような感じがあります。
とはいえ、こういうのは、下々の世界の住人である我々には何の関係も無い、高次元(笑)
の話ですので、皆さんの好きなように、自由に解釈してもらえればと思います。
0596名無しさん@占い修業中垢版2021/01/27(水) 06:04:53.84ID:tnYd67hl
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 213) ---
Yet is this hedge of safety
さらに、この安全の生け垣は

Also a wall of limitation,
また、制限の壁であり、

And the darkness against which it defendeth thee
そして、それ(生け垣)が汝を守って抵抗する暗闇は、

is the radiant Darkness of the Limitless Light,
「無限の光」の光り輝く「暗闇」であり、

too brilliant for thine eyes. (*204)
汝の目にとっては輝き過ぎる。 (*204)
--- ここまで ---

ちなみに、(*204)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
204. Case, Book of Tokens, 83.
204. ケース著、『しるしの本』、83ページ。
--- ここまで ---
とあります。

このあたりの解釈は、「暗闇」と呼ばれる高次元のダークエネルギーに満ちた「無限宇宙
空間」から、我々の住む、光に満ちた「有限宇宙」が、小さな泡の一つとして誕生すると
いう、宇宙誕生のストーリーを連想させます。
そして、「深淵」は、我々が決して越えられない壁というか崖であり、全ての脳内理論は、
ここから先は単なる妄想と同質であり、それゆえ我々は、この「ミソクソの壁」を越えて、
脳内進化することは不可能ということになるわけでした。
0597名無しさん@占い修業中垢版2021/01/28(木) 06:02:43.05ID:/BYrIrwY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 213) ---
In interpreting this passage, Case refers to the Ain Soph "which is to us a
darkness, because it transcends our earthly vision."
この節を解釈するにおいて、ケース氏は、「それが我々の地上の視力を超越しているので、
それは我々にとっては暗闇である」、「アイン・ソフ(無限)」に言及する。

He also relates this to the idea that "Osiris is a black God," (*205) meaning that
Osiris (a sacrificed God) was resurrected and then arose above the Light to a
Darkness which is at the very pinnacle of the Supreme Spiritual Self in Kether.
彼はまた、これを、オシリス神(犠牲にされた「神」)が蘇り、「ケテル」にある「究極の
霊的自我」の、まさに頂点にある、「光」より上の「暗闇」となって生まれたことを意味する、
「オシリス神は黒い「神」である」 (*205) という考え方に関連付ける。

This experience of the Spiritual Self, pictured in THE CHARIOT, has also been
described as the "Exaltation" of Alchemy, where the Alchemist becomes the
Philosopher's stone.
「戦車」に描かれている、「霊的自我」の経験はまた、「錬金術師」が「賢者の石」となる
ところの、「錬金術」の「高揚」としても記述され続けている。
--- ここまで ---

ちなみに、(*205)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
205. Case, Book of Tokens, 87.
205. ケース著、『しるしの本』、87ページ。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、色々とツッコミどころの多いところではありますが、本節は、あくまでもケース氏の
個人的な感想であり、効果・効能を示すものではありません。
また、効果には個人差がありますので、ご利用の際には、自己責任でお願いします。
0598名無しさん@占い修業中垢版2021/01/29(金) 05:30:36.78ID:d0e70kNN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 213) ---
Of the four versions of the card, Crowley's most strongly emphasizes the relationship
of THE CHARIOT to the text of Ezekiel, with its "living creatures."
カードの4つの版の中で、クロウリー氏のものは、「戦車」と、その「生き物たち」と共に、
『エゼキエル書』の聖句との関係を最も強く強調している。

His card expands on the dual Sphinxes proposed by Levi, whereas the Golden Dawn
follows the earlier design of the Marseilles deck in which the Chariot is drawn
by two horses.
彼のカードは、レヴィ氏により提案された二重の「スフィンクスたち」に基づき発展させた
ものであるのに対して、ゴールデン・ドーン版は、「戦車」が二頭の馬たちによって曳かれ
ている、マルセイユ版デッキの以前の図案に従う。
--- ここまで ---

トート版の「7:戦車」は、とにかく象徴がテンコ盛りというか、あちこちから節操無く
パクっているので、特定のテーマだけで語ろうとすると、解釈が矛盾します。
まあ、そういうハチャメチャであっても全てが許されるのが「7:戦車」のレベルですので、
そういうものだと思ってください。←開き直りな言い訳ww

さて、トート版で、すぐに気づくのが、従来版の「二頭の馬」から「四頭のスフィンクス
(生き物)」への改変であり、これは間違いなく『エゼキエル書』からのパクリです。
では、そこに座っているのは、『エゼキエル書』の「主」なのかと言うと、そう簡単に
断言できるものでもなく、そもそも「生命の木」においては、「7:戦車」「6:恋人たち」
「5:法王」「4:皇帝」「2:高等女司祭」の全てが「主(至高の三角形から)の降臨」に
関係していますので、そういう降臨形態の一つという感じかと思われます。

ちなみに、トート版においては、その御者の甲冑が完全なる「ケト/囲い」状態であり、
これは御者自身の防御というよりも、その中にある「光り輝く暗闇」を封じ込めるための
「原子炉圧力容器」のようなもので、そこから、大容量かつ不可視の水系エネルギーが
流出しているという感じですかね。
0599名無しさん@占い修業中垢版2021/01/30(土) 06:58:34.04ID:lVW6kvnO
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 213) ---
Crowley states that he was much influenced by Levi's card design, and since he
also claimed to be Levi's reincarnation, he may have wanted to emphasize the
development of "his" earlier work.
クロウリー氏は、彼がレヴィ氏のカードの図案に大きく影響されたと述べ、そして彼は
また、レヴィ氏の生まれ変わりであるとも主張しているので、「彼の」初期の作品の開発
を強調しようとしたかったのかもしれない。

He has, thus, taken Levi's dual Sphinxes and turned them into the Four Kerubiim,
each of which has four sub-elements, as in the Tattvas.
彼は、従って、レヴィ氏の二重の「スフィンクスたち」を採用し、そしてそれらを「四つの
ケルビム」に転化し、それらの各々は、「タットワ」にあるように、4つの副要素がある。

This is consistent with the biblical text which describes each of the Four
Creatures as having four faces.
これは、「四つの生き物たち」の各々を、四つの顔たちを持つものと記述する、聖書の
聖句と一致している。
--- ここまで ---

この「各々が四つの顔たちを持つ、四つの生き物たち」という記述は、『エゼキエル書』
のネタではあるわけですが、トート版の「7:戦車」の図案には、そういう4頭×4顔=16顔
という図案にはなっていないので、あくまでも、そういうものを内包しているというか、
つまり、トート版の「7:戦車」は、『エゼキエル書』の「メルカバ戦車」がベースである
ことを言いたいようです。

そして、これが意味するものは、「7:戦車」は、「天からの降臨」ということであり、
これと対になる「5:法王」の関係からすると、これが「天上のイヴ」の降臨に関係して
いるということになるわけであり、そしてこの「7:戦車」の甲冑の御者は、強い女性性を
持つことが推察され、ヲタク的視点によれば、これはエヴァの零号機であると見なすこと
が可能であるということですかね。(よう知らんけど)
0600名無しさん@占い修業中垢版2021/01/31(日) 07:11:20.56ID:DNAUJKFk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 213) ---
Moreover, we have previously made the connection of the Sphinx with the Pentagram,
which represents the Four Elements crowned by Spirit.
さらに、我々は以前に、「スフィンクス」と、「霊」を冠する「四大元素」を表す、
「五芒星」を関連付けた。

The Pentagram, which represents the Four Elements crowned by Spirit.
「霊」を冠する「四大元素」を表す、「五芒星」。

The Pentagram, as a fivepointed figure, is appropriate to Geburah, the lower end
of this Path.
「五芒星」は、五つの先端を持つ形として、この「小径」の下端である、「ゲブラー」に
ふさわしい。

Geburah is also symbolized in Crowley's card by the red wheels, meaning that its
energy is the motive power of the Chariot.
「ゲブラー」はまた、クロウリー氏のカードにおいて、その精力が「戦車」の原動力で
あることを意味する、赤い車輪たちにより象徴される。
--- ここまで ---

「スフィンクス」そのものが「五芒星」であり、それは「ゲブラー」を暗示していると
いうことですかね。

ちなみに、「ゲブラー」を表す「赤色」は、トート版の「7:戦車」の中央に描かれた、
御者の持つ丸い「(クロウリー氏が言うところの)聖杯」の中央部にも見られます。
とはいえ、この「赤」は、この「聖杯」が外周から中央に向かって、紫・藍・青・緑・
橙・赤の虹色のスペクトルで塗り分けられているからすると、「ゲブラー」そのものを
表しているというよりも、何か別の意味合いというか、彼は「宇宙の創造主」であって、
下位世界に「万物と生命の根源」となる「聖杯=宇宙の卵(もしくは子宮)」をもたらす、
「天界の運び屋」であることを表しているようにも見えますよね。
0601名無しさん@占い修業中垢版2021/02/01(月) 05:57:59.53ID:Ob4N1Rbj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 213) ---
The complement of Gebruah, Chesed, is implicit here in the various uses of the Four.
「ゲブラー」の補足物である「ケセド」は、ここでは「四つ」の様々な用途たちの中に暗示
される。

Chesed-Jupiter is important on this Path because it is the beginning of manifestation,
in Microprospus, of the Four Elements which are the symbolic"support" for the
heavens.
「ケセド」ー「木星」は、天空のための象徴的な「支持」である「四大元素」の、「ミクロ
プロソプス(小さな顔)」においての、顕在化の始まりであるため、この「小径」に関して
重要である。

In the cards of both Crowley and Waite, the Binah-canopy is supported by four
pillars which are the Elements, and which are the [heh][vau][heh][yod].
クロウリー氏とウェイト版の両方のカードたちにおいて、「ビナー」ー天蓋は、「(四大)
元素」であり、そして [heh] [vau] [heh] [yod] である、四本の柱たちにより支えられる。

These are also the four columns of the Tree of Life in a Solid Sphere (Plate II).
これらはまた、「立体球で作った生命の木」(図版U)の四本の柱たちでもある。
--- ここまで ---

二番目の文の「Microprospus」は、「Microprosopus/ミクロプロソプス」の誤記ですかね。

あと、「Plate II/(カラー)図版U」は、本書の46ページと47ページの間にあります。

ということで、「7:戦車」には、先ほどの「五芒星=ゲブラー」に加えて、「四柱=ケセド」
と「天蓋=ビナー」の象徴が描かれているということです。
そして、これら以外にも、数に関係する象徴は、「7:戦車」の中には、いくつかあります。
だから何なの?、という質問は受け付けておりませんので、各自でお好きなように解釈して
あげてください。
0602名無しさん@占い修業中垢版2021/02/02(火) 06:07:25.87ID:OHHij6pj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 213) ---
Above the golden armored figure in Crowley's card is a crab, symbol of the sign Cancer.
クロウリー氏のカードの中の、金色の甲冑を着せられた人物像の上には、「巨蟹宮」の
象徴である、蟹がある。

Almost imperceptibly woven into the canopy, in a fine gold line, is the word
"ABRACADABRA," an apparent pun on "ABRAHADABRA," a word which Crowley called
"one of the most important Key numbers of the Liber Al... the word of the Aeon...
the cypher of the Great Work."
天蓋に、ほとんど気付かれないように繊細な金色の線で織り込まれているものは、
「アブラカダブラ」という言葉であり、クロウリー氏が「『ALの書(法の書)』の最も
重要な『鍵』となる数たちの1つ…『永劫』の言葉…『偉大なる作業』の暗号」と呼んだ
言葉である、「アブラハダブラ」の明らかなもじりである。

The value of this word corresponds to that of Cheth ([tau][yod][cheth]); [cheth]=8,
[yod]=10, [tau]=400, adding to 418. (*206)
この言葉の値は、「ケト」([tau] [yod] [cheth])のそれに対応する;[cheth]=8、
[yod]=10、[tau]=400、足して418となる。 (*206)
--- ここまで ---

ちなみに、(*206)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
206. Crowley, Book of Thoth, 84-85.
206. クロウリー著、『トートの書』、84-85ページ。
--- ここまで ---
とあります。

「ABRAHATABRA/アブラハダブラ」はクロウリー氏の造語であり、「ABRACADABRA/アブラ
カダブラ」の方が昔からある有名な呪文なのですが、二番目の文は、なぜか逆の意味に
なっているようで、ワタシの翻訳が間違っているんでしょうかね。(どうでもいいことですが。)
0603名無しさん@占い修業中垢版2021/02/03(水) 06:11:13.72ID:37YuH0ai
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 214) ---
One significant idea found in the Crowley and Golden Dawn cards is the implication
of something martial, not unlike the Bhagavad Gita, where the pursuit of enlightenment
is symbolized by warring factions which we understand to be within the seeker himself.
クロウリー氏とゴールデン・ドーン版のカードたちに見られる、一つの重要な考え方は、
悟りの追求は、探求者自身の中にあることを理解している敵対する派閥たちにより象徴され
ているところの、『バガヴァッド・ギーター(神の詩)』に良く似ている、戦争の何かを
暗示するものである。

Here, on the highest Path of the Pillar of Severity, the soul warrior of Geburah
has reached a pinnacle.
ここでは、「峻厳の柱」の最も高い「小径」の上で、「ゲブラー」の魂の戦士が頂点に
達したところである。
--- ここまで ---

ヒンドゥー教の『バガヴァッド・ギーター(神の詩)』には、「7:戦車」の構図に似た、
複数の馬に曳かれた二輪の「戦車」が出てきますので、ここは、そういう絵的な面での
繋がりからの類推もあるのではないかと思います。

まあ、ワタシ的には、人間界での話を、このレベルで語るのはどうかとも思うのですが、
「enlightenment/悟り」というものが、「至高の三角形」への昇天ということになるので
あれば、この「7:戦車」の「小径」は、そういう「悟り」を極める人にとっては、最も近道
というか最も敷居が低いという点で、非常に重要なポジションとなっています。
ちなみに、ゴールデン・ドーンにおいては、「9:隠者」「8:力」「7:戦車」のルートにて、
「ティファレト」から「至高の三角形」へと至るルートが推奨されています。

まあ、ワタシには、そういう宗教的な悟りとか、意識高い系の人々のレベルの高い話は、
よくわからないというか、実生活においては何の意味も無いことなので、あまり詳しく
語ることは出来ないのですが、そっち方面に興味のある人にとっては、非常に重要なもの
なのかなぁ、と、傍観者として思っているのでした。
0604名無しさん@占い修業中垢版2021/02/05(金) 06:04:12.90ID:nHOIud5x
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 214) ---
Crowley shows him with ten stars on his armor (representing Assiah-Matter) and
seated in a position of sublime meditation.
クロウリー氏は、彼の甲冑に十個の星たちを付けて(「アッシャー」−「物質」を意味
する)、崇高な瞑想の姿勢で着座させて、彼を表す。

In his hands he holds the Holy Graal, a cup into which we look directly.
彼の手たちの中に、彼は、我々が直接見つめる杯である、「聖杯」を持つ。
--- ここまで ---

クロウリー氏によれば、この「十個の星」は「アッシャー」であるということですが、
彼(戦車の御者)自身は、言うまでもなく「至高の三角形」の存在ですので、そのレベル
(「ビナー」)と、それ以下のレベル(「ゲブラー」)を隔てるためのバリア(甲冑)は、
その機能上、「アッシャー」の属性を持つ必要があるということです。

そして、「至高の三角形」からの下界への流出として、丸い「Holy Graal/聖杯」があり、
(強烈な放射線を放つ)彼自身は「決して見てはならないもの(甲冑にて完全防護されて
いる)」であるのに対し、その「聖杯」は、我々が観察するために、下界の我々に向けて
提示されているということです。
まあ、本来のカードの解釈とは違うのですが、原子炉圧力容器である「甲冑」に設けられ
た、放射線遮蔽機能の付いた「覗き窓」というようなイメージでもいいかと思います。

そういう感じで、我々は、「彼」という「中の人」を直接探ることは出来ないのですが、
彼の周囲の状況から、「7:戦車」の秘められた機能を解釈していくことになります。
ちなみに、「中の人」そのものの解釈は、放っておいていいのかと言われれば、ワタシは
放っておいても構わないと思います。
なぜなら、中の人をあれこれと詮索することには何の意味も無いし、何の役にも立た
ないし、その存在を気にすること自体が、人生の無駄使いなのです。
つまり、大人である我々は、「中の人などいない」ということを、オトナの態度として
理解しておく必要があるということなのでした。←オトナの苦しい言い訳ww
0605名無しさん@占い修業中垢版2021/02/06(土) 06:22:48.34ID:l1Bg9021
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 214) ---
For their card, the Golden Dawn chose to represent Odin, God of war, usually shown
riding through the sky.
彼らのカードのために、ゴールデン・ドーンは、通常は空を駆け抜けていることで示される
戦争の「神」である、オーディン神を表現することを選んだ。

The attribute of Odin is appropriate insofar as he was also a god of spiritual
development who, like THE CHARIOT, has been related to both the above and the
below. (*207)
オーディン神の属性は、彼がまた、「戦車」のように、上と下の両方に関係し続けている
霊的発達の神でもあったという限りにおいて、適切である。(*207)
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の「7:戦車」の人物像は、オーディン神であるということですが、
その説については、色々な疑惑があります。

オーディン神は、北欧神話において、上位世界の「ユグドラシル(世界樹)」にある泉の
水を飲むことで、この地上世界を制する、全知全能の「絶対王者」となり、その代償として
片眼を失っているので、通常は、隻眼の賢老人として描かれています。

ゴールデン・ドーン版の「7:戦車」の人物が、オーディン神であることを推察できるものと
しては、頭に被った二本角の兜ぐらいですが、神話レベル的に見れば、割と適切な選択
なのかな、とは思います。
とはいえ、カードに描かれた人物像の両目はきちんと開いてますし、若者の姿ですし、
オーディン神は、普通は馬に乗っており、戦車に乗る姿で描かれることは、ほぼ無いので、
言われなければ、これをオーディン神として認識できる人は、まずいないと思われます。

「戦車」のイメージ的には、ギリシア神話の太陽神であるヘリオス神の乗る戦車とか、
二枚翼の付いた隠れ兜を被ってメドゥーサを退治したペルセウス神の姿の方が近い
感じはありますが、まあ何でもありのカードですので、好きに解釈していいと思います。
0606名無しさん@占い修業中垢版2021/02/07(日) 06:37:47.58ID:5aGLxHRX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

ちなみに、(*207)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
207. The fact that this is the only reference to Teutonic mythology in the deck
makes the attribution somewhat problematical.
207. これが、デッキに関する「チュートン(北欧)」神話への唯一の言及であるという
事実は、帰属を、いくぶん問題を含むものにする。

What we are calling "Odin" may, in fact represent an error resulting from the
cards having been hand-copied over a period of years.
我々が「オーディン」と呼んでいるものは、実際には、カードたちが何年にもわたって
手作業で複写され続けてきたことに起因する誤りを表しているのかもしれない。

Perhaps this figure had a moon helmet of some sort.
ことによると、この人物像は、ある種の月の兜を身に着けていたのかもしれない。

Nevertheless, the helmet shown in the Golden Dawn deck, as published, is precisely
as it appears in Regardie's hand-painted deck.
それにもかかわらず、公開されたものによると、ゴールデン・ドーン版デッキに表わされ
ている兜は、リガルディ氏の手描きのデッキに現れているものと、正確に同じである。
--- ここまで ---
とあります。

レヴィ氏の「3つの輝く金色の五芒星形たちで飾られた円を持つ王冠」や、トート版の
「蟹(=巨蟹宮=月)の前立(額の飾り)」と比べると、ゴールデン・ドーン版の
二本角の兜というのは、進化の流れ的に見て違和感があるのと、その二本角の兜の持ち主
が、何でオーディン神なのか、そして、その人物像は、神話に出てくるオーディン神とは
似ていないのに、なぜオーディン神と断定できるのかが分からないので、ワタシとしては、
これ以上は何とも言えないところです。
というか、そもそもこのレベルにおいては、無理して地上における「神話の登場人物」の
誰かに当てはめて考える必要も無いのかな、とも思うのでした。(説明責任の放棄ww)
0607名無しさん@占い修業中垢版2021/02/08(月) 06:01:49.51ID:f2mrvVVj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 214) ---
The primary emphasis of the Golden Dawn card is on the control of the dualities
in manifestation by the Supreme Spiritual Self.
ゴールデン・ドーン版カードの主要な重点は、「究極の霊的自我」による顕在化における
二重性の制御にある。

Here the black and white horses are commensurate with Levi's black and white Sphinxes,
as well as with the black and white columns of the mysteries called Joachim and
Boaz in the "Temple of Solomon."
ここで、黒と白の馬たちは、レヴィ氏の黒と白の「スフィンクスたち」、そして同じように
「ソロモンの神殿」の「ヤキン」と「ボアズ」と呼ばれる神秘的教義の黒と白の柱たちと、
同等のものである。
--- ここまで ---

二番目の文の「Joachim」は、「Jachin/ヤキン」もしくは「Jachim」の誤記ですかね。

元々のマルセイユ版でも、色違いの二頭の馬というバリエーションはあるのですが、
それを明確化したのがレヴィ氏の「黒と白のスフィンクス」でした。
なお、レヴィ氏の絵では、右が黒で左が白でしたが、ゴールデン・ドーン版では、「ソロ
モン神殿のヤキンとボアズ」の配列に従って、右が白で左が黒に入れ替えています。
参考までに、ウェイト版は、ゴールデン・ドーン版と同じ並びです。

ちなみに、この「ヤキンとボアズ」は、ウェイト版の「2:高等女司祭」に出てきますが、
ゴールデン・ドーン版の「7:戦車」と、ウェイト版の「2:高等女司祭」は、よく見ると
同じような象徴が描かれていることがわかります。

そもそも、「7:戦車」は「巨蟹宮=月=水属性」であり、「2:高等女司祭」は「月」です
ので、実は似たような属性を持っているのですが、「7:戦車」は「動」である一方で、
「2:高等女司祭」は「静」であるという違いはあるので、こういう異なる構図になって
いるのかなぁ、とか一人で勝手にカプ妄想して楽しんでいるのでした。
0608名無しさん@占い修業中垢版2021/02/09(火) 06:16:03.88ID:G5JEZnWY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 214) ---
Between the two horses is an Eagle's head, the Kerubic symbol for Water.
二頭の馬たちの間には、「水」のケルビムの象徴である、「鷲(ワシ)」の頭がある。

The Chariot itself is blue to suggest Chesed.
「戦車」それ自身は、「ケセド」を示唆するために青色である。

The orange of the warrior's robe refers to Hod, the intellect.
戦士の礼服の橙色は、知性である、「ホド」を参照する。

Thus, we are pointed toward THE MAGICIAN, the Path to which Mercury is attributed.
従って、我々は、「水星」が帰属される「小径」である、「魔術師」に向けられる。
--- ここまで ---

白馬の「ヤキン」と、黒馬の「ボアズ」は、「コクマー」と「ビナー」に関係付けされ
ますが、「戦車」の青色は「ケセド」で、戦士の服の橙色は「ホド」であるとするならば、
この「7:戦車」の「小径」の行き先である「ゲブラー」って、どこにあるんでしょうね。

この文章からは、「7:戦車」から、「ゲブラー」は素通りして、「水」の「小径」である
「12:吊られた男」にワープして、一気に下層の「ホド」までジャンプしているような
感じですし、なんか色々と考え過ぎて、支離滅裂になっているようにも見えます。

そもそも、戦士が戦闘服ではなくて儀式用の礼服なのか、とか、なぜ「小径」の色である
琥珀色ではなくて、橙色なのか、とか、まあそういうヤボなツッコミはともかくとして、
ゴールデン・ドーン版には、他の版のカードには無い特徴があります。
それは、現在進行形での「動き」という点であり、それはまた、この宇宙創造が、まだ
終わっていなくて、現在においても進行中であるということを意味しています。
要するに、この「門」はまだ開いているので、我々はうまくやれば、この「開いた門」
を通って、より上流にある「1:魔術師」までワープ出来る可能性のある「小径」である
ことを、示唆しているのかもしれませんね。
0609名無しさん@占い修業中垢版2021/02/10(水) 06:13:35.99ID:ymKnyxPs
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 214) ---
Waite also referred to Hod by using an eight-pointed star on the crown of the
Charioteer, personification of the Spiritual Self.
ウェイト氏はまた、「霊的自我」の擬人化である「戦車の御者」の王冠にある八芒星を
使用することにより、「ホド」を参照する。
--- ここまで ---

ウェイト版の「7:戦車」は、レヴィ氏のデザインをベースにしているものの、その解釈は
独自というか、はっきり言って、よくわかりません。

ちなみに、レヴィ氏のデザインからの改変として挙げられるのが、「王冠の八芒星」と
「背景にある水に囲まれた都市」ということと、「全員が正面を向く」という点です。
その中で、「王冠の八芒星」が「ホド」を表しているということですが、これについては、
少々疑問があります。

なお、ウェイト版の「八芒星」といえば、「17:星」が連想されますが、「17:星」と「ホド」
との間には、特筆するほどの関連性はありません。

それよりも、どちらかと言うと、「頭上の8」という繋がりで、「17:星」、「8:力」、
「7:戦車」、「1:魔術師」の関係性の方が気になりますし、直接的な「八芒星」繋がりと
いう意味では、「上の如く、下も然り」=「7:戦車」の如く「17:星」も然り、という感じ
で、実は「7:戦車」の人物は、地上に降りて戦闘服を脱いで「17:星」の女神になるという
可能性は、微レ存ではないかと思ったりするのでした。
というか、そもそも「7:戦車」の人物像は、「生命の木」的に見て女性である疑いは捨て
きれないので、ワタシとしては、そちらを推したいと思うのでした。

ちなみに、「7:戦車」と「1:魔術師」の関係ですが、ウェイト版においては、「1:魔術師」
の人物像は、太陽神である「アポロ神」に関連付けされており、アポロ神は戦車乗りと
しても有名ですので、そっちの流れで、「1:魔術師」「7:戦車」「17:星」を繋げてネタと
することも可能ですので、後は、ご自由に、お楽しみください。
0610名無しさん@占い修業中垢版2021/02/11(木) 06:16:36.07ID:BDBQTbZm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 214) ---
As was mentioned, the movement of THE CHARIOT conceals a mystery of great significance.
前に述べたように、「戦車」の動きは、偉大で重要な神秘を隠す。

In the Golden Dawn card it clearly descends from the sky, symbolizing the descent
of the Holy Spirit into manifest creation ("the influx of good things upon
created beings").
ゴールデン・ドーン版カードにおいては、それは明らかに空から降下し、顕在的創造に
おける「聖霊」の降下(「創造された存在たちの上の良きものたちの流入」)を象徴する。
--- ここまで ---

この「the influx of good things upon created beings/創造された存在たちの上の良き
ものたちの流入」の箇所は、前に述べた「知恵の32の小径たち」の「18番目の小径(7:戦車)」
からの引用です。

「7:戦車」は、「至高の三角形」から「深淵」を通過して下界を結ぶ、上位世界から見れ
ば「最後の門」であり、そして下位世界の我々から見れば、「最初の門」となります。
つまり、動いておいてもらわないと困るというか、設定的に困る人が多々いるわけで、
そういう希望的観測もあって、ゴールデン・ドーン版「7:戦車」は、天界から下界へと
降下する動きで、そして「8:力」は地上への着地として描かれているように思えます。

ワタシとしては、そういう「天地創造」とか「天地の維持管理」の働きの方が納得できる
というか、少なくとも、「エゼキエルの戦車に乗った主の降臨」という、特定部族向けの
話よりは、はるかにマシな解釈ではないかと考えます。

その場合、「7:戦車」は、「至高の三角形」から降下する「小径」の中では、一番の下っ端
ということもあって、上位の神々のパシリ役とされることも多いので、下界の我々から見れ
ば、「もはや何でもあり」の属性を付けられることも、ままあるわけです。
そういう意味では、我々にとっては、この「7:戦車」こそが、ギリ使える「万能無敵の存在」
であると言うこともできるわけですよね。(レベルの低いワタシには使えませんが…)
0611名無しさん@占い修業中垢版2021/02/12(金) 05:31:55.77ID:wKxtK8c6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 214) ---
This is a much more simple iconography that is found in the cards of Crowley or
Waite, and is reminiscent of the Chariot of the Sun.
これは、クロウリー氏やウェイト氏のカードに見つけ出されるものより、はるかに単純な
図像であり、「太陽の戦車」を思い出させる。

In Greek Mythology the Chariot of Helios, the Sun, moved daily across the sky
pulled by four horses.
ギリシア神話においては、「ヘリオス神の戦車」である「太陽」が、四頭の馬たちにより
曳かれて、空を横切って毎日移動した。

The relationship of the Sun to THE CHARIOT card is of critical importance because
the Chariot moves between the Light, centered in Tiphareth and the Supreme Darkness
at the hidden side of Kether.
「太陽」と「戦車」の関係は、「戦車」は「ティファレト」を中心とする「光」と、
「ケテル」の隠された側にある「至高の暗闇」の間を移動するため、決定的に重要である。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の「7:戦車」は、「ヘリオス神の戦車」をイメージしたものである
ということは、ありそうなことではありますが、ギリシア神話では、「ヘリオス神の戦車」
=「太陽」ですので、そのまま当てはめて解釈することは無理があります。
というか、そもそも「7:戦車」は「ティファレト」に至る「小径」ではありませんので、
もしそういう意味があるのであれば、「6:恋人たち」と入れ替える必要があるわけです。

とはいえ、この「7:戦車」は、戦闘用特殊車両というわけではないことは明らかですし、
「生命の木」の構造から見れば、「太陽=ティファレト」へのエネルギー運搬用貨物車
という解釈は、決して間違いではないのですが、そもそも「ケテル」と「ティファレト」
とは、「2:高等女司祭」の「小径」で繋がっているわけですので、そういう上下関係も
あって、「2:高等女司祭」の補佐役というか、パシリ役に近いものが、この「7:戦車」に
あるのではないかと思っているのでした。
0612名無しさん@占い修業中垢版2021/02/13(土) 06:12:33.80ID:vejMGDJu
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 214) ---
In Waite's card this Chariot is a stone cube referring to the physical Universe,
as well as to the Cube of Space, which Gareth Knight has called a construct within
Tiphareth.
ウェイト版のカードにおいては、この「戦車」は、ガレス・ナイト氏が「ティファレト」
内の構成概念と呼んだことのある「宇宙の立方体」であるだけでなく、物質的な「宇宙」
を参照する石の立方体でもある。

This idea is amplified by Case's suggestion that while the Throne is Kether, the
place of the Throne is Tiphareth. (*208)
この考え方は、「王座」が「ケテル」であるのに対し、「王座」の場所は「ティファレト」
であるというケース氏の提案により拡充される。 (*208)
--- ここまで ---

ちなみに、(*208)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
208. Case, Tarot Interpretation, 7.
208. ケース著、『タロットの解釈』、7ページ。
--- ここまで ---
とあります。

レヴィ氏の「戦車」のデザインから、ウェイト氏が明示的に改変したネタの一つが、この
「立方体の戦車」であり、従来の「7:戦車」が、一応「戦車」っぽい形であったのに対し、
ウェイト版においては、もはや「戦車」の形にこだわっていないということです。
じゃあ、ウェイト版の「戦車」は何なのかと言うと、これは「立方体祭壇」に他ならない
わけで、「立方体祭壇」という、秘義的なアイコンを提示することで、この「7:戦車」が、
下々の世界での物理的な争いのための「戦争の道具」ではなく、上位の「神」との合一を
目指す「神秘的祭儀」の場であるということを表しているわけです。
つまり、この御者は「祭司」であり、そして「魔術師」でもあるわけで、そういう意味では、
この人物は「至高神」的な存在ではなく、もう少し下位の存在であることを示しています。
0614名無しさん@占い修業中垢版2021/02/14(日) 06:31:12.89ID:ESiRxQ3b
>>613
こちらは関西ですので、揺れに気が付きませんでした。(^^;;

一部地域では非常事態宣言も出てますし、まだまだ寒い時期でもあるので、
皆さんも、お体だけは、お大事に。
(生きていれば、そのうち何とかなるさという単純思考回路の持ち主w)
0615名無しさん@占い修業中垢版2021/02/14(日) 06:38:24.74ID:ESiRxQ3b
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 214) ---
But another complexity must be introduced.
しかし、もう一つの複雑なものが、紹介されなければならない。

Despite the fact that THE CHARIOT is related to the Sun, it is guided by the Moon!
「戦車」は「太陽」に関連するという事実にもかかわらず、それは「月」により支配される!

And, from the standpoint of the Tree of Life, and of the earliest Greek mythology,
the Sun is subordinate to the Moon.
そして、「生命の木」と、最も初期の「ギリシア神話」の観点からは、「太陽は月より下位
にある」。

The Chariot follows this order, for it is the sign Cancer, ruled by the Moon (and
in which Jupiter is exalted).
「戦車」は、この順序に従い、それが「巨蟹宮」であるため、「月」により支配される
(そして、そこでは「木星」は高揚される)。
--- ここまで ---

「生命の木」は、「大アルカナ」の配属では、「月=2:高等女司祭」>「太陽=19:太陽」
ではありますが、「セフィロト」の観点からは、「太陽=ティファレト」>「月=イェソド」
であり、一概には「太陽は月より下位にある」とは言えません。
また、「最も初期のギリシア神話」についても、「太陽は月より下位にある」という、
確たる証拠もありませんので、何とも言えません。

とはいえ、我々のようなヲタクにとって、どちらが好み、いやいや神秘的かと言われれば、
間違いなく「兄属性」である「太陽」よりも、「妹属性」である「月」の方が、ダントツ
に人気が高いのは確かだと思います。
つまり、この「7:戦車」には、そういう究極の「妹属性」が込められているということで
あり、そこで男性的(兄的)象徴である「木星」が高揚されるのも、人気ジャンル向けと
しては、まあ当然の流れではないかと思うのでした。(脱線承知のネタ振りww)
0616名無しさん@占い修業中垢版2021/02/15(月) 06:16:42.36ID:su16p819
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 214) ---
On the Tree of Life the Path leading from Tiphareth to Kether is the cardinal Path
of the Moon and of Water, THE HIGH PRIESTESS.
「生命の木」の上では、「ティファレト」から「ケテル」へと導く「小径」は、「月」と
「水」の極めて重要な「小径」である、「高等女司祭」である。

What takes precedence here is the Water (Pure consciousness) that the Moon represents.
ここで優先されるものは、「月」が表す「水」(「純粋」なる意識)である。

It may also be mentioned that in the symbolic pantheon of metals, silver at one
time also took precedence over gold.
金属たちの象徴的な万神殿においては、かつては、銀が金よりも優先されていたことに
ついても、また言及されるかもしれない。
--- ここまで ---

古代ギリシア時代の通貨制度は、鉱物資源上の理由で、「金」ではなく「銀本位制」と
なっており、それゆえ、「銀」の方が色々と生活上は便利であったということであって、
神秘的な意味で「銀」が「金」に優先したということでは無いと思います。
ただ、神秘さというか不可解さという点では「女性=月」の結びつきは鉄板ですので、
その点において、「女性=月」が「男性=太陽」に優るということではないかと思います。

ちなみに、「深淵」を渡る五本の「小径」ですが、ワタシの感覚では、「2:高等女司祭」が
絶対権力者である母、「4:皇帝」が兄、「5:法王」が弟、「6:恋人たち」が姉、そして
「7:戦車」が妹という感覚があって、そういう序列的に見て最下位のパシリ役というか、
「小聖母」的な意味が、この「巨蟹宮」の「月」にあるのかな、とか思うんですよね。
ウェイト版の「2:高等女司祭」を見てると、特にそういう感じが強くあります。

とはいえ、下界の我々にとっては、そういう下っ端のパシリ役であるからこそ、あわよくば
接触できる機会もあるわけですので、もしそういうラッキーチャンスがあれば、色々な経験
をしてみてください。(レベルの低いワタシには、その手の出会いは絶対無理ですがww)
0617名無しさん@占い修業中垢版2021/02/16(火) 06:03:51.58ID:Fc6g6Dc5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 215) ---
It was not until the period of Greek history when the Apollo myth began to take
over from that of Helios as the Sun God, even coming to be represented as driving
the Chariot of the Sun across the sky each day, that the Sun began to be considered
of greater importance than the Moon. (*209)
「アポロ神」の神話が、「太陽神」としての「ヘリオス神」のそれから引き取られ始め、
毎日空を横切って「太陽の戦車」を駆るものとして表されるようにさえなった時のギリシア
の歴史の時期になって初めて、「太陽」は「月」よりも大きな重要性を持つものと考えられ
始めた。 (*209)
--- ここまで ---

ちなみに、(*209)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 275) ---
209. Robert Graves, The Greek Myths, New York, 1957, 156: "The Sun's subordination
to the Moon, until Apollo usurped Helios' place and made an intellectual deity of
him, is a remarkable feature of early Greek myth."
209. ロバート・グレーヴス著、『ギリシア神話』、ニューヨーク、1957年、156ページ:
「『アポロ』が『ヘリオス』の地位を奪い、そして彼の知的な神性を作るまでは、『太陽』
の『月』への従属は、初期の『ギリシア神話』の注目すべき特徴である。」
--- ここまで ---
とあります。

古代ギリシアの時代は、「太陽=ヘリオス神」と「月=セレーネ女神」という、専業的かつ
惑星マニア向けの人気でしかなかったのですが、その後、宗教業界的な理由で、総合
百貨店的な「アポロ&アルテミス神」に、「太陽」と「月」の営業権を譲渡しています。

つまり、「アポロ神=究極男性神=太陽の申し子」と「アルテミス神=究極女性神=月の
申し子」という素人受けする構図で、人々の人気と金を集めることに成功するわけですが、
「太陽」と「月」の優劣は、人気度だけで測られるものではありませんし、ジェンダーフリー
の観点らも、あまり深入りしない方が良いかと思うのでした。
0618名無しさん@占い修業中垢版2021/02/17(水) 05:57:52.70ID:LMiMo2Sf
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 215) ---
All of these symbols are, of course, deeply involved with the history of religions
and with anthropology, which assigns occasionally contradictory meanings to a
given symbol.
これらの象徴たちの全ては、もちろん、宗教たちの歴史、そして人類学に深く関係して
おり、ある与えられた象徴に対して、時々矛盾した意味たちを割り当てる。

The corrective is that the Tarot Keys represent truly universal archetypes, truths
which remain immutable despite the limitations of the attempts to describe them.
矯正手段は、「タロットの鍵たち(大アルカナ)」は、真に普遍的な元型たちであり、
それらを説明しようとする試みたちの限界にもかかわらず不変であり続ける真理たちを
表す、ということである。
--- ここまで ---

まあ、人間の見方や考え方は、その人の時代や地位などの様々な要因で、まさに人それぞれ
であり、「太陽」や「月」、「男」と「女」などの、典型的な対立概念の象徴の優劣などと
いうものを決めつけるのは、上位世界においては、全くもって不毛な所業です。

つまり、「7:戦車」は、「太陽の戦車」であっても「月の戦車」であっても良いし、
「男性の御者」であっても「女性の御者」であっても良いわけであって、そういう意味
での、「二本角の兜」であり、「二輪の戦車」であり、「白馬と黒馬の二頭曳き」である
わけです。
とはいえ、そういう「普遍性」とか「不変性」というものは、我々から見れば、変化が
見えないので、「気づきにくい」とか「見えにくい」とか「意識しにくい」ということに
なるわけで、それゆえ普通の人には、全く理解できないシロモノでもあるわけですよね。

というわけで、我々にはわけがわからないというグダグダな結論で、この「7:戦車」を
締めたいと思います。
まあ、分からなければ分からないなりに妄想が捗りますので、ワタシとしては好都合でも
ありますし、まあ、そういうことなんですよね。←うやむやにして、やり過ごすww
0619名無しさん@占い修業中垢版2021/02/18(木) 05:52:33.95ID:kLR1MmQU
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 215) ---
17. THE PATH OF ZAIN,
17. 「ザイン」の小径

The Lovers
恋人たち

The Sixth Key
6番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは、「ザインの小径」です。

この「小径」のカードタイトルは、「恋人たち」という、世間受けの非常に良いというか、
いわゆる「ラッキーカード」と見なされていると思うのですが、カバラ的解釈によれば、
いつものように、わけのわからない妄想を垂れ流すだけの、よくわからないものになって
しまっています。
まあ、「生命の木」において、「深淵」を渡る上位の「小径」は、その下半身しか我々には
認識できませんので、いわゆる「頭隠して尻隠さず」という、どうしても下半身ネタにしか
ならないという難点があるわけなので、そうなることは避けられないんですよね。

とはいえ、上半身を見たいかと言われると、「見たら目が潰れてマジで死ぬで!」と、
今まで何度も脅されていますし、そもそも下半身ネタだけでも充分お腹いっぱいという
感じですので、ビビリなワタシは、そこまで無理して近づきたくは無いなという感じです。

まあ、そういうヤル気の無い状態で申し訳ないのですが、惰性と劣情のおもむくままに、
まったりと妄想を楽しんでいこうと思いますので、皆さんも肩の力だけでなく、全身の力を
ゆる〜く抜いて、お付き合いくださいませ。(緊張感まるで無しww)
0620名無しさん@占い修業中垢版2021/02/19(金) 05:51:53.96ID:dsqNMd38
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 215) ---
□ PATH COLOR: Orange
□ 「小径の色」:「オレンジ色」

□ RELATED SOUND: D-Natural
□ 「関連した音」:「Dのナチュラル」

□ SIGN: Gemini (Mutable Air)
□ 「宮」:「双児宮(柔軟宮の空気)」

□ MEANING: Sword or Armor
□ 「意味」:「剣」または「鎧」

□ SIMPLE LETTER: Smell
□ 「単字」:「嗅覚」

□ ESOTERIC TITLE: The Children of the Voice; The Oracle of the Mighty Gods
□ 「秘伝的な称号」:「声の子供たち;強力なる神々の神託」
--- ここまで ---

上記の「ESOTERIC TITLE/秘伝的な称号」の「The Children of the Voice/声の子供たち」
の部分は、『"T"の書』の原文では「The Children of the Voice Divine/神聖なる声の
子供たち」となっていますので、誤植ではないかと思われます。

さて、この本の、この文章の右側には、「剣」と、ヘブライ文字の「ザイン」と、「双児宮
(そうじきゅう、ふたご座)」の占星術記号、および「生命の木」における「ザインの小径」
の位置が図示された絵が描かれています。
その下には、四枚のカード(ゴールデン・ドーン版、トート版、ウェイト版、マルセイユ版)
の挿絵があるのですが、それぞれが全く異なるモチーフで描かれており、この「小径」の
解釈が、まさに「人それぞれである」ことを物語っているということになるわけですよね。
0621名無しさん@占い修業中垢版2021/02/20(土) 06:10:16.19ID:g5NtEY+Y
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 215) ---
THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM: The Seventeenth Path is the Disposing Intelligence,
which provides Faith to the Righteous, and they are clothed with the Holy Spirit
by it, and it is called the Foundation of Excellence in the state of higher things.
「知恵の32の小径たち」:「17番目の小径」は「処理する知性」であり、それは「義人」に
「信仰」をもたらし、そして彼らは、それにより「聖霊」の衣で覆われ、そしてそれは、
より高いものたちの状態にある「卓越の基礎」と呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用で、いつものように微妙に異なっていますが、いつものようにスルーします。

さて、この「ザイン/剣または鎧」の「17番目の小径」は、「Disposing Intelligence/
処理する知性」ということですが、イメージ的には、悪いしがらみを「Disposing/切り
捨てる」ような感じもありますので、これが、ゴールデン・ドーン版「6:恋人たち」の
モチーフになっているものと思われます。
ちなみに、マルセイユ版「6:恋人たち」も、一方を選択し、他方を排除する感じですので、
そういう路線に近いのかな、と思います。

「生命の木」的に見ると、上位世界の「ビナー」から、「深淵」を渡って下位世界の
「ティファレト」へと至る「小径」であり、その守備要員としての「ザイン」、すなわち
「エデンの園の東」にある「ケルビム(鎧)」と「炎の剣」であるという見方も出来る
わけで、ウェイト版やトート版は、そういう「エデンの園の東」のストーリーを描いて
いるのかもしれません。
とはいえ、トート版は、いつものように妄想象徴テンコ盛りで、何でもありの無敵状態
ですので、ちょっとついていけない感じもあります。

ということで、マルセイユ版をベースに、ゴールデン・ドーン版、ウェイト版、トート版
という、それぞれ異なる進化形態を、のんびりと眺めていくことにしましょう。
0622名無しさん@占い修業中垢版2021/02/21(日) 06:51:06.40ID:LupktMc7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 216) ---
The Path of Zain, THE LOVERS, between Binah and Tiphareth, connects the pure
consciousness from which form emerged with the central point of all manifestation,
a complexity which can barely be suggested by the image on a Tarot card.
「ビナー」と「ティファレト」の間の、「恋人たち」である「ザインの小径」は、形が
現れたところである純粋な意識を、タロットカード上の画像により、かろうじて示唆され
ることができる複雑さで、全ての顕在化の中心点と結び付ける。

It is perhaps for this reason that the design of the card has changed over the
centuries.
カードの図案が何世紀にもわたって変更され続けているのは、おそらくこの理由による。
--- ここまで ---

「生命の木」と「小径」の対応ですが、「7:戦車」「6:恋人たち」「5:法王」「4:皇帝」の
「小径」は、対応規則が他と異なっていることに気になっている人も多いと思います。

元々、「生命の木」と「小径」の対応自体が、かなり曖昧なので、はっきりとした原因は
わからないのですが、「ケテル」−「ケセド」、「ケテル」−「ゲブラー」の「小径」が
無いことから推察すると、「至高の三角形」からは、「ケセド」や「ゲブラー」よりも、
「劣化ケテル」である「ティファレト」が優先するという暗黙の規則があるようです。

それ以外にも、「8:力」と「11:正義」の入れ替えとか、「14:節制」と「15:悪魔」など
の関係とかもありますし、特に「7:戦車」や「6:恋人たち」の関係については、デザイン
の改変が著しいことを考えると、より複雑な事情になっている感じはあります。
とはいえ、そもそも「タロットカード」が「生命の木」に対応するという設定自体が後付け
のものですし、無理矢理な原作レイプに近い状態での対応関係を考えると、この程度の改変
や違和感は、いまさら取り立てて言うほどのものでも無いという感じもありますよね。

まあ、そういう複雑な裏事情がありそうなのですが、浅学のワタシとしては、あまり深掘り
せずに、うわべだけの話を進めていきたいと思うのでした。
0623名無しさん@占い修業中垢版2021/02/22(月) 06:11:10.43ID:31pSOlf5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 216) ---
In most of the earliest versions, such as the Marseilles Tarot, it was called The
Lover (singular) and showed a man between two women, above whom was a cupid with
a posed arrow.
「マルセイユ版タロット」のような、最も初期の版たちのほとんどにおいては、それは
「恋人」(単数形)と呼ばれ、二人の女たちの間に男がいて、その人たちの上に、矢を
構えたクピドがあった。

Presumably this single lover made no sense to later Tarot artists, and in the
eighteenth century the card began to appear with two "Lovers" and a uniting
figure of some sort.
おそらく、この独身の恋人は、もっと後のタロットの芸術家たちには意味がなく、18世紀
には、カードは二人の「恋人たち」と、ある種の一体化させる人物像と共に現れ始めた。
--- ここまで ---

マルセイユ版の「6:恋人」は、二人のタイプの異なる女性から結婚の選択を迫られる男と
いう、一種のハーレム系の構図となっていて、レヴィ氏はこれを「悪徳と美徳の間に挟ま
れた男」というように解釈しています。

その一方で、18世紀になって、クール・ド・ジェブラン氏が『原始の世界』(1781年)で、
「6:結婚」のタイトルで、左:「女性」、中:「男性」、右:「神官」、上:「クピド」
の並びで描いており、また、エッティラ氏が『エッティラ版タロット』(1789年)で、
「13:結婚」のタイトルで、左:「女性」、中:「神官」、右:「男性」の並びで描いて
おり、その構図は、ウェイト版と同じになっています。
その一方で、トート版では、左:「王」、中:「神官」、右:「女王」、上:「クピド」
と、従来とは左右が逆になっています。

ちなみに、14世紀頃の最初期のタロットでは、複数の男女カップルと「クピド」が描かれた
ものもありますので、「6:恋人たち」は、色々な人々が、それぞれ微妙に異なる解釈で、
割と自由にデザインしている傾向があるようです。
0624名無しさん@占い修業中垢版2021/02/23(火) 07:16:08.31ID:jd4APyfx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 216) ---
Yet the early concept of The Lover is very profound, for this card does not represent
the mundane love of two persons.
それにもかかわらず、このカードは、二人の人間たちの世俗的な愛を表していないので、
「恋人」の初期の概念は非常に深遠である。

It is, rather, the dualities of a single individual, wilfully united in pursuit
of Divine Love.
それは、むしろ、「神の愛」を追求するために、意図的に一体化させた、一人の個人の
二重性たちである。
--- ここまで ---

前レスの誤記訂正です。m(_ _)m
「ちなみに、14世紀頃の最初期のタロット」→「ちなみに、15世紀頃の最初期のタロット」

ちなみに、この「15世紀頃の最初期のタロット」というのは、ルネサンス期のイタリアで
作成された、ヴィスコンティ・スフォルツァ版と総称される、タロットの元祖たちです。
これらは、マルセイユ版のような商業印刷物ではなく、芸術的なフルカラーの手描きで、
カードタイトルが無いのが特徴ですが、もしタイトルを付けるとするならば、世俗的な
「結婚」とか「恋人たち」と付けても良いような感じのデザインとなっています。
要するに、「恋人」というタイトルは、マルセイユ版で出てきた特徴でもあるわけで、
元々は、「結婚」とか「恋人たち」を意味するものであったと推定できます。

とはいえ、そういう世俗的な恋愛事情は、世俗的リア充を否定し、ヲタク的な「神の愛」
を尊ぶ「カバラ主義」の導入により一変します。

結局のところ、そういう「意識高い系」の犠牲となって、全面的な魔改造を受けたものが、
この「6:恋人たち」であり、そういうヲタク趣味がテンコ盛りとなって、作者自身も、
何だかよくわからないものになっているのが、近代の(特にトート版の)「6:恋人たち」
であるということなんですよね。
0625名無しさん@占い修業中垢版2021/02/24(水) 05:53:55.01ID:AkIkG7l3
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 216) ---
Crowley's point that the card should really be called "The Brothers" is well taken.
カードは、本当は「兄弟たち」と呼ばれるべきであるというクロウリー氏の主張は、よく
理解されている。

In fact, the Key's true meaning is imbedded in its sign of the Zodiac, Gemini,
The Twins.
実のところ、「鍵(大アルカナ)」の真の意味は、その「黄道十二宮」の宮である、
「双児宮」、「ふたご座」の中に埋め込まれている。
--- ここまで ---

確かにクロウリー氏は、『トートの書』で、「6:恋人たち」のタイトルを「THE LOVERS OR:
(THE BROTHERS)/恋人たち、もしくは:(兄弟たち)」と書いており、そして本文中でも
『旧約聖書:創世記』の「カイン」と「アベル」の兄弟の話を出しています。
ちなみに、『トートの書』においては、「カイン」と「アベル」は、実の兄弟ではなく、
「弟:アベル」は「父:アダム」と「母:イヴ」の子であったのに対し、「兄:カイン」
は「父:蛇」と「母:イヴ」の不倫の子であるとされています。
これは、ギリシア神話にある「双児宮」の元となった双子の兄弟である「カストル」と
「ポルックス」が、「兄:カストル」が人の子(父:スパルタ王テュンダレオース、母:
スパルタ王妃レダ)であったのに対し、「弟:ポルックス」は不倫の神の子(父:ゼウス神、
母:スパルタ王妃レダ)であったということの、類似案件となっています。

とはいえ、クロウリー氏の「6:恋人たち」が「兄弟」であるという主張は、投げっぱなし
のネタとなっていて、トート版カードに実際に描かれているのは、「4:皇帝」の冠をかぶり
「聖槍」を持った「黒い王」と、「3:女帝」の冠をかぶり「聖杯」を持った「白い女王」
ですし、その後の無駄に長い説明文を見ても、どちらかというと「恋人たち」や「兄弟」
よりも、昔からある「結婚」というタイトルの方がふさわしいように思えます。

まあ、クロウリー氏も、この「6:恋人たち」の解釈には、色々と迷いがあるというか、
よく分からないまま、色々と試行錯誤しているような感じはありますよね。
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