道徳を語ると長くなるのでここではしませんが、基本的に儒教、儒家と呼ぶ人々は人間の
有るべき姿、リーダー論や社会の有るべき姿に関心があるのであって「神」ではありません。

はるか古い時代の古代中国では動物の骨を使い、卜占を多数執り行った形跡があり、遺跡
から発掘されています。
これらの結果生み出されたのが中国では最終的に64項目に分類された一冊の書物となるのです。
決して宗教や神ではないのです。
中国の皇帝は神格化された宗教の崇拝対象ではありませんし今の中国もまた宗教に対しては
否定的です。中国は実は欧米の合理主義に近いのです。これは日本とは実は対照的です。

日本では卜占をする行為はその後の神道や陰陽師や古墳時代の卑弥呼に見られるように典型的な
シャーマニズム社会を反映したものとなり、その行為自体が宗教となって見えてしまうのです。
中国の暦の技法も日本に輸入され、当初は観測・測量技法であったものが、その後は民間信仰的
陰陽師となってしまいます。
卜占の結果が、最終的な結果が日本では決して64項目の書とはならない。この違いは判りますか?

ですから>>77さんの易経を神とみる見方やその存在を神と見る意見がキリスト教的神を持ち出している
とはいえ、典型的日本のシャーマニズムだと書いているのです。
易経はそのような宗教ではないし、シャーマニズムではないのです(始まりは卜占のようなシャーマニズム
のような御神託であったかもしれないが、最後の最終形は違うのだという事です)。

それと「外部」と呼ぶ独自解釈の用語は止めたほうが良い。心理学的意味はこの言葉表現にはないので。