自分語り申し訳ないが聞いてくれ。吐き出してスッキリしたい。幼少期に似たような経験をしていてな

うちは父親が転勤族だったので、引っ越しには慣れっ子だったんだけど、引っ越しはいつも春休みとか「計画された」引っ越しだった

さらには、引っ越しの度に家族が増る予定があったりして、前より大きい家に引っ越すのが常だったので、父親の転勤が、ある意味楽しみでもあった

が、最後の引っ越しだけは違った。1学期の途中、梅雨の陰鬱な時期に引っ越した。5人だった家族は4人に減り、2LDKだった賃貸は1DKに変わった。何より、当時としては珍しいウォシュレットが共同のボットンに変わったのが辛かった

俺は父親に捨てられた母親を恨んだが、母親と自分らを捨てた父親を殊更に憎んだ。しかし、憎めば憎むほど、そんな両親から生まれてきた自分の中の存在価値がなくなってしまう

葛藤は今でも続いていて、あのとき○したいほどに憎んだ父親と同じ事をしているのではないか、とか、今の自分と父親を重ね合わせて、あのとき別居を決意した母親が間違えていたのではなかろうか、とか

でも、そんな「些細」なことは親の都合だろ?これを子供に意識させちゃったら、父親としてどうなんだろう?各々、自分の力で考えてほしい、というのが俺の願いです。

自分で考え至った結論でなければ、他人に押し付けられた結論だとしたら、表面上納得したふりはできても、心の底から納得することはできないからね

俺も聖人君子ではないので、自分の気持ちに嘘をつきながら、したたかに生きてるよ。