やりたくないことからは逃れたいので引きこもり、ニート化が始まり、どんどん進む
ニートの期間中は親から、社会から、ネットからでさえ批判の声(声にしてなくても)を敏感に感じとり、自己防衛本能が働き、まずは無難に社会批判をするようになる
しかしいくら社会批判をしたところで何かが劇的に変わるわけではないとそのうち気付き、生きてる限り絶望しかなさそうだなと思い始める
生きてて面白くないから自殺も考え始めるが痛いのはイヤなので保留とする
この辺で、産まれてこなければ自殺を考えるまで追い詰められる事にはなってないじゃないか! と産まれてきた事に怒りを感じ始める
一般的には反社会的な考え方であることは承知だが、俺他、一定の人たちにとっては合理性のある考え方としか思うことができないようになる
自分が産まれたことを憎むが、それはどうにもならないので産まないよう呼び掛けることで未来の被害者を減らそうと思うようになる
俺らが何もしなければ、これからも出産という行為が続く限り、一定数(僅か1%程度かも知らんが)俺らみたいな子供も出生されるのだろう
それは自分等の苦しみを味わった経験のある側からすれば見過ごしたくない
ま、見過ごしたくないという気持ちからだけではないかも知れんが、とにかく産まなければ子供には幸福もないが、確実に不幸がない

産まれてこない方がよかった、と気づくことができる境地まで行ける人は、苦労や年齢を重ねた人でないとナカナカ難しい
子作りを考え始めた人たちには、とにかく1回自分の半生をよく振り返って、子供を設けるかどうかを選択して欲しい

ま、自分の考え方の変遷を、ちょいとアレンジしながら書いたが、何十年もの間に起こったことを数十行で書ける訳はないし、思い出せないことも多いし、で「抜け」はたくさんあるだろう