【東日本大震災】地震きた時何してた?【M9.0】
東日本大震災はリーマンの常識を根底からひっくり返したよね。
リュックにスニーカー出勤。震災前は非常識呼ばわりされていたのに今では当たり前になった。 仙台空港近辺にいたけど、空港道路が両側渋滞してて、空港方面に行く
奴ら大丈夫なのかこれとか思ってた。
家戻って片付けしようと思ったら、近くの川覗いたら逆流してきたから逃げた。
尚、その頃友達がその川に流されてました。助かったけど。 嫁とセックスしていた
イッテ中出し終わったら、でかい揺れがきた
外に飛び出す訳にもいかず、抱き合って揺れが治まるまで待っていた 俺はたまたま年休取って会社休んでいた
妻の買い物を手伝ってから帰宅し、妻とソファーでテレビを見ていた
妻の芳香にむらむらして、おっぱい、太腿を触りながら見ていた
妻も、俺のちんぽ撫でて来た
俺「なぁ、ベッドでしようよ?」
妻「うん、私もしたい」
妻をお姫様だっこでベッドまで運び、ベッドに降ろしたら揺れを感じた
妻「地震よ!地震よ!」と抱き付いて来た
もう、セックスどころではなくなり、抱き合って治まるのを待った 都心住みだけど、クロネコヤマトの人が「地震くらいで仕事止めてらんねーよ」と
言わんばかりに普通に仕事してたのが印象的だった。 家でミヤネ屋見てた。
宮根の「え?東京で地震?」って一言の後にあの大きな揺れが来た。
部屋の中はメチャクチャ。 すごいスレだな。しかも気団に。
せっかくなのでちょっとかかせてもらいます。
当方空自で、当時は東北住みとだけ。
松島を離陸予定の訓練機にレーダー助言をするため待ち受け中に揺れ始めたました。
離陸予定まであと数分だったので、ひょっとしたらワンチャン上がってくるかも、上がってこい!と思っていたけど、結局誰も離陸してこなかった。
後から松島のニュース映像をみて、そりゃ上がれないかと思った。
ついでにこの頃、嫁は日本海側住む義母の世話のために帰省中で被害なし。
私は基地の中にいればどうにかなるから、嫁には当分そっちにいろと言っておいた。
数日後、災害派遣に参加が決まったことを嫁に伝えた。
そしたら当時給油お一人様10リットルまでとかいう制約の中、何度も入り直して車を満タンにしてうちに帰ってきたよ。
ほんでまぁ、愛を交わして心置きなく行ってこれました。(気団板っぽくなったかな) 鉄道模型店のMODELS IMON(モデルスイモン)を経営する代表の井門義博氏は、東日本大震災で起きたお台場のビル火災を背景にして記念撮影をしてみたり、寿司店で津波で流される人々や家屋の映像を楽しみつつビールや寿司を味わっていた。
後日、井門義博氏は、東日本大震災について「震災津波迫力満点」と彼独自の視点で語り嘲笑った。 東名の海老名サービスエリア(上り)で寝てました。トラックが凄い揺れだしたのでトラックの運転手仲間がイタズラしているのだろうとカーテンを開けると大きな証明が大きく揺れているのが見えて…寝ぼけていたけど積地が横浜町田で降りる所だったので急いで行ったの覚えてる。19時頃に出発して東名は使えなかったので御殿場から中央道に抜けて大阪に普段と変わらない時間に到着出来たけど都内以北の他のトラックは全然到着していなかったな。道中に嫁と電話出来て安心した。