>>33
以前>>2>>7>>9を書き込んだ者です。
今、俺は再婚後17年になり、3人の子持ちなんですがよく子供達に話すことに
「いただきます、は命を喰らい生きている感謝の言葉、お前達は俺と嫁の命
を食んで成長している(要旨)」というものがあります。

昔、元嫁となし崩しに結婚した当時、俺も「過去は過去」と考え、その事実を
軽視して結果、数年がかりの調停を経ての離婚となりました。
その頃の経験と痛みの記憶から今、云えることは「過去も当人を形成する大要素
であり、貞操という人間の本能に根ざした価値観の相違は決して埋められない」
「過去を安易に口にし、しかも一生の伴侶に(誇らしげに)語る人間は未来に渡り
同じ過ちを繰り返す」
等々です。
俺が元嫁との関係で苦しんでいる日々のあるとき、母親に言われた言葉が俺の中で
の指標になりました。
「人間が人間(の価値観)を変えようだなんておこがましい考えだ」
「同情(依存)と愛情を混同するな」
今、俺には高校生から小学生の3人の子供が居ますが、そもそも人間の生育環境や
幼少時から培われた価値観・倫理観は、結婚したり後付けの経験によって容易に
変動はしないと思います。
「そういう人間」には相応の人生があり、それを己の本能を押し殺し、自分の人生
を費やしてまで賭ける価値があるのか否か・・・分水嶺を定めるのは自分しかあり
ません。
自分の人生を誇れるものと感じられない・・日々を楽しめない、未来を描けない・・
その背景に伴侶の存在があると思うなら、自分の人生の全てを損なってでも大切に
したい人間だと思えないのなら・・・
捨てることの喪失感より、そこから開ける未来が明るくなるのなら・・