>この日の朝も福岡県大野城市の宿舎で稽古をしていた。師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)は
「普通に稽古をしていた。ふろにも入って、ちゃんこを食べる前に『アァ…』と。ぎっくり腰です」と状況を説明。
それでも高安の出場への意欲は強く「ストレッチして、土俵入りギリギリまで病院へ治療に行かせた」と場所へ向かわせた。

付け人の肩を借りて土俵入りに向かうほどの痛みを抱えていたが、支度部屋に戻ってからは大銀杏(おおいちょう)を整え直し、
ふろに入って出番に備えようとした。だが、我慢の限界を感じた高安は部屋の行司を通じて師匠に休場の意思を伝えた。
師匠から審判部の高田川親方(元関脇安芸乃島)に連絡が入ったのは午後4時45分。幕内前半戦はすでに始まっていた。

九州場所担当部長の境川理事(元小結両国)が支度部屋で高安の状況を確認し、
「歩けないなら仕方がない。きょうは出ない」。高安も午後5時13分に右手を付け人の
肩に、左手を左脇腹にあてながら、脂汗を浮かべゆっくりと車に乗り込み病院へと
向かった。

このまま再出場しなければ大関から陥落。場所前に婚約発表した高安にとっては
あまりに残酷すぎる。ただ、割り返しをしたため9日目の休場は決まったが、
高安は9日目の出場を境川親方に訴えていた。師匠も「あしたは休みますが、
出られるなら10日目から」と再出場を視野に入れる。

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