実際に、大鵬親方(当時)は「俺の時代でさえ、此処まで星を買い向かう真似はしなかった」
と千代の富士には苦言を呈していますし、板井の師匠である故・大鳴戸親方(当時)も、
やはり名指しで千代の富士の所業を辛辣に批判していた時期がありました。
引退後、協会内の受けも芳しくなく、要職の理事に就くまで、相当期間を要していますし、
今や弟子の度重なる不祥事で自発辞任し、後発の17歳年下の貴乃花親方に追い抜かれた格好です。
更に踏み込んで言えば、千代の富士は反社会勢力暴力団組織との黒い交際疑惑、
故・元大関北天佑(前二十山親方)の実弟富士昇への行き過ぎた暴力行為、筋肉増強ステロイド剤の使用説と醜聞が絶えません。
八百長に関して言えば、強さを誇示する為のステータスとして正当化していた雰囲気さえ漂わせていました。
罪悪感を感じず、寧ろ大横綱ならではの特権という優越意識が八百長行為を増幅させていました。
又、千代の富士が大型連勝記録を築いた一場所10番前後と推定できるのは、板井の暴露本【中盆】を出典の論拠とし、
当時走り屋として奔走した板井は、完全に内情を知り得ており、千代の富士の八百長を全ての対戦で敢然と断固拒否したのは、
ガチ横綱の大乃国、旧藤島部屋勢の安芸ノ島、花乃湖、両国の僅か4名とされています。
大関北天佑と人気花形力士の寺尾はヤオとガチが半々程度と板井は自らの実体験に基づいて内幕を暴露しています。