また、田中雄二は、日本におけるBGMの歴史は
「1950年代にGHQに出入りするエージェントによって用いられた」とありますが、
朝鮮戦争の勃発は1950年6月(ちなみレッドパージもほぼ同じ時期)。
この時期のGHQは朝鮮戦争一本槍で少なくとも「GHQの誰」であったかは明記して
頂かないと、田中雄二氏による作話の可能性があります。
ちなみに松下通信工業で作業現場にBGMを導入する試みと苦労はこの論文に書かれていますが
1956年の話。GHQは日本を去った後であり、この論文にもGHQは登場しません。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jasj/63/7/63_KJ00004621130/_pdf
そして
(1)当時の多くの工場では騒音がひどく、BGMが逆効果であったこと。
(2)BGMは精密製品工場のような静かな環境でのみ有効であったこと。
(3)戦前の米国での工場BGMは「ミューザック」でも「エレベーターミュージック」でも無く 
 「インダストリアルミュージック」と呼ばれていたことが書かれています。