HCIの一番大きな国際会議が現在行われている予定で,自分も参加する予定だったが,中止になった.そこで発表される予定だった研究の一覧を見ても,どうもどれも古臭く感じてしまう.いつもなら,なるほど面白いね,となるところだけれど,そのほとんどが梯子の外された研究になっている.

「〇〇の未来」をアーティストが表現するような展覧会も言うに及ばず.おそらく去年の展覧会を見てもリアリティがまるでないモノも多い.文化は人を癒すはずなのに,大衆の側に寄り添う余裕がなくなっていく,ということも有事の際の文化芸術を守る意義なのだと思い知る.

皆が想定していた一歩先が,自然によって変化してしまうと,二歩先には大きな影響が出る.2019年の延長線で語られていたもののほとんどが古臭く感じる.それは,人と人のコミュニケーションと人と機械のコミュニケーションの分水嶺が変わったから,力点を置く場所とか根本的なコスト意識に違いが出たのだと思う.

例えば,「デジタルファブリケーションを使ってデザイナー同士がモノを触り合って対話することによって議論する」みたいなもののコミュニケーションはかなりスムーズな印象で語られてきただろう.触れるものでコミュニケーションできると触覚やジェスチャーを含めコミュニケーションの解像度はより増すし,それは「解像度の低いゴーグル」や「モーキャプを使ったリモートコラボレーションの解像度の低い身体性」よりも現場参加者のリアリティが高まっていたはずだ.

ところが,今の社会で,共通する触れるモノをこねくり回しながら近い社会的距離で対話しながら議論することのリアリティが低下し,むしろ解像度と健康のトレードオフで解像度が2の次になる現象が起こっている.

デバイスを用いたコラボレーションも,身体接触のあるインタラクションも,二歩先の未来が三歩先になってしまった感じがある.人ごみがそもそも存在しないし,VRをしているときに隣に人はいないし,他人と手を取り合ってインタラクションはとらないし,リモートコラボレーションは特殊なモノでないし,必要なのは数年後でなく今だったりして,即効性のある代替手段がそのパイを取っていくことが目に見える.

そして今まで明後日の方向の,四歩先の未来もそれはそれでデザインの展示になったりイベントで皆で議論したりという姿をとり,他の価値に変換することができたが,その展示会自体がフィジカルに行われなくなった今,デバイスやシステム研究としての四歩先は,CGで作られたモデルが動くリアリティと大差なくなってしまった.「ハードを作ったがそれを置く意味がなくなった」とき,「メッセージ」としては「CGを使ったイメージ動画」以上のものではなくなったのかもしれない.