村田さんを世に出したのはぼくで間違い無いです。最初28号に「こじき日記」の原稿が載ったんですが
とにかくホームレスをひたすら揶揄中傷、非人間扱いして、徹底的に馬鹿にした書き方だったので、ぼくが徹夜して
リライトして温かい眼差しを入れるように工夫しました。あのままぼくが手を加えなければ、あの段階で抗議団体の圧力がかかり
単行本化なんて夢のまた夢だったでしょう。ともあれ、誰も普通は見ない、持ち込み郵送原稿にぼくは全部目を
通していたので、その中で村田さんの絵のタッチに才能を感じた。だからこちらから電話して社にきてもらった
ことがデータハウスでの執筆につながっているので、「世話になっていない」は酷い言い方だと思う。あと、虫塚さんとは完全に仲直り
しています。ぼくは虫塚さんの頭の回転の速さと知識を尊敬しているので、多少、おたがいの性格の食い違いがあっても、還暦を
過ぎたぼくが、虫塚くんのことを思い遣って彼に合わせないといけない。そんな気配りも無く、喧嘩したんだから、
村田さんを責められませんよね。鴇田さんとも連絡を取り合う良好な関係です。赤須君だって一言「すみませんでした。言い過ぎました」と
謝ってくれればそれで全部水に流すのに、相変わらずのようだから、これは弁護士に任せてあります。上のほうで「いやいや園は寂しんだろう」という
コメントがありましたが、3年前に30年間の結婚生活と小六と中三の子供と別れてから、青山のように、
ともかんはえた日々が続いたし、今も息子や娘との楽しかった思い出が脳裏にいつもあって、いろんな人に
無用の喧嘩を売り恥ずかしく思っています。結婚が続いていれば、サブカルに戻ることもなく、5万冊の本を読み耽りながら
20年後くらい後に老衰で他界していたと思います。