【横浜Fマリノス】三ツ沢球技場のいいところ【横浜FC】
ゴールライン、タッチラインと観客席の間がわずかで、
選手の間近で観戦が可能。間近であるが故に試合中、
ボールが観客席に飛び込む事が多々ある。
またゴール裏の席は、試合中及び試合前のシュート練習時に強いボールが飛び込む事が多々あり、
それによる負傷や物品の破損が発生する可能性がある為、注意が必要である。
1993年、横浜フリューゲルスと横浜マリノスの本拠地になるに当たってスタンドを増築し
J1規格である約15,000人を収容できるスタジアムとなった。
1999年に旧横浜フリューゲルスのサポーター有志が中心になって設立された
横浜FCがホームとしてJ2リーグ戦を中心に使用している。
急遽JFL参加が決まった1999年(3試合)とJ1に昇格した2007年(9試合)は開催試合数が減少したが、
2008年はほぼホームゲームで使用することになっており、横浜FCサポーターの間では三ツ沢は聖地として認知されている。
また1998年に横浜国際総合競技場(日産スタジアム)が完成したのに伴い、
J1リーグ戦の開催試合数こそ減ったが、ナビスコカップや水曜開催では横浜F・マリノスのホームスタジアムとして利用されている。
但し1999年は三ツ沢でのマリノス主催試合の開催はJリーグカップを含め1試合もなかったが、
その分、1998年・2000年は横浜国際での大イベント(前者は国体、後者は2002 FIFAワールドカップ決勝戦のため)に向けた
芝生保護のため、試合数を制限し半数近くを当スタジアムで開催した。
工事は同年第1ステージ途中の5月中旬から8月初旬の3ヶ月に渡って行われ、
同年第2ステージの開幕戦に間に合わせたが、同年は空梅雨と酷暑が災いし芝生に充分な
水分が含有できなかったことも影響し、ところどころで芝生が腐ってしまい試合中も
その芝生が跳ね上がってしまうという状況となってしまった。
そこで急遽マリノス、フリューゲルスの主催試合を関東近郊での他のスタジアムでの代替開催、
あるいは他のホームスタジアムでの変則ダブルヘッダーも検討されたが、
スタジアムの調整が付かなかったことやJリーグでは変則ダブルヘッダーを認めていないこともあり、
結果的に三ツ沢での開催に落ち着いた 同年9月、問題となった芝生を剥がして福岡ドームでサッカー・ラグビーの試合を開催することを念頭に
設計されたパレット式天然芝(詳細説明はビッグエッグターフの項を参照されたい)を購入し
それを敷き詰める応急処置を施し公式戦を開催した。
その後Jリーグはアジア競技大会広島大会の開催時期でもあったため1ヶ月の中断期間があり、
その間に芝生の張替えを検討したが、結局新規の張替えではなくパレット天然芝を直接地面に根付かせる形で
養生しJリーグの再開に間に合わせた。 施設概要
照明設備:4基(鉄塔式)
スコアボード:大型映像装置(2008年より使用)
収容人員:15,400人
2008年に、それまで使用されていた4色磁気反転式スコアボード(1993年の改装時に設置)が
老朽化・保守部品の製造終了に伴い撤去された。
新しいスコアボードは2006年の初期段階の計画では電気系統の大工事を行わなくて済むように
それまでと変わらない位置(ホーム側ゴール裏席上段)に設置予定であったが、
当時の横浜FC運営担当が横浜サッカー協会に掛け合い、
その熱意によりホーム側ゴール裏席から見えるように以前とは反対のアウェイ側ゴール裏席上に設置されている。 また、その際にスタジアムをJ1規格に対応できるように様々な改修案を提出しており、
2009年10月より行われる全面改修(スタンドのベンチ席を全部個別席にするなど)も
その改修案の影響を受けている。これにより収容人員は15400人となる
>>173
最上段の通路だった所にシートを設置して、かろうじてJ1基準をクリアしたんだよね。
毎度のことだが、せめてメインスタンドに屋根を付けて欲しいな・・・と。 「サッカーを愛する人にできること」
横浜F・マリノスとNPO法人ハマトラの復興支援
http://www.hamakei.com/column/235/
東日本大震災の影響で中断していたJリーグ2011年シーズンが、4月23日に再
開する。震災以降、Jリーグ各チームは義援金活動やチャリティーマッチを催
すなど、復興支援活動に尽力している。支援活動はサッカー界の底辺まで及び、
とりわけサポーター有志たちが共同で立ち上げた「サッカーを愛する人にでき
ること」が全国的なムーブメントになっている。きっかけをつくったのは、
横浜F・マリノスのサポーター団体からなるNPO法人ハマトラだった。今回は、
震災後の彼らの活動と横浜F・マリノスの復興支援活動を振り返る。 ■「ハマトラで何かできることはないか」
3月11日、東北地方の日本海沿岸部をはじめ、各地に未曾有の被害をもたらした
東日本大震災が発生した。当日のテレビ報道で、津波が町を飲み込んでいく悲惨な
現地の惨状を知ったハマトラ代表理事の清義明さん。
そのもとに、すぐに清さんと共に同NPOの代表理事を務める佐々木隆行さんから連絡が入ったという。
このとき、すでに両氏はある共通した思いを抱いていた。
「俺たちハマトラで何かできることはないか」。
横浜F・マリノスのサポーターたちが設立したNPO法人ハマトラは、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)
「ハマトラSNS」を活用して情報の共有や登録者同士のコミュニケーションを行っている。
この「ハマトラSNS」に震災の翌日3月12日に「横浜サポーターにできること」というコミュニティーが立ち上がる。
するとコミュニティーに参加しているサポーターたちは即座に反応し、
「以下、岩手県の物資受け入れ先の情報です」「赤十字のHPにつながりません」
「東北の寒さを考えると、炊き出しがいいのでは?」「運送会社に断られ続けています。輸送手段の確保が厳しいです」など、
物資支援トピックスの掲示板には支援のための情報やアイデアが次から次へと書き込まれ、
サイト内で具体的な支援活動の方向性が固まっていく。
物資輸送の目途がついたのは3月17日。
横浜市議会議員の協力を得て、被災地に物資を送るインフラの確保に成功。
その後、集積場所が決まると、ハマトラは支援の輪を市民レベルに拡大すべく、
ソーシャルメディアやネット媒体を使い、一般市民にも呼びかけた。 そして3月20日、横浜F・マリノスのクラブハウス、マリノスタウンでの緊急援助物資収集・仕分け活動に至った。
当日は、マリノスのエースである中村俊輔選手も駆けつけ、物資支援に協力するなど、のべ270名が参加。
乾電池・紙オムツ・ウェットティッシュ・携帯充電器・生理用品・使い捨てカイロなどが、
3tトラック1台分に相当する段ボール160箱分集まる成果をあげた。
横浜F・マリノスサポーターが緊急援助物資を収集-マリノスタウンで(ヨコハマ経済新聞)
http://www.hamakei.com/headline/5955/
■サッカーを愛する人にできること
ハマトラでは、ヨコハマフットボール映画祭の開催に尽力するなど、今年に入って精力的に活動していた清義明さんは、
この未曽有の震災を受け「ハマトラだけでの復興支援活動では限界がある。多くの人と協力してやるほうがいい」と、
ハマトラSNSの「横浜サポーターにできること」をJリーグファン全体の規模にすべく、
「Jリーグサポーターに出来ること」というコミュニティーをmixiやtwitterといったネットメディア内で立ち上げた。
このチームを横断する活動は、多くのJリーグチームのサポーターからの賛同を得るまでに拡大。
さらに、女子サッカー、ブラインドサッカーといったJリーグ以外のサッカー競技団体もこの活動に賛同したことから、
「サッカーを愛する人にできること〜Football saves Japan(以下FSJ)」という支援活動宣言を表明。
わずか3日間で約6,000人の賛同が集まり、現在では多くのサッカー関係者や著名人、サポーターグループのほか、
メディアや企業など11,000人以上が賛同する規模に達している(4月19日現在)。
FSJのWEBサイトには「-様々な垣根を越えて、サッカーを愛する人という立場から、
それぞれが被災者や地域に対する支援活動を行うことを私たちは表明いたします-」というメッセージが掲載されている。
現在も賛同する個人や団体を募集している。
3月26日、このFSJはマリノスタウンでの物資集積活動の経験を生かし、第1回目の活動として
東京都文京区のJFAハウス・日本サッカーミュージアムで物資集積を行った。
会場には日本代表やFC東京、大宮アルディージャなど、
色とりどりのチームのユニフォームをまとった多くのボランティアスタッフの姿が見られた。
事前に現地の人間と連絡を取り、ニーズの高い物資を厳選。
下着・生理用品などの衛生用品・オムツ・持ち運びに適した小サイズの段ボール箱が集められた。
集まった物資は当初の予想を大幅に上回る段ボール400箱分。
翌日には清義明さんをはじめとするFSJスタッフの手によって、被災した東松島の避難所3カ所に直接届けられた。
配送用のトラックは大宮アルディージャサポーターが手配し、ドライバーもFSJのコミュニティーで協力を申し出た有志が務めた。
普段は敵と味方に分かれて戦い、ましてや顔も合わせたこともないそれぞれのサポーターたちが、
チームの垣根を越え、サッカーファミリーとして一つとなり大きな力を発揮した活動となった。
■サポーターだからこそできる人的支援
震災後のハマトラの復興支援活動は、初動からすこぶる機動的なものであった。
なぜ彼らはこれほどまでに迅速な動きを成し得たのか。
ハマトラ理事の下島野得さんは、「組織としての意識の共有が堅固であったことと、サポーターとして、
これまで知らない土地に行き、活動してきた経験が役立っています」と話す。
ハマトラがNPO法人化する以前から、清義明さんをはじめとするメンバーは、
F・マリノスのサポーター組織としてF・マリノス優勝という目標を共有してきた。
NPO法人化したあとも、彼らはファン獲得のためにチームのフラッグ掲示活動や、
街頭でのフリーペーパー配付活動といった地道な活動を続け、仲間と苦楽を共に味わってきた。
横浜F・マリノスというチームを愛するという一つのアイデンティティで結びついてきた彼らは、
今回の復興支援という一つの目標に向かって共鳴し、多大な力を発揮し得たと言える。
また、いわゆる熱心なサポーターは、ホームゲームのみならず、北は北海道、南は沖縄、果ては海外と、
チームの試合があるたびごとに所構わず応援に足を運ぶ。
たとえ見知らぬ土地であっても、現地でサポーターをまとめ、応援するという活動を幾度も繰り返してきた。
もちろん食事、交通、宿泊の手配に関しても、旅行会社顔負けの経験とノウハウが蓄積されている。
「僕たちだからできること。それは被災地での人的な支援でなくてはなりません」。
下島さんはそう言葉を継ぐ。今回のFSJの物資援助だけを見ても、
受け入れ先との調整、トラックの手配、現地での注意事項など、細心の確認作業を経て実行された。
現地での物資搬入、配付作業も各メンバーが行うなど、アウェイでの活動がそのまま有意義な人的支援に生かされたと言 「サッカーを愛する人にできること-Football saves Japan-」は4月16日と17日、
東日本大震災に伴う被災地支援活動の一環として、ボランティア遠征バスによる
復興支援活動を実施する。
Football saves Japanは、ひとつのサッカーファミリーとして、それぞれの立場や
垣根を越えたさまざまな支援活動を行っているサッカーファン・サポーター有志。
被災地支援を目的に立ち上げたmixi、facebook内のコミュニティー
「Jリーグサポーターにできること」では、4月11日時点で計7,498人の賛同者を集めている。
今回は、NPO法人ハマトラ・横浜フットボールネットワーク(横浜市中区桜木町1)が主体となり、
Jリーグサポーター連合軍が宮城県仙台市宮城野区(津波被災地/岡田地域)で復興支援活動を行う。
支援内容は、被災地域での家屋の片づけや掃除、泥だし、家財の運び出し、瓦礫(がれき)の撤去、
近所の復旧作業のお手伝いなど。 行程は両日とも同じで、深夜0時に横浜駅西口天理ビル前(西区北幸1)/
深夜1時に新宿西口スバルビル前(東京都新宿区)を出発後、8時30分に仙台市宮城野区に到着。
復興支援活動を行った後、同日16時に仙台市を出発し、22時30分に新宿西口、
23時30分に横浜西口に帰着する。
参加対象は成年男子。定員40人(先着順)。費用は4,500円(予定)。
NPO法人ハマトラ・横浜フットボールネットワークの清義明さんは
「現場で何かをして、被災地のために貢献したいと考えた末の遠征バス・ボランティアです。
4月10日には、ハマトラ主催で賛同団体による被災地へのボランティア遠征のテスト実施を行いました。
今回は、この活動を仙台市宮城野区と連携しつつ、Football saves Japanとしてさらに拡大して行います」と話す。
詳細・申込みはFootball saves Japanのホームページで。
参加対象は成年男子。定員40人(先着順)。費用は4,500円(予定)。
マリノスのマンホール登場 新横浜駅前
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110425/kng11042523510004-n1.htm
日産スタジアムまでの通りに設置される、横浜F・マリノスのキャラクター
をデザインしたマンホール
JR新横浜駅前の道路に今月、サッカーJ1、横浜F・マリノスのマスコ
ットがデザインされたマンホールが登場する。
マンホールが設置されるのは、同駅からチームのホームスタジアム「日産
スタジアム」に向かう「レンガ通り」の約300メートルの区間。今月中に
古いマンホールとの交換工事を行う。
スポーツを通じた地域活性化のため、市とマリノスの協力で実現した。市
は「こうした取り組みを通じ、活気あふれる街並みを実現していきたい」と
話している。
サッカー・J2サガン鳥栖は第8節第1日の23日午後2時から、神奈川県
のニッパツ三ツ沢球技場で横浜FCと対戦する。東日本大震災による中断の
ため、3月の開幕戦以来、1カ月半ぶりの公式戦。再開初戦の相手は、昨季
1分1敗と悔しい思いをさせられた横浜。まずは立ち上がりに集中し、試合
の流れを引き寄せることが重要だ。
サガンの元監督、岸野氏が率いる横浜。昨季のアウェーは試合序盤から失
点を重ね、退場者2人を出して0−4の大敗。ホームでは3点のリードを守
れず。後半は逆転を許したが、辛うじて引き分けに持ち込んだ。「昨年の経
験を生かすことが大切」とMF早坂。前線から激しいプレッシャーをかけて
くる横浜に、ペースをにぎられないよう注意したい。 【横浜駅〜三ツ沢公園球技場】
●横浜駅は市内の交通の核となる大きなターミナル駅。
首都圏からのアクセスなら横浜国際へ行くよりも便利。 ●JRは東海道線・横須賀線・京浜東北線の他、
湘南新宿ラインのダイヤ改正により新宿・池袋方面を往復する本数も増え、
アクセスが随分便利になった。
それでも、値段の安さを重視するならJRよりも東急東横線か。 渋谷駅からの始発電車を利用すれば、横浜まで僅か260円で行けるので、
JRで行くよりも片道100〜200円ほどトクする場合もある。
これは出発地にもよるので、自分なりにいろいろと検索してみよう。
●一方で、渋谷へ行くまでの路線や東横線への乗り換え時間・手間などが気に
なるなら、JRの方がいいかも。今回、管理人は京浜東北線のみを利用して横浜
まで向かったが、いつもは東急東横線派。
摘発された女子高生見学クラブって何?
神奈川県警は5月18日、労働基準法違反(年少者の危険有害業務の就業制限)の
疑いで、横浜市中区福富町の「横浜マンボー」経営者、丹能貴光容疑者(37)を
逮捕した。
同容疑者は容疑を認めているという。 県警によると、同店は男性客に個室のマジックミラー越しに女子高生の
下着姿(パンチラ)を見せていた疑いがあり、通称「女子高生見学クラブ」と
呼ばれていた。県警は当初、風営法や児童福祉法などの適用を検討したが、
客と女性の直接の接触がないなど同店の営業内容が風営法で規制対象とする
性的サービスに当たらず、営業に際して都道府県公安委員会への届け出義務が
ないことなどから、両法での立件はむずかしいとして断念。
18歳 未満の少年少女を、衛生面や福祉面で有害な場所で働かせることを
禁じている労基法に抵触すると判断した。 「女子高生見学クラブ」。
初めて耳にした人も多いだろう。
この種の店舗は昨年秋頃から神奈川県や東京都で増えてきたもので、
女子高生は「女の子ルーム」と呼ばれる部屋に制服姿でいるだけ。
客はマジックミラー越しに、その姿を覗くというもの。指名料を払えば、
女の子が客が希望するポーズで下着姿を見せてくれるという。 「横浜マンボー」の例を取ると、料金は30分3000円、1時間5000円で、
指名料が2000円。
女子高生の時給は850円で、指名料は店と折半されていたもよう。
中学生やなんちゃって女子高生の入店を防ぐため、
採用に当たって店側は学生証の提示を求めていた。
時給自体が特別高いわけではないが、仕事の楽さ、
自由出勤、接客の必要がない点などが魅力となり、女の子が集まったようだ。 神奈川県警は摘発逮捕へ動いたが、この種の店舗は都内にも現存する。
果たして、東京都の警視庁が今後どう対応するのか、その動向に注視したい。 旭署は19日、県迷惑行為防止条例違反(その他の卑わい行為)の疑いで、
東京都町田市、会社員(26)を現行犯逮捕した。 サッカー:J2 FC岐阜、最下位脱出ならず 横浜FCと引き分け /岐阜
FC岐阜は14日、アウェーのニッパツ三ツ沢球技場(横浜市)で、
同じ最下位で並ぶ横浜FCと対戦し、1−1で引き分けた。
成績は1勝1分け4敗、勝ち点4で最下位のまま。
FC岐阜は前半、相手より7本多い9本のシュートを放ち、リズムをつかんだ。
10分、左サイドを突破したMF染矢一樹選手のクロスをFW佐藤洸一選手が
頭で合わせて先制。しかし35分にオウンゴールで追いつかれた。
後半は一転攻め込まれる場面も目立ったが、得点を許さなかった。
次節は22日午後7時、ホームの長良川競技場で徳島ヴォルティスと対戦する。 横浜FCのホームスタジアム。たまにマリノスも使用する。
2008年3月よりネーミングライツによって「ニッパツ三ツ沢球技場」改称された。
名称に「ツ」が3つもあるので微妙に呼びづらい。
ネーミングライツ導入と同時にカラービジョンも設置された。
サッカー・ラグビー専用なので非常に見やすい。
反面、基本設計が40年以上前のスタジアムなのであちらこちらに老朽化が見られる。
名目上の収容人数は1万5千人でJ1規格を満たしているが、
実際は1万2千人も入れば座る場所はない。
メインスタンドの一部を除けば座席はベンチシートであり、
一人あたりのスペースはかなり狭い。指定席でもない限り、3
席分を2人で座る形になるだろう。
スタジアムは三ツ沢公園の中にある。
横浜駅西口から三ツ沢グランド行き又は三ツ沢グラウンド経由のバスが多く出ており
特に不自由は感じない。山の上にあるので歩いていくと行きは辛いが帰りは
それほどでもない。
また市営地下鉄三ツ沢上町駅から徒歩15分程度なので
こちらを使うほうが便利かもしれない。
私は平日ナイター開催時は地下鉄を利用している。
行きのバスだと渋滞にはまる可能性もあるのでこの辺は考慮する必要アリ。
スタジアム周辺は三ツ沢公園の入り口近くにファミリーマートが1軒あるだけで、
試合開催時は滅茶苦茶に混むので買出しは横浜駅で済ましたほうがよい
。三ツ沢上町駅周辺はコンビニも飲食店も豊富にある。
また三ツ沢公園を横浜駅方面に15分ほど歩いていくと浅間町の交差点に出る。
ここも飲食店が豊富にある。 なお、三ツ沢球技場と陸上競技場の間にレストハウスがあって、
デーゲームならば食事や飲料が手に入る。 ◆バスで行く場合
・横浜駅から市営バス7,8,11番乗り場から乗車、約15分。三ツ沢総合グラウンド下車
(バスは頻発しているので時刻を調べる必要はない) ◆電車で行く場合
・市営地下鉄三ツ沢上町駅下車徒歩15分、坂を1キロほど上がる 045-311-2016 (横浜市北部公園緑地事務所) 横浜市は10日までに、三ツ沢公園球技場(神奈川区、ニッパツ三ツ沢球技場)の
命名権(ネーミングライツ)について、スポンサーのニッパツと2011年度の契約額を
本年度よりも500万円下げ6千万円とする契約を結んだ。 契約期間は08年度から5年間で、基本契約では、年額8千万円を基本としているが、
施設の運営状況や広告効果、その他諸状況を踏まえ、
単年度ごとに協議して決めるとしている。今回は、他の球技場のネーミングライツの相場が
全体として下落していることを勘案したという。契約額は初年度が7千万円、09、10年度が6500万円だった。 横浜市神奈川区三ツ沢下町のアパート
「ガーデン山ハウス」で乳児置き去り事件です。
15日午前6時30分ごろ、排気口の上に生後
間もない全裸の男児が放置されているのを泣き声に
気づいた住民の女性が110番通報。
男の子は、へその緒がついたまま、生後数時間
しかたっていないそうですが、命の別状はないという
ことです。
神奈川県警神奈川署が、保護責任者遺棄容疑で
調べているということ。
横浜市の6時の気温は、2.3度だったそうですが・・・!? 出会い系サイトで知り合った初対面の相手から現金を盗んだサイテー男を御用だ。
京都府警五条署に10日、窃盗容疑で逮捕されたのは、横浜市神奈川区三ツ沢の無職、
松尾大輔容疑者(29)。 9日午後4時ごろ、出会い系で知り合った京都市下京区の飲食店従業員の女性(34)を
自分の乗用車に乗せ、女性が車を降りたすきに車内にあった現金30万円が入った
手さげ袋を盗んだという。女性から通報を受けた捜査員が車の特徴から京都市内で
この男を見つけた。
車内には手さげ袋はあったが現金はなく、「金は知らない」と供述しているという。 ■鉄道
横浜市営地下鉄「三ッ沢上町駅」から徒歩10〜15分
JR東海道線、横須賀線、京浜東北線、横浜市営地下鉄、京浜急行、
東急東横線「横浜駅」から徒歩25〜30分もしくは路線バス
-----
三ツ沢公園球技場は丘の上に位置しているため、横浜駅から徒歩で向かうと長い上り坂に
なっています。時間に余裕がない場合は三ッ沢上町駅まで地下鉄を利用するか、
横浜駅から路線バスを利用した方が良いと思います。 ■バス
横浜駅西口バス乗り場(6〜11番)
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横浜市営バス 34、44、50、87系統「横浜駅西口」行き
横浜市営バス 83系統「旭硝子」行き
横浜市営バス 291系統「大口駅前」行き
相鉄バス 浜1系統「小机駅」行き、「西菅田団地」行き
相鉄バス 浜5系統「交通裁判所循環 横浜駅西口」行き、「洪福寺」行き
相鉄バス 浜7系統「横浜車庫」行き
相鉄バス 浜10系統「横浜国大」行き
相鉄バス 浜11系統「上星川駅」行き、「釜台団地第3」行き
相鉄バス 浜13系統「上星川駅」行き
臨時バス「三ツ沢グラウンド」行き ※いずれのバスも「三ツ沢総合グラウンド入口」下車、徒歩2分
※運賃は大人210円、小児110円(大人同伴の場合は小児2名まで無料) ■自動車
首都高速・神奈川1号線「三ツ沢出口」から5分 横浜駅方面、首都高「三ツ沢出口」からの場合、
三ツ沢公園前の交差点付近は右折できません。
横浜乗馬倶楽部付近の駐車場、Jリーグ開催時の臨時駐車場を利用の場合、
三ツ沢公園前を左折し、公園を1週して第三京浜入口を右折してください。 横浜FC(よこはまエフシー、Yokohama F.C.)は、日本の神奈川県横浜市にホームを置く、
日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
サポーターの間では「フリエ」とも呼ばれている。 本社所在地 〒240-0045
神奈川県横浜市保土ヶ谷区川島町522-3
設立 2002年12月25日
業種 サービス業
事業内容 サッカークラブの運営
代表者 小野寺裕司
資本金 3億4,364万円
売上高 9億6,600万円 (2010年1月期) 2001年にJリーグ加盟。ホームタウンは神奈川県横浜市、ホームスタジアムは三ツ沢公園球技場。
日産スタジアム、国立霞ヶ丘競技場でも試合を開催する。
1999年、横浜フリューゲルスが横浜マリノスに吸収合併された後に、
横浜Fのサポーター達によって創設された。 事の発端は1998年10月、横浜Fが横浜マリノスに吸収合併
(事実上のクラブ消滅)されると発表された。これに反対するサポーターに選手も
加わってクラブ存続を求める署名と募金を実施したが、合併取り消しは実現せず、
天皇杯での優勝を最後に横浜Fは消滅した。 合併の手続き終了後、サポーターは「フリューゲルス」という名称の譲渡を申し入れたが、
この名称を使用するチームが必要との回答もあったため、
出資企業の経営に左右されない市民クラブを設立した。
そして、翌1999年からのJリーグ ディビジョン2(J2)への参加実現にむけ動き出した。 しかし、神奈川県の場合は新規参入チームは神奈川県社会人サッカーリーグ(3部リーグ)
からスタートするのが決まりで、フリューゲルスを継承するチームとはいえども、
横浜Fとは全く違う新設チームであるため、実績のないクラブのJ2参加は困難としてこれは
認められなかった。このままでは、1年ごとにステップアップしても、
J2参加には最速でも7年かかる事になった。 そのような中、日本サッカー協会は、特例中の特例としてJ2の下位に位置する
日本フットボールリーグ(JFL)への「準会員」資格での参加を認めた。
一時期、「Y.S.C.C.(現・横浜スポーツ&カルチャークラブ)と統合しないか?」という案が出たが、
それは白紙となった。
そして誕生したクラブは、1999年にピエール・リトバルスキーのもとJFLで1位。 2000年には日本フットボールリーグ「正会員」となり、JFLを無敗で優勝し、
2001年シーズンからJ2に昇格。
この経過が、後に日本サッカー協会が飛び級制度の新設に踏み切るきっかけともなった。 2005年6月、学校・病院給食や企業の社内食堂を展開するレオックジャパンの
関連会社・フィートエンターテイメント社が横浜FCの第3者割り当て増資を引き受けて
事実上のオーナーに就任することになった。
「現在の地域密着型チーム運営の形態を維持する」とフィート社は示している。 なお、運営法人の横浜フリエ・スポーツクラブの「フリエ(fulie)」は横浜Fの頃から
使われてきた単語である。
とくにオフィシャルショップ「フリエ元町」(既に閉店)はグッズ販売のみならず、
横浜Fサポーターの憩いの場という機能も有していた。
なお、横浜Fは傍系(別チーム扱い)であるため、
横浜F時代の記録(創設年、優勝回数、個人賞受賞回数)はカウントされない。 財政事情により専用の練習場が確保できなかったため2006年シーズンまでは港北区の
しんよこフットボールパークなど市内各地を巡回して練習していたが、
2007年からかつて横浜フリューゲルスが使用していた戸塚区の戸塚トレーニングセンターを使用している。
なお、戸塚トレーニングセンターはネーミングライツにより「横浜FC LEOCトレーニングセンター」と
改称された。
2010年7月、更なる練習環境充実を図るため、保土ヶ谷区西谷浄水場施設内に新設された練習場に
移転した(名称は戸塚トレセンから引き継いでLEOCが命名権を取得し、「LEOCトレセン」の名称を継承した)。 チーム名に愛称は設けず単に横浜FCとしている
(J加盟クラブで愛称なしの事例はFC東京に次ぐ2クラブ目)が、
いずれはフリューゲルスを名乗ると思われた。
しかし奥寺康彦は名称継承する事を否定した為、
フリューゲルス襲名希望のサポーターグループが解散した経緯がある。 その後、2005年10月に行われたサポートミーティングでは、
サポーター側から現行のチーム名で継続してほしいとの提案が出された。
これには、横浜Fサポーターが立ち上げたチームであるものの横浜Fと横浜FCは
全くチーム体質が違うことや、フリューゲルスの版権(商標権)が横浜F・マリノスにあること
(Fはフリューゲルスを指している)等が挙げられている。 横浜FCは企業の資本に頼らない純市民参加型のサッカー・スポーツクラブ作りを
目指すという観点で、クラブ運営の核となる任意組織「ソシオ・フリエスタ」を設立した。
モデルはスペイン1部リーグ(リーガ・エスパニョーラ)の強豪であるFCバルセロナとされている。
同クラブも一般市民から集めた会費を基としてサッカークラブを中心とした様々な
スポーツクラブ活動を展開してきた。
横浜FCも創設当初は市民から会員(ソシオ)を募集した。
会員は会費をクラブに納める見返りとして、希望者への年間指定席の斡旋の他、
試合会場や各種イベントでの運営アシスタント(ボランティア)への登録や
クラブ上層部との意見交換会などに出席できる権利を得ることが出来た。
この試みは日本の新しいスポーツクラブ運営のモデルとしてマスコミなどからも
注目されていた。 しかし、J2加入が確定した2001年年頭ごろから問題が表面化した。
ソシオの役員改選選挙が実施されている最中、ソシオの会員宛に突如、
運営会社・株式会社横浜フリエスポーツクラブ(横浜フリエSC)から「協約書」が送付された。
その内容は「ソシオ会員は全員運営会社と直接契約を結ぶことを求める」もので、
「本協約書にご賛同いただけず退会を希望される方には、ご返金いたします」という性急な内容だった。
ソシオとの協議で、運営会社は「ソシオの会費は当初から運営会社の運営費として
捻出されることになっていたが、理事会の承認なしに運営費を拠出できないのは責任ある
球団経営が見込めないと判断した」と主張し、これまでのソシオとの協定書を破棄することを宣言した。 結局、運営会社側はソシオに代る新しいチームの後援組織「横浜FCクラブメンバー」を
2001年9月に発表。
新社長に就任した奥寺保有の株式をソシオ会員ではなく、クラブメンバーに割り当てること、
また会員には「サッカーをする・ふれるといった体験型のイベントを充実させる」ことや
「個人情報の管理・責任をより徹底・明確にする」ことなどを提案。
名称についてもソシオの名前が係争中だったことから別の名前に変更したという。
これにはソシオ理事会側が遺憾の意を示す。 その後ソシオ側は運営会社に対し、ソシオの会費の一部(740万円相当)と会員名簿の返還を
求めるよう横浜地方裁判所に仮処分申請を行ったが、
2002年1月それは却下された。
ソシオ側は東京高等裁判所に即時抗告を行ったが、これもあくる2003年に却下された。
その趣旨は「入会事務・会員名簿の作成は運営会社から委託された業者が行い、
団体として内部的にも自立して運営されているとは認めがたいから、
ソシオは(法人格を有しない団体でも例外的に当事者能力が認められる)
民事保全法7条・民事訴訟法29条の『法人でない社団』とは認められない。
よって、当事者能力がないから、申立ては不適法である」というものだった[1]。 その間、運営会社が「ソシオの名称は運営会社側に商標登録がある。
このまま使用を続けるのなら法的な処置も辞さない」とソシオ側に通告を行い、
2003年、ソシオ側はその名称を「ソシオ・フリエスタ」から「ソシオ横浜」に変更した。
運営会社側の主要スタッフの交代も追い風となって、同年9月、
ソシオ横浜と運営会社・株式会社横浜フリエスポーツクラブは和解合意書に調印し、
2年以上に及んだ運営会社側とソシオ側の対立はこうして区切りを迎えた。
なお、ソシオ横浜は合意書を踏まえて、
ソシオ横浜として「横浜FCクラブメンバーのグループメンバー」にも加入している(2008年現在)。 横浜F・マリノスのサポーターによる統一的なサポート組織「ハマトラ」が、
4月30日神奈川県による特定非営利活動法人の認証を取得し、日本初のゴール裏
サポーターが主体となったNPO法人が誕生することになった。
これまで、サッカーサポーターによるスポーツ文化を盛り上げるためのNPO法人は
多数存在したが、ハマトラは他の多くとは一線を画す存在だ。 SNSの運営によって数千人のサポーターを組織化し、
応援活動をとりしきるだけではなく、試合告知のポスターを横浜全域に貼り続ける
活動や試合告知チラシの配布、さらにはクラブハウスのあるみなとみらい地区の地域貢献活動に関与するなど、
その活動はJリーグのサポーターの中でも異色の存在となっている。
ヨコハマは今「ハマトラ」がブーム?
http://supportista.jp/column/22 「これまでの『サポーター』概念をくつがえしたい。
クラブと地域を結ぶ架け橋となりながら、日本独自のサポーターのソシオ化が
大きなビジョン。法人化は、そのチャレンジの新しいステージです」
NPO法人ハマトラ・横浜フットボールネットワークの清義明代表理事は語る。
「サポーターというのは、自分たちの哲学の中では『消費者』ではないんですね。
能動的にサッカーを中心とする文化にかかわっていく人たちが『サポーター』なんです。
かつて、岡田武史さんは次のように語っていたことがあります。
サポーターはチームとともに闘うなかで感動を得る、ファンはお金を払って感動を買う、と。
自分たちがハマトラを通じてやってきたことは、まさにこのことです」