>>167

 首脳陣からは「9月までに5000mで14分台を出せなければ、部には残せない」と言われていた。夏に故障を起こすということは、この条件の中では致命的ともいえるものだった。

 そんな中で、中山を救ったのが当時チームで指導に携わっていた森勇基コーチの存在だった。

「ちょうどそのタイミングで、森コーチがそれまでなかった『育成チーム』を作ってくださったんです。高校時代に記録を持っていない選手たちで形成するチームで、そういう選手たち用に特別にメニューも用意してくれて、少しずつ力をつけられました」

夢にまで見た「C」のジャージを着るとき

 部に残る条件についても、森コーチの尽力が非常に大きかったと中山は振り返る。

「『あいつら頑張っているから、12月まで待ってもらえませんか』という話を監督たちにしてくれていたみたいで。それで育成チームが全員、11月に14分台のタイムを出して、なんとかチームに残れたんです。
馬鹿フータンでも分かるように抜粋しておいた。
一番最初読めるな 首脳陣からは「部 に は 残 せ な い」

これでもデタラメだと言うか?バカ
少しは事実を認めろ