市民が参加さえすれば司法が市民に信頼されるというものではない。
市民は無実の人に有罪の判断を下してしまう事もある。確かな判断の手立ても
考えなければならないし、この制度の下で被告人がきちんと自分を守れるか
どうかも考える必要がある。
裁判員の負担を軽くするために早く結論を出すというのも、裁判員が参加
する前に審理の進め方を決めてしまうのも重大なことだ。
死刑まで言い渡すことのある手続きに市民を参加させるというのは、途方も
なく重い責任を市民に負わせるということだ。わが憲法で出来ることなのか
どうかも実ははっきりしない。
国民の納得を獲得することが何をおいても大切なことだ。裁判の公開という
憲法上の原則に触れないか、裁判報道や裁判批判を封殺しないか、さまざま
な角度から検討すべきことが山ほどある。
いい加減な法律を作ると災いを後世に残す。意見書はそう言っている。
(裁判員制度はいらないから抜粋)