>>416
裁判官の職権行使の独立(憲法76条3項)については、他の国家機関や裁判所内部の上位者からの独立を
定めたものと考えられて来ました。前者については浦和事件、後者については戦前では大津事件、戦後では
平賀書簡事件が有名です。一方、この規定が裁判の合議体内部をどのように規律しているかという問題が
深く議論されたことは余りなかったといってよいと思います。裁判員制度以前では、合議体が裁判官のみで
構成されていたため、問題となる余地が余りなかったのです。もちろん、多数決で負けた裁判官が判決書に
署名押印しなければならないことが職権行使の独立に反さないかという議論もあったでしょうが、数人で
合議体を構成する以上多数決という決定手段を設けるのはやむをえないことでしょう。(なお、現行憲法下で
陪審制を採用することができるか、という議論がありますが、これは、裁判官の合議体と、これと別に
活動する陪審団の評決の緊張関係をどのように解決するかが問題となります。)
裁判員制度では、合議体の中に裁判員と言う裁判官以外の者が入ることになるため、裁判官の職権行使の
独立の問題について新たな問題点が出現したと言ってよいと思います。そして、その憲法上の解釈のひとつと
して考えられるのが、>>407での制度設計時での議論です。私自身、制度設計時での議論が正しいと言う
わけではありませんが、>>408の論法は、やや次元の違う話を持ち出していると思います。すなわち、>>408
選挙の例は、国民主権という理念(国民の代表は国民によって選ばれるべき)から導かれる結論を利用している
点において、裁判員の参加する裁判における多数決の問題点の批判としては十分なものとは言えないと
思われるからです。>>416にあるように「制度設計時の理由付けも論破されて崩れた」とはいえないと思われます。
ここで考えなければならないのは、憲法76条3項は、裁判官の権利を保障したものではなく、裁判官の職権の
行使の独立という制度を保障することで、ひいては国民の公正な裁判を受ける権利を保障すると言うものです。
そうすると、裁判員が参加することで、国民の公正な裁判を受ける権利が侵害されているかどうかが検討される
べきことになります。選任手続で不公正な裁判をする人を排除する仕組みが設けられているほか、最低
裁判官1人の意見が含まれていなければ被告人に不利な判断をすることができないとされていることは、
国民(被告人)の公正な裁判を受ける権利を担保する要素といえると思います。(もちろん、これだけでは
不十分だとする考え方もあるでしょう。)
なお、>>406で指摘されているように、裁判官が3人とも有罪と考えても、裁判員全員(または5人)が無罪と
考え無罪となった場合については、被告人に有利な判断となるため、被告人が不服を抱くことはなく、問題点が
顕在化することはないと思われます。これに対し、裁判官2人が無罪、1人が有罪、裁判員4人以上が有罪と
なった場合、裁判官だけなら無罪なのに、裁判員が加わったため有罪になってしまうと被告人の権利が
侵害されたのではないかという話になり得ます。このような場合に、上述したような公正な裁判を保障する
仕組みが憲法上の要請にこたえているかが真剣に議論されることになると思われます。