世界の偉大な保守主義(哲学)者からの現代日本国への警鐘

――7/11参議院選挙投票日までに必読の政治哲学(3)――


 私は、民主政憲法を最も多く見て最もよく理解した著述家たち(の著作)について、まったく読んだことがないという訳でもないので、絶対的民主政は絶対的専制に劣らず正統な統治形態には数え難いという彼ら(=著述家たち)の意見に同意せざるをえません。

 もしも私の記憶が正しければ、絶対民主政には暴政との驚くべき共通点が数多くある、とアリストテレスは見ています。
 この問題に関して私は確信をもってこう言えます。即ち、民主政において、多数者の市民は少数者に対して最も残酷な抑圧を加えることができます。

激しい分裂がその種の国家組織内に遍く拡がる時は―――実際しばしばそうならざるを得ないのですが―――何時もそうなの(=多数者の市民は少数者に対して最も残酷な抑圧を加える)です。

 そして少数者に対するその抑圧は、たった一本の王笏(=一人の国王)の支配からおよそ懸念され得る殆ど如何なる抑圧よりも遥かに多くの人々に及び、しかも遥かに激烈に行使されるのです。
 こうした民衆による迫害の下では、個々の受難者は、他の如何なる場合よりも何層倍も悲惨な境遇に置かれます。

 一人の暴虐な君主の下では(=暴君が一人だけであり、版図の辺境には無関心で専制の極大化へ豪胆に諫言出来うる近臣さえあれば)、彼ら(=暴政下の民衆)には傷の痛みを和らげてくれる(他の多くの)人類の心やすまる同情があります。

苦しみの下にあっても、その高邁な堅忍不抜を鼓舞する人々の喝采があります。 ところが、多数者の下で悪に苦しむ人々は、あらゆる外からの慰めを剥奪されるのです。?

 人間種属全体の陰謀に打ちひしがれて、彼ら(=絶対的民主政という多数者による暴政の下の少数派)は、人類から見捨てられた如くに見えるのです。(初版1790年)

 ―――エドマンド・バーク『フランス革命の省察』、みすず書房、158頁(ここまで)―――

 (→解説:エドマンド・バークの哲学については、これまでのブログで多くを述べてきたので、ここで改めて解説する余地はほとんどない。バークの炯眼は、1790年(220年前)に既にわれわれの2010年現在を透視している。

 世界の他の偉大な真正保守主義者らにおいてもそうであるが、真正の保守主義者とは、数十年〜数百年スパンで、未来を予見する能力がある。
 しかもこの偉大な能力はすべて、過去の歴史・慣習・伝統及び、それと連続する現在社会の動向に対する詳細な観察と考察(=保守主義・伝統主義)からのみ得られる予見であって、
過去のすべてと現在との連続を切断・分断して未来のユートピアを理性的に設計できると空想する、設計主義的合理(=理性主義)による出鱈目な妄想とは全く非なるものである。