今更だけど初見で観おわった
暁生のモチーフってルシファーだけどミルトンの失楽園では
永遠なる者である神に反旗を翻して堕天したから、失ったディオスの力に執着する暁生とは真逆
男の子は誰でも英雄願望をもっているけど現実の男性は英雄になんてなれない
そのことを知って現実との間で葛藤する過程を経て男の子は大人の男性になる、天から追放されることを受け入れるんだけど
暁生は堕天していく己の現実を受け入れられずに子供の理想の中にしか存在しえない英雄=ディオスであり続けようとした
自分の英雄性は二度と戻らないことを内心自覚している暁生はまだ天から追放されていない鳳学園の子供たちの気高さを搾取し
王子に戻ろうとするポーズを永久に続けることで学園、理事長室を自分とアンシーが王子様と魔女の悲劇ごっこを続ける安楽な棺にした
英雄たらなければならないという男性性の重圧の暗喩である百万本の剣を
本来受けるはずの暁生がアンシーに押し付けている構図は薔薇の花嫁を賭けた決闘のルールも含めて
わかりやすく旧時代的な男女関係の在り方を寓話的に表現してるなと思った
ジェンダー論として語ってる人は既にいくらでもいるだろうけど