黄金バット 6 [無断転載禁止]©2ch.net
当時リヤルタイムで観てた世代だが、前年の昭和41年に実写版の黄金バットが公開されてる
アニメ版は翌年の昭和42年、スポンシャーは大塚製薬で間違いなし
その実写版バットが実に味わい深い出来で、面白い作品だった
実写版ではナゾータワーの形状がかなり違う マゾーとかは出てこない
音楽だけはまたっく同じである 主題歌のメロデーBGMが多く流れた >>103
でもぶっちゃけバットさんがあんま強く感じないんだよなあ実写版。
実質的な主役は千葉真一氏だし、、、ってその構図はアニメ版も一緒か。 黄金の骸骨、杖とマント、高笑い、不死身、絶対的強さ、正義の味方
これらさえぶれなければ今風リメイクでもいい コロナ騒動は全部コーモリさんの仕業です。
バットさんにも責任はあります。
来週からの黄金バットは放送打ち切りっス。 >>108
ワクチン開発は、いったいどうすればいいんだ?
コウモリだけが知っている >>111
笑点は無観客でもかなり面白いぞ
笑点凄すぎる >>112
これはすごい!
どこで見つけてきた!? ガセネタを持ち出すのはやめたまえ
マゾーは確かルートシグマの女王にしばかれるマゾだったとか聞いてたが?w モノクロアトムの末期と同じで、
最後に黄金バットが現れて、
悪い奴らをバッタバッタと殴り倒して、
お終い
そういう勧善懲悪の旧劇的なワンパターンの
マンネリドラマだったという印象があるな。 後に「お約束」になる展開(必ずしも元祖ではない)がこれでもか、てぐらい詰め込まれていて
いまはそれを楽しむ番組になってる気がする
ex.・敵の中ボスは情けない ・最強の敵は黒い主人公(復活する)
・博士はなんでも知っている ・敵から送られてくるプレゼント(罠)
・怪獣に飲まれて腹を裂いて出てくる ・巨大な移動要塞
・無敵の主人公の無力化には成功するがなんとか破壊しようと無理をして基地の方が壊れる
等々 カラー製作だったのかな?
そうだとしてもまだ大阪万博前の
あの当時カラー受像機の普及率はまだ極めて低い。 単純活劇の毎回マンネリなストーリー、これが黄金バットの方が
同じ時期のリボンの騎士よりも視聴率を採れた1つの原因だと思います。 黄金バットは水戸黄門型のマンネリエピソードの繰り返しだった印象しか無いな。 ナゾーなんかする
↓
マリー「こうもりさん助けて」
↓
バット登場、ナゾーのなんか撃退
↓
終わり 暗闇バットとか、途中から強敵レギュラー参入とか後の定石を作ったパイオニアじゃないか? マンネリと言っても、子供番組、老人番組総てに言えるからな
或る程度ワンパターンな方が知的レベルが低い人にはリラックスして見る事が出来るんだろうな 最近のドラマ・アニメと違って途中で一回見逃しても付いていける 極めてポパイ的な単純で暴力的手段で解決するワンパターンの勧善懲悪番組です。
見ていて血湧き肉躍ったでしょうか? アトランティスの悪しき王で、人民を苦しめたために神より罰を蒙り不死の身体を受け
贖罪のために人々の苦しみを取る仕事をしてるという設定は誰が考えたのだ 143>
はじめてカラーで見たわ。放送当時モノクロテレビしかなかったもんな。
それにしてもフィルムの状態がえらく良いが、これはもしかして
デジタルリストアしたものなのかな? アメリカにも紙芝居という娯楽は、映画以前にあったんだろうか? 黄金バットは生前悪人で神から善に尽くすことを条件に骨のまま蘇ったって聞いたんだけど、これって多分違うよね?
ぜんまいざむらいとごっちゃになってるかも >>150
昔の紙芝居なら作家によって色んなバージョン有るから、そういった設定のものも有ったかもしれない >>151
ありがとう
とりあえずアニメの設定じゃないのね
>>152
抜けない 黄金バットの前身の黒バットだか怪盗バットだかの詳細を知りたいです
聞くところによると奇想天外な不死身の怪盗モノらしいけどルパンみたいなものだったと思えばよいのか?
でも黒バットがナゾーになったって言うけど
弱体化しすぎだろ このサイトによると主人公が無双の怪盗モノらしいがラストで黄金バットに倒されたらしい
http://ogonbatter.web.fc2.com/kurobat.html そこしか見つけられないんだよな
やっぱ当時紙芝居を見てた少年だった人達に聞いて行くしかないのかなあ 戦前だし死んでるだろうな
紙芝居なんて焼けたと聞いたし スーパーマンやバットマンより古いだって?
嘘つけ
物証は?
何もないんだろ? 仮にスーパーマンの後だろうと日本初には変わりないんだよ セガールの映画と同じでバットが笑っちゃうほど問答無用に強いのが良い 脱水されて動けなくなり巨大人間戦車ゲーゲーオルグにトゲ足でストンピングされた結果
床が壊れて水浸し→蘇生→勝ち
ハラハラさせようと頑張ってはいるけど規格外すぎる >>159
それだって資料残ってないでしよ
だから記録上は月光仮面やハリマオの方が先ってことになるんじゃない
証言だけじゃ噂や伝説程度さ
歴史には刻まれない >>164
月光仮面やハリマオは戦後
黄金バットは戦前 残念ながらその戦前の資料とやらが全く残ってないのだ
よって月光仮面より古いことは証明できない
当時の人の日記でも残ってたら別だけど ダレオとしただろう
体力だけはあるから何回でもいける ダレオはなんか低知能の人みたいに描かれてたが、今の社会通念だとちょっと問題かも うるさく気にするヤツがいるかだけじゃないかな
タラントノウルス→ノンビラス(怪物くん)みたいな前例もあるし
バカを愛する人じゃなくてバカを差別して考える輩がその手の事を強く主張する印象がある
そういう世の中はバカの居場所がなくなることが分かってない リメークしないの?
あるいは東映あたりで実写特撮でさ。 ゴールドバットみたいなタイトルでリメイクする話があったと聞いたことが ナベシンが考えてた奴かな?
PVみたいなのまでは作ってたようだけど。 まあがい骨がヒーローであるからな ほかにはそんなのない
石森先生のスカルマンでさえ実現しなかったし ゲゲゲオルグという名前が秀逸 デザインも古典的で愛嬌がある
黄金バットが唯一ピンチになったのは乾燥室で水分を失い、こいつに踏まれた時 長いこと音声からゲーゲーオルグだと思っていたがゲーゲ(ここで改行)オルグという
タイトル画像ががあった
ただもしゲー・ゲオルグだとするG・ジョージのドイツ語となってしっくりくる
(Gはこの場合ギガントかな?) 後半は敵が怪獣ばかっしで、ゲーゲ・オルグみたいな味わい深いロボットは出てこないのよね 「コウモリさん・・・」 マリーちゃんって何歳の設定? 胸けっこう膨らんでるし >>166
九段下の昭和館に戦前の黄金バットのレコード紙芝居「黄金バット 怪タンク篇(1933年3月発売)」の音源が所蔵されている。あと同館には当時の黄金バットブームに売られた赤本漫画「ニコニコマンガ 怪人黄金バット(1935年)」てのもある。あと、黄金バットの真の原作者、鈴木一郎のひ孫にあたる女優・田村花穂がTwitterで上記のレコード紙芝居の付属紙芝居十数枚の写真をupしてた。 戦前の黄金バットはデザインが違ってたのではないかな
あの、帽子を被って西洋風の服を着てるやつ あのデザインから見るとアニメ版バットは
別ものだが、誰がデザインし直したんだらう >>189
山高帽子を被った方は戦後の絵物語版で、戦前のは普通に骸骨ハゲだったよ。
wikiの記述は誤りがある。 そうなんか 山高帽のはどう見ても黄金バットというイメージでわないね
でも当時、紙芝居で見た黄金バットはこれだったのだな なんでああいうコスチュームになったんだろ >>191
特に深い理由なんて無いよw
作り手「“正義の味方”っていうてもどんなのにしたらええんや...?せや、金の骸骨に西洋騎士のカッコなら派手やし何となく強そうやからコレにしたろ!w」ってその場の適当なノリであんな姿が生まれたらしいw
名前もタバコのゴールデンバットを日本語に直しただけだしw >>191
あ、もしかして“山高帽子”の方?
それなら他の紙芝居屋が絵物語版のデザインを単にマネしたからだと思うよ
紙芝居界隈って著作権意識がガバガバだから黄金バットの偽物が何十種類も生まれたと言われてるしw
山高帽子の黄金バットって恐らく「ブラックタイガー編」だったりしない? その山高帽版のデザインを廃し、アニメでおなじみのデザインに変えたのは昭和41年の
劇場版黄金バットの時かな? アニメはその翌年だし 紙芝居版の黄金バット見たら、山高帽被ってないものもあるな
顔はドクロで首の周りに白いヒラヒラが着いてるやつ
しかしこれも目は白目に黒い瞳?でいかにも迫力に欠けるな 紙芝居は地域ごとに業界の組合があって、そこに登録して所属する。
一種の胴元(テキ屋の類いだと思うのだが)から提供される紙芝居の絵を
借り賃を払って借りて、それをもって広場などに自転車と紙芝居の器具を
持って出かけて、飴とか菓子を売ったり見せ賃をとってもっぱら子供相手
に商売していた。胴元は配下の絵描きに絵を描かせる。
しかし、テレビ放送が始まり、昭和の時代に皇太子(後の平成上皇)
ご成婚などや昭和のオリンピックブームでテレビ受信機が価格が下がり
普及し、子供向きの番組や月光仮面やナショナルキッドとかそうして
ついにテレビアニメが放送されるに至って、紙芝居の需要は激減して
しまい、次々と廃業するに至った。 うむ、個人的には紙芝居のおじさんは見たことないのじゃ
自分の子ども時代がおもに昭和40年代だったんで、その頃にはもう紙芝居はほとどん
見かけなかったな なのれ黄金バットを初めて観たんは白黒劇場版 地方の団地の原っぱで、
昭和38年頃に広場に爺さん(といってもあの頃は多分50才ぐらいか?)が
自転車に乗ってやって来て、紙芝居を見せているのを2度ほど目撃したことが
あるけれども、それっきり見掛けなくなってしまった。
昭和の30年代の終わり頃はまだ、虫かご売りとか、鍋・薬缶継ぎ、
金魚売り、包丁研ぎ、豆腐売り、などがいたけれども、昭和の40年代になると
そういう家々や団地を回る行商のような商売はなくなってしまったようだった。
サザエさんの漫画に出てくるような御用聞き(醤油や味噌や米や酒などの
注文をとって回って後で配達する)は消えたと思う。醤油や酒なども雑貨屋とか
酒屋に行って醤油瓶、酒瓶に入れて貰って量り売りだったし、米だって(米穀通帳
を持って出かけて)量り売りだった時代があった。リンゴを木でできたリンゴ箱
1つ単位で注文しておくと、それが青森などから鉄道貨物で送られてきて家に
配達されるというようなこともあった。正月のみかんも同様。すべてみな昭和の幻。 床屋も風呂屋も八百屋なども業種ごとに組み合いが作られて居て、
お互いに縄張りを決めたり出店規制をしてたりのようなことをしていた。
それが戦時中の統制経済のときに結成させられたものなのか、
それとも明治やあるいはさらに遡って江戸時代から引き続く社会的
組織化の継承だったのかは、自分はよく知らないが。