自分はこう思うのだが。
梶原一騎がどこまで二世の原案に絡んでいたか、というのが疑問。
虎の穴の呪縛にもがく伊達直人、星一徹の支配から逃れようとしながら、その教えに救いを求める飛雄馬とか見ると、梶原一騎の世界には主人公と対立する精神的支配者が存在するのだけど、二世って単なる善と悪の対立っていう基軸しか打ち出してない。
梶原一騎あんまり絡んでいないのか、やる気がなかったのか。

あと、二世ってプロレス人気を再燃させようとする思惑もあったわけでしょ。
そうすると、クリエーターとしては、冒険できないよね。無難にまとめるしかないと思う。


前作は梶原一騎の世界をベースにして、東映映画で育ったスタッフのクリエイティヴィティが爆発した作品だった。
こういうクリエイター達のぶつかり合いが、当初想定していなかった結果を引き出したんだと思う。