あの時代は早稲田のスカウティングとチームメーキングが一番成功していた。
強力フォワードにお膳立てをさせておいて、早稲田伝統のバックスが
きれいにトライを決める。本城以来これまた伝統のスタンドオフ=スターシステムも
曽我部、山中、小倉、横山(こいつはダメすぎて岸岡にチェンジ)と続く中で、
もっともしっかりしていた。
方や明治はご存知の無戦略で、4年間12月になると田村の泣き顔を見ることになった。
今の田村-山中の位置関係を予想できた人が何人いただろうか。