■明治大の難易度の変遷■

★明治・駒澤時代 戦後〜1980年頃★
 日大 明治 駒澤の難易度・世間評価がほぼ同じ 日大の一部学部と専修と拓殖などに負けていた
 メーコマのユニットが流行していて、日大 明治 駒澤に入ると、バカ扱いされ近所や親戚中の笑いものだった
★マーチ誕生直後時代 1980年頃〜1990年頃★
 マーチのユニットができ、予備校やマスコミで使われ始めた為、明治の難易度が徐々に上昇しマーチ下位に昇進
 同様に関西では関関同立のユニットができた為、ボンキンカンだった関大や国士舘のライバルだった立命館の
 難易度が上昇した。
★マーチ定着時代 1990年頃〜2000頃★
 マーチの定着とともに、明治もマーチ下位で安定的に推移したが、それ以上にはいけなかった
★偏差値操作前期時代 1990年代〜2000年頃
 明治と立命館を筆頭に、各私大が偏差値操作に走り始めた。これにより明治も立命館もやや難易度が上がり
 年によっては、マー関上位に顔を出すことも出てきた。 一方、ネット上の工作も始まった
★偏差値操作後期時代 2000年頃〜2008年頃★
 各大学が、偏差値操作をパワーアップ。特に明治と立命館の偏差値操作は凄まじく、マーチ上位に進出
 明治の一部の学部が遂に、学習院立教に追いついた。ネット上の工作も激しくなってきた。
 逆に偏差値操作を一切しない上智学習院東京理科などの難易度が落ち始めた
★マスコミを始めとする反日勢力による明治格上げ工作時代 2008年頃〜現在★
 日本一韓国人の受け入れに熱心だった明治の韓国人OBの明治を早慶と並ぶ位置に上げてほしいという要望
 を受け、ついに捏造韓流ブームを演出した在日の工作部隊が動いた。マスコミ政官財界予備校ネットなどで一斉に
 工作を開始。あっちこっちで明治マンセー。その結果わずかの期間で、あのバカ大学の代名詞と言われた明治が、なんと、
 学習院立教を追いぬく場面が出てきた。
★今後の展開★
 在日の工作部隊の目的は、 明治を早慶と並ぶ位置に上げること。それが達成されるまでは工作が続く予定。
 しかし韓流ブームのヤラセがバレて失墜したように、明治格上げ工作も失墜する可能性も十分にある。
 それでも工作は止めないだろろうから、最終的にどの位置で納まるかは五里霧中である。