【ミスター】平尾誠二 Part 4【ラグビー】 [無断転載禁止]©2ch.net
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逝去する前日に山中伸弥博士が見舞いしていたのに、あっさり数時間後に逝くのだろうか?
延命治療の不毛さに絶望し自決した疑惑を払拭出来ない。
遺族のコメントも歯切れ悪かったし。 猫まっしぐらと言えばモンプチ
ゲイまっしぐらと言えばガチムチ
ホモまっしぐらなセクシーシンボル
末路が悲しい 逝去した直後にも芸能板に書いたが
一つの道をひたむきに疾走し、その道を
極めた偉人だったわな。
生前のインタビュー発言内容も哲学的で
深い。生前に交流有った人が羨ましい。 ルーツとか出自とか関係無く
その人物の人柄や感覚の鋭さは面構えに
出る。中尾誠二さんはその好サンプル。 3年前に斎藤一の遺族が初めて生前の
本人の遺影を公開していた。新撰組の。
Tony Ioomi先生や前原誠司先生や
土屋昌巳さんを連想する顔立ちで納得した。 美男子だの美女だのブサイクだの関係無く、その人物の人柄や感受性や思考は面構え見れば分かる。分からない奴はセンス無いだけ。
http://photozou.jp/photo/show/3226768/255197762
最低限のモラルさえかなぐり捨てた銭ゲバゾンビ細野派手ゴミ@ブサイクガマなんざコソ泥体質が弛緩しきったエラ張りパンスト顔にしっかり出ている。 若しも平尾誠二が立川理道の顔をしていたとしたら、
彼の人生は全く違ったものになっていただろうな。
それにしても、神は平尾誠二に余りにも多くの才能を与え過ぎた様に思う。
しかし、幾ら山口良治さんから熱心に口説かれたとは言え、
頭脳明晰且つスポーツ万能な彼ほどの天才が当時の伏見工業に入ったのかは、
永遠の謎と言っても決して過言ではないだろう。 平尾さんの親は大反対だっただろうね
学費免除で花園に入るの決まってたのに伏見工業へ行ったんでしょ 平尾は身長は178ぐらいで高校、大学時代は細かった。昔はみんな
あんな体格だった。今の選手はともかくデカイ。 平尾さん、去年の輪島大士さん(元横綱)、ことしの金田正一さん(400勝投手)。
10月は、スポーツ界の天才が、天に召される月…。 tvk(テレビ神奈川)にて、平尾誠二さんの命日 10月20日(日)の23:00〜24:55「ラグビースペシャル 伝説の名勝負 神戸製鋼vs三洋電機」を放送。
http://www.tvk-yokohama.com/bangumi/index_3.php
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1991年、平尾誠二率いる神戸製鋼が全国社会人大会3連覇を達成した「神戸製鋼vs三洋電機」の試合の模様を、ゆかりある人物のインタビューを交えながら紹介します。
番組内容 卓越した技術と類いまれなラグビー・センスから「ミスターラグビー」と呼ばれた平尾誠二。
番組では、1991年1月に平尾誠二率いる神戸製鋼が劇的な試合展開で勝利し、全国社会人大会3連覇を達成した、第43回全国社会人大会・決勝「神戸製鋼×三洋電機」を再び放送。
26年の歳月を経て蘇る記憶を、関係者のインタビューを交えながら鮮明に解いていきます。 プラスマイナス両面できちんとした評価がされてない人だよね
イメージや噂で色々な虚像が独り歩き >>95
存在と言う意味では神格化されていいよ。指導者としての手腕は別な。
バブル期という時代もよかったけど、平尾というスターがいなきゃ日本の
ラグビー界はとっくに落ちぶれてたのは事実。
トップリーグだって存在してないし、それ以降に繋がる話もなし。ワールドカップもなし。
「スターとしての存在感」−「指導者としてのヘボさ」=貢献度となっても、十分すぎるほどプラス。 掃き溜めにいた鶴を見つけて全国ブランドに育てたのは山口良治さんだが、
イングランド留学させたり、神鋼に高く売りつけたスポンサーは誰だったんだろう。
高がスポーツ選手に一部上場企業の神鋼が将来の重役待遇を約束するなんて、
常識的には考えられない。 >>84
口が上手いとは思うが頭脳明晰とは言いがたかった
勉強が出来たとは思えんけどな >>97
トップリーグ作ったのは宿沢強化委員長
平尾はジャパン監督辞任(事実上の解任)したあとで一切関与してない ファッション誌にモデルで登場したことで、アマチュア資格停止処分となり、
ほとぼりを冷ます為に英国に1年間留学したが、その費用は何処の誰が負担したんだろう?
神戸製鋼には異例の将来の重役待遇を約束されての入社だったが、
留学費用も神戸製鋼が負担したのかな?
入社後も特別扱いであったそうで、当時の神鋼の人事課長がボヤいていた。
つまり平尾は日本人ラグビー選手のプロ第一号であったと言うことである。 順番が逆だね
平尾は社会人になってまでラグビーをやりたくないと思っててまずイギリスに行って
そこでクラブで適当にやりながら勉強してた(具体的に何の勉強かは不明)
この時点では神鋼とつながりはなかった
これは福岡や今泉のNZ留学のケースと似てる
その間にファッション雑誌のモデルやったら日本で大問題になって、協会のある重鎮から
「釈明しないと日本代表から外されて二度とラグビーが出来なくなるぞ」とアドバイスされた
仕方なく帰国したら神鋼の亀高に誘われて途中入社でも構わないから、と神鋼に入ることに
留学費用そのものはいろいろ伝手があったと思われる
学生時代からタニマチにタダ飯おごってもらうのが当たり前みたいな感覚でいたからね
それはジャパン監督時代に協会の強化費使って飲み食いしてたことで分かるだろう
公金と私金の区別がついてない常識のなさは生涯ついてまわった 平尾の「ラグビー馬鹿、スポーツ馬鹿と思われるのを嫌うコンプレックス」のルーツがどこなのか?
ずっと考えてたんだが、やっぱり伏見工に行ったのを凄く後悔してたように思える
周りはリアル北斗の拳、リアルビーバップハイスクールの環境だったみたいだからね
素行は真面目だった平尾は、人前で伏見工の生徒ですと恥ずかしくて言えない気分だったのだろう
その辺が、神鋼時代からの背伸び発言の数々につながってる
ジャパン監督に就任した時に海千山千のラグビー記者たちに「会社ごっこw」とバカにされた組織図披露会とか
ジャパン監督を解任されたあとの講演会での薄っぺらな和洋比較論やビジネス論にコンプレックスがよく表れてる
そこに外人コンプレックスも加わってた 蛇足だが、「洋魂和才」(笑)を提唱して外人大量ジャパン入りを促進しといて、彼らは傭兵ではないと言いながら
WCが終わったらJJとバショップをポイ捨てした時の冷たさに大きな矛盾がある
JJは狂会本のインタビューでかなり不満をぶちまけてて、平尾のやり方を批判してた
基本スポーツ選手はさっぱりしてるから、のちに代表監督に推薦してもらったこともあって
今では何も言ってないけどね スポーツ選手だからってさっぱりしているとは限らない まあ どうでもいいや
平尾sage >>105
海外で起業したかったんじゃなかったか?
インテリア関係で留学してたはず >>109
あー思い出した、インテリア関係の勉強うんぬんは聞いたことがある、確かに
インテリアやるつもりだったのに、ニュースキンになっちゃったわけかw この人って、あれなんだよね
他ジャンルのアスリートでいえば江川卓にそっくりなんだよ
インタビューで質問者の意図をはぐらかすような受け答えとか、スポーツ馬鹿と思われたくない症候群とか
スポーツは楽しんでやるもの、苦労して勝つもんじゃないと言いつつ実は負けず嫌いなとこととか
冷静なインテリを装ってるが、けっこう熱くなって暴走するとこもあるとか
何から何までソックリだ
ついでに「金に執着する」という余計な共通点まであるw
この人の演説に関心してたスポーツジャーナリスト(玉木正之とか佐藤純郎)はこの人ごときの
薄っぺらな理屈にだまされる自分の頭について検証した方がいい >>110
マルチの集会では、神鋼ラグビー部はコレを飲んでるから強いんですと言って、
新規会員を勧誘していたそうだね。 >>112
それサプリメントとか販売してた”ファーマネックス”っていうほうのブランドだと思う
ニュースキンは基礎化粧品だから、だいたいマルチやる夫婦は夫がサプリ、妻が化粧品の会員集めるのが普通
平尾のいとこの細川なんかニュースキンでかなり高いランク売ってたと人づてで聞いたことがある >>113
細川はサプリの宣伝マンもやってたみたいだ。
ラグビー以外のあるアマチュアスポーツ選手の両親の話では、某ホテルでの集会で、
細川が演壇に立って盛んに神鋼のラグビー選手は全員飲んでいるとPRしてたらしい。 >>114
お詳しいですね!
>>114さんもビジネスの勧誘を受けられたのですか?
2000年ごろの関西では盛んで、誰でも一度はニュースキンの勧誘を受けたことがあるかと >>115
搾取される側の下層構成員だったと思いますが、まるでカルトの信者みたいに洗脳されていて、
自分はこれを飲み続けているから、肝臓癌が取り切れていないのに生きているとか、
貴方の健康管理の為に騙されたと思って飲んでみてくれとか、もう大変でした。
ホテルでの集会と聞いてインチキと確信しましたので、人間関係が壊れる事も覚悟の上で断りました。
後で聞いたら昔から山っ気の多かった別の知人が細川よりも上の地位にいて、
その上がりを莫大な借金の返済に充てていたとのことでした。 アア、あほらし
また、別の知人はアムウェイで土地財産を全て失いましたが、
本当にマルチをやる奴は碌な奴がおりませんね。
ところで、細川は今何をしているのでしょうね。 >>111
>>二人ともインタビューで質問者の意図をはぐらかすような受け答えとか、
>>スポーツ馬鹿と思われたくない症候群
江川と平尾は貴殿が仰る通りの嫌われキャラでしたね。
違いは、基本的に江川卓がお喋りでお人好しであったのに対し、
決して無駄口を叩かず相手によって露骨に接し方を変える平尾のふてぶてしさと、
強かさは、同志社に入った頃から普通の若者にないものを感じさせました。
育ってきた環境からか、相当な修羅場を生き抜いてきたであろう凄みがありました。
江川の子供っぽさとお人好しを証明するエピソードとしては、
慶應に内定していたのに、マスコミに僕は慶應に行きますと言ってしまったばかりに、
内定を取り消された「口は禍の元騒動」がありました。
慶應としては内定を取り消さざるを得なかったと慶應OBの友人が言っていましたが、
慶應は喉から手が出るほど欲しかったでしょうから、
法政でも良かった江川以上に残念に思っていたことでしょう。
平尾が同志社大学に入った前後には同志社の体育会全体で年に数人の、
受験番号と姓名を正しく書くことが出来れば合格できる特別枠があり、
ラグビー部と野球部だけが毎年1枠ずつそれを獲得し、
ラグビー部はそれまで伝統校が手を出せなかった伏見工業から、
毎年1人選手を採ることが出来たのです。
当時としては監督が正しく指導すれば問題ないとの思惑で実施されたのですが、
直後に正しい指導が出来ないセンセが現場復帰されたことで、
真面に挨拶もできない選手や茶髪の選手が目立ち始め、関係者の眉を顰めさせたものでした。
一時期、早稲田にもNo8、FB、SOに少し雰囲気の違う選手がいましたね。
あの頃の監督が大きくて強い選手を揃えることに熱心過ぎて、
大学の品位を保つと言うプレー以前の問題を軽視してしまったのかもしれませんね。 >>117
スレチだけど江川の慶応大学内定取り消しは、おしゃべりが主因ではないよ。
(社会問題まで発展した)慶応の商学部不正入試問題が原因。
この時期に超大物の江川を入学させるのは拙いと考えた教授会が一方的に内定を取り消した。
慶応の監督が土下座して法政(の確か2部だったはず)に何とか入学させたのは有名な話
江川の好き嫌いは別にしても、本当に身勝手な大人たちの酷い話で、江川は完全な被害者 >>116
私も関西在住の親せきからニュースキンの勧誘を受けたことがあり、上の成功してる方々を
何人も紹介されましたが、自分には向いてないと思ったのでやる気にもなりませんでしたね
そのころから細川の活動のことはよく噂で聞きましたよ
平尾はまだやってなかったはず
今は「自営」ということになってるようです
http://koichi-murakami.cocolog-nifty.com/loverugby/2014/12/1-2182.html
>「僕、平尾さんの従兄弟だということを隠して伏見工業に入ったのですが、バレた瞬間に一軍になりました(笑)」。
>「従兄弟なのに平尾二世とは言われず、男前の薬師寺が平尾二世と言われて…(笑)」。鉄板ネタも続々 >>117
江川のお人よしぶりは、空白の一日騒動で分かりますな
あの時「江川が巨人に入りたがってるからいろいろ画策してる」という風潮で報道されてたようですが
のちに江川は実父に対して「最初に巨人と接触した時に、条件を念書でとっておかないからこうなるんだ!」と
怒鳴ったという話があります
本当は巨人側が江川を入れたくて働きかけてたはずなんですがね
平尾と江川はほかにも無類のギャンブル好きという共通点がありますね
江川は競馬と麻雀、平尾はご存じ海外遠征でのカジノ通い
ほぼ中毒レベルで南アで叩かれてしばらく止めてたのに、アジア予選突破後にまた行ってたというレポがあります
懲りないところがあったんでしょうね
早稲田は、豊田くんに関しては完全に中竹監督が指導を間違えたと今でも思っております
佐賀工出でやんちゃだった五郎丸くんは清宮監督に盛んに人間教育をされたそうですが、
中竹監督は豊田を野放しにしてましたね
相手チームをリスペクトできない困った選手でした 山中先生とカジノで豪遊したりはしなかったのだろうか。そういうエピソードもあったほうが微笑ましい。 >>121
たぶん、平尾はそういう面はごく一部の人にしか見せてないだろうし
山中先生とは一緒に海外に行く機会もなかっただろうね
2015WCの期間中、平尾は協会の役員としてフランスに行ってたそうだけど
そこで山口先生と食事する約束してたらしい
今思えば、すでにガンにおかされてたんだろうが、それを平尾は体調不良でキャンセルした
山口先生もプライベートでいろいろ良くない噂(カネ、セクハラなど)があるから、一緒にカジノだったり
マッサージパーラーだの行ってても不思議じゃない気はするw ちなみに平尾のカジノ仲間(ほぼ95年の南ア大会限定だが)=松尾勝博、元木、増保、吉田明
松尾勝博はそのためだけにジャパンに残ったという噂もある
(平尾は登録はセンターだったが、本人はセンターで出るつもりはなく、SOにこだわってた
広瀬もいたので、なぜかセンターの武山・藤掛が落とされて試合に出る可能性ゼロの松尾が選ばれたので当時さんざん不思議がられた)
平尾の海外遠征のゴルフ仲間=強化委員長だった白井善三郎(早大出だがなぜか平尾の最大の保護者) >>123
@松尾勝博はSOとセンターの両方できる。センターでやれるディフェンス力がある
A松尾は第1回と第2回のW杯に出ている。武山や藤掛はW杯未経験。松尾の経験値を買うのは一理ある。
B松尾はプレースキッカー。松尾を選ばないと、プレースキックの専門家が広瀬だけになってしまう。
武山・藤掛を選ばず松尾を選ぶのが合理的。 >>125
@高いレベルでのCTB出場は第1回WCだけだが、それ以降はほぼSO固定。所属のワールドでもSOオンリー
そもそもディフェンスを言うのであれば、広瀬を外して松尾をSOで、元木や吉田明を外して松尾をCTBで使う理由がないので
無理な擁護論でしかない。もっとそもそも論を言うならDF重視なら最初から平尾なんか呼ぶ理由がない。
APKは単に「蹴れる」というだけで上手くない。南ア大会では神キッカーの広瀬を外してまで
増保をキッカーに起用した(2戦目から吉田に)くらいキッカーに困ってたのに、最後まで松尾の起用はなかったのだから
キッカーも出来るからという理由で入れたという擁護論は無理があるぞ。
B武山は大学時代CTBで、サントリーでの社会人時代はSO。藤掛はともかくその理由で武山を外して松尾を選ぶ理由はない。
藤掛だって小藪好みのフィジカルタイプの選手なので、いずれにしても松尾を選ぶ理由にならない。
小藪はフィジカル重視だからWTBでもオトや今泉(FB)を連れてった。平尾・松尾絡みのとこだけ一貫性がないわけ。
いかにも平尾擁護者らしい屁理屈乙 以上、平尾のカジノ仲間だから衰えて引退間際だった松尾を連れてった、と推測すればすべての謎が解ける >>127
どうしたらこんなに幼稚で短絡的な発想ができるのか、が大いに謎なんだが。 いやぁいろいろ出て来ますな
平尾のコメントの端々に出てくる不自然さ
結局世に出てしまいます 平尾さんは同志社後の人生がドリフトなんだよな。英国に行ってその後、どうしようとしていたんだろう?
過去の発言からすると明確な像はなかったんじゃないかな。
それが神戸製鋼の社長と出会い、数年後にキャプテンになって人生一変。連覇を重ねて発言力を強めていく。
引退後は、コーチ業にまい進するでなし、社業で実績残すでなし、種々のメディアに出てリーダー論・組織論を語る…。
そうこうしているうちに引退して20年くらい過ぎてしまった。 >>133
海外で起業するために留学してたのよ。
インテリアだったかな? >>133
ミスターハイファッションの雑誌に出た事で
人生変わっちゃったんだよ。 >>134
そんな発言をしていたけど、でも、インテリアの基本勉強もなしに英国にいって何が学べるのかな…。
語学学校に行きながらクラブラグビーをやっていたってことだと思うよ。モラトリアム的ですよね。
引退後の20年はモラトリアムの実践だったような…。 伏見工だから一通りは何か学んでいたんじゃない?
大八木は確かそういう高校の専攻だったよな 伏見工て京都ではどれぐらいのレベルの学校だったの? 確か大八木は工務店の息子だから建築科のある伏見工業に入ったと聞いたが、
幾ら山口良治さんが指導していたとは言え、普通の家庭に育った中学生が、
周囲の反対に逆らって当時の伏見工業に進学するのは凄く難しい決断だったと思う。
何故なら、当時の伏見工業ラグビー部から大学に進学できたのは、
高校ジャパンに選ばれたプロップが山口さんの母校の日体大に行ったぐらいのもので、
確実に高校ジャパンに選ばれる自信が無ければ高卒で終わる覚悟が必要だったからだ。
慶應、筑波は言うまでもなく、早稲田、明治でさえ手を付けようとしなかった伏見工業に、
同志社が一番先に手を付けたことが未だに信じられない。 >>142
簡単に言えば、京都唯一の落ち零れ受け入れ公立高校。 自分の知り合い、ラグビー未経験者にもかかわらず当時強豪だった西陵商に行こうとして進路指導の先生などにこんこんと説かれ諦めたやついたなあ
その後も普通の高校でラグビーやっていたけど 平尾の後、平尾のようなラグビーのスターは出ていない。 >>148
リアルタイムで見てたけど、平尾と同時代なら本城の方がアイドル人気としては上だったし、現代ならリーチマイケルや五郎丸も平尾並みの知名度はある >>149
平尾が早稲田でやっていたら本城なんて霞んでしまっていたと思うよ。 >>149
大学時代の人気なら本城の方が上なのは確か。当時の対抗戦の盛り上がりは凄まじかった。
関西は完全に脇役、ヒールみたいな感じ。
むしろ平尾は玄人受けするキャラだったな。
本城が大学にいた頃はね。 平尾、本条が人気者代表なら、
ヒール代表は大八木、赤塚、五郎丸、豊田で決まりだな。 ヒール代表は河瀬、大八木、赤塚。
河瀬はもちろん親父の方。 河瀬父って別にラフプレーとかせず、むしろ憎たらしいくらい冷静でクレバーだった印象しかないが、あれヒールか?林みたいな存在だったと思うが
本城の頃の早稲田ってスクラム組むと死人が出そうなくらいFW人材難で、それを押しまくる明治全体がヒールってのなら分かるが
赤塚はアホで完全なヒールだったよな
清宮も言動で反発買っててアンチが多かった
早明戦で明治のことを「アイツら」って言ったらNHKに抗議の電話が殺到したっていう >>155
花園で退場をくらってるぞ。久我山の相沢と
やりあってる。 >>156
河瀬の話ね。高校1年の時、全国大会準決勝。 大工大/明治の河瀬にヒールの印象は全くない。
河瀬で一番印象に残っているのは、
兄貴が京大のアメフト日本一の立役者で有名だったことかな。 >>150
あきらかに
歳を重ねても
平尾さんの方が見た目かなり上 平尾さんはね〜。日本代表での活動が良くなかったよね。
選手としても監督としても。145点のときとか、元オールブラックスを入れて戦った監督時代。
根底あるのが、平尾さんの「サイズ信仰」じゃないかな…。ようは、デカくないと勝てないってやつ。
だから選手時代も、国内ではあれほど一生懸命だったのに、W杯南ア大会とか「どーやっても勝てませんわ」的で片手間だったし。
監督時代も、サイズで選んでるだろ?ってのが随所にあったしな〜(なぜ、堀越使わんで、大原とか
訳の分からんハーフを使ってたんだ? 大原が170pあったからという信じられん理由…)
平尾を縛ったサイズ信仰、というのが、草ラグビー愛好家のワシの結論。 >>160
格闘技の要素の大きいラグビーというスポーツでは、
スキル、スタミナによほど大きな差がない限り、
スピード、パワー(瞬発力)、サイズと言う努力で解決できない要素で試合が決まる。
自分自身の資質に恵まれての成功体験から、ラグビーのレベルが上がれば上がる程、
最終的に勝敗を分けるのは選手の資質であることを平尾は理解していたのだろう。 >>161
堀越と大原の件は関係ないと思うけど、平尾がサイズ、フィジカルを重視していたのは事実。
結局はそこの差でやられているように感じていたのだろう。ラグビーの本質的な部分。 >>149 平尾は現代だと誰と比べて現代の誰のほうがいい
とかそんな割り切れる簡単な話じゃないんだな
その当時、その時代が平尾だった。それはその当時絶対だった。
というカリスマ性でもあるんだよ。
簡単に言えば山口百恵は絶対アイドルだとおっさんが言っても
若者がいやAKBのだれのほうが可愛いとか言われても
比べる対象でもなく当時は社会が山口百恵で染まってたんだよ
でインパクトが違うんだよ
現代の物差しで測るほうが間違い 俺は平尾・朽木の両センターが好きだったなあ。
その後の元木、吉田明、マコーミックよりずっと好きだった。
ラグビーファンはそういう奴が多いと思う。 >>159
てもファンレターの数とかバレンタインで届くチョコとか女性メディアの取り上げかたとか現実の集客力は圧倒的に本城>>>平尾だった
裸の写真を同封してきてお嫁さんにしてくださいというファンレターも何通かあったという伝説も
やっかみ半分のアンチも多かったがw
タックルがややソフトなだけで、組織DFはちゃんとやってた本城だが、当時はラグビーマスコミが未発達でそのことは理解されず、DFしないからダメと偏見を持たれてたね
平尾は強者側にいたから、判官贔屓の大衆なんかには魅力がなかっただろうね >>164
そうだね。
元木、マコーミックとか、大駒2人(といっても世界的に大きいわけじゃないけど)を並べてもね。
あの2人って策がないんだよ。国内では地の強さで勝っていただけなんだよな。 >>161
そこは一般論としては合ってるが、実際に平尾が選んだ選手が、図体がでかいだけで動けないでくの坊が多かったのが問題なんだよ
例えば185で動けてコンタクト強い選手を干して、メンバー表だけ見て190の動けない選手なら185の方を我慢して使うしかない
平尾はそのことが分かってなかった
大西鐵之祐なんかも、実は大形化には平尾以上に熱心で、ジャパン監督時代に国鉄に乗り込んでって、他の競技やってて体のでかい脚の速い人がいたら教えてなんてこともやってる
あと、大西でも宿沢でも、試合で実際にパフォーマンスやメンタルも見てから選んでた
メンバー表のサイズだけ見て選んでたふしがある平尾とはそこが違う >>165
あの時の同志社って、大学選手権では早慶の敵役で、日本選手権では釜石の敵役だよね。
人気チームの敵役なんだよね。その中心が平尾だったからね。
黄色い声援というのはあまりなかったんじゃないかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています