>>110

大学選手権より先に始まったから歴史が長いのは当たり前でしょう
この大会は大学選手権に道が開かれていない地域のための全国大会だった
しかし、平成に入ってまず北海道、東北地区に選手権への道が開いた
具体的には北海道1位が対抗戦5位、東北1位がリーグ戦5位と対戦できるようになり
勝者が選手権に進めるようになった。ところが制度が始まって3年か4年目だったか
北海道1位の道都大が対抗戦5位の筑波大と対戦して178点取られて負けた
これでミスマッチという声が上がり北海道1位と東北1位がまず対戦し、
勝者が隔年で対抗戦5位かリーグ戦5位と対戦して勝てば選手権というルールになった
もちろんこの制度になってから北海道、東北から勝ったチームはいない。
この選手権に道が開かれた時点で地区対抗は廃止の議論が上がった。
しかし、中国四国地区は強豪校がなかったためか1位になっても選手権への道は無かった
ところが平成9年10年に徳山大学が地区対抗を連覇。当時のラグマガでも
「地区対抗で優勝しても選手権への道はない」と取り上げられた。
そこで翌年から東海北陸代表の中京大学と中国四国代表の徳山大学との間で
選手権の東海北陸中国四国代表決定戦が行われるようになり、最後まで選手権への
道が閉ざされていた中国四国地区にも道が開かれた。
この時点で選手権への道が無いのは関東1区2区。
1区2区の取り扱いは昨日書いた通りだから、もうこの大会は不要なんだ