>>818
 みんなでとことんブルーになって、どういうふうにすればいいのか考える!
っていうのを何でやらないんだろう? って思ったんですけど。
 できないんですよ! 構造的に。

 なんでかってというと、この萌え作品分類によると、『まどマギ』は第4分類に入って、
ピュアすぎてほとんど白痴の女の子って書いてるんですけども、これ、ほとんど白痴ってのは悪口じゃないんですね。

 つまり、頭がいいけども、ピュアすぎて純粋すぎて判断力を失っている、ってことなんですよ。
 そういう女の子たちが右往左往して苦しめられるのを見る作品なので、ほむらがいかに頭がよくても、
まどかを想う思いが純粋であればあるほど行動に縛りが発生する。

 つまり、そんなことを思いつかなくったり、追いつめられたりする描写がどんどん増えて、
見てる側も、そんなことをほむらが今思いつくはずがないとかそんなことができるはずがない!
だって、彼女は今これしか見えてない! っていうものがあるので、そういうシーン入れられないんだよね。

 そのピュアさとか純粋さっていうのはなんなのか、っていうと、
ここから先は安田さんのコラムに書いてなくて、僕の独断なんだけども。

 ピュアさというのは、萌えアニメっていうのの根本構造は、今言った
「ピュアすぎて頭の悪く見えちゃう女の子が病にかかったり、死んだりするのをみんなでおいおい泣きながら見る!
」っていうんですけども、これはスタッフというか、作る側が少女っていうのを、女性蔑視ってことはないんだけど、
ある程度、見下してないと成立しない作り方なんだよね。

 僕ら見てる側も、あんまり言いたくないんだけども、そのキャラクターたちを見下げてないと泣けるはずがないんだよ。
 泣くっていうのは、自分はあそこまで純粋になれない=自分はそこまでバカになれないってことに関しての
見下しがあるから僕らはじめて感動するんだよね。 なんでそこまで過剰な純粋さとかピュアさとかをそこまで求めるのかっていうと、

その純粋なキャラクター、女の子たちを「神聖に見たい」という気持ちと「差別したい」っていうのかな、
「虐げたい」って気持ちはコインの裏表なんだ。

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