>>110
 これ、1982年の第5回『アンドロメダ・ストーリーズ』だけは違うんですけど、
それ以外の第7回までのアニメは、全て手塚プロが作った手塚アニメなんですよ。
 まあ、その出来については、あんまりよろしくなかったから、手塚プロでの製作は第7回で
打ち切りになっちゃって、第8回からは他の会社が作るようになったんですけど。

 ちなみに、アニメ枠の最後は、1990年の第13回の『みなみの海をすくえ』という、
『アンパンマン』のオリジナルのアニメになっています。

 若い人は知らないんですけど、今から40年前の1978年から84年まで、ほぼ毎年、1回を除いて、
手塚アニメが2時間放送されていた時代があったんです。
 「どうも、この時代に『となりのトトロ』が生まれたんじゃないのか?」というのが今回のお話です。
 まあ、これが『となりのトトロ』とどう繋がるのかは、今は、ちょっと置いておきます。
・・・
 ここで放送された手塚アニメがどういう内容だったのか?
 これはちょうど24時間テレビをオンエアしてた当時の、1978年の『アニメージュ』です。

(パネルを見せる) http://livedoor.blogimg.jp/okada_toshio/imgs/0/5/054eb8f3.png

 後にジブリの社長になり、僕が“ジブリに関する1次資料”だと考えている鈴木敏夫さんが
編集者だった時代の『アニメージュ』ですね。

 おまけに、鈴木敏夫は『アニメージュ』の編集になる前に、手塚治虫の漫画の担当もやっていたんですよ。
漫画家としての手塚治虫は、いろんな雑誌に連載していたんですけど、鈴木さんが務めていた徳間書店の雑誌でも、
漫画を描いていたんです。その担当編集もやっていたんですね。

 だから、当然、鈴木敏夫と手塚治虫とは、すごく強い関わり合いがありました。ここは大事なので、覚えておいてくださいね。

 さて、スペシャルアニメ『バンダーブック』の製作なんですけど、
まあ、手塚治虫さんのシナリオがなかなか上がってこずに、進みません。

 この『バンダーブック』に関して、手塚治虫は、原作・脚本・コンテ・原画・動画と、もう本当に全てをやっているんです。
「脚本段階から自分で全部やる!」と言っていたんですけど、これが遅れて遅れて仕方がなかったんですね。

 もう、コンテやシナリオが出来る前から「このままでは間に合いません!」と言われて、
仕方なく、シナリオがまだ半分しか出来ていないというのに、頭の方から絵コンテを描いて、
それが仕上がったら、次に自分で原画を描いて、それが終わったら、自分で動画を描き始めるという、
継ぎ接ぎみたいな作業を延々とやってたんですけど。それでも終らないんです。