>>694
 しんちゃんはおバカでエッチなんだけども、くんちゃんというのは、どちらかというと知的で恥ずかしがりである。
 こんなふうに、対照的な性格に作られているんですね。
・・・
 劇場版クレヨンしんちゃんとの共通点でいうと、例えば『モーレツオトナ帝国』も、『あっぱれ戦国大合戦』もそうなんですけども、
「無垢な存在としての子供が、大人に対して救いを与える」という構造になっているんですよ。
 これは前回の『千と千尋』に例えて話したんですけど、『クレヨンしんちゃん』と比較するともっとわかりやすいと思います。

 『クレヨンしんちゃん』の劇場版では、「しんのすけが無邪気に振る舞った結果、周囲の大人たちも、
癒やされたり、本来の居場所に戻っていく」というような構造になってるんですけど。
 『未来のミライ』に出てくるくんちゃんも同じなんです。

 この映画では、飼い犬が人間化して「お前(くんちゃん)が生まれてきたおかげで、それまで家の中で、
ずっと可愛がられていた犬の俺が、その座から引きずり降ろされた。次はお前の番だぜ」と言われるところから、
くんちゃんに不思議な出来事が始まるんですけど。

 この出来事についても「飼い犬が言いたかったことを言ってスッとする」という構造になってるんですね。
そうやって、それまで拗ねて生きていた飼い犬が、もう一度、家族の一員に戻ってくるんです。

 その次は、くんちゃんの妹のミライちゃんが、成長した高校生として「好きな人が出来たんだけど、
雛祭りの人形をしまってくれないから、いつまでも自分が結婚できないかもしれない」という悩みを持って、
未来からやって来るんです。

 で、くんちゃん達がこれを解決してあげることで、妹のどうにもならない思いというのも解決する。
 くんちゃんというのは、実は、物語の中で「いやいや!」って暴れているように見えて、
周りの人間の拘りとか悩みを溶かしてあげているんです。

 例えば、母親は「弟と遊べなかった」という思いを持っていますし、曾祖父さんは
「戦争で受けた傷によって、自分は結婚できないんじゃないか?」と悩んでいる。

 高校生になった未来の自分自身というのも出てくるんです。
未来のくんちゃんは“自分探しの旅”という、わかりやすい家出の仕方をしようとしてたんですよ。

 それを、子供のくんちゃんが代わりに電車に乗ってしまう。ところが、4歳児だから自分探しというのがわからないので、
東京駅で不思議な存在から「あなたの存在を説明するものは何だ?」みたいなことを聞かれた時も
「それは私の家族」みたいなことを言う。すると、急に繋がっていって、高校生の自分の悩みも解決される。