>>592
 言い終わった後、マーク・ハミルは間違いに気づいて顔を伏せて照れたんですけども。
その後、すぐにハリソン・フォードが来てくれて、そのままハン・ソロとガシッと抱き合ってごまかしてるんです。

 では、なぜ、ジョージ・ルーカスはこれを採用してたのかというと、彼は、こういうものをこそ求めていたからなんですね。
 “上手い役者による完璧な演技”ではなく、本当にその場にいる気になって欲しい。
「自分はルーク・スカイウォーカーである」ということを本当に信じて、それを演じているマーク・ハミルというものが完璧に消え去って、
ただルーク・スカイウォーカーだけがいる状態であって欲しい。

 その時には、もう、レイア姫の名前を忘れてしまっても構わない。それよりは、
「あ!キャリー・フィッシャーだ! キャリー!」と思わず叫んでしまった時の、喜びや安堵といった感情を優先したい、と。

 ジョージ・ルーカスというのは、映画の全てをコントロールしたがるので、ついつい俳優に関しても
完璧な自分のプラン通りのものを望む人に見えるんですけども、実はアドリブが大好きなんですよ。

 『アメリカン・グラフィティ』でも、冒頭、ベスパに乗った主役の1人が、ブワーッと走ってきて、
ベスパをドライブインの前で停めて降りるというシーンがあるんですけど、俳優がオートバイの乗り方をよく知らなかったために、
そのまま壁にツッコんで、ゴテンって転ぶところを、本編でそのまま採用してたりするんですよね(笑)。

 こんなふうに、NGシーンを採用することが多い。それくらい、現場のノリの方を大事にするような人なんです。
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この記事は『岡田斗司夫ニコ生ゼミ』7月1日(#237)から一部抜粋してお届けしました。

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