2018年06月19日07:00
岡田斗司夫とディズニー2 「遥かに遠いディズニーの背中」
http://blog.livedoor.jp/okada_toshio/archives/51548567.html

 そもそもの話をすると、僕らがアメリカに行った理由は、翌年のSF大会の取材のためなんですよ。
 そして、ディズニーランドを見ていたら、「俺たちが来年やるDAICON3というSF大会は、これに勝たないと意味がない!」
って思っちゃったんですよ。

 ボストンのSF大会を見た時は、「うーん、これは難敵だ。しかし、予算があれば。SF作家がいっぱい来れば」とか思えたんですけども。
でも、ディズニーランドに勝つのは、メチャメチャ難しいんですよね(笑)。

 ガイナックスのアニメが、『オネアミスの翼』から、『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』に至るまで、
とにかく世界観に凝っているのはなぜかというと、全てあの夜、たった一度だけ行ったアナハイムのディズニーランドのせいなんですよ。

 まあ、“ディズニーランド体験”というよりは、僕にとっては“ディズニーランド・トラウマ”ですよね。
あのトラウマがあったからこそ「これになんとか勝たなければ、俺達エンターテイメント業には明日はないぜ!」って思うようになったんです。

 だって、SF大会を主催するにしても、その後、東京に行ってアニメを作るにしても、
「世の中の全てのエンターテイメント産業のヤツに勝つ!」というふうに思っているから行くわけで、
そういうことを思ってなかったら、大阪で細々と暮らしていりゃいいわけなんですよ(笑)。

 俺たちがわざわざ東京まで行ったのはなぜかといったら、本気で「勝つ!」と思っていたからなんです。

 ただ、その戦う相手として目の前に立ちはだかったのが、ディズニーランドだったわけですよ。
 なので、「何十年も前に造られてるというのに、なんだよ、この完成度! 恐ろしい!」というふうに考えました。
・・・
 ということで、「ディズニーに勝ちたい!」と思った僕は、1981年に第20回日本SF大会、DAICON3というのをやりました。
 その中で、『DAICON3オープニングアニメ』というアニメを作ったんですけど。……まあ、そこまでだったんですよね。

 ウォルト・ディズニーで例えると、いわば「デビュー作に近い『蒸気船ウィリー』なんとか作りました」と同じ程度。
正直、これではディズニーに勝てないって思ったんですよ。