>>506
 この曲線的なデザインを見るに、これは戦前に作られたものじゃありません。
これ、実は灰皿なんですよ。それも「現代的にデザインされた灰皿」なんですね。

 僕はこれ見た時に「ああ、やっぱりそうか!」って思ったんですけども。
つまり、清太は、死んで幽霊になった後も、現代の日本に留まり続けているんです。

 『火垂るの墓』は1988年の映画なんですけど、その時点でも、清太はあの場所に居る。
そして、そんな清太の幽霊が昔のことを思い出すと、そこが昔の風景に戻っていく。
つまり、「清太はいまだに三宮の駅に居て、かつての記憶を思い出して苦しんでいる」ということなんですね。

 「本当にそうなのかな?」と思って、念のために『火垂るの墓』のBlue-rayのディスクの特典を見たら、
ちゃんと制作当時に神戸まで行って撮ってきたロケハン写真というのが載っていたんですよね。

 そのロケハン写真をみると、柱の横に、やっぱり同じデザインの灰皿があるんですよ。
 まあ、これは劇中に描かれている柱とは別の柱なんですけど、冒頭に描かれていたのとまったく同じ灰皿があります。
 実際にモデルとなったこの柱の横に、灰皿だけを移動させたわけですね。

 このロケハン写真を見てもわかる通り、『火垂るの墓』の冒頭では、
現代の駅にある灰皿を描くというようなことをやっているんです。

 つまり、『火垂るの墓』というのは、決して過去の話ではなく、現代のシーンから始まっているんです。
「ラストシーンで、現代に戻ってくる」とみんな思ってるんですけど、違うんですよ。
そうじゃなくて、冒頭の一番最初から現代なんですね。

 清太の霊は、いまだにあの場所に留まっていて、自分の人生最後の3ヶ月間を、
何千回も、何万回も、何億回もリプレイして、苦しんでいるというお話なんです。

 みなさんがコメントに書いている通り「地縛霊」みたいなものなんですね。
まあ、地縛霊というのは「その場所に縛られ続ける霊」という意味で、
清太たちは電車に乗って移動するから、正確には違うんですけども。

 じゃあ、なぜ彼は、死後も、映画公開時点で43年間も、過去に囚われ続けているのか?
そういった理由説明が、ここからはじまる映画なんです。

 つまり、「なぜ彼は、死んでから43年も経つのに、自分が一番ツラかった時のことを見返さなきゃいけないのか?」
という理由を、これから90分掛けて説明してくれるという構造になっているんですね。

 この全体構造がわかっていると、この映画の見方ってだいぶ変わってくるんですよ。
実は、この作品って「かわいそうな話」とかではなくて、「なぜ彼が、こんなにも呪われているのか?」
を解き明かすという「ミステリー」になっているんですね。

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