>>369
 後に、ピクサーを作って大映画監督になりプロデューサーにもなるジョン・ラセターもディズニーに入社して
アニメーションを作りたいと思っていた時に、この上映会に巻き込まれたそうです。
そして、これを見た瞬間に「もう俺は宮崎駿の弟子になる!」というふうに決めてしまったそうです。
 これらは全て、この時の藤岡さんの相手を選ばない試写会が原因なんですね。
・・・
 この時にアコムが出した総額55億円と言われる予算がちゃんと使われて、プロデューサーもスタッフもちゃんと稼働していたら、
1980年代の『カリオストロの城』の次の宮崎駿の作品は『リトル・ニモ』になってたんですよ。
 そして、もしそうなっていたら、おそらく、宮崎駿は、1997年に『もののけ姫』でアカデミー賞を取るよりも20年近く早く、
ハリウッドという場で才能を解放できたはずなんです。

 しかし、結果としてこの『ニモ』は、この後、大迷走した挙げ句、完成までに10年掛かってしまうんですね。
 そして、その間に、今紹介した豪華な初期メンバーのほとんどは抜けて、無限にあると思えた制作費55億円も全て使い切ってしまい、
さらに追加でアコムが用意した10億円も全部使ってしまいました。

 そんな、最後には宣伝費が残ってないような状況で、ようやっと完成したフィルムなので、
アメリカ中の映画館で上映したんですけども、興行成績は散々で、4億5千万しか稼げませんでした。
後に、アメリカではいろんな賞を取ったんですけども、まあ、『カリオストロの城』と同じように、
興行的には全く成功と呼べない作品になってしまったんですね。
 仕掛け人だった藤岡さんも、映画の公開の前年に、失意のうちにこの世を去ってしまいます。

<中略>