2018年03月19日12:00
「『ルパン三世 カリオストロの城』最後の解説(前編)」
2018年3月11日号ニコ生ゼミ テキスト全文公開
http://blog.livedoor.jp/okada_toshio/archives/51546028.html

2018/3/19 7:00
岡田斗司夫プレミアムブロマガ
「宮崎駿はハリウッドを制覇していたかもしれない?!『夢の国のリトル・ニモ』事件」

【『リトル・ニモ』という夢の顛末】
 1978年に『未来少年コナン』が放送された後、宮崎駿はテレコムに移籍。『夢の国のリトル・ニモ』に参加。
 高畑と共に日本側の監督候補になって日米を往復。
 その後に『カリオストロの城』公開になるんですね。

 この1年間に何があったのか?
 僕はこれを「歴史の歯車が動き出した」というふうに呼んでるんですけども、ついに、ハリウッドが宮崎駿という
 巨大な才能に気がついたというのが、この『夢の国のリトル・ニモ』事件なんですね。

 実は、宮崎駿は「ルパンは第1シリーズでやり尽くした」というふうに言ってたくらいで、
 『ルパン三世 カリオストロの城』という映画の監督をするつもりはまったくなかったんですよ。
 それよりも『夢の国のリトル・ニモ』という、ハリウッドとの合作アニメの監督をする予定だったんですね。
 この『ニモ』というのは、予算はなんと55億円、プロデューサーにはジョージ・ルーカス、脚本はレイ・ブラッドベリという、
 とんでもない作品だったんです。

 さっき紹介した敏腕プロデューサーの藤岡さんは、『長くつ下のピッピ』の原作者にNOと言われた時から、
 もう次の作品というのを準備してたんです。

 「日本でいくらアニメを作っても、日本の社会の中では、こんなに視聴率を取っているのに、全然評価されない。
 誰も金持ちになれない、これは間違っている! アメリカに行って、ハリウッドで成功しよう!
 ディズニーはちゃんと成功しているじゃないか!」ということで、ハリウッドに行こうとします。

 まあ、こういう発想自体は、特別に珍しいものではありません。この時期、手塚治虫もタツノコプロも、
 あとは講談社の『AKIRA』にしても、みんな同じことを言ったんですよ。
 「ハリウッドに行って日本のアニメを認めさせてやる!」って。

 ただ、歴史上、本当にハリウッドに行って、大豪邸を借りて、そこに住んで、アメリカ側のスタッフと何年間も交流して、
 実際にアニメ製作までこぎつけたのは、今の所、歴史上この藤岡豊という、茶色のサングラスの細い目の怪しいオッサン、
 ただ1人なんですよね。

 その上、彼が取ってきた原作というのが『夢の国のリトル・ニモ』だったんですよ。
 『夢の国のリトル・ニモ』というのは、ニューヨークに本社のあるヘラルド・トリビューン紙の日曜版に毎週掲載されていた漫画で、
 1ページのカラー漫画です。

(パネルを見せる。『リトル・ニモ』の1ページ)