>>54
 他にも、宮ア駿の『風立ちぬ』っていうアニメがあります。あそこで描かれている主人公の堀越二郎というのも、
 実際の堀越二郎とは全く関係ないんですね。
 本当の堀越二郎は、別に人でなしではないし、ゼロ戦を作った後は、YS-11とか新幹線とかの開発に、
 ちょっと口を出したりする、わりと人のいいオッチャンだったんです。

 でも、「あのアニメの中に描かれているような、美しいものにしか興味がなくて、奥さんを見殺しにしたヤツなんだ!」
 というふうに考えてる方が、絶対に面白いんですね。
・・・
 「まあ漫画だし」っていう引いた目線で読んでいる限り、作者が見ている世界に触れるほどに近づけないんです。
 所詮、僕らはそれを見物している観客になっちゃって、面白くないんですよ。

 何回か前に「ブラゼルダ」っていうタイトルで、『ゼルダ』の世界をブラタモリ風に紹介する企画をやったんですけども。
 あれにしたって、『ゼルダ』の中にあったことを歴史的な事実だと信じることで、ああいうふうに語れるわけです。

 『天空の城ラピュタ』というアニメを語った時も、「ラピュタという物語は、この世界の中に本当にあって、パズーやシータも実在している」
 と思わないと、やっぱり、あんなふうには語れないんですね。」

 作者と同じ風景を見るどころか、作者以上に作品世界を信じ切ることができれば、絶対に面白いリターンが帰ってくるんです。
 なので、今回も、ブラゼルダの時と同じように、「『へうげもの』に描かれていることは歴史そのものだ! 真実だ!」と信じ切って語ります。

 ちなみに、これ、SFなどの完全に架空の物語を見る時でも、ノンフィクションのドキュメンタリーを見る時でも、全部同じです。
 というか、これは僕は映画や読書、その他全てに当てはまると思うんですけども。「本当だったんだ!」と信じさせてくれる作品こそが良い作品で、
 信じきれない作品というのは、やっぱりイマイチな作品なんですね。
・・・
 ただ、こういうものを本気にし過ぎることには、もちろん欠点もあります。本当だと思って他人に話すとマズい場合もありますよね。
 だけど、そういった欠点については、リカバーの方法があるんです。それは何かというと、「他の歴史作品も読むこと」なんですよ。

 『へうげもの』以外にも歴史漫画っていっぱいあります。例えば『センゴク』でも何でもいいです。そういうのを色々と比べて読んでみるんです。
 それらについても、全部信じていいんですよ。『センゴク』を読んでる時は、「ああ、仙石権兵衛はこんなヤツだったに違いない!」とか、
 「秀吉は、きっとヤンキーのトップみたいなヤツだったに違いにない!」と信じて読む方が面白い。
 そうやって、色んな漫画を信じて読んでいると、それらのブレンドの中から、自分独自の歴史観が作られるんですよね。